東日本の集中豪雨,特に鬼怒川の堤防決壊で被災された方々には,心からお見舞い申し上げます。家屋の倒壊や浸水,そしてまもなく収穫だったであろう稲穂が水に浸かって無残な姿になっている場面を見ますと,本当に悲しくなります。
さて,季節はというと過ごしやすくなりました。いつも毎年思うのですが,こういう季節になりますと,普段はバッハ一辺倒である私でもいろいろな音楽が聴きたくなります。毎年理由は分からないけどそうなってしまうのです。久しぶりにラフマニノフが聴きたくなったり,ブルックナーの重厚な音楽を聴きたくなったり・・・。そして今は,ドメニコ・スカルラッティのソナタ(チェンバロ作品)のCDを購入して聴きたいと思っています。中学生のころ,ヴラディーミル・ホロヴィッツがピアノで弾いているのを聴いて以来,何故かしら気になっていたのです。このソナタ群は独特の世界であり,良さをもっています。
あとは,9月13日に生まれたクララ・シューマンの作品も少し聴いてみたいなと思っております。夫であるロベルト・シューマンの作品は簡単にCDが手に入るのですが,果たして妻のクララの作品はどうなんでしょうか。でも寡作ではありますがクララが作曲した作品も魅力的なんだそうですよ。ピアノ独奏曲が多いようですけれど。
クララ・シューマンは9歳の時にあのライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と競演してモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏したくらいであり,その天才性は世に知れ渡っていました。クララの演奏を聴いたショパンは,「僕の練習曲集を弾ける唯一のドイツ人女性だ」と絶賛していたくらいです。
また,クララ・シューマンとブラームスとの親交は有名です。ブラームスは,クララが没した翌年に,その後を追うように病没しています。ウィキペディアの記載によれば,ブラームスはクララの危篤の報を受け取り汽車に飛び乗ったが,間違えて各駅停車の列車に乗ったために遠回りとなり,結局クララの葬儀には立ち会えず,ボンにある夫ロベルト・シューマンの墓へ埋葬される直前にやっと間に合い,閉じられた棺を垣間見ただけだったようです。
いずれにしても,このクララ・シューマンという女性は聡明で才能があり,何よりもドイツ国民に愛されていたのでしょう。何しろ,ヨーロッパ共通通貨のユーロに統合される前のドイツマルク紙幣(100マルク札)にクララの肖像が使用されていたくらいですから。
そりゃあ,やっぱりバッハのことに触れなければならないでしょう。だって,今日,7月28日は私が心からその音楽を愛するヨハン・セバスティアン・バッハの命日なんですもの。
私はバッハに関係する書籍を少なからず読んでいますが,バッハがよく「死への憧れ」を語り,それをモチーフにした曲を作っていたという記述に接したことがあります。それが今となってはどの本だったのか覚えがありません。死をモチーフにしたバッハの曲ですぐに思い浮かぶのは,教会カンタータ第161番「来たれ、汝甘き死の時よ」です。傑作です。やはりバッハは凄いです。30歳そこそこでこのような曲を生み出すのですから。その歌詞の一部は次のようになっております。
「わたしは喜ぶ、この世との別れを わたしの切なる願いは、救い主とともにあり やがてキリストのもとに生きること」
この歌詞はザーロモン・フランクのものであり,フランクの歌詞はあの「マタイ受難曲」の中でもいくつか採用されています。バッハはフランクの詩に共感を覚えていたのでしょう。バッハは死に憧れていたのか・・・。確かに死というものは人間に一切の苦痛から逃れさせてくれますが,恐らくバッハが「死への憧れ」に言及し,それをモチーフにした曲を作ったのは,特定の人の死の追悼のために依頼されたということもありましょうし,もっとキリスト者としての積極的な動機,つまり,永遠の命への憧れ(死によって魂とキリストが一体化し,栄光と至福に至るという思い)を「死への憧れ」と表現したのでしょう。
