お盆のある日,午後からのお墓参りの前に,名古屋でも結構有名な鰻屋さんでうなぎを食すことにしました。とにかくうちのカミさんはうなぎが好きなのです(笑)。彼女がうなぎを頬張った時の表情は「至福の時」といったそれです。
ところがお盆ですし,お昼時でしから,お店は案の定超満員でした。私たちは超満員に違いないと予測し,予め午前10時45分にお店に到着しましたが,あろうことか私たちの店内へのご案内は午後0時30分ということでした。びっくりしましたが,もうこちらも引っ込みがつきません。氏名を登録してそれまで時間つぶしのためにデパートの紳士服売り場で私のボタンダウンのストライプ入りのシャツとズボンを新調しにいきました。
さて,再びその鰻屋さんに到着し,私たち夫婦はひたすら案内予定の午後0時30分の到来を待ちました。とても長い時間でした。10分単位で数組のお客さんが案内されるシステムで,現在案内されているお客さんの時間帯が例えば「12:20」などと捲られたパネルで表示されます。
12時20分が過ぎたころからカミさんの顔に何やら焦りの表情が見て取れました。もう焦燥感の権化のような状況(爆笑)。私は「いよいよもうすぐだ。」と期待と余裕の表情。そうこうしているうちに,係の人が「12:30」のパネルを表示しました。その途端,うちのカミさんが鬼気迫る勢いで「あっ!私たち呼ばれなかった!」と叫んだのです。どうやら彼女は自分たちの案内予定時間を12時20分と勘違いしていたようです(爆笑)。私は「えっ?僕たちは12時30分組だよ。」と勘違いに気づかせ,カミさんは照れながら笑ってごまかしていました。完全に焦っております(笑)。
いよいよ12時30分になって私たちが店内に案内され,注文をし,うなぎの到着を待ちました。期待に胸をふくらませたカミさんの高鳴る鼓動が伝わってきます(笑)。愛想の良い店員さんが持ってきてくれたのは,カミさんはひつまぶし,私は特上うな丼です。私が鰻屋さんに行きたいのは,何よりも私自身が鰻好きなのもさることながら,カミさんの幸せそうな表情を盗み見たいからです。その時もカミさんは「至福の時」といった表情で実に美味しそうにうなぎを頬張っておりましたとさ。
その時私はうなぎ丼を注文したのですが,それにしても丼で思い出すのは,私が司法修習生だった頃の民事裁判修習時の女性の裁判官(部長)のことです。その裁判長はもちろん良い人でしたが相当潔癖症の方で,うなぎの話題になったある時,その方は「私はうなぎを食べる時は絶対に丼にするの。丼だったら洗いやすくて衛生的でしょ。でもうな重はダメ。だって,四角の容器の四つの角は奥までは絶対に洗いきれないと思うから。」と仰っていたのが懐かしい記憶です(笑)。その時私はなるほどとは思いながら,苦笑いで相槌を打っていました。
その潔癖症の女性裁判官の右陪席だった男性裁判官(ひょっとしたら別の部の右陪席だったかもしれません。)は,これとは対照的なざっくばらんで判事には珍しい大雑把な話の分かる方でした(Kさん)。私が弁護士になった後も,別の裁判所でのある民事事件ではKさんに担当してもらい,割と困難な事件も担当裁判官だったKさんの仲介で無事に和解ができましたし,Kさんがその後公証役場の公証人になられた後も,私はある依頼者の遺言公正証書を作成していただきました。Kさんはその後は弁護士登録をして今年の3月でしたか,息子さん(弁護士)と共に法律事務所を開設されました。
私もいろいろな弁護士を知っていますが,じっくりと一献傾けるのもいいなと思える弁護士はごくわずかです。Kさんは裁判官出身の弁護士ですが,お酒を一緒にと思えるような感じの方でした(一度も実現しませんでしたが)。数日前の弁護士会のメールで残念にもKさんの訃報に接しました(享年71歳)。法律事務所を開設して間がないのですが,ひょっとしたら法曹としての道を息子さんに譲るための終活をされていたのかもしれませんね。合掌。
