少し前のブログで触れたように,大学卒業から社会人1年生の頃にかけて,その演奏をこよなく愛し,愛聴していた指揮者のカール・リヒターとピアニストのグレン・グールドの急逝という残念な出来事があった。でも,ガッカリしてばかりはいられない。昭和58年頃からの数年間,僕もいよいよブルックナーとマーラーの音楽にうなされることになる。「うなされる」といった表現を使ったのは,ある音楽評論家が,クラシックファンの多くは一時期ブルックナーやマーラーにうなされる時期があるというようなことを言っていたからであり,僕自身実際に熱中していたのである。
ブルックナーの交響曲は,「ブルックナー開始」といわれる弦のトレモロによる独特で幽玄な響きから始まり,重厚・長大ではあるが決して冗長でない,そして宇宙的な拡がりを感じる音楽である。うまく表現できないがやはり魅力的なのである。雑誌だったか,新聞だったか思い出せないが,ドイツではブルックナーの音楽が原因で,ある夫婦の離婚問題にまで発展したそうな。妻はブルックナーの音楽を熱狂的に好み,朝から晩まで,そして寝室でもその音楽を流していたため,夫はそれに辟易して結局離婚に至ったというのである。やれやれ,である。当時僕がよく聴いていたのは,いずれも交響曲で,第3番「ワーグナー」(ジョージ・セル指揮,クリーヴランド管弦楽団),第4番「ロマンティック」(ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮,ヴィーンフィルハーモニー管弦楽団),第6番(オイゲン・ヨッフム指揮,楽団は忘れた),第7番(ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮,ヴィーンフィルハーモニー管弦楽団),第8番(ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮,ヴィーンフィルハーモニー管弦楽団,ハンス・クナッパーツブッシュ指揮,ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団),第9番(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮,ベルリンフィルハーモニー管弦楽団)などである。
ブルックナーの交響曲の中で最も好きなのは,やはり第8番(ハ短調)である。演奏はというと,もちろんフルトヴェングラーも良いが,ひょっとするとクナッパーツブッシュ指揮の方がスケールが大きいかもしれない。いずれにしても,ブルックナーの音楽が原因で離婚問題にまで発展するというのはいかがなものかと思うが,それくらい魅力的なブルックナーの世界ではある。また,今思い出すと,寝る時によくブルックナーの交響曲を聴いていたように思うし,疲れている時などはよく眠れた(笑)。
もう仕事にかからなければならないので,グスタフ・マーラーの音楽に熱中していた頃のことは,次回に譲りたい。
少し前のブログで,ピアニストのグレン・グールドが対位法への憧れの気持ちをもっていたようだと述べた。僕もそうである。対位法というのは,2声部以上の複数の旋律が互いにその独立性を失うことなく共存し,同時に鳴り響いてもバランスを保っている状態を作り出す作曲技法である。
バッハのフーガなどがこの対位法という作曲技法を駆使した典型だろう。主題(テーマ)が提示された後,右手と左手が互いに掛け合って,美しい織物のように展開していく。それがとてもカッコ良いのであるよ。バイエル教則本のように,基本的には右手が主旋律を奏で,左手は「ドミソ,ドミソ」,「ドソミソ,ドソミソ」みたいに伴奏をしていくというのは分かりやすいが,対位法では右手も左手も独立しつつ,美しい調和を保っている。どことなく知的な感じもするのじゃよ。
