今日はあいにくの雨で,傘を差しながらの通勤になったが,それにしても桜の花の美しく,見事であることよ。最近では桜の季節になると,子どもの頃にはなかったような特別の感慨がある。子どもの頃は,桜を見ても「ああ,きれいだな。」とは思っても,それ以上の感情はなかった。でも最近は,恐らく歳のせいだとは思うが,桜の花を見ると,あと何回このような美しい桜の季節を迎えることができるのだろうか,とか,来年もこのような桜を見ることができるのだろうか,とか(笑)。
子どもの頃に歌った「さくらさくら」という歌は,すごく良い曲だと思うが,今も小学校では歌われているのだろうか。
さくら さくら
野山も里も
見わたす限り
かすみか雲か
朝日ににおう
さくら さくら
花ざかり
さくら さくら
やよいの空は
見わたす限り
かすみか雲か
匂いぞ出ずる
いざや いざや
見にゆかん
実に素晴らしい曲である。「朝日ににおう」というあたりは,本居宣長の「しきしまの やまと心を 人とはば 朝日ににほふ 山桜花」という歌からきているのかもしれない。今も小学校で歌い継がれていることを信じているし,これからも歌い継いでもらいたい。
前にもこのブログで触れたことがあるが,僕は数年前,青森県十和田市にある新渡戸稲造記念館に足を運んだことがある。桜の花にことのほかの思い入れがあったのは,新渡戸稲造先生である。その著された「武士道」という本の第15章には,次のようなくだりがある。
「桜はその美しさの下に、およそ刃物も毒もかくしておらず、自然の呼応に応じて、いつなんどきでも世を去る覚悟ができているし、その色彩は決して派手ではなく、そのあわい香りは決して飽きがこない。」
自然の呼び声に応じていつでもこの世を去る覚悟。桜の散り際は正にそうである。そこにはかなさと潔さを見る。日本人のメンタリティーである。この地上でも稀なほどの尊い日本人のメンタリティーと日本という国は,しっかりと守っていかなければならない。コロッと話が変わってしまうが,平沼赳夫衆議院議員は,桜が似合いそうな立派な代議士であり期待しているが,そろそろ新党を立ち上げるというような情報もある。ぜひ,ぜひ,頑張ってもらいたい。