本当に,千葉県野田市の小4女児死亡事件の報道内容に接しておりますと,涙が出てきますね。被害者の栗原心愛(みあ)さんは,学校のアンケートで「先生、どうにかできませんか。」と書いて心からの助けを求めていたではありませんか。可哀想で可哀想で仕方がない。実の親からこんな目に遭わされるためにこの世に生を受けたのではありません。
容疑者である父親は,「しつけのためにやった。悪いことをしたとは思っていない。」などと嘯いているようですが,躾と虐待・暴力との区別もつかない愚か者の言い分です。報道によれば,挙げ句にこの者は虐待の状況を動画で撮影させていたともいいます。職業柄あまり情緒的,感情的な表現は差し控えるべきことは分かってはおりますが,このサイコパスのような容疑者の顔写真を見ますと,胸が悪くなります。
安倍首相は2月8日に官邸で開かれた児童虐待防止に関する関係閣僚会議において,「痛ましい事件を繰り返してはならない。子供の命を守ることを最優先にあらゆる手段を尽くすという強い決意で、児童虐待の根絶に向け総力を挙げて取り組んでほしい」と述べるとともに,「子供たちを守る砦となるべき学校、教育委員会、児童相談所や周りの大人たちが心愛(みあ)さんの悲痛なSOSの声を受け止めてあげることができなかった。幼い命を守れなかったことは本当に悔やんでも悔やみきれない」と強調しました。
政府は,新たな対策として,(1)把握している全ての虐待ケースの緊急安全確認,(2)子供の安全を第一に通告元は一切開示しないルールの設定,(3)威圧的な保護者に対する複数機関での共同対処ルールの設定,(4)新年度に児童福祉司の千人増員など体制の抜本的強化などが挙げられています。
私が強く思いますのは,いやしくもこういった事態の再発防止のためには,合目的的かつ効果的な対策を施さなければならないということと,何よりも児童相談所,教師,教育委員会などが子供の命を守ることを至上命題として自覚することです。合目的的の目的とは「子供の命を守ること」ですし,効果的の効果とは「子供の命を守る」ための効果です。
皆さんも覚えておいでだと思いますが,昨年の3月2日には東京都目黒区の船戸結愛さん(当時5歳)が親からの虐待でやはり幼い命を奪われております。結愛さんが自分のノートに書いた「もっとあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるしてください ゆるしてください お願いします」の幼いメモに涙した方もいらしゃると思います。
もうこんなことを繰り返してはいけません。親が虐待の加害者であるなら,場合によっては親権剥奪はもちろんのこと,社会が積極的に介入し,連携して子供の命を守らなければなりません。
昨年8月に出た週刊新潮の評論家櫻井よしこさんのコラムでは,虐待死をなくすためには「全件情報共有」が必要だと力説されていました。すなわち,他の先進国と同様,幼い子供の命を守るのは社会と国全体の責任だという考え方に基づいて,各地の児童相談所や警察に寄せられた虐待が疑われる全ての情報を,児童相談所と警察とが情報を全件共有するということです。
そのコラムで櫻井よし子さんは,ノンフィクション作家の門田隆将さんの次のような発言を引用しておりました。
「児童相談所と警察はその成り立ちからして組織の特質、DNAが違います。児童相談所の人はこの番組を見て怒るかもしれないけれど、児童相談所にとって(結愛ちゃん事件は)普通のことです。警察は命を守る組織です。結愛ちゃんの命を守ろうとする遺伝子を持っているのが警察です。児童相談所は親子関係、或いは家庭のあり方を修復するという遺伝子を持つ組織です。だから自分たちの手元の情報を警察に通告して、子供の命を守ろうという発想が元々ないのです。」
確かにこの門田氏の発言には言い過ぎの面はありますが,結愛ちゃん事件の時の児童相談所の対応は医師からの情報提供を全く生かせませんでしたし,自宅を訪れても母親から「不在」と言われてすごすごと辞去しています。また,今回の心愛ちゃん事件の際も,児童相談所は子供の救命という点では機能していませんでしたし,教育委員会の対応は失態と評価されるべきです。
門田氏はさらに言います。
「(児童相談所と警察との間の全件情報共有の必要性を前提とし)児童相談所は自分たちの専門性を高める、そのためには要員増加には大賛成と言うでしょう。組織の権限も拡大します。しかし、それでは対応できないところまで日本社会はきています。警察と手を携えなければ子供の命は守れないでしょう。・・(中略)・・警察は全国に30万人,交番のお巡りさんは10万人です。彼らに『子供さんは元気ですか。』と声をかけてもらうだけで事情はかわります。」
児童虐待防止は喫緊の課題です。