でも,ピアノのテクニックとしては確かに難しく感じる。子供たちがそれまでは順調に進んで来たのに,バッハのインベンションに入ってからはとたんに練習を嫌がる,ピアノに対する興味を失うことがあると以前聞いたこともある。分かる気もする。でも僕の場合は,対位法への憧れの気持ちから,バッハの平均率クラヴィーア曲集(第1巻,第2巻)のうち,この不才の自分でも何とかなるものだけをごく一部選んで挑戦したい。とりえあず,平均率第1巻の第1番目のフーガと第2巻の第7番目のフーガに挑戦する所存であります。弾けるようになるには,相当に時間がかかるとは思いますが・・・・・・。あたかもトンネル工事のように。
それにしても,対位法という技法により作曲されたものをピアノで弾くには,事前準備としてすごく良い練習本がある。「プレ・インベンション」(日下部憲夫編,全音楽譜出版社)である。その副題は「J.S.バッハ・インベンション-のまえに」とあるように,事前トレーニング用に最適である。ただし,上級者には無用なのかもしれないが・・・。その本の内容としては,その美しいメロディーのせいか僕が子供の頃から頭の中に残っていたJ.クリーガーのメヌエットも含まれている。この本のおわりに「◇複数の旋律を聴き分けられる聴覚の能力 ◇複数の旋律を弾き分けられる技術の能力」を確認しながら練習してくださいとある。正に対位法に慣れるに最適である。
4月初めに街を歩いていると,いかにも新規採用と思われる初々しい社員,職員の姿が目に付く。いでたちはというと最近は就職活動時期のみならず,就職後も黒のスーツ姿がすごく多い。黒のスーツが主流というか,流行なのだろうか・・・。思い起こせば,かなりの昔,僕も新規採用の当日か翌日くらいにはすぐに職場で花見があって,桜の木の下で随分と飲まされて閉口したことがある。懐かしいなぁ。あのころは社会人の第一歩を踏み出した者として,不安もあったがそれをはるかに上回る期待と可能性を感じていたものである。あぁ,随分と年をとってしまった。
それにしても,新規採用といえば,やはり德永英明の歌がいい・・・・・・・・。・・・・・・・。いや,やっぱり無理があるね。フッ,フッ,フッ。新規採用だからといって,何で德永英明の歌に結びつくんだ(笑)。でも,全国約6127万4308人の僕のブログファンのためにも(笑),唐突で何の脈絡もない展開にしてでも,なりふり構わずブログだけは更新しなきゃ・・・。
石川ひとみの「まちぶせ」,中森明菜の「セカンド・ラブ」,松任谷由実の「卒業写真」などは,昔から好んでカラオケで歌っていた。德永英明の「ヴォーカリスト1~3」というアルバムでこれらの曲のカヴァーを聴くと,改めてこれらの曲のすばらしさと德永英明という歌手の凄さを感じる。
僕はカラオケに行くと,最初は腹式呼吸などをし,発声練習がわりに「ゲゲゲの鬼太郎」(古いヴァージョンのやつ),山口百恵の「いい日旅立ち」を歌う。これで声を作った後は,好きな曲を他の人を気遣いながらも歌う。最近では,「君が代」も歌う。「君が代」は曲としても素晴らしく,2回歌ったこともある。ちょうど「君が代」の最中に,注文しておいたビールとおつまみをカラオケの店員さんが部屋に運んでくれた時,苦笑いをされたが,へっちゃらである。名曲だと思う。
「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん・・・・」(梁塵秘抄)
真夏や横なぐりの雨でもない限り,運動のために僕は自宅から事務所まで歩いて通勤している。片道約25分,往復約50分である。散歩がてらの通勤で,気障だけど季節を感じることがよくある。もう冬用のコートはクリーニングに出してしまってあって,スーツだけで通勤しているが,さすがに昨日の帰途は寒かった。通勤経路の桜は満開で本当に見事だったが,この時期の一時的な寒の戻りというか,花冷えの夕刻であった。
それにしても,花冷えといえば,德永英明の歌がいい・・・・・・・・。いや,やはり無理があるね。フッ,フッ,フッ。花冷えだからといって,何で德永英明の歌に結びつくのか。絶対に唐突だ。いやね,正直言うと,頻繁にブログを更新するのはいいのだけれど,さすがに僕もブログのネタ切れになるのよ。でも,全国約6127万人の僕のブログファンのためにも(笑),唐突で何の脈絡もない展開にしてでも,なりふり構わずブログだけは更新しなきゃ。
