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弁護士ブログ

2009/06/04

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 何とはなしに,久しぶりに三島由紀夫の本を読みたい気になった。大学時代以来,全く読んでいなかったからだ。これまで三島由紀夫の作品は相当に読んだが,最晩年のいわゆる「豊饒の海」四部作は全く読む機会がなかった。それで手始めに,第三巻目の「暁の寺」を手に取って読み始めた。で,でも・・・,直ぐに挫折してしまった(笑)。菱川という登場人物の「芸術というのは巨大な夕焼けです。」で始まる長々とした台詞を読んでいて,嫌気がさしてしまったのだ。他の三島作品は,大学時代には魅せられたように読み進んでいったのに,この「暁の寺」の最初の部分はやたら読み辛かった。

 

 ある平日のランチの後,いつものように行きつけの書店をブラブラしていたら,本当に懐かしい本の表紙が目に付いた。僕が小学生のころ,今は亡き父が読んでいた本の表紙が目に入ったのである。その表紙のほぼ真ん中に温厚そうな紳士の写真が配置されている比較的シンプルな装丁の本。「道は開ける」(D・カーネギー,香山晶訳,創元社)という本だ。亡き父は休日には本を読んだりしていた。今となっては父がどんな本を読んでいたのかは全く覚えていないが,この本の存在だけは何故だか覚えていた。当時はこの本がいつも書棚にあったので,図書館から借りてきたものではなく,購入したものだと思う。

 

 書店でこの本を見つけた時,すごく懐かしい思いがした。小学生だった僕がこの本の内容を知る由もなかったし,その後も,この本の著者と,いわゆる鉄鋼王のカーネギーとを混同し,どうせ企業家の成功談なのだろうと誤解したりしていたため,読む機会もなかった。ちょうど亡き父がこの本を読んでいた時期は,父が独立する前の会社員時代だったことは間違いなく,どんな心境で,どんな関心をもってこの本を読んでいたのだろう。

 

 この本はまだ半分ほどしか読み進んでいないが,この本が超ロングセラーで現在でも新装版が書店に並べられている事実は十分にうなずける。内容的に素晴らしいのである。含蓄がある表現が多く,困難を実際に体験した者でなければ理解できないような処世訓,哲学が散りばめられている。各章の表題は「悩みに関する基本事項」,「悩みを分析する基礎技術」,「悩みの習慣を早期に断とう」,「平和と幸福をもたらす精神状態を養う方法」,「悩みを完全に克服する方法」,「批判を気にしない方法」,「疲労と悩みを予防し心身を充実させる方法」,「私はいかにして悩みを克服したか【実話三十一編】」というものだ。参考になり,説得力があり,心に残る表現をいちいち引用していたらきりがないくらいである。でも,例えば今日読み進んだ部分の中で,気に入った表現は次の2つである(116頁,142頁)。

「気にする必要もなく、忘れてもよい小事で心を乱してはならない。『小事にこだわるには人生はあまりにも短い。』」
「神よ、われに与えたまえ、変えられないことを受けいれる心の平静と、変えられることを変えていく勇気と、それらを区別する叡知とを。」(ラインホルト・ニーバー博士の言葉)

 それに,この本を読んでいて,海外の文献における訳者の重要性を痛感した。訳が素晴らしいのである。当然のことながら,良い訳というのは,原文となった言語に精通するだけでなく,何よりも美しく正確な日本語を使いこなせ,深い教養がそのバックボーンになければならない。

2009/05/20

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 本を買う時には2通りある。ぶらーっと何気なく書店に行き,何のお目当ての本などなしに店内を回り,これはと思う本を手にとってパラパラめくり,よし読んでみようと思って買う方法。もう1つは,新聞や雑誌の広告や書評を目にして,「これは一度読んでみようかな。」と思って買い求める方法である。どちらが多いかというと,はやり半々くらいである。書店で衝動買いしてしまって,読んでみたらそれほどでもなく,やはり書評などで他者から評価されているものがいいなと思うこともあるし,かといって,書評等で評価されていても実際に読んでみると自分にとってはガッカリしてしまうこともあるからである。

 