まだパリ・パラリンピックの日程が控えていますが,先日パリ五輪の閉会式も終わりましたね。繰り返しますが,日本選手団の奮闘に心から敬意を表します。金メダル20個というのは,海外で開催されたオリンピックでの日本選手団の最高成績だそうです。
もうパリ五輪の閉会式も終了したことですし,後になってとやかく言うのも憚られるところですが,今回のパリ五輪についてはその運営上,果たしてスポーツ選手に敬意が払われていたか,そして審判の判定を含めスポーツとしての公正さが保たれていたかについては,残念ながらいずれも疑問符が付きますね。
過去約100年にわたってセーヌ川はその水質の点で遊泳禁止になっていたのです。確かにこのオリンピックに向けて水質改善に多額の予算がつぎ込まれたとはいうものの,雨が降れば雨水とともに旧式の下水道からの生活排水,下水が混入して川に流れ込むため,やはり大腸菌などの汚染は不可避です。案の定,トライアスロン参加選手の中には体調を崩して嘔吐を10回繰り返して入院してその後の競技を棄権したり,オープンウォータースイミング参加選手も嘔吐や下痢をしたり,第三者機関の調査では「浮遊性大腸菌群のカウントでは許容範囲だったが,包括的な大腸菌群のカウントでは制限値を超えていた。」との報告もありました。
選手村では基本的にはエアコンの設置がなく(フランス選手団の部屋にはエアコンの設置があったとのこと),暑さで睡眠不足になる選手も後を絶たず,何とか自費により臨時でエアコンの設置を余儀なくされたり(経済的余裕のない国や選手はこれもできない),また,選手村での食事ではアスリートのたんぱく源となる卵や鶏肉が不足し,野菜や豆類などのビーガン食に重点を置いた食事の提供で,選手からはクレームのオンパレードだったそうです。結局,思い余って選手村を出て,独自にホテルに宿泊した選手団も少なくなかったようです。運営上,とてもスポーツ選手に敬意が払われていたとはいえないようですね。
審判の判定を含め,スポーツとしての公正さが保たれていたのかについても疑問の残る大会でしたね。私は五輪の前半,日本らしい柔道が世界に喧伝されるべきだと思って,特に柔道に関心をもってテレビを見ていました。私は勿論素人ですから的外れなことを言っているかもしれませんが,男子60キロ級の準々決勝で永山竜樹選手がスペインの選手に一本負けをした試合は明らかに誤審ではないかと思いました。相手が締め技に入った後,メキシコの女性審判は進展がないとして「待て」と宣言したにもかかわらず,相手はその後も約6秒間締め続け(相手は「待て」の声が聞こえなかったと弁解している),結局「落ちた」(失神した)永山選手が一本負けを宣告されたのです。そもそも「待て」の後の行為は無効でしょう!審判団は結果的に「落ちた」ことを理由に判定を覆さなかった。それじゃあ,「待て」を無視して反則を続けた者が得をすることになります。また,この柔道選手としての経験があまりない女性審判は,「待て」を宣言した後ですぐに締め技を止めさせるべきだった。
惜しくも銀メダルとなった男子90キロ級の決勝に進んだ村尾三四郎選手も,見事な内股を決めたかに思えたのですが,審判は技ありも取らない。そして例のフランスとの混合団体決勝も明らかにおかしい。3-1でリードし,ここで登場した阿部一二三はフランス選手を圧倒し,既に指導2回を受けていたフランス選手に対してさらに果敢に攻撃を仕掛け,そのフランス選手は極めて消極的な態度を継続していたにもかかわらず,フランスの応援団に忖度したのか決して3回目の指導を出さなかったのも明らかに公正さを欠く審判の判断です(ルーマニアの女性審判)。そして極めつけは90キロ超級のリネールを登場させた例のデジタル式ルーレット(笑)。
