忘れたころに「その3」となりました(笑)。もうお忘れになったかもしれませんが,これは「裏切られた自由【上・下】」(ハーバート・フーバー著,渡辺惣樹訳,草思社)という極めて優れた内容の本の読後感の続きです(笑)。
本当にくどいようですが,いわゆる東京裁判史観にどっぷりと浸ってしまっている方々の目からウロコを落とすような内容です。このフーバー元アメリカ大統領が,膨大な関係書類,議会議事録,公開された外交文書その他を緻密に検証し,20年もの歳月をかけて研究,記述,書籍化して世に問うた著作(大著)なのです。日米戦争を切実な思いで回避しようと努力し,苦悩に苦悩を重ねた当時の日本国の先人たちの気持ちに思いを馳せるべきでしょう。一方,オレンジ計画を元に,そしてイギリスからの参戦要請を受け,何とか日本を挑発して「裏口からの参戦」を果たそうとしていた腹黒いF・D・ルーズヴェルトとそれを取り巻くスターリンの工作員(ハリー・デクスター・ホワイト,アルジャー・ヒス,ラフリン・カリーなど),コミンテルンの画策,反日主義者(モーゲンソー,アチソンなど)・・。広島に投下されたウラン型原爆,長崎に投下されたプルトニウム型原爆,もうその時点では日本は降伏のあり方や和平を模索し,戦況はとうの昔に大勢決していたのにこのように2つの原爆投下という国際法違反を犯した目的としては,ウラン型とプルトニウム型のどちらが破壊力があるかという実験だったとも言われているし,また戦後の共産化拡大を目論み,ますます増長したスターリンに対する警告の意味もあったと言われています。
さて,本日はこういったこともさることながら,著者であるフーバー元大統領の横顔を是非紹介したかったからです。翻訳者である渡辺惣樹さんはその一面だけでも次のように紹介しています。
「フーバーは、多くの公的な活動に私人の立場で参加していたが、救済募金から一切の金銭を受け取ることを拒否した。すべて自費での参加だった。それだけではない。彼は政治家となっても、商務長官の、そして大統領としての給与もすべて慈善事業のための特別基金に入れた。それが救済事業に必要なエキスパートの雇用や、事業に携わる人々の給与補填に使われた。また、彼は多くの書を上梓し,講演にも引っ張りだこだった。その印税も講演料もすべて特別基金に入れた。このような政治家はアメリカの歴史上でも初めてであった。フーバーの政治思想は、彼の宗教的信条とその実践を抜きにしては語れないのである。」(「裏切られた自由【下】」,訳者あとがき576~577頁)。
以上の記述の直後,渡辺惣樹さんの鋭い筆致は,F・D・ルーズヴェルトに向けられました(笑)。引用することに若干躊躇を覚えるのですが,あえて引用し本日のブログ記事を閉じます。
「このフーバーの対極にある政治家がフランクリン・デラノ・ルーズベルトであった。彼は公的立場を徹底的に個人的利益に利用した。大統領の立場を利用して、親族のビジネスを有利に図り、仮面夫婦であった妻のエレノアを満足させるためにリベラル国際主義を標榜する組織の代表につけた。その一方で、彼は多くの愛人を持った。その中にはノルウェーの王女(マーサ)までもいた。ルーズベルトに高潔さのかけらもないことは、評論家ジョン・T・フリンが『ルーズベルト神話(The Roosevelt Myth)』(一九四八年)の中で詳述している。そこに記されたルーズベルトの行状は読みながら気分が悪くなるほどである。他者を愛したフーバーがルーズベルトを嫌うのは当然であった。」(「裏切られた自由【下】」,訳者あとがき577頁)。
歩きながら満開の桜の見事さに目を奪われ,思わず足を止めてしまうほどですが,本日は「裏切られた自由【上・下】」(ハーバート・フーバー著,渡辺惣樹訳,草思社」という本の読後感の続きです(笑)。それほどの大感動だったのであります。
産経新聞は土曜日とか日曜日には書評を掲載するのですが,実はたまたま土曜日の新聞の書評欄ではこの本が取り上げられていました。書評を書いたのは草思社編集部の碇高明という方ですが,その書評の中の一部を引用してみましょう。
「本書は31代米大統領、ハーバート・フーバーが20年の歳月をかけて完成させた第二次世界大戦の回顧録です。原書は1千ページを超える大著で、日本語版では上・下巻に分けての刊行になりました。」
