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弁護士ブログ

2017/04/05

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桜が咲きました。実に見事なものです。通勤途上にあるいくつかの小学校の敷地内には,たいていソメイヨシノの木が植えてあり,毎年この季節には美しい桜が咲き,幸せな気分にさせてくれます。日本人に生まれて本当によかったと実感するひとときでもあります。

 

「翌日しらぬ身の楽しみや花に酒」(井月)

「咲き切った桜かな郊外に住む」(放哉)

「さくら咲いて、なるほど日本の春で」(山頭火)

 

それにしても我が栄光の読売巨人軍,これも見事に開幕4連勝です。実にお酒が美味しい(笑)。今年のオープン戦の巨人の成績は惨憺たるもので(5勝14敗),チーム打率は1割9分台で2割にも達せず,チーム防御率も4点台であり,12球団中ほぼダントツの最下位でした。内心,今年もダメだなあと思っていました。野球評論家が巨人の春季キャンプの状況について「元気がない。」と口を揃えてコメントしておりましたしね・・・。

 

でも,実は意外なデータがあるのです。1965年以降,巨人のオープン戦最下位という不名誉な成績は,1972年,1992年,2008年の3度あったのですが,このうち1972年と2008年はいずれもセ・リーグで優勝に輝き,1992年も同率2位になっているのです(笑)。よーし,今年も優勝だーっ!

 

ところで,現在私は,いわゆる糖質制限を試しています。炭水化物から食物繊維を差し引いたものが糖質になるのですが,糖質を摂取し過ぎるとAGE(終末糖化産物)が体内で悪さをし,動脈硬化や老化を早め,活性酸素も発生させるし,太りやすくなってロクなことがないそうです。私は,何かを試す時には理論的な裏付けが欲しい性分なので,2冊ほど本を読んだ上で現在試しております。我が家では,朝はごはんと味噌汁をベースとした和食は欠かせないため,これは絶対に譲れないところですが(笑),昼と夜はできるだけ炭水化物を摂取しないようにしております。あくまでも「制限」ですから,「絶縁」する訳ではなく,できるだけ控えるというほどの意味です。時には私だって,豪快にラーメンと炒飯の黄金の炭水化物コラボレーションに憧れたりもします(笑)。

 

そういう訳で,毎朝体重計に乗るのが楽しみで,僅か3週間ほどのうちに3キロほど痩せました。ただし,私の身長に相応の標準体重には,さらにあと3キロ痩せなければなりません。でも,体も軽くなって心なしか気分も爽快ですので,この糖質制限は無理なく続けられる気がしていますし,巨人の今シーズンのリーグ優勝と同様,標準体重を達成できそうです。

2017/03/27

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土曜日の夜は,うちのカミさんも娘も共に外出で,私は一人寂しく自宅でテレビを観ながらお気に入りの手製のつまみで晩酌しておりました。もちろんお酒は美味かったのですが,何しろ私のこの徒然を慰めてくれるテレビ番組の無さには本当に閉口しました。地デジ,BSの各チャンネルを何度回してみても私を満足させる番組が全くなかったのです(笑)。

 

ところが,悄然とした私の目に飛び込んできたのは,BS12で放送されていた「レスラー」(2008年公開)という映画でした。最初はあまり観たいとは思わない映画だなと一旦はやり過ごしたのですが,私を満足させてくれる番組があまりにもないので,再びチャンネルを合わせました。するとどうでしょう,主演のミッキー・ロークの演技とストーリー,映画の出来の良さで思わず引き込まれていきました。私はテレビで宣伝しているような派手な映画,例えばCGなどを使用したものなどは一切観ないし,いわゆるアート系の映画を好んでおりますので,昔からヨーロッパの映画をよく観ていました。でも,この「レスラ-」という米国映画は素晴らしく,すごく切なく,感動しました。そのあらすじは私などが説明するよりも,ウィキペディアの記事を以下に引用しておきましょう。

 

