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2024/03/22

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「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃」

 

本当に佳い歌ですね。毎年この季節になりますと,歌と旅に生きた西行のこの歌を思い起こすのです。西行ほど桜の魅力に魅入られた歌人はいないのではないでしょうか。西行の歌で桜の花を詠んだものは,詠出歌全体の一割以上に及んでいるそうですから。

 

冒頭の歌のように,これほど桜を愛した西行は,実際に陰暦の2月16日,太陽暦では3月30日,73歳の生涯を閉じております。時期的にその願いどおり外には桜が咲いていたのかもしれません(ソメイヨシノはまだありませんから,山桜)。

 

私は以前から西行には興味があったのですが,このほど良い本に巡り会えました。「西行-歌と旅と人生」(寺澤行忠著,新潮選書)という本です。著者(慶應義塾大学名誉教授)としては,西行研究こそが学者としてのライフワークだったのでしょうね。西行という人間,そしてその作品(歌)を知るには,誠にうってつけの本だと思いますよ。

 

出家前の西行は藤原北家藤成流と呼ばれる家系の出で,北面の武士でした(俗名佐藤義清)。でも,歌人としての業績は素晴らしく,何と,あの「新古今和歌集」では,専門歌人ではない西行の歌が,藤原俊成,藤原定家らといった歌の専門家をはるかに上回る最多の94首が選入されております。

 

さきほどの本の「はじめに」という箇所で,西行やその作品(歌)について端的にまとめてある部分を引用してみましょう。

 

「西行が多くの人々を引きつけてきたのは、歌のみならずその生き方に人々を引きつけるものがあったためである。旅の魅力を発見し、桜の美しさを多くの人に伝えた。また人生無常の自覚を促し、それを乗り越える道があることを力強く示した。さらには仏教と神道が共存する上でも、大きな役割を果たした。・・・一人の歴史上の人物を見る場合、できるだけ客観的にみる必要があることは、諭を俟たない。ただ人物や生き方の評価は、見る側の人間の人間観、世界観、歴史観に大きく左右される。西行の場合、その生き方そのものが、人々の関心を引き付けてきただけに、歌自体の評価と共に、生き方が大きな問題となってくる。生き方とその作品が、密接不可分なのである。」(同書3~5頁)

 

西行の歌には素晴らしいものが多く,冒頭の歌以外で私が特に好きなのは,これも人口に膾炙した次の歌です。「もののあはれ」に対する感受性に共感がもてます。

 

「心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮」

 

さらにこれは西行の歌かどうかについては異説もありますが,西行が実際に伊勢神宮に赴き,さらに伊勢神宮に崇敬の念をいだいていたことは間違いありません。次の歌も好きなのです。

 

「何事のおはしますをばしらねども かたじけなさに涙こぼるゝ」

 

2023/12/07

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以前にもこのブログで述べたことがあるのですが,私が愛読している産経新聞の朝刊には,「朝の詩(うた)」というコーナーがあります。これは,全国の読者から寄せられた詩作を選者が選び,これを紹介するものです。

 

それがですね,結構秀逸なものがあるのですよ。最近では「朝晴れエッセー」のコーナーともども,新聞記事などに入る前に目が行くようになりました。数日前には,東京都渋谷区に住む御年82歳のおばあさんの作品が紹介されていました。ちょっと引用させていただきますが,「モガ」という表題で秀逸ですよ。

 

「ロングスカトっこ はぐべがな 水玉のブラウスっこ 着るべがな

シャッポどっすべ くつだば ヒールの高いの どんだべの

ええふりこいで いっちょまえの モダンガール でけだどお

どごさ行ぐべ」

 

御年82歳だそうですが,その詩心といい感性といい,立派なモダンガールです。表題に「モガ」とあって,最初は何のことかなと思いましたが,大正後期から昭和初期にかけて流行った「モダンガール」の略のようですね。私もまだ老け込む年齢ではなく,気を確かに持って生きていきたいと思います(笑)。

 

佳い詩だなと思いますし,何かしら勇気をいただきました。

 

