新型コロナウイルスが変異株を含めて猛威を振るっている中,本当に嘆かわしいことに,我が国は休業や自粛要請ばかりでワクチンの接種が一向に進んでいません。4月末現在,日本におけるワクチン接種率は僅か1.3%です(13%ではありません)。経済協力開発機構(OECD)加盟37か国で最下位です。米国は37%,英国は約36%であり,日本は中国,シンガポール,韓国などアジア諸国より低いという体たらくです。
この接種遅れの主な要因は,政府によるワクチン確保の出遅れと欧州の輸出規制による供給制約にあります。国家観なき実務者に過ぎず,石破氏や岸田氏よりはマシだろうといった感じで首相の座に就いた菅義偉という人は「国民の命と生活を守る」政治を標榜しましたが,所詮は言葉のみといった虚しさだけが残ります。
それにしても夜布団の中に入ってしみじみ思ったのですが,日本という国はこのような緊急事態なのに,なぜワクチンを自国で作れないのでしょうか。ノーベル医学・生理学賞や化学賞,物理学賞に輝く科学者を多く輩出しているのに・・・。そして曲がりなりにもGDP世界第3位の経済大国であり,日本の科学技術,医学の水準には定評があるのに,何故でしょうね。そんな疑問を感じながら,知らぬ間に寝入っていました。
一昨日ですか,産経新聞を読んでいましたら,「コロナ直言」というコーナーの記事に遭遇しました。その記事の内容は,先ほどの私の素朴な疑問にある程度答えてくれるものでした。医学者で日本ワクチン学会理事長を務める岡田賢司さんは,厚生労働省の中だけでやっていたワクチン行政の限界があったこと,そして国産ワクチンの実用化が遅れている背景には,国が国内メーカーを育成してこなかったという不作為があったことを指摘しています。開発支援や承認に至らなかった場合の補償を含めたメーカーに対する後押しがなかったということです。投資リスクが高いですから,仮に承認に至らなかった場合の補償もある程度必要なのです。
そして何よりも重要なのは,ウイルス禍や疫病禍への対処という問題は,国を挙げての安全保障の問題と捉えることだと思います。これは岡田賢司さんの指摘ですが,海外の先進国は日本と異なり,ワクチンを「国家防衛の道具」と捉えてきました。特に他国との交流が活発な欧米諸国は,自国への未知のウイルス流入に対する危機感が強く,今猛威を振るっているこのウイルスが中国で確認された直後から,国内外のメーカーとワクチンの開発段階から交渉を始めたとみられています。危機感と迅速さに歴然とした差があります。
それに引き換え,日本は完全に,そして見事なほどに「平和ボケ」です。昨年1月下旬の時点でも春節で浮かれた中国人旅行客をドンドン入国させていましたし(1月中の中国人入国者は92万4800人),何とあの習近平国賓招待の中止を発表する頃まで,中国からの入国制限は湖北省と浙江省からのものに限定していたのですからね。ボケるのも大概にして欲しいものです。
考えてみれば,例えば日本に敵意を持つ国の手先が日本に入国し,日本の主要な複数の都市部で,同時多発的に感染力の非常に強いウイルスをバラまいたらどうなるでしょうか。国内は大混乱となり,相当数の人命が失われ,経済もガタガタになるリスクがあります。入国管理,防疫のみならずワクチン製造技術は実は「安全保障」の問題なのです。
やはり愛読している産経新聞の「一筆多論」というコラムでは,論説委員の佐藤好美さんが次のように指摘しておりました。
「開発する能力はあるのに、平時は国民の忌避意識が強くワクチンに消極的だから投資も貧弱。いざとなると、結構な数を欲しがる『ワクチン消費国』なのである。ウイルスには変異と栄枯盛衰がある。効果が高く、副反応が少なく、使い勝手の良いワクチンは常に需要がある。今からでも遅くない。内外に役割を果たすワクチン開発を。」