私の法律事務所のすぐ近くにあるその和菓子屋さんの店主は,残念ながらやはり鬼籍に入られたようです。前にこのブログでお話した挨拶文がシャッターから外されていたのですが,インターホンのすぐ近くをよく見ますと,手書きのメッセージが貼ってありました。弔問や香典等を辞退させていただく旨の,ご遺族のこれまた誠に丁寧なメッセージでした。
願わくばもう一度店主がご病気から再起されて,私もあの和菓子を味わいたいと思っていたのですが,今ではそれも叶わぬこととなってしまいました。こんなことならば,もっともっとあのみたらし団子,桜餅,柏餅,よもぎ餅,三色団子,若鮎,おはぎなどを味わっておけばよかったと思います。
思えば,今年の春頃でしたか,私がその誠実そうな店主に「若鮎はありますか。」と尋ねたら,若鮎というお菓子は夏にしか作りませんとのお答えでした。その時はおはぎと桜餅などを買って帰ったと思います。それがその店主と交わした最後の言葉になりました。ご冥福をお祈り致します。合掌。
そんな訳で,そのことが分かった晩にはバッハの教会カンタータ第106番「神の時こそいと良き時」をしみじみと聴きました。「神の時」というのはお迎えが来る時,すなわち死の時を意味します。このカンタータは葬送,追悼の時に演奏されるようにバッハが作ったものであり,ウィキペディアなどによりますと,当時の死生観を反映した作品として,草創期の素朴な作品として重視する愛好家も多く非常に人気の高いカンタータです。私自身もバッハの作品の中でも特に好きな曲です。旋律の美しさは勿論ですが,「神にあって死すべき時に我らは死ぬ。しかるべき時に。」という歌詞も身にしみます。
それにしても人の命は儚いもので,無常を感じます。徒然草の第155段の記述を思わず思い出しました。
「死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遙かなれども、磯より潮の満つるが如し。」
私の法律事務所のすぐ近くにあるその和菓子屋さんには,たまにですけどお世話になったのです。みなさんも心当たりがあるかと思うのですが,「少し疲れたな。」と感じたり,ちょっとでも達成感のある仕事をした時に「自分へのご褒美だ。」と思って,無性に甘い物が食べたくなることはありませんか。
その和菓子屋さんには季節にもよりますが,桜餅,柏餅,おはぎ,三色団子(花見団子),みたらし,若鮎(ふっくらとした茶色の生地に白っぽいあんが入っている)などなど,美味しい和菓子がいつも並んでおりましたし,季節を問わず赤飯などもありました。
私がふらっとその店に入ると,いつも白い作業着を身に付けた物静かな店主が店内にいて,応対してくれました。客がいない時には帳簿などをつけていたようです。建物の奥行きから割と広めの作業場が確保してあるようですし,店の風情からしてもその歴史は長いのだと思います。
ところが,先日その店先を通り過ぎようとしたら,シャッターに次のような貼り紙がしてあるのに気付きました。
「8月5日をもちまして,店主病気のため店を閉めさせていただきます。長い間のご愛顧,誠にありがとうございました。いいお客様に恵まれました事,感謝致しております。皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り致します。本当にありがとうございました。」
私は立ち止まり,少しの間そのシャッターの貼り紙の前に突っ立ったままになり,驚きとともに何かしら寂しい気分になったのです。そうか,もうこの店のあの美味しい和菓子を食べられなくなったのか。それにしても,あの物静かで職人風の店主らしく,心に残る大変良い挨拶文です。お人柄がにじみ出ております。
閉店に至るというのはよほどの覚悟だったのだろうと思いますが,願わくば健康を回復されて,何とか再び再起して欲しい。そして,あの桜餅,柏餅,おはぎ,三色団子などを再び味わいたい。
夏なんだからそんな不平を言っても詮無いことは重々承知しておりますが,本当に暑い日が続いております。若い頃はそんなことは思いませんでしたが,最近では年齢のせいか,ひと夏を越すのがこんなに難儀なことだったのかとつくづく思います。みなさんも御身御大切に。
