この3連休の最終日はゴルフでした。この暑いのに本当に大丈夫だろうかと不安だったのですが,無事に18ホールをこなしました。まだまだ私もそこそこ元気です(笑)。
私は車でゴルフ場まで行き来する際には,よくバッハの教会カンタータを聴きます。気分が鎮まるのです。バッハの教会カンタータを聴きますと,行きはワクワクしたゴルフ気分を少し抑制して落ち着かせることができますし,帰りは酷いスコアに打ちひしがれていても,癒やされるのです。
その日のゴルフ場の帰り道,車内で聴いた曲に思わず心を奪われ,繰り返し,繰り返し聴いてしまいました。バッハの教会カンタータ第162番「ああ、われは見たり、いまや婚礼におもむくとき」の第1曲の素晴らしさ。これは全6曲から成っているのですが,第1曲目のそのメロディーの美しさは本当に感動ものなのです。なお,終曲の6曲目には「人はすべて死ななければならない」という印象的なコラールが配置されています。この極めて美しいメロディーの第1曲についての音楽評論家加藤浩子さんの解説を紹介します。
「第1曲は、バスの独唱によるアリア(ロ短調、4/4拍子)。婚宴に赴こうとする「われ」が、安息と災い、天国と地獄のせめぎ合うさまを目のあたりにし、それを乗り越える勇気を与えたまえとイエスに祈る。通奏低音は8分音符の音型を奏で続けて婚宴に赴く者の歩みを表し、スライド・トランペットがその歩みを力づけるように寄り添う。天の光輝と「せめぎあう」地獄の「業火」が16分音符の細かい動きで引き伸ばされて強調され、最後はイエスに救いを求める切なる声が繰り返されて、曲を閉じる。」(バッハ全集4「教会カンタータ[4]271頁,小学館)
この第162番「ああ、われは見たり、いまや婚礼におもむくとき」の全体は,天国に入ることを婚宴に招かれることにたとえ,しかしそこに招かれるためにはふさわしい礼服が必要なのだと説く、当日の福音書聖句(書簡エフェソ,福音書マタイ)に準じた内容になっております。確かに,ダンテ「神曲」に登場するウェルギリウスほどの人でも,洗礼を受けていないばっかりに,ダンテを天国まで道案内することはできませんでしたね。婚宴(天国)に赴くにはしかるべき礼服(信仰)が必要だという内容のカンタータです。
それにしてもですよ,この第1曲のメロディーの美しさには,思わず目頭が熱くなってしまいました(ゴルフのスコアが悪かったからではありません)。本当にバッハの音楽は素晴らしい。この曲はバッハのヴァイマール時代の成立とされていますから,30歳そこそこの時代の作品です。バッハの教会カンタータは約200曲ありますが,この第162番の第1曲のように,思わず繰り返し,繰り返し聴きたくなるような珠玉の作品がちりばめられております。
昨日,自分の車で移動していましたら,ラジオから聞き覚えのあるメロディーが流れてきました。「ロンドンデリーの歌(ダニー・ボーイ)」でした。仕事の合間にこのような曲を聴きますと,癒されますね。本当に佳い曲です。アイルランド民謡には多くの有名な曲がありますが,私はこの「ロンドンデリーの歌(ダニー・ボーイ)」が一番好きです。これはもううろ覚えですし,ひょっとしたら勘違いかもしれませんが,19世紀の後半,イギリスで有権者の人気を二分した自由党のグラッドストンと保守党のディズレーリは政治家としては好敵手でした。そのライバル同士の二人が,肩を組んでこの「ロンドンデリーの歌」を歌ったのではなかったでしょうか。
音楽の話ついでといっては失礼ですが,バッハ・コレギウム・ジャパンの鈴木雅明さんが,バッハの音楽の普及に貢献した人に授与される「バッハ・メダル」を受賞されました。誠に素晴らしいことです。過去の受賞者にはグスタフ・レオンハルトやニコラウス・アーノンクールなど錚々たる巨匠が名を連ねています。東京でだったか,名古屋でだったか覚えておりませんが,私も鈴木雅明さん指揮でバッハ・コレギウム・ジャパンのバッハを聴かせてもらったことがありますが,その演奏を聴いて「真摯」という言葉が思い浮かびました。このたびの受賞は,これまでの地道で,真摯な活動とその音楽的な完成度の高さが評価されたのではないでしょうか。この6月には,鈴木雅明さん率いるバッハ・コレギウム・ジャパンが,あのバッハゆかりの聖トーマス教会で「マタイ受難曲」を演奏したそうです。この世界での日本人の活躍ぶりを知るにつけ,誇らしい気持ちになります。