「スターリンと手を組んだルーズベルト外交を『自由への裏切り』と断罪した本書は、2011年にフーバー研究所から刊行されると大きな反響を呼びました。日本語版も刊行以来、事前の予想をはるかに上回るペースで版を重ねています。」
「さらに戦後、(フーバーは)東京でマッカーサーと会談した際には『日本との戦いは狂人(ルーズベルト)が望んだこと』という点で合意しています。このように、本書の記述には、従来の戦勝国史観に根本的な見直しを迫る視点が多数含まれています。」
そうなんですよ。やはりこの本はいわゆる「東京裁判史観」に一石も二石も投じる内容であり,かつ,真実を語っている書物だと思うのです。同じような視点で,しかも広汎な資料(第一次史料を含む。)に基づいて著された書物としてお薦めしたいものをいくつか列挙しますと・・・。
「ルーズベルトの開戦責任」(ハミルトン・フィッシュ著,渡辺惣樹訳,草思社)
「ルーズベルトの責任~日米戦争はなぜ始まったか~【上・下】」(チャールズ・A・ビーアド著,開米潤ほか訳,藤原書店)
「アメリカはいかにして日本を追い詰めたか~『米国陸軍戦略研究所レポート』から読み解く日米開戦」(ジェフリー・レコード著,渡辺惣樹訳,草思社)
「真珠湾の真実~ルーズベルト欺瞞の日々~」(ロバート・B・スティネット著,妹尾作太男訳,文藝春秋)
ざっと,こんな感じです。これらを熟読すれば,きっとあの「東京裁判史観」,「自虐史観」から解放され,覚醒しますよ(笑)。さあ,あなたも是非!
私も長いこと生きておりますので(笑),書物を読んで大いに感動した経験はこれまでに数え切れないほどありますが,「裏切られた自由【上・下】」(ハーバート・フーバー著,渡辺惣樹訳,草思社」という本を読んだ後の大感動は,本当に久しぶりの体験です。誠に素晴らしい書物でした。
ハーバート・フーバーという人は,第31代アメリカ大統領で,ルーズヴェルト,すなわち,資源の乏しい日本の首を徹底的に絞め上げて追い詰め,念願の「裏口からの参戦」(Back Door to War)を果たしたフランクリン・デラノ・ルーズヴェルト大統領の前任者です。私の頭の中に浮かんだ多くの読後感のうち,まず感じたのはフーバーという人はアメリカ大統領経験者という経歴でありますが,まずは希代の歴史研究家(しかも第一級の),そして人道主義者だったという点です。フーバーが第一級の歴史研究家であるといっても象牙の塔に閉じこもった学者ではなく,何よりも第二次世界大戦前夜という時期にアドルフ・ヒトラーやネヴィル・チェンバレンに実際に会って意見交換等をしていますし,戦前,戦中にわたって間近でルーズヴェルトを見て来ており,各国の要人と書簡のやり取りや情報収集を行った正に生き証人でもあります。その論述内容は決して机上の空論などではないのです。
この本のサブタイトル(副題)としては「~フーバー大統領が語る第二次世界大戦の隠された歴史とその後遺症~」と刻まれ,さらに本のカヴァーには次のような記載があります。
「本書は第31代アメリカ大統領ハーバート・フーバー(任期1929~33)が第二次世界大戦の過程を詳細に検証した回顧録である。第二次世界大戦とは何だったのか-。従来の見方とは真っ向から対立する歴史観をもつ本書は長い間、公にされなかったが、2011年に米国で刊行され議論を呼んでいる。さまざまな情報にアクセスできたアメリカの最高権力者が、20年の歳月をかけて完成させた第一級の史料である。」
このようなカヴァーの紹介文章を読めば分かりますように,この本の内容は,いわゆる「歴史修正主義」による書物と呼ばれてしまうのでしょうが,私はかねてから述べているように胸を張って「歴史修正主義者」でありたいと思っております。この本はいわゆる「東京裁判史観」に一石も二石も投じる内容であり,かつ,真実を語っている書物です。
上巻は約700ページ,下巻も約500ページあって,かなり読み応えがありますが(笑),騙されたと思って一度読んでみてください。「目から鱗」ものですよ。決して嘘は申しません。
