先日,仕事場から次の仕事場へ,自分の車で移動していました時,ラジオからリヒテルが演奏するベートヴェンのピアノソナタ「熱情」の第3楽章が流れていました。リヒテルとは,もちろん20世紀を代表する巨匠的な名ピアニスト,スヴャトスラフ・リヒテルのことです。同じくロシアの名ピアニストであったエミール・ギレリスがアメリカに演奏旅行に行った際,その素晴らしい演奏を聴いていた学生がギレリスのことを世界一だと述べた時,ギレリスが「そのように判断する前に,リヒテルの演奏を聴いてみることをお薦めする。」と語った話は有名です。
リヒテルの評価の高さは言うまでもありませんが,ただその時に流れていたリヒテルの演奏には少し違和感を覚えました。どうやら1960年秋のライブ録音だったようですが,確かにテクニックには非の打ち所がありませんが,やたらにテンポが速く,まるで機械仕掛けのピアノのようで,何かしら急かされるようで聴いていて落ち着かないのです。
変だな,リヒテルってこんなに落ち着きのない演奏をする人だったかなと首を捻っておりますと,次に流れたのは,やはり同じ「熱情」の第3楽章ですが,リヒテルが70歳を超えた頃の演奏,録音だったのです。そうです,正にこういった演奏こそが私が安心できる,そして感動する演奏です。ゆったりとしたテンポをはじめ,全ての面でさきほどの1960年秋の機械仕掛けのような演奏とは違っており,情感豊かな深い味わいのある演奏でした。
本日のブログのタイトルは「聴き比べ」ですが,同じ演奏家の同じ曲の聴き比べのことを意味します。今も思い出すのですが,私が大学を卒業して社会人1年生になった時の確か10月にグレン・グールドが急逝しました。大変驚きましたが,その前年,老境にあったグールドはバッハの「ゴルトベルク変奏曲」の再録音をしました。これがまた素晴らしい演奏です。
実はグールドは,同じ「ゴルトベルク変奏曲」を22歳の時に録音しています。彼が22歳でアメリカ公演においてこの曲を演奏した時,その斬新さと素晴らしさで大絶賛を浴びました。私は,1981年(老境といってもまだ49歳)の録音と1955年(22歳)の録音がセットになっているCDを持っていますが,同じグールドの演奏で聴き比べることができます。やはり,私はゆったりしたテンポの1981年の録音の方が圧倒的に好きです。1955年の録音はやはりテンポが速すぎて急かされるようで,情趣深さに欠けるきらいがあります。
若い時は才気煥発という感じが前面に出ていますが,老いてからの演奏は,枯淡といいますか,達観といいますか,それでいて情感深く,心にしみ入る感動があります。リヒテルもグールドも・・・。
私は気が置けない人たちと一緒に,行きつけのスナックを訪れ,よくカラオケで歌ったりします。ゴルフなどと並んで,これも結構ストレス発散になるのです。でも最近,仲間のIさんからは,いつも同じ歌が多いとか,レパートリーが広くないなどと嫌みなことを言われるため,私も発奮して新しい歌の開発に勤しんでおります(笑)。
そんな訳で心当たりのある歌をスマートフォンで探したりしていたら,偶然にシルヴィ・ヴァルタンの動画に遭遇しました。もちろんこのフランスのレジェンドともいうべき女性歌手の存在は知っていましたし,確か1970年代後半,私がまだ大学生だった頃,ヴァルタンのLPレコードを買って聴いていました。そのレコードは日本人好みの選曲で(日本の特別企画盤),「サバの女王」,「枯葉」,「恋はみずいろ」,「愛の賛歌」,「別れの朝」,「風のささやき」,「ケ・サラ」,「行かないで」などの名曲ぞろいのアルバムでした。学生時代によく聴いていたものです。本当に懐かしい。
ところで私が偶然に遭遇したヴァルタンの動画というのが,これまた鮮烈であり,本当に感動しました。その動画のヴァルタンは当時まだ20歳そこそこでしたが,何よりも可愛く,美しく,颯爽としていて,エレガントで,そして美しいフランス語を使う歌唱力のある女性シンガーの姿でした。その動画というのは,恐らく「アイドルを探せ」(1963年フランス)という映画のワンシーンで,ヴァルタンが「La plus Belle pour Aller Danser」(邦題「アイドルを探せ」)という唄を歌っているものでしょう。本当に素晴らしいですわ・・・。飽きもせずに何度も何度も再生しました(笑)。