娘のあかねちゃんは,今,大学でいろいろな科目の勉強をしておりますが,先日の晩,相変わらず晩酌をしてほろ酔いになっている私の横で,哲学の先生のことについて話してくれました。この哲学の先生は,フランスの哲学者アランの「定義集」を教材にして教えているそうですが,この先生は,音楽史上の最高傑作は何かという話題になった時(哲学の授業の時にどうしてこういう話題になったのかは不明),迷わずバッハの「マタイ受難曲」だと仰ったそうです。
・・・・・・・・素晴らしい。仰るとおりです。
先日の私のゴルフには,久しぶりに復活の兆しが見えました(笑)。ホントに久しぶりに安定していたのです。自分にしては最近にないスコアで大変満足です。仕事も勿論ですが,このゴルフというやつもますます精進したいと思っております。
土曜日の夜10時から大変良いテレビ番組を目にしました。NHKのBSプレミアム放送で「ザ・プロデューサー」というタイトルの番組で,これは「5人目のビートルズ」と呼ばれたイギリスの音楽プロデューサー,ジョージ・マーティンの半生と曲作りの舞台裏を紹介したものです。
私は大学時代には暇さえあればクラシック音楽とビートルズの曲を聴いていました。ビートルズの音楽活動にとって欠かせない人物といえば,マネージャーのブライアン・エプスタインと,この音楽プロデューサーのジョージ・マーティンです。ジョージ・マーティンはクラシック音楽の基礎を徹底的に学んだだけあって,ビートルズナンバーにもそのクラシカルなアレンジ,時にはバロック音楽風のものがちりばめられています。こういうのは私は昔から好きでした。
例えば,ビートルズのアルバム「リボルバー」の中には,「フォー・ノー・ワン」というポールの曲があるのですが,この中間部にフレンチホルンによるバロック音楽風の曲が流れるのです。これがとても良いのですよ。いかにもジョージ・マーティンらしい旋律と手法です。ちなみに,この「フォー・ノー・ワン」については,ジョン・レノンは生前,ポールが書いた曲の中ではこれが一番好きだと言っていたそうです。
それから例えば,ビートルズのアルバム「ラバー・ソウル」の中には,「イン・マイ・ライフ」というこれまた名曲があるのですが,やはりこの中間部にピアノによるバロック音楽風の曲が流れるのです。これがまたとても良いのですよ。これもいかにもジョージ・マーティンらしい旋律と手法です。
さらには,さきほど挙げたアルバム「リボルバー」の中には,「エリナー・リグビー」という有名な曲があるのですが,この曲全体に流れる弦楽器によるクラシカルなアレンジもいかにもジョージ・マーティンらしい。彼が気合いを入れていると思われるその他の曲,例えば「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の中で採用されたオーケストレーション技法も,クラシック音楽を学んだ彼ならではです・・・。
懐かしい1時間でした。ビートルズはいつ聴いてもいいですね。ただこの番組の最初と最後にはNHKが余計とも思われる編集を入れております。この番組の基になっているのはイギリスBBCで放送されたドキュメンタリー番組なのですが,最初と最後の編集は少し興ざめしました。その日の読売新聞の朝刊には「BS試写室」というタイトルの番組紹介欄があったのですが,その記事の中でも「1時間に収めるのがもったいないほど本編の密度が濃いだけに、最初と最後に、今が旬の俳優が登場してあれこれ語る部分が蛇足に思えた。」と指摘されており,残念ながら同感です(笑)。
ドイツの名バリトン歌手であったディートリヒ・フィッシャー=ディースカウさんが5月18日に亡くなられました。もう既に86歳のご高齢だったのですね。ちょっと敬称は略させていただきますが,フィッシャー=ディースカウの歌声は今でも頭に焼き付いております。訃報に接し,さっそくアルヒーフから出ているバッハの「ミサ曲ロ短調」の1961年録音版でフィッシャー=ディースカウの若かりし頃の歌声をしみじみと聴きました(泣)。