ただ,実際に僕は,德永英明の歌に凝っている。このアーティストの名前は以前から知ってはいたが,その歌っている曲はほとんど知らなかった。きっかけは,NHKの「SONGS」という約30分の番組で德永の歌が好きになった。何となくではあるが,德永英明自身はすごく男性的なんだとは思うが,その歌声はどこか中性的で「癒し」の効果がある。現に,「ヴォーカリスト1~3」というアルバムはいずれも女性歌手の名曲のカヴァーである。非常に良いシリーズだ。
それに,彼がもやもや病という難病を克服して復活したということも同じ年代としてすごいと思う。さて,カラオケでも随分練習したのだけれど,僕が彼の曲で非常に好きなのは,「最後の言い訳」,「愛が哀しいから」,「僕のそばに」,「レイニーブルー」(デビュー曲),「壊れかけのRadio」,「抱きしめてあげる」,「輝きながら・・・」などである。
あぁーっ。カラオケ行きたいー。
昨日は日曜日だけど,バッハの「マタイ受難曲」の合唱練習に行ってきた。昨日の練習会場は自宅から歩いていける距離だった。毎週火曜日は定期的な練習があり,月に1回はこのような日曜練習がある。正直言って,毎週火曜日の練習は,自分の仕事を終えて午後6時30分から午後9時までなので,大変疲れる。でも,いつでも練習後は,今日も練習に参加して良かったと心から思えるのである。「マタイ受難曲」の凄さである。昨日の日曜練習でも練習しながらこの曲の凄さに感動している有様である。
この練習は今年の秋の上演を目的に行われている。恥ずかしいのだが,本当のことを言うと,本番中に自分がステージ上で唱っていて感極まって泣いてしまったらどうしようという切実な不安がある。僕はここで笑ってはいけないという場面では大抵笑ってきてしまった前歴があるし,ここで泣いてはいけないという場面では踏みとどまることができるであろうか。いっそのこと,肌色のアイマスクに目を描いて,アイマスクの下で思い切り泣けるようにしておこうか。でもそれだと,指揮者の指揮棒も,スコア(総譜)も見られなくなってしまう・・・・・・。この「マタイ受難曲」に対する思い入れがこんなに強くなってしまった理由は自分自身でも分からないが,やはり理屈抜きでこの曲が好きだとしか言いようがない。
ところで,今年(2009年)は,メンデルスゾーンの生誕200年だそうだ。1809年生まれ。1810年にはショパンとシューマンが,1813年にはリヒャルト・ヴァーグナーがそれぞれ生まれているから,この時期にはそうそうたる作曲家が輩出されたことになる。このメンデルスゾーンは,20歳の時,すなわち1829年に「マタイ受難曲」を復活上演(蘇演)するという偉業,価値ある仕事を成し遂げている。残念ながらその当時は,バッハが亡くなってから(1750年),まだ100年も経っていないというのに,バッハが既に忘れ去られ,「マタイ受難曲」も演奏されることがなかった。このメンデルスゾーンによる「マタイ受難曲」の復活上演(蘇演)は,アリアの約3分の1が割愛されたり,その他多くの手が加えられての上演だったが(その場には哲学者ヘーゲル,詩人ハイネもいたという),これを機にこの曲だけでなくバッハの音楽が再評価されるに至った。ありがたいことである。感謝のしるしに,今晩はメンデルスゾーンの無言歌集でも聴こうかな・・・。
大学卒業から社会人1年生の頃にかけて,自分にとっては音楽愛好家としての衝撃的なことが相次いで起こってしまった。その演奏をこよなく愛し,愛聴していたアーティストが亡くなったのである。1981年2月に亡くなった指揮者のカール・リヒターと,1982年10月に亡くなったピアニストのグレン・グールドである。それぞれ54歳と50歳であったから,正に急逝だった。