さきほど挙げた第161番の教会カンタータが傑作なのは言うまでもありませんが,同じ「死」を扱った教会カンタータとしては私は第106番「神の時こそ、いと良き時」がとても好きです。むしろこちらの方が好きかな。あの2本のリコーダーの音で始まる甘美なメロディー,曲も歌詞も誠に素晴らしい。「神の時」とは死の時を意味します。私は,キリスト者ではありませんが,バッハのこういった名曲に巡り会えたことに心から感謝しているのです。
前からそうだったのですが,私はバッハのブランデンブルク協奏曲という全6曲の個性豊かでとりわけ完成度が高いと思われる器楽曲が好きでした。その思いを特に強くしたのは,昨年の秋に横浜のみなとみらいホールでこの曲を家族と一緒に聴いてからです。その時はミュンヘン・バッハ管弦楽団の演奏でした。
この6曲は楽器の編成も本当に様々ですし,曲調も個性豊か。共通しているのは,やはりいずれも第2楽章が緩徐楽章になっているということと,いずれも長調で書かれているということでしょうか。それにしても,ケーテン時代のバッハは特に器楽曲の創作に集中できたようです。このブランデンブルク協奏曲や,平均律クラヴィーア曲集第1巻,管弦楽組曲などもこの時代だったと思います。それもこれも彼を宮廷楽長として招聘したレオポルト・フォン・アンハルト(ケーテン侯)が非常に音楽に理解があり,バッハにとって創作に集中できる環境を作ってくれたからでしょうね。
それにしても,バッハはこのブランデンブルク協奏曲をどんな風に指揮し,演奏させていたのでしょうか。とても興味深いのです。古楽器ですからカール・リヒター指揮のミュンヘン・バッハ管弦楽団のような響きではなかったでしょうが,それじゃあ,トン・コープマンやニコラウス・アーノンクールの指揮する各楽団のような響きだったのでしょうか。そしてテンポはどんな感じだったのでしょうか。バッハ指揮による生演奏がどんな風だったか知りたい。
先日の産経新聞の「産経抄」には,「こゑわざの悲しきことは、我が身隠れぬるのち、とどまることのなきなり」(『梁塵秘抄口伝集』巻第十)という言葉が引用されていました。声による技は書くとか刻むという営みでは残せない,後世に残すことはできないということを,平安末期の歌謡の担い手が嘆いたのです。声という訳ではありませんが,バッハの時代も当時の音を後世に残すことはできませんね。今の時代ならばともかくとして・・・。
引き続いてバッハの話題になってしまいます(笑)。
遠方まで車で行くときには,いつもバッハを聴いておりますし,そのうち教会カンタータについては「今日は160番台」にしようなどとその日の気分で決めています。
そこで先日も車の中で聴いていて,「やっぱり,バッハは凄いな。」と思いましたのは,教会カンタータ第162番「ああ、われは見たり、いまや婚礼におもむくとき」の第1曲目のバス独唱によるアリアの素晴らしさです。何でこんなに美しい旋律を創造することができるのか・・・。その曲の美しさに接すると,本当に泣けてくるくらいなのであります。
この曲の素晴らしさについて以前にもこのブログで書いたような記憶もあるのですが,また書かずにはいられません。この教会カンタータ(第162番)の成立と初演はヴァイマル時代の1716年と言われており,ずっと時代が下ってライプツィヒ時代にも再演されています。
このカンタータのテクストは,バッハのカンタータにはよく採用されているザーロモン・フランクの「福音主義教会の捧げ物」からとられています。天国に入ることを婚礼にたとえ,しかしそこに招かれるためにはふさわしい礼服が必要なのだと説く,当日の福音書聖句に準じた内容です。
この第1曲のアリア(バス独唱)の素晴らしさについては,前回のこのブログにも登場した音楽評論家の加藤浩子さんの解説に委ねましょう。