 最近,「ブルターニュ幻想民話集」(アナトール・ル・ブラーズ編著,見目誠訳,国書刊行会)という本を読んだ。これは新聞広告で興味を持ったからだった。たまにはこういう本もいいなと思ったのだ。広告やタイトルからして,柳田國男の「遠野物語」のフランス版のようなものかなと直感し,何やら好奇心が生じた(訳者のあとがきでは,やはり「遠野物語」のことに言及されていた。)。

 

 この本は割と興味深く読むことができちゃった。これはフランスのブルターニュ地方の漁民,農民の間に伝わる話を19世紀末に広く収集して著作されたものを,最近邦訳して刊行されたものである。「遠野物語」にはカッパや座敷童(ざしきわらし)などが出てきて,怖いような,でもそれでいてどこかほのぼのしたような雰囲気があるが,「ブルターニュ幻想民話集」に出てくる話は,生死に直結しているというか,リアルというか,ほのぼのとしたものを感じはしないものの,人生の深みを感じさせる。

 

 ある時,ふと最愛の人の姿が目の前に現れ,不思議だと思っていたら,同時刻ころにその最愛の人の乗った船が沈没して死亡したという話がある。同様に,ある女性が日曜日のミサに出かけるための身支度をしている際に,不思議なことが度々起こり,ちょうどその頃に兵士としてアルジェリアで戦っていた許婚者が戦死していたという話もある。妻が池でシーツの洗濯をしている時,見知らぬ女から「今洗っているそのシーツはいずれ夫を包む屍衣になる。」と不吉なことを言われ,現実にその直後に夫が自宅で死んでいるのを発見するという話。これらはいずれも,いわゆる「虫の知らせ」というやつだ。その他にも,ある者をからかってビックリさせるために,死んだふりをしていたら,本当に死んでいたというような話。アンクー(ブルターニュ伝説に多く登場する,死が人間化されたもので死神のこと。)にまつわる怖い話。アナオン(苦しんでいる死者の魂のこと。)にまつわる話で,ミサをあげることにより救われる話などが収録されている。また,幽霊の話もあるが,ふと目にする死者のその姿は概して生前の姿のままであり,日本の怪談に出てくるような異形ではない。・・・で,でも怖いことは怖い(笑)。

 

 この本のあとがきに書いてあったし,本当にそのとおりだと思ったのだが,ある地方の民話を読むときは,やはりその地方の歴史,宗教,習俗などに対するある程度の知識が必要とされるようだ。

2009/04/21

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 もう,一週間も前のことになるだろうか。仕事を終えて自宅に歩いて帰る途上で目にした月の本当に見事だったこと。まん丸でとても大きかった。その時に僕の頭に浮かんだのは,「あのような月をバッハも見たのだろうか。」という思いである。

 

 その時にそういう思いが浮かんだのは,何故だか分からない。古今東西というが,昔でも今でも,また洋の東西を問わず,月の姿は同じであって,僕がその音楽を心から愛するバッハを思慕してそのように思ったのか,それともある本の一節が頭のどこかに残っていたからなのかは分からない・・・・。その本というのは,「バッハへの旅」(加藤浩子著,東京書籍)。この本は,著者が,バッハ生誕の地アイゼナッハから終焉の地ライプツィッヒまで,その生涯と由縁の街を巡る旅の様子を写真入りで紹介した本である。この本のうち,ちょうどこの著者がバッハの活躍したケーテンを訪れた際の記述の中に,「あの月を、バッハも見たのだろうか。」(174頁)という表現があったのだ。

 

 この著者は,本当に心からバッハの音楽を愛しているのだと思う。この本の「あとがき」の一部を引用してみると・・・・・・・

 「バッハに導かれて、ここまできた。いつ出会ったか、記憶にないままに。けれど気づいてみたら、いつもバッハがいた。好きな作曲家は大勢いるのに、好きな音楽もたくさんあるのに、ふと佇んだとき、曲がり角にいるとき、いつもバッハがそこにいた。バッハはさりげなかった。そして強かった。・・・・・・・・だがその足跡をたどればたどるほど、私はバッハの音楽へのかぎりない愛を、音楽を極めたい、その高みに上り詰めたいというたぎるような情熱を、感じずにはいられなかった。それがどれほど破格であることか。それはバッハに魅せられたひとりひとりが知っている。バッハに慰められたひとりひとりが知っている。行く手の見えなかった私がここまで歩いてこられたのも、バッハの強さの、破格さの、証明であるように思えるのだ。・・・・・・・あなたが逝って二五○年。その間、いったいどれほどの人たちが、あなたの音楽に励まされ、慰められ、癒され、勇気づけられてきたことでしょう。はるかな時空の彼方から、私たちに寄り添いつづけてくれているあなたの音楽に出会えた幸せを、私たちは改めて噛み締めています。」(342~345頁)