今も思い出すのは,大学生時代にはカール・リヒター指揮,ミュンヘンバッハ管弦楽団演奏のバッハのブランデンブルグ協奏曲全曲をしょっちゅう聴いていたことである(グラモフォンから出ているレコード)。そのレコードは,確か第1番,第3番,第6番がカップリングされたものと,第2番,第4番,第5番がカップリングされたものに分かれていたと思う。リヒターの演奏は,それこそバッハの真摯な求道者で,誠実さを感じるものだった。それに何よりも,アルヒーフから出ているバッハの「マタイ受難曲」(1958年録音)とバッハの「ミサ曲ロ短調」(1961年録音)が本当に素晴らしい。この2つの録音には,アルトのヘルタ・テッパー(それは母なる大地と表現してもいいような包容力のある歌声),バスのキート・エンゲン,バスのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ,テノールのエルンスト・ヘフリガーの各ソリストが共通している。ああ,癒されたいなと思う時は今でもよく聴いて感動している。僕があの苦難のオーディションを受けて合唱団に入り,現在「マタイ受難曲」の練習に励んでいるのも,リヒターの演奏を聴いて感動した若き日の体験がその淵源にあるのである。
そして,ピアニストのグレン・グールド。僕はバッハ「平均率クラヴィーア曲集第1巻,第2巻」が非常に好きで,ここに含まれている全部で48曲のプレリュードと48曲のフーガは宝石箱の珠玉。正に小宇宙を構成している。今でも,これを聴いて触発され,ピアノの下手な自分をして何とかその一部のプレリュードやフーガの練習に駆り立てている(僕もグールドと同じで,対位法に憧れる部分があるのである)。そして,この「平均率クラヴィーア曲集第1巻,第2巻」の彼の演奏を大学生時代にこよなく愛していた。そして,グールドの死の直前(1981年)に再録音したバッハのゴルトベルク変奏曲も素晴らしい。同じ曲の1955年録音盤と聴き比べた場合,僕は最晩年の1981年録音の方が好き。ただ,ちょっと言わせてもらうと,グールドの演奏で好きなのはバッハだけである。彼の演奏するモーツァルトのピアノソナタ第8番イ短調(K310)を聴いてから,バッハ以外は聴くまいと少し食わず嫌いになったのかもしれない。そのグールドは,夏目漱石の「草枕」を愛読していたそうな。日本人でありながら僕はまだ読んでいない。近々読んでみたいと思う。
いずれにしても,大学卒業から社会人1年生の頃にかけては,愛聴していたアーティストが相次いで急逝し,衝撃を受けてしまったことを今でも覚えている。
元気のない日でも,幸い,朝ご飯はとても美味しい。うちでは伝統的に,朝は,白いご飯に,味噌汁,納豆は定番で,そのほかにアジの開きだったり,卵焼きだったり,簡単な一品が添えられる。朝食はしっかりとるのである。これこそ大人と子供の基本である。
それはそれとして,やはり本日は音楽の話。これまたうちでは,伝統的に,朝ご飯の時はテレビなどは一切見ずに,音楽を聴きながら朝食をとる。ただ,いつも朝食そのものは美味しくても,あまり気の乗らない平日の朝は確かにあるものだ。できれば今日は自宅で仕事をしたいなぁといったような・・・。そういう日は,自分を何とか鼓舞するために,バッハの教会カンタータ第147番「心と口と行いと生活で」を聴きながら朝ご飯を食べるようにしている。
そうすると何となくやる気が出てくる。この教会カンタータ第147番は,バッハが働き盛りの38歳の時に成立,完成した傑作である。この147番は,やはり何といっても,第6曲と第10曲に位置する「主よ,人の望みの喜びよ」があまりにも有名であろう。でも僕があまり気の乗らない平日の朝に自分を鼓舞するために好んで聴くのは,むしろ第1曲の方である。ハ長調,4分の6拍子。何やら祝祭的な,軽快なトランペットソロとオーケストラとの協奏で始まる。特に通奏低音部の軽快なリズムが僕の気分を高揚させるのだと思う。
バッハも人間。ライプツィヒの聖トーマス教会のカントルとして,やりがいがある一方で,ストレスがたまり,やる気をなくす時もあったであろう。多くの教会カンタータの中には自分の士気を鼓舞するために作曲,演奏したものもあったのではないかと思う。僕の場合は,第147番の第1曲目だ。さあ,今日も頑張るか。
