「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃」
本当に佳い歌ですね。毎年この季節になりますと,歌と旅に生きた西行のこの歌を思い起こすのです。西行ほど桜の魅力に魅入られた歌人はいないのではないでしょうか。西行の歌で桜の花を詠んだものは,詠出歌全体の一割以上に及んでいるそうですから。
冒頭の歌のように,これほど桜を愛した西行は,実際に陰暦の2月16日,太陽暦では3月30日,73歳の生涯を閉じております。時期的にその願いどおり外には桜が咲いていたのかもしれません(ソメイヨシノはまだありませんから,山桜)。
私は以前から西行には興味があったのですが,このほど良い本に巡り会えました。「西行-歌と旅と人生」(寺澤行忠著,新潮選書)という本です。著者(慶應義塾大学名誉教授)としては,西行研究こそが学者としてのライフワークだったのでしょうね。西行という人間,そしてその作品(歌)を知るには,誠にうってつけの本だと思いますよ。
出家前の西行は藤原北家藤成流と呼ばれる家系の出で,北面の武士でした(俗名佐藤義清)。でも,歌人としての業績は素晴らしく,何と,あの「新古今和歌集」では,専門歌人ではない西行の歌が,藤原俊成,藤原定家らといった歌の専門家をはるかに上回る最多の94首が選入されております。
さきほどの本の「はじめに」という箇所で,西行やその作品(歌)について端的にまとめてある部分を引用してみましょう。
「西行が多くの人々を引きつけてきたのは、歌のみならずその生き方に人々を引きつけるものがあったためである。旅の魅力を発見し、桜の美しさを多くの人に伝えた。また人生無常の自覚を促し、それを乗り越える道があることを力強く示した。さらには仏教と神道が共存する上でも、大きな役割を果たした。・・・一人の歴史上の人物を見る場合、できるだけ客観的にみる必要があることは、諭を俟たない。ただ人物や生き方の評価は、見る側の人間の人間観、世界観、歴史観に大きく左右される。西行の場合、その生き方そのものが、人々の関心を引き付けてきただけに、歌自体の評価と共に、生き方が大きな問題となってくる。生き方とその作品が、密接不可分なのである。」(同書3~5頁)
西行の歌には素晴らしいものが多く,冒頭の歌以外で私が特に好きなのは,これも人口に膾炙した次の歌です。「もののあはれ」に対する感受性に共感がもてます。
「心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮」
さらにこれは西行の歌かどうかについては異説もありますが,西行が実際に伊勢神宮に赴き,さらに伊勢神宮に崇敬の念をいだいていたことは間違いありません。次の歌も好きなのです。
「何事のおはしますをばしらねども かたじけなさに涙こぼるゝ」