最近,車で移動する時はほとんど同じ音楽を聴いております。バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻,第2巻です。以前からこの曲は知っていましたし,若い頃は例えばグレン・グールドの演奏で聴いたりしていました。
でも特に最近では癖になっているのではないかと思うほど,この曲ばかり聴いているのです。第1巻はマウリツィオ・ポリーニ,第2巻はアンドラーシュ・シフの各名演奏で・・。平均律クラヴィーア曲集は,第1巻,第2巻とも24番まであり,それぞれプレリュードとフーガが対になっております。ですから全部で96曲に達し,小宇宙を構成しているのです。何となくですが,これらを聴いていると副交感神経が優位になり,自律神経のバランスを保つのにとても良いのです(笑)。
19世紀の後期に指揮者等として活躍したハンス・フォン・ビューロー(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の初代常任指揮者)は,バッハの平均律クラヴィーア曲集を音楽の旧約聖書,ベートーベンのピアノソナタ集を音楽の新約聖書と表現して絶賛したことからも分かるように,ロマン派以降の音楽家,演奏家はこの平均律クラヴィーア曲集をリスペクトし,作曲や演奏技法の模範として練習等を行ってきました。
この曲集は,ほんとに・・・これはもう,表現のしようのないくらい珠玉の名作群とでも言うべきもので,どれもこれも素晴らしいのですが,先日車を運転している時に流れて来た第2巻の22番のプレリュード(変ロ短調)の美しさには,思わず聞き惚れてしまいました。奇しくも第1巻の22番のプレリュード(変ロ短調)も同様で,いずれも祈りに近い心情を表し,そして深い哀愁を帯び,天国的な美しさを具えております。
私が所有している平均律の楽譜集の楽曲解説の中には,第2巻の22番目のプレリュード(変ロ短調)について次のような記述があります。
「変ロ短調。大詰に近づいて、このB-mollと次のH-durにすばらしい大傑作が書かれている。中声部に現れる雄大な主題、何ものにも制約されずにのびのびと自由に発展して行く流れ、それでいて素晴らしい対位法的技術等殊にこの曲に対する賛辞は数多い。」
バッハの音楽は本当に凄いと思っておりますし,これまでも,そしてこれからも,死ぬまで一生のお付き合いだと思います。私,実はある音楽教室で「大人のピアノ」コースでピアノを習っております。月に3回レッスン(金曜日の午後6時)があり,小学校から中学校にかけて3年間習って以来の数十年ぶり(笑)の挑戦です。
先生の強い勧めで(当初私はとても嫌がっておりました),ついに来年1月29日(土)に発表会に出ることになり,バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番のプレリュード(ハ長調)を弾くことになりました(笑)。いろんな理由をつけて固辞していたのですが,「1000万円のスタインウェイのピアノで演奏できるんだよ。」とのセールストークにほだされてしまいました(笑)。
この曲は平均律の中でも最も技術的には易しい曲だと思いますので,思い切って発表会に出ることにしたのです。私のような未熟者がバッハの平均律に挑戦するなどということは本来は無謀なことです。やはりインベンションとシンフォニア(2声と3声)でバッハの対位法的技法を習得してからでなければならないことはよく分かっておりますが,私もいつまで元気でいられるか分かりませんので(笑),人生の思い出にという気持で出場いたします。失敗しても平気,平気!でも,ピアノの発表会などといった場面はそれこそ半世紀ぶりで,とても緊張しております(笑)。
最近,繰り返し繰り返し聴いている曲があります。ショパンの「舟歌」です。私とショパンとの出会いは小学6年生の時で,それ以来ほとんどの曲は聴いてきました。もちろんこの「舟歌」も何度も耳にしたのですが,改めて思います。これも相当の傑作だと・・。