今年のジャイアンツはやはり弱いと思います(笑)。1番陽,2番マギーといった打線の組み替え後は割と勝率は良くなったのですが,未だに借金生活ですから・・・。昨日の対中日戦だって,ファンにとっては大変にストレスを感じる試合でした。大竹という投手は相変わらず同じ間違いを繰り返していますね。せっかく味方が4点も取って逆転したにもかかわらず(4-1),その直後にポン,ポンといとも簡単にヒットを打たれて走者をため,挙げ句にいとも簡単にポーンと3ランホームランを打たれてしまい,それこそあっという間に4-4の同点ですわ(笑)。
こういう展開だと味方の選手の士気にもかかわりますし,プロとはいえ気分的に萎えてしまいますね。もちろんファンも(笑)。せっかくの日曜日だというのに,私はテレビの前で本当に悔しい思いをしました。ついでにこの際,八つ当たりをしますと,私は昔からプロ野球選手がアゴ髭を生やしているのが本当に嫌いなのですが,中日ドラゴンズにはどういう訳かアゴ髭の選手が多く,こういった選手に活躍されてジャイアンツが窮地に陥ってしまうと,なおさら悔しいのです。気分が悪い(笑)。さすがにこのブログでは誰とは言いませんが,アゴ髭なんかやめろー。そのアゴ髭の選手にヒットを打たれ,アゴ髭の選手にホームランを打たれ,アゴ髭の選手に抑えられたりしてしまうジャイアンツの選手も本当に情けない。
気分を変えて,少しうれしいこともお話します。こんな父親でも,私は娘から愛されているのかなと思います(笑)。ビールのお酌をしてくれるだけでなく,夢の中でも私の体を心配してくれるのです。我が家では,昨夜見た夢を朝食の時に語る習慣,伝統があるのですが(笑),娘は先日次のような夢を見たというのです。
弁護士をしている私は,仕事柄いろいろなタイプの人と交渉等もしなければなりませんが,ある日私は,少し精神的におかしく危険な行為に及びかねない女性からその自宅に呼び出されました。心配した娘は私の身に何かあってはいけないと,その女性の自宅に着いたら私の携帯電話を常に通話状態にしておいてくれと私に言いました。ところが,私が訪ねた交渉相手のその女性は手にナイフを持って私に対峙し,一触即発の状態になったのです。心配した娘は通話状態であるはずの私の携帯電話に必死に呼びかけますが応答がなく,そのうち電源が切れて通話すらできず,安否が分からない状態になりました。娘は不安と恐怖のあまり泣き出し,私の無事を祈ってその帰宅を待ちます。そうしたところ,私は何事もなかったかのように自宅に戻って元気な姿を見せ,娘が大いに安心したところで目が覚めたという訳です(笑)。
娘が見たのはそういう夢だったそうな・・・。こんな私でも,娘は気にかけてくれ,愛してくれているのですよ。ありがたいことです。
私がこのブログのアップ(更新)を目論んでいる現時点で,英国の総選挙は意外なことになっていますね。メイ首相率いる保守党議員数は,議会での過半数を割り込んでしまう結果となるのが確実のようで,メイ首相の進退さえも取りざたされております。
メイ首相はついこの間,サッチャー元首相に続いて英国史上2番目の女性首相になったばかりだというのに・・・。私はこの人のお顔は好きです。どこぞの知事とは違って何かしら気高さと気品がありますからね。何とか頑張って欲しいものです。
さて,これとは全く次元が異なり,コマーシャリズム(商業主義)に完全に乗っかってしまっていると思われるAKB48の「総選挙」とやらも行われております。青少年諸君,そんなことにうつつを抜かしているのではなく,日本の伝統文化や古典,歴史を学び,この愛すべき日本国の次代を担う存在になってくださいよね(笑)。
このAKB48の「総選挙」とやらのシステムはよく知りませんが,要するにアイドルの人気投票でCDなど1枚を買うごとに投票権が付与されるのでしょうか・・・。ますますCDの売上が見込めますね。でも私はそういうのには冷めております。
