来年の「マタイ受難曲」演奏に向けての,ある合唱団の新人オーディションを昨晩受けた。僕はそのオーディションの具体的な内容を知らなかったし,そのシテュエーション(情況)も皆目見当がつかなかった。会場に臨む前に,気を落ち着かせるためにトイレに行ったのだが,洗面前で1,2分たたずみ,このまま逃げ出したい衝動に駆られた。
意を決して会場に入ると,私と同じかそれより少し上の年配の男性が2名着席していた。その日のオーディションには,男性は僕を含めて3名が臨むようだった。僕たちと向き合う形で審査員が5,6名,正面中央付近にはピアノ,そしてオーディション担当の先生がいた。そして,な,何と,会場のほとんどにイスが設置され,今宵練習のために嬉々として集まってきた団員の皆さんが相当数着席していたのだ。あ゛ぁーーっ・・・。
僕が最も恐れていたシテュエーション(情況)だ。僕を含めた3名の男性は,冒頭合唱曲の歌詞じゃないけど,「さながら子羊のよう」であった。心理的には完全な極限状況で,もしよければその場から逃げ出したかった。
僕は3番目に名前を呼ばれ,ピアノの音に合わせて,アーアーアーアーアーアーアーアーアー(例えばドレミファソファミレド)と歌う。しかし,最初から躓いた。「あぁ。1オクターブ上げてくださいね。」と言われた。そう,僕はピアノの音より1オクターブ下を歌っていたのだ。え゛ぇーーっ・・そんな高い音出せるのかな。やってみたら最初は何とかうまくいった。しかし,ピアノの音はだんだん音程が3度ずつ(おそらく)上昇していくのだ。これが4回ほど上昇を続けた。しかし僕は,3回目くらいで高音域がかすれ,4回目では出ない音が相当にあった。この時の自分の必死の形相は想像するだに恐ろしい。鬼気迫るものがあったに違いない。「子羊」が「シーサー(沖縄の鬼瓦)」に化けた瞬間である。
高音域が終わったと思ったら,ピアノの音は今度は1オクターブ下となり,同じテストが始まった。・・・・次第に,あこがれの「マタイ受難曲」が自分から遠ざかっていく絵が見えた。(続く)
前回,バッハの「マタイ受難曲」のことを人類の至宝と例えたが,決して誇張とも思わない。「マタイ受難曲」を全曲聴くきっかけになり,その後何でこんなに「マタイ受難曲」が好きになってしまったのかについては,以前ある原稿で触れたことがあって繰り返しになってしまうが,次のような理由からである。
第1に,1990年代だったと思うけど,ある音楽雑誌の企画で,多数の音楽評論家らを対象に「次の世紀まで受け継ぎたい(語り継ぎたい)曲は何か」という趣旨のアンケートが実施され(複数回答だったと思う),この曲が圧倒的多数で第1位だったということが頭にあった。
第2に,私が司法修習生だった頃,同じクラスにU君というプロ級の腕前を持つピアニストがいた(確か,ショパンのバラード第1番などをコンサートで弾いていたと思う。)。
興味本位でこのU君に「音楽史上の最高傑作は何だと思う?」と尋ねたら,即座に「マタイ受難曲だろうね。」と答えたのである。
このようなこともあり,それまでは良い箇所ばかりつまみ食い的に聴いていたこの曲を,全曲聴く決意をしたのである。全曲聴いた後の感動は例えようもない。
ある合唱団が来年の暮れにこの「マタイ受難曲」を演奏するということで,団員の募集があり,不肖わたくしも12月9日にオーディションを受けることになっている。
みんなが見ている前で「はい,ここからここまでの16小節を歌って下さい。」などと歌わされたら顔から火がでるほど恥ずかしいのだが・・。一体どんなオーディションなんだろうか。また,恐怖心で臨むオーディションを受け,挙げ句に落ちてしまったら家族にどんな言い訳をしようか。眠れない夜が続く・・・・・。
ストレス社会というけど,現代人は何らかの形で自分なりに「癒しの空間」や「癒しの時間」をもっていたり,追い求めているのではないだろうか。僕も同じだ。職場に音楽は流れていないけど,自宅に帰れば癒しを求めて音楽を聴くことが多い。
癒しの音楽といっても本当にいろいろあるだろう。今思いつくままに4,5曲挙げてみろと言われれば,ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」,ラフマニノフの「ヴォカリーズ」,ドヴォルザークの「母が教えてくれた歌」,マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲,ヘンデルの「ラルゴ(オンブラ・マイ・フ)」なんかが思い浮かぶ。
でも,僕の場合,今はやっぱりバッハだよなぁ・・・・。バッハの世界には,癒しの音楽がごろごろしているが,特に宗教音楽が癒される。最近よく聴いているのが,ミサ曲ロ短調で,終曲のドナ・ノヴィス・パーチェム(我らに平和を与え給え)などに差し掛かると,思わず目にうっすら涙さえ浮かんでしまう。バッハの畢生の大作であり,死の直前に完結したという事実をも考えると尚更である。理屈抜きで癒される。もう一つ,よく聴いているのが「マタイ受難曲」である。これこそは人類の至宝だと確信しているのだが,これについては後日改めてお話しできればと思っている。