聞くところによると,来年のNHK大河ドラマは真田幸村を主人公,題材としたものだそうですね。実は私は少年の頃から真田幸村という武将がとても好きで,書店を何店舗も歩き回って真田幸村の本を買い求めるという少年ファンだったのです。
私がそうなったのは,間違いなく昭和43年の秋から約1年間にわたって放映されていたTBS系の「真田幸村」というドラマの影響でした。これは間違いありません。毎週月曜日の午後8時から8時56分まで,確かナショナルの提供でやってました。当時,ナショナルの「嵯峨」という高級テレビの宣伝をしてましたもの。もう毎週月曜日が待ち遠しくて仕方ありませんでした。
配役はそれこそ豪華そのものでしたよ。真田幸村は中村錦之介(萬屋錦之介),父親の真田昌幸は中村竹弥,徳川家康は中村勘三郎(17代目),豊臣秀吉は東野英治郎,淀君が淡島千景,石田三成が神山繁,大谷刑部が志村喬,猿飛佐助が松山英太郎,霧隠才蔵が日下武史,そして徳川方の服部半蔵が天本英世,そして大政所が東山千栄子・・・・とまあ,錚々たるメンバーでした。
なにしろ少年でしたから,判官贔屓といいますか,悲劇的に描かれている方の肩を持ちたくなり,関ヶ原の合戦でも何とか西軍が勝たないかなあーと詮無いことを考えておりました(笑)。まだ9歳かそこらだったのですが,このドラマには熱中しておりましたね。
それにこのテーマ音楽の素晴らしいこと。林光という作曲家の曲なんですが,聴く者をワクワクさせる,血湧き肉躍る,元気になる颯爽とした名曲だったと思います。今でもそのメロディーがはっきりと頭に残っております。この林光さんは数年前に亡くなりましたが,特に戦国時代のドラマの曲を作らせたら天下一品ですね。NHK大河トラマ「国盗り物語」のテーマ音楽もこの人です。私が9歳の頃に熱中したTBS系の「真田幸村」(確か「ナショナル劇場」という番組枠)というドラマのテーマ音楽は,「真田幸村 TBS」とキーワードを入れて検索すると,ユーチューブにアップされていますので,聴くことができますし,当時の豪華キャストの画像を見ることもできます。
あれは凄いドラマだったなあ。もう一回見てみたいなあ。何とかならないかなあ。
中国の外交部長というと,日本で言えば外務大臣みたいなものです。今の中国の外交部長というのは王毅という人で,以前に駐日中国大使も務めた人物です。
しかしながら,最近この王毅という人の外交面での言動はとても横着ですね。つい先ごろ,アメリカのケリー国務長官が中国の最近の南シナ海での力による,そして強引に既成事実を作り上げようとする傍若無人ぶりに苦言を呈しても,何処吹く風という傲岸不遜ぶりです。
今日はあまり時間がありませんので,この王毅という人物が国連で並べた嘘八百について少し触れておきましょう。以下の記述は,月刊誌「正論」の本年5月号に掲載された記事の内,西岡力国際基督教大学教授の発言に依拠しております。私も全く同感なのです。
今年の2月に国連安保理で創設70周年の記念討論会が開かれたのですが,この王毅という人物は,「過去の侵略の罪を糊塗しようとするものがいる」と述べ,婉曲な表現ながら日本や安倍首相をあてこすった演説を臆面もなく行いました。
この者の臆面のなさは,同時に「戦後70年間、国連の創設メンバーで、安保理の常任理事国の中国は、常に国連憲章の精神に従い、国連の役割を支え、平和と安定を守ることに尽くしてきた。今日の開かれた討論会が、反ファシスト戦争勝利と国連創設70年の記念の序幕になることを望む」との発言に如実に表れております。
嘘八百とは正にこのことです。大辞林によると,「嘘八百」とは,多くの嘘,何もかも嘘ばかりであることを指す言葉のようです。何で「八百」なのかといいますと,「八百」という言葉の中には「数多く」という意味が含まれているからだそうです(笑)。この王毅という人物が述べたさきほどの発言内容が嘘八百であることについて,ちょっとだけご説明を・・・。