「1980年代に人気レスラーだったランディだが、二十数年経った現在はスーパーでアルバイトをしながら辛うじてプロレスを続け、想いを寄せるキャシディに会うためにストリップクラブを訪ねる孤独な日々を送っている。ある日、往年の名勝負と言われたジ・アヤトラー戦の20周年記念試合が決定する。メジャー団体への復帰チャンスと意気揚がるランディだったが、長年のステロイド剤使用が祟り心臓発作を起こし倒れてしまう。現役続行を断念したランディは、長年疎遠であった一人娘のステファニーとの関係を修復し、新しい人生を始める決意をするが、バーで出会った女とセックスとコカインにふけったせいで食事の約束を寝過ごしてしまい、ステファニーに絶縁されてしまう。スーパーの肉売り場で働き始めたランディであったが、元プロレスラーであることに気付いた客の一人に動揺させられ、スライサーで手を怪我する。やけになったランディは仕事をやめてしまう。家族と仕事を失ったランディは、アヤトラー戦でレスラーに復帰することを決意する。会場にはランディの体を心配してキャシディが駆けつけたが、リングの中だけが俺の世界だと制止を振り切ってリングに上がる。試合中に体調が悪化したランディを気遣ってアヤトラーはピンフォールするように耳元で囁くが、ランディはそれを無視して必殺技の「ラム・ジャム」をファンに披露するためにリングコーナーによじ登り、飛び降りる。」

 

すごく切ない映画です。長年疎遠にしていた一人娘に手ひどく拒絶・絶縁され,想いを寄せていたキャシディからは一線は越えられないと体よく拒絶され,そして自分の過去の栄光と現在の病身の自分との落差,ミッキー・ロークの演技は秀逸です。映画自体,ヴェネツィア国際映画祭で最高賞である金獅子賞に輝いただけのことはあります。本当に切ない映画です。ミッキー・ローク自身もかつては「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」,「ナインハーフ」,「エンゼル・ハート」などの話題作で主演を務めた名優ですが,その後プロボクサーに転身し,再び俳優業に戻り,私生活でもいくつかのスキャンダルがあって,本当の彼(ローク)の人生に重なり合う部分もあります。

 

ラストシーンはリングコーナーから飛び降りたところであり,その結果については観客の想像力に任せる設定となっています。心臓のバイパス手術をしているのですから,無事で済むはずはありません。でも,自らの身は顧みず,キャシディの制止を振り切ってリングに上がろうとする際にランディがキャシディに述べたセリフが今も頭の中に残っております。「俺にとって痛いのは外の現実の方だ。もう誰もいない。ほら、あそこが俺の居場所だ。行くよ。」

 

それと,このセリフの後,彼がリングに上がろうとする際の音楽がまた素晴らしい。ガンズ・アンド・ローゼズの「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」なのです。泣けてきます。

2017/03/06

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大変良い季節になってきましたね。今頃は二十四節気の第三である「啓蟄」の時期です。冬ごもりをしていた虫たちが穴から這い出て来るような,少し暖かさが感じられる季節です。昨日も仕事で,事務所まではいつものように散歩がてら歩いて行ったのですが,顔を撫でる風も少し暖かくなってきました。今の季節は「水温む」という季語がぴったりです。

 

さて,前回のこのブログの標題が「あんパン(その1)」でしたから,当然今回は「あんパン(その2)」ということになります(笑)。アニメのアンパンマンに出て来るキャラクターは,主人公のアンパンマンは勿論のこと,どの登場人物もとても可愛らしく,見ていて癒やされます。ところが,経済評論家の三橋貴明さんは,もうすぐ「アンパンマン」が禁止用語になり,「アンパンパーソン」と呼ばれることになるだろうと,冗談半分で述べております。

 

ポリティカル・コレクトネスというのは,日本語では「政治的に正しい言葉遣い」と呼ばれ,これは要するに,政治的・社会的に公正・公平・中立的で,なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで,職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指します。

 

そういった趣旨そのものは私も理解はできるのですが,ポリティカル・コレクトネスというものが行き過ぎると,いわゆる言葉狩りが横行し,窮屈で過ごしにくくなるのではないかと危惧しております。昔は保母さんとよばれていて暖かみを感じる言葉だったのですが,今は「保育士」と呼ばなければなりません。男性もこの職業についているからだそうです。私が「オギャー」と産声を上げたときに取り上げてくれたのは間違いなく産婆さん,助産婦さんだったのですが,今は「助産師」と呼ばなければならないのです(笑)。ビジネスマンは「ビジネスパーソン」と呼ばなければならず,スチュワーデスさんは今では「キャビンアテンダント」などと呼ばれています。重要で要になる人物は昔はキーマンと呼ばれていましたが,今では「キーパーソン」と呼ぶべきだとされるのです。なぜなら,要になる人物は男性とは限らないから・・・。

 

