今が一年中で最も寒い季節なのでしょうか。二十四節気「大寒」の真っ最中です。うちのカミさんは,まだ朝も暗いうちから寝床を出て,いつものように美味しい朝食を作ってくれます。改めて考えてみますに,本当にありがたいことです。日課としてうちのカミさんは午前6時10分に起床し,私は午前7時の起床であり,不肖私めは50分間近くも暖かい布団の中でぬくぬくと過ごしている訳です。もっと家事の分担をしなければと,「心の中では」思っております(笑)。感謝,感謝。
さて,3日ほど前になりますが,自宅に寒中見舞いが届きました。寒中見舞いというのはこれまであまりいただいたことがなかったので,誰からだろうと思いました。実はそのはがきは,もう十数年前に私が勤務していたある法律事務所で一緒に仕事をしたことがある女性(事務員のKさん)が,がんで亡くなられたことを知らせる,ご両親からの丁寧な文面の寒中見舞いだったのです。
私は大変なショックを受けました。Kさんは確かまだ40歳代半ばだったと思うのですが,昨年4月に鬼籍に入られたことを知らされたのです。私が独立して自分の事務所をもった後も,Kさんとは毎年年賀状の交換はしておりましたので,そうとは知らずに今年も年賀状を送ってしまったのでした。
思い起こせばKさんという人は,割と物静かで感情を適切にコントロールでき,責任感が強く,とても真面目な人でした。私が独立した後,私はKさんを含め,やはりかつての法律事務所で一緒に仕事をしたことがある女性事務員さんらを誘って4名で楽しい夕食を共にしたことが2,3度ありました。そのような時に私は,普段職場でとても忙しそうにしている彼女らに対し,趣味のことやよもやまの世間話だけでなく,自分の体験から「決して無理はしない。」,「人からの評価を過度に気にしない。」などといったアドバイスめいたことをした記憶があります。Kさんはとても律儀な人で,そんな楽しい会食からちょっと時間が経った日に,思いがけずお菓子だったと思いますが御礼の品などを贈ってくれたりもしたものです。
このKさんという女性は,もちろん人から好かれ協調性もありましたが,その一方で自分の世界というものをしっかり持っている人で,ランチの時間帯はいつも一人で少し遠出をしてでも行きつけのスターバックスで過ごしていたようです。私もたまにスターバックスに向かうKさんの姿を遠巻きに見かけることがありました。今となっては懐かしい思い出です。
古巣のスタッフに聞けば,Kさんは一昨年の春ころに体調を崩し,ゴールデンウィーク明け頃からは病気療養し,ほどなくしてその職場を退職されたとのことでした。亡くなったのが昨年の4月ですから,一年弱の闘病生活だったのでしょう。私はそんなことは全く知りませんでした。そんなことならば,Kさんの元気なうちに先ほどのような数人の楽しい会食を,たまの頻度でいいから続けておけばよかったと悔やまれます。
昨年のお正月にKさんからいただいた年賀状を見つけ出しました。そこには「元松先生 大変ご無沙汰しております。先生ご家族みなさまにとってすばらしい一年になりますようお祈り申し上げます。」との暖かいメッセージが手書きで添えられておりました。亡くなる4か月ほど前のメッセージで,体調のすぐれない中で,そしてどんな思いで書いていただいたかを思うと,涙が止まらずどうしようもありませんでした。心からご冥福をお祈りいたします。合掌。
「無常」とは「常が無く,続かないこと」をいいますが,世の無常を改めて思いました。
「死期は序を待たず。死は、前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遙かなれども、磯より潮の満つるが如し。」(徒然草第155段)
死期(臨終の時)は順序を待たない。死は必ず前の方からやってくるものとは限らず,いつの間にか人の背後に迫っているものだ。人は誰でもみな,死というものがあることは知っていても,死というものが急に訪れるとは思わずに待っているうちに,それは不意にやってくる。ちょうどそれは,干潟が沖の方の遙か先まで続いているから安心と思っていても,よく見れば足もとの磯の方から急に潮が満ちて来ているようなものである。
