新聞報道によると,10月23日の閣僚懇談会で,岡田外相が宮内庁に対し,国会開会式の天皇陛下のお言葉に関し,「陛下の思いが少しは入ったお言葉をいただける工夫を考えてほしい」などと申し入れたようだ。耳を疑ったし,違和感を覚え,その直後に怒りの気持ちがわいた。その後の釈明内容を聞いても,岡田外相のこの発言の真意が奈辺にあるのかはかりかねるし,この際は「お言葉」の憲法上の位置づけという理屈は置いておくとしても,少なくともこの発言と申し入れは,現象面としては,陛下にもう少し思いの入ったお言葉を下さい,と要求しているに等しい。極めて不遜である。
外相というのはその固有の所管事務がある。分際という言葉は,身のほど,それぞれに応じた程度という意味であり,分(ぶん)とは,各人にわけ与えられた身分や責任というほどの意味である。外相の分際というものがあり,岡田外相も分をわきまえなければならないと思う。
様々な情報によると,この岡田外相という人は,かつていろいろな場面で次のような発言をしているようである。
「『国歌君が代』は民主主義にふさわしくないので違和感を感じる。民主主義国家にふさわしい国歌があっていいんじゃないか」
「参政権がほしいなら国籍を取れということは、人権にかかわる」
「将来の理想は日中韓共通の教科書を作ることだ」
岡田外相のかつての変な発言は,実はこれだけに限らず枚挙にいとまがない。もう今日も今日とて僕の本来の仕事があり,ブログ作成にこれ以上時間はかけられないので,彼のこれらの発言内容の幼稚さ,自家撞着性について詳論しないが,実におかしい。変である。同じ外相でも陸奥宗光外相,小村寿太郎外相とは雲泥の差である。岡田外相ではとうてい日本の国益は守れないであろう。つい最近も,いわゆる「東アジア共同体」の枠組みについてアメリカは入らないと明言し,すぐさま鳩山首相がその内容を事実上打ち消すという事態が発生している(彼ら自身もそのいわんとする「東アジア共同体」がどういうものなのか分かっていないし,深く考えていないのだから,しょうがないか【笑】・・・)。
いずれにしても,有権者は自由民主党にお灸をすえるために,民主党に308議席も与え,こういう人たちを国のトップ,重要閣僚にいただいたのだが,その有権者自身が今度はお灸をすえられることになると思う。・・・・・でもね,自由民主党がこのままでいい訳は絶対無いよ。同党の中にも十分に変な人たちが含まれているからね。そこに悩みの深さがある。平沼赳夫先生たちに是非がんばって欲しいのだけど。