さらに,私が学生時代に英語を習ったころは,英語の敬称において,男性を指す「Mr.」が未婚・既婚を問わないのに対し,女性の場合は「Miss」(未婚),「Mrs.」(既婚)と表記上の区別をしていたと思うのですが,今ではそれは女性差別だということで未婚・既婚を問わない「Ms.」と表記しなければならないのです。アメリカは移民の国,他民族国家であり,このポリティカル・コレクトネスが行き過ぎた結果,メリークリスマスは特定の宗教用語だとして,今では「ハッピー・ホリデイ」に言い換えられ,ペットというのは差別だとして,「コンパニオン・アニマル」と呼ばなければならないそうです(笑)。どう考えても行き過ぎでしょう。日本でも次第にこうなっていくのだとしたら,窮屈で仕方ありません。

 

ただ,三橋貴明さんがアンパンマンは禁止用語になり,これからは「アンパンパーソン」と呼ばなければならなくなると半分冗談で言っているのですが,それはウルトラマンやスーパーマンなどの固有名詞までは言い換えたりはしないというルールもあるからです。ですから,あの愛すべきアンパンマンは,これからもアンパンマンなのです(笑)。そしてカレーパンマンも,しょくぱんまんも,ばいきんまんも・・・。また三橋さんは,このポリティカル・コレクトネスというものは,差別等を排斥するということだけが目的ではなく,実は左翼勢力に政治利用されてきた,そしてこれからも政治利用される危険性があるということも指摘しておられます。気をつけなければなりません。

2017/02/21

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将棋プロ棋士の加藤一二三九段のことは,私が中学生で将棋を覚え始めた頃から知っていました。「神武以来の天才」と呼ばれ,史上初の中学生(14歳)のプロ棋士になり,18歳でA級八段,20歳で名人戦挑戦をした人です。タイトル獲得数は8期で,タイトルの獲得回数はあの羽生善治三冠(97期),故大山康晴十五世名人(80期),中原誠十六世名人(64期)には遠く及ばないにしても,棋戦優勝も23回で大変立派な実績を残している棋士です。

 

その加藤一二三九段も,残された対局を終了すれば,近々の引退が決定しています。今朝の産経新聞でも,棋聖戦の予選で77歳の加藤九段が戦って圧勝した棋譜が掲載されていましたが,本当はまだまだ立派な棋譜が残せる棋士だと思います。こういった往年の名棋士の引退は寂しい限りです。

 

現在,将棋の世界では郷田真隆王将と久保利明九段との間で第66期王将戦7番勝負が繰り広げられておりますが,スポーツニッポンの記事によれば,その郷田王将がインタビューで加藤九段の引退に触れ,「いいお手本です。」と述べて加藤一二三というレジェンドとの思い出を語っています。

 

その思い出の一つというのは,加藤九段が30数年も年齢の離れた若手時代の郷田王将と対局した時,買って来たあんパンを郷田さんにあげたそうです(笑)。郷田王将はその時のことを次のように語っているのです。

 

「千日手になって指し直しまでの休憩中、あんパンを買ってきてくださって〝君も食べなさい〟と。2人でいい棋譜を作ろうという意図でしょう。」

 

それまで互いに相当の持ち時間を使い,叡智を振り絞って戦ってきたにもかかわらず,千日手になりますと,少し休憩をおいた後に再び指し直さなければならなくなり,指し直し局が終了するのは深夜になることもザラです。大変に体力を消耗します。かつて上杉謙信は武田信玄という敵に塩を送ったのですが(新渡戸稲造先生の名著「武士道」にもこのことが記されております。),「敵にあんパンを送る」とは・・・(笑)。何かほのぼのとするエピソードです。

2017/01/10

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新年明けましておめでとうございます。今年が皆様にとってとても幸せな年となりますように,心から祈念いたしております。

 

さて,昨年は割と忙しく,好きなゴルフの季節になってからもそれほどラウンドができなかったので,自分へのご褒美の意味で年末年始は4ラウンド行いました。12月23日(祝),12月28日(水),1月3日(火),1月4日(水)です(笑)。

 

でも私はこの4ラウンドで,同じ過ちを繰り返す自分がつくづく嫌になりました。ドライバーのティーショットにしても,第2打地点や第3打地点でのアイアンショットにしても,かねてからの自分の宿痾とも言うべき「力み」と「早打ち」の傾向が治らず,4ラウンドとも不本意なスコアだったのです。

 