と,ところがですよ!規模は違いますが,昔にも似たような商売があったようなのです。大正末期から昭和10年までの間,銀座に「カフェー・タイガー」という喫茶(ビール等も出される)があり,美しい女給さんが同席してくれるサービスもありました。当時の文壇の大御所であり文藝春秋の社長でもあった菊池寛も足繁く通ったようです。そして,この「カフェー・タイガー」では美人投票の催しがあったそうで,AKB48の総選挙とは全然規模は違いますが,女給さんの美人投票なのです。ビール1壜を注文すると1票になり,客が好みの女給に投票する訳です(笑)。
永井荷風の「断腸亭日乗」には,「カフェー・タイガー」通いの菊池寛に関する描写が出てきます。菊池寛には申し訳ありませんが,次に引用することにします(笑)。
「菊池寛某女のために百五拾票を投ぜし故麦酒百五拾壜を購ひ、投票〆切の翌日これを自動車に積みその家に持帰りしといふ。これにて田舎者の本性を露したり」(昭和四年四月初五)
「田舎者の本性」とはひどい言われようですが,菊池寛はお気に入りの女給さんに投票するために,何と,ビール(麦酒)150本を購入し,投票の翌日,それを車に積んで自宅まで持ち帰ったというのです(爆笑)。
でもこの菊池寛は何となく憎めないところがあります。陰湿なところがありません。彼は文藝春秋のライバルであった中央公論(嶋中雄作社長)の「婦人公論」誌上に掲載された広津和郎の「女給」という小説で暗に女給カフェー通いを暴露され,怒り心頭,怒髪天を衝き,単身中央公論のビルに乗り込み,かねてから不仲であった嶋中雄作に文句を言いに言ったのです。その際に机をはさんで嶋中を殴ろうとしますが,丸まっちい身体で手が届かず,仕方なしに振り上げた拳で隣にいた「婦人公論」編集長の頭を殴ってすぐに社外に逃走したというのです(笑)。
ただでさえ,社長同士が不仲,そしてライバル関係にあった文藝春秋と中央公論はその後,中央公論は菊池寛を暴行罪で刑事告訴に踏み切り,他方,菊池寛は名誉毀損で中央公論を告訴する騒ぎに発展します。
菊池寛という人,誠に人間くさく面白い人で,「仕事中に遊ぶな」という遊技禁止令を社長として文藝春秋の社員に出したにもかかわらず,社内で一番最初にこの遊技禁止令を破ってしまったのは他ならぬ菊池寛自身であり,編集室内で卓球をしていたようです(笑)。
私は隔月刊の「表現者」という雑誌を愛読しているのですが,その中でも特に面白いと思っているのは,評伝作家であり評論家の澤村修治が書いている「記憶の王国-暴れん坊と畸人の時代」という記事で,今年5月号に掲載された畸人こそが菊池寛だったのです。
少し前にシルヴィ・ヴァルタンのことを書きましたが,今日はアラン・ドロンです。そりゃあもう,私たちの年代でアラン・ドロンというフランスの美男の名優を知らない人はいないでしょう。私も小学生の頃から知っておりました。昔,ダーバンの宣伝なんかにも出ておられましたね。もう81歳ですか・・・。そりゃ私も年をとるはずです(笑)。
そのアラン・ドロンもつい先ごろ俳優としての引退を表明しました。それにしてもカッコ良かったなー。男女問わずみんな憧れたものです。そういえば思い出すのが,亡き父のことです。もう既に私の母も数年前に亡くなりましたが,アラン・ドロンがテレビに出ていると,母がよく「いい男だわ。」,「カッコいいなァ」などとしみじみと囁いていました。それを端で聞いていた父はというと,忌々しそうな顔をして,「俺の方がいい男だ,好男子だ。」などと,どうひいき目にみても無理なことを言っては私たちを苦笑させていたものです。嫉妬というやつでしょう(笑)。
でも最後は,うちの父も「男は顔じゃないの。心なの。」などと負け惜しみを言ってその場は収まっていたのを思い出します(笑)。遠い昔の我が家でのやり取りです。こういった現象は,加山雄三がテレビに映っている時にも頻繁に見られました(笑)。
確かに,アラン・ドロンは美男でカッコよく,それこそ一世を風靡した俳優です。でも実は私は,「太陽がいっぱい」で競演していたモーリス・ロネの方に俳優としての魅力を感じておりました。俳優としてですよ。「太陽がいっぱい」では鼻持ちならない役どころではありましたが,モーリス・ロネのあの何かしら陰翳のある,人間の弱さをごく自然に演ずることのできる才能に惹かれておりました。