「バスの独唱によるアリア(ロ短調、4/4拍子)、婚宴に赴こうとする『われ』が、安息と災い、天国と地獄のせめぎ合うさまを目のあたりにし、それを乗り越える勇気を与えたまえとイエスに祈る。通奏低音は8分音符の音型を奏で続けて婚宴に赴く者の歩みを表し、スライド・トランペットがその歩みを力づけるように寄り添う。天の光輝と『せめぎあう』地獄の『業火』が16分音符の細かい動きで引き伸ばされて強調され、最後はイエスに救いを求める切なる声が繰り返されて、曲を閉じる。」
この曲の美しさの余韻がまだ頭の中にありますが,これから東京家裁での調停に出発します。もちろん,八重洲地下中央の旭川ラーメン「番外地」で塩バターコーンラーメンも食べてきます(笑)。
このブログの読者のみなさんは,私が死ぬほどのバッハ好きであることは既にご承知でしょうかね(笑)。そうなんです,改めて言うまでもなく私は死ぬほどバッハの音楽が好きなのです。バッハの音楽は「人類の至宝」と言ってもいい。悲しいときや不安なとき,めちゃくちゃ楽しいときや何気ないとき,私はバッハの音楽を聴いては癒やされ,元気をもらって今日まで何とか生きて参りました(笑)。
そんな訳で,私はずっと前からバッハが生まれてからその終焉までの彼の足取りをたどるような旅行をしたいと思っていました。ただ,私の場合は,ドイツ語はもちろん,英語だって満足に話せませんから,自力で企画・実行というのではなくそのような旅を企画したツアーに参加したいと思っていたのです。
今までそれが実現できなかったのは,そのような旅行(バッハの足取りを辿るということに特化したもの)を企画したツアーに巡り会えなかったことと(本気で探すことを怠ったというのが実際でしょう。),時間とお金の余裕が無かったことです。
でもよくよく調べて見ると,郵船トラベルという会社のサイトの中に,「音楽評論家加藤浩子と行くバッハへの旅」という企画がちゃんと存在するではありませんか。実はこのような企画は,2000年のバッハ没後250年に際して「バッハへの旅」という本(写真は岩月伸一,東京書籍)を著した加藤浩子さんが案内をつとめる形で始まったようであり,これまでに通算20回を数え,その参加者は述べ600名を超えているそうなのです。2015年も3月と6月に企画されております。
知らなかった・・・。バッハゆかりの地であるアイゼナッハ,ヴァイマル,ライプツィッヒなどを10日から12日間にわたって旅する企画なのです。私としてはお値段の方が気になるのですが,60万円から65万円くらいのようです。時間とお金に余裕がなければとても行くことができないのですが,何とか死ぬまでに一度はこの旅を実現したいと思っております。それが夢でもあります。
さきほどご紹介した加藤浩子さんの本(「バッハへの旅」東京書籍)はもちろん私も5,6年前に読みました。良い本でした。加藤さんのバッハの音楽への思い入れのほどがよく分かり,かつてこのブログでも紹介しております(2010年7月28日)。その時もその本の一部を引用させてもらったのですが,本日もさらにそのうちの一部を引用させてもらいます。
「バッハに導かれて、ここまできた。いつ出会ったか、記憶にないままに。けれど気づいてみたら、いつもバッハがいた。好きな作曲家は大勢いるのに、好きな音楽もたくさんあるのに、ふと佇んだとき、曲がり角にいるとき、いつもバッハはさりげなかった。そして強かった。・・・・・行く手の見えなかった私がここまで歩いてこられたのも、バッハの強さの、破格さの、証明であるように思えるのだ。」(同書342~343頁の「あとがき」から)。
人間の脳というのは本当に不思議なもので,何がきっかけなのかは分からないけれども,随分と昔の出来事をある時ふっと思い出すことがあります。
私がまだ20代の頃にある面接に臨んだことがあり,その時の面接官とのやり取りをふっと思い出してしまったのです。「尊敬している人は誰ですか?」・・・。面接の際の定番とも言うべき質問です(笑)。でも当時の私は別に面接対策などは講じていなかったので,急にその質問が出された際に「ヴィルヘルム・フルトヴェングラーです。」と咄嗟に答えてしまったのです。