それにしても名詞などに「・・っこ」,「・・っこ」と付けるのは東北弁などでよく見られますね。どじょっことか,ふなっことか,犬っことか,飴っこなど・・・。このように「こ」を付けるのを指小辞(ししょうじ)というのだそうです。日本語学者櫛引祐希子さんの小論文によれば,指小辞とは,名詞・形容詞・副詞に特定の接辞を付けて,それらの語のさす事物の寸法・度合いがごく小さいこと,または,その表す性質・程度が軽少・微弱であることを意味し,愛らしさの強調や,愛着や親密さ,またはその逆に軽蔑や侮辱などの情緒的表現として用いられることが多いようです。さきほどの詩での指小辞の使われ方は,愛着や親密さを表す表現であり,やわらかい感じがいたします。

2023/10/03

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先週のことになりますが,9月29日の金曜日,ぽっかりと夜空に浮かんでいたまん丸のお月さんの姿の誠に見事なこと!本当に,本当に素晴らしい月でした。今年の中秋の名月は9月29日の夜で,この日は晴天でもありその見事な姿を自宅のベランダから拝むことができました。旧暦8月15日の月を中秋の名月と呼んでいるのですね。うちのカミさんはベランダに出てスマホで撮影しておりました(笑)。

 

月という文字ですぐに思い浮かべてしまうのが,江戸末期から明治半ばに生きていた俳人井上井月のことです。私はその正統派の俳句の数々を高く評価しており,最期を迎えるまでの約30年もの間,信州の伊那谷を中心に漂泊していたこの俳人に思いを致すのです。このブログでもかつてご紹介しましたように,今から10年ほど前,春の連休を利用して家族で伊那までドライブし,井月のお墓やいくつかの句碑を訪ねて回り,お昼ご飯は地元の名物であるソースかつ丼をいただいたことを覚えております(笑)。

 

それにしても,井月はなぜ「井月(せいげつ)」という俳号を選んだのでしょうか。私の蔵書,「井上井月研究」(中井三好著,彩流社)によると,どうやら彼の少年時代の淡い恋に由来しているようなのです(同著19~20頁)。平安時代の歌物語である「伊勢物語」には「筒井筒」の挿話があり,これは,地方官同士の家の女の子と男の子が仲良く井戸の回りで遊んだりしていた。しかしそれぞれの親の任地が替わり,引越しによって二人は離れ離れになってしまった。でも二人が成長するにしたがって,子供の頃に抱いた淡い恋情が次第に大きくなり,二人は互いに求愛の歌を交わすようになって,ついには結婚して結ばれるという初恋物語です。

 

どうやら井上井月にも似たような経験があったらしく,幼い頃に井戸の辺で仲良しの女の子と遊んでいて,組井から井戸の中に映る月を見てその澄んだ月の美しさを喜び合った時の記憶を俳号にしたと考えられているのです。淡い恋の記憶が背景にあったのですね。

 

本当に井月の俳句は深い教養に裏付けられた正統派,本格的な作品が多く,句を鑑賞して思わずその情景が思い浮かぶような傑作が多いと思います。あの不定型自由律俳句の種田山頭火も井月に憧れ,漂泊,苦労の末にその墓に参ったのですし,あの芥川龍之介も井月の句を高く評価しておりました。月にちなんだ句を紹介してみましょう。句意については,「井上井月研究」(中井三好著,彩流社)の183~184頁の解説によっています。

 

「月さゝぬ家とてはなき今宵かな」

※伊那盆地の周りにはいくつもの山越えの道が付いていて,それぞれの峠から伊那盆地を一望することができ,月の夜は殊に美しく見える。月は天空にあるから月の(光の)ささない家はない。

 

「名月や院へ召さるゝ白拍子」

※白拍子は平安末期から鎌倉時代にかけて行われた歌舞のことであるが,この発句ではそれを歌い舞う遊女のことである。歌舞音曲に優れた「院」といえば,後白河法皇のことであろう。井月が京の街の空に出た名月を眺めた時,こんな美しい夜に法皇は白拍子を召されるのであろう・・・。

 

みなさん,井月の句(作品)はお勧めですよ。彼の伝記や作品解説など総合的な研究で出色の本はこの本だろうと思いますし,作品全体を通覧,鑑賞するのであれば,「井月句集」(復本一郎編,岩波書店)がお勧めです。

2023/06/06

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いや,もちろん専門外ですので雀(すずめ)について学術的なことを書こうというのではありません。以前にもこのブログでも書いたのですが,私は昔から雀という鳥が大好きなのです。鳥の中では一番好き。好き嫌いは理屈抜きなところがありますが,その理由を端的に言いますとただ一言,可愛いからです。

 