私が学生の頃は,シューベルトの歌曲集「冬の旅」を,よくフィッシャー=ディースカウとジェラルド・ムーアのピアノ伴奏という絶妙のコンビの演奏で聴いていました。この歌曲集の中では,私は特に第1曲目の「おやすみ」が好きなのです。夜中に,フィッシャー=ディースカウの「おやすみ」をよく聴いたものですよ。同じ「冬の旅」でも,フィッシャー=ディースカウとダニエル・バレンボイムのピアノ伴奏の版(1979年録音)について,音楽評論家の歌崎和彦さんは,次のように評論しております。
「F=ディースカウの五回目の録音は、余分な感傷を排して、劇的であるとともに、きわめて深くすみきっている。巧緻な表現がさらに一段高く突き抜けた境地を獲得して、最後の『辻音楽師』の問いかけに、無限の余韻と感動を残して去ってゆく。」
同世代のやはり大歌手(ソプラノ)だったエリーザベト・シュヴァルツコップは,フィッシャー=ディースカウのことを「神に近い存在」とまで評価しておりましたし,現役時代はそれこそ傑出した存在だったのでしょうね。
シューベルトの歌曲集「冬の旅」について,フィッシャー=ディースカウとダニエル・バレンボイムのピアノ伴奏の録音版(1979年録音)を私は持っておりませんので,今度なけなしの小遣いをさいて買い求め,しみじみと,そしてじっくりと聴いてみたいと思います。「おやすみ」や「菩提樹」だけでなく,終曲の「辻音楽師」とその余韻も・・・。合掌。
昨日は東京出張でした。こういう日は車窓から富士山の美しい姿を眺めるのが楽しみなのですが,この日はそれははなから諦めておりました。予報通り天気が悪かったからです。案の定,富士山の姿を見ることは残念ながらできませんでした。新幹線の往路の楽しみはというと,車内で美味しい駅弁を食べることです(笑)。ただ一つ不愉快だったのは,通路隔てた反対側の座席の男のマナーの悪さです。私も窓側,その男も通路隔てて反対側の窓側で,そこそこ離れてはいたのですがやはり気になりました。その男は長髪で歳の頃は40代そこそこでしょうか,平気で携帯電話を使いやがるのです。それと,パソコンの「パチャ,パチャ」というキータッチの音・・・。そのバカのせいで,美味しい駅弁と楽しい読書に少なからぬ影響がありました(笑)。
さて,仕事を終えてまっすぐに名古屋へ帰るような私ではありません(笑)。ある所に寄った後に,銀座の山野楽器へ当然のように向かいました。2階にはクラシックの大きなコーナーがあるのです。その日の私のお目当ては,クラシック音楽のDVDです。いろいろ迷った末に購入したのは,バッハ弾きで世界的に著名なアンジェラ・ヒューイットの「バッハ・パフォーマンス・オン・ザ・ピアノ」(ハイペリオン・レーベル)というDVDと,バッハの「マニフィカト」(ニコラウス・アーノンクール指揮,ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスほか)のDVDを買いました。後者は,バッハの「マニフィカト」だけでなく,私の大好きな教会カンタータ第147番「心と口と行いと生活」,それに第61番「いざ来れ、異邦人の救い主よ」が入っておりましたので,好都合です。
アンジェラ・ヒューイットのバッハ演奏は,私は以前から注目し,好きでした(結構,美人ですしね・・)。そしてこの日に私が買い求めたDVDの1枚目には,バッハ演奏についての授業のような内容,つまり,ピアノでバッハを演奏するための7つのポイントをヒューイットが直々に伝授してくれるというものです。テンポ,アーティキュレーション,フレージング,解釈,バッハにおける舞曲ということ,フーガの学習,装飾音,実用的なアドバイスなどなどです。私には難しすぎてなかなか分かりにくいのですが,このDVDの1枚目はヒューイットが直々にその都度実演をまじえてレクチャーしてくれる形式になっておりますので,私のような者でも一時的には分かったような気にさせてくれるのです(笑)。また,このDVDの2枚目は,正にヒューイットの模範演奏ともいうべき,バッハの「パルティータ第4番ニ長調」,「イタリア協奏曲」,半音階的幻想曲とフーガニ短調」が入っております。素晴らしい。