この曲の成立年は1846年だと言われていますから,死の3年前です。ジョルジュ・サンドとは破局を迎えたか,迎えつつあったと思いますし(失意の中),何よりも持病の肺結核で体調は不良だったに違いありません。それでもこのような傑作を生み出すことができるのですから,本当に素晴らしい。
舟歌(バルカローレ)にしては大曲だと思いますし,演奏時間は10分ほどであり,ピアノ技巧的には極めて難度が高いでしょう。短めのゆったりした前奏,そして休止(パウゼ)の後に8分の12拍子の左手で奏される特徴的なリズム(小刻みに打ち寄せる波にゴンドラが揺れる感じ)に乗せて主題が現れます。
右手の和音は男女が越し方行く末を囁き合っているようにも聞こえますし,男性一人が人生の終幕を迎えて様々に思いを巡らし,達観したような心境を表現しているかのようでもあります。
「いろいろあったけど,人生とはこんなものなんだろうなあ。受け入れるしかないのだ。」と自分に言い聞かせるような心境でしょうか。主題は様々に展開を見せ,最後は堂々とした締めくくりです。くどいようですが,ショパン晩年の味わいのある名曲(大曲)だと思います。嬰ヘ長調で作曲されてはおりますが,やはり悲しさ,寂しさも感じられます。それでも曲のダイナミックな展開と堂々たる締めくくり,そして病魔に苛まれつつもこのような傑作を生み出したということで,我々に勇気を与えてくれる曲です。
写真技術というものは凄いですね。ショパンは1849年に亡くなっておりますが,私はショパンの最晩年の写真を見たことがあります。有名な写真で,スーツの上にコートを着て,少し眉間にしわが寄っている神経質そうな表情のものです。「ああ,ショパンってこんな顔をしていたのか。」と不思議な気分にもなりますが,最近ではその他の写真も発見されております。「ショパン」,「写真」とキーワードを入れて検索すれば出てきます。
1848年といえばパリの2月革命が有名ですが,ショパンはパリでの最後の演奏会を開いた後,生きていくためにイギリスへ演奏旅行に出かけます。肺結核を抱えていた訳ですから,体調面では非常に辛かったでしょうね。結局このイギリスへの演奏旅行で決定的に病状が悪化し,翌年10月17日に生涯を閉じることになります。
今宵はショパンの絶筆(最後の作曲)となったと言われている49番目のマズルカ(作品68の4,ヘ短調)を聴いてみたいと思います。やはりお酒を飲みながら。
私は月に3回のコース(名前は「大人のピアノ」)で金曜日にピアノのレッスンを受けております。講師のM先生は非常に積極的な人で,自分の生徒さんたちを集めて夏と冬に発表会をするのです(私のように嫌がる生徒さんを強く説得して参加させます)。
恒例となっていますのは,夏は教室の入っているビルの一室に生徒さんを集め,お食事をしながら1人1人がそれぞれみんなの前で弾くのです。また,冬はピアノバーに繰り出し,食事をし,お酒を飲みながらやはり各自みんなの前で弾くのです。発表会ですから,すごく緊張します。選曲については,M先生ではなく各自自分で選ぶことができます。テキストから選んでも良いし,自分の弾きたい曲を自分で楽譜を調達して選んでも良いのです。
でも,今はコロナ禍の中にありますよね。ですから昨年冬の発表会は中止となり,積極的なM先生はその代わりこの春にみんなの演奏をそれぞれ動画に撮影し,ユーチューブにアップする企画をしてくれたのです。これも相当に緊張しますが,先日無事に私の分の撮影が終了しました(全生徒さんの90%程度は終了したようです)。
私が選んだ曲は,バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻の第1番目のプレリュード(前奏曲)です。とても有名な曲で技術的にはそれほど難しくはありません。神のように崇めているバッハの曲が弾ければ失敗しようが何しようが満足なのです。撮影の際には非常に緊張しましたが,何とか一発で終了しました(撮り直しなし)。
ところが,先日のレッスン終了直前にM先生が深刻な顔をして私の横に座り,ユーチューブの内容を事前チェックする係から電話を受け,説明に大変苦慮したという話をし出したのです。一体全体何事かと思いました。話を聞いてみると,M先生は収録もほとんど終わりに近づいたので,詳しくは知りませんがユーチューブのある部署(セクション)にこれからアップする動画内容の事前チェックを受けたようなのです。知的財産権の侵害など何か問題がないかどうかのチェックじゃないかと思います。