そんな訳で,早速ヴァルタンのベストを集めたCDを買っちゃいました。もちろん「アイドルを探せ」は入っておりますし,「あなたのとりこ」,「想い出のマリッツァ」なども入ったアルバムで,これまたとても素晴らしい。
ヴァルタンは今年の8月で73歳になりますが,大変息の長い歌手です。一度,インターネットで「アイドルを探せ」,「バルタン」とキーワードを入れて検索してみてください。そうすると,ユーチューブでこのヴァルタンの往年の素晴らしい映像を見ることができますよ。
愛読している産経新聞(笑)。その産経新聞にはいろいろと興味深い記事のコーナーがあるのですが,このうち「聴きたい!」というクラシック音楽の名盤をも紹介するコーナーがあります。曲の簡単な紹介と,お薦めの名盤が記されております。
それにしても,あのブラームスの交響曲第4番・・・。もちろん押しも押されぬ傑作だと思われますが,この曲が初演されたころは,特殊な音階を使う教会旋法やバロック時代の変奏形式,パッサカリアを曲中に採用したことに対して,マーラーやヴォルフらが「古めかしく無内容」,「時代に後ろ向き」などと酷評したようなのです。
それはとても意外でした。その一方で,リヒャルト・シュトラウスは「形式の扱いや構造が天才的」と絶賛したため,当時の音楽界では大論争に発展したようです。でも,この交響曲第4番第1楽章の冒頭のあの哀愁を帯びた美しい旋律,絶対に傑作でしょう。大好きです。
ブラームスという作曲家は,前から思っていたのですが素晴らしいメロディーメーカーの一人です。これは間違いない。例えば,その交響曲第4番第1楽章の冒頭の旋律を実際に聴けば合点がいくでしょうし,弦楽六重奏曲第1番第2楽章を聴いてごらんなさいよ。その旋律の美しさに涙が出てきますよ。その美しさ故に,あのルイ・マル監督の「恋人たち」という映画にも採用されていましたね。名女優ジャンヌ・モローが好演していました。
それから,交響曲第3番の第3楽章のこれまた思わず涙がこぼれるほどの憂愁を帯びた美しい旋律・・・。これを聴いて泣かない人は,人間ではないと結論づけてもよい!(笑)その美しさ故に,「さよならをもう一度」という映画に採用されていましたね。
それと私が子どもの頃から大好きだったピアノ曲のワルツ変イ長調,これも大変に美しい旋律なのです。
ブラームスは確かに出色のメロディーメーカーの一人です。
最近では,家庭裁判所によっては申立人待合室や相手方待合室でクラシック音楽が流されています。時代も移り変わってきております。20年ほども前ならばそんなこと考えもつかなかったでしょうに・・・。
たまたま私は,ごく最近,ある県の家庭裁判所本庁とある県の家庭裁判所支部に家事事件の仕事で出張したのですが,どちらもクラシック音楽が流されておりました。私もクラシック音楽がとても好きなので,それはそれで好ましいことだとは思いました。でも,これは少し贅沢でわがままな要望かもしれませんが,流す音楽は家庭裁判所の待合室などに向いている音楽を選んで欲しいと思いましたし,音量も少し配慮して欲しいかなと思いました。
というのも,家事事件で家庭裁判所を訪れる人々は,離婚事件や相続問題に関する事件の当事者である方々が多く,夫婦関係の深い苦悩や兄弟姉妹間の骨肉の争いを抱えた人なども割と多いのです。先日も,離婚事件の当事者であると思われる女性は,泣きながら調停室から待合室に戻って来ました。相手方の要求が相当に理不尽だったのか,それとも過去の辛い思いの数々が胸中に去来したためか・・・。ですから,待合室に流す音楽は,どちらかというと心の平静を保つことのできる比較的穏やかな音楽が良いと思います。
