私がはじめて「権力の市場化」という言葉に接したのは,「中国現代化の落とし穴-噴火口上の中国」(何清漣著,坂井臣之助・中川友訳,草思社)という名著を読んだ時です。
「権力の市場化」という言葉の意味を説明するのはなかなか難しいのですが,イメージとしては次のようなものだと思います。つまり,権力者に利益(金銭等の経済的利益もあれば,票などの政治的な利益もある)を供与することなどによって権力が事実上買われてしまい,ごくごく一部の強欲な人たちの目論見が政策等に反映されて彼らが超過利潤を獲得し,その反面最終的には国有財産や国民の利益が徐々に徐々に収奪されていく感じ・・・。こんなイメージではないかと思います。
中国の「改革開放路線」が始まった1978年以降,実はこの国における「権力の市場化」は凄まじく,それはそれは途方もない富の偏在など悲惨な状況になっております。しかし,しかしですよ・・・,中国ほど露骨ではないにしても,アメリカにおける「権力の市場化」もまことに凄まじく,さらには最近ではこの日本でも,規模は違えどアメリカでの「権力の市場化」に追随するかのような由々しき事態が生じる現実的な危険性もあるのです。
そんな訳でこの「権力の市場化」というものに少し興味を抱いたものですから,これから5回シリーズで(笑),ほんの少しばかり書いてみたいと思います。
いやはや中国は露骨です(笑)。権力に群がる関係者は特に恥というものを知りません。「改革開放路線」以降,そして鄧小平の「南巡講話」,そして「先富論」が出されてからは輪をかけて,もの凄い勢いで権力が金で買われ,国有財産の収奪が起こりました。
「二重価格制」,「経営請負責任制」,「株式制改造」,「開発区用地囲い込み運動」などによって,中国共産党中央,地方政府の役人,その家族,その経営する企業などがこれでもかと国有財産を収奪し,超過利潤など富を蓄積していったのです。マルクス経済学では「資本の原始的蓄積」は普通の資本主義の発展過程で展開されていくものなのに,そこは中国,とんでもない方法で「資本の原始的蓄積」がなされてしまったのです。おかげで現在の中国におけるジニ係数は0.62(これは暴動が起こるレベル)に達しているとの調査結果もあるくらいです。
冒頭に挙げた本は名著です。こういった経緯について数字とともに説得的に説明されています。最後に,この本の序章の部分から少し引用しておきましょう。
「これらの学者が関心をもつのは、この二〇年余りの『改革』でどの部分の人間が利益を得たのか、かれらはどのような手段で利益を獲得したのか、他の階層の利益が損なわれた基礎のうえにかれらの利益が築かれたのかどうか、大多数の庶民は二〇年余りの『改革』がつくりあげた新たな社会の階段でどのような位置にあるのかである。これらの学者によれば、中国の改革は『権力の市場化』を起点とし、権力の私有化を特徴としており、改革のために代価を支払ったのは総人口の八割以上を占める社会の底辺層の人民で、『改革の成果』を享受したのは少数の権力階層だけだった。」(同書15頁)。