そう,往年の世界的名指揮者であり,当時私はこの指揮者の指揮によるベルリン・フィルハーモニーやヴィーン・フィルハーモニーの演奏のレコードばかりを聴いていましたし,フルトヴェングラーに関する本をよく読んでおりましたので,ついそう答えてしまったのです。定番のとおり「両親です」とでも答えておけば良かったものの,面接官の一人(音楽オタク風の人)が私に鋭いツッコミを入れてきたのです(笑)。
その面接官は,第二次世界大戦中にフルトヴェングラーが結果的にはナチス・ドイツに協力したと言われても仕方ない側面があると指摘したのです。私も若気の至りでその面接官と少し議論状態になったことがありました(笑)。確かに政治的に利用された面があったことは否定できませんが,フルトヴェングラー自身は個人的にユダヤ人を庇い,葛藤の中で自分の音楽活動が政治的にできるだけ利用されまいと可能な限りの抵抗を示していたと思います。例えば,ゲーリングらが企画する音楽会を拒否するとか,ナチス式敬礼を一切行わないとか,ユダヤ人その他の弱い立場の人々の助命嘆願書を繰り返し提出したとか,占領地での演奏会を絶対に行わないとか,公然とナチス批判を行ったとか,ナチス高官の脅しに屈しなかったとか・・・。
その面接官は面接の最後に,私に対して,「『フルトヴェングラー-音楽と政治』クルト・リース著,八木浩・芦津丈夫(翻訳),みすず書房)という本を一度読んでみるといいよ。」とアドバイスしてくれました。直ぐに買って読んでみましたが,その面接官も実はフルトヴェングラーを少なからず評価していたのではないかとも思える内容でした。
何よりもフルトヴェングラーの再現する音楽は,素晴らしく,愛に満ちていると思います。私はフルトヴェングラーの慈悲深い顔が描かれたマグカップを今も大切に,宝物のように持っています(笑)。
フルトヴェングラーのお墓はハイデルベルクの市営墓地にあるようですが,その墓石には次のような文字が刻まれています(「フルトヴェングラーとの対話」207頁,カルラ・ヘッカー著,薗田宗人訳,音楽之友社)。
「げに信仰と希望と愛と、この三つのものは限りなく存(のこ)らん。しかしそのうち最も大なるは愛なり。」
髪の寝ぐせが直りにくくて閉口しております。町を歩いていてもすごく恥ずかしい。弁護士として会心の法律相談ができたとしても,寝ぐせの存在が説得力を無くしてしまいます(笑)。寝ぐせ直しに効果的なグッズが何かありませんかねえ。
本日の本題は寝ぐせではありません(笑)。バッハの教会カンタータです。
岡崎出張の際に車の中でバッハの教会カンタータを聴きました。第51番の教会カンタータは「もろびと、歓呼して神を迎えよ」という標題が付けられております。これまた本当に佳い曲なのであります。素晴らしい。
ただ,改めてビックリいたしましたのは,終曲のハレルヤ(歌詞が「ハレルヤ」のみです。)を歌いこなすのはとてつもなく難度が高いだろうということです。作曲家の江端伸昭さんの解説によれば,これはバッハの教会カンタータとしては異例(唯一)の大規模な独唱アレルヤで,協奏的フーガの形を取り,冒頭曲と同じようにトランペットとの華やかな競演が繰り広げられるという曲なのです。
この曲はソプラノ独唱なのですが,テンポが速く,音も小刻みで飛躍もあり,息継ぎがとても難しいのです。このカンタータの冒頭曲もそうでしょうが,この終曲もとてつもなく難度が高いということは聴いていて素人でも分かります。バッハさん,さすがにそれは辛いですわ(笑)。とても佳い曲ですけど・・・。
既出の江端さんは「これはまさしく、成人ソプラノ歌手のコロラトゥーラを念頭に置いて書かれた曲である。後にライプツィヒの通常の礼拝でこのカンタータが演奏された時、独唱を担当したボーイソプラノは、このアレルヤをどの程度歌いこなせたのだろうか。」と心配されております(笑)。