この本を読んでいて思わず泣けてきてしまった一節をご紹介しましょう。これは著者(フーバー)が,「客観的な視点を持つ英国の歴史家ラッセル・グレンフェル大佐は、次のように書いている。」として,同歴史家の次のような文章を引用している箇所でした。
「ある程度の事情がわかっている者は、日本が悪辣な奇襲攻撃をアメリカに仕掛けたなどとは考えない。真珠湾攻撃は、予期されていただけでなく期待されていた。ルーズベルト大統領がアメリカを戦争に導きたかったことに疑いの余地はない。ただ、政治的な理由で、最初の一撃は相手側から発せられる必要があった。だからこそ日本に対する締め付けを強めていったのである。その締め付けは、自尊心のある国であれば、もはや武器を取るしかないと思わせるところまでいっていた。アメリカ大統領によって日本は、アメリカを攻撃させられることになっていた。オリバー・リトルトンは英国の戦時生産大臣であったが、一九四四年に、『日本は真珠湾を攻撃するよう挑発されたのである。アメリカが戦争に無理やりに引きずり込まれた、などと主張することは茶番以外の何物でもない」と述べている。」(同書529~530頁)
今回は相当にご立腹です。本当にご立腹です。ところで,相当にご立腹なのは,誰在ろう,この私です(笑)。何に対して立腹しているかというと,国連教育科学文化機関(ユネスコ)が,中国が申請していた「南京大虐殺」についても,あろうことか世界記憶遺産に登録してしまったことに対してです。
はっきり申し上げてバカ丸出しです。ユネスコなんて,そしてその要職にある人物なんて所詮はその程度なのですかね(笑)。あのプロパガンダ国家である中国の「南京大虐殺」の申請なんて明らかに政治利用です。
ロシアは,日本が申請して世界記憶遺産に登録された「シベリア抑留」について政治利用だとして批判していますが,日本は「シベリア抑留」の申請について政治利用をするような目的,動機はありません。それより何より,「シベリア抑留」といわゆる「南京大虐殺」との決定的な違いは,事実(ファクト)かどうかという点です。この点については全く異なるのです。すなわち,「シベリア抑留」についての事実関係は,日本とロシアで互いに認めている事実(ファクト)であるのに対して,いわゆる「南京大虐殺」については事実(ファクト)ではなく,プロパガンダなのです(識者によってその虚偽性や疑問点が次々と暴かれていますし,明らかな偽造・修正写真も資料中に存在しています)。この点が決定的に違うのです。それを今回ユネスコは一緒くたにする間違いを犯してしまったと言わざるを得ません。
まあ,この世界記憶遺産なるものは,国際条約に基づかず,個人や団体でも申請でき,その審査は割と恣意的で杜撰です。新聞報道によれば,申請案件を審査する国際諮問委員会(IAC)の委員は14人です。公文書保管の専門家というのが表向きの説明でありながら,実際には「ユネスコの事業職出身者のような門外漢もいる」そうですし,委員の出身国からの推薦もなく,イリナ・ボコバなる女性事務局長が任命したようですし,この「南京大虐殺」なる申請を登録してしまうことを最終的に決定したのもこの人物です。
ところでこのイリナ・ボコバなる人物は,ブルガリアの元外相ですが,ブルガリア人民共和国時代にはバリバリの共産党員でした。この人物が中国と良好な関係にあることは国連関係者の中では有名で,この9月には北京での抗日戦争勝利記念にも出席しており,9月の訪中の際には,習近平の夫人と会談しています。また,この人物は次期国連事務総長の候補の一人でもあり,このポストに就くには,国連安保理常任理事国である中国の支持が不可欠なのは言うまでもなく,中国に迎合しているのでしょうね。全く馬鹿げております。
さてさて,考えてみれば,日本がユネスコ向けに拠出している分担金の額は約43億円です。ユネスコ分担金の主要国の分担割合は,アメリカ22%,日本11%,ドイツ7%,フランス6%,イギリス5%などとなっていますが,現在アメリカは分担金の拠出を停止していますので,実質的には日本が最大の拠出国になっているというのが現状です。今回の中国の馬鹿げたプロパガンダ申請に迎合するような国際機関に成り下がっているのですから,抗議の意味でユネスコに対する分担金を停止してやれっ!それぐらい私はご立腹です。
