ピアニストのマウリツィオ・ポリーニが亡くなりました。私はもちろん音楽を生業にしている者ではありませんが,クラシック音楽を愛好する者の一人として,学生時代からこの偉大なピアニストに憧れておりました。いつも心の中にあった。
このピアニストは「世界的なピアニスト」の一言で表現できるような存在ではなく,専門家の間でも恐らく20世紀で十指に入るピアニストだったのではないでしょうか。ポリーニの凄さについては,私もど素人ながらこのブログでも過去に取り上げておりますので,良かったらこのサイト内検索で「ポリーニ」と入れて検索してみてください。くどいようですがいつも心の中にあるピアニストでした。
私がポリーニの生演奏を初めて聴いたのは,1991年4月28日(日)午後2時からの東京文化会館でのリサイタルでした。その日の曲目は,ベートーベンのソナタ第13番(幻想風ソナタ)変ホ長調,第15番ニ長調「田園」,ディアベッリのワルツによる33の変奏曲ハ長調でした。
2回目は,1993年4月22日(木)午後7時からのやはり東京文化会館でのリサイタルでした。その日の曲目は,シューベルトのソナタト長調「幻想」,ノーノの「・・・苦悩に満ちながらも晴朗な波・・・」,ドビュッシーの6つの練習曲「練習曲集」第2集でした。
いずれも素晴らしい演奏でした。何が素晴らしいのかについては,ど素人の私などが表現すれば的外れになってしまいそうなので避けますが,とにかく感動したことだけは間違いありません。いずれにしてもポリーニが49歳,そして51歳の充実期に生の演奏に接することができたことは幸せでした(願わくばショパンが聴きたかったけど)。
実はその後3回目のチャンスが訪れたのですよ。忘れもしない2018年10月11日(木)午後7時からサントリーホールで予定されていたポリーニのリサイタルです。しかしながら,彼の「腕の疲労が回復しない」状態であったため,残念ながら延期になってしまったのです。東京に住む娘がチケットを手配してくれ,私は喜び勇んでその日名古屋から新幹線に乗ったのですが,その車中にあった午前11時40分ころ,娘からのその情報に接しました。予定されていた曲目は,ショパンの2つのノクターン(作品55),ショパンのピアノソナタ第3番ロ短調(作品58),ドビュッシーの前奏曲集第1巻です。誠に素晴らしいラインナップ!断腸の思いでした。でもその時ポリーニは既に76歳だったのですから致し方ありません。何とか次の機会をと思っていましたが,このたびの訃報です。本当に残念です。正に「巨星墜つ」です。
「ピアニストたちの世界」(芸術現代社:昭和58年4月発行)という古い本に掲載されていた専門家の発言を再び引用してみましょう。
「本質的にぼくはいま、絶対、最高のピアニストだと思う。つまり値段(ギャラ)でいえば、ふつうの並みいる世界的なピアニストの十倍ぐらいはもらってもいい人だろうと思うのですよ。つまり、だれもできないことができるんだから。」(作曲家諸井誠,同書99~100頁)
「確かにポリーニは、彼が到達している芸術的高所と過去の実績に照らしても疑いもなく今世紀の十指に数えられる名ピアニストであるだろう。」(音楽評論家藁科雅美,同書141頁)
昨夜は寝る前にCDを取り出し,ポリーニ演奏のベートーベンのピアノソナタ3曲(第13番,第14番「月光」,第15番「田園」)を聞きながら寝入りましたし,今朝はポリーニが2009年に録音したバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻を聴きながら出勤しました。
私はひそかにバッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻の録音も期待していたのですが,それも見果てぬ夢となってしまいました。合掌
「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃」
本当に佳い歌ですね。毎年この季節になりますと,歌と旅に生きた西行のこの歌を思い起こすのです。西行ほど桜の魅力に魅入られた歌人はいないのではないでしょうか。西行の歌で桜の花を詠んだものは,詠出歌全体の一割以上に及んでいるそうですから。
冒頭の歌のように,これほど桜を愛した西行は,実際に陰暦の2月16日,太陽暦では3月30日,73歳の生涯を閉じております。時期的にその願いどおり外には桜が咲いていたのかもしれません(ソメイヨシノはまだありませんから,山桜)。