 

 引用が長くなった。でも繰り返すが,この本の著者は本当にバッハの音楽を心から愛しているのだなあと思ったし,僕も全く同じ気持ちなのである。

 

 ただちょっと待てよ。僕が帰途に見た月の絵柄は,当然,「うさぎの餅つき」であった。でも,バッハが見た月の絵柄はこれと同じではないはずだ。僕が小さい時,確か世界各国で見られる月の絵柄自体は違うというようなことを教わった。よくよく調べてみると,ドイツでは,「薪をかつぐ男」だったり,「悪行の報いとして月に幽閉された男の姿」として見えるようである。ちょっと暗いというか,ネガティブというか,少なくとも日本で例えられるような(うさぎの餅つき),ほのぼのとした雰囲気はないようだ。ということは,バッハが見た月と僕が見た月とで共通していることは,丸いこと,大きいこと,明るいことの三つということですか(笑)。

2009/04/07

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 少し恥ずかしいのだけれど,最近食べることが楽しみで仕方ない。夜寝る前には翌朝の味噌汁の具は何がいいとか,アジの開きが欲しい,いや納豆も欠かせないとか,そんなことが頭に浮かぶ。散歩がてら歩いて職場に向かう途上も,昼はどうしよう,今日はすごく辛いカレーがいいかな,でもあっさり系の中華そばもいいな,いや待てよ,カレーといってもあの蕎麦屋のコロッケカレーそばも捨てがたいな,などと考えている。困ったものだ。午後3時を過ぎると,今度は仕事をしながら夕食のことを考えたりする。炊き込みご飯がいいとか,水炊きがいいとか・・・。年甲斐もなく,恥ずかしい。実はこのブログを書いている今でも,コーヒーだけじゃなくポテトチップスをかじっている。でも,食欲があるということは健康ということなのか。それにあの谷崎潤一郎も年老いてなお健啖家だったというし。

 

 それにしても,食い意地が張っているのも大概にしないといけない。ダンテの「神曲」の地獄篇第六歌によれば(平川祐弘訳,河出書房新社),地獄は全部で九つの圏谷(たに)があってその第三番目の圏谷(たに)が生前貪食(大食い)の罪を犯した者が墜ちるところだそうだ。そこでは,絶えず冷たい雨に打たれつつ,頭と喉と口が三つずつあるケルペロスという獰猛奇怪な獣に食われてしまう恐怖に苛まれながら過ごさなければならない。ただ僕の場合は,確かに食い意地が張ってなくもないが,大食いは嫌悪している。自分が食べ過ぎたり,大食いをしている人を見ると気持悪くなるのだ。大食いだけはしない。食べるのが楽しみというだけである。だから僕は大食いの罪で地獄の中の第三番目の圏谷(たに)へ墜ちることはないだろう。いや墜ちたくない。

 

 ダンテの発想,特に地獄篇での発想は非常に面白いなと思う。その次の第四の圏谷(たに)は,生前欲張りだった者と浪費家だった者が墜ちるところである。その受ける罰が面白く,僕が下手に要約するより,引用した方がその発想の面白さが伝わるだろう(ダンテ「神曲」,平川祐弘訳,河出書房新社26頁)。

 

「ウェルギリウスに叱咤されて、プルートンが倒れると、二人は第四の圏谷へ降りる。そこでは欲張りの群と浪費家の群とが、円周状の道の上を重たい荷物を転がしながら、渦巻のように互いに逆方向に向かって走り、円周上の一点まで来ると、出会い頭に罵り、殴りあい、挙句に双方ともまたもと来た道を引き返し、また向こうの一点でぶつかり殴り合う。・・・・・・・」

 

