疲れて居間のソファに横たわる。肘掛けの部分の高さがちょうど枕代わりになる。ここに頭を置いて,しばらくボサーっとしていた。何気なく本棚の方に目をやると,「10歳の放浪記」(上條さなえ著,講談社)という本の背表紙が目に入った。そういえば,これは良い本だった。新聞だったか,雑誌だったかの書評を読んで早速買い求め,早速読んだ本だ。「平成18年11月30日第1刷発行」とあるから,今から約2年前,時間があまりない中,確か1日か2日で読み終えたと思う。読みながら,不覚にも何度も涙が出てきた。泣ける本である。
著者自身の実際の体験がつづられたもので,10歳ころの約1年,父とともにホームレス生活を余儀なくされた当時の話である。著者が母親から,とりあえず1日だけ千葉県の九十九里村にある母親の兄の家でお泊まりしなさい,「次の日には迎えに行くから。」と言われて,そこへ行く。でも翌日,母は迎えには来なかった。近くのバス停には午前9時,午後3時,午後5時の1日3回のバス到着があり,著者がはやる気持ちを抑えきれず3回ともバス停に行くが,バスから降りて来る乗客の中にやはり母の姿はない。来る日も来る日も・・・・・。著者は雨の日もバス停に行って待っているのだが,それでも母の姿はない。慣れ親しんだ小学校へも行けずに。すごく切ない展開だ。
その後約1か月ほど経って再び母と暮らす。著者は,母から,「お父さんに会って,決して来てくれるなって言うのよ。これで精一杯ですって言うのよ。」と言われて薄い茶封筒を渡される。母にお金を無心する父に少しばかりのお金を渡す役を命じられるのだ。父と会った著者は,みすぼらしく変わり果てた父の姿に恥ずかしさを覚え,幼いながらも,一刻も早く父とその場は別れたいと思う自分を冷たい人間だと自らを責める。クリスマスだからと10円玉を握らせてくれた父が見送る中,都電に乗り込んだ著者は,乗客に涙を見られまいと電車の進行方向を向いて,それでも姿が小さくなっていく父を振り返りながらまた涙を流す。
その後は,親の都合(父が事業に失敗して借金取りに追いまくられる)で,とうとう小学校へも行かず,いよいよ父とともに約1年間にわたって簡易宿泊所での生活が始まる。朝に簡易宿泊所を出てからは,昼間工事現場で働く父と合流するまでと,父と昼食を一緒にとってから夜に簡易宿泊所に行くまでの時間帯は,著者は僅かなお金でずーっと外で時間をつぶさなくてはならない。寒くても・・・。父が心配するからと,著者は本当は泣きたい気持ちを必死に抑えて,父の前では気丈に振る舞う。幸い著者は,父とのホームレス生活を約1年で終え,親とは離れつつも,施設に入って再び小学校に通えることになる。そして,そこにいる山下先生の真の優しさ。
この本は,ちょっとやそっとのことでめげてはいけないという意味で,大きな勇気を与えてくれる。何気なく本棚に目をやり,その背表紙を見つけたこの本のページを久しぶりにめくってみた。次のくだりが目に入った時,また泣けてきた。
「わたしが自分自身の出来事について書く決心をするまでに、作家となって二十年の歳月を要しました。それはわたしの心の中に、書いたら父母がかわいそうという気持ちとともに、父母に対する恨みがほんの少しでもあったら書けないという気持ちがあったからです。今は、仏となった父と母に、ただ感謝とお礼の気持ちを伝えたいと思いました。この世に生をあたえてくれたことへの感謝とお礼の 気持ちです。今、心から父と母へ、『この世に生んでくれて、ありがとう』という言葉を贈ります。」