バッハは聖歌隊にも厳しい技術を要求していましたからね。そう心配されるのも無理はありません。なお,コロラトゥーラとは,クラシック音楽の歌曲やオペラにおいて,速いフレーズの中に装飾を施し,華やかにしている音節のことで,トリルが多用されるものを指します。難度が高いのでありますよ。いくら能力の高いボーイソプラノでも相当に辛いでしょう。
くどいようですが,でも佳い曲です。
先週の話になるんですけど,金曜日の夜空に浮かんでいた月の見事なこと・・・。思わず足を止めて,見とれてしまいました。真ん丸で,大きくて,明るい月でした。私も帰路にありましたので,この月を見た途端に晩酌したくなりましたし,何故かバッハの教会カンタータを聴きたくなりました。週末で少しリラックスしていましたしね。
ほろ酔いかげんでその日の晩にまず聴いたのが,教会カンタータ106番「神の時こそ、いと良き時」です。その日は何故かこの曲が聴きたかったのです。以前にもこのブログでご紹介したことがある曲ですが,べらぼうに佳い曲ですよ。この曲はバッハ作品の中でも初期の曲ですが,しみじみと情感たっぷりに聴かせてくれます。本当に心にしみ入る感じです。この曲は,バッハの母方の伯父の葬儀のために作られたとも,あるいは知人の娘さんの葬儀のためとも言われており,定説がありません。でも,「神の時」というのは神の思し召しで迎える死の時を意味しますから,葬儀,追悼のための曲だったことは間違いありません。
さきほど,「しみじみと情感たっぷりに」と言いましたが,冒頭のリコーダー2本の奏でる旋律(ソナティーナ)が心にしみ入るのです(ヴィオラ・ダ・ガンバもこれに寄り添います)。私が小学生や中学生の頃は,音楽の授業でリコーダーを演奏したことがありました。皆さんもそうだったのではないでしょうか。手軽に奏でることができる楽器ではありますが,この106番などを聴いておりますと,このリコーダーが大活躍で,改めてこの楽器の魅力が堪能できます。
リコーダーが活躍するバッハの曲でその他にすぐに思い出すのが,ブランデンブルク協奏曲の第4番です。これも2本のリコーダーが競い合うように軽快で優美な旋律を奏でます。10月5日(日)に横浜みなとみらいホール(大)で聴いたこの曲が今でも鮮明に頭の中に残っております(ミュンヘン・バッハ管弦楽団の演奏)。会場で聴いていて感動したのは,シュテファン・テミングとイーガル・カミンカという当代一流の若手リコーダー奏者がバイオリン奏者を間に挟んで互いに向き合い,競い合うように軽快で優美な旋律を奏でていたのです。リコーダーという楽器の素晴らしさを再認識しました。
台風一過となりましたが,台風が来襲する前日(日曜日)の横浜も相当な雨風でした。5日の日曜日,私は家族(カミさんと娘)と一緒に中華街でとてつもなく辛い麻婆豆腐などを食べた後,横浜のみなとみらいホールにおいて,ミュンヘン・バッハ管弦楽団の演奏で,バッハのブランデンブルク協奏曲全曲を聴きました。
ミュンヘン・バッハ管弦楽団といって直ぐに思い浮かぶのは,何と言っても創始者であり初代の音楽監督であったカール・リヒターですが,実は私はミュンヘン・バッハ管弦楽団の生の演奏を聴くのはこれが初めてでした。私が1970年前後のカール・リヒターの指揮による演奏を何度も何度も観たり聴いたりしていたのは,あくまでもDVDやCDででしたから・・・。
リヒターの時代のバッハのブランデンブルク協奏曲のDVDを観ておりますと,コンサートマスターはオットー・ビュヒナー,ホルンはヘルマン・バウマン,フルートはオーレル・ニコレ,バロックトランペットはピエール・ティボーなどなど,より名人級,職人級を集め,より張り詰めた雰囲気と,何よりもリヒターのカリスマ性が横溢していたと思いますが,日曜日に横浜で聴いた現在のミンヘン・バッハ管弦楽団の演奏も素晴らしかったと思います。ミュンヘン・バッハ管弦楽団の伝統は確かに今も生きているような気がします。本当に感動的な演奏でありました。
感動のあまり,不覚にも二度ほどひとすじの涙が右の頬を伝ったのでありました。あとで尋ねてみると,娘もカミさんも泣きそうになったと言っておりました。でも実際に涙を流したのは私だけでしたけどね(笑)。