大学時代の僕の音楽の興味に関し,ビートルズとシャンソンについて前にもこのブログで触れたけれど,やはり本籍地がクラシック音楽であったことは間違いない。クラシック音楽といっても,中学,高校時代まではショパンのピアノ曲が中心であったが,大学に入ってからは,鑑賞のレパートリーが格段に広がった。広がり過ぎて,この時代に聴いた音楽のことをしゃべり始めるときりがなくなるので,いっそのこと,この時期に熱狂したアーティストですごく印象に残っている一人のことだけを紹介したい。
それは,ドイツの指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーで,この人はアーティストというより,20世紀を代表する巨匠(マエストロ)だ。僕の自宅の食器棚には,フルトヴェングラーの顔とサインが刻まれたマグカップが今も2つ大切に保管されている。確か,東芝EMIがフルトヴェングラーのレコードを購入するとこのマグカップをプレゼントするというキャンペーンか何かをやっていたと思う。のどから手が出るほど欲しかった。何で2つ獲得したかというと,1つだと割れてしまった時のことが不安で,念のためにもう1つ欲しかったからだ。
フルトヴェングラーは,ハンス・フォン・ビューロー,アルトゥール・ニキシュの後,第3代目のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任し,ヨーロッパの人々だけでなく全世界に感動を与え続けた名指揮者,巨匠である。僕の大学時代に持っていたフルトヴェングラー指揮のレコードを何とか思い出してみる。確実に記憶しているのは,ティタニア・パラストで演奏したブラームス交響曲第1番,この盤にはベートヴェンのエグモント序曲も含まれていたと思う。あとは,ベートーヴェン交響曲第7番,この盤にはワーグナーの楽劇ニュルンベルクのマイスタージンガー第1幕への前奏曲も含まれていたと思う。あとは,ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」で,これは確かオーケストラはヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団。第2楽章では会場内で何か道具が倒れるような音まで録音されてしまっているやつだった。それから,ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」で,ルツェルン音楽祭での演奏のもの。これは1954年8月下旬の演奏で,フルトヴェングラーが亡くなる約3か月前のものである。フルトヴェングラー指揮のこの曲の極めつけは,バイロイト音楽祭でのものを挙げるファンが多いであろうが,僕はルツェルンのやつがいい。聴衆の中には「これがフルトヴェングラーの最後の第九だろう。」との切ない思いで,ハンカチで涙を拭きながら聴いていた者も多かったらしい。大学時代に聴いたフルトヴェングラー指揮のレコードはまだ他にも多数あったと思うが,今となってはあまりはっきりと思い出せない。
昔も今も,フルトヴェングラー指揮の演奏が何故好きなのか,心を動かされるのかについては,やはりうまく説明できない。その指揮法は同時代のアルトゥーロ・トスカニーニのように明確でなく曖昧で,ここぞという時のあのアッチェレランド(次第に速くすること)は,スコア(総譜)に忠実にという人には相当に違和感があるだろう。でも,フルトヴェングラーの指揮が好きな理由を,敢えて,しかも抽象的にでも表現するならば,その深い精神性を感ずるところと,デモーニッシュ(悪魔的)なところであろう。
フルトヴェングラーについては,その人生の一時期,ナチ協力者などといった言われなき中傷を受けたこともあったが,彼は「ヒンデミット事件」や,ベルリン・フィルハーモニー等の音楽総監督を潔く辞任したことなどからも分かるとおり,芸術や芸術家をナチの毒牙から擁護しようと必死に振る舞う,苦悩の人だったのだ(その政治音痴であるが故にナチに利用されたのだと非難する人には非難させておけばよい。)。