アンジェラ・ヒューイットはこれまでにも何回か来日して平均率クラヴィーア曲集などの演奏を披露してくれておりますが,次の来日が待たれます。その折りには,何とか都合をつけて生の演奏を聴いてみたいと思います。
モーリス・ラヴェルの曲は,たまに無性に聴きたくなる時があるのですよ。彼の曲は,フランス音楽の中でも立派な小宇宙を構成していると思います。私は特に若い頃によく聴いたものです。
特に何度も何度もよく聴いたのは,ピアノ協奏曲ト長調とか,組曲「クープランの墓」とか,それと先日の娘の卒業式の時にも流れていた「逝ける王女のためのパヴァーヌ」とか,それとどういう訳かその独特の曲調が頭に残っている「道化師の朝の歌」などです。
ピアノ協奏曲ト長調は,最初は鞭の音から入る面白い曲だし,第2楽章の緩徐楽章の癒されるメロディー,そして第3楽章のフィナーレの素晴らしさ。このピアノ協奏曲ト長調とプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番とがカップリングされたドイツ・グラモフォンから出たレコード,演奏者はマルタ・アルゲリッチ(ピアノ),クラウディオ・アッバード指揮のベルリンフィルのやつです!これは名演だと思います。
その名ピアニストのマルタ・アルゲリッチ。美貌で,実力もあり,そして1980年のショパン国際コンクールの審査員をしていて,ユーゴスラヴィアのイーヴォ・ポゴレリチが本選出場に進出できなかった結論に強烈な不満を述べ,審査員を辞退したほどの信念の人です。その彼女が何と70歳になっているんですね。道理で私も歳をとるはずです(笑)。
さて,ラヴェルの組曲「クープランの墓」にしても,「道化師の朝の歌」にしても,そして「逝ける王女のためのパヴァーヌ」にしても,私は原曲のピアノではなく,管弦楽曲に編曲されたものの方が好きです。その方が雰囲気があります。若い頃にこの管弦楽編曲のものを聴いていた盤は,今はあまり覚えておりませんが,エルネスト・アンセルメ指揮のものか,あるいはシャルル・ミュンシュ指揮のものだったと思います。
今日,3月7日はラヴェルの誕生日なのです。
先日,インターネットで音楽関係のことを検索していましたら,偶然にユーチューブでウラディーミル・ホロヴィッツの演奏会の動画に出くわしました。最近はいろいろと便利になりましたね。関心のある項目についての情報に直ぐに接することができます。
ウラディーミル・ホロヴィッツといえば,20世紀を代表する名ピアニストで,押しも押されぬヴィルティオーゾ(巨匠)です。私も子供の頃に憧れておりました。偶然に出くわしたその動画は,昭和40年ころにロンドンで開かれたホロヴィッツのピアノリサイタルの模様で,そのうちショパンのバラード第1番の演奏だけ観ました。圧倒的な演奏でしたね。本当に凄いわ。
それにしてもその動画を観て改めてビックリしましたのは,演奏中のホロヴィッツの指の状態です。あんなに素早いテクニックを要する部分でも,指が伸びているのです。あたかもそれぞれの指の腹でキータッチしているような感じです。信じられません。小学校の時にピアノの先生から言われたのは,「両手をグッと握ってごらん。そしてソッと力を抜いて。そうすると指に自然なカーブができるから。」ということでした。つまり,キー(鍵盤)はどちらかというと指先でタッチするものだと教わっていたし,実際にそれが弾きやすいのです。でも,ホロヴィッツは違います。しかしその演奏は本当に素晴らしいのです。
「ピアニストたちの世界」(芸術現代社)という本の中で,音楽評論家がホロヴィッツの演奏に言及しておりますが,そのうち,このホロヴィッツの演奏方法(時に指の状態)に触れた箇所を引用してみましょう。
「専門家の評では、ホロヴィッツの指の動かし方、どんなルーズな先生でも大喝を食らわせかねない奇妙なタッチのみで成り立っているのだそうで、不自然、不合理の権化といってもよいらしい。こんな常識を無視したひどい指使いでどうしてあのように美しく弾けるのか、ピアノの専門家は異口同音に不思議がっていた。私は何も、劣悪な指使いにもかかわらず、自分の思ったことを強烈に表現出来る点こそホロヴィッツの個性であるなぞと言うつもりはない。聴き手にとって、打鍵の瞬間鍵盤を引っ掻くように指先の関節を内側に曲げようがどうしようが、一の指の音符を二の指で弾こうが弾くまいが、大切なのはそこから生まれる音と、それら音のからみ合いで形造られてゆく楽曲の全体像なのであって、音以前の方法論に立ち入ることはあるまい。いずれにせよ、ホロヴィッツの存在は、今世紀ピアノ界の、かけがえない財産となった。」(中村洪介,前著42~43頁)