ところが,ごく最近訪れたある県の家庭裁判所支部は,モーツァルトのとても陽気で,順風満帆の気分を表しているかのような音楽を割と大きな音量で,これでもかこれでもかと待合室に流しておりました(笑)。しかも私がそれほど好きではないモーツアルトの曲ばっかりです(爆笑)。確かにフルート四重奏曲第1番の第1楽章なんかは良い曲ですよ。でもこれはウキウキした幸せ一杯の曲ではありませんか(笑)。例のアイネ・クライネ・ナハト・ムジークも,そして交響曲第41番「ジュピター」も人口に膾炙した名曲ではあります。でもこれは順風満帆の気分を表しているような曲じゃないですか(笑)。これらが割と大きな音量で連続してこれでもかと流されると,萎えてしまいます。少なくとも家庭裁判所の待合室で流すには不向きだと思います。
ところが,それに引き換え,私がごく最近訪れたある県の家庭裁判所本庁の待合室で流されていた曲の数々は,とても選曲が良かったと思います(笑)。家庭裁判所の待合室には向いております。例えば,ラヴェルの「逝ける王女のためのパヴァーヌ」とか,ショパンのノクターン第20番(嬰ハ短調,遺作)などでした。しかもその音量の適切なこと・・。これならば,深い悩みそして不安を抱えた方々も,心の平静を保ち,少し癒やされるのではないでしょうか。少なくとも耳障りではありません。
なお,最近気づいたのですが,警察署に電話をすると保留中の音楽は決まってベートーヴェンの「エリーゼのために」なのです。刑事事件でこれから被疑者に接見に向かうとき,予め留置管理係に電話をして予約をするのですが,代表電話から係に繋ぐ時の保留の音楽は,決まって「エリーゼのために」です。これは例外なくそうなのではないでしょうか。別に不向きとは申しませんが,警察署という強面の場所にしては少し可愛らしすぎる音楽でしょう。
音楽評論家であり指揮者でもあった宇野功芳さんが,6月10日に惜しまれつつ亡くなられました。
宇野功芳さんと言えば,やはり私の記憶の中にあるのは,往年の名指揮者ハンス・クナッパーツブッシュを一貫して評価する評論を書いておられたことです。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーびいきだった私ですが,例えばブルックナーの交響曲の指揮について,宇野さんはクナッパーツブッシュの指揮による方がスケールが大きく壮大だという趣旨のことをある書物で書かれていました。ホントかなと思って実際に聴きくらべてみたのですが,なるほどと合点もいきました。もちろんフルトヴェングラーの盤によるブルックナーも大好きですが・・・。でも少なくともブルックナーの交響曲第8番を聴く限りは宇野さんの言うとおりだと確かに思いました。
何となくですが,宇野さんはクナッパーツブッシュの生き様にも少なからず共感をもたれていたのではないかという気もしています。例えば,指揮者の世界では王道を歩んで来たフルトヴェングラーはその生真面目さゆえに演奏旅行中の汽車内でも絶えずその日の夜のコンサートでの演奏のことしか頭になかったとする一方で,クナッパーツブッシュはというと汽車内で仲間とポーカーゲームに興じていたなどといった面白い比較をしています。なお,宇野さんは,クナッパーツブッシュは「最も才能のない生徒」としてケルン音楽院を放逐されたりしたという逸話も紹介されておりますが,どうやらこれは誤りのようで(笑),彼は1910年にちゃんとケルン音楽院を修了しているようです。クナッパーツブッシュも後年,あれだけ高い評価を得る指揮者になるわけですから,大したものです。特にワーグナーとブルックナーの演奏,指揮には定評がありますね。ただ,練習嫌いで有名で,練習前に楽団員に「こんなことやめて,メシでも食いに行こう。」と語ったという逸話もありますが(笑)。
さて,宇野功芳さんは音楽評論だけでなく,実は立派な保守の論客です。思想的には私と同じ(笑)。確か2010年の9月の私のブログでもそのことを書きました。宇野さんは月刊誌「正論」の中で,「戦争直前の世界地図」というタイトルの立派な論稿を書いておられ,今の日本の現状を憂えていたのです。全く同感できる内容です。今晩はブルックナーの8番をクナッパーツブッシュの盤で聴きます。ご冥福をお祈りいたします。合掌。