徒然草のこの段のこの箇所の大意は,おおよそそのようなものですね。明日という日がごく当たり前のように来るんだと安易に考えるのではなく,やはり悔いの残らないように毎日を大切に過ごしていくほかないのです。
冬至は過ぎ,だんだんと日が長くなりつつあるのは実感できますが,まだまだ寒い日が続いております。予報によると,この冬最大級の寒波が迫っているとのことでもあります。みなさん,風邪など召されませんように。ご自愛をお祈りいたします。
さて,先日疲れ果てて夜帰宅しますと(その日はうちのカミさんはスポーツジムで汗を流す日でした),何やら留守電が入っておりました。何だろうと思って再生してみますと,何と,市の担当者(女性の声)から,私に対して「無料健康診断を受診してください,有料の検査項目も安くなっております,既に郵送させていただいた受検票を使用して期限までに是非受検をお願いします」といった趣旨のメッセージでした。
私はこのメッセージを聞いてその時つくづく思いました。「日本国というのは本当に良い国だなあ。この国生まれて本当に幸せだな」と・・・。国や地方自治体としては,不健康な人を増やさない,医療費等の社会保障費の増大を可及的に抑制しなければならないとの判断なのでしょうが,何やら私の健康を心配してくれているようで,何か幸せな気分になってしまったのです(笑)。日本は助け合いの精神で,随分昔から医療も年金も国民皆保険です。公的扶助もあります。セーフティーネットというものがあるのです。どこぞの国は世界第2位の経済大国を標榜してはいますが,セーフティーネットは極めて不十分で,怪我や病気をしても前払いでないと医療すら受けられない体たらくです。大気汚染や水質汚濁は看過できず,所得格差という面でそのジニ係数は0.6を超えているとも言われています。
話は変わりますが,先日ゴルフでご一緒した方の話では,ある所でサイフを無くし,そのサイフの中には現金5万円くらいと複数のクレジットカード等が入っていたそうです。ところが,拾い主がちゃんとすぐに届けてくれ,無くしたままの状態でその方のところに戻って来たとのことです。私はこういった話を,以前にも私の甥の体験として聞かされたこともありますし,知人からも聞かされたことがあります。そのような国なんですね。日本という国は。ありがたいことです。
またまた話は変わりますが,私は昭和天皇の御製ですごく好きな歌があります。これは終戦の翌年1月の歌会始の際にお作りになった次の歌です。
「降り積もる 深雪(みゆき)に耐えて 色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ」
松の木は深い雪におおわれても,その緑の色を変えもせずじっと耐えている。この松の木を日本人にたとえ,今の苦しみを耐えて再び隆盛とならんと鼓舞している歌なのです。本当に佳い歌ですね。私は大好きなのです。
私がこのブログを始めたのが2008年の11月ですから,もう10年が経ちましたが,こんなに長い期間ブログを更新できなかったことはありませんでした。実は重い,重い懸案がありましてね。ようやくこれも解決して気も晴れ晴れとしたところです(笑)。久しぶりにブログの更新です。
さて,先日とても奇妙で荒唐無稽な夢を見ました。そのとても奇妙な夢の内容・・・,結論から言いますと,私がスナックで「この世の果てまで(The End of the World)」という好きな歌を得意げになって歌い,歌い終わったらすぐに隣の席から「very good!」という大きな声の称賛と拍手がきたのです。
誰だろうと横を見ましたら,何とトランプ大統領だったのです(爆笑)。そして,よしそれならばということで,私はますます得意げになってトランプ大統領がもっと喜ぶようなアメリカンポップスのオールディーズの曲をもう1曲歌ってやろうと思い,次の歌を探している最中で夢が覚めたという訳です(笑)。