そして,その係の人からは私の演奏は本当に本人が弾いているのか,別にCDなどの音源がありエアーではないか(弾く真似をしている)という確認だったそうです。M先生は何度も何度も説明し,ようやくその係の人に分かってもらったそうです。確かに,その動画は私の左斜め45度くらいの角度で撮影されてはいますが,指先や鍵盤までは映されていないので,先ほどのような疑念が生じたのだと思います。それに私のような白髪交じりの爺さんが割と正確なテンポで弾く訳がないと思ったのでしょう(笑)。確かにそう思うのも無理はありません。
・・・ふふふ,つまるところ自慢話に過ぎませんでした(笑)。しかしながら本人は有頂天です。豚もおだてりゃ木に上る。その日の晩酌のお酒の量が2倍になったことは言うまでもありません。
それにしても,バッハの曲が好きでたまりません。対位法に対する憧れがあるのです。2声~4声のフーガなどが弾けたならばもう思い残すことはありません(笑)。インヴェンションとシンフォニアから地道に始めるしかないのでしょうね。
最近は休肝日をちゃんと設けることができてはいますが,それでも週に4日ほどは晩酌等をします。「等」というのはお誘いで食事をしながら外で一献傾けることもあるからです。
さて,自宅で晩酌の時は,最近ではうちのカミさんと一緒にテレビ画面でユーチューブを楽しむことが多いのです。BS放送の番組では関心のあるものもたまにありますが,地デジで放送されている番組は本当にくだらないものが多く,ちっとも見る気がしないのです。
ユーチューブの映像を見ていると,知らぬ間に「忖度」されておすすめの番組が出てきたりします。晩酌時に私たち夫婦が見る番組は,クラシック音楽もの,その他の音楽もの,政治・経済もの,漫才もの(サンドイッチマン,ノンスタイル)などが多いのですが,最近少なくとも私のマイブームになっているのは「厳選クラシックちゃんねる」という番組です。
これは本当に素晴らしい!毎回,クラシック音楽の作曲家が取り上げられ,その生涯,代表作,エピソードなどが豊富な資料,音源,画像などを駆使して分かりやすく紹介されるのです(今後は作曲家だけでなく演奏家なども取り上げられる予定のようです)。これまで視聴してきた限りでは,クラシック音楽が好きな私にとっては大体知っている情報が多いのですが,知識の再確認にもなりますし,もちろん知らなかった情報も吸収できます。うちのカミさんなどはクラシック音楽にそれほど詳しい方ではないので,この番組は大変興味深く視聴できているようです。
実は私はこの動画製作者,ナビゲーター,といいますかユーチューバーのNaco(なこ)さんの大ファンなのです。すごい美人とまでは言えないのですが,とても好感のもてる容貌,正確で丁寧な日本語を話すことができ,滑舌もよく,表現力が豊かでとても誠実そうな女性です。こういうタイプは良いですね(笑)。
ご本人の言によりますと,やはり一つの動画を製作するのに30時間ほどをかけているそうです。確かに20分ほどの一つ一つの動画は丁寧に作られています。これまでに拝見した動画は,バッハ,ヘンデル,ハイドン,ベートーヴェン,シューベルト,ロッシーニ,メンデルスゾーン,ショパン,シューマン,ワーグナー,スメタナ,ブラームス,サン=サーンス,ブルックナー,チャイコフスキー,ドボルザーク,ドビュッシー,マーラーなどです。
それに,お薦めとして流れる曲の演奏家群については,どういう訳か割と古めで私のようなもう前期高齢者に近い年代には「大うけ」です。ヴィルヘルム・フルトヴェングラー,オイゲン・ヨッフム,カール・ベームなどが次々に出てくるのです。
ワーグナーの回ではニーベルングの指環の4部作(ラインの黄金,ワルキューレ,ジークフリート,神々の黄昏)に流れるストーリーを割と詳しく紹介してくれていますし,ブルックナーの回では専門的なこと,例えば「ブルックナー開始」,「ブルックナー休止」,「ブルックナー終止」などが紹介されており,大変参考になります。
