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弁護士ブログ

2017/01/10

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新年明けましておめでとうございます。今年が皆様にとってとても幸せな年となりますように,心から祈念いたしております。

 

さて,昨年は割と忙しく,好きなゴルフの季節になってからもそれほどラウンドができなかったので,自分へのご褒美の意味で年末年始は4ラウンド行いました。12月23日(祝),12月28日(水),1月3日(火),1月4日(水)です(笑)。

 

でも私はこの4ラウンドで,同じ過ちを繰り返す自分がつくづく嫌になりました。ドライバーのティーショットにしても,第2打地点や第3打地点でのアイアンショットにしても,かねてからの自分の宿痾とも言うべき「力み」と「早打ち」の傾向が治らず,4ラウンドとも不本意なスコアだったのです。

 

この難点はゴルフをやり始めた頃から指摘され,自分でもその時には自覚し,確かに良いショットが連発する時は力みと早打ちが抑制され,ゆっくりとしかも軽くショットできた時だと実感できていたのに・・・。にもかかわらず,私としたことが,同じ過ち(力みと早打ち)を繰り返してしまうのです。年末は当然のように,そして新年早々も(笑)。本当に馬鹿ですねぇ。自分自身,これほどまでに馬鹿だったとは・・・。「馬鹿は死ななきゃなおらない」というのは本当なんでしょうか(笑)。

 

そういえば思い出すなぁ。亡くなった父は昭和一けたの生まれで,晩酌で良い気分になってはステレオのある小さな部屋に行き,二代目広沢虎造の浪曲をレコードで聴いては悦に入っておりました。当時中学生だった私も半ば強引に招き入れられ,父と一緒にそのレコードを聴いていたものです。その頃の私はクラシック音楽,特にショパンの音楽に首ったけだったので,父へのお付き合いの意味もありましたがね。

 

でも,中学生ながら私も浪曲の世界もなかなかのものだなと思ってはいました。晩酌で良い気分になった父がこよなく愛していた気持ちも分かりました。特に今でも私の記憶に残っているのは,二代目広沢虎造が得意としていた清水次郎長伝のうちの「石松三十石船」の演目であり,これは聴いていてとても面白かったのを覚えております。実はこの演目の中に,「馬鹿はぁー死ななきゃーなおらぁなぁいぃー」という有名な一節があるんです(笑)。その一節を耳にする都度,父と一緒に笑い転げていたのを覚えています。

 

でも,新年早々ゴルフで同じ過ちを繰り返す私のことを指している一節でもありましょう(笑)。今度のラウンドでは,亡き父の懐かしい顔や,やはり懐かしいこの浪曲の一節を思い出しながら,リラックスして肩と腕の力を抜き,ゆっくりとしたタイミングで軽いスイングをし,同伴者の目の玉が飛び出るような記録的なスコアを出したいものです。

2016/12/30

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歯の治療を嫌がり,先送りにしているとろくな事がありません(笑)。この顛末を話せば相当長くなってしまいますが,皆さん年末でお忙しいことでしょうし,かいつまんでお話しします。

 

今年はリオデジャネイロ五輪の年でしたが,今を遡ること約4年前の確かロンドン五輪のころだったと思います。私の右上の奥歯2本の歯は金歯で繋がっていたのですが,朝食の時に「ポロッ!」と取れてしまいました。

 

「まあ,左側の歯でもちゃんと噛むことはできるし,歯医者さんにはそのうち気が向いた時に行けばいいや。」と悪心を起こし(笑),そのまま歯の治療を先送りにしていました。咀嚼するには大切な右上の奥歯(2本)でしたが,左側の歯だけでも食べ物の咀嚼はちゃんとできていたのです。

 

しかし,先送りにするにしても限度というものがあるのに,私としたら約3年もの長期間,左側の歯だけで咀嚼するという信じられないほどの横着をし,ずーっとそのまま左側の歯だけで噛んでいたのです。そして,あろうことか取れてしまった右上奥歯2本の金歯も紛失するという罰当たりなこともしておりました(笑)。

 

私の行きつけの歯医者さんはとても有能で,お人柄も良く,何にも不満はありませんでしたが,なにしろ歯医者さんでの治療には「痛いことされるんじゃないかしら。」という漠然とした恐怖感と,あの「キーン」という歯を削る感じが何とも嫌で,嫌で,忙しさにかまけてそのままにしていたのです。