とても変な夢でした。何故こんな夢を見たのか皆目見当がつきません。ただ,いま国際社会では米中貿易戦争と言われる大きな経済摩擦が生じており,国際的なルールを無視して領土的野心を隠さずに膨張主義を繰り返し,やはり国際的なルールを無視して産業スパイやサイバー攻撃などで最新技術を盗み,知的財産権も尊重しない中国のやり方に,トランプ大統領とそのブレーンらが敢然と対峙している構図もあるため,その限りではトランプ大統領を頼もしく思ったのかもしれません(笑)。
同じ夢でも,「中国の夢」というのは,習近平という人が全人代(第18回)で「中華民族の偉大なる復興」として,いわゆる一帯一路とともに「かつて東は中国から西はローマ帝国に及ぶ広大なシルクロードを勢力下に置き、鄭和の艦隊がアフリカの角にまで進出して文化や経済と科学技術をリードした中国の栄光を取り戻す」という意味が込められているといいます。でも,「中国の夢」もいいですけど,やはり国際的なルールは順守しなければならないでしょう。産業スパイやサイバー攻撃などで最新技術を盗み,知的財産権も尊重しないようではいけませんし,仲裁裁判所(オランダ・ハーグ)の判決を「紙くず」だとして完全に無視したり,世界貿易機関(WTO)のルール違反を繰り返したりしていたのでは,国際社会から非難を浴びてしかるべきです。
それに,そもそもの話ですが,米中貿易戦争といわれるやつも,中国は単に報復関税をかける挙に出るだけで,アメリカから正当にも指摘されているように,先進技術の移転強制,知的財産権の侵害,先進技術の盗取といった点について改めようともしない点に大きな問題があるのです。
このようなことについての私自身の内心の「苦々しさ」というものが,荒唐無稽で奇妙な夢として先日出てきたのかもしれません。
さて,いよいよ今年も終わりに近づいております。とりとめのない話で終了するのも気が引けるのですが,来年も良い年でありますように。皆様のご多幸を心より祈念いたしております。
皆様,良いお年をお迎えください。
「そうだ,もう一度あれが読みたい!」と思い立ち,自宅の部屋の隅々まで目をやってある本を探そうとしていましたら,ひょんなことから「ブルグミュラー25の練習曲」というピアノ教則本(楽譜)が目に入りました。
このブルグミュラー25の練習曲集というのは,当時はバイエル練習曲集を終えた頃からこれを弾いていくというのが練習過程の定番になっていました。バイエルの場合はそれぞれの曲に何の標題も付けられていない練習曲集ですが,このブルグミュラーのものは25曲のそれぞれに,例えば「牧歌」,「別れ」,「バラード」,「舟歌」,「つばめ」,「貴婦人の乗馬」などといった標題が付けられており,その標題どおりに感情移入し,いよいよ自分がピアニストになったかのように気分が高揚し練習していてもワクワクしていたものでした。この練習曲集の定価を見てみますと,「130円」とあります。そして,各曲の冒頭部分には先生からオーケーが出た印として○で囲まれた「合」の文字が鉛筆で記してあります(合格したという意味です)。もうかれこれ48年も前のことです。この練習曲集の楽譜をぺらぺらめくっておりましたら,第5番目に「無邪気」という標題の曲がありましたので,ちょっと弾いてみました。いやー,本当に懐かしい・・・。
話は変わりますが,無邪気といえばうちのカミさんも本当に無邪気なものです。彼女はテレビで放映されるいわゆるサスペンス・ドラマを観るのが何よりの楽しみです。そして,サスペンス・ドラマを私も横で並んで観ているような時,私がテレビの方を向いているフリをしてそっとカミさんの表情を盗み見しますと,その表情の豊かなこと,無邪気以外の何物でもありません。彼女は,ドラマの登場人物と身も心も同一化し,何のためらいもなく感情移入し,ヒロインや刑事さんらと一緒になって笑ったり,怒ったり,悲しんだり,頷いたりしているのです(笑)。横でそういった無邪気な表情を見ている方がかえってドラマより面白いくらいです(笑)。
カミさんのサスペンス・ドラマ好きはその歴史が古く,その昔は「火曜サスペンス劇場」とか「土曜ワイド劇場」とか,確実に計算できる番組があったりして(笑),ほとんど毎日のようにテレビ放映がありましたよね。それがその後は制作予算の制約の問題なのか,制作現場が忙しすぎるのかは知りませんが,そういったサスペンス・ドラマの定番の名物番組が徐々に無くなっていきました。そういった時期のカミさんの落胆ぶりといったら,かける言葉もないくらいでした(笑)。でも,現在でも地デジやBSでそこそここの手のドラマが放映されておりますし,彼女にとっても貴重な娯楽の一つになっているようです。