この難点はゴルフをやり始めた頃から指摘され,自分でもその時には自覚し,確かに良いショットが連発する時は力みと早打ちが抑制され,ゆっくりとしかも軽くショットできた時だと実感できていたのに・・・。にもかかわらず,私としたことが,同じ過ち(力みと早打ち)を繰り返してしまうのです。年末は当然のように,そして新年早々も(笑)。本当に馬鹿ですねぇ。自分自身,これほどまでに馬鹿だったとは・・・。「馬鹿は死ななきゃなおらない」というのは本当なんでしょうか(笑)。

 

そういえば思い出すなぁ。亡くなった父は昭和一けたの生まれで,晩酌で良い気分になってはステレオのある小さな部屋に行き,二代目広沢虎造の浪曲をレコードで聴いては悦に入っておりました。当時中学生だった私も半ば強引に招き入れられ,父と一緒にそのレコードを聴いていたものです。その頃の私はクラシック音楽,特にショパンの音楽に首ったけだったので,父へのお付き合いの意味もありましたがね。

 

でも,中学生ながら私も浪曲の世界もなかなかのものだなと思ってはいました。晩酌で良い気分になった父がこよなく愛していた気持ちも分かりました。特に今でも私の記憶に残っているのは,二代目広沢虎造が得意としていた清水次郎長伝のうちの「石松三十石船」の演目であり,これは聴いていてとても面白かったのを覚えております。実はこの演目の中に,「馬鹿はぁー死ななきゃーなおらぁなぁいぃー」という有名な一節があるんです(笑)。その一節を耳にする都度,父と一緒に笑い転げていたのを覚えています。

 

でも,新年早々ゴルフで同じ過ちを繰り返す私のことを指している一節でもありましょう(笑)。今度のラウンドでは,亡き父の懐かしい顔や,やはり懐かしいこの浪曲の一節を思い出しながら,リラックスして肩と腕の力を抜き,ゆっくりとしたタイミングで軽いスイングをし,同伴者の目の玉が飛び出るような記録的なスコアを出したいものです。

2016/12/30

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歯の治療を嫌がり,先送りにしているとろくな事がありません(笑)。この顛末を話せば相当長くなってしまいますが,皆さん年末でお忙しいことでしょうし,かいつまんでお話しします。

 

今年はリオデジャネイロ五輪の年でしたが,今を遡ること約4年前の確かロンドン五輪のころだったと思います。私の右上の奥歯2本の歯は金歯で繋がっていたのですが,朝食の時に「ポロッ!」と取れてしまいました。

 

「まあ,左側の歯でもちゃんと噛むことはできるし,歯医者さんにはそのうち気が向いた時に行けばいいや。」と悪心を起こし(笑),そのまま歯の治療を先送りにしていました。咀嚼するには大切な右上の奥歯(2本)でしたが,左側の歯だけでも食べ物の咀嚼はちゃんとできていたのです。

 

しかし,先送りにするにしても限度というものがあるのに,私としたら約3年もの長期間,左側の歯だけで咀嚼するという信じられないほどの横着をし,ずーっとそのまま左側の歯だけで噛んでいたのです。そして,あろうことか取れてしまった右上奥歯2本の金歯も紛失するという罰当たりなこともしておりました(笑)。

 

私の行きつけの歯医者さんはとても有能で,お人柄も良く,何にも不満はありませんでしたが,なにしろ歯医者さんでの治療には「痛いことされるんじゃないかしら。」という漠然とした恐怖感と,あの「キーン」という歯を削る感じが何とも嫌で,嫌で,忙しさにかまけてそのままにしていたのです。

 

しかし,しかしですよ・・・,3年ほどした後,酷使していた左側の下の奥歯2本が次第に痛むようになってしまったのです。無理もありません,そんな長期間にわたって片方の歯だけで咀嚼するというバランスの悪いことを続けたのですから,左側の下の奥歯2本も悲鳴を上げるはずです。ようやく3年ほど経った後に,行きつけの歯医者さんに行って診察を受けたところ,酷使していた左下の奥歯2本は,いい歳をしてむし歯になっていたのです(泣)。当然のことながら2本のむし歯については,あの痛みを伴う恐怖の神経処置をしなければならず,挙げ句に,その周辺にあった巨大な親知らずも抜かなければいけないという非情な診断を受けたのです。

 