私が思いますに,この演奏を聴いて,家族揃って泣きそうになったり実際に涙が流れたというのは,ミュンヘン・バッハ管弦楽団の演奏の素晴らしさもさることながら,何よりもバッハの音楽の素晴らしさによるものだと確信しております。特にブランデンブルク協奏曲は,ケーテン時代に成立したもので,バッハがライプツィヒ時代のように多忙を極めてはおらず,作曲に集中することができた時期の作品で素晴らしく充実しています。第1番から第6番まで(いずれも長調で書かれております),どれをとってもバッハ作品の魅力に溢れているのですよ。
私たち家族は感動に包まれつつ横浜を後にしたのですが,私はというと,崎陽軒のシウマイを買って帰ることも忘れてはおりませんでした(笑)。
空には張り付いたような鱗雲で,もう秋の空です。とにかく今週は忙しく,ほとんど事務所にはおらず,出張が続いております。明日は東京家裁行きでもあります。そんな訳で,今週のブログの初更新が木曜日となってしまいました。
今日もまずは早朝から津へ行き,その足で一宮へ・・・。カバンも重いし,結局は車で移動することにしました。車中で聴く音楽は何が良いか,かなり迷いましたが,フルートが主人公になるバッハのソナタを選びました。フルートとオブリガード・チェンバロのためのソナタ3曲(BWV.1030~1032)と,フルートと通奏低音のためのソナタ(BWV.1033~1035)3曲が入ったCDを選びました(あの名手ジャン・ピエール・ランパルのフルート,トレヴァー・ピノックのチェンバロ,通奏低音部のチェロはローラン・ピドゥ)。
こういうバッハの名曲と一緒なら,車の運転も余り苦になりません。精神的に癒やされながら移動しております(笑)。ただ・・,ただですよ・・・,実は今挙げた6曲のうち,2曲については真贋論争があるのです。つまり,本当はバッハ(私の言うバッハはJ・S・バッハのことです)が作曲したのかどうかについての真贋論争です。
ここでバッハの名誉のために断っておかなければならないのは,あのバッハ自身が他人の作品を自分の作品だと偽ったのでは絶対ないということです。あの天才,そして「音楽の父」がそんなことをする必要は全くなく,あくまでも後世の人たちが,実際にはバッハの作品かどうか疑わしいのにバッハの作品としてしまったということ,そしてそのことについての論争があるのだということなのです。
具体的には,フルートとオブリガード・チェンバロのためのソナタ変ホ長調BWV.1031とフルートと通奏低音のためのソナタハ長調BWV.1033です。フルートとオブリガード・チェンバロのためのソナタ変ホ長調BWV.1031は,特に第2曲目のシチリアーノの哀愁を帯びた美しい旋律が世界的に有名です。私もこの曲は好きなのですが,やはり素人の私でもちょっとこれはバッハの旋律ではないような気がしています。また,フルートと通奏低音のためのソナタハ長調BWV.1033についても,その曲自体は佳い曲だと思いますが,音楽評論家の佐々木節夫さんが述べるように,この曲は和声的な構成が目立ち,バッハらしい緻密な対位法技法が発揮されてはいません。その意味でやはりバッハの作品とは違うような気がします。
この真贋論争については古い歴史があり,近年ではアメリカの音楽学者ロバート・マーシャルが詳細な研究により,ト短調BWV.1020を除き,全てバッハの真作とする論文を発表・・・。しかしその論文に対しては,スウェーデンの音楽学者ハンス・エプシュタインが反論を試みております。
素人の私には分かりませんが,ただ少なくとも贋作と言われている曲を改めて聴いてみますと,佳い曲であることは間違いないにしても,やはり何となくバッハの旋律ではないような気がしますし,各声部に明確な線として浮かび上がるバッハ的な緻密な対位法技法が見られません。例えば,フルートとオブリガード・チェンバロのためのソナタでしたら,バッハの場合でしたらフルートの旋律と,チェンバロの左右の手が奏でる旋律の三声部が対位法的に浮かび上がって来るのですよ・・・。