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弁護士ブログ

2013/12/05

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 もうすぐ日本に帰国されますが,このたびの53年ぶりの天皇皇后両陛下のインドご訪問はとても意義があり,大成功だったのではないでしょうか。両陛下は行く先々でインド国民から大歓迎を受け,尊敬を集めておられます。シン首相が空港まで直々に出迎えになるのはとても珍しいことのようです。

 

 さて,インドといえば私はとても親日的な国であると思っております。インド議会では1985年以降,毎年,広島,長崎の原爆の日のどちらかで,議長が審議冒頭に犠牲者を追悼する発言をし,議員が起立して黙祷しているという事実をご存じでしょうか。このたびのご訪問でも,天皇陛下はこのことについて「国を代表し,とりわけ犠牲者の遺族の心を酌み,心から感謝の意を表します。」と挨拶されました。

 

 それに昭和天皇崩御の際,インドという国は何と三日間も喪に服してくれたのです。

 

 思い起こされるのは東京裁判の時のインドのパール判事の判決書です。そのパール判事は東京裁判が終わった4年後,再来日したのですが,日本の教科書が東京裁判史観にそって「日本は侵略の暴挙を犯した」と教えていることを大いに憂い,「日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈,退廃に流されて行くのを私は平然と見過ごすわけにはいかない」と嘆きました。

 

 12月1日の産経新聞の「産経抄」にはやはりこのたびの天皇皇后両陛下のインドご訪問のことについて書かれており,53年前に皇太子・同妃殿下として同国を訪問された際,時のネール首相は「日本の政策には同意できたもの,できなかったものもあったが,つねにわれわれは日本と日本国民,その美徳を尊敬してきた。日本は偉大である。」と演説したそうです。東京裁判史観に対し,本当にそれで良いのか,いや歴史の本当の見方をより深く正しく勉強しようという向きには,「世界がさばく東京裁判」(佐藤和男監修,明成社)という本が絶対に,絶対にお薦めです(笑)。あたかも前頭葉にロボトミー手術を施されたかのように(若狭和朋氏の表現),さらには「閉された言語空間」(江藤淳氏の著作)の中で生きることを余儀なくされてきたように,日本国民は東京裁判史観から脱却できないまま時を重ねてきました。このような状態についてドイツ文学者の西尾幹二さんも「戦後の戦争に負けた」と含蓄に富む発言をされています。

 

 さてさてそれにしても,皇后陛下はもちろん今も高い気品と優しさに溢れておいでであり,今上天皇ともども我々の誇りですが,53年前の若かりし時のインドご訪問の際のお美しさといったら全く例えようもありません。

2013/10/25

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 結論から言えば,正に唾棄すべき存在であり,これを発表した河野洋平という人間は少なくとも売国奴という汚名を免れることはできないのではないでしょうか。たかだか官房長官談話なのですから,このような恥ずべき談話はただちに撤回し,史実に即して新たな談話を出すべきです。いわゆる「従軍慰安婦」問題についての私の見解は,かつてこのブログでも連続4回にわたって述べておりますので,ブログ内検索を使ってご参照ください(笑)。

 

 産経新聞の記事によれば,同新聞社は10月15日に慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の「河野洋平官房長官談話」の根拠となった,韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査報告書を入手したそうですが,証言の事実関係はあいまいで別の機会での発言との食い違いも目立つほか,氏名や生年すら不正確な例もあり,歴史資料としては通用しない内容であったことが判明しました。このことは従前から指摘されていたことですが,これまで開示されてこなかった聞き取り調査報告書が白日の下にさらされて,このたびその虚偽性,欺瞞性が明らかになったのです。軍や官憲による強制連行を示す政府資料は一切見つかっておらず,決め手の元慰安婦への聞き取り調査もずさんだったことが判明したことで,河野談話の正統性は根底から崩れました。

 

 それにしても不思議なのは,産経新聞以外,なぜこのことをしっかりと報道しないのでしょうか。メディア・リテラシーの重要性を痛感いたします。さきの調査報告書には調査対象の16人が慰安婦となった理由や経緯,慰安所での体験などが記されておりますが,平成9年,当時の東良信内閣外政審議室審議官が自民党の勉強会で「(強制性認定の)明確な根拠として使えるものではなかった」と証言しているように,きわめてお粗末な調査,内容であり,資料としての信頼性は極めて低いのです。

 