まず,中国共産党政権の中華人民共和国は,国共内戦に国民党が敗れて1949年に成立したのであって,1945年に国連が創設された当時のメンバーは中華民国でした(笑)。彼の属する中華人民共和国の国連加盟は何と1971年なのです(笑)。
次に,朝鮮戦争(1950年~)のことを考えると,この人物の演説内容は正に噴飯物となります。金日成の北朝鮮が韓国に武力侵略したとき,国連の安全保障理事会は国連軍を組織して侵略者を撃退すべきだと決議しました。国連史上,国連軍での戦いを決議した唯一のケースですが,その侵略者・北朝鮮の側に立って国連軍と戦った者こそ中国共産党であり,中華人民共和国なのです(笑)。西岡力さんの言葉ですが,「国連と戦った中華人民共和国が国連の創設メンバーであるとか,国連の役割を支えて平和と安定を守ってきたなどと、よく言えたものだと開いた口が塞がりません。」(爆笑)
今年は戦後70年を迎えますが,中国や韓国はここぞとばかりに日本国や日本人,その父祖を貶める活動を活発化させるでしょうが,このような嘘八百に動揺してはいけません。
このたび,天皇皇后両陛下のパラオ共和国への御行幸啓が実現しました。何よりです。パラオがとても親日的なのは有名ですね。
パラオがとても親日的なのは何故なのでしょうか。いろいろな理由があるのだと思います。1919年のパリ講話会議でパラオは日本の委任統治領になったのですが,日本人もその最盛期にはパラオに約2万5000人が住んでおり,約25年間にわたって日本人と島民との暖かいふれあいがあったのです。日本の統治時代,パラオでは,ドイツの植民地時代にはほとんど行われなかった学校,病院,道路などのインフラ整備が重点的に行われ,首都コロールは近代的な都市に変貌していきました。今でも日本時代の建物が遺されており,そのいくつかは今でも使用されています。PHPビジネスオンラインというサイトの記載によれば,「ダイジョウブ」(大丈夫),「オカネ」(お金),「コイビト」(恋人)などの多くの日本語がパラオ語になって日常に飛び交っているようですし,パラオ人の名前にジローさんとかタローさんとかが使われているようです(笑)。日本人の礼儀正しさ,節度,道徳心,他民族を思いやる心などが認められ,日本人はパラオの現地住民から愛されていたのです。テレビのインタビューでも,現地の人が「日本が好きです。日本人も大好きです。日本人は、とても正直な国民だからです。」などと答えていました。
東日本大震災の時も,パラオ16州の大酋長・酋長が日本大使館を訪れ,全員分の署名が入った弔意文が日本大使館に渡されております。そして,このたびの御行幸啓に際し,ペリリュー州知事の話によれば,ご訪問のあった4月9日を「天皇皇后両陛下ご訪問の日」として今後も州の祝日とする法案が可決したそうです。
何よりも忘れてならないのが,パラオ諸島のペリリュー島などでかつて強大な米軍と勇敢に戦った日本軍将兵を,パラオの人々が讃え,その武勇を語り継いでくれていることです。
昭和19年9月15日,日本の統治領であったパラオ諸島のペリリュー島に侵攻してきた米軍を迎え撃ったのは,中川州男大佐率いる日本軍守備隊でした。ただひたすら国難を救わんと,至純の愛国心に燃える日本軍将兵は,その数的劣勢をものともせず,敢然と米軍の前に立ちはだかり,米軍は未曾有の損害を被ることになったのです。
ペリリュー島沖合い10キロの外洋に浮かぶアンガウル島でも,日本軍守備隊は強靱な精神力で戦い抜き,こうした日本軍守備隊の不撓不屈の精神と勇猛さに米軍はいたく感銘し,パラオの人々も日本への尊敬と畏敬の念を強めたのです。
パラオの島民にとって,ふだんから優しく接してくれた日本の兵隊さんは,優しいだけでなく強かったのです。このたびの天皇皇后両陛下の御行幸啓によって,国のために尊い命を捧げられ,散華された御霊もさぞ慰められていることだと存じます。