 生前,強欲だった者と浪費の限りを尽くした者とが以上のようなことをずっと繰り返すというのである(笑)。

2009/03/13

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 本日は,結局はクラシックの話なのだが,その前に尊敬する同業者に薦められた本の話を・・・。もう3年も前のことになるであろうか。同業者としても尊敬し,人間的にも面白いある弁護士から,「この本を読んでどれだけ癒されたことか」と言われ,「ダンテ『神曲』講義(改訂普及版)」(今道友信著,みすず書房)という本を薦められた。お薦めの言葉どおり,やはり良い本だった。特にそのように思えたのは,まずはダンテの神曲を実際に読んでからこの本に入ったので,この古典に対する理解をさらに深められ,感動をもって読むことができたからであろう。

 

 この本の最初の部分ではクラシック(古典)の意味について言及されていた。何と,クラシックという言葉には深い意味が込められていたのだ。引用すると,「クラシスとはもともと『艦隊』という意味で、クラシクスとは国家に艦隊を寄付できるような、そういう意味での愛国者でもあるし、財産も持っている人のことをさした言葉で、そこから転じて、人間の心の危機において本当に精神の力を与えてくれるような書物のことをクラシクスと言うようになったということである。もちろん書物ばかりではなく、絵画でも音楽でも演劇でも精神に偉大な力を与える芸術を、一般にクラシクスと呼ぶようになったのである。」とある(5~6頁)。

 

 古典的な書物から確かに勇気を与えられたり,インスピレーションを感じたりすることはある。また,好きなクラシック音楽から(特にバッハ様),癒しを与えられたり,優しい気持ちを取り戻させたり,勇気を与えられることもある。皆さんもどうですか,これからクラシックの世界へ足を踏み入れてみては。

 

 僕はというと,そういえば,確かクラシックという名前が付いたビールがあったんじゃないか,少なくともクラシックラガーというのがあったなというのを今思い出した。今晩は,そういう名前のビールを飲んでみよう。飲み過ぎちゃいけないけど,そのビールを飲んで精神に偉大な力を与えてもらおう。ゴク,ゴク,ゴク,ぷふぁーっ(笑)。

2009/03/11

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 疲れて居間のソファに横たわる。肘掛けの部分の高さがちょうど枕代わりになる。ここに頭を置いて,しばらくボサーっとしていた。何気なく本棚の方に目をやると,「10歳の放浪記」(上條さなえ著,講談社)という本の背表紙が目に入った。そういえば,これは良い本だった。新聞だったか,雑誌だったかの書評を読んで早速買い求め,早速読んだ本だ。「平成18年11月30日第1刷発行」とあるから,今から約2年前,時間があまりない中,確か1日か2日で読み終えたと思う。読みながら,不覚にも何度も涙が出てきた。泣ける本である。

 

 著者自身の実際の体験がつづられたもので,10歳ころの約1年,父とともにホームレス生活を余儀なくされた当時の話である。著者が母親から,とりあえず1日だけ千葉県の九十九里村にある母親の兄の家でお泊まりしなさい,「次の日には迎えに行くから。」と言われて,そこへ行く。でも翌日,母は迎えには来なかった。近くのバス停には午前9時,午後3時,午後5時の1日3回のバス到着があり,著者がはやる気持ちを抑えきれず3回ともバス停に行くが,バスから降りて来る乗客の中にやはり母の姿はない。来る日も来る日も・・・・・。著者は雨の日もバス停に行って待っているのだが,それでも母の姿はない。慣れ親しんだ小学校へも行けずに。すごく切ない展開だ。

 

 その後約1か月ほど経って再び母と暮らす。著者は,母から,「お父さんに会って,決して来てくれるなって言うのよ。これで精一杯ですって言うのよ。」と言われて薄い茶封筒を渡される。母にお金を無心する父に少しばかりのお金を渡す役を命じられるのだ。父と会った著者は,みすぼらしく変わり果てた父の姿に恥ずかしさを覚え,幼いながらも,一刻も早く父とその場は別れたいと思う自分を冷たい人間だと自らを責める。クリスマスだからと10円玉を握らせてくれた父が見送る中,都電に乗り込んだ著者は,乗客に涙を見られまいと電車の進行方向を向いて,それでも姿が小さくなっていく父を振り返りながらまた涙を流す。