Naco(なこ)さんにはあまり無理をせずに,この貴重な動画配信を継続していってもらいたいと思います。どうやらチャンネル登録者も飛躍的に伸びているようです。
大学生時代から就職して間がない時期にかけて,私はブルックナーの交響曲に夢中になった時期がありました。この「厳選クラシックちゃんねる」のブルックナーの回の動画を見て,またブルックナーを聴きたくなりました。最も好きなのは8番ですが,7番も素晴らしい。未完ではありますが9番も凄みがあります。ブルックナーの交響曲には病み付きにさせる何かがあるのです。もう10数年も前にドイツのある夫婦の離婚の記事を読んだことがあります。夫の方はあまり関心がないものの,妻の方はブルックナー狂といってもよいくらいのブルックナーの曲の愛好者。自宅では妻の好みで四六時中,それこそ就寝前にもブルックナーの曲を流すものですから,とうとう夫の方は嫌気がさして離婚に至ったという実話があるほどです。もちろん私はそこまでではありませんが,確かにブルックナーの交響曲にはそれほどの,そして形容しがたい魅力があると思います。
先日,マイカーで出張先に移動している途中で,ラジオ(NHK-FM)を聴いていましたら,チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」が流れてきました。実に佳い曲です。
この曲が名曲であることは間違いありませんし,チャイコフスキーの最後の作品であり,やはり傑作です。ただ,不遜にも以前から思っていたのですが,まとまりという点で言いますと,少しまとまりはないかなと(笑)。
「悲愴」という標題が付いているからといって,全楽章に必ずしも悲愴感が漂う必要はないのですが,第2楽章の4分の5拍子という独特のリズムをもった民族舞踊的な明るい楽章,そして第3楽章のスケルツォと行進曲の爆発的な高揚感,これらは悲愴感漂うその他の楽章とは全く異質で,特に第3楽章の爆発的な高揚感は異次元です。この楽章が終わった途端,本当は全曲が終了していないのに思わず聴衆が拍手をしてしまうほどです。
繰り返しますが,佳い曲であることは間違いないのですよ。
まとまりという点で言いますと,ショパンのピアノ・ソナタ第2番もどうかな・・・(笑)。これも傑作中の傑作であることは間違いないのですが,同時代人の作曲家にして評論家のシューマンがこの曲を評して,「ショパンは乱暴な4人の子供をソナタの名で無理やりくくりつけた」と言いました。もちろんこれは批判,酷評ということではなくて斬新さを指摘したものでした。特にこのソナタの第3楽章「葬送行進曲」は人口に膾炙したあまりにも有名な曲です。
一方,まとまりという点で私はあると思っているのに,そうでない評価がなされている曲があります。バッハのマタイ受難曲の第42曲目のアリア(「私のイエスを返してくれ!」)のことです。シュピッタはこの曲について,「全アリア中唯一の批判すべき楽曲」であるとしており,マタイ受難曲の新しい解説書を出版しているエーミール・プラーテンもこの曲には否定的な見解を示し,このアリアは先立つペトロのアリアとの対比を生かす以上の存在価値はもたないといった見解を示しているのです(「マタイ受難曲」礒山雅著,322~323頁,東京書籍)。
この点については,私は意外に思いますし,この第42曲目のアリア「私のイエスを返してくれ!」は大好きなのです。礒山雅さんも「このアリアは《マタイ受難曲》のもっとも重要な楽曲のひとつであり、一見流れを乱すかのように思える明るさ自体が、大きなメッセージであると確信している。」と評されております(同著322頁)。
本日はそれこそまとまりのない話で恐縮ですが,曲のまとまりという点についてはいろんな意見があるものですね。
ジュリエット・グレコというシャンソン歌手のコンサートに臨み,彼女の生のシャンソンを聴くことができたのは,私にとって宝物のような体験でした。私が結婚したのが29歳の時でしたから,その1,2年前のことだったと思います。その時のコンサート会場は,その当時名古屋市千種区池下にあった厚生年金会館でした。