「新選組紀行」(中村彰彦著,神長文夫写真,PHP文庫)という本を読み終えました。何故かしら新選組という存在に興味もありましてね(笑)。評論家の宮崎正弘さんが自分のブログ(サイト)の中で,新選組ゆかりの地をたどり,そして新選組そのものの勃興,最盛期,終末期を可能な限り史実に即して解説したものとしては「決定版」ではないかと勧めておられましたので,私も一読した次第です。
確かに,素晴らしい内容だったと思います。私自身も京都や福島(会津)へ実際に行き,新選組ゆかりの地を旅したことがありましたから,「ああ,そうだったなあ。」という感じで,合点のいった記述も多くありました。写真も多く掲載されています。
この本のブックカバーには,次のような記載がありました。
「数多くの映画やドラマ、小説になり、幕末激動の歴史を彩る『新選組』。しかし屈指の剣豪集団も、時代の流れには抗えなかった。本書は、新選組を描いて当代屈指の作家が、その結成から最盛期の活躍、やがて内部抗争を経て、時局の変転による敗退のすえに瓦解していく流れを、ゆかりの地を丹念に踏査して解説。新選組の全体像、時代のなかでの位置づけがよくわかる決定版。」とあります。
それにしても,新選組関係の書物を読みますと,やはり何か切なくなります。幕末動乱期にはもう既に鉄砲,大砲などの火器が主流であり,また時代の流れ(佐幕攘夷の方向ではなく尊皇攘夷,倒幕の方向)などからしますと,剣豪集団が次第に追い詰められていってしまうのであり,何とも切ないのでありますよ。
それでも新選組ファンは根強く世に存在します。著者の最終章での締めくくりの文章は,次のようなものでした。
「あれはいつのことだったか、私が別の用事で板橋に行ったついでにこの墓碑(新選組隊士供養塔のこと)を訪ねると、セーラー服姿の可愛らしい娘さんがその前を通りかかった。彼女はぴたりと歩みを止め、きちんと供養塔に一礼して去っていったものであった。小著が、私の記憶のなかにあるこの人のような新選組ファンの水先案内になってくれるとありがたい。」
ついに「その5」となってしまいました(笑)。でもこのシリーズはこれで終わりにします。「おい,いつまでやってるんだ。」というご忠告もいただきましたので・・・(笑)。
アメリカなど海外で生活している日本人の青少年は,中国や韓国で暮らす中国人や韓国人の青少年に「歴史問題」をふっかけられて,いじめられているという話をよく聞きます。そういう話を聞くたびに私はとても残念に思います。彼らがふっかける「歴史問題」は事実(ファクト)に基づかないプロパガンダに過ぎないのに,日本人の青少年はこれに反論することができないでいるのです。
彼らには日本の歴史,特に近現代史をよく学んで欲しいと思います。その意味では,第二次安倍内閣の下で,歴史科目の中で近現代史をもう少し充実させるという方針はとても良いことだと思います。あくまでも事実(ファクト)に基づき,そして日本の立場で近現代史を十分に学んで欲しいと思います。そうでなければ自分の国に自信と誇りが持てないですからね。私は日本国が大好きですから,自分なりに関心をもって近現代史をむさぼるように学んだつもりです。その結果,ますます日本国が好きになりました。
GHQが日本人に贖罪意識を強固に植え付けるために徹底したWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)は残念ながら今でも生きていると思います。朝日新聞などをはじめとする反日左翼のマスメディアは今でも「閉された言語空間」(江藤淳)の中にいます。GHQの肝いりで作られた日教組も,次代を担う青少年に対し,特に歴史問題では自虐的で反日的な内容の教育を施そうとしています。そういった教育を受けた者のなれの果てが民主党の岡田克也みたいな人なのです(笑)。
長くなりますので,もうこれぐらいにしておきますが,このブログの読者の皆様には,私のこのブログのうち平成26年12月9日に書いた「『たこつぼ』から出でよ!」というタイトルの記事を読んでいただければと思います。戦後70年の節目に私としてももっともっといろいろなことを書きたいのですが,取り敢えずは短いながらもその記事を読んでください。