 当時朝鮮半島では戸籍制度が整備されていたにもかかわらず,報告書で元慰安婦の生年月日が記載されているのは半数の8人に過ぎず,出身地についても4分の3にあたる12人が不明・不詳となっていますし,氏名も不完全なものが含まれ,一般の娼館はあっても慰安所はなかった地域で働いたという「証言」もあります。さらには,調査対象の元慰安婦の人選にも疑問が残り,この16人の中には日本での慰安婦賠償請求訴訟を起こした5人が含まれており,しかもその5人に関する訴状の記載と聞き取り調査での証言は必ずしも一致せず,二転三転しているのです。日本側の調査に先立ち,韓国の安というソウル大学教授が中心になって平成4年に行われた聞き取り調査では,連絡可能な40人余りに5,6回面会した結果,「証言者が意図的に事実を歪曲していると思われるケース」(安氏)があったため,採用したのは19人だったことも明らかになっております。

 

 このように人選そのものにさえ疑問がある中で,日本政府による聞き取り調査が行われたのは,何と韓国政府の公館でもなんでもなく,太平洋戦争犠牲者遺族会という民間団体の事務所だったのです。そしてこの遺族会は当時,日本政府を相手に慰安婦賠償請求訴訟を起こしていたいわくつきの団体で,この団体の幹部を務めていた女性の娘婿が朝日新聞の植村隆という記者でした。この朝日新聞の植村隆という記者が「女子挺身隊の名で戦場に連行」などといった全くの捏造記事を書き,これもいわゆる「従軍慰安婦」問題に火を付ける結果となるのです。

 

 ・・・・・仕事前だというのに,書いていてますます頭に来てしまいます。いずれにしても,時の宮澤喜一内閣,河野洋平官房長官らは,前に述べたような極めていい加減な「証言」を元に,ろくに裏付け調査もせずにあのような売国的な官房長官談話を出してしまった・・・。本当に許し難いと思います。

 

 さてさて,うちのカミさんが「永遠の0(ゼロ)」(百田尚樹著,講談社文庫)という本をやたら薦めるものですから,先日読み終えました。なかなか良い本だと思いますし,泣かせる箇所もいくつかあります。この本の中に次のような表現がありました。

 

「戦後多くの新聞が、国民に愛国心を捨てさせるような論陣を張った。まるで国を愛することは罪であるかのように。一見、戦前と逆のことを行っているように見えるが、自らを正義と信じ、愚かな国民に教えてやろうという姿勢は、まったく同じだ。その結果はどうだ。今日、この国ほど、自らの国を軽蔑し、近隣諸国におもねる売国奴的な政治家や文化人を生み出した国はない」(425頁)

 

 この本の作者である百田尚樹さんは名指しこそしませんでしたが,その新聞社というのは朝日新聞などのような新聞社を指していると私は確信したのであります(爆笑)。

2013/07/19

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 金曜日といえば,楽しい週末前である一方,この暑さですし疲れもピークに達していて,皆さんの生命力もかなり低下しているのではないですか(笑)。そんな時に民俗学の話など読みたくもないですよね。そりゃそうだと思います。もっともです。でも今日は民俗学の話を書きます(笑)。

 

 民俗学といっても,私はその分野を本格的に勉強したこともなく,ほとんど知識はないのですが,以前から柳田國男や宮本常一の世界に興味をもっていました。時間のあるときに彼らの民俗学に関する著作に触れたいと思っていたのです。そこで先日読み終えたのが,「忘れられた日本人」(宮本常一著,岩波文庫)という本です。

 

 これは本当に名著だと思います。その世界に引き込まれるように,あっという間に読み終えてしまったのです。この本の解説は歴史学者網野善彦さんが書いておられるのですが,この本について「本書『忘れられた日本人』はそうした野心的な宮本氏の歩みの中で書かれ、一九六〇年、一書にまとめて世に問われた。それは心のこもった庶民の『生活誌』であるとともに、強烈な個性を持つ宮本氏の民俗学の、最も密度の高い結晶であった。」と高く評価しておられます。各章いずれも珠玉の聞き書きですが,特に「土佐源氏」,「梶田富五郎翁」が面白かったし,宮本常一の幼少時代の実体験が描かれている「私の祖父」という章も読み応えがありました。「亀には亀の世間がある」という表現には思わず笑ってしまいました。

 

