二日酔いの日は,昼食にカレーを食べるべきです。しかもそのカレーというのは,相当に辛いルーでなければダメで,しかもご飯の量は少なめです。私の中では,「二日酔いの日の昼食は,ご飯少なめの激辛カレーに限る」という考えは,もはや確信の域に達しております(笑)。
最近,素晴らしい本に出会いました。「日銀はだれのものか」(中原伸之著,中央公論新社)という本です。
この日本という国には,しかるべき人材がいるはずなのに,なぜ超円高,デフレ経済を脱却できないままでいるのでしょうか。仏教でも因果応報のならいがあり,ある結果が生ずるにはその原因が必ずあるものです。日本経済がこれほど長期間のデフレに沈んだままで,しかも最近の超円高状態を解消できないのは,これを拱手傍観している人たちが存在するからです。デフレと超円高から脱却できないでいることについて,日本の中央銀行たる日本銀行の責任がなぜ問われないのでしょうか。
この本の著者である中原伸之さんは,かつて4年間にわたって日銀の審議委員として孤軍奮闘されました。中原さんはこの本の中で,この4年間の孤軍奮闘の体験を踏まえて日銀の問題性を鋭くえぐり出しておられます。新日銀法は1998年4月に施行されたのですが,この法律の欠陥は,日銀に「手段の独立性」だけでなく,「目的の独立性」まで与えてしまい,結果的に中央銀行たる日銀の金融政策に誤りや怠りがあったとしても,誰も責任を負わない制度にしてしまっていることです。
中原伸之さんの審議委員としての4年間,日銀の最高意思決定機関である政策委員会の金融政策決定会合(9名による採決)では,中原さんの提案は大体いつも1対8で否決され続けてきました。でも1998年4月から2002年3月までの日本経済の流れを見ていると,日銀は2000年8月にゼロ金利解除という政策的誤りを犯し,最終的には中原さんの政策提言に近い形で2001年3月にようやく量的緩和策導入を行いました。要するに中原さんの見通し,見識が正しかったことが証明されております。
また,この本が上梓された2006年当時の日銀総裁の年間報酬額は約3600万円という高額なもので,2人の副総裁でもそれぞれ約2800万円,審議委員も約2700万円に達しております。アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)の議長の年収だって約2000万円だというのに・・・。旧法時代の日銀総裁の報酬年額は何と,5000万円以上だったといいます(呆然)。こういった庶民の生活とは隔絶した世界の人たちが日本の金融政策を牛耳っているのです。
私なりに思いますと,中原さんがこの本で最も述べたかったのは,恐らく終章である「第8章 日本経済と日銀の将来」の箇所に書かれている論述でしょう。私が思わず頷いてしまった箇所を引用しておきましょう。
「日銀の人たちは、『日銀は自分たちのもの』と思っているようです。けれど日銀の出資証券は、政府が五一%保有していますし、組織の本来の意味から言っても、『日銀は国民のもの』なのです。ですから、日銀総裁はなぜ年収三千六百万円を手にするのか、だれを審議委員に選ぶのか、だれが再任されるのか、その手順はどうなっているのかなどを、国会で国民にわかりやすく説明するのは当然のことなのです。」(273頁)
「金融政策を独占する権限を持っているのですから、その運営に失敗すれば、国民に対して責任をとるのも当然のことなのです。・・・ゼロ金利の解除は明らかな政策ミスで、その責任をとるべきだったのに、解除に賛成し、失敗したら責任をとると明言したはずの人でさえ、一人も責任をとらなかったのです。・・・ゼロ金利解除は日銀が法改正で与えられた独立性を意識し、政府の反対を否決して実施した決断なのですから、その政策の失敗の責任をとって、速水さんは辞めるべきだったと思います。」(273~274頁)
「絶えず議論になる日銀法四条の『政府の経済政策との整合性』はもっと明瞭に書き直し、同二条の金融政策運営も、インフレ・ターゲティング方式による物価安定目標を採用すべきです。金融政策の目標は、政府が与えるべきで、日銀には政策手段選択の独立性を認めるのがグローバルスタンダードです。目標を自分で決めて、自分で解決するのでは、自分のやりやすいような目標を選ぶことになりがちです。子供が自分の宿題を自分で選んで、出来ましたと先生に出すのと似ています。それでは適正な政策運営ができません。」(274頁)
舌鋒鋭いですね(笑)。