前の晩飲み過ぎたにもかかわらず,先週土曜日も急ぎの仕事で三重県四日市市まで参りました。仕事が山積みになっているので,優先順位を見極めながら一つ一つこなしていくしかないのです。土曜日ではありましたが,自分にしては軽いフットワークで出張し,足を使った甲斐があって少し懸案だった仕事も無事に終わりました。
四日市までの往復の間,車の中で「癒やし」を求めてバッハの音楽を聴きました。この日はどういう訳かバッハのオルガン曲を聴きたいと思い,多くのCDの中から「トリオ・ソナタ第1番」から「トリオ・ソナタ第6番」まで(BWV525~530)を取り出し,じっくりと味わったのです。
くどいようですが,みなさん,やっぱりバッハはいいですよ。誠に素晴らしい。特に私の心の中にしみこんできたのは,トリオ・ソナタ第4番ホ短調(BWV528)の第2楽章の旋律です。何と表現したら良いのか,哀れみ,愛情,優しさといった人間の本質的な感情が,あたかも泉のようにこんこんと湧き出るような美しい旋律です。本当に感動しました。
この「トリオ・ソナタ」集は,オルガンの二つの手鍵盤とペダルを使って演奏される三声の多楽章曲です。当時著名なオルガニストでもあったバッハのオルガン演奏でもっとも印象的なのは,そのペダル演奏であったらしく,考えてみれば二つの手でミスタッチなく鍵盤を弾くだけでなく,さらには独立の声部を足(ペダル)で奏でる訳ですから,これはすごいことです。
音楽評論家の礒山雅さんはその論稿で次のように語っておられます。
「だが聴き慣れるに従ってこの作品(トリオ・ソナタ)は、私のかけがえのない宝となっていった。今では、六曲のトリオ・ソナタほど美しいオルガン作品はほかにない、と掛け値なしに思うようになっている。だが文献をひもといてみると、さすがというべきか、その美しさは、同時代においてすでに充分に認識されていたことがわかる。エマーヌエル・バッハは一七七四年にフォルケルに宛てた手紙で、次のように書いている。『この作品集は、いまは亡き父のもっともすぐれた仕事に属するものです。それらは生まれてすでに五十年以上にもなるのに、いまだにすばらしく、私を大いに楽しませてくれます。そのなかの二、三のアダージョ曲は、こんにちでもこれほど旋律的には書けまいとさえ思えるものです。なにぶんにもさんざん傷めつけられてきた作品ですので、どうかかわいがってやってください。』そしてフォルケルもまた、『これらの曲の美しさは筆舌に尽くし難い。これらは作者の円熟期に創られたもので、この種の曲として彼の主要な作品とみなすことができる』と述べているのである。」(バッハ全集9オルガン曲[1]37頁,小学館)。
改めてバッハの凄さを思いましたし,音楽の世界でも足が使われているのですね。
長らくブログを更新できないでいました。お久し振りです(笑)。
とにかく忙しくて忙しく,この3月は嵐のような1か月でした。もう少し仕事を要領よくやらねばという自戒もありますが,やることが多すぎてブログの更新ができませんでした。それに,もうお気づきの向きもあろうかと思いますが,当事務所のホームページも一新しました。そういった事情もあったのです。
さて,もうちょうど1か月前になりますが,バッハ好きの私としては,あの世界的名指揮者ニコラウス・アーノンクールの訃報に触れないわけにはまいりません。彼は今年3月5日に86歳で鬼籍に入りました。
アーノンクールと言えば,ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを率いた古楽器を使用した音楽の再生で著名な指揮者です。残念ながら私は生でその演奏を聴いたことはなかったのですが,レコード,CD,DVDなどで,アーノンクールのバッハを何度も何度も味わってきました。カール・リヒター率いるミュンヘンバッハ管弦楽団は主に現代楽器を使用し,リヒターは何と言っても音楽の求道者であったという印象をもっておりますが,古楽器にこだわったアーノンクールもまた求道者であったと言うべきです。
アーノンクールがウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを結成したのが1953年で,古楽器を用いた演奏でモンテヴェルディやバッハ,そしてウィーン古典派をはじめとする作品に独自の解釈を示したのです。
アーノンクールの訃報に接した晩,私は自宅にあったDVDを引っ張り出して聴いて見ました。DVDの映像には生き生きとした指揮ぶりのアーノンクールの姿があり,ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの楽団員(この中ではアーノンクールのアリス夫人もヴァイオリニストとして活躍),そしてアーノルト・シェーンベルク合唱団員のいずれもがこの巨匠に多大の尊敬の念を抱いているようでした。このDVDは,2000年12月8日メルク修道院(オーストリア)におけるライブ録音で,曲目は勿論私が大好きなバッハの曲です。教会カンタータ第61番(いざ来れ、異邦人の救い主よ),同第147番(心と口と行いと生活),マニフィカートです。誠に素晴らしい。感動しました。アーノンクールはあの世でリヒターと言葉は交わしたのでしょうか。ご冥福をお祈りいたします。
さて,桜が本当に綺麗です。自然の呼び声に応じていつでも散る覚悟ができている桜の花びらは,潔さと共に儚さを感じさせます。
「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」(西行)
私の友人にIさんという人がいます。会社の社長さんで,ありがたくも当事務所と顧問契約もしていただいています。年齢が私より8歳も下ですが,長幼の序をわきまえ,しかも思想的,政治的には私と同じ保守です(笑)。
このIさんは人間的にもなかなかに面白い人で,よくゴルフも一緒にやるのですが,当たるとドライバーの飛距離がすごく,ドライバーを打った直後に,よくキャディーさんから大きな声で「フォアー」なんて叫ばれています(笑)。そうです,この人の場合,ドライバーの打球の方向性に若干難があるのです。私も長いことゴルフをやっていますが,ドライバーショットが隣のさらにその隣のコースまで飛んで行ったのを目撃したのは初めてでした(爆笑)。長いこと生きていると,いろんな事があります(笑)。このIさんはそんな偉業を達成した人でもあります。
さて,友人のIさんとは,二次会などでスナックへ行き,よくカラオケで好き勝手に歌い合っておりますが,私とIさんは中森明菜の曲を歌う時は,決まって私は「セカンド・ラブ」を,そしてそのIさんは決まって「スローモーション」を歌うのです。以前Iさんとの間で,「スローモーション」と「セカンド・ラブ」のどちらが名曲なのかという議論,軽い論争をしたことがありますが,もちろん私は「セカンド・ラブ」だと主張しました。しかしIさんは「スローモーション」だと言って譲りません(笑)。
まあ,ヨハン・セバスティアン・バッハの「マタイ受難曲」と「ミサ曲ロ短調」のどちらがより傑作か,より凄いのかという論争とは次元も高尚さも異なりますが,Iさんとのこの論争,「セカンド・ラブ」か「スローモーション」かという問題はなかなかに難しい。
でも,先日Iさんがいつものように「スローモーション」を歌っているのを黙って聴いていたのですが,確かにこの「スローモーション」(中森明菜のデビュー曲)も良い曲だなと思いました。思わず私は,もう1本のマイクを手に取り,2番の歌詞を横取りするかのように歌ってしまったのです。そこはIさんも大人ですから,譲ってくれ,私の歌う「スローモーション」を黙って聴いていました(笑)。
私としては,今でも「セカンド・ラブ」の方が好きですが,「スローモーション」もなかなかに良い。それもそのはず,いずれも来生えつこ・来生たかおの作詞・作曲なのです。どちらも特に旋律が素晴らしい。
結局は,どちらも名曲なのですよ。
金曜日の晩,いつものように晩酌をしておりましたら,BS放送で辻井伸行さんの演奏などを紹介する番組が放送されていました。これはもうシリーズ化されているようで,今回は音楽の都ウィーンでのコンサートなどでした。本来ならば我が栄光の読売巨人軍の日本シリーズが見たかったのですが・・・(笑)。