この非常に困難な一連の治療については,大病院でなければダメだということで,紹介状を書いていただき,今年の春頃,別のその大病院で治療等を受けるハメになったのです。むし歯2本の神経処置,そして巨大な親知らずの抜歯・・・。苦難と恐怖の連続でした。親知らずを抜いた後は3日ほどほっぺたが腫れたままでした。

 

そして,その大病院と行きつけの歯医者さんで歯を削って形を整え,ようやく今年の11月末に左右両方の歯でバランス良く食べ物を咀嚼できるようになったのです。このように左右でバランス良く咀嚼できるようになったのは,4年ぶりでした。もとはと言えば,歯科治療を先送りしてきた私自身の自業自得です。すべては私が悪いんです・・・(笑)。

 

でも,今年の年末は両方の歯で「噛める喜び」を満喫しております(笑)。くどいようですが,4年ぶりにその喜びを,文字通り「噛みしめて」おります。

 

今年の年末年始は,美酒を傍らに置いて,おせち料理を満喫するぞ!ロンドン五輪以来だーっ!(笑)

 

さてさて,今年も暮れようとしております。皆様のおかげで,不肖私めも良いお正月を迎えることができそうです。それに稲田朋美防衛大臣もちゃんと靖国参拝をされましたし,もう何も言う事はございません(笑)。今年は,やはりとにかく忙しくてなかなかブログの更新ができませんでしたが,どうやらこのようなブログでも楽しみにしてくれている根強いファンもいらっしゃるようです(笑)。来年こそはもっともっとブログの更新回数を増やしたいと思います。

 

それでは皆様,良いお年を!

2016/12/20

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数日前でしたか,仕事帰りに見た月は実に見事なものでした。真ん丸で,大きくて,明るくて思わず見とれてしまいました。こういう素晴らしい月の姿,そして風情のある月夜の晩には,私は昔から何故がお酒が飲みたくなるんですよね。そして旅心に誘われるといいますか,旅行に出かけたくなるのです。

 

最近では忙しくて旅行に行く暇もないのですが,先月末に出雲の国,島根県に旅行に行きました(2泊3日)。これは団体旅行でしたが,私はうちのカミさんも同行しました。私の場合,今年の4月には仕事で島根県に参りましたが,今回は純粋に観光旅行だったのです。うちのカミさんも随分と満足したようです。

 

うちのカミさん曰く,「こういう所だったら,住んでもいいと思うな・・・。」ドキッ!・・・この人は一体全体誰と住もうというのでしょうか(笑)。誰と移住しようというのでしょうか(笑)。でも,確かに八百万の神の存在を想像させるような独特の雰囲気と風情があり,私も好きです。

 

出雲大社も,宍道湖も,足立美術館も,そして松江城(国宝)も楽しめましたし,「こたつ船」の堀川遊覧船も素晴らしかったと思います。足立美術館では一度は鑑賞してみたかった横山大観の「無我」にもやっと巡り会えました。それに,私たちが泊まった宿は,さぎの湯温泉の「さぎの湯荘」という所でした。本当に佳い旅館でした。私は,泊まる前の段階では全然意識していなかったのですが,この旅館の大浴場に行くためにいそいそと廊下を歩いていましたら,何と,将棋界のスーパースター羽生善治三冠と郷田真隆王将が揮毫した大きな色紙が額に入れて飾られていたのです。

 

そうです,実はこの宿で,平成28年1月24日,25日の両日,第65期王将戦第2局が行われたのです。その色紙には,確か羽生三冠は「洗心」,郷田王将は「晩成」と揮毫していたと思います。同じ宿に泊まることができて光栄です。これがご縁で私も少しは将棋が強くなると良いのですが・・・(笑)。

 

ともあれ,島根,そして山陰地方にはまた旅をしたいなと思わせる何かがあります。

2016/11/02

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とりとめのない話をさせていただく場合には,標題が「雑感」となります(笑)。

 

さて,本当に笑えない話ですが,運転中にスマートフォン向けゲーム「ポケモンGO」をしていて,女性2人を自動車ではね,1人を死亡させ,別の1人に重傷を負わせた事件で,去る10月31日に徳島地方裁判所で判決が言い渡されました。実刑とはいえ,禁固1年2月だそうです。

 

率直なところ,特に亡くなった女性のご遺族はこの判決,量刑をどのように受け止めたのか,その無念の心情は察するに余りあると感じました。量刑が軽すぎるなどといった感想を述べることは,私も時には刑事弁護を行う弁護士の一人ですからある意味では憚られる面もありますが,やはりこれが私の率直な感想なのです。