 

しかし,しかしですよ・・・,3年ほどした後,酷使していた左側の下の奥歯2本が次第に痛むようになってしまったのです。無理もありません,そんな長期間にわたって片方の歯だけで咀嚼するというバランスの悪いことを続けたのですから,左側の下の奥歯2本も悲鳴を上げるはずです。ようやく3年ほど経った後に,行きつけの歯医者さんに行って診察を受けたところ,酷使していた左下の奥歯2本は,いい歳をしてむし歯になっていたのです(泣)。当然のことながら2本のむし歯については,あの痛みを伴う恐怖の神経処置をしなければならず,挙げ句に,その周辺にあった巨大な親知らずも抜かなければいけないという非情な診断を受けたのです。

 

この非常に困難な一連の治療については,大病院でなければダメだということで,紹介状を書いていただき,今年の春頃,別のその大病院で治療等を受けるハメになったのです。むし歯2本の神経処置,そして巨大な親知らずの抜歯・・・。苦難と恐怖の連続でした。親知らずを抜いた後は3日ほどほっぺたが腫れたままでした。

 

そして,その大病院と行きつけの歯医者さんで歯を削って形を整え,ようやく今年の11月末に左右両方の歯でバランス良く食べ物を咀嚼できるようになったのです。このように左右でバランス良く咀嚼できるようになったのは,4年ぶりでした。もとはと言えば,歯科治療を先送りしてきた私自身の自業自得です。すべては私が悪いんです・・・(笑)。

 

でも,今年の年末は両方の歯で「噛める喜び」を満喫しております(笑)。くどいようですが,4年ぶりにその喜びを,文字通り「噛みしめて」おります。

 

今年の年末年始は,美酒を傍らに置いて,おせち料理を満喫するぞ!ロンドン五輪以来だーっ!(笑)

 

さてさて,今年も暮れようとしております。皆様のおかげで,不肖私めも良いお正月を迎えることができそうです。それに稲田朋美防衛大臣もちゃんと靖国参拝をされましたし,もう何も言う事はございません(笑)。今年は,やはりとにかく忙しくてなかなかブログの更新ができませんでしたが,どうやらこのようなブログでも楽しみにしてくれている根強いファンもいらっしゃるようです(笑)。来年こそはもっともっとブログの更新回数を増やしたいと思います。

 

それでは皆様,良いお年を!

2016/12/20

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数日前でしたか,仕事帰りに見た月は実に見事なものでした。真ん丸で,大きくて,明るくて思わず見とれてしまいました。こういう素晴らしい月の姿,そして風情のある月夜の晩には,私は昔から何故がお酒が飲みたくなるんですよね。そして旅心に誘われるといいますか,旅行に出かけたくなるのです。

 

最近では忙しくて旅行に行く暇もないのですが,先月末に出雲の国,島根県に旅行に行きました(2泊3日)。これは団体旅行でしたが,私はうちのカミさんも同行しました。私の場合,今年の4月には仕事で島根県に参りましたが,今回は純粋に観光旅行だったのです。うちのカミさんも随分と満足したようです。

 

うちのカミさん曰く,「こういう所だったら,住んでもいいと思うな・・・。」ドキッ!・・・この人は一体全体誰と住もうというのでしょうか(笑)。誰と移住しようというのでしょうか(笑)。でも,確かに八百万の神の存在を想像させるような独特の雰囲気と風情があり,私も好きです。

 

出雲大社も,宍道湖も,足立美術館も,そして松江城(国宝)も楽しめましたし,「こたつ船」の堀川遊覧船も素晴らしかったと思います。足立美術館では一度は鑑賞してみたかった横山大観の「無我」にもやっと巡り会えました。それに,私たちが泊まった宿は,さぎの湯温泉の「さぎの湯荘」という所でした。本当に佳い旅館でした。私は,泊まる前の段階では全然意識していなかったのですが,この旅館の大浴場に行くためにいそいそと廊下を歩いていましたら,何と,将棋界のスーパースター羽生善治三冠と郷田真隆王将が揮毫した大きな色紙が額に入れて飾られていたのです。

 