 

 その後は,親の都合(父が事業に失敗して借金取りに追いまくられる)で,とうとう小学校へも行かず,いよいよ父とともに約1年間にわたって簡易宿泊所での生活が始まる。朝に簡易宿泊所を出てからは,昼間工事現場で働く父と合流するまでと,父と昼食を一緒にとってから夜に簡易宿泊所に行くまでの時間帯は,著者は僅かなお金でずーっと外で時間をつぶさなくてはならない。寒くても・・・。父が心配するからと,著者は本当は泣きたい気持ちを必死に抑えて,父の前では気丈に振る舞う。幸い著者は,父とのホームレス生活を約1年で終え,親とは離れつつも,施設に入って再び小学校に通えることになる。そして,そこにいる山下先生の真の優しさ。

 

 この本は,ちょっとやそっとのことでめげてはいけないという意味で,大きな勇気を与えてくれる。何気なく本棚に目をやり,その背表紙を見つけたこの本のページを久しぶりにめくってみた。次のくだりが目に入った時,また泣けてきた。

  「わたしが自分自身の出来事について書く決心をするまでに、作家となって二十年の歳月を要しました。それはわたしの心の中に、書いたら父母がかわいそうという気持ちとともに、父母に対する恨みがほんの少しでもあったら書けないという気持ちがあったからです。今は、仏となった父と母に、ただ感謝とお礼の気持ちを伝えたいと思いました。この世に生をあたえてくれたことへの感謝とお礼の  気持ちです。今、心から父と母へ、『この世に生んでくれて、ありがとう』という言葉を贈ります。」

2009/02/16

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 夜にお風呂に入るときは入浴剤を入れている。クナイプの岩塩入浴剤を楽しんだり,日本の温泉入浴剤を楽しんだりしている。昨夜は箱に10袋くらい入った温泉入浴剤をバラバラにして,目をつぶって「今日はコレ!」と選んでバスタブに入れた。昨夜目をつぶって選んだのは「那須塩原温泉」だった。2年前に旅行で行った温泉だ。歴史が古く,文人墨客も愛した名泉である。

 

 亡き大平正芳元首相は,休日や旅行の際には読みたい本を何冊も持って,本当に嬉しそうに旅行先などで読書を楽しんだそうだが,僕も昔から読みたい本を温泉場でゆっくりと味わうのを至上の喜びとしてきた。那須塩原温泉で思い出したが,この時に読んだ本の素晴らしかったこと!

 

 その本のタイトルは「逝きし世の面影」(渡辺京二著,平凡社ライブラリー)である。この本の価値は,僕の拙い言葉,表現力では到底伝えきれない。感動したし,繰り返し何度も読み返したい。この本は,開国前後に日本に訪れた外交使節,通訳,学者,旅行者らによって表現された旅行記,日本人評,日本文明評などを紹介し,著者自ら「失われた文明」を深く考察しているものである。その当時確かに存在した文明を初めて目にし体験した異邦人による評価の方が,より鮮明かつ客観的にその特徴を浮き彫りにできるのではないだろうか。礼儀正しさ,優しさ,質素,清潔,明るさ,子供たちの可愛らしさ。「いいことづくめで,どうなのよ。」と引いてしまう方もいるかと思うが,例えば,「第十章 子どもの楽園」の中から,若干引用してみよう(411頁以下)。

 

「チェンバレンの意見では、『日本人の生活の絵のような美しさを大いに増している』のは『子供たちのかわいらしい行儀作法と、子供たちの元気な遊戯』だった。日本の『赤ん坊は普通とても善良なので、日本を天国にするために、大人を助けているほどである。』モラエスによると、日本の子どもは『世界で一等可愛いい子供』だった。かつてこの国の子どもが、このようなかわいさで輝いていたというのは、なにか今日の私たちの胸を熱くさせる事実だ。モースは東京郊外でも、鹿児島や京都でも、学校帰りの子どもからしばしばお辞儀され、道を譲られたと言っている。モースの家の料理番の女の子とその遊び仲間に、彼が土瓶と茶碗をあてがうと、彼らはお茶をつぎ合って、まるで貴婦人のようなお辞儀を交換した。『彼らはせいぜい九つか十で、衣服は貧しく、屋敷の召使いの子供なのである。』彼はこの女の子らを二人連れて、本郷通りの夜市を散歩したことがあった。十銭ずつ与えてどんな風に使うか見ていると、その子らは『地面に坐って悲しげに三味線を弾いている貧しい女、すなわち乞食』の前におかれた笊に、モースが何も言わぬのに、それぞれ一銭ずつ落とし入れたのである。この礼節と慈悲心あるかわいい子どもたちは、いったいどこへ消えたのであろう。しかしそれは、この子たちを心から可愛がり、この子たちをそのような子に育てた親たちがどこへ消えたのかと問うこととおなじだ。・・・・・・・」