「ウィーンの聴衆の心を震わせる」というようなサブタイトルが付いておりましたが,正にそのとおりです。素晴らしい演奏でした。思わず涙が出てきてしまいます。そしてどうしても盲目という要素が私の感動を倍加させてしまうのです。
曲目はプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番でした。学生時代はマルタ・アルゲリッチのピアノ,クラウディオ・アバド指揮・ベルリンフィルハーモニー管弦楽団演奏の名盤でこの曲をよく聴いたものです(この盤はさらに贅沢に,ラヴェルのピアノ協奏曲とのカップリングでもありました)。それにしても辻井さんの演奏は,音楽的には耳の肥えた聴衆であるウィーンの人々にも大きな感動を与えたようです。聴衆はさすがに少し乙に澄ました面もあり,演奏終了後の熱狂的なスタンディングオベーションまではいきませんでしたが,それをしている人も少なからずいましたし,拍手も大きく,演奏後にインタビューを受けていた初老の女性などは涙を流していました。よほど感動したのでしょう。
感動と言えば,実はこの番組を見ながらの晩酌の前には,タイ古式マッサージに行ってきました。本当にいつも思うのですが,タイ古式マッサージは極楽にいるような気持ちの良さです。これまた感動ものです。世界で一番気持ちよいマッサージとも言われているほどです。その店は日本人スタッフばかりで,少しばかり値段の設定も高めですが,このマッサージを受けて後悔したことは一度もありません。元気になるし,リンパや血液の流れが改善するのを実感できます。
なお,やはりこれはどの店でもありがちなことではありましょうが,人によって施術,マッサージの巧拙や技術水準の違いは少なからずあります。私は以前は,「ご希望のスタッフはいらっしゃいますか?」と尋ねられても,「どなたでも。」と答えるようにしていたのですが,せっかく少し高い料金をお支払いしているのですから,最近では上手だなと思うスタッフを指名させていただいております。タイ古式マッサージ・・・,皆さんにも是非お薦めしたいです。
みなさん,見ました?すごく大きな月を。少し前になりますが,それはそれは見事で,一際明るい大きな月を見ました。このように見える月のことを,どうやら「スーパームーン」というのだそうですね。地球の唯一の衛星である月そのものは物理的な大きさ,質量はずっと変わっていないと思うのですが,日によってはすごく大きく見える時があります。なぜそういう現象が起こるのか,私にはよく分かりません。バッハの時代にもそういうことがあったのでしょうか。
さて,月で思い出したのですが,アルノルト・シェーンベルクの作品の中に「月に憑かれたピエロ」という曲があります。若い頃に怖い者見たさの心境で数回聴いたことがありましたが,どうも馴染めなくて・・・(笑)。また,同じシェーンベルクの作品に「浄められた夜」という弦楽六重奏曲もあり,これは月下の男女の語らいが題材となっている曲で,こちらの方はまだ少しは馴染めるのですが,やはりついて行けない感じもあります(笑)。すごく前衛的な感じの曲ですが,とても無機的であり,どうしてもバッハの曲に戻りたい衝動に駆られます。
シェーンベルクといえば,いわゆる十二音技法の創始者として著名です(断っておきますが,「月に憑かれたピエロ」や「浄められた夜」はシェーンベルクが十二音技法を編み出す以前の作品です)。十二音技法というのは,12平均律にあるオクターブ内の12の音を均等に使用することにより,調の束縛を離れようとする技法です。で,でもね,私はやはり調性が感じられる音楽を愛します。その方が喜怒哀楽が感じられ,何と言っても人間的な音楽だからです。
あのバッハの平均律クラヴィーア曲集(第1巻,第2巻)の各プレリュードと各フーガの群の素晴らしさよ!これだけでもバッハの作品に巡り会えた幸せを感じます。
調性のことについてはこのブログでも,例えばヨハン・マッテゾンの調性格論について少し触れたことがあります。よろしければ一度読んでみてください(2011年11月9日付けのブログです)。