毎朝読んでいる産経新聞には,「朝晴れエッセー」というコーナーがあって,先日雀のことに触れた何やらほっこりするエッセーに目が留まりました。要約してしまうとその文章の良さがかなり減殺されてしまうのですが,次のようなものでした。

 

ある高齢の女性が夕方の買い物帰りの途上,ウーバーイーツ配達のお兄さんが道路にしゃがみこんでいた。よく見ると,小さな雀を手にしてその頭を優しく撫でていた。どうやらそのお兄さんは,道路の真ん中でその雀が動かなくなっていたので心配して手に取った。その高齢女性も気になって,そのお兄さんと話し合ってその雀に水でも飲ませてあげようということになり,女性が水を買いにコンビニまで走って調達して戻ってきたら,既にその雀はお兄さんの手から羽ばたいて去っていた。

 

こんな風に小動物にごく自然に愛情を注ぐことのできる心の余裕が欲しいものです。

 

雀ですぐに思い出すのが,木村緑平という医師であり,自由律俳句を作り,あの漂泊の俳人種田山頭火を支え続けた彼の心の友です。何より,この木村緑平という人はとにかく雀が好きで,雀の句だけでも三千句以上を作り,師匠の荻原井泉水を困らせたという人です。

 

この木村緑平という人は,長崎医学専門学校(現.長崎大学医学部)を出て医師になり,昭和初期から,炭鉱景気に沸く筑豊炭鉱で働く労働者の医療に携わり,自由律俳句誌「層雲」を通じて種田山頭火と知り合う訳です。緑平は無銭飲食をした山頭火の身元引受人になったり,遠方から金銭の無心をされても快く山頭火に送金したり,漂泊の旅の途中に十数回にわたって自宅を訪れた山頭火を温かく迎え入れ,物心共に彼を支えた心の友だった。山頭火がいかに緑平に心を許し,信頼していたかは次のような件(くだり)でもよく分かりますし,自分の日記数十冊を緑平に託したことからも分かります。

 

「名残り惜しい別れ、緑平よ、あんたのあたゝかさはやがてわたしのあたゝかさとなってゐる。晴れて曇り、行程六里、心身不調、疲労困憊、やうやくにして行橋の糀屋といふ木賃宿に泊まったが、こゝもよい宿だった。アルコールの力を借りて、ぐっすり睡ることができた。そのアルコールは緑平老のなさけ。」(行乞記・昭和8年6月8日)

 

医師として地域医療に貢献し,句友を物心両面で支え,長きにわたって妻の介護をして優しく看取り,雀をこよなく愛して清貧に生きる。素晴らしいではありませんか。緑平の旧宅跡地も現存し,柳川市などには句碑もあるということですので,いつかは旅で訪れたいものです。そういうの,私は好きでしてね。以前私は,家族と一緒に,長野県の伊那市まで井上井月の句碑や墓を訪れたこともありました。

 

「雨降る子のそばに親の雀がきてゐる」

「うまいことしてゐらあ雀水あびてゐらあ」

「雀生れてゐる花の下を掃く」

「かくれん坊の雀の尻が草から出てゐる」

「香春へ日が出る雀の子みんな東に向く」(緑平)

2023/04/24

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唐突ですが,以前から徒然草のこの段の死生観に共感を覚えておりましたので,ご紹介いたします。みなさま,一日一日を大切に生きてまいりましょう。

 

(原文)(徒然草第155段)

「世に従はん人は、先づ機嫌を知るべし。ついで悪しき事は、人の耳にもさかひ、心にもたがひて、その事ならず。さやうの折節を心得べきなり。但し、病をうけ、子をうみ、死ぬる事のみ、機嫌をはからず、ついで悪しとてやむことなし。生・住・異・滅の移りかはる、実の大事は、たけき河のみなぎり流るるが如し。しばしもとどこほらず、ただちに行いひゆくものなり。されば、真俗につけて、必ず果し遂げんと思はん事は、機嫌をいふべからず。とかくのもよひなく、足をふみとどむまじきなり。

春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は則ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、先ず落ちて芽ぐむにはあらず。下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下に設けたる故に、待ちとるついで甚だはやし。生・老・病・死の移り来る事、又これに過ぎたり。四季はなほ定まれるついであり。死期はついでを待たず。死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。」

 

(現代語訳)