「ホロヴィッツはピアノを弾いている間少しも姿勢を崩さずにいた。椅子に腰掛けたまま、上半身を垂直にしていた。腕もほとんどまっすぐにして、動かさずにいた。両脇もまるで開かない。手首も使わない。使っているのは指の先きだけだ。それも弱音で速いレガートを弾くときは、指の関節を曲げずに、普通の奏法では禁じられている『まむし』のような格好をして、指の腹を鍵盤にほとんどつけたまま、どんな速い音でも、歯切れよくはっきりと弾きのけてしまう。腕や手の関節を動かさずに指先きだけに奏者のすべての力の重みがかかってくるだけだ。それに鍵盤にほとんど指先きをつけたままあんなに敏感にスピーディに指を動かす彼の神経は不思議というほかはない。ただピアノの天才だけに許されることである。」(野村光一,前著68頁)
ホロヴィッツは,その奏でる音も,その解釈も,そしてその指の動きも,人々を驚嘆させるのであります。
もう,ホントにしつこいんだから,と言われそうですが,今朝もバッハのゴルトベルク変奏曲の第30変奏のお話しです。本当にめちゃくちゃ佳い曲なのです。私の練習はまだ第1変奏で止まっておりますが(笑),先日,本命の第30変奏というのは私にも本当に弾けそうなのかどうか,恐る恐る楽譜を見てみました。そうしたところ,とにかく一生懸命に頑張れば,何とかなりそうでした。
楽譜を見ておりましたら,この第30変奏は得も言われぬ美しさをもった4声の曲でした。4声というのは文字通り4声部を持った曲で,イメージとしてはソプラノ,アルト,テノール,バスといった感じです。これを両手で弾くのですから,大体,右手でソプラノとアルトの2声部を,そして左手でテノールとバスの2声部をそれぞれ担いながらの演奏ということになります。
この第30変奏があまりにも素晴らしく,仕事中でもそのメロディーが頭から離れない時があるものですから,ネットで「ゴルトベルク変奏曲 第30変奏」とキーワードを入れて検索し,ユーチューブにアップされている動画でその音楽を楽しんだりしております。ある時,この第30変奏の動画でネットサーファーみたいに次から次にクリックしていましたところ,偶然にこの第30変奏の構造を視覚で理解できる動画を発見しました。音楽の進行と共に4声部の各動きが黄色,緑色,青色,ピンク色で表示されていく動画です。そうか,こんな風な構造になっていたのかと感動しました。やはりバッハはすごいのです。対位法の究極の完成者であるバッハ自らが述べていたように,無駄な音が一つもないのです。
ただ,この第30変奏の楽譜の中には,10度の音程を弾かなければならない箇所があります(例えば,ドから1オクターブ上のドをさらに超えてミまで手指を開かなければならないということです)。これはさすがに私には無理です。どちらかを離さなければなりません。必然的に主旋律重視で上の音だけを押すということになりそうです。ピアノの道に進む人は大変ですね。親指と人差し指の間の,いわゆる水かき部分を切除して拡げる人もいるそうですね。
私は,何としてでも,どんな卑怯な手を使ってでも,何とかこの第30変奏をマスターしたいと念願しております。そういえば,ロータリークラブの仲間(60歳代の女性)が,最近私のバッハ好きの言動に影響されてか,バッハのゴルトベルク変奏曲のCDを購入して楽しんでいるとのこと。それもグレン・グールドの1982年録音盤という素晴らしい録音を選択されたそうです。僭越ながら,これからもバッハの音楽の伝道につとめたいと思います(笑)。
昨晩は晩酌はしませんでしたから,半身浴をしました。半身浴をした夜は,ぐっすり眠ることができます。これはどうやら体験的にそのように思います。理由は分かりませんが,特に睡眠の質が良くなるような気がしますし,夜中に目覚める回数も少なくなるのです。寝酒などといった言葉があり,私自身は寝酒はしませんが,酔っているか,あるいは少し酔っているからといって,眠りの質が良くなるとは思えず,かえってお酒を飲んだ方が夜中に目が覚めてしまうことが多いような感じです。まあ,個人差もあるでしょうが。