日本軍が島民を守り,何とか戦闘に巻き込まないために,わざと島民に嫌われ口を言いながら島民を守ったエピソードをご存じですか。この当時の様子を知るペリリュー島民の老人のコラムが毎日新聞に掲載されたことがありますが,その中から引用しておきましょう。
「遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。『あそこでみんな死んでいったんだ・・・』沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。老人は村の若者と共にその作業に参加した。日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。やがて戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。仲間達と話し合った彼は代表数人と共に日本の守備隊長のもとを訪れた。『自分達も一緒に戦わせて欲しい』と。それを聞くなり隊長は激高し叫んだという。『帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!』日本人は仲間だと思っていたのに・・・。みせかけだったのか。裏切られた想いで、みな悔し涙を流した・・・。船に乗って島を去る日、日本兵は誰一人見送りに来ない。村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。しかし、船が島を離れた瞬間に日本兵全員が浜に走り出てきた。そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。その瞬間、彼は悟ったという。あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。」
さて,新選組ついでに申しますと,よく議論されるのが「新選組の中で誰が一番強かったか」ということです。この点については定説というものはありません。強さなんてものは見方によって様々ですから,定説がないのも無理はありません。
よく名前が挙がるのが,沖田総司,永倉新八,斎藤一などでしょう。新選組の編成は何度か変更がありましたが,この3人だけは一番組から三番組までの組長としては不動です。いずれ劣らぬ手練れ(てだれ)だったのでしょう。沖田総司は天然理心流,永倉新八は芹沢鴨と同じ神道無念流の使い手です。そうそう,近藤勇も相当な使い手だったと言われていますし,撃剣師範の吉村貫一郎(北辰一刀流)の名前も挙げられます。
これらには勿論それぞれ根拠があるでしょうし,真実に近いのかもしれません。でもどうしても気になるのが服部武雄です。新選組在籍期間はそれほど長くはなく,伊東甲子太郎らの高台寺党(御陵衛士)に加わっておりましたので,知らない人は知らないでしょう(笑)。でも,この服部武雄の凄さも当時知れ渡っておりました。
「壬生義士伝」の映画化に伴い,原作者の浅田次郎さんと元阪神タイガースの江夏豊さんとの対談を読んだことがあるのですが,江夏豊さんは新選組オタクとまではいきませんが相当に詳しく,凄腕の剣士としてこの服部武雄の名をすぐに挙げておりました。
私も京都の油小路に行き,伊東甲子太郎暗殺現場付近(本光寺の近く)を見たことがあります。その暗殺のあった晩には新選組と高台寺党(御陵衛士)との間の激闘があったのですが,その時の服部武雄の勇猛果敢の奮戦ぶり,二刀流の凄腕ぶりは後世に語り継がれております。伊東の暗殺に当たっては,局長の近藤勇も直ぐには決断ができず,「服部君が怖いからなあ。」などと,服部武雄の存在を恐れていた節もあります。よく議論される「新選組の中で誰が一番強かったか」という話になると,私としてはどうしてもこの服部武雄も有力候補の一人として思い浮かべざるを得ないのです。