この時もグレコはお決まりの黒のドレスで,装飾は一切なし。身振り手振りを交えた,まるで女優が演技をしているような歌い方で,曲に物語性を吹き込むシャンソン歌手そのものでした。選曲も日本人好みのスタンダードナンバーが中心で,「パリの空の下」,「枯葉」,「ラ・メール」,「聞かせてよ愛の言葉を」,「詩人の魂」,「ロマンス」などを歌ってくれたと思います。また,その晩はそれだけでなくジャック・ブレルなどの新しい曲も歌ってくれました。大変満足した夜でした。
私は昔から音楽は好きな方で,大学生時代は,クラシック音楽(バッハ,ショパンなど),ビートルズ,シャンソンという3つの領域に熱中しておりました。シャンソンの中では特にジュリエット・グレコが大好きだったのです。それと,私の記憶に間違いがなければ,昭和54,5年当時名古屋の栄にも「ソワレ・ド・パリ」というシャンソンを聴かせてくれるライブハウスがあったと思います。司法試験に合格した先輩が,たまには息抜きということで未合格の私たち3名をその店に連れて行ってくれたことを覚えています。「そうか,司法試験に合格すれば好きな時にこういう店でシャンソンが聴けるのか。よし,早く合格しよう。」などと不遜なことを思ったものです(笑)。
グレコは「サンジェルマン・デ・プレのミューズ」と呼ばれたシャンソン界の女王です。第二次世界大戦中,レジスタンス運動に参加した彼女の母親が,姉とともに強制収容所に入れられたことから,15歳の彼女は一人で生きてゆかなければならなくなり,ようやくある繊維会社の電話交換手の職を見つけ,そのかたわら演劇を勉強して,端役で舞台に立ったりしておりました。そして,終戦後,サン・ジェルマン・デ・プレの地下酒場「タブー」はジャン・ポール・サルトルを中心とする実存主義者のたまり場になり,グレコもそこに出入りするうちに彼らのマスコット的な存在になり,その後歌手としてスカウトされ,スターダムにのし上がるのです。1952年には「ロマンス」でACCディスク大賞を受賞し,シャンソン歌手としての名声を不動のものにし,長期間にわたって活躍し,映画にも出演したこともあります。
彼女は1961年に初来日し,日本でもたびたびコンサートを開き,相当に親日家だったようです。そんな訳で私も彼女のコンサート予定をリサーチし,ようやく名古屋でも彼女の生のシャンソンを聴くことが出来たという訳です。フィリップスレコードから出ているグレコのベストコレクションのCDは私が今でも大切にしている愛聴盤です。
土曜日はたまたま私が自宅で一人寂しく晩酌をしており,しみじみとお酒を飲みながらユーチューブで若かりし頃のグレコの「パリの空の下」の曲と映像に接し,思わず涙が出てきそうになりました。
ジュリエット・グレコは去る9月23日,老衰のため93歳で逝去されました。合掌。
やっと手に入りました。死後30年を記念してリリースされた「前野曜子『メモリアル・コレクション〝ベスト〟~別れの朝』」というCDです。新品が札幌から届きました。日本全国に在庫があるかどうか照会していたのでしょうね。注文してから3週間後くらいに届きました。希少なのかもしれません。
このCDの歌詞集の後に,音楽評論家小川真一さんの解説が載っていますが,その一部を紹介しましょうか。
「前野曜子がこの世を去って、すでに30年の月日が経とうとしている。新しい歌声を聴くことが出来なくなってしまったのだが、未だその人気は衰える事がない。人々の心を強く掴んで離さないのだ。それはまさにディーヴァ(歌姫)の名称に相応しい。・・・今回のこのベスト盤はヴォーカリスト前野曜子の集大成であり、彼女のキャリアを見渡すことの出来る貴重なセレクションだ。」
爆発的なヒットとなった「別れの朝」はもちろん,「さよならの紅いバラ」などの海外の有名なナンバーのカヴァーもあれば,映画「蘇える金狼」のテーマや人気アニメ「スペースコブラ」の主題歌「コブラ」なども入っており,全部で16曲です。今では,マイカーでの移動中はいつも前野曜子の歌ばかりを聴いております。バッハはしばらく休憩(笑)。
いやぁ,凄い歌手だと思いますよ。少しハスキーで類いまれな歌唱力がありますし,特に私が感じたのは滑舌が良くて,日本語がとてもクリアで美しく聞こえるのです。それは生来のものか,それとも宝塚歌劇団仕込みのものなのか。