さて,バッハのゴルトベルク変奏曲のうちの憧れの第1変奏のその後の練習はどうなったでしょうか。・・・遅々として進みません(笑)。暗譜などはできる訳もなく,楽譜を見ながらなんとかゆっくり,ゆっくり弾くことのできる程度です。もう少し本来のテンポで弾けるようにしなければなりません。でも私の場合は,所詮その程度の才能なのでありますよ。
この練習に少し時間がかかったのは,運指を考えながらの練習だったからだと思います。というのも,私が入手したゴルトベルク変奏曲の楽譜には,所々に小節番号はあっても,運指番号が全くない楽譜だったからです。運指というのは,その音やそれから先の数音を,どの指でタッチするのが合理的でスムースなのかを示すものです。運指番号は,右手の親指を1として,人差し指から小指までが順に2,3,4,5と表示され,左手も親指を1として,人差し指から小指までが順に2,3,4,5と表示されます。親切な楽譜ですと,要所要所に運指番号が表示され,「ああ,この音はこの指で鍵盤を押すのが合理的なんだな。」と分かる訳です。でも入手した楽譜に運指番号がなかったので,自分で運指を考え,鉛筆で表示しながらの練習でした。この憧れの第1変奏の練習もあともう少しです。
これをマスターしたら,これまた憧れの第30変奏の練習に着手したいと思います。これもまたとても素晴らしい曲なのです。「ゴルトベルク変奏曲 第30変奏」とキーワードで入れて検索してごらんなさい。ユーチューブにもアップされており,どれほど佳い曲なのか分かりますよ。これも弾けたらな,と思います。
バッハの音楽は本当に癒しの時間なのであります。こんなに素晴らしい世界はございません。
皆さんは,バッハの「ゴルトベルク変奏曲」をお聴きになったことはあるでしょうか。本当に素晴らしいでございますことよ。この変奏曲は主題となる印象的なアリアが冒頭と最後に置かれており,主題ですから当然に印象深いメロディーなんですが,昔から私が特に好きで,弾けたらいいなと憧れていたのは,むしろ第1変奏でした。
この第1変奏は,特に素晴らしいと思います。インターネットで,「ゴルトベルク変奏曲」,「第1変奏」というキーワードを入れて検索すれば,動画でもアップされていますから,騙されたと思って一度お聴きになってはいかがでしょうか。バッハの「ゴルトベルク変奏曲」は,亡きグレン・グールドの若かりし頃の録音と最晩年の録音が特に有名ですが,私は最晩年の録音の方が好きです。また現在活躍しているピアニストの中では,アンドラーシュ・シフの演奏が好きです。誠実さがにじみ出ています。
先日,昼食を終え,私の事務所から歩いて約10分のところにある楽器屋さんに行き,待望の「ゴルトベルク変奏曲」の楽譜を手に入れました。そして,週末にはその中の憧れの第1変奏の練習に着手したのです。正に待望の着手です。着手することとちゃんと弾けることとは全く別の問題です(爆笑)。練習に着手したのはいいけれども,所詮私の能力ですから,悪戦苦闘しておりますが,何とか前半部分は弾いてみました。完全にマスターするまでには,これから先も長いと思いますが,絶対にマスターしようと思います。約束します。民主党の腐ったようなマニフェストなんかより明らかに実現性が高いと思います。ト長調(♯が1つだけ)ですし,練習すればそれほど困難な曲ではないですから。くどいようですが,本当に佳い曲なのですよ。
話はずいぶんと変わりますが,U-22のサッカー日本代表は,2-1で何とかシリアを破って予選突破に弾みをつけました。でも,国歌斉唱の時,何で彼らは「君が代」をちゃんと歌わないのでしょうか。カメラが追っていくのが恥ずかしいのでしょうか。あるいは,反日左翼の日教組の影響で小学校の頃から国歌をまともに教えて貰えなかったのでしょうか。国歌斉唱の時には,どの国の選手も大きな声で誇りをもって歌っているか,あるいは胸に手を当てるかしております。当然のことです。しかしU-22の日本代表選手のほとんどは,肩を組んだままで口を動かしておりません。自分の国歌も歌えないような者は,もう応援してやらないよ?