昨日の夜は帰り道で小雨に降られ,コートが少し濡れてしまいました。でも,今朝はそのコートなしでも歩くことができる陽気です。「水ぬるむ」本当に良い季節となりました。
昨日の産経新聞の「産経抄」というコラムには,「濡れ衣」という言葉の由来が紹介されていました。「濡れ衣」というのは無実の罪をきせられることを意味するのですが,この言葉の由来として巷間言われているものの一つは次のようなものです。
後妻が先妻の娘を陥れようとして,潮水がしたたる漁師の衣を娘の枕元に置き,密会の証拠として夫に告げ口をした・・・。
本当に理不尽な話ですね。濡れ衣をきせられた日には堪ったものではありません。
折しも今年は戦後70周年であり,中国や韓国は鬼の首を取ったように「戦勝国」風を吹かしまくるでしょう。韓国が「戦勝国」風を吹かしまくることには笑止な感じもしますが・・・。
マスゴミ,いやマスコミは,ドイツのメルケル首相が3月10日の民主党の岡田代表との会談で,ナチスによる犯罪行為への反省に触れつつ,日本に慰安婦問題の解決を促したなどといった趣旨の報道をしましたし,売国的な言動で有名な岡田代表自身もそのようなニュアンスのことを仄めかしました。これに呼応して「鬼の首」状態になって報道したのが韓国のマスコミです。
産経新聞の阿比留瑠比記者の記事にもありましたように,旧日本軍とナチス・ドイツを混同する愚には我慢がなりません。それに,いわゆる「南京大虐殺」,いわゆる「従軍慰安婦問題」などをユダヤ人大虐殺(ホロコースト)と同一視し,世界中で宣伝工作をしている中国や韓国の卑劣な所業にも我慢がならないのです。
いみじくも阿比留記者が指摘するように,戦前・戦中の日本では,一部兵士らの暴走による戦争犯罪はあっても(戦時国際法違反として処罰されている),ナチス・ドイツのような「政策」としての組織的な特定人種の迫害・抹殺行為など全く存在しておりません。
あの欺瞞に満ちた東京裁判で,インド代表のパール判事は「本件被告の場合は、ナポレオンやヒトラー(ら独裁者)のいずれの場合とも、いかなる点でも、同一視することはできない。日本の憲法は完全に機能を発揮していた。」と主張しています。
また,今年1月に死去したドイツのワイツゼッカー元大統領も,有名な演説(1985年)で「ユダヤ人という人種をことごとく抹殺するというのは、歴史に前例がない」と強調しています。
ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判では,有罪になった19人のうち16人までが一般住民に対する殲滅,奴隷化や人種的迫害による「人道に対する罪」で有罪とされましたが,東京裁判では誰もこの罪に問われることはなかったのです。
中国や韓国のプロパガンダ,政治的工作,ロビー活動のように,そして我が国の売国的な勢力が主張するように,極めて安易にナチス・ドイツによるホロコーストと,旧日本軍とを同一視することは不正義なのです。
私がさきほど,「南京大虐殺」と「従軍慰安婦問題」のそれぞれに「いわゆる」やカギ括弧をつけて表現した意味はお分かりですね。これらとホロコーストとの決定的で根源的な違いは,ファクト(事実)か否かという点に尽きます。日本は「濡れ衣」を着せられているのです。
2月22日は私の結婚記念日なんであります。好きなショパンの誕生日でもあり覚えやすくもあるのでこの日にしました。ありがたいことにうちの娘も2月22日が私たち夫婦の結婚記念日だということを覚えていてくれて,3人分のケーキを買って来てくれました。なお,ショパンの誕生日についてはその後の研究で3月1日という説が有力になっておりますが,私の幼少時代や結婚した当時はまだ2月22日説が有力だったと記憶しております。