若い頃,モーリス・ロネの映画をよく観たものです。「死刑台のエレベーター」,「鬼火」(いずれも名監督ルイ・マルの作品)などなど・・・。「鬼火」のストーリーの進行は切なく,息詰まるようなもので,そのラストシーンなどは衝撃的でしたが,ある意味予想もできました。もう一度観てみたいと思います。
いずれにしても,アラン・ドロン様,大変ご苦労様でした。ルキーノ・ヴィスコンティの「山猫」での演技も良かったし,往年の名優ジャン・ギャバンと競演した「暗黒街のふたり」も渋かったですよ。
私の場合,何やらとりとめのない話題を書き始めるときのタイトルは「雑感」です(笑)。
今度の連休は,やはり楽しかった。いろいろなことをやりましたが,もう恒例になった信頼できる知人とのゴルフの2ラウンド(いずれの日も知多半島の素晴らしいゴルフ場)も行いました。このうち最初のラウンドは自分にしては妙に良いスコアで回ることができましたが,2番目のラウンドは少し悲惨なものになってしまいました。
その理由は,もはや私の天敵とも言えるバンカーショットです。ロングホールで15の大たたきをしたのですが,その理由はグリーン横のアゴの高いガードバンカーに入れてしまって,出なかったのです(泣)。大変に辛かった・・・。
今の私のゴルフにおいては,バンカーショットは大きな弱点であり,通知表でいえば「1」が付いてしまうほどです。そういえば,私は小学校から高校までの通知表で「1」が付けられたことが1回だけあるのですが,それは確か高校1年か2年の時の物理です。女性の教諭だったと思います。別にその先生に何の恨みもありませんが,その当時はいわゆる相対評価で,クラスで「1」が付けられてしまったのは4名ほどだったと思いますが,その4名の中に入るという栄誉に見事輝いたのです(笑)。何で物理みたいな学問が存在するのだろうと思ったものですが,バンカーショットのように苦手な学問でしたね。いずれにしても,どこかの練習場で本格的にバンカーの出し方を練習しなければなりません。
最近あちこちの国で重要な選挙が続きましたが,わが日本でも選挙というものはとても重要ですね。憲法改正というのは非常に大きなマターであり,日本がごく普通の国に成るためには悲願の憲法改正を実現しなければなりません。
それにしても最近つくづく思うのは,民意というものの移ろいやすさ,いい加減さという側面です。この前,月刊「正論」の元編集長である上島嘉郎さんが面白い事を書いていました。
「1 舛添要一23.7% 2 鳩山由紀夫8.3% 3 菅直人7.4%」という数字,これは2010年3月に「次の首相にふさわしい人は誰だと思いますか」という調査を共同通信が実施した結果です。今からほんの7年前のものです。本当に恐ろしいですね。まるでホラーのようです(笑)。もうこの段階ではあの恐るべき民主党政権が誕生し,鳩山由紀夫が何とわが国の首相になっていたのですが(それだけでも民意のいい加減さ,移ろいやすさを痛感するに十分です。),その鳩山由紀夫首相は「ルーピー」などと言われて諸外国からほとんど相手にされませんでした。その後に首相になった菅直人という人も,例えばG7のサミットなどでも各国首脳とは余り言葉すら交わすことなく,完全に孤立状態・・・。実のある外交とはほど遠い状態でした。
そして,前後しますが,鳩山由紀夫を首班とする民主党政権が誕生して半年後には,な,なんと,舛添要一が鳩山由紀夫の3倍近い支持を得て「次の首相にふさわしい人」のトップになっていたのです(笑)。東京都知事になった後の舛添氏の行く末については既にみなさんご案内のとおりです。
こんなことをつらつら考えていますと,ホセ・オルテガ・イ・ガセットの著書「大衆の反逆」の一節が思い浮かびます。私もその一人だとは思いますが,「大衆」の権力と行動に向けた意思には危険な面もあります。民意も移ろいやすい,いい加減な側面もあるのです。来るべき東京都議選では,小池百合子都知事のことがやたらマスコミでもてはやされていたりしますが,「政界の渡り鳥」と称されていた人でもあり,何やら小泉純一郎が政権をとっていた時の「劇場型政治」を彷彿とさせ,私としてはあまり良い印象はもっていません。「雑感」・・・大変に失礼いたしました。