彼女はペドロ&カプリシャスの初代ヴォーカルです。現在も活躍中でその実力には定評のある高橋真梨子さんが2代目ヴォーカルです。人によっては趣味が悪い企画と思うかもしれませんが,ユーチューブではいくつかの曲で両者の聴き比べがアップされています。それぞれの持ち味があり,好みの問題であることは間違いないのですが,私は前野曜子ですね。「別れの朝」と「さようならの紅いバラ」を聴き比べてしまったのです。おそらく技術,歌唱力,声量ともに高橋真梨子さんの方を選ばれる方が多いとは思います。それに圧倒的な迫力というものがあります。でも,前野曜子の歌の方が私の心に響くのです。これは理屈抜きです。
アルコール依存になり,肝臓病での闘病を経て,40歳で夭折したのは誠に残念です。健康でありさえすればもっともっと良い仕事ができたはずなのに。今でもこの歌手をリスペクトするプロ歌手が多いというのは大いに頷けます。
7月28日は私が神と崇めるヨハン・セバスティアン・バッハの命日ですから,この日には,このブログでは決まってその話題を書くようにしていたのですが,今年は忙しさにかまけてそれもできませんでした。でも,バッハの音楽はいつも聴いて慰められております。
その代わりの音楽の話題といっては何ですが,伝説のディーヴァと呼ばれた歌手,前野曜子のことを書きたいと思います。まだ私が中学生の頃ですかね,ペドロ&カプリシャスの初代ヴォーカルとして,あの名曲「別れの朝」を歌っていました。とても佳い曲だと思います。このバンドの歴代ヴォーカリストとしては,今もソロで活躍されている高橋真梨子という歌手が有名ですが,実はこの前野曜子という歌手はその前任者だったのです。
彼女は宝塚歌劇団を1年半ほどで退団し,リッキー&960ポンドというバンドに加入したのですが,これもほどなくして脱退し,ペドロ&カプリシャスの初代ヴォーカルとして活躍したのです。素晴らしい歌唱力で,「別れの朝」なども大ヒットしました。しかし,人気絶頂だったのにほどなくしてペドロ&カプリシャスを脱退してアメリカに渡ったり,短期間で日本に帰国して,グループないしソロで歌手として活動しました。歌手としての天賦の才を活かして映画の主題歌やテレビアニメのテーマ曲を歌ったりもしたのです。
でも,本当に惜しいことにアルコール依存症などが深刻化し,肝臓病を患い,闘病生活の後に40歳の若さで夭折(孤独な死)。歌手としての才能に恵まれていましたが,いわゆる破滅型の人生だったのかもしれません。
しかし,彼女の歌は誠に素晴らしい。ペドロ&カプリシャスのリーダーだったペドロさんは,高橋真梨子は技術的に上手く歌う,前野曜子は心で歌うなどと評していたようです。二代目ヴォーカルの高橋真梨子の歌手としての実力は世間が認めるところですが,少なくとも「別れの朝」という曲だったら私は前野曜子の歌うこの曲が好きです。所詮好みの問題ですけどね。
そこで,「前野曜子」というキーワードで検索していたら,何と2年前の7月31日(7月31日は彼女の命日)に,彼女のベスト・アルバム(CD)が発売されていることが分かったのです。
私は早速通販で購入しようと必死で探しました。でもあるサイトでは「現在お取り扱いできません。」と記載されていましたので,販売数が少なく希少なのかもしれません。ようやくあるサイトでは「お取り寄せ」ができるとのことですが,取り寄せができなければ購入は難しいということでした。現在,入荷を待っているところです(笑)。こうなったら,どんな手を使ってでも入手したいものです(笑)。
商品(CD)の紹介として,次のような記載がなされていました。
「今尚数々の名歌手からリスペクトされ、伝説のディーヴァと呼ばれる前野曜子は、1972年ペドロ&カプリシャスの初代ヴォーカルとして颯爽とステージに登場し、「別れの朝」を大ヒットさせオリコン1位を獲得した。他にもリッキー&960ポンドやソロとして60年代終わりから80年代まで活動。稀な美貌と歌唱力を兼ね備えていた彼女は、その資質を充分に発揮させる事なく惜しくも1988年に40歳という若さで急逝。彼女が遺した音源のほとんどは、2011~12年に“前野曜子メモリアル・コレクション・シリーズ”(初期リッキー&960ポンドの音源を除く)として全7タイトル(内6タイトルが初CD化)がCD発売された。そして没後30周年記念に当たる2018年、レーベルの枠を超え彼女の貴重な歌唱を凝縮した初のベスト・アルバムが完成」