さて,2月22日は「竹島の日」でもあります。その記念式典が開かれましたが,案の定韓国は日本政府に抗議をしてきましたし,ソウルの日本大使館前でも抗議行動,そして日本で開催された「竹島の日」記念式典にも韓国人らが乗り込んで抗議しております。竹島を不法占拠しておいて,この人たちに付ける薬はありません。記念式典には日本政府としても内閣府政務官ではなくて首相や閣僚が出席すべきです。
竹島は,歴史的事実に照らしても,かつ国際法上も明らかに日本固有の領土です(外務省のホームページを参照)。
大東亜戦争終結後,サンフランシスコ講和条約を起草中であったアメリカ政府に対し,韓国政府が「独島(竹島の韓国名)を韓国領に加えて欲しい」と要請したところ,アメリカ政府は1951年8月10日にいわゆる「ラスク書簡」を出しこれを断固拒否しました。そのラスク書簡には,「・・・合衆国政府は、1945年8月9日のポツダム宣言受諾が同宣言で取り扱われた地域に対する日本の正式ないし最終的な主権放棄を構成するという理論を(サンフランシスコ平和)条約がとるべきだとは思わない。ドク島、または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は、われわれの情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある」と明確に書かれています。GHQの占領政策にはかなりの問題がありましたが,さすがに韓国の火事場泥棒的な振る舞いには明確にファクト(事実)を突きつけたのですね。
結局,今も韓国が竹島を不法に実効支配しているきっかけとなったのはいわゆる李承晩ラインが一方的に引かれ,火事場泥棒がなされてしまったことです。1952年1月(日本が主権を回復する直前のこと-「火事場」と述べたのはそのことを意味しています),当時の韓国大統領であった李承晩が「海洋主権宣言」を行い,いわゆる「李承晩ライン」を国際法に反して一方的に設定し,同ラインの内側の広大な水域への漁業管轄権を一方的に主張するとともに,そのライン内に竹島を取り込みました。だから「泥棒」なのです。
日本政府は過去2度にわたってこの竹島問題について国際司法裁判所で解決しようと韓国に付託を提案しましたが,いずれも韓国側が拒否しています。韓国側は国際法上は自国に勝ち目がないことを自覚しているのでしょう。
えっ?なになに・・?戦後のことばかり聞かされても,日本が戦前から竹島を国際法上領有していたというのは本当なのかですって?
知らざあ言って聞かせやしょう(笑)。1618年,鳥取藩伯耆国米子の町人(2つの家)が藩を通じて幕府から竹島への渡海免許を受けました。それ以来,毎年1回,両家が交代であわびの採取,あしかの捕獲,樹木の伐採等に竹島に行きました。これが恒常化していったのです(国際法上の「先占」の開始)。こうして17世紀半ばには日本は竹島の領有権を確立したのです。そして,これはだめ押しというやつでしょうが,1905年,日本国政府は竹島を無主地と判断し,島根県に編入したのです。
国際法は,無主地に対しては,先占の要件を充足することで合法的にその土地を領有することができるとしているのです。
毎年12月8日になりますと,旧日本軍による真珠湾攻撃の話題が出されることがあります。今の小学生から高校生までのほとんどは,やはり旧日本軍は暴走して卑怯な真似をし,正義の味方であるアメリカが日本を懲らしめたのだというふうに漠然と思ってしまっているのでしょうか。そうだとすると,やはりとても悲しい気がします。せめて次代を担う若い世代には,真実の歴史を学んでもらわないといつまで経っても自国に誇りが持てないままになってしまいます。
いわゆる東京裁判史観からはもういい加減に目を覚ますべきでしょう。世界各国の公文書が一定の保存期間を経て,次から次に公開されるようになり,真珠湾攻撃直前の真実,換言すればコミンテルンに廻りを固められていたルーズベルト(FDR)らによる陰謀の実態が明らかになりつつあります。