桜が咲きました。実に見事なものです。通勤途上にあるいくつかの小学校の敷地内には,たいていソメイヨシノの木が植えてあり,毎年この季節には美しい桜が咲き,幸せな気分にさせてくれます。日本人に生まれて本当によかったと実感するひとときでもあります。
「翌日しらぬ身の楽しみや花に酒」(井月)
「咲き切った桜かな郊外に住む」(放哉)
「さくら咲いて、なるほど日本の春で」(山頭火)
それにしても我が栄光の読売巨人軍,これも見事に開幕4連勝です。実にお酒が美味しい(笑)。今年のオープン戦の巨人の成績は惨憺たるもので(5勝14敗),チーム打率は1割9分台で2割にも達せず,チーム防御率も4点台であり,12球団中ほぼダントツの最下位でした。内心,今年もダメだなあと思っていました。野球評論家が巨人の春季キャンプの状況について「元気がない。」と口を揃えてコメントしておりましたしね・・・。
でも,実は意外なデータがあるのです。1965年以降,巨人のオープン戦最下位という不名誉な成績は,1972年,1992年,2008年の3度あったのですが,このうち1972年と2008年はいずれもセ・リーグで優勝に輝き,1992年も同率2位になっているのです(笑)。よーし,今年も優勝だーっ!
ところで,現在私は,いわゆる糖質制限を試しています。炭水化物から食物繊維を差し引いたものが糖質になるのですが,糖質を摂取し過ぎるとAGE(終末糖化産物)が体内で悪さをし,動脈硬化や老化を早め,活性酸素も発生させるし,太りやすくなってロクなことがないそうです。私は,何かを試す時には理論的な裏付けが欲しい性分なので,2冊ほど本を読んだ上で現在試しております。我が家では,朝はごはんと味噌汁をベースとした和食は欠かせないため,これは絶対に譲れないところですが(笑),昼と夜はできるだけ炭水化物を摂取しないようにしております。あくまでも「制限」ですから,「絶縁」する訳ではなく,できるだけ控えるというほどの意味です。時には私だって,豪快にラーメンと炒飯の黄金の炭水化物コラボレーションに憧れたりもします(笑)。
そういう訳で,毎朝体重計に乗るのが楽しみで,僅か3週間ほどのうちに3キロほど痩せました。ただし,私の身長に相応の標準体重には,さらにあと3キロ痩せなければなりません。でも,体も軽くなって心なしか気分も爽快ですので,この糖質制限は無理なく続けられる気がしていますし,巨人の今シーズンのリーグ優勝と同様,標準体重を達成できそうです。
土曜日の夜は,うちのカミさんも娘も共に外出で,私は一人寂しく自宅でテレビを観ながらお気に入りの手製のつまみで晩酌しておりました。もちろんお酒は美味かったのですが,何しろ私のこの徒然を慰めてくれるテレビ番組の無さには本当に閉口しました。地デジ,BSの各チャンネルを何度回してみても私を満足させる番組が全くなかったのです(笑)。
ところが,悄然とした私の目に飛び込んできたのは,BS12で放送されていた「レスラー」(2008年公開)という映画でした。最初はあまり観たいとは思わない映画だなと一旦はやり過ごしたのですが,私を満足させてくれる番組があまりにもないので,再びチャンネルを合わせました。するとどうでしょう,主演のミッキー・ロークの演技とストーリー,映画の出来の良さで思わず引き込まれていきました。私はテレビで宣伝しているような派手な映画,例えばCGなどを使用したものなどは一切観ないし,いわゆるアート系の映画を好んでおりますので,昔からヨーロッパの映画をよく観ていました。でも,この「レスラ-」という米国映画は素晴らしく,すごく切なく,感動しました。そのあらすじは私などが説明するよりも,ウィキペディアの記事を以下に引用しておきましょう。