果たして,私の手に入るのかしらん。
好きな曲の旋律が頭の中でグルグル回ったり,ある時何かの拍子に思い出したりすることがあるけど,肝心なその曲名が分からなくて随分歯がゆい思いをするといった経験はありませんか。私が何としてでも,どんな手を使ってでも再び聴きたい曲で,でもその曲名が分からない,しかもそれが数十年来ずっと続いているという曲が3曲ありました。
ところが,インターネットやYouTubeというのは非常に便利ですね。数十年来ずっと好きだったその3曲の名が,ようやく分かりました。スッキリしました(笑)。
その3曲のうちの1曲は,実はインターネットやYouTubeに頼らず,偶然に判明したのです。その曲は,私がまだ中学生から高校生の頃,ふとんの中に入って「今日も一日終わったな。やれやれ。」などと呟きながら,ラジオのスイッチを入れてイヤホンで聞いていたNHK-FMの「夜のしらべ」という番組のテーマ曲です。本当に良い番組で,とても懐かしい。この番組では当時好きだったクラシック音楽の日もありましたし,そうでないジャンルの曲の時もありました。その曲名が数十年間にわたって分からないまま悶々としておりましたら(笑),これは数年前,偶然に車の運転中にラジオで流れてきました。ようやく判明しました。その曲は,ボロディン作曲の弦楽四重奏曲第2番第3楽章「夜想曲」でした。当時はオーケストラ用の編曲で演奏されておりましたが,本当に佳い曲です。懐かしい。夜の番組らしく「夜想曲」でした。
さて,残りの2曲です。これはインターネットやYouTubeの力を借りて数日前に立て続けに判明しました。スッキリしました。そのうちの1曲も,私がまだ中学生から高校生の頃,ふとんの中に入って,やはり「今日も一日終わったな。やれやれ。」などと呟きながら,ラジオのスイッチを入れてイヤホンで聞いていたNHK-AMの「夢のハーモニー」という番組のテーマ曲です。これまた本当に素晴らしい曲なのですが,その曲名が数十年間にわたって分からないまま悶々としておりました(笑)。このままでは死ねないと思い,インターネットで必死に探しました。そうしたら,とうとう判明したという訳です。その曲は,「今宵の君は」という映画音楽です。これもオーケストラで演奏されておりますが,懐かしくて目頭が熱くなりました(笑)。YouTubeにアップされております。
そして最後,3曲目は,ちょうど私が大学受験の冬,毎朝妹が隣の部屋で観ていたテレビ番組中で流れていた曲で,これがまたとても佳い曲で数十年来ずーっと私の頭の中でその旋律がグルグル回ったり,ふっとした時に思い出したり・・・。でも肝心なその曲名が分からない。これについては捜索の手掛かりが全くない(笑)。しかし,手がかりといえば,幸いにも最初の歌詞だけは覚えていたのです。「どうしてあんな子なんか好きになったのかしら」という出だしです。ダメ元で,グーグルで「どうしてあんな子なんか好きになったのかしら」と入れて検索してみました。そうしたら,やはり文明の利器というのは凄いですね。あっという間に分かったのです。あれほど憧れていた曲の名が判明したのです。それは,「あの子」(唄:桜井たえこ,詞:千家和也,曲:すぎやまこういち)という曲で,当時日本テレビ「おはよう!こどもショー」という番組の中で短期間流されていた曲だったのです。この曲は詞も曲も秀逸でねぇ・・。ようやく胸の痞えが消えました。
おかげで現在は,毎夕食の開始時にうちのカミさんと一緒にテレビ(YouTube)で「あの子」という曲を聴いた上で,料理に箸をつけ始めるのです(もちろん私はビールも)。くどいようですが,本当に佳い曲だなあ。この旋律を創り出したすぎやまこういちさんという作曲家は天才です。しかも,この方は国家基本問題研究所の評議員,歴史事実委員会の委員ですし,いわゆる「従軍慰安婦」に強制性はなかったという極めて正当な意見広告をワシントン・ポスト紙に出したという(広告費は全部すぎやまさんの負担),国士です。歴史認識や政治的思想の面でも,そしてとにかく「あの子」の作曲者という面でも大いに尊敬できます。