また,「回想のフルトヴェングラー」(エリーザベト・フルトヴェングラー著,白水社)という本の中には,「『こういう作曲家がいるんだから,ピアニストの連中が実に羨ましい。』そう言ってから,皮肉っぽく,『それなのに,ショパンをぜんぜん弾かない人もいるね。あれは巨人だよ。ぼくは,ショパン礼賛だね。シューベルト,シューマン,ブラームスらの巨匠に匹敵するのは,彼をおいて他にない。』フルトヴェングラーがたいそうショパンを崇拝していたことを話すと,きまって,驚いたというような反応が返ってくるので,以上のことは特筆大書しておかねばなりません。」というくだりがある(71~72頁)。その当時ショパンをよく聴いていた僕にもこのことは全く意外だった。でも,フルトヴェングラーの配偶者が回想しているのだから間違いはない。
あのオーディションを経て入団した合唱団。バッハの「マタイ受難曲」演奏の一翼を担いたい一心で,けっこう一生懸命に頑張っております。毎週火曜日の夜に練習があり,週によっては金曜日の夜の練習もあり,月に最低1回は日曜日の練習もあります。仕事を終えての夜の練習が終わると,空腹感と疲れでヘトヘトです。
でも,ソプラノ,アルト,テノール,バス(このうちの一人が私)の4声部が合わさった時の響きはたまりません。精緻で崇高な音楽。ますますバッハの凄さを痛感します。あれっ?今日のブログは,なぜか「ですます」調になっております。仕事と練習を終えてから,疲れた頭でこのブログを書いていますから,文体までいつもと変わっております(笑)。
ところで,今日仕入れた情報によると,バッハが当時食べていたある日のメニューの中に,ある魚料理のアンチョビバターソースというのがあった。今から270年以上も前に,私が心から崇拝するバッハが,アンチョビを口にしていたというのだ。意外だったし,何か嬉しい気もする。というのも,僕もアンチョビが大好き。ある料理研究家のレシピに,ご飯をニンニクとアンチョビで炒め,これにトマト,香草(イタリアンパセリのようなもの),マッシュルームなどを加えて作るアンチョビライスというのがあって,これがひじょーに美味い。アンチョビというのは,これはむしろ調味料ではないだろうか。それもとても優秀な。
なお,ついでに言うと,イカの塩辛もいい。イカの塩辛を使ったご飯の炒め物やパスタもとても美味い。アンチョビは世界的にも有名だが,実はイカの塩辛もこれに劣らず,我が日本が世界に誇る非常に優秀な調味料なのではないかと思う。あれっ,いつのまにか,「ですます」調からいつもの文体に戻っていた。
大学時代に熱中した音楽のジャンルは,クラシック音楽,ビートルズの他に,シャンソンであった。当時の法学部の定員は160名で,第二外国語の選択でクラス分けがされ,約3分の2がドイツ語選択,残りのほとんどがフランス語選択だった。シャンソンに興味を示したのも僕がフランス語選択だったからかもしれない。ただ,その直接のきっかけとなったのは,テレビでシャンソン歌手のジュリエット・グレコ特集を見て感動したことだった。
グレコは黒の衣装と,女性としては独特の低音の声が魅力的で,何よりもシャンソンが,歌詞,メロディー,身振り・手振り,表情などを要素とした極めて深みのある音楽ジャンルだと知った。その当時最初に手にしたグレコのレコードは,シャンソンの名曲集で,魅力溢れるものだった。「枯葉」,「パリの空の下」,「ロマンス」,「ラ・メール」,「詩人の魂」,「聞かせてよ愛の言葉を」,「ムーラン・ルージュの歌」,「懐かしきフランス」,「パリ野郎」,「後には何もない」,「アコーデオン」などだ。これでシャンソンに熱中しない訳はない。
さらに,大学生協のレコード等の購買部にはシャンソン分野も非常に充実していて,しかも廉価で購入できたことも有り難かった。シャルル・トレネやエディット・ピアフ,さらには何とダミアの「暗い日曜日」なども聴いていた。
さて,特に好きだったグレコに話を戻すが,後年,僕が社会人になった後,コンサートで本物のグレコのシャンソンを聴く機会に恵まれたのだ。名古屋の池下にあった厚生年金会館でのライブである。その晩はレコードで聴いていたシャンソンの名曲も聴くことができたし,その後のグレコの持ち歌も堪能できた幸せな晩だった。会場は満席に近く,名古屋においても幅広いファン層がいたのだ。今でもグレコの名曲集のCDを聴きながら,熱中していた当時に思いをはせることがある。