ああ,本当に良い季節になりました。自分を取り戻すことができた感じです。これから来年の春の終わり頃までは私の季節です(笑)。夏だけはどうも・・・。自分を取り戻すことができたというのは,例えば徒歩通勤が再開されたということです。うだるような暑さの夏とは違って,散歩がてらの通勤を再開したのです。これにスロートレーニングと半身浴(これを実行する日は休肝日のとき)が加われば,最高です。
さて,10月17日はショパンの命日です。ちょっとここ数日は学生時代によく聴いたショパンの名曲の数々を味わってみたいと思います。たとえば,バラード第4番,前奏曲集,嬰ヘ短調のポロネーズ(第5番)などなど・・・。素晴らしい曲ばかりです。
ところで,我が師と仰ぐ(笑)ヨハン・ゼバスティアン・バッハとショパン。私の中では幾多の作曲家の中でもバッハだけは別格の存在なのですが,ショパンの音楽も好きです。そのショパンは,実はバッハを心から尊敬し,その音楽を愛していたそうです。
ショパンはバッハの平均律クラヴィーア曲集を日々の糧としていたのです。また,ショパンの弟子のレンツの伝によると,「(ショパンは)演奏会が近づくと,自分の作品ではなくバッハの曲ばかりを部屋にとじこもって弾いていた。」とのこと。さらには,結核療養のためにスペインのマジョルカ島に滞在した時(例のジョルジュ・サンドも一緒),楽譜を持っていったのはバッハの平均律の1冊だけだったという逸話もあるくらいです。
バッハが1750年にライプツィヒで亡くなった後は,バッハの作品と存在は世間的には一時期忘れ去られていきましたが,メンデルスゾーンがバッハの「マタイ受難曲」を1829年に再演してからは,ふたたびバッハの作品と存在が脚光を浴び,世界的にも評価されるようになりました。世間的には一時的に忘れ去られていったとはいうものの,ベートーヴェンやショパンなどといった音楽家の間では細々と受け継がれていたのですね。だからこそショパンは,バッハの平均律を日々の糧にしていたのでしょう。バッハとは,ドイツ語で「小川」という意味ですが,どうしてどうして,ベートーヴェンが言うように「大海」です。バッハはそれほどの音楽的影響を後世の音楽家に与えています。