 

死亡された女性のご遺族,重傷を負わされた女性のご家族はこの判決内容,量刑を聞かされてどのようにその気持ちを整理されたのか・・・。「ポケモンGO」をしながら「走る凶器」とも言われる自動車を運転した挙げ句に,2人の女性の死傷結果を引き起こしたのですからね。それで禁固1年2月ですか・・・。それにこの判決が出される5日前の10月26日には,愛知県一宮市内で「ポケモンGO」をしながらトラックを運転していた者が,小学校4年生の男児をはねて死亡させています。本当に何ともやり切れません。車を運転しながら「ポケモンGO」をするなどといった行為は正に暴挙なのであり,こういった手合いは劣化した日本人の典型です。

 

暗く,切なく,残念な話をしましたが,少し話題を変えます。

 

私は真夏の厳しい季節以外は,毎朝自宅から事務所まで徒歩通勤をしています(所要時間は約35分)。道すがらいろいろな場面や自然を目にできますが,事務所近くにあるヤクルトの営業所から毎朝出て来る制服を着たおばあさんにはいつも勇気と仕事に対するやる気をもらっております。

 

そのおばあさんは,どう見ても80歳を超えているのではないかと思いますが,自転車にヤクルト製品をいっぱいに積んで,その自転車を引いて毎朝営業に出発します。年齢のせいかその足取りはゆっくり,ゆっくりですが,真面目で一生懸命で,そのひたむきな姿を見ていると本当に頭が下がりますし,忙しさとストレスで疲れ気味の私でも,やる気が起こってくるのです。弁護士を志し,登録したての頃の初心に戻れるのです。このおばあさんは,恐らく全国的にも最高齢に近い「ヤクルトおばさん」なのではないでしょうか。いつまでも元気に頑張って欲しいと思います。

2016/10/24

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またまたとりとめのない話をいたします。確か,私が小学校高学年の頃,父は全部で20数巻もある百科事典を買ってくれたことがありました。私が頼んだ訳でもなく,父としては自分の興味からか,あるいはこういうものが一家にワンセットあっても良いだろうという単純な発想からか,それとも子ども達への教育の一環としてなのかは分かりません。でも私は,暇な時には何気なくこの百科事典をパラパラとめくって,結構楽しい時を過ごしていた記憶があります。

 

この頃はショパンの音楽が大変好きで,この百科事典でも「ポーランド」の箇所をよく読んだりしていました。その「ポーランド」の箇所には,「ポーランド映画」について触れた部分があり,「尼僧ヨアンナ」とか「灰とダイヤモンド」などの映画が画像入りで紹介されていました。何しろショパンが好きだったものですから,ポーランドにもその芸術にも関心があり,大きくなったらポーランド映画も観てみたいなと思いつつ,「灰とダイヤモンド」のマチェクの勇姿の写った写真などを眺めていたものです。

 

もちろん「灰とダイヤモンド」はポーランド映画の巨匠であるアンジェイ・ワイダ監督の初期の傑作で,私は20代後半の時期に初めて観ました。それ以来,ワイダ監督の作品に惹かれ,「約束の土地」,「大理石の男」,「ダントン」,「ドイツの恋」,「コルチャック先生」などを観ました。その個々の作品を鑑賞した後に残る感動もさることながら,何と表現したら良いのかな,時には息苦しくなるような圧倒的な何かを感じるのです。上手く表現はできませんが・・・。

 

そのワイダ監督も去る10月9日,90歳で亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。感動をありがとうございました。

 

ワイダ監督は親日家としても知られ,私が愛読している(笑)産経新聞の10月12日の「産経抄」には「ワイダ監督の奇跡」と題する記事が掲載されていました。それによると,ワイダ監督は,18歳の時(1944年)に初めて接した葛飾北斎や喜多川歌麿の浮世絵に感動し,「自分でも何かを表現したいという強い衝動にかられ」,その言葉通りに戦後は美術学校に通い,映画の世界に身を転じたのです。要するに,「地下水道」や「灰とダイヤモンド」など映画史に数々の名作を残したこの巨匠の原点は,浮世絵にあったのです。

 

昭和62年に「京都賞」を受賞したワイダ監督は,4500万円の賞金をそのままつぎ込み,ポーランド南部の古都クラクフにある「日本美術・技術センター」を設立したのです。このセンターには7000点を超える日本の美術品が所蔵され,平成14年にポーランドを訪問された天皇,皇后両陛下はこの「日本美術・技術センター」にも立ち寄られました。