皆さんの周りにもいませんか。うちのカミさんのように無邪気に,ヒロインや刑事さんらと一緒になって笑ったり,怒ったり,悲しんだり,頷いたりしている人(笑)。そしてむしろ横でそういった無邪気な表情を見ている方が面白いくらいの人は・・・。
今年の夏もあれほど暑くて閉口したのに,もう秋も深まり,朝晩はそこそこ冷え込むようになりましたね。早いものでもう11月に入りました。
新選組のことなど,私も幕末の歴史物に割と興味があるのですが,11月といいますと坂本龍馬や伊東甲子太郎が相次いで暗殺された事件を思い浮かべます。当時は尊王攘夷派,佐幕派など政情も社会も不安定な状況でした。坂本龍馬は慶応3年(1867年)11月15日に,また一度は新選組に籍を置き,その後袂を分かった高台寺党の領袖,伊東甲子太郎は同年11月18日にそれぞれ京都で暗殺されたのです。いずれも有意な人材であったことは間違いないでしょう。
さて,その新選組ですが,やはり当時の時代状況からすればもはや刀や鎗の時代ではなく,火器の時代になっていたのであり,哀しいかな彼らも滅びゆく運命でした。新選組には北辰一刀流,神道無念流,天然理心流などの免許皆伝,相当の手練れがいましたが,その僅か2か月後に勃発した戊辰戦争の戦況を見ても明らかなように,スナイドル銃や大砲などの火器には到底太刀打ちできないのです。悲哀を感じます。
また,沖田総司は新選組の中においてもその剣術の腕前を永倉新八や斉籐一らと争ったほどの凄腕でしたが,沖田総司ももうその頃には持病の結核の症状が悪化し,戦列には加わることができなくなっていました。若くして病死するのは無念だったでしょうが,火器の前には剣術も無力でしたから,戦場で失望し無力感を覚えるよりは良かったのかもしれません。
子母澤寛のいわゆる新選組三部作のうち,「新選組遺聞」(中公文庫)の中の「沖田総司房良」の章には,江戸・千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅で病床にあった総司が死を迎えるまでの描写があります。先日の産経新聞の産経抄にも記載されていたのですが,この植木屋平五郎は総司をかくまい,その最期をみとった人物として新選組ファンにはよく知られております。
先日亡くなられた女優・江波杏子さんはその植木屋平五郎の玄孫(やしゃご)にあたる人です。往年の映画ファンにとって女優・江波杏子は,何と言っても賭博のつぼ振り師・昇り竜の「お銀」でしょう。
産経抄によりますと,昭和41年公開の「女の賭場」という映画では,もともとは若尾文子さんが主演するはずだったようですが,自宅の浴室でころんでケガをした若尾さんの代役で起用されたのが江波さんだそうです。ところがこれが大映のドル箱になり,江波さんもスターダムにのし上がります。76歳で亡くなる数日前までラジオドラマの収録に参加されていたようですが,とてもいい味を出していた女優さんですね。合掌。
私は完全にチコちゃんを好きになってしまいました。もうチコちゃんに首ったけ状態です(笑)。
どうしてあんなに表情が豊かなんでしょう。そして僅か5歳だというのに,どうしてあんなにものをよく知っていて,「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱咤してくれ,最終的には私を元気にしてくれるんでしょうか。
NHK総合テレビで放送されているバラエティ番組「チコちゃんに叱られる!」という番組は本当に面白いし,チコちゃんはとても魅力的です。これは日常に潜む素朴な疑問をテーマにした雑学クイズバラエティなんです。くどいようですが,とても好きになってしまいました。「人と別れるときに手を振るのはなぜ?」,「セピア色のセピアって何?」,「大人になるとあっと言う間に1年が過ぎるのはなぜ?」というような,改めて考えてみると答えがよくわからない根本的な問題がチコちゃんから出されるのです。