 「逝きし世の面影」(渡辺京二著,平凡社ライブラリー)もこれまた名著の中の名著ですが,その中で触れられているように,確かに江戸末期には訪れた外国人が称賛したような日本の愛すべき文明が厳然とありました。しかしその後も,時間と共に変容していったとはいうものの,全国津々浦々,宮本常一さんが訪れた場所には,相変わらず愛すべき文明,民俗が連綿と生きていたのです。これぞ日本,そして日本人という愛すべき文明,民俗です。

 

 その愛すべき日本の文明,民俗が徐々に変容していく過程を,宮本常一は憂えてもいました。その宮本常一がその死の3年前である1978年,自叙伝「民俗学の旅」の中でその憂いとして表現している部分を,この「忘れられた日本人」という本の解説者の網野善彦さんは次のように引用しています(333頁~334頁)。

 

 「私は長い間歩きつづけてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。(中略)その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というのは何であろうか。発展とは何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。(中略)進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけではなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向わしめつつあるのではないかと思うことがある。(中略)進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ、われわれに課されている、もっとも重要な課題ではないかと思う。」

2013/06/05

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 超多忙だったり,二日酔いだったりして,このブログの更新をさぼってしまいました。日本全国約6198万7240人の読者の皆様,大変申し訳ありませんでした(笑)。

 

 ある高名な画家の先生から「強くあれ、巨人。」という名前の本格芋焼酎をいただいたら,途端に巨人が弱くなってしまいました(爆笑)。先生,すみません。でも焼酎は美味しいです。

 

 さて,チャールズ・A・ビーアドという偉大な歴史家が書いた「ルーズベルトの責任-日米戦争はなぜ始まったか(上・下)」(開米潤監訳,阿部直哉・丸茂恭子訳,藤原書店)という本を読み終えました。正味800頁を超す大著ですが,読み応えがありましたし,読んでよかったと思いました。

 

 今でもかなりの数の日本国民は,いわゆる「東京裁判史観」そのものの歴史観を植え付けられたままだと思われますし,作家の半藤一利氏や東大教授の加藤陽子氏らに顕著に見られるような「たこつぼ史観」に凝り固まっているのではないかと思われます。「たこつぼ史観」というのは,実は腹黒く意図的に計画的に動いていた列強諸国やコミンテルンの動きをほとんど捨象して,日本の「暴走」だけに照準を合わせてひたすら日本が悪いと帰結しがちな史観のことをいいます。日本という「たこつぼ」に入ったまま,その狭い範囲内で考察し,広く諸外国の当時の動きを緻密に分析することを避けているのです。

 

 このチャールズ・A・ビーアドの歴史家としての大著が出版された1948年に彼は亡くなっております(享年74歳)。正に畢生の大作であり,歴史家としてとても緻密かつ公正に歴史を俯瞰しております。彼の日米開戦に関する歴史分析,歴史観は,いわゆる「東京裁判史観」とは隔たりがありますから,アメリカ当局にとってはとても都合が悪かったのでしょう。GHQ占領下では日本訳を禁じたでしょうし,その後もなぜか日本語に翻訳されずに推移し,この本の日本語訳が世に出たのは何と2年前です。それを私はこのたび購入したのです。

 

 ルーズベルトは1940年の大統領選挙には不戦を国民に約束して当選し,その後も不戦の「外観」をとり続けました。しかしその水面下では,英国のチャーチル首相との大西洋会談で参戦を約束し,以後は大西洋でドイツの潜水艦を追い回して機雷攻撃を加えたりして参戦の機会を窺っていたけれども,ドイツはその挑発に乗らず,アメリカ国内でも国民は参戦には否定的でした。この本の監訳者解説から引用してみましょう。

 

 「ルーズベルトにとってそれは大誤算だった。そこで彼が目を付けたのが太平洋だった。ドイツと軍事同盟を結んだ日本を経済制裁によって”締め上げ”、挑発し、日本に『先に一撃を撃たせる』。これによって参戦への大義名分を得ようとする戦略に転換したのだった。日米関係の外観は戦争が始まるまで『平和的であった』という。だが、実情は大きく異なっていた。在米日本資産の凍結、全面禁輸、近衛文麿首相からの太平洋会談拒否、ハル・ノート(対日要求の覚書)の手交などルーズベルトは対日強硬策を次々と打った。特に中国からの全面撤退を求めるなどしたハル・ノートに対するビーアドの批判は痛烈である。ルーズベルトは開戦直前の12月2日の記者会見で、日米関係は平和的であるのみならず完全に友好的であると述べた。しかしながら、11月26日にハル・ノートを手渡しており、日本の野村吉三郎大使、来栖三郎特使はこれを一読して『この合衆国の提案が日本政府に伝われば、おそらく「お手上げだ」と言って匙を投げるだろう』と断言した。その予言どおりに日本政府が野村大使に『屈辱的な提案』として交渉は事実上決裂と伝える極秘電報を傍受しても、対日スタンスを変えることはなかった」