そうです,実はこの宿で,平成28年1月24日,25日の両日,第65期王将戦第2局が行われたのです。その色紙には,確か羽生三冠は「洗心」,郷田王将は「晩成」と揮毫していたと思います。同じ宿に泊まることができて光栄です。これがご縁で私も少しは将棋が強くなると良いのですが・・・(笑)。

 

ともあれ,島根,そして山陰地方にはまた旅をしたいなと思わせる何かがあります。

2016/11/02

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とりとめのない話をさせていただく場合には,標題が「雑感」となります(笑)。

 

さて,本当に笑えない話ですが,運転中にスマートフォン向けゲーム「ポケモンGO」をしていて,女性2人を自動車ではね,1人を死亡させ,別の1人に重傷を負わせた事件で,去る10月31日に徳島地方裁判所で判決が言い渡されました。実刑とはいえ,禁固1年2月だそうです。

 

率直なところ,特に亡くなった女性のご遺族はこの判決,量刑をどのように受け止めたのか,その無念の心情は察するに余りあると感じました。量刑が軽すぎるなどといった感想を述べることは,私も時には刑事弁護を行う弁護士の一人ですからある意味では憚られる面もありますが,やはりこれが私の率直な感想なのです。

 

死亡された女性のご遺族,重傷を負わされた女性のご家族はこの判決内容,量刑を聞かされてどのようにその気持ちを整理されたのか・・・。「ポケモンGO」をしながら「走る凶器」とも言われる自動車を運転した挙げ句に,2人の女性の死傷結果を引き起こしたのですからね。それで禁固1年2月ですか・・・。それにこの判決が出される5日前の10月26日には,愛知県一宮市内で「ポケモンGO」をしながらトラックを運転していた者が,小学校4年生の男児をはねて死亡させています。本当に何ともやり切れません。車を運転しながら「ポケモンGO」をするなどといった行為は正に暴挙なのであり,こういった手合いは劣化した日本人の典型です。

 

暗く,切なく,残念な話をしましたが,少し話題を変えます。

 

私は真夏の厳しい季節以外は,毎朝自宅から事務所まで徒歩通勤をしています(所要時間は約35分)。道すがらいろいろな場面や自然を目にできますが,事務所近くにあるヤクルトの営業所から毎朝出て来る制服を着たおばあさんにはいつも勇気と仕事に対するやる気をもらっております。

 

そのおばあさんは,どう見ても80歳を超えているのではないかと思いますが,自転車にヤクルト製品をいっぱいに積んで,その自転車を引いて毎朝営業に出発します。年齢のせいかその足取りはゆっくり,ゆっくりですが,真面目で一生懸命で,そのひたむきな姿を見ていると本当に頭が下がりますし,忙しさとストレスで疲れ気味の私でも,やる気が起こってくるのです。弁護士を志し,登録したての頃の初心に戻れるのです。このおばあさんは,恐らく全国的にも最高齢に近い「ヤクルトおばさん」なのではないでしょうか。いつまでも元気に頑張って欲しいと思います。

2016/10/24

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またまたとりとめのない話をいたします。確か,私が小学校高学年の頃,父は全部で20数巻もある百科事典を買ってくれたことがありました。私が頼んだ訳でもなく,父としては自分の興味からか,あるいはこういうものが一家にワンセットあっても良いだろうという単純な発想からか,それとも子ども達への教育の一環としてなのかは分かりません。でも私は,暇な時には何気なくこの百科事典をパラパラとめくって,結構楽しい時を過ごしていた記憶があります。

 

この頃はショパンの音楽が大変好きで,この百科事典でも「ポーランド」の箇所をよく読んだりしていました。その「ポーランド」の箇所には,「ポーランド映画」について触れた部分があり,「尼僧ヨアンナ」とか「灰とダイヤモンド」などの映画が画像入りで紹介されていました。何しろショパンが好きだったものですから,ポーランドにもその芸術にも関心があり,大きくなったらポーランド映画も観てみたいなと思いつつ,「灰とダイヤモンド」のマチェクの勇姿の写った写真などを眺めていたものです。

 