最後に,私が初めてその一節を目にした時には思わず目頭が熱くなり,その時からずっと私の頭の中に残っている言葉を再度このブログでご紹介します。その言葉の主は,タイ王国の元首相(第18代)のククリット・プラーモートという人です。そしてもちろん,十二月八日は大東亜戦争が開始された日です。
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大な決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」
とうとう「その4」と相成りました(笑)。つい先日,ロシアの首相であるメドヴェージェフという小男が北方領土の択捉島を訪問しましたね。言うまでもなく北方領土は日本固有の領土であり,ロシアの占有は不法なものです。日本国民の神経を逆なでするような暴挙と言わざるを得ません。いわゆる東京裁判において日本の「A級戦犯」と言われる人たちが裁かれましたが,戦勝国といわれる国々のうち,今日はソ連の卑怯さ,「腹黒さ」について少し述べることにします。
私の記憶に間違いがなければ(笑),日本国憲法には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とありますが,諸外国も最終的には,たとえ他国の利益を踏みにじってでも自国の利益を追求するのであって,局面によっては極めて「腹黒い」存在なのです。平和ボケしていてはいけないのです。
今年の8月9日付けの産経新聞にも割と詳細に書かれていましたが,昭和20年8月9日にソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破って参戦した時点では,ソ連の宣戦布告が日本政府に届いていなかったことを裏付ける秘密文書が,イギリス国立公文書館に所蔵されていることが明らかになりました。それによると,宣戦布告を通告された佐藤尚武駐ソ連大使が外務省宛てに打った公電は,誠に卑怯にもソ連当局によって電報局で封鎖されていたのです。ソ連は宣戦布告から約1時間後には満州(中国東北部)や樺太などで一斉に武力侵攻を開始し,その約4時間後にタス通信の報道などでようやくソ連の参戦を知らされた日本は完全に不意打ちをされた格好になります。正式な宣戦布告文書が届いたのは,マリク駐日大使が東郷茂徳外相を訪問した10日午前11時15分で,ソ連が侵攻してから実に約35時間が経過していたのです。
ソ連の卑怯さ,「腹黒さ」はそれだけではありません。日本が昭和20年8月15日にポツダム宣言を受諾し,降伏文書が調印された9月2日以降もソ連は侵攻を止めず,武装解除した北方四島などに侵攻して完全に占拠し,ソ連が一方的な戦闘を停止するのは9月5日だったのです。ところが,ソ連の公式記録「第2次世界大戦史」では,千島などの占領は9月1日には終わったことになってしまっています。なぜそのような虚偽が記載されているのでしょうか。それは,日本が戦艦ミズーリ号の艦上で降伏文書に調印(9月2日)する前に作戦を完了していないと領有することができないと考えたからです。産経新聞東京特派員の湯浅博さんが記事に書いているように,本当に「卑怯な仕業」です。
そしてあのソ連による日本人捕虜のシベリア抑留。約57万5000人にも上る日本人抑留は明確なポツダム宣言(第9項)違反ですが,あの希代の殺人鬼,独裁者であったソ連共産党書記長のヨシフ・スターリンの指示によりあの蛮行が計画的に行われたのです。この男の頭の中は,「捕虜=戦利品」だったのでしょう。馬鹿につける薬はありません。
昭和20年2月にアメリカ,イギリス,ソ連の3首脳が戦後処理を話し合ったヤルタ会談における会談内容でも分かるとおり,ソ連には,日露戦争以来の日本に対する復讐心と領土的野心が根底に存在していたのです。繰り返しますが,北方領土は日本固有の領土であり,ロシアの占有に権原は全くありません。
「戦後70年(その4)」というタイトルでしたが,「その4」があるということは,ひょっとしたら「その5」があるかもしれません(笑)。