 

 要するに,ルーズベルトは参戦したくてしたくて仕方なかったのです。そのため,まずは日本の方から第一撃を撃たせれば国民も納得するだろう。通信傍受,暗号解読により真珠湾攻撃はルーズベルトにとって「晴天の霹靂」などではなかった・・・。

 

 いわゆる「裏口からの参戦(backdoor to the war)」というやつです。「東京裁判史観」や「たこつぼ史観」とは少し見方を変えて歴史を学んでみるのもよいと思います。

 

 以前に「真珠湾の真実-ルーズベルト欺瞞の日々」(ロバート・B・スティネット著,妹尾作太男監訳,荒井稔・丸田和美訳,文藝春秋)という読後感をこのブログで書いたことがありますが(平成22年9月9日),その記事もご参照ください。

2013/02/25

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 亡くなったことの人をとやかく言いたくはありませんが,宮澤喜一という元首相は,いわゆる河野談話を出した時の首相ですし,自らも東京裁判史観に凝り固まり,かつて官房長官時代には「歴史教科書における官房長官談話」を出して,教科書検定の「近隣諸国条項」の発端を作ったりしております。官僚時代は優秀な人だったのでしょうが,政治家としては何かと売国的な人でしたね。

 

 その「近隣諸国条項」など愚の骨頂です。国である以上それぞれの立場があり,歴史認識だって異なるでしょうに・・・。それを無理に一致させようとしたり,近隣諸国に配慮したりなど無用のことです。でもこれが歴史教科書の検定で今でも相当にはばを利かせています。

 

 中学,高校では何よりも歴史を教える時間が少なくなっておりますし,仮に教えたとしても,それらは東京裁判史観ベッタリの内容です。本当に憂慮すべき事だと思っております。日本の子ども達が将来外国に留学したような時,例えばその場にいる中国人留学生や韓国人留学生から歴史認識について不当な言説を浴びせられた際,堂々と論陣を張るだけの見識を備えているでしょうか。中国人留学生らが展開する,歪曲され,政治化された「歴史」なるものに対し,胸を張って説得的に反論できるでしょうか。歴史として今学校で教えられているような内容では,それは到底期待できません。自分の国に誇りを持つためには,他国から押しつけられたり,圧力を受けて修正されたようなものではなく,ちゃんとした本当の歴史を教えなければなりません。それでなければいつまでたっても自分の国に誇りを持つことができないからです。

 

 「自ら歴史を貶める日本人」(西尾幹二,福地惇,柏原竜一,福井雄三共著,徳間書店)という本はとても良い本ですね。感心しました。この本の中では,加藤陽子「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」,半藤一利「昭和史」,北岡伸一「日中歴史共同研究」の内容について,理論的かつ説得力ある論証で批判的に検討しております。加藤陽子氏も北岡伸一氏も学者ですが,こういった左巻きで東京裁判史観にどっぷりつかってしまった学者が,最高学府では相変わらず多数派なんでしょうかね。この「自ら歴史を貶める日本人」という本で指摘されていたことですが,こういった人々の歴史認識に共通しているのは,何よりも基本的には東京裁判史観ですし,歴史を長いうねりの中で捉えていないし,例えば大東亜戦争当時に諸外国がそれぞれどのような意図・目的(民族的憎悪も含む)で動いていたかなどの視点に欠け,日本だけを自虐的に見つめる視野狭窄に陥っているという点でしょう。いわゆる「たこつぼ史観」というやつです(笑)。

 

 学校で教えてくれない本当の歴史を学ぶ手がかりとして,私が今でも好著だなと思っているのは,若狭和朋著「日本人が知ってはならない歴史」,「日本人が知ってはならない歴史 続」,「日本人が知ってはならない歴史 戦後篇」の三部作です(いずれも朱鳥社)。これは良い本ですよ。少し目から鱗が落ちた思いがしたものです。

2012/03/09

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 今の名古屋市長は河村たかしさんですが,河村さんが衆議院議員だった頃,ある刑事事件の冤罪性に自ら確信をもって,私たち弁護団に何かと熱く協力をしてくれたことがありました。その事件はまだ終了しておりませんが,河村さんは今でもその事件に注目し,判決言渡期日には傍聴に来てくれたりしておりました。