 

 これは当時の子供たちの様子に触れた箇所であるが,その他の章(テーマ)においても,このような描写,表現が至る所に散りばめられている珠玉のような名作だ。日本人には,その根底部分には,その心性として,惻隠の情,敵に塩を送る思いやり,卑怯を憎む心,礼節,潔さなどがあって,それらはまだ残っていると信じたい。著者は,本書を著した意図について「私の意図はただ、ひとつの滅んだ文明の諸相を追体験することにある。」(65頁)と述べているが,僕なんかは追体験するにとどまらず,かつてあった文明の良い面は何とか復活して欲しいと切に願う一人なのである。

2009/01/27

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 前にこのブログで,種田山頭火が非常に気になる存在だと書いた。山頭火の評伝(伝記)はいくつかあるのだろうが,ミネルヴァ書房から出ている「ミネルヴァ日本評伝選」シリーズの「種田山頭火」(村上護著)が決定版ではなかろうか。研究し尽くされた非常によい本だ。種田山頭火(本名,種田正一)は,満で9歳の時に母親が自殺し,その後年,実弟も自殺している。これらのことが山頭火のその後の人格形成に影響を与えなかったはずはない。それはそれとして,この本によると,どうやら山頭火の俳句は諸外国でも人気が高く,あちこちで翻訳されて,今や芭蕉に次ぐ存在になりつつあるとのことだ。

 

 味わう者に語りかけることが多く,その心にずっしりと残る非定型句。彼は,結局妻子を捨てたに等しく,仏門に入って修行と堂守の生活に落ち着くかと思いきや,漂泊の行乞の旅に出る。鉄鉢を手にした托鉢僧姿で来る日も来る日も歩き,句作を続けた。

 

    「どうしようもないわたしが歩いてゐる」

    「しぐるるや死なないでいる」

    「だまつて今日の草鞋穿く」

    「まつすぐな道でさみしい」

    「雨だれの音も年とった」

    「鉄鉢の中へも霰」

 

 木賃宿というのは今もあるのだろうか。旅人がその日の夕食として炊いてもらうお米を宿に持ち込み,炊くための薪代を支払って泊まる宿である。山頭火は,手にした鉄鉢に入れてもらった「もらい」のお米を宿に預け,それがその日の夕食になり,薪代になり,現金になるのである。今日のように真冬の行乞の旅はさぞ厳しいものであったろう(特にしぐれたりしたら・・・)。僕にはとても真似できないし,真似しようとも思わない。僕にも普通の生活があり,山頭火のように,半ば「諸縁放下」(徒然草)する訳にもいかない。でも,山頭火の句は魅力的で,その心情を思いやると何かしら理解できる部分もあり,イメージの中で山頭火の追体験をしたがっているのだろうと思う。

 

   「荒海へ脚投げだして旅のあとさき」

   「ついてくる犬よおまへも宿なしか」

   「ひとり焼く餅ひとりでにふくれたる」

   「たんぽぽちるやしきりにおもふ母の死のこと」

   「濁れる水の流れつつ澄む」

(山頭火の場合は気が向いたらいつかに続く)

 

2009/01/06

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 テレビを見ていたら,NHKがどうやら今年の秋からドラマ「坂の上の雲」を放送するということである。以前からそのような情報には接していたが,いよいよかという感じで非常に待ち遠しい。

 