お前は何を言っているのだ,お前のような者を修正主義者と言うのだ,と詰られそうですが,私は修正主義者と呼ばれようが何しようが,マッカーサーが戦後にアメリカ議会上院の軍事外交合同委員会で証言したように,大東亜戦争は「日本の自衛のための戦争だった」と認識しておりますし,ドイツがどんな挑発にも乗らなかったため,何としても裏口から参戦したくて仕方がなかったルーズベルトが,ハル・ノートという日本に対する最後通牒を突きつけて故意に「最初の一撃」を打たせたというのが真実であろうと思います。この「最初の一撃」さえ打たせてしまえば,参戦には反対だったアメリカ議会の承認が得られることになりますからね。
手始めに,次の3つの本をお読みいただくのが分かりやすいと思います。
「アメリカはいかにして日本を追い詰めたか-「米国陸軍戦略研究所レポート」から読み解く日米開戦」(ジェフリー・レコード著,渡辺惣樹訳・解説,草思社)
「真珠湾の真実-ルーズベルト欺瞞の日々」(ロバート・B・スティネット著,妹尾作太男訳,文藝春秋)
「ルーズベルトの開戦責任-大統領が最も恐れた男の証言」(ハミルトン・フィッシュ著,渡辺惣樹訳,草思社)
小林よしのりという漫画家の言動には時に首を傾げざるを得ない面もありますが,彼はいわゆる東京裁判史観べったりの歴史家や作家を評して「蛸壺史観」とネーミングしました。この「蛸壺史観」というのは「戦争の原因を自国の中でのみ探り、外国の視点がまったく抜け落ちているため、狭い蛸壺に入ってしまったような歴史観」を意味します。言い得て妙だと思います。
私も,東京裁判史観べったりの人に対し,「たこつぼ」から出でよ!と言いたいのです。
先に挙げました「アメリカはいかにして日本を追い詰めたか・・・」という本のカバーに記載されていた本の紹介文に次のような記載がありましたが,正鵠を射ていると思います。
「4年にわたる日中戦争のさなか、彼我の工業力格差を承知しながら、日本はなぜ真珠湾攻撃を決断したのか。なおも議論が尽きないこのテーマを、米国の国防政策専門家ジェフリー・レコード氏が分析。過重な経済制裁を加えて日本を『戦争か、米国への隷属か』の二者択一へと追い詰めたF・D・ルーズベルト大統領の外交政策に開戦原因の一半があったと結論づける。」
第二次世界大戦の後,冷戦の一方の巨魁であるソヴィエトがのさばり,中国大陸には今世界に害悪をまき散らしている赤化した国家が誕生してしまいました。アメリカは明らかに戦う相手を間違えてしまったのです。
8月15日,終戦の日は,多くの人々が靖国神社に出かけ,先の大戦で国のために殉じた人たちに哀悼の誠をささげます。私も昨年の今頃は家族とともに東京に行っておりましたので,妻と一緒に靖国神社に参拝いたしましたが,今年は近くの護国神社へ参ろうかと思っております。
日本国の首相をはじめ閣僚などが靖国神社を参拝すれば,中国や韓国は相も変わらず不当で的外れな非難を繰り返しますが,このようなものは完全に無視すればよい。これに不必要に反応したりするから「外交カード」になってしまうのです。完全無視で結構なのです。もう「外交カード」にはならないのだということを分からせなければなりません。そして何よりも「死者との対話」は心静かには行われるべきです。
また,自由民主党の中にだって靖国神社に代わる新たな追悼施設を設置すべきことを主張している者もおりますが,馬鹿者としか言いようがありません。国のために散華された方々は,共に「靖国で会おう」と言って出撃されたのですし,例えば,植村真久少尉(戦死後,大尉)が当時6か月であった愛娘にあてた遺書にも「大きくなって父に会いたいときは、九段へいらっしゃい」と記されておりました。中国や韓国などに阿って新たな追悼施設なるものをこしらえたとしても,そんなものが靖国神社に代替できる筋合いのものではないのです。
「別冊正論」という雑誌の編集長だった上島嘉郎さんの言説にはかねてから共感を覚えていたのですが,ある号の前書きで述べられた文章が誠に素晴らしく,今日はその一部を引用して終わることにします。