ところが,そういった私たちを困惑させる質問に的確に答えられないと,チコちゃんは,一瞬にして鬼気迫る怒りの表情に豹変し,顔が赤くなって目からは黄色い炎が噴き出し,頭上からは白い湯気を出して「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱咤してくれるのです(笑)。
確かに我々は時として漫然と,惰性でボーっと生きているのかもしれません(笑)。そんな時はチコちゃんに強く叱られたい(笑)。何が私を虜にしたかというと,チコちゃんの豊かな表情です。答えを迫る時の少し意地悪な表情,懐疑的な表情,正解に接した時のつまらなさそうな表情,正解には近いけど正解ともいえないような中途半端な答えに接した時の困惑の表情,そして大人がロクな答えをしない時に「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とすごむ時の怒りの表情・・・。本当にすごいキャラクターですわ。かつてNHKの番組で「ぜんまいざむらい」に凝ってしまった時期がありましたが,久しぶりにNHKの番組,そう,この「チコちゃんに叱られる!」に凝ってしまいましたわ。
読売巨人軍の高橋監督の顔は嫌いです。とにかく暗い。ひょっとしてEQが低いのかなと思ってしまいます(笑)。味方の選手がホームランを打ったり,ファインプレーをしたら大いに大いに喜びなさいよ。普段あんなに暗い,そして無表情では選手の士気にもかかわります。選手の士気を鼓舞しなくちゃ。そういう意味では,チコちゃんのあの豊かな表情を見習って欲しいと思います。
さてさて,「チコちゃんに叱られる!」という番組は,NHK総合テレビで毎週金曜日の午後7時57分からと毎週土曜日午前8時15分から放送されています。どんなことがあっても,万難を排して観たいと思います。あっ,そうそう・・DVDが発売されていないか調べてみます(笑)。
本日のブログのタイトルも,「雑感」しかありません。暑くて,暑くて思考が散漫になり,話題の選択や文章そのものにまとまりというものが全くないからです(笑)。
暑い夏になると,私は昔からカップかき氷「サクレ レモン」(フタバ食品)をよく食べます。好きなのです。ほら,かき氷の上部にレモンの輪切り一枚がセットされているやつです。アイスクリームよりもこっちの方がさっぱりしていて,口当たりも良く,昔から食べております。でも,先日のニュースで見たのですが,特に酷暑日が続いているこの夏,「サクレ レモン」が品薄で製造が追いつかず,販売が一時休止となってしまいました。断腸の思いです(笑)。何としても販売の再開が待たれます。
でも,そこはそれ,うちのカミさんがスーパーで大量に仕入れてくれており,今でも我が家の冷凍庫は「サクレ レモン」がゴロゴロしております(笑)。本当に,私にとっては過ぎた女房です。
さて,江戸時代の国学者・神道家,平田篤胤先生という人は,本当に面白い著作をものされるものです。産経新聞の書評で衝動買いしたのが「仙境異聞」(平田篤胤著,子安宣邦校注,岩波文庫)という特異な本です。恐いもの見たさに読みました。この本のブックカバーにはこの本の紹介として次のような文章が記されています。
「文政三年、浅草観音堂の前にふいに現れた少年寅吉。幼い頃山人(天狗)に連れ去られ,そのもとで生活・修行していたという。この『異界からの帰還者』に江戸の町は沸いた。知識人らの質問に応えて寅吉のもたらす異界情報を記録した本書は、江戸後期社会の多層的な異界関心の集大成である。」
修験者,天狗に厳しく躾けられながらも山奥での生活を送り,様々な体験をしたという少年寅吉。江戸の知識人らの好奇心からくる様々な質問に対し,大人顔負けの回答を次から次にしていくのです。その個々の答えがまことしやかであり的確そうで,そして面白いこと・・。それにしてもこの岩波文庫というのは芸域が広いですな。いろいろなジャンルにまたがっています。常々もう一度読みたいと思っている「忘れられた日本人」(宮本常一著)という本も岩波文庫です。