 

 その刑事事件の第一審では概ね2週間に1度の割合で午前も午後も期日が開かれるハイペースの進行でしたが,午前の公判が終了した後,私は他の弁護士と一緒に河村さんやその秘書と一緒によく昼飯を食ったものです。気さくな人柄ですし,しっかりした信念は持っておられます。

 

 その河村市長のいわゆる「南京大虐殺」を巡る発言が物議をかもし,マスゴミ,いやマスコミもさかんに報道しています。河村さんの名古屋市長としての評価も様々ですし,「減税日本」の政策についても同様です。私は「減税日本」の政策の詳細は知りませんが,これは結局将来の世代にツケを回すことになるという意味では賛成できません。でも,河村市長のいわゆる「南京大虐殺」を巡る発言の趣旨には全く賛成ですし,正論だと思っております。中国サイドは彼に「謝罪と撤回」を求め,さもなくば交流の停止など様々な措置を執るなどとしておりますが,彼は謝罪をする必要もその発言を撤回する必要も全くありません。

 

  私がつくづく奇妙だな,変だなと思いますのは,マスゴミ,いやマスコミが,河村発言の影響(イベントや交流停止,ツアーの中止等)だけを大きく報道し,そもそもいわゆる「南京大虐殺」の歴史的な検証,真実性そのものについて真正面から取り上げない報道姿勢です。特に,アカヒ,いや朝日新聞などは酷いものです。これはそもそも論ですが,みなさんは中国側が主張しているような,いわゆる「南京大虐殺」は歴史の真実として本当に存在したと考えておられますか。存在したと思うならば,その確たる根拠は何でしょうか。実は中国側でさえ,これを所与の前提としてプロパガンダするのみで,確たる証拠を示せないでいるのです。あるのは「記念館」のようなものだけです。高校の歴史教科書にそう書いてあったからというだけではダメなんじゃないでしょうか。近隣諸国条項によって阿ってばかりの内容が歴史的に正しい訳がありません。

 

 この際に,この問題についてよーく勉強する良い機会なのではないでしょうか。お勧めなのは,「南京の実相」(日新報道)という本ですし,その他,この問題のプロパガンダ性について第一次資料(捏造写真等)に基づいて鋭く指摘した本は結構存在します。この問題を当時外国メディアなどに流していたティンパーリーやジョン・ラーベ,ジョージ・アシュモア・フィッチなどの中国国民党との密接な関係(特にティンパーリーなどは工作員だったという説もあります)も指摘されておりますし,いわゆる便衣兵の問題,そして国民党軍同士による殺戮(いわゆる督戦隊)の問題もあります。さらには,その当時の南京市民の数,南京安全区国際委員会による安全地帯の設置及び同区域内での安全な状況など,様々な観点から,しかも第一次資料を中心として綿密に研究されなければなりません。真実の歴史は,決して政治的に決まることがあってはならないと思うのです。今のマスゴミ,いやマスコミのようにいわゆる「従軍慰安婦」問題や,いわゆる「南京大虐殺」問題を所与の前提(真実であったとすること)とするような報道姿勢は,全くおかしいと思いますし,父祖や散華された方々に対する冒瀆だと思うのです。

 

 その意味では,このたびの河村市長の発言について,外国要人接受の際というそのタイミングの適否の問題はあっても,内容面についてはその発言を撤回することは全くないのです。

2011/12/27

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 さて,売国の極みである「河野談話」はどのような背景事情から出されたものなのでしょうか。これは河野という者が官房長官だった時の官房長官談ですが,その当時の官房副長官だった石原信雄氏は次のように述べております。

 

 「調査した書類からは一切強制連行した証拠は見つからなかった。根拠となったのは、彼女(元慰安婦を名乗る者)らからの聞き取り調査と証言だけである。これは『強制連行がなかったとすると、韓国世論を押さえられない。賠償は請求権協定により、一切要求しないから、あったことにしてほしい』と依頼され、政治的に認めたものである」(杉本幹夫著,「『植民地朝鮮』の研究」展転社)

 

 本当に浅はかです。外交上その場を凌ぐことができれば,日本国,私達の父祖や散華された方々をこんな形で貶めてもよいのでしょうか。宮沢喜一や河野洋平に共通していることは,いわゆる東京裁判史観に凝り固まり,特定アジア(中国,韓国,北朝鮮)に阿り,歴史を考察する上で垂直的な思考を欠いていることです。