この3曲,絶対にお勧めですので,皆さん,YouTubeでもなんでもいいですから,是非ご賞味ください。
1955年に開催された第5回ショパン国際ピアノコンクールの結果は,第1位はアダム・ハラシェヴィチ(ポーランド),第2位がウラディーミル・アシュケナージ(ソ連)でした。その後のピアニストとしての活躍ぶりを比較すれば,アシュケナージは20世紀後半を代表する世界的なピアニストとして活躍した一方,ハラシェヴィチの方は演奏会や録音で10数年ほどは活動しましたが,その後は忘れられたような存在になってしまったのは残念です。
ハラシェヴィチはアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリにも師事し,彼の下で研鑽を積んだこともあります。しかし,この第5回大会では審査員であったミケランジェリがアシュケナージの第2位という評価に抗議し(アシュケナージこそ第1位だという意味),会場から立ち去ったという有名なエピソードがあります。確かに,アシュケナージのテクニックは素晴らしく,ハラシェヴィチが第1位になったのはショパンと同じポーランド人だから贔屓されたのだなどという心無い言葉も囁かれたようです。
しかし,実は私にとっては小学生の頃から,ショパンの曲についてはハラシェヴィチの弾くショパンこそが最高でした。小学生の頃にショパンの虜になってしまった私が小遣いをもらって近くのレコード屋さんに飛び込み,最初にショパン名曲集のレコードを買い求めたのがハラシェヴィチ演奏のものでした。毎日のように何度も何度も聴いていましたので,私にとっては彼の演奏こそが正統であり,スタンダードになってしまい,ずっと頭の中に残っているのです。
今となってはそのレコードも処分してしまいましたが,何となくそのジャケットの写真は記憶しています。インターネットで必死で探してみましたら,ありました。どうやらフィリップスから出されたレコードのようで,ハラシェヴィチがピアノを弾いている背後には,白っぽい裸婦の彫像があるやつ・・・。いや本当に懐かしい。
第5回大会の結果は先ほど述べたとおりですが,この時は日本から田中希代子さんも参加し,見事第10位になっております。音楽評論家の野村光一さんの記事によりますと,彼はやはりアシュケナージの卓越した技術を評価し,おそるおそる田中さんに対し,「アシュケナージが一番みたいな気がしますね。」と尋ねたようです。そうしたら,田中さんは,「いやそうとはいい切れないのですよ。もちろんアシュケナージの方がテクニックに冴えていますが,やはりショパンともなれば,ハラシェビッチのほうが音楽的なつぼにはまった弾き方をします。だから,あの人が1位になるのは当然だったのでしょう。」と答えたそうです。
そうなんです。私にとってハラシェヴィチは幼少時代に憧れたショパン弾きの中のショパン弾きなのです。でも,もちろんアシュケナージの実力,実績は言うまでもありません。ポリーニ,アルゲリッチなどと並ぶ20世紀後半を代表する世界的なピアニストです。私が大学生の頃は,ベートーベンのピアノソナタはほとんどアシュケナージで統一していましたからね。それに,独身時代には名古屋でも開かれたアシュケナージのコンサートにも足を運び,その時はかなり前の席でアシュケナージの演奏を生で聴きました。もう30数年前のことですからその時の曲目は覚えていませんが,はっきりと覚えているのは,彼はとても小柄で,ひょこひょこと速足でピアノの前まで歩き,はにかみながら客席に向かって軽く礼をして,すぐに弾き始めたということです(笑)。
ハラシェヴィチも既に87歳で,ずっとオーストリアのザルツブルクで生活し,アシュケナージも82歳になり,ずっとスイスのルツェルン湖畔で生活しているようです。やはり景色の良い所が精神的に落ち着くのでしょうか。
さきほど,ハラシェヴィチのCDを2つ,通販で注文しました。もちろん彼の弾くショパンです。到着が楽しみです。