旅館での露天風呂と読書に気がいってしまい,正直言って旅行3日目の観光をどうしようか全く計画がなかった。まあ,一日中旅館でゴロゴロしている訳にもいかず,どこかには出かけようと思っていたところ,親切な旅館の仲居さんが,松崎町にある「伊豆の長八美術館」を薦めてくれた。そういえば,伊豆半島の中でもまだ西伊豆方面には出かけていない。そこで,まずは「伊豆の長八美術館」に行くことにした。
伊豆の長八美術館というのは,江戸時代に活躍した入江長八という名工が作製した作品数十点が展示されている美術館である。その作品というのは,漆喰(しっくい)を素材に,鏝(こて)を使用して作製された絵及び彫塑である。モチーフは人物,動物,情景など多岐にわたるが,高度の左官技術と創造力が窺える。僕はこのように鏝絵(こてえ)というジャンルがあることすら知らなかったが,長八の作品は海外でも高く評価されているとのこと。誇らしい日本人がここにも存在した。長八の作品の中で文久2年(1862年)成立というのがあった。とすると,新撰組の前身である浪士組が結成されたのが文久3年(1863年)だから,ちょうどその頃に活躍していたということになる。旅館の仲居さんがこの美術館での鑑賞を強く薦めてくれたのだが,長八の作品群に出会えて良かったと思う。
その次に足を運んだのは,同じ松崎町にあり,国の重要文化財に指定されている岩科学校だ。この岩科学校は,明治に創立され,大正,昭和と生き抜いてきた学校施設である。この重要文化財を見て,かつて長野県の松本を旅行した時に訪れた開智学校を思い出した。さて,この岩科学校は,地元住民の並々ならぬ熱意で建設,運営されていた。施設内に入ると,当時の学校の様子がよく分かる。各時代の写真や教科書なども展示され,昭和時代のうち自分の小学校時代の教科書が非常に懐かしかった。岩科学校創立時には,教育者として会津藩の山口盤山を迎え入れたというが,やはり教育というのは人を得なければならない。人(教育者)といい,教材といい,昔から日本は教育立国の国であり,教育の荒廃した部分を立て直し,将来もこれを目指さなければならないと思う。岩科学校の離れの部分には喫茶と売店があった。ここでは名物の桜葉餅を美味しくいただき,結構大きいフィギュアを買ってきた。売店にあったフィギュアは十数種類あったが,僕が選んだのは,木の机の上に配膳された給食(コッペパンと簡単なおかずに箸が添えてある)を前に,やはり木の椅子に座ったおかっぱ頭の女の子が神妙な表情で「いただきます」をしているフィギュアであった。これもまたとても懐かしい感じがする。
この日の遅い昼食は,やはり旅館の仲居さんから薦められたお好み焼き屋さんでお好み焼き(シーフードのやつ)を食べた。べらぼうに美味かった。自宅で作るお好み焼きとは何が決定的に違うのであろうか。おそらく,出汁(だし)と山芋の量ではないかと思う。
旅館に戻ったら,やはり露天風呂と読書。この日はそういう一日であった。