 一生のうちで何度も何度も読み返したいという本は何冊かあるが,司馬遼太郎の「坂の上の雲」はそのうちの一冊である。文庫本のサイズで8巻ある長編だが,読破するのにさして苦痛などはないどころか,深い取材力に裏付けられた内容に思わず引き込まれてしまう。あぁ,昔はこのように立派で無私の日本人が数多く存在したのだなぁ,と感動を覚える。

 

 この「坂の上の雲」の中で強く印象に残る登場人物を挙げろといわれたら非常に困る。秋山好古,真之の兄弟,児玉源太郎,落命した無数の無名兵士のことに思い至るのはもちろんであるが,全部読破した後でも何かしら心に残る人物の一人として広瀬少佐がある。ロシアバルチック艦隊の旅順港への入港を阻止するための旅順港閉塞作戦というのがあった。広瀬少佐率いる隊の船が撃沈された際,どうしても見当たらない部下の一人を指揮官として最後まで三度にわたって船内(船底まで)捜索し,断腸の思いで諦めてボートに移った直後に敵の砲弾を受けて戦死してしまう。撤退のためのボートは敵の探照灯(サーチライト)で照らされ,今にも砲弾の直撃を受けてしまうような状況で,ボートを漕ぐ部下らは恐怖で引きつっていたであろう。小説によると,そのような中で広瀬少佐は,「みな,おれの顔をみておれ。見ながら漕ぐんだ」と言って部下を懸命に励ましている最中に砲弾の直撃を受けて戦死したという。

 

 極限状況下で,この部下思いの深さや勇気は一体何なのだろう。僕がこの長編を読み終わる最後までこの人物の存在はずっと僕の心をとらえていた。前日のブログで,不安を感じる僕を勇気づけるような,心に響いた言葉を紹介したが,広瀬少佐(その後中佐)のこの勇気も僕の士気を限りなく鼓舞してくれる。

 「坂の上の雲」は近々また読んでみたい。でも,司馬遼太郎がこの小説のタイトルを「坂の上の雲」にした理由は僕には未だに分からずじまいである。もう一度読み直したら分かるだろうか・・・。

 

 

 

2008/12/24

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 寒くなった。ようやく冬らしくなった。先日は,少しばかり時雨れていたし・・・。

午前中に歩いて法廷へ行く途中,消極的ではあるが幸運な出来事があった。並木になっている歩道をトボトボ歩いていると,7,8メートルほど先の木の枝に鳩が僕の方に背を向けて留まった。何となくであるが自然に僕の足が止まった。その2,3秒後にその鳩が後ろに向けて白っぽいフンを機関銃のように発射してきたのだ。

 

 よ,よかったーっ。そのまま歩いていたら,件のものが僕の顔面かあるいは黒のオーバーコートの襟付近を直撃することは必定であった。もしそのような事態にでもなったら,件のそれをハンカチで拭くだけで法廷で訴訟活動を行わなければならなかったし,何よりもその日は一日中気分的に凹んでいたはずだった。自分の危険予知能力も満更ではないなと思った。そのたぐいまれなる危険予知能力が,待ちかまえていた凄惨な結果,過酷な運命を首尾よく回避させることになったからである。「消極的な幸運」とでも言える出来事であった。

 

 時雨れるといえば,僕は,種田山頭火の句の中でも次の句が最も好きな一つである。 

 

     自嘲 「うしろすがたのしぐれてゆくか」

 この句の解釈にもいろいろのものがあるが,理屈抜きでシンミリくる。僕にとって山頭火が気になる存在になったのは,おそらく高校生の時からだったと思う。現代国語という教科の中で,山頭火が尾崎放哉らと並んで,五七五の定型句ではなく,自由で非定型の句を詠み,漂泊の俳人だったということを知ったのだ。山頭火だけでなく,尾崎放哉の次の句に直面した時は,ショックであったし,強い感動を覚えたものである。

         「咳をしても一人」

 このようなことから,特に山頭火はどういう訳か気になる存在になった。彼の句が非常に好きになってしまったのである。いくつか挙げてみよう。

         「何とかしたい草の葉のそよげども」

         「寝るよりほかない月を観てゐる」

         「分け入つても分け入つても青い山」

         「うどん供えて、母よ、わたくしもいただきまする」

         「一杯やりたい夕焼空」

         「すべってころんで山がひっそり」

     (いつかに続く)

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