日本ボクシング連盟の山根明という人は,会長を辞任するとはいうものの,いわゆる「奈良判定」などなど,相当に問題のありそうな人物ですし,人相の悪さは,学校法人日本大学の田中英壽理事長と双璧ですね。この二人を見ていると,人は見かけで判断してもよさそうです(笑)。山根さんと田中さんといえば,お笑いコンビのアンガールズも山根さんと田中さんです。アンガールズの場合は「キモカワ」(キモイけどカワイイ)と言われておりますが,山根明という人と田中英壽という人は,「キモカワ」をもじって「キモコワ」と言われているようです(笑)。
少し前のことになりますが,BS放送で「座頭市」(大映)の映画をやっておりました。勝新太郎,本当に味のある名優だと改めて思いました。座頭市は他にもいろいろな人が演じておりますが,やはり座頭市と言えば勝新太郎ですね。正にはまり役ですし,その演技力,役者としての魅力に思わず引き込まれてしまいます。子どもの頃に見た映画で,やはり勝新太郎の「兵隊やくざ」シリーズも面白かったなあ・・。本当に魅力のある役者です。
座頭市のことを調べておりましたら,あの作家・子母澤寛に行き当たりました。というのも,この「座頭市物語」というのは,子母澤寛が1948年に雑誌「小説と読物」に連載した掌編連作「ふところ手帖」の1篇「座頭市物語」が原作だったのです。子母澤寛は私が大好きな「新選組始末記」,「新選組異聞」などの作者であり,聞き書きという手法でこれらの作品を生み出したのですが,この「座頭市物語」も概ね聞き書きによるものです。江戸時代に活躍した房総地方の侠客である飯岡助五郎について取材するため千葉県佐原市を訪れた際に,土地の古老から飯岡にまつわる話の一つとして、盲目の任客座頭の市の話を聞き,僅かに語り継がれていた話を基に記したと,後年,子母澤寛自身が語っているのです。
すみません。本日も取り留めのない話と相成りました。
ホントに,呆れかえるほどの暑さですね。気温観測史上の日本記録を連日競い合って,一体どうしようというのでしょうか(笑)。でもこの酷暑はどうやら日本だけの現象ではないようで,アメリカのカリフォルニア州のある町では52度,ノルウェーやフィンランドなどの北極圏でも33度を記録しているようです。
夏の暑さといえば,昨日の産経新聞のコラム「産経抄」では,芥川龍之介のことについて触れていました。それによると芥川龍之介は,昭和2年の今日(7月24日)の早朝に大量の睡眠薬を飲んで自死に至りました。35年4か月の短い生涯だったわけですが,「将来に対する唯ぼんやりした不安」という有名な言葉を残しております。
昔,確かNHKのラジオ番組で「朗読の時間」というのがあったと思うのですが,当時高校生だった私は,たまたまその番組で内田百閒の文章を耳にして,味わいの深い,とても面白い文章を書く作家だなと感心したことがありました。その内田百閒は芥川龍之介の友人で,龍之介が亡くなる2日前に本人に会っています。
内田百閒は,龍之介の自殺の原因について,「あんまり暑いので、腹を立てて死んだのだろうと私は考えた。」と書いたそうな。そして,芥川賞を創設した菊池寛は,「年毎の二十四日の暑さ哉」と追悼の句を詠んだのです。なお,菊池寛の人間的な面白さについては,このブログの2017年6月9日の記事をご覧ください(笑)。
さてさて,話はガラッと変わりますが,去る22日には豊田スタジアムで名古屋グランパス対サンフレッチェ広島の試合を間近で観てまいりました。顧問先のありがたいご配慮で,メインスタンドの特等席でした。現在首位のサンフレッチェと,最下位のグランパスの戦いです。
W杯の中断中に,グランパスは少しは修正,改善したのかとかすかな期待を抱いて観戦していたのですが。やはりダメでした(笑)。①相変わらず寄せが甘く,相手に自由奔放にパスやクロスを上げさせており,②サイドチェンジというものを知らないのかと思うほど,グラウンドを狭くしか使えないし,③攻撃が単調(相手は至って守りやすい,恐怖を感じない)でした。
この日のフォーメーションは4-2-4という前がかりで超攻撃的な布陣でしたが,ほとんど機能していませんでした。中盤がスカスカで,概ね相手チームに制圧されていたと言っても過言ではありません。味方のFW4人が相手ディフェンスの最終ラインにベッタリ張り付いていても,中盤から効果的なパスが供給されないのではどうしようもないでしょう(笑)。それもそのはず,4-2-4で中盤はスカスカですから・・・。