「・・・後生の日本人を信じて命を捧げてくれた人たち、その献身が今の日本をつくっている。日本は、現在生きている私たちだけのものではない。過去と未来の日本人のものでもある。現在の私たちの過怠や不作為によって、先祖の名誉を不当に損なわれたままでよいか。子孫に要らざる負い目を負わせてもよいか。故江藤淳氏の次の言葉を、日本人として噛みしめたい。『死者の魂と生者の魂との行き交いがあって、初めてこの日本という国土、文化、伝統が成立している。それこそ日本のConstitutionである。つまり、死者のことを考えなくなってしまえば、日本の文化は滅びてしまう』、『ソポクレース以来、自国の戦死者を、威儀を正して最高の儀礼を以って追悼することを禁じられた国民が、この地上のどこにあっただろうか。国人よ、誰に謝罪するより前にこのことを嘆け。そして、決して屈するな』」
政府は,慰安婦募集の強制性を認めた平成5年のいわゆる「河野談話」の作成過程について検証する方針を明らかにしています。この「河野談話」なるものが唾棄すべき存在であり,いかに杜撰に,史実に基づかず,そして韓国に迎合しまくって作成された売国的な存在であることは,以前にこのブログでも書かせていただきました(平成25年10月25日)。
そうか,この日本の名誉を貶めまくっている「河野談話」の作成過程について検証するのか,これはとても良いことだなと大いに期待していたのですが,あろうことか菅官房長官は「検証の結果にかかわらず,この『河野談話』を見直すことは考えていない,継承する。」などとこれまたバカなことを言っています。
人も,会社も,国家も,普通はある目的に向かって合目的的に行動する存在だと思っておりますが,検証の結果に「かかわらず」見直しをしないとか,そのまま継承するというのだったら,一体全体何の目的で「検証」をするのでしょうか(笑)。「河野談話」で慰安婦募集の強制性を認める唯一のよりどころとされた元慰安婦16人の聞き取り調査は,何ら裏付けをとらずに行われていたことは,当時のこの談話作成の事務方のトップであった石原信雄元官房副長官も衆議院予算委員会で証言しているとおりですし,その元慰安婦らの「証言」なるものも矛盾点を多く含んでいたり,曖昧だったり,言っていることがコロコロ変わったり,何よりも反対尋問を経ておらず,証拠としての価値(信用性)は極めて低いのです。また何よりも軍による強制性を裏付けるに足る的確な証拠は全く存在しないのです。そして,この談話は,原案段階から韓国側とすりあわせを行い,政治決着を急いだ日韓合作の作文,つまり事実を無視して謝罪を優先した「虚構の談話」であることが分かっています。
しかしながら,この売国的な「河野談話」は,いわゆる「従軍慰安婦」を軍が強制的にかき集め,「性奴隷」にしてしまったという全く史実に反する韓国などのプロパガンダの根拠にされ,「証拠」にまでされてしまっています。また韓国や中国による悪質な宣伝工作によって欧米の有識者や一般市民にまで「日本政府は『河野談話』で認めているじゃないか。」という認識を持たせる結果となっています。非常に由々しき事態です。
アメリカ在住の韓国系住民が地元の議員をロビー活動により籠絡し(票とカネで),ロサンゼルス・グレンデール市に「従軍慰安婦記念像」なるものを設置させました。この案内板に何と記載されているのかご存じですか。「1923年~1945年にかけて,20万人以上の韓国人などアジア人らが家から拉致され,大日本帝国軍によって強制的に性奴隷にされました。」(大意)と記載されているのですよ・・・・。明らかに史実に反しています。
政府は「河野談話」の作成過程を検証し,やはり杜撰で,証拠面での裏付けもなく,政治決着を急いだだけの史実に反する談話だったということが明らかになった場合でも,相変わらず「見直さず,継承して」いくのでしょうか。それは明らかに不正義ですし,他国が何と言おうと,真実を訴えるべきなのではないでしょうか。