 

 宮沢内閣による卑屈な謝罪,「河野談話」は万死に値し,後の歴史に極めて大きな禍根を残すものです。平成19年7月にアメリカ下院で「慰安婦非難決議」が採択され,これを主導したのが反日的活動で有名,中国系からの資金的援助が取りざたされているマイク・ホンダという下院議員です。私はある日曜日の朝のテレビのニュース番組で,その当時このマイク・ホンダが出演しているのを見ました。その際,日本軍が「従軍慰安婦」を強制連行したとする根拠は何かと質問されたとき,マイク・ホンダは「それは明らかだ。何より日本政府が認め,謝罪しているではないか。」という趣旨のことを述べ,それ以外に根拠は示さなかったことをはっきりと覚えています。また,その非難決議前,評論家の櫻井よしこさんやすぎやまこういちさんらが,アメリカワシントン・ポスト紙上に,慰安婦募集に日本国や軍による強制はなかった旨の意見広告を出した際,欧米の反応は冷ややかなものでした。というのも,日本政府が一旦はこれを認め,謝罪しているのに,あとで覆すのは見苦しいというような雰囲気が支配したからです。

 

 このようなことからも,この「河野談話」などの問題性は看過できず,後世に極めて大きな禍根を残すものなのです。しかしながら,民主党の前原なる者も,現首相の野田なる者も,「人道的見地から知恵を絞っていきたい。」などと述べ,この「河野談話」を前提として新たな基金か何かでも設けようとするかのような口吻をもらしています。バカにも休み休みなれ,と言いたい。そんなことをすればますます「河野談話」が定着してしまいます。一刻も早くこんな売国的な談話を撤回し,真実を公に表明すべき責任が日本国政府にはあると思います。

 

 最後に,このいわゆる「従軍慰安婦」問題の本質,核心を見事についていると思われるものとして,小野田寛郎氏の「私が見た従軍慰安婦の正体」という論述があります。私は戦後生まれですから,戦争中のことは勿論知りません。でも,この小野田寛郎氏のこの問題に関する論述は極めて説得力があり,かつ,それが真実,実態だったのだろうと確信しております。インターネットをおやりになる方は,「小野田寛郎 慰安婦」とキーワードを入れて検索してみてください。そしてじっくりと読んでください。

 

 日本という国は,そして日本国民は,日本という国と日本国民を貶めようとしている反日勢力に対し,いわゆる歴史力を磨いた上でもっと毅然と対応すべきでしょう。そしてそういう為政者を選ぶべきでしょう。そういう観点から選ばれた者こそ,選良というのでしょう。評論家の櫻井よしこさんは,「日本人は今,世界一、自分の国の歴史を知らない人たちになっている。自分の国の歴史を知らない人が、何で国民なのか。日本人の歴史を知らない人が、何で日本人なのか。フランスの哲学者が言いました。『歴史を知らない人間は人間ではない』と・・・。」と述べています。

2011/12/26

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 名古屋にも雪が積もりました。いよいよ年末ですし,ここら辺りで冬の風物詩などをテーマに何か心温まるお話でもと思ったのですが,タイトルのテーマは何とか一気に完結しなければなりません。しばらくのお付き合いを・・・。

 

 東京裁判史観で凝り固まった宮沢喜一という首相は,平成4年1月の訪韓直前,くだんのアカヒ,いや朝日新聞のデタラメ記事が出されたものですから,全くオタオタしてしまいました。この者は盧泰愚大統領との会談で何と,謝罪と反省を8回も繰り返したといいます。こんな新聞記事内容の真偽をロクに検証,調査もせずにですよ・・・。要するに,この者の極めて軽率かつ売国的な言動は,いわゆる「従軍慰安婦」問題について,日本国や軍が朝鮮人女性を挺身隊の名目で強制連行等したということを認めたに等しいのです。少なくとも韓国をはじめ,諸外国はそのように受け取ったことは間違いありません。その理由は後に触れます。

 