この試合,0-0のスコアレスドローでグランパスは首位広島を相手に勝ち点1をゲットしたのではありますが,未だ光明見いだせずという試合でした。それにしても,ランゲラックというグランパスのゴールキーパーは素晴らしい。彼の働きがなければ,0-2くらいで負けていたのではないかと思います。
ああ,・・・今日は,この辺で。
最近私は,年齢のなせるわざか,文章を書いている途中で何を書こうとしていたのか分からなくなることがあります(笑)。
ですから今日は冒頭にこのブログ文章の要旨を記しておきます。要するに,いつものとおり昭和の香りのする行きつけのスナックで,性懲りもなく数人でフランク永井の「君恋し」を歌って機械採点による点数を競い合ったというだけの話です(笑)。人生には何の役にも立たない話です。
それにしてもその日は夏のゴルフをやって,たいがい疲れており,しかも翌日は社外取締役として重要会議に出なければならず,早く寝たかったにもかかわらず,ある美熟女(Tさん)から電話がかかり,いつものメンバーで飲んでいるから直ちに合流しなさいとの鶴の一声でした(笑)。固辞したのですが,やはりムダな抵抗でした。
一応の抵抗を示した私は,二次会の会場であるその件(くだん)のスナックに行きました。このブログでもこれまでたびたびご紹介したのですが,フランク永井の「君恋し」を持ち歌とするHさんは,歌は上手いし,声の質もフラン永井にピッタリであるにもかかわらず,これまでの長い歴史の中ではめったに良い点が出ず,みんなにイジられておりました(笑)。みんなで同じ曲(「君恋し」)を歌って点数を競うなどといった趣味の悪い企画も,要するにこの愛すべきHさんへのイジりの一環でした。
Hさんとしては高得点を目指して毎回チャレンジするのですが,フーテンの寅さんのように奮闘努力の甲斐もなく(笑),低得点に喘いでいましたが,最近はその低得点の状況も少し改善される傾向にはありました。しかしそれでも,この曲を歌うHさんの得点は決して安定してはおらず,少し前までは誰からも頼まれもしないのにこの曲を歌い出していたHさんも,その晩は「今日は絶対歌わない」と頑なに拒絶していました。しかしながら,そのHさんもやはり誰かの挑発に乗ってしまい,結局は何と5人によって「君恋し」が歌われることに相成ったのです。ニュルンベルクのマイスタージンガーのような歌合戦です(笑)。
いつものように,Hさんがトップバッターでした。でもこの日のHさんは,気合いの入り方が尋常ではなく,歌う姿を後ろから見ていても不必要と思われるほど頭を振りながら(笑),「絶対に負けられない」といった雰囲気だったのです。表現が難しいですが,その晩のHさんの後ろ姿(背中)は,鬼気迫るような迫力と,その一方で諦観を伴った哀愁のようなものとがないまぜになったような,何とも言えない雰囲気を醸し出しておりました(笑)。
Hさんは注目の中,歌い終わりました。そしたら,な,何と!得点が88点だったのです。その場にいた連中の誰もが「何が起こったのだ」という感じで,腰を抜かすほど驚愕したのです。
その後は,Mさん,Tさん,Iさん,美熟女(もう一人のTさん)が連続して「君恋し」を歌いました。結果的には,大接戦で(87点,87点,86点など),結局はこれまで屈辱にまみれ続けていたHさんが見事勝利したのです。68~72点で低迷,低空飛行を続けていたHさんは,捲土重来あるいは臥薪嘗胆の気持ちを維持し,一人カラオケ(?),その他,人知れずなにがしかのたゆまぬ努力をし,やっとコツというものを掴んだのだと思います(笑)。
私はこの時,「窮鼠猫を噛む」というのはこういった状況を指すのだなと思いました(笑)。
ただ,負け惜しみを言うわけではありませんが,この日私はカラオケの機械の採点については,少しばかり疑念を抱きました。Iさんなどは,曲の冒頭からいきなりメロディーを外しまくり,みんなから失笑を買っていたにもかかわらず,その得点は私(Mさん)と同じ87点だったからです。Hさんに負けたことより,そのことの方が悔しかったのです。W杯準決勝のフランス対ベルギー戦の主審が少しフランス寄りだったように・・・(笑)。