「1980年代に人気レスラーだったランディだが、二十数年経った現在はスーパーでアルバイトをしながら辛うじてプロレスを続け、想いを寄せるキャシディに会うためにストリップクラブを訪ねる孤独な日々を送っている。ある日、往年の名勝負と言われたジ・アヤトラー戦の20周年記念試合が決定する。メジャー団体への復帰チャンスと意気揚がるランディだったが、長年のステロイド剤使用が祟り心臓発作を起こし倒れてしまう。現役続行を断念したランディは、長年疎遠であった一人娘のステファニーとの関係を修復し、新しい人生を始める決意をするが、バーで出会った女とセックスとコカインにふけったせいで食事の約束を寝過ごしてしまい、ステファニーに絶縁されてしまう。スーパーの肉売り場で働き始めたランディであったが、元プロレスラーであることに気付いた客の一人に動揺させられ、スライサーで手を怪我する。やけになったランディは仕事をやめてしまう。家族と仕事を失ったランディは、アヤトラー戦でレスラーに復帰することを決意する。会場にはランディの体を心配してキャシディが駆けつけたが、リングの中だけが俺の世界だと制止を振り切ってリングに上がる。試合中に体調が悪化したランディを気遣ってアヤトラーはピンフォールするように耳元で囁くが、ランディはそれを無視して必殺技の「ラム・ジャム」をファンに披露するためにリングコーナーによじ登り、飛び降りる。」
すごく切ない映画です。長年疎遠にしていた一人娘に手ひどく拒絶・絶縁され,想いを寄せていたキャシディからは一線は越えられないと体よく拒絶され,そして自分の過去の栄光と現在の病身の自分との落差,ミッキー・ロークの演技は秀逸です。映画自体,ヴェネツィア国際映画祭で最高賞である金獅子賞に輝いただけのことはあります。本当に切ない映画です。ミッキー・ローク自身もかつては「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」,「ナインハーフ」,「エンゼル・ハート」などの話題作で主演を務めた名優ですが,その後プロボクサーに転身し,再び俳優業に戻り,私生活でもいくつかのスキャンダルがあって,本当の彼(ローク)の人生に重なり合う部分もあります。
ラストシーンはリングコーナーから飛び降りたところであり,その結果については観客の想像力に任せる設定となっています。心臓のバイパス手術をしているのですから,無事で済むはずはありません。でも,自らの身は顧みず,キャシディの制止を振り切ってリングに上がろうとする際にランディがキャシディに述べたセリフが今も頭の中に残っております。「俺にとって痛いのは外の現実の方だ。もう誰もいない。ほら、あそこが俺の居場所だ。行くよ。」
それと,このセリフの後,彼がリングに上がろうとする際の音楽がまた素晴らしい。ガンズ・アンド・ローゼズの「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」なのです。泣けてきます。
大変良い季節になってきましたね。今頃は二十四節気の第三である「啓蟄」の時期です。冬ごもりをしていた虫たちが穴から這い出て来るような,少し暖かさが感じられる季節です。昨日も仕事で,事務所まではいつものように散歩がてら歩いて行ったのですが,顔を撫でる風も少し暖かくなってきました。今の季節は「水温む」という季語がぴったりです。
さて,前回のこのブログの標題が「あんパン(その1)」でしたから,当然今回は「あんパン(その2)」ということになります(笑)。アニメのアンパンマンに出て来るキャラクターは,主人公のアンパンマンは勿論のこと,どの登場人物もとても可愛らしく,見ていて癒やされます。ところが,経済評論家の三橋貴明さんは,もうすぐ「アンパンマン」が禁止用語になり,「アンパンパーソン」と呼ばれることになるだろうと,冗談半分で述べております。
ポリティカル・コレクトネスというのは,日本語では「政治的に正しい言葉遣い」と呼ばれ,これは要するに,政治的・社会的に公正・公平・中立的で,なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで,職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指します。