もちろん「灰とダイヤモンド」はポーランド映画の巨匠であるアンジェイ・ワイダ監督の初期の傑作で,私は20代後半の時期に初めて観ました。それ以来,ワイダ監督の作品に惹かれ,「約束の土地」,「大理石の男」,「ダントン」,「ドイツの恋」,「コルチャック先生」などを観ました。その個々の作品を鑑賞した後に残る感動もさることながら,何と表現したら良いのかな,時には息苦しくなるような圧倒的な何かを感じるのです。上手く表現はできませんが・・・。

 

そのワイダ監督も去る10月9日,90歳で亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。感動をありがとうございました。

 

ワイダ監督は親日家としても知られ,私が愛読している(笑)産経新聞の10月12日の「産経抄」には「ワイダ監督の奇跡」と題する記事が掲載されていました。それによると,ワイダ監督は,18歳の時(1944年)に初めて接した葛飾北斎や喜多川歌麿の浮世絵に感動し,「自分でも何かを表現したいという強い衝動にかられ」,その言葉通りに戦後は美術学校に通い,映画の世界に身を転じたのです。要するに,「地下水道」や「灰とダイヤモンド」など映画史に数々の名作を残したこの巨匠の原点は,浮世絵にあったのです。

 

昭和62年に「京都賞」を受賞したワイダ監督は,4500万円の賞金をそのままつぎ込み,ポーランド南部の古都クラクフにある「日本美術・技術センター」を設立したのです。このセンターには7000点を超える日本の美術品が所蔵され,平成14年にポーランドを訪問された天皇,皇后両陛下はこの「日本美術・技術センター」にも立ち寄られました。

 

「天皇陛下が、私の最近の作品をご存じだった。」この時に案内役を務めたワイダ監督は記者会見で,そのようにうれしそうに語っていたそうです。

 

ワイダ監督作品,傑作の数々をもう一度観てみたいのですが,一番最初に観てみたいのは「約束の土地」ですね。

2016/09/10

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広島東洋カープの優勝は25年ぶりなのですか。もうそんなになりますかね・・・。今年のセ・リーグのペナントレースについては,確かに広島は優勝に値する立派な戦いぶりでしたし,強かったと思います。巨人ファンの私としても全く異論はありません。私ごときが異論を差し挟んだところで,どうなる訳でもありませんし(笑)。

 

今年巨人戦のテレビ中継を観ていていつも思っていたのですが,高橋由伸監督は顔が悪い。あれではいけません。恐らく世間一般の見方では彼はハンサムの部類に入るのでしょうが,私が「顔が悪い」と言ったのは,実は表情のことなのです。この前なんか,たまに村田選手がセンターバックスクリーンへ豪快な3ランホームランを打った時でも,彼の表情はほとんど変わりませんでした。要するにいつも「浮かない」表情をしているのです。これではいけません。いろいろな意味でね。性格,性分なのでしょうが,監督たるもの選手の士気を鼓舞する何かがなければならないのです。長嶋茂雄のようにね(笑)。

 

さて,顔の話になりましたが,「昭和芸人 七人の最期」(笹山敬輔著,文春文庫)という本の中に出て来る昭和を代表する芸人七人は,いずれもいい顔をしております。この本に登場する芸人とは,榎本健一(エノケン),古川ロッパ(ロッパ),横山エンタツ(エンタツ),石田一松,清水金一(シミキン),柳家金語楼,トニー谷の七人です。

 

先日,「バカ田大学講義録なのだ!」(文藝春秋)という本をこのブログで紹介しましたが,この「昭和芸人 七人の最期」という本も産経新聞の書評を読んで思わず衝動買いしてしまいました(笑)。読んでいて感動しました。巻末にある伊東四朗の特別インタビューの内容もとても良かった。

 

それにしても,昭和を代表する七人の芸人さんたち,後世に名を残したのですからそれこそ一世を風靡し,絶頂期を過ごしたのは勿論ですが,最期はいずれもしんみりとさせるものがあります。「『老い』は、すべての喜劇人の前に平等に立ちはだかる。それは、『喜劇王』エノケンをして晩年を大いに苦しませた。喜劇人が理想的に年を重ねることが、いかに難しいかと思わずにはいられない。」(234頁)の記載はそのことを端的に表しております。

 

この七人の芸人さんの生き様やその最期はいずれも感動させますが,昭和62年7月17日に昭和の大スター石原裕次郎が急逝し,これについてはマスコミでも大々的に報道されましたが,実はその前日の16日,肝臓ガンで闘病していたトニー谷もひっそりと亡くなっていたのです。晩年は不遇だった彼がいよいよという時に最後の力を振り絞って,妻にあててテープに吹き込んだ肉声のメッセージにも感動しました。次のようなものでした。

