突然に政治の話になりますが,小沢一郎という衆議院議員の晩節は,何と言いますか見苦しさと哀れさのみを感じてしまいます。美しさというものが全くないし,潔さも,本来政治家に備わっていてしかるべき見識というものも全く感じることができません。
この人の政治家としての足跡をたどりますと,自由民主党佐藤派→同田中派→同竹下派→同羽田派→新生党→新進党→自由党→民主党→国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→「生活の党と山本太郎となかまたち」となります。
最後は「生活の党と山本太郎となかまたち」ですって・・・。少し恥ずかしい(笑)。いくら政党要件を欠いてしまったからといって,そしていくら政党交付金が欲しいからといって,山本太郎となかまたちなどといった訳の分からない名前にしたり,少し頭がおかしいとしか思えない人と一緒になったり・・・(笑)。
この小沢一郎という人は,佐藤栄作,田中角栄その他,政治家としての大先輩から何を学んだというのでしょうか。昭和44年に初当選して以来,46年間にわたる政治家としてのキャリアがありながら,最後はこれですか。はっきり申し上げて,政治家としての背骨,定見,しっかりとした国家観がなかったのでしょうね。というのも,民主党が政権を奪取した時は国民に迎合的なバラマキ政策がマニフェストの中心でしたし,日本未来の党の時には脱原発をほとんどシングルイシュー的に標榜していました。そして国民の生活が第一の時もやはり国民に迎合的なバラマキ政策です。要するに,政治家としての確固とした信念,政策というものがなく,最近の小沢一郎という人の行動原理は,「今は何が国民受けするんだろうか」という観点だけだったような気がします。今でも許し難く記憶しているのは,民主党政権時代,習近平なるものの天皇陛下ご引見をごり押ししたり,国会議員などを何百人も引き連れて当時の胡錦涛と卑屈な握手をしたりしていたことです。
いずれにしても,この人は晩節を汚しましたね。