そういった趣旨そのものは私も理解はできるのですが,ポリティカル・コレクトネスというものが行き過ぎると,いわゆる言葉狩りが横行し,窮屈で過ごしにくくなるのではないかと危惧しております。昔は保母さんとよばれていて暖かみを感じる言葉だったのですが,今は「保育士」と呼ばなければなりません。男性もこの職業についているからだそうです。私が「オギャー」と産声を上げたときに取り上げてくれたのは間違いなく産婆さん,助産婦さんだったのですが,今は「助産師」と呼ばなければならないのです(笑)。ビジネスマンは「ビジネスパーソン」と呼ばなければならず,スチュワーデスさんは今では「キャビンアテンダント」などと呼ばれています。重要で要になる人物は昔はキーマンと呼ばれていましたが,今では「キーパーソン」と呼ぶべきだとされるのです。なぜなら,要になる人物は男性とは限らないから・・・。
さらに,私が学生時代に英語を習ったころは,英語の敬称において,男性を指す「Mr.」が未婚・既婚を問わないのに対し,女性の場合は「Miss」(未婚),「Mrs.」(既婚)と表記上の区別をしていたと思うのですが,今ではそれは女性差別だということで未婚・既婚を問わない「Ms.」と表記しなければならないのです。アメリカは移民の国,他民族国家であり,このポリティカル・コレクトネスが行き過ぎた結果,メリークリスマスは特定の宗教用語だとして,今では「ハッピー・ホリデイ」に言い換えられ,ペットというのは差別だとして,「コンパニオン・アニマル」と呼ばなければならないそうです(笑)。どう考えても行き過ぎでしょう。日本でも次第にこうなっていくのだとしたら,窮屈で仕方ありません。
ただ,三橋貴明さんがアンパンマンは禁止用語になり,これからは「アンパンパーソン」と呼ばなければならなくなると半分冗談で言っているのですが,それはウルトラマンやスーパーマンなどの固有名詞までは言い換えたりはしないというルールもあるからです。ですから,あの愛すべきアンパンマンは,これからもアンパンマンなのです(笑)。そしてカレーパンマンも,しょくぱんまんも,ばいきんまんも・・・。また三橋さんは,このポリティカル・コレクトネスというものは,差別等を排斥するということだけが目的ではなく,実は左翼勢力に政治利用されてきた,そしてこれからも政治利用される危険性があるということも指摘しておられます。気をつけなければなりません。
将棋プロ棋士の加藤一二三九段のことは,私が中学生で将棋を覚え始めた頃から知っていました。「神武以来の天才」と呼ばれ,史上初の中学生(14歳)のプロ棋士になり,18歳でA級八段,20歳で名人戦挑戦をした人です。タイトル獲得数は8期で,タイトルの獲得回数はあの羽生善治三冠(97期),故大山康晴十五世名人(80期),中原誠十六世名人(64期)には遠く及ばないにしても,棋戦優勝も23回で大変立派な実績を残している棋士です。
その加藤一二三九段も,残された対局を終了すれば,近々の引退が決定しています。今朝の産経新聞でも,棋聖戦の予選で77歳の加藤九段が戦って圧勝した棋譜が掲載されていましたが,本当はまだまだ立派な棋譜が残せる棋士だと思います。こういった往年の名棋士の引退は寂しい限りです。
現在,将棋の世界では郷田真隆王将と久保利明九段との間で第66期王将戦7番勝負が繰り広げられておりますが,スポーツニッポンの記事によれば,その郷田王将がインタビューで加藤九段の引退に触れ,「いいお手本です。」と述べて加藤一二三というレジェンドとの思い出を語っています。
その思い出の一つというのは,加藤九段が30数年も年齢の離れた若手時代の郷田王将と対局した時,買って来たあんパンを郷田さんにあげたそうです(笑)。郷田王将はその時のことを次のように語っているのです。
「千日手になって指し直しまでの休憩中、あんパンを買ってきてくださって〝君も食べなさい〟と。2人でいい棋譜を作ろうという意図でしょう。」
それまで互いに相当の持ち時間を使い,叡智を振り絞って戦ってきたにもかかわらず,千日手になりますと,少し休憩をおいた後に再び指し直さなければならなくなり,指し直し局が終了するのは深夜になることもザラです。大変に体力を消耗します。かつて上杉謙信は武田信玄という敵に塩を送ったのですが(新渡戸稲造先生の名著「武士道」にもこのことが記されております。),「敵にあんパンを送る」とは・・・(笑)。何かほのぼのとするエピソードです。