 

「天皇陛下が、私の最近の作品をご存じだった。」この時に案内役を務めたワイダ監督は記者会見で,そのようにうれしそうに語っていたそうです。

 

ワイダ監督作品,傑作の数々をもう一度観てみたいのですが,一番最初に観てみたいのは「約束の土地」ですね。

2016/09/10

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広島東洋カープの優勝は25年ぶりなのですか。もうそんなになりますかね・・・。今年のセ・リーグのペナントレースについては,確かに広島は優勝に値する立派な戦いぶりでしたし,強かったと思います。巨人ファンの私としても全く異論はありません。私ごときが異論を差し挟んだところで,どうなる訳でもありませんし(笑)。

 

今年巨人戦のテレビ中継を観ていていつも思っていたのですが,高橋由伸監督は顔が悪い。あれではいけません。恐らく世間一般の見方では彼はハンサムの部類に入るのでしょうが,私が「顔が悪い」と言ったのは,実は表情のことなのです。この前なんか,たまに村田選手がセンターバックスクリーンへ豪快な3ランホームランを打った時でも,彼の表情はほとんど変わりませんでした。要するにいつも「浮かない」表情をしているのです。これではいけません。いろいろな意味でね。性格,性分なのでしょうが,監督たるもの選手の士気を鼓舞する何かがなければならないのです。長嶋茂雄のようにね(笑)。

 

さて,顔の話になりましたが,「昭和芸人 七人の最期」(笹山敬輔著,文春文庫)という本の中に出て来る昭和を代表する芸人七人は,いずれもいい顔をしております。この本に登場する芸人とは,榎本健一(エノケン),古川ロッパ(ロッパ),横山エンタツ(エンタツ),石田一松,清水金一(シミキン),柳家金語楼,トニー谷の七人です。

 

先日,「バカ田大学講義録なのだ!」(文藝春秋)という本をこのブログで紹介しましたが,この「昭和芸人 七人の最期」という本も産経新聞の書評を読んで思わず衝動買いしてしまいました(笑)。読んでいて感動しました。巻末にある伊東四朗の特別インタビューの内容もとても良かった。

 

それにしても,昭和を代表する七人の芸人さんたち,後世に名を残したのですからそれこそ一世を風靡し,絶頂期を過ごしたのは勿論ですが,最期はいずれもしんみりとさせるものがあります。「『老い』は、すべての喜劇人の前に平等に立ちはだかる。それは、『喜劇王』エノケンをして晩年を大いに苦しませた。喜劇人が理想的に年を重ねることが、いかに難しいかと思わずにはいられない。」(234頁)の記載はそのことを端的に表しております。

 

この七人の芸人さんの生き様やその最期はいずれも感動させますが,昭和62年7月17日に昭和の大スター石原裕次郎が急逝し,これについてはマスコミでも大々的に報道されましたが,実はその前日の16日,肝臓ガンで闘病していたトニー谷もひっそりと亡くなっていたのです。晩年は不遇だった彼がいよいよという時に最後の力を振り絞って,妻にあててテープに吹き込んだ肉声のメッセージにも感動しました。次のようなものでした。

 

「・・・俺の青い鳥、たか子 こんな素晴らしい鳥が、結婚して俺のそばにいたのに、気がつかないで、バカなことしてたが、本当の俺を幸せにしてくれた 青い鳥たか子、俺のそばにいた ありがとう、ありがとう、たか子、ありがとう」(213頁)

 

不遇だったと言いましたが,こういう連れ合いが今際の時にそばにいてくれたのですから,彼は幸せだったというべきでしょう。それにしても芸人の引き際というのは大変に難しいようですね。この本の巻末にある伊東四朗の特別インタビューでは,このことについて次のように述べております。

 

「私もそろそろそういう時期になってきてるから、自分で決めなきゃいけないんだけども、私の理想はフェードアウト。引退します、なんて発表しない。『最近出ないね、あの人』『ああ、なんか辞めたみたいだよ』っていうのが一番いいね。カッコいい引き際は、スポンと死んじゃうことじゃないの?うじうじやってるのが、一番カッコ悪いだろうね。みっともないとか、可哀そうとか言われるのは嫌だね。」(238頁)

 

あのベンジャミン伊東はこのように述べておられます(笑)。この本も一読をお勧めします。

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