 そして極めつけは,平成5年8月4日に公表されたいわゆる「河野談話」です。これは正に万死に値するものであり,我々の父祖や散華された方々の名誉を著しく毀損し,国益を損なう行為だったのです。実は,旧日本軍による強制連行を裏付ける資料は,日本政府による調査結果においても,また韓国政府による調査結果においても存在しないことが明らかになっております。この「河野談話」は,談話発表の直前にソウルで行われた,元慰安婦16人の密室での証言内容を基礎にして,旧日本軍による「強制連行」を事実上認めてしまったものなのです。しかも,この密室での証言については,その内容はもとより,元慰安婦の住所,氏名も公表されず,裏付け調査も許されなかったのです。どうしてあれだけの時間と人員をかけての日韓両政府による調査結果よりも,この密室での反対尋問も許されない「証言」の方を軽信しなければならないのでしょうか(「正論」2012年1月号の大師堂経慰氏の論文)。旧日本軍によって強制的に慰安婦にさせられたとして日本に損害賠償を求める訴訟が提起され,慰安婦と名乗り出た金学順らの韓国人女性,中国人女性が出現しましたが,彼女らの証言の信憑性には多くの疑問が呈せられていますし,訴訟も当然に敗訴しております。

 

 当時は公娼制度があり,慰安所というものも存在し,軍がこれを管理したり,慰安婦の輸送に軍が関与したこともあるでしょう。しかし,慰安所というものは何も日本軍だけが設置,管理していたのではありません(ウィキペディア「慰安婦」の項を参照)。それに慰安婦は職業として成り立ち,兵隊さんの数倍の高給取りだったのですし,親などへの前渡し金の返済が済めば自由にやめることもできたのです。旧日本軍によって強制的に慰安婦にさせられたとして日本に損害賠償を求める訴訟を提起した彼女らの名誉を損なう言論は慎みたいのですが,確かにその境遇には不遇なものがあり,業者(女衒)と親とが人身売買まがいのことを行い,本当に不本意だった人も存在するでしょう。「強制された」と恨みの気持ちを有するのも無理はありません。しかしながら,仮に悪質な業者(女衒)がかつて存在し,その悪行があったとしても,これがすなわち日本という国,軍が「強制した」ものだと評価することはできないのです。

 

 仮に旧日本軍が,売国的な文筆家たちが指摘する「慰安婦狩り」のようなことをやっていたとするなら,その当時に大問題になっていたに違いありません。しかしながら,吉田清治の「私の戦争犯罪」で展開された慰安婦狩りの事実が作り話であったことは既に明らかになっておりますし,現実に,平成4年1月の宮沢内閣による謝罪までの戦後47年間,韓国政府からも韓国国民からも慰安婦問題についての抗議などは一切なかったのです。繰り返しますが,旧日本軍による強制連行を裏付ける資料は,日本政府による調査結果においても,また韓国政府による調査結果においても存在しないことが明らかになっています。(怒りをもって続く)

2011/12/19

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 どうやら,韓国の大統領が日本までノコノコやって来て,いわゆる「従軍慰安婦」問題を再び提起して,「誠意を示してくれ!」とのたまったそうですね(笑)。最近,ソウルにある日本大使館前に元従軍慰安婦を象徴する少女象が違法に建てられたようですが,この韓国大統領は,もし日本が誠意を示さなければ,「第2,第3の象が建つ」とまでのたまったそうな(爆笑)。どうしようもありません・・・。まずはっきりと言っておきますが,韓国政府が,日本大使館前にこれみよがしにこんな象を建てることを事実上放任する行為は,外交関係に関するウィーン条約第22条第2項違反の疑いが強いのです。この条項には,「接受国は、侵入又は損壊に対し使節団の公館を保護するため及び公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止するため適当なすべての措置を執る特別の責務を有する。」とあるのです。

 

 まあ,いずれあのような像は撤去されるでしょうが,日本国首相は,このたびの韓国大統領の申し出を毅然として突っぱねる必要があります。そして一応は突っぱねたのでしょうが,私自身が本当に遺憾に思っているのは,日本政府はこのいわゆる「従軍慰安婦」問題についても,昭和40年に締結された日韓国交正常化に関する協定により全ての賠償問題は解決済みだという説明に終始していることです。もとよりそんな説明ではダメなんです。それだと,「従軍慰安婦」が世界史上に存在し,しかも問題として指摘されている強制連行,強要をあたかも日本政府ないし軍が行ったことを前提としてしまうことになりはしませんか。真実はそうではないのです。「慰安婦」はともかくとして,「従軍慰安婦」が世界史上に存在したことは全くありませんし,問題として指摘されている強制連行,強要を日本政府ないし軍が行った事実を裏付けるに足る証拠は存在しないのです。そのように説明した上で,韓国からのこのような不当な要求を拒絶すべきです。それを野田という人は,「人道的見地から知恵を出していきたい。」などと曖昧な発言をしています。彼は日本国の国益を背負っているという自覚が全くありません。それ以前にも同趣旨の発言をしていた前原という人も同様です。特に民主党にはこんな人しかいません。全く情けない限りです。

 

 また,この問題の表現の仕方は,「従軍慰安婦問題」とすべきではなく,「いわゆる『従軍慰安婦』問題」とすべきなのです。特に,「いわゆる」と付けなければなりません。

 

 まずは,用語の問題です。「従軍慰安婦」なる言葉は戦時中も,その後当分の間も全く存在しませんでした。これを言い出したのは,千田夏光という作家です。この者が1973年に「従軍慰安婦 正編」を上梓し,その本の中で「従軍慰安婦」なる言葉を使用したのが最初で,全くの造語なのです。戦時中は,従軍看護婦や従軍僧侶はおりましたし,それらの方々は軍属です。でも,「従軍慰安婦」などはおらず,慰安婦がいただけなのです。そして,「従軍慰安婦」なる造語をした千田夏光がその本の中で書いたこと,特に「従軍慰安婦」に関する記述には裏付けのない事実や矛盾が多いことはつとに指摘されております。ウィキペディアの「千田夏光」の項を参考にされたらいいと思います。(怒りをもって続く)

2011/12/08

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 昨夜はお酒を飲まなかったこともあり,久しぶりに半身浴をやってみました。体が芯から温まったようで,本当にグッスリと眠ることができ,朝食の配ぜんの手伝いに間に合いませんでした。我が家では伝統的に,うちのカミさんが朝食を作ってくれ,私と娘のあかねちゃんが配ぜん等の全ての手伝いをするということになっております。あかねちゃんがこの手伝いに遅れると,私は思わず不機嫌な表情を出してしまいますが,今朝は私が寝過ごして配ぜんに間に合わなかったのです。でも娘のあかねちゃんはいつもと変わらない表情です。あかねちゃんの方が大人であり,人物です(笑)。

 

 さて,12月8日(日本時間)は日本の真珠湾攻撃により大東亜戦争が勃発した日です。新聞紙上でも「日米開戦70年」などという文字が躍っております。この大東亜戦争に対する見方といいますか,史観というのは,遅れてきた帝国主義国である日本が悪逆の限りを尽くして暴走し,アメリカ等の連合国やアジア諸国に大損害を被らせたという「日本悪玉論」があります。これが東京裁判史観というやつで,今でもこの史観に頭を占領されている日本人が圧倒的に多いのではないでしょうか。

 

 今日も仕事というものがありますので,多くは語りませんが,4つの点についてだけ触れておきたいと思います。(1)第1は,「裏口からの参戦(Back To The War)」という言葉どおり,アメリカは何とか参戦をしたくて仕方がなく,日本に最初の一撃を加えさせる必要があったのです。淵源を辿れば「オレンジ・プラン」ということでしょう。(2)第2に,コミンテルン(共産主義国際組織)の暗躍を抜きにしては語れないということ,つまりその当時は各国にコミンテルンの工作員が政府中枢に入り込み(日本では尾崎秀実ら),とにかく戦争により国家を瓦解させそこに共産主義政権を樹立するという運動が活発だったのです。(3)第3に,戦後のいわゆる東京裁判というやつは,裁判所設置条例を含めて国際法上全く根拠がなく,刑事不遡及の原則は踏みにじられ,いわば「政治ショー」に過ぎなかったのです。まともな国際法学者ならば誰でも分かることで,オランダのレーリンク博士,インドのパール博士はそのことをつとに指摘しておりました。(4)第4に,中長期的にみたアジアの姿に触れざるを得ず,仮に日本という国がなかったとしたら,朝鮮も東南アジア諸国も未だに独立を果たしていなかったかもしれません。アジアの解放という世界史的意義があったことは明らかです。

 

 前にもこのブログでお話ししたのですが,「日本人が知ってはならない歴史」,「続・日本人が知ってはならない歴史」,「日本人が知ってはならない歴史・戦後篇」(以上,いずれも若狭和朋著,朱烏社)の三部作はすごく参考になりますし,「真珠湾の真実-ルーズベルト欺瞞の日々」(ロバート・B・スティネット著,妹尾作太男訳,文藝春秋)なども大変参考になります。

 

 最後に,タイ国の元首相であったククリックド・プラモードの言葉を引用しておきます。

 

「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」

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