私は以前から西行には興味があったのですが,このほど良い本に巡り会えました。「西行-歌と旅と人生」(寺澤行忠著,新潮選書)という本です。著者(慶應義塾大学名誉教授)としては,西行研究こそが学者としてのライフワークだったのでしょうね。西行という人間,そしてその作品(歌)を知るには,誠にうってつけの本だと思いますよ。
出家前の西行は藤原北家藤成流と呼ばれる家系の出で,北面の武士でした(俗名佐藤義清)。でも,歌人としての業績は素晴らしく,何と,あの「新古今和歌集」では,専門歌人ではない西行の歌が,藤原俊成,藤原定家らといった歌の専門家をはるかに上回る最多の94首が選入されております。
さきほどの本の「はじめに」という箇所で,西行やその作品(歌)について端的にまとめてある部分を引用してみましょう。
「西行が多くの人々を引きつけてきたのは、歌のみならずその生き方に人々を引きつけるものがあったためである。旅の魅力を発見し、桜の美しさを多くの人に伝えた。また人生無常の自覚を促し、それを乗り越える道があることを力強く示した。さらには仏教と神道が共存する上でも、大きな役割を果たした。・・・一人の歴史上の人物を見る場合、できるだけ客観的にみる必要があることは、諭を俟たない。ただ人物や生き方の評価は、見る側の人間の人間観、世界観、歴史観に大きく左右される。西行の場合、その生き方そのものが、人々の関心を引き付けてきただけに、歌自体の評価と共に、生き方が大きな問題となってくる。生き方とその作品が、密接不可分なのである。」(同書3~5頁)
西行の歌には素晴らしいものが多く,冒頭の歌以外で私が特に好きなのは,これも人口に膾炙した次の歌です。「もののあはれ」に対する感受性に共感がもてます。
「心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮」
さらにこれは西行の歌かどうかについては異説もありますが,西行が実際に伊勢神宮に赴き,さらに伊勢神宮に崇敬の念をいだいていたことは間違いありません。次の歌も好きなのです。
「何事のおはしますをばしらねども かたじけなさに涙こぼるゝ」
晩酌の時間帯は至福の時ですが,そういう私でも週に1,2度は休肝日を設けていますよ。だって,私の場合は決して深酒はしないけど,働きづめでは肝臓がかわいそうじゃないですか。亡くなった母が「しじみの味噌汁は肝臓にいいんだよ。」とよく言っておりました。私はしじみの味噌汁が実は大好きなのです。
しじみの味噌汁を夜に味わえるのであれば,週に3回の休肝日でもよいと思っております(笑)。以前はよく出張で島根県に行っていたのですが,宍道湖産のしじみの美味いこと。でも,しじみにはやはり季節はあるのでしょうか,近くのスーパーでは最近あまり見かけません。いっそのこと通販のお取り寄せで宍道湖産のしじみを手に入れて味噌汁の具にしようかとも思っております。コンビニでもカップでしじみの味噌汁が売られていますが,原産国の表示がなく不安です。私は日本産でなければだめなのです。そういえば,よく家族と一緒に東北旅行もしていたのですが,青森の十三湖産のしじみを使った「しじみラーメン」もお土産に持って帰りました。これも美味しかった。
ところで,しじみの味噌汁を食す時,みなさんはしじみの身まで食べていますか。貝の肉の部分です。確かに小さな身まで食べるのは面倒でもあり,全部とまではいきませんが,私はもったいないのでできるだけ食べるようにしています。たんぱく源にもなりますしね。でも,しじみの味噌汁といっても,しじみはあくまでも出汁を取るものであって,身は捨ててしまうという考えも強いようですね。
先日の産経新聞の「産経抄」では,太宰治の短編小説「水仙」に少し触れられていましたが,お金持ち,上流階級ではしじみの身まで食べる習慣はないのだそうな(笑)。その小説では,貧しい小説家が資産家,名家に招かれ,つい酒が進んで調子に乗り,高貴なご婦人にお酒を勧めてしまい,「いただきません。」と冷淡に断られてしまう。酔いがさめた小説家はごはんをいただくことになり,しじみの味噌汁も添えられた。小説家が一生懸命に小さなしじみの身まで食べていると,そのご婦人から「そんなもの食べて、なんともありません?」と言われる。この名家ではしじみは出汁をとったら捨てられるものと扱われており,そのご婦人も悪意なく驚いただけであった。でも,小説家はこの時,酷い恥辱を受けたと感じた。
もちろんこの「水仙」という小説は,短編ではあっても人間の内面をえぐるもっと深い内容の小説なのですが,どういうわけか「しじみ」の一件が頭に残ってしまいます(笑)。でも私は,何と言われようと,休肝日の夜のしじみの味噌汁は,できるだけ小さな身まで食べてしまおうと思っております。オルニチンだって含まれているようですしね(笑)。