つい最近,産経新聞社とFNNの合同世論調査が行われ,「慰安婦募集の強制性を認めた『河野談話』を見直すべきか」との問いに対し,「見直すべき」と回答した人の割合は58.6%に達しています。この世論調査の対象者は無作為抽出でしょうが,いわゆる「従軍慰安婦」問題の虚構性,「河野談話」作成過程の杜撰さなどについて真剣に勉強した人ならば,誰だって「見直すべき」と回答するでしょう。いずれにしても,菅官房長官の「検証の結果にかかわらず,この『河野談話』を見直すことは考えていない,継承する。」とのコメントは,「じゃ,何のために検証するんだ。」と突っ込みたくなるように,明らかにおかしいと言わざるを得ません。
まあ,月末でもありますから,今日は言わせてもらいますわ(笑)。
何も今に始まった訳ではありませんが,中国と韓国がなりふり構わず日本を貶める言動を続けています。目に余るものがあります。もともとですが,彼らは恥も外聞もありません。韓国の現大統領の「告げ口外交」は滑稽ですらありますが,1月29日,国連安全保障理事会の公開討論の場で中国の国連大使は,靖国参拝について「第二次大戦後の国際秩序に正面から挑戦するものだ」,「日本の指導者が靖国を含む国際社会の信頼を勝ち取りたいのなら,戦犯側に立つべきではない。」などと主張しました。また,イスラエルの駐在中国大使は,イスラエルの英字紙エルサレム・ポストに1月21日付けで寄稿し,「ホロコーストを二度と繰り返させるな」と述べ,「東條(英機)はアジアのヒトラー」と呼びました。また中国の王毅という外相は「日本のA級戦犯はアジアのナチスだ」とも言いました。
相変わらずです(笑)。付ける薬がありません。産経新聞記者の阿比留瑠比さんが1月30日の朝刊で述べているとおり,ドイツの戦犯を裁いたニュルンベルク裁判では,有罪となった19人のうち16人までがユダヤ民族の絶滅政策などへの関与を追及され,「人道に対する罪」に問われたのですが,東京裁判では有罪とされた25人のうち誰もこの罪は適用されていないのです。困った訴追側は慌てて「平和に対する罪」なるものを急ごしらえしたのです。何が「アジアのヒトラーだ」と言いたい。奇しくも同じ朝刊の「正論」欄に「ヒトラーと東条を同列視する愚」というタイトルで,防衛大学名誉教授の佐瀬昌盛さんの次のような言葉が掲載されていました。
「中国の主張を裏返すと『ヒトラーは欧州の東条』だ。それでよいか。答えが然りなら、世界から対中ブーイングが起こる。」
姿見という等身大の鏡がありますよね。中国(共産党)の前に姿見を立ててやりたいと思います。チベット民族やウイグル民族,内モンゴル民族の虐殺,自国民についても「大躍進政策」なる天下の愚策で数千万人単位の餓死者を出したこと,そして例の「文化大革命」における夥しい数の犠牲者,中越紛争,中印紛争における暴虐などなど,戦後の日本の歩み方とは対照的でしょう。
アメリカのスタンフォード大学の研究機関のグループが各国の歴史教科書の研究,評価を行い,日本のそれは「ヒストリー」,中国のそれは「プロパガンダ」,韓国のそれは「ファンタジー」と表現したのは正鵠を射ております(笑)。
中国が日常的になしている日本を貶める言動というのは,歴史の捏造とプロパガンダに過ぎないと言うべきで,史実に照らせばニセモノです。中国が作り出すニセモノは食品やブランド品だけではありません。
「中国の民間にはこんなジョークがある。ある農民が自殺をしようと農薬を飲んだが、死ななかった。なぜならその農薬はニセモノだったから。その後、点滴をしに病院へ運ばれたら死んでしまった。なぜなら点滴薬がニセモノだったから。いわゆる『中国の勃興』とはこのような醜態の上に打ち立てられたものである。」(「赤い中国消滅-張子の虎の内幕-」219頁,陳破空著,扶桑社新書)