なお,年齢のせいか文章を書いている途中に訳が分からなくなると冒頭に言いましたが,それはあくまでも冗談ですからね。私は,常日頃,勝訴あるいは勝訴的な和解を目指して,裁判所に提出する準備書面などはしっかりとした内容のものを書いていると自負しております(笑)。
「忙殺」という言葉がありますが,ここのところムチャクチャに忙しかったのです。しかし,このとおり私はちゃんと生きております(笑)。それにしても私のブログは,平成20年12月に事務所のホームページを開設すると当時に始まったのですが,ブログを更新するのにこれほどの時間が空いてしまったというのは,かつてなかったことだと思います。前回のブログの標題が5月30日の「羽生善治永世七冠と名刺交換するの巻」ですから,3週間近くも空いてしまいました。このブログの熱狂的な読者の方々(推定で5800万人ほどは存在すると思われます【笑】)には大変に申し訳ないことをいたしました。
さて,その羽生永世七冠ですが,第76期将棋名人戦7番勝負第6局が昨日終了し,羽生さんは2勝4敗で名人位の奪取はなりませんでした。佐藤天彦名人はこれで名人戦3連覇となります。名人戦にかける佐藤名人の静かなる闘志,心意気は素晴らしく,他方,羽生永世七冠においても相手の得意戦法や研究手順への誘導も決して回避することなく,誠に堂々とした戦いぶりでした。
先日は,日帰りでの福岡出張でした。行きも帰りもANAの航空便を利用したのですが,問題は帰りの便でした。福岡空港18時25分出発の便で名古屋へ帰るはずが,な,何と,「航空機が手配できなかったため」という理由で欠航になってしまったのです。台風とかその他の悪天候で欠航というのなら分かるのですが,そういう理由で欠航になるとは・・・。疲れているのにトホホという気分でしたが,結局は約2時間遅れの便に搭乗でき,名古屋の自宅に戻ったのは午後11時ころでした。福岡空港内では2時間ほど時間をつぶすことを余儀なくされたのですが,ANAからは親切にも3000円分の食事券をいただきましたので,やはり3000円分の食事券をもらった同行者と一杯やり,遠慮なくヒレステーキをいただきました(笑)。
それにしても,サッカー日本代表,あの強敵コロンビアに2-1で勝利!誠に天晴れでした。この結果を誰が予想したでしょうか。この試合は私は行きつけのスナックのテレビでライブで観ていたのですが,日本代表の戦いぶりは素晴らしかったと思います。開始早々,コロンビアの選手が一発退場になり数的有利の状況で首尾良く先制できました。私が素晴らしいと思ったのは,コロンビアに同点に追いつかれた後も日本代表は決して怯むことなく,そして引き分け狙いなどと言った姑息な方針を採用することなく,積極的に攻め続けた点です。
というのも,4年前にブラジルで開催されたW杯のグループリーグの第2戦で,日本はギリシャと戦いました。この試合,ギリシャはやはり退場者を出してしまって数的不利となり,徹底して守備的にプレーしたギリシャは明らかに引き分け狙い(勝ち点1)の方針でした。一方,この時の日本代表も数的有利であったにもかかわらず,その攻めは積極的とは言えず,0-0のスコアレスドローになってしまったのです。世界のサポーターの多くがこの試合を酷いゲーム,つまらない試合などと酷評していました。しかし,先日のコロンビア戦はそうではありませんでした。日本代表は積極果敢に攻めたのです。
さて,問題はその次のセネガル戦です。何となくですが,日本代表は歴史的にアフリカ勢には分が悪い感じがします。4年前のグループリーグでもコートジボアールに敗れていますし,今大会のセネガルはFIFAランキング8位のポーランドに2-1で勝っております。日本代表には,コロンビア戦での戦いを自信にして,勇気をもってサムライのように戦って欲しいものです。
蛇足ですが,スナックで対コロンビア戦を観ていた晩,またまた仲間内で次から次にフランク永井の「君恋し」を歌い合って覇を競いました。私が88点を出して覇者になったことは言うまでもありません(笑)。