なんか,以前にもこれと同じようなことをこのブログで書いた気がしますが,敢えてまた書きます。ひと夏を過ごすということは,大変なことですね。私が子供だった時代にはもちろんそんなことは考えもせず,炎天下にもかかわらず戸外で遊びまくっておりましたが,最近は年のせいか,ひと夏を過ごす,越すということは本当に大変なことだなあと思うようになりました。
湿度は高いし,アスファルトの照り返しはきついですし,ギラギラした太陽光線には全く容赦というものがありません。夜は暑さで何度も目が覚めますし,睡眠の質が必ずしも良いとは言えませんし,朝起きてもその日一日の仕事のことを思うと,気後れがしてしまいます(笑)。
夏で唯一良いことと言ったら,ビールが美味いことくらいです(爆笑)。
それにしても子供の頃というのは本当に元気でした。かき氷を元気よく口の中にかき込んでは,頭を「ツーン」と痛くしたり,イチゴやメロンのシロップをかけすぎて,ベロ(舌)を真っ赤っかにしたり,鮮やかすぎる緑色にしたりね・・・(笑)。本当に懐かしいし,あの頃の元気を取り戻したいです。
まだ50代の私でさえ,ひと夏を過ごすということを大変だと思うくらいですから,もっと年齢の高い方々にとってはもっと大変だと思います。自分を含めてですが,熱中症には十分に気をつけて,そして最後まで気を確かにもって,何とかこの過酷な夏を乗り切りましょう。
そうすれば,爽やかな秋,そして最近特に自分にとって調子の良い,ゴルフのシーズンとなります(笑)。
今のメガネを作ったのは平成20年でした。あれから7年・・・。老眼も,そして近視もしぶとく進行するようです。
特に近くにある書面や新聞の見にくいこと・・・。たまらず7年ぶりにメガネを更新しました。この更新に当たっては,7年前と同