ついに「その3」です(笑)。我が国に対し,中国や韓国は鬼の首を取ったように「歴史に真摯に向き合え!」などと要求します。本当にいい加減にしてもらいたいものです。中国などは9月に入って早々,戦勝国だと称して,とてもグロテスクな軍事パレードまで予定しています。もっとも欧米の主要国の首脳はロシアを除いて全く参加すらしませんが(笑)。
そもそもですよ,歴史認識というものはこれが決定版だというものはなく,当事国にはそれぞれの立場というものがあります。いわゆる東京裁判史観は,所詮は戦勝国による押しつけの歴史観に過ぎません。これとは異なる認識を示したとしても,「歴史修正主義者」などと非難されるいわれはありません。
月刊誌「正論」9月号には,「終戦70年、日本人へ」と銘打った特集記事が掲載され,そこで渡部昇一さん(上智大学名誉教授)が述べているように,東京裁判については日本だけでなく世界中の識者がその誤謬を指摘しています。以下,渡部さんが指摘しているように,マッカーサー自身がこの東京裁判は無意味だったと認めておりますし,裁判の約2年後のアメリカ上院の軍事外交委員会で「Their purpose,therefore,in going to war was largely dictated by security.」と証言し,日本が先の戦争に入ったのは主として自衛のためだったとの認識を示しているのです。
これまたそもそも,「侵略」という言葉には国際法上は定義というものはありません。日本には,ドイツのナチが行ったように,ユダヤ民族という特定民族の抹殺,大量殺戮といった誠におぞましい行為はありません。そこで東京裁判では昭和3年以降の日本の歩みを裁こうとしました。具体的には不戦条約,ケロッグ=ブリアン条約を日本は結んでいながらこれを破ったという理屈を立てます。
しかし,東京裁判において,インドのパール判事は,「不戦条約が結ばれたとき、アメリカの議会も不戦条約自体に反対したではないか。」と鋭く指摘し,不戦条約にいう「戦争」とは全ての戦争を意味するのではなく,「侵略戦争」に限って禁じたのだとするアメリカのケロッグ国務長官の説明なども列挙しました。それではそもそも「侵略」戦争とは何か。ケロッグの説明は「それは国境を越えて、攻め込まれた場合だけではなく、国家の安全を犯す経済的な脅威を受けた場合も、侵略戦争を受けたことになる」というものでした。そして自衛戦争は禁止されてはおらず,何を自衛権の行使に含めるかは当事国の判断に委ねられているということも説明されていたのです。大東亜戦争直前,日本はいわゆるABCD包囲網で経済的に窒息させられそうになっており,これは不戦条約の提案者の一人であったケロッグの説明では「侵略」を受けたことになるでしょう。このようなことから,パール判事は,ならば日本を不戦条約違反などで裁くことはできないと正当にも論破し,無罪の意見を堂々と展開したのです。
「戦後70年(その3)」というタイトルでしたが,「その3」があるということは,ひょっとしたら「その4」があるかもしれません(笑)。
「その2」です(笑)。月刊誌「正論」9月号には,「終戦70年、日本人へ」と銘打った特集記事が掲載されていました。複数の保守の論客(極めて真っ当な歴史認識を備えた人たちです。)が,戦後70年の節目を迎え,自らの歴史認識の一端を説得的に展開されており,とても読み応えがありました。
その中でも特に,八木秀次さん(麗澤大学教授)の論考は素晴らしかったと思います。「実は左翼青年だったという八木秀次氏が保守に目覚めた5冊の書とは-」という導入文句の下,八木さんお薦めの文献5冊が紹介されているのですが,彼が引用した林房雄著「大東亜戦争肯定論」という本の次の一節にはとても感動を覚えたのです。