柔道に限っても誤審騒ぎは少なくなかったのに,他の競技を含めれば誤審騒ぎ,誤審疑惑には事欠きません。いやー,この暑いのに愚痴ばかりが続くのも何ですから,もうこの辺でやめておきます(笑)。
いずれにしても,あの醜悪だった開会式のLGBTQ+やポリティカル・コレクトネスの押し付け,マリー・アントワネットの斬首された首に擬した血なまぐさい演出にも辟易としましたが,大会の運営自体も決してスポーツ選手に対する敬意が払われたとはいえず,また,審判の判断を含めスポーツとしての公正さが保たれたとは評価できない五輪だったと思わざるを得ないのです。
いよいよパリ五輪も日程的には終盤となりましたね。日本選手団の奮闘に心から敬意を表します。
さて,パリ五輪の開会式から約2週間が経過しようとしていますが,みなさんはあの開会式のいろいろな場面のことはもうお忘れでしょうか。私も長いこと生きておりますが(笑),率直に言ってあのように醜悪な,そして嫌悪感を覚える開会式を目にしたことはありませんでした。残念ながら・・・。
恐らくはレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」をオマージュしたと思われる奇妙な風体の各登場人物そして演出は,LGBTQ+や多様性とやらに対する理解を強く求める趣旨に出たものでしょう。しかしながら,こういった演出や映像は,その筋の左翼活動家やそのシンパによる押しつけがましさを感じますし,お茶の間で見せられたり子供に見せるようなものではないでしょう。やはり欧米もいよいよここまで来てしまったのかと思いました。あるブログの作者はうまいこと表現しています。いわく,「世界中のキリスト教徒は、パリ大会の主催者がレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』のタブローで開会式を締めくくる決定に抗議している。ルネサンス期の画家が描いたイエス・キリストと使徒たちの有名な絵は、ドラッグクイーンや同性愛者、性転換者を巻き込んだバッカス祭として再解釈された。」
LGBTQ+,多様性(多文化共生,人種,移民など),そしてジェンダー思想のごり押しには辟易としますし,いわゆるポリティカル・コレクトネス(政治的に正しいこと)に対しては絶対に異論は唱えさせないぞ,といったような有形,無形の圧力を感じてしまう今日この頃です(笑)。
それにフランス革命時のマリー・アントワネットの斬首された首を思わせる演出やバーッと血が噴き出す様子を擬した演出なども明らかに狂気的で悪趣味です。こんな演出で何を訴えたかったのでしょうか。エドマンド・バークも「フランス革命の省察」において,狂気めいた行き過ぎや理性万能主義の危険性に警鐘を鳴らしていたではありませんか。
このたびのパリ五輪の開会式を見て私が覚えた嫌悪感,違和感については,ざっとこんなところです(もっと本当は言いたいことはあるのですが,「お前のブログは長過ぎる。」とお叱りを受けることも多いので,これくらいにしておきます。)。
ただ,アメリカのドナルド・トランプ大統領候補(共和党選出)や,スロバキア副首相のトマーシュ・タラバは次のように述べておりますので,引用しておきます。タラバ副首相はパリ五輪の閉会式はボイコットする旨を明言しています。
「パリ五輪の開会式は本当にひどい。恥ずべきものだった。」(ドナルド・トランプ)
「私は閉会式でスロバキアを代表するはずだったが、普通(ノーマル)の世界にとって、このオリンピックは倒錯した退廃の忌まわしい象徴として永遠に記憶されるだろう。スポーツの美しさを悪用し、それを進歩的な政治劇へと仕立て上げたのだ。」
「キリスト教への侮辱と提示された退廃は、文化とゴミの違いを理解している普通の世界全体を怒らせるほどのレベルに達している。」(トマーシュ・タラバ)