 

「・・・俺の青い鳥、たか子 こんな素晴らしい鳥が、結婚して俺のそばにいたのに、気がつかないで、バカなことしてたが、本当の俺を幸せにしてくれた 青い鳥たか子、俺のそばにいた ありがとう、ありがとう、たか子、ありがとう」(213頁)

 

不遇だったと言いましたが,こういう連れ合いが今際の時にそばにいてくれたのですから,彼は幸せだったというべきでしょう。それにしても芸人の引き際というのは大変に難しいようですね。この本の巻末にある伊東四朗の特別インタビューでは,このことについて次のように述べております。

 

「私もそろそろそういう時期になってきてるから、自分で決めなきゃいけないんだけども、私の理想はフェードアウト。引退します、なんて発表しない。『最近出ないね、あの人』『ああ、なんか辞めたみたいだよ』っていうのが一番いいね。カッコいい引き際は、スポンと死んじゃうことじゃないの?うじうじやってるのが、一番カッコ悪いだろうね。みっともないとか、可哀そうとか言われるのは嫌だね。」(238頁)

 

あのベンジャミン伊東はこのように述べておられます(笑)。この本も一読をお勧めします。

2016/08/29

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産経新聞の書評を読んで,すぐに衝動買いしたのが「バカ田大学講義録なのだ!」(文藝春秋)という本です(笑)。早速読んでみましたが,こりゃ面白い。御用とお急ぎでなかったら,日々の仕事や家事に追われている手をちょっと休めて,一読されてはと思います。

 

この本の内容紹介には,「『天才バカボン』,『おそ松くん』などのギャグ漫画で知られる赤塚不二夫。その生誕80年を記念して,バカボンのパパの母校である『バカ田大学』を,なんと東京大学で開講!美術家,ミュージシャン,学者,作家,演出家,本物の東大教授などなど,豪華12組の講師による『赤塚不二夫スピリット』がビンビン伝わる熱い講義を一冊に。読んでリッパなバカになるのだ!」とあるように,私もリッパなバカに憧れます。そういう人に私もなりたい(笑)。

 

例えば,コラムニストの泉麻人は講師として冒頭に出てきますが,彼は「シェーとは何か?」というテーマで講義します。同じ世代の私も「少年サンデー」や「少年マガジン」を熟読しておりましたから,彼の講義内容は涙が出るほど懐かしいのです。イヤミが最初に「シェー」とやった時のこと,チビ太が最初に登場したのは彼が西部のガンマンの設定で,見事おたずね者を倒した御礼として何がいいかと聞かれて,おでんを要求したこと,デカパンやハタ坊の登場シーン,懐かしくて,懐かしくて,泣けてきました(笑)。1965年の年末ころには「シェー」の最盛期を迎え,あの長嶋茂雄さんもジョン・レノンもゴジラも「シェー」をしています。

 

この本にはイラストレーターのみうらじゅんも登場し,大人としてリッパなバカぶりを講義で披露しておりますが,「死んだあと、当然僕のようなやつは地獄に落ちるので、もう地獄のマップを入手しています。」として,入手したその地獄マップを披露していますが,そのマップによると,地獄にストーンと落とされてすぐの所に何と売店があるのです(笑)。

 

まあ面白いから一度読んでください。中でもとりわけ私が笑ってしまったのは,東京大学名誉教授の原島博先生の次のご発言です。

 

「・・・・・『これでいいのだ!』という言葉です。これは、僕が大好きな言葉です。基本的に『これでいいのだ!』は、居直っちゃえということですよね。今日だって、〝赤塚不二夫にものすごく詳しい人が来ている前で話をするなんて、どうしよう〟と思っていましたけど、『これでいいのだ!』,『居直れ』と思い直しました。『居直り』という言葉を定義すると、『咎めを受ける立場にありながら、図々しく振る舞うこと』です。まさに赤塚不二夫という人は、『人生、咎めを受けることばかりだったら、居直ったほうがいい』というのが基本的な考え方だったんだと思います。この言葉は、とくに僕のような70歳の老人にとっては、素晴らしい言葉です。居直りは『老人力』だと思っています。ヤバいことがあっても、少しだけ待ってもらって、死んでお詫びをすればいいわけですから(笑)。『死んでお詫びをします。でも少しだけ待ってください』、これが言えるのは、素晴らしい話ですよ。」