「日本の百年にわたる孤軍奮闘は、これを歴史としてふりかえる時、決して無意味ではなかった。無謀とも言えない。西洋列強の植民地主義と侵略主義の重囲の中にあっては、いかなる名将、大政治家といえども他に対策はなかったはずだ。秘密裡ではあったが、当時の政府と軍部の首脳によって、日支戦争不拡大、対米英戦争回避のあらゆる努力が行われたことは、現在発表されている多くの文献が証明している。だが、罠にかけられ、追いつめられた最後の関頭においては、山本五十六元帥ならずとも、玉砕を覚悟の決戦にふみきらざるを得なかった。これが日本の運命であった。慰めは、たださきに引用したオーエン・ラティモアの言葉である。/『日本が立派にやりとげたことは、アジアにおける植民地帝国の十九世紀的構造を破壊することであった』/『戦時中、日本人によって占領された土地のうち、ただ一つも(旧主人のヨーロッパ人によって)満足にとりもどされたものはなかった』/『百年戦争』をみごとに遂行した日本の犠牲者たちを、誰が『犬死』と笑うことができるか!日本の戦死者たちは歴史の定めた運命に黙々と従い、最も悲劇的で英雄的な死を遂げた。散華である。アジア大陸と南と北の海に散った花々のために靖国の宮はすみやかに復興させねばならぬ」
この林房雄の「大東亜戦争肯定論」という本は,現在,中公文庫(2014年刊)で入手できるそうです。是非一読してみたいものです。
八木さんが総括しているように,日本は幕末の欧米諸国との邂逅により,彼らと戦うこと宿命付けられていたというべきで,そこから始まった「東亜百年戦争」の最後の姿が「大東亜戦争」であり,百年のスパンで歴史を俯瞰しないと「大東亜戦争」の意義は理解できないのです。そして,林房雄のいう肯定論とは,日本の歴史的な運命をすべて引き受けて肯定するということに他なりません。このような考察の前では,現在の「侵略」,「植民地支配」というワードにこだわる風潮が如何に陳腐なことか。このように総括し,締めくくった八木秀次さんの論考に我が意を得,感銘を受けました。
「戦後70年(その2)」というタイトルでしたが,「その2」があるということは,ひょっとしたら「その3」があるかもしれません(笑)。
戦後70年の節目に,いわゆる安倍談話が出されましたね。全文を読みました。売国的な政治家村山富市が,戦後50年目の節目に自分の趣味や凝り固まった情念で出してしまったいわゆる村山談話の桎梏ともいうべき内容からどこまで脱却できるかと大いに期待したのですが,やはり自分としては残念でした。
でも,そんな中にあって,やはり安倍晋三でしかなし得なかった表現もありました。さすがだなと評価できる部分が2箇所あったのです。これは評論家の櫻井よしこさんも産経新聞でいみじくも指摘されておりましたが,私も全く同感です。その2箇所というのは・・・。
第1に,戦後の日本に対する世界の支援に深く感謝し,子や孫たちに「謝罪」を続ける運命を背負わせないように明記したことです。考えてみれば,いつまで経っても「謝罪せよ」,「歴史を忘れるな」などと連呼しまくっているのは,中国と韓国(北朝鮮)だけではないでしょうか。しかも彼らのいう歴史は歪曲されたプロパガンダです。確かに今回も「侵略」,「お詫び」という言葉が注目されていましたが,日本国民が反省している気持ちを十分に表しながら,外の声に押され,安易な謝罪の道をとらなかったことは,日本のため,世界のためにも建設的です。
第2に,歴史を振り返って,植民地支配の波がアジアにも押し寄せていたことに触れ,「日露戦争は植民地支配のもとにあったアジア,アフリカの人々を勇気づけた」としました。歴代首相の中で,そういうことをこのように明確に述べた人がいたでしょうか。歴史の真実として,人類の歩みの中に日本もあったと確認したことは評価できます。日本が戦った戦争は,巨視的に観れば,冷厳な白人支配の現状を打破し,次々にアジア,アフリカ諸国の独立を生んだこともまた歴史の真実なのです。また,経済のブロック化(いわゆる「ABCD包囲網」など)が進み日本が孤立感を深めたという指摘は,歴史を学べば学ぶほどそこに近づく真実だと感じられます。このたびの安倍談話のこの部分は,戦後,あのマッカーサーがアメリカ上院の軍事外交合同委員会で「あの戦争は日本にとって概ね自衛のための戦争だった」という証言や,東京裁判におけるパール判事の洞察と同じ文脈です。安倍晋三の歴史観は,やはりGHQの戦後占領政策の目玉であったWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)という徹底した贖罪意識の植え込みに対する反骨を窺わせます。確かにこういう首相は今までにいなかった。
「戦後70年(その1)」というタイトルでしたが,「その1」があるということは,少なくとも「その2」があるということです(笑)。