「世間の大勢に順応して生きようとする人は、まず時機を知らなくてはならない。折にあわぬ事柄は、人の耳にもさからい、心にもそむいて、その事柄が成就しない。そのような時機を心得るべきである。もっとも病気になり、子を産み、死ぬといったことだけは、時機を考慮することがなく、順序がわるいからといって、中止することはない。生・住・異・滅の四相が移り変ってゆくという真の大事は、水勢のはげしい河が、満ちあふれて流れるようなものだ。少しの間も停滞することなく、たちまち実現してゆくものである。だから、出世間につけても、俗世間につけても、必ず成し遂げようと思うようなことは、時機を問題にしてはならない。あれこれと準備などせず、足を踏みとどめたりしてはならないことである。

春がくれて後、夏になり、夏が終ってしまってから秋が来るのではない。春は春のままで夏の気配をはらみ、夏のうちから早くも秋の気配は流通し、秋はそのままでもう寒くなり、陰暦十月は小春日和になり、草も青くなり、梅もつぼみをつけてしまう。木の葉の落ちるのも、まず葉が落ちて、その後に芽を出してくるのではない。下から芽ぐみきざす力にこらえきれないで、古い葉が落ちるのである。迎えうけている気力を下に準備してあるので、待ちうけて交替する順序が、たいそう早いのだ。生・老・病・死のめぐってくることは、また四季のそれ以上に早い。四季の推移には、それでも、春・夏・秋・冬という、きまった順序がある。死の時期は順序を待たない。死は前からばかりは来ないで、いつの間にか、後ろに肉薄しているものだ。人はみな、死のあることを知りながら、死を待つことが、それほど切迫していないうちに、思いがけずにやってくる。沖の干潟は遠く隔っているのに、足もとの海岸から潮が満ちてくるようなものである。」(新版日本古典文学全集第44巻【小学館】205頁~206頁)

2023/03/06

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先日,飲み会の集合時間にはまだ時間がありましたので,大きな書店に立ち寄って特にお目当ての本があるというのでもなく,店内をブラブラしておりました。最近はノンフィクション系の本ばかりを読んでおりましたので,たまには小説もいいかと思い,買ってしまったのは田山花袋と谷崎潤一郎の文庫本でした。

 

田山花袋の方は「蒲団」と「重右衛門の最後」の2編が入っており(新潮文庫),谷崎潤一郎の方は「刺青」,「少年」,「秘密」,「幇間」,「悪魔」,「続悪魔」,「神童」,「異端者の悲しみ」という短編が入っているものです(角川文庫)。谷崎の方は学生時代に読んだことがあって何となくまた読みたいなと思って手にし,田山花袋の方は自然主義文学の先駆けの一人ということで,一度読んでみようかと思いました(私の記憶に間違いがなければ,高校時代の現代国語の先生が「蒲団」のことを語っておりました。)。

 

「蒲団」というストーリーは何やら切ないものがありますね。これは花袋本人の実体験が記されている,思い切った独白,そして日本初の「私小説」とも言われております。主人公は33歳前後の既婚の文学者で,3人の子どもがいますが,単調な日常生活に倦み,妻との結婚生活もいわゆる倦怠期を迎えている中で,熱心に乞われたためある女学生を弟子として受け入れます。主人公はその女性の弟子を自分の姉の家に住まわせますが,彼女に恋をしてしまいます。

 

ところが,その後彼女には同年齢くらいの男友達ができ恋仲になっていることが発覚するや,主人公は既婚であるにもかかわらず狂おしいまでに嫉妬します。主人公は,表面上は「先生」,「師匠」としての威厳を保ちつつも,実は男として嫉妬に狂い,その女学生の親御さんを巻き込んで何とか2人の関係を断絶させようとします。

 

その心理描写が何とも切ない。結局その女学生は,親御さんに連れられて田舎へ帰っていくのですが,その後の主人公の喪失感も相当なもの・・・。「性慾と悲哀と絶望とが忽ち時雄(主人公)の胸を襲った。時雄は(弟子である女学生が使っていた)その蒲団を敷き、夜着をかけ、冷たい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。」のです。

 

なんとも切ないですね。ところで,この文庫本の末尾にある福田恆存の解説がまた切ないのです。ご存知,福田恆存といえば文芸評論家,翻訳家,そして保守の論客です。普通は,本の末尾の解説の部分というのは,その作品の価値を評価し,作者をある程度讃える内容のものが多いと思うのですが,意外に冷淡な内容に思えるのです。これが切ない・・・。

 

「おもうに『蒲団』の新奇さにもかかわらず、花袋そのひとは、ほとんど独創性も才能もないひとだったのでしょう。」,「花袋はあくまで芸術作品を創造するひとであるよりは、芸術家の生活を演じたがったひとであります。」,「芸術作品を生むものを、われわれは芸術家と呼ぶのであって、芸術家というものがはじめから存在していて、かれが生んだものを芸術作品と呼ぶのではない。」,「かれはそういう意味において、文学青年の典型でありました。」

 

解説の最後に花袋を評価する部分もありますが,巻末の解説としては内容的には冷淡な感じがします。誠に切ない。

2023/02/17

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私は新聞の書評欄を読んで衝動的に通販で書籍を購入することが多いのですが,時には失敗する時もあります。あれ?思っていた内容と違うなという場合には,処分に困っている私のために,うちのカミさんが「もったいないなぁ。」と苦言を呈しつつも,メルカリで売ってくれます(笑)。

 

そんなことが続いたので,肩身の狭い私は先日,家にある蔵書の中から「何か良い本はないかな。」と探してみました。家にある蔵書というのは,要するにまた読んでみたい本の集まりですから,いろいろな本があって次に何を読むか迷いましたが,ありました,ありました。「10歳の放浪記」(上條さなえ著,講談社)という本です。これは名著です。間違いなく名著です。

 

読みながら思わず泣けてくる箇所があるのですよ。とても共感できる部分が多く,読者である私が著者の幼少期(10歳前後)の生々しくも辛い日々をあたかも追体験しているかのような感動的な箇所が・・・。

 

昭和35年,当時10歳だった著者(上條さなえさん)は,借金取りから逃れるために家族全員(父と母,異父姉と著者)が夜逃げ同然の悲惨な状態になります。最初は母方の九十九里浜の親戚に一人ぼっちで預けられます。すぐに迎えに来るからとの母の言葉を信じて,毎日毎日1日3便のバスが到着する時刻になるごとに,バス停に行ってはがっかりして帰宅する。その数か月後,今度は父親に引き取られ,池袋界隈のどや街で1泊100円の簡易宿泊所に父親と寝泊りします。クラスメートとは別れたままで,小学校にも通うことができません。とても切ない。

 

どや街で暮らしていた時期,日雇いの仕事をしている父親の帰りを待つ昼間は,空腹の中で時間をつぶさなければなりません。電車に乗ってぐるぐる回ったり,切符売り場の人に「中にいるお父さんを探しに行っていいですか?」と嘘をついて,映画館で映画を観て時間をつぶす毎日・・・。生きるのに疲れ果てた父親から,寝転んで天井を見上げながら「なこちゃん、死のうか。」とポツリと言われたり,「もう金がないんだ。明日の朝十時にここを出たら、行く所がないんだよ。」と告げられたり,子ども心にショックな出来事の連続なのです。ヤクザだけれど気の優しいパチンコ店のお兄さんからパチンコ玉を出してもらって,お父さんのために弁当を買って帰ったり・・・。10歳ながら気丈に,逞しく生きていく幼少の著者の生き様に勇気を与えられることも多い内容です。

 

結局,お父さんとの約1年間の放浪生活の末,著者は児童養護施設に入り,そこから1年遅れで小学校に通うことができるようになったのです。その後は高等教育も受け,小学校教員を経て文筆家になり,教育委員会の委員長にも任命されるまでになりました。

 

人生,気の持ちようで何とかなるもんだなと思います。読んでいてとても切ないけれど,そして時には涙が出てくるけれど,読者を鼓舞し,勇気づける名著だと思いますよ。「10歳の放浪記」(上條さなえ著,講談社)・・・是非読んでみてください。

2022/12/30

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いよいよ年の瀬も押し迫ってまいりました。世間では大掃除,買い出し,挨拶,残務整理などなど慌ただしい雰囲気だと思いますのに,今日のブログでは浮世離れの,のんびりとした話題となってしまいました。

 

このブログでもたびたび登場したのですが,皆さんは種田山頭火という漂泊の俳人のことをご存知でしょうか。その俳句は自由律非定型句なのですが,いわゆる境涯句が多く,昔から何となく心惹かれるものがあるのです。今の季節で思い出す句をいくつか紹介しますと・・・

 

「うしろすがたのしぐれてゆくか」

「鉄鉢の中へも霰」

「けふもいちにち風をあるいてきた」

「だまつて今日の草鞋穿く」

 

今年の春にうちのカミさんと一緒に松山・道後温泉を旅行したことがあるのですが,この道後温泉のすぐ近くにあった「一草庵」が山頭火の終焉の地です。この旅行先で衝動買いした本が「山頭火と松山-終焉の地・松山における山頭火と人々」(NPO法人まつやま山頭火倶楽部編,アトラス出版)ですが,これがなかなかディープな内容でとても良い本でした。これまで山頭火の評伝や句集などはかなり読みましたが,この本に書かれていることは今まで知らなかった興味深いものも含まれております。例えば,酒に酔いつぶれた山頭火に関する記述の次のような箇所です(同書116頁)。

 

「この宝厳寺には、山頭火の別のエピソードも残っている。ある夏の日、地蔵院の水崎玉峰和尚が宝厳寺の山門あたりを通りかかると、酔いつぶれた老人が前をはだけて転がっていて、近所の悪童たちが棒きれで、その老人の一物をあっちへやったりこっちへやったりしている。見ると、山頭火だったので急いで助け起こし、一草庵まで送り届けたというのである。山頭火はこんなふうに、寂しい庵での孤独に耐えられなくなると、一人で酒を飲み、前後不覚になるまで泥酔した。」

 

高度経済成長期の昭和40年代初めころでしたかね,いわゆる山頭火ブームが起こったのは・・・。当時は「蒸発」なんて言葉が流行ったりし,長時間労働の仕事に疲れ果て,妻子への夫・父親としての責任も感じ,ある時もう何もかもが嫌になって突如として出奔するという現象が少なからず発生した時代でした。その頃山頭火ブームが生じたということは,行雲流水,行乞流転の旅を続けた山頭火のような生き方にどこか憧れを抱いた人も多かったのではないでしょうか。

 

でもそのような山頭火の生き様や境涯句に共感や一種の憧れを感じながらも,彼のような生き方を実行に移すことはやはりできないでしょう。そのあたりのことは,この本でも指摘されています(同書39頁)。

 

「山頭火が残した日記は、彼の日々の動向を知る記録であるとともに、彼がどう生き、何に苦しみ、何に喜びを感じたかを知るよすがとなるもので、ある意味、肉声にも勝るものといえる。山頭火は『男の憧れ』を体現した人である。多くの人が彼の日記を読み、放浪の疑似体験をするわけだが、『人間は、こんなにもどうしようもない存在なんだ』という深い共感とともに、『やはり自分にはできない』と思わざるを得ないリアリティーが、この日記にはある」

 

種田山頭火,自由気ままである一方,苦悩に満ちた人生だったかもしれませんが,少なくとも「ころり往生」を享年58歳で遂げたことは幸せだったのでしょう。彼の9月2日の日記には,「私の述懐一節」と題し,「私の念願は二つ、ただ二つある、ほんたうの自分の句を作りあげることがその一つ、そして他の一つはころり往生である」と書かれており,彼は「一草庵」で「ころり往生」を遂げたからです。

 

松尾芭蕉や井上井月らの五七五の定型句ももちろん素晴らしいですが,山頭火や尾崎放哉らの非定型句もなかなかにいいものですよ。興味があったら是非味わってみてください。

 

来年もみなさんにとって良き年でありますように心より祈念いたしております。

2022/12/26

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今年も残り少なくなりました。そして今の季節のこの爆弾低気圧,すなわち寒波の物凄いこと・・・。私は冬場でもめったに手袋まではしないのですが,この寒さですから通勤時には手袋をしています。

 

12月25日,作家の渡辺京二さんが92歳で亡くなりましたね。心よりご冥福をお祈りいたします。もう10数年前になりますが,渡辺京二さんの「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)という本を読んで本当に深く感銘を受けました。それ以来,私は人から何かお薦めの本はないかと尋ねられたら,必ずこの本も薦めるようにしています。それくらい素晴らしい本なのです。この本の帯には「読書人垂涎の名著」と銘打たれています。そしてくどいようですが,私の記憶に間違いがなければ,やはり今年2月に亡くなられた石原慎太郎さんも,この名著について「これはもう現代人必読の名著である!」と評していたと思います。

 

この本の章立ては,「ある文明の幻影」,「陽気な人びと」,「簡素とゆたかさ」,「親和と礼節」,「雑多と充溢」,「労働と身体」,「自由と身分」,「裸体と性」,「女の位相」,「子どもの楽園」,「風景とコスモス」,「生類とコスモス」,「信仰と祭」,「心の垣根」となっております。この日本には,かつては間違いなくこの本で描かれたような一つの貴重な,失いたくない文明が存在していたのです。願わくばこのような貴重で愛すべき文明のあり様を少しでも存続させたい。

 

この本は,近世から近世前夜にかけてを主題にし,幕末維新に訪日した外国人たちの滞在記を題材にしていますから,当時の文明のあり様の描写としては割と客観性があるでしょう。ウィキペディアには,数年前に亡くなられた評論家西部邁さんのこの本に対する評が次のように紹介されています。

 

西部邁は『逝きし世の面影』について「渡辺京二さんが『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)という本で面白いことをやっていまして,幕末から明治にかけて日本を訪れたヨーロッパ人たちの手紙,論文,エッセイその他を膨大に渉猟して,当時の西洋人が見た日本の姿-いまや失われてしまった,逝きし世の面影-を浮かび上がらせているのです。(中略)この本を読むと,多くのヨーロッパ人たちが,この美しき真珠のような国が壊されようとしていると書き残しています。」と評した。

 

どうです,皆さん。おそらくは時間的に余裕のあるこの年末年始,ゆっくりとこの名著を味わってみては。確かにページ数の多さは克服しなければなりませんが(笑),内容的には決して後悔はさせませんよ。

2022/09/26

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もう数か月前ですが,産経新聞の書評欄で「日本の民俗-暮らしと生業」(芳賀日出男著,角川ソフィア文庫)という本が紹介されており,それ以来何かしら気になっていたのでこのたび読んでみました。じっくりと日本の民俗に関する重厚な文章,記述に触れられると思っていましたら,内容的には写真集に近いものでした。確かに,著者の芳賀日出男さんは写真家なのであり,写真が中心となるのは当然でしょう。

 

でも,その一方で芳賀さんは,かつて学生として民俗学者折口信夫の講義を受講したこともあり,民俗学にも造詣が深いので,写真とともに記載されている文章もとても参考になります。最初は写真だらけだったので,「あれっ?」と思ったのですが,何よりも写真は直截的に人に訴えるものがあり,日本の民俗を伝えるにはむしろ格好の媒体ではないかと思いました。

 

「正月」,「盆行事」,「稲作」,「漁村の暮らし」,「海女」,「巫女」,「人形まわし」,「木地師」,「さまざまな生業」・・・などといった章立てで,どの写真も懐かしい風景ばかりです。私も幼少のころ2年ほど熊本県の田舎で暮らしたことがありますが,確かに当時熊本県の田舎でも寒い小正月の頃,五穀豊穣を祈って「もぐら打ち」という儀式がありました。本当に懐かしい・・・。子供たちが一軒一軒周り,「もぐら打ち」を行ってはお菓子などのご褒美をいただくというやつです。

 

私は昔から日本の民俗に興味があり,これまで柳田國男や宮本常一の著作を何冊か読んだことがありますが,このような写真集もまた格別の味がありますね。この本には,ヨーゼフ・クライナー(ボン大学名誉教授)の序文が掲載されており,「柳田・折口先生の言われる日本の民俗の固有性は、世界の民俗のなかに相対化されることによって、その独自性が一層浮彫りにされてくる。」との記載がありますが,同感です。

 

ちょうど先日,台風と台風の合間に仕事で2泊3日の行程で島根県まで行きました。台風のせいで収穫間際の稲が倒れている場景もありましたが,日本の原風景のような美しくも懐かしさのある風土を目の当たりにしました。この緑豊かな島根県に限らず,「限界集落」などといわず,何とか伝統と日本固有の習俗を維持し,この日本の美しい自然を保っていきたいものです。そして,仕事もちゃんとしましたが,仁多米や日本酒(玉鋼など)の美味しさを味わい,宍道湖の美しさと大和しじみの美味しさも味わいました。ありがたいことです。

 

日本の民俗に興味がありますが,そういえば,これも前々から読んでみたいと思っていた書物に「古風土記」というものがあります。これは奈良時代に地方の文化風土や地勢等を国ごとに記録編纂して,天皇に献上させた報告書ですが,写本ではあるものの,「出雲国風土記」がほぼ完本,「播磨国風土記」,「肥前国風土記」,「常陸国風土記」,「豊後国風土記」がそれぞれ一部欠損した状態で残っているそうです。今度ひまな時に読んでみたいと思っております。

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