 

それにしても,赤塚不二夫さんと身近に接したことのある方々の話では,彼は本当に心根の優しい人だったようですね。また,娘さんの赤塚りえ子さんの話では,赤塚不二夫さんは,「ただバカっつったって、ホントのバカじゃダメなんだからな。知性とパイオニア精神にあふれたバカになんなきゃいけないの」とも仰っていたそうです。

 

肝に銘じます。

2016/05/12

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・・・・・忙しい。・・・ああ,本当に・・・。なかなかブログの更新ができません。

 

それにしても本当に良い季節になってきましたね。お手紙を書く際,いまどきの時候の挨拶は「新緑の候」,「向暑の候」,「薫風の候」なんかになると思いますが,正にそのような表現がぴったりの季節です。

 

私としましては,秋の次に今頃の季節が好きなのです。ただ,昼のニュースでやっていましたが,今日の名古屋の最高気温は28度で,6月下旬なみだそうです。何やら今年も暑くなりそうな予感がいたします。痛みと暑さに弱い私にとっては少し辛い(笑)。

 

さて,今年の連休はカレンダーどおりに事務所が開いておりましたが,休日も事務所に出ることが多く,旅行などを楽しむ訳にはまいりませんでした。ただ,毎年楽しみにしている知多半島のあるゴルフ場で2ラウンドをしたり,豊田スタジアムで名古屋グランパスの試合の観戦をいたしました。

 

今や恒例となっているその2ラウンドはとても楽しく,第1日目のスコアは平常運転とも言うべきもので大したことはありませんでしたが,第2日目のそれは割と好スコアで,大いばりでした(笑)。あわや4連続パーといったような・・・。私には良い時と悪い時の原因はよく分かっているつもりです。要するに「力み」と「早打ち」,この2つに尽きます。これがない時は好スコアで,これがある時は全然だめ。私にとって「力み」と「早打ち」はいわば宿痾のようなものですが,たまに寛解するときもあるのですよ(笑)。

 

先日,岐阜県瑞浪市で開業され,懇意にしてもらっているある税理士さんから大変美味しい日本酒をいただきました。「大いばり」という名のお酒です。「限定 無濾過生原酒(特別純米)」でラベルには「栄誉伝万世」と銘打ってありますし,金太郎がまさかりを振り上げております(笑)。2本もいただきましたが,美味しく美味しくて,もうあと少ししか残っていません(笑)。その名のとおり「大いばり」して良いお酒でしょう。

 

大いばりの対極にあるのが今の読売ジャイアンツです。とても威張れません。昨日こそ勝ちましたが,なぜあんなに打てないのでしょうか。打撃面で補強に成功したとは到底いえません。今のような状態では,今年もセ・リーグのペナントには手が届かないのではと危惧しております。もっと頑張れっ!

2016/04/14

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先週の4月7日から9日にかけて,仕事(出張)で島根県まで参りました。もちろん観光もしましたが,仕事が主です(笑)。いや,笑い事ではなくちゃんと仕事をして来ました。

 

わたしも長いこと生きておりますから,日本全国あちこち行った経験はありますが,島根県には一度も行ったことがありませんでした。往路は新幹線で岡山駅まで行き,あとは伯備線で生山へ到着し,その日の宿は仁多郡奥出雲町にある山荘に宿泊しました。その一帯は亀嵩温泉と呼ばれ,宿泊先は町営とはいえなかなかに立派で接客も良かったです。

 

二日目は松江市内に入り,宍道湖が見えるホテルで宿泊しました。生まれて初めて参拝する出雲大社は荘厳で,出雲の国はやはり神話の国だなと実感したものです。一度は出雲国風土記をじっくりと読んで味わいたいものです。

 

足立美術館へも足を運びました。日本庭園がそれはそれは素晴らしかった。一見の価値は十分にあります。四季折々の風景が楽しめる場所でしょうね。そして,お目当てだった横山大観の日本画です・・・。私は,横山大観の日本画の中では特に「無我」が気に入っており,内心わくわくしながら訪れたのですが,残念ながらこの期間は北海道立近代美術館で催されている「横山大観展」のために「無我」がそちらの方に行っていて,この目で実際に鑑賞することは叶いませんでした。それは残念でしたが,横山大観の素晴らしい作品に触れることができ,有意義でした。売店では小さなサイズの「無我」と「龍興而致雲」の画を買いました。

 

観光のことばかりを書きましたが,ちゃんと仕事はして来たのですよ。くどいようですけど・・・(笑)。

 

今回私が辿った島根県の旅はとても魅力的でしたので,今度は家族と一緒に旅行したいと思いました。帰りは飛行機です。FDAで名古屋空港(小牧)までひとっ飛びで,フライトは1時間もかかりませんでした。本当に便利なものです。

2016/03/11

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 私は,ある会の春の家族会旅行(日帰り)の企画者の一人になっている関係で,先日私を含め3名で滋賀県彦根市などへ下見に行ってまいりました。

 

 まずは国宝彦根城です。日本の城郭建築で国宝になっているのは5つで,松本城,犬山城,彦根城,姫路城,松江城です。さすがに国宝だけあって彦根城の天守閣は黒基調で大変美しいと思います。また,戦略的に敵軍が迫るのを遅らそう,そして困難にしようとの目的でしょうが,坂や石段が多く,また天守閣内も急な梯子段となっており,下見に行った我々も足腰に相当の疲労が残りました(笑)。その会に所属している方々は平均年齢が高いので,あの坂,石段,梯子段は不向きです。特に彦根に向かう貸し切りバスの中では,既にお酒も相当にすすんでいるでしょうから,こういった酔っぱらいに天守閣内のあの梯子段を上らせようとした日には,落伍者が出るのは必定だと思います。しかも「物理的」,「重力的」な意味の落伍者まで出てしまったらそれこそ責任問題です(笑)。

 

 そういう訳で,天守閣内を観覧する人は覚悟を決めた有志だけにして,そうでない人は遠巻きにその彦根城の勇姿を楽しむということと相成りました。

 

 郭内には玄宮園というそれはそれは誠に見事な庭園がございました。これは一見に値するものです。また彦根城博物館も素晴らしく,鎌倉時代や室町時代の古い宝物も展示されておりました。

 

 彦根城のシンプルで美しい勇姿を見て,玄宮園の情趣豊かで素晴らしい庭園を堪能し,博物館で宝物を鑑賞する・・・・・。これで美味しいお昼ご飯をいただけたら旅行参加者はきっと満足でしょう。足腰に相当の疲労を感じつつも,下見に訪れた三名の幹事はそのように自分に言い聞かせたのであります(笑)。

 

 さて,当日に昼食会場となる予定の彦根市内にある老舗の名店を訪れました。創業明治2年といいますから歴史は古く,現在の建物は東京オリンピックが開催された昭和39年に竣工したとのことです。会場の下見を終え,あとは当日振る舞われるであろう料理の品々に舌鼓を打ったのであります。しかもビールだけでなく,地元の名酒も堪能いたしました。恐らくこの名店ならば旅行参加者も満足してくれるであろう・・・。しこたま飲んだ三名の幹事はそのように自分に言い聞かせたのでありました(笑)。

 

 その後は,電車で長浜市の黒壁スクエアに移動しました。この場所が当日の旅行の最終的な寄り先になるのです。なかなかに風情があり,ガラス工芸品の名店などが軒を連ねておりました。この黒壁スクエアの中にはフィギュアなどが無数に販売されている店もありましたので,立ち寄って見ておりましたら,「くまモン」の可愛らしいフィギュアがございました。衝動買いしたのは勿論です(笑)。

 

 ただ,この「くまモン」の足の裏を見てみますと,あろうことか「MADE IN CHINA」と書いてあるではありませんか!国民的英雄である「くまモン」くらいは日本製であって欲しかった(笑)。偽物が氾濫し,知的財産権をこれっぽっちも保護するつもりもない中国で作られたとは・・・。画竜点睛を欠くとはこのことです。

 

 でもね,「くまモン」は「くまモン」です。可愛い。このブログをアップしている今でも事務所の机上にはこの「くまモン」が飾られており,仕事に疲れた私を優しく癒やしてくれています。

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