もうかれこれ3年ほど前になりますかね,私が仕事の関係で鹿児島に出張に行ったのは・・。どうやら今年も仕事の関係で再び鹿児島出張となりそうです。前回出張時は,仕事と夜の飲み会だけで観光などはできなかったのですが,今回は時間があれば少しだけでも観光がしたいものです。
「翔ぶが如く(1)~(10)」(司馬遼太郎著,文春文庫)を貪るように読んだときの感動もあり,今度はせめて城山(西郷隆盛終焉の地)は観てみたいですし,東郷平八郎誕生碑くらいは観てみたい。
日露戦争における日本海海戦を勝利に導いた大元帥東郷平八郎は,昭和9年(1934年)5月30日に87歳で亡くなりました。ちょうど今頃の季節です。「人間臨終図鑑(4)」(山田風太郎著,徳間文庫)などの記載によりますと,東郷平八郎という人物そのものに惹かれますし,その死に際や愛妻との麗しい夫婦関係などはやはり羨ましいほどですし,夫婦というものはこうありたいと切に思います。
死の直前,東郷元帥と妻のテツ子さんは同じ病院で療養していたのですが,元帥の診察が終わった後は,医師に必ず「ありがとう。」と丁寧にお礼を述べ,「ついでに、お鉄も診てやってください。」と必ず言う。毎日午後2時頃になると,天皇陛下から御下賜のスープをいただく時は,必ず床の上で合掌し,お礼を言上し,このありがたいスープを必ず隣室の妻に分け与えていた。いよいよ元帥の死の前日午後11時頃,元帥の容体が絶望の重態となった時,妻はベッドごと元帥の病室の敷居の所まで運ばれ,最後の対面となる。妻の顔を見た元帥は,意識不明瞭のはずだったのに妻の顔をみるや,右手をしきりに振り,二三度頷いた。妻は元帥の顔をじっと見守って,両の眼に熱い涙を浮かべていた。最後の対面を果たした妻は,ベッドごと自室(病室)に運ばれながら,「乃木さんの奥さまが羨ましい。」と涙を流して言った。
明治天皇が崩御したときに,乃木希典と妻の静子は夫婦で自決したのですが,この東郷元帥の妻の言葉には夫の平八郎と共に死を迎えたかったという思いが込められております。結局,妻もその年の12月28日に亡くなり,元帥とあの世で再会を果たしたのです。
こう言っては何ですが,同じ薩摩藩出身でも黒田清隆(元内閣総理大臣)の自分の妻に対する傍若無人ぶりとは極端に違います。酒乱だった彼の自分の妻に対する振る舞いは,書くだけでも気分が悪くなりますので,ここでは触れません。素面の時には穏やかだったそうですがね。
いずれにしても,東郷元帥,もとより軍功抜群の出色の軍人だったことは間違いありませんが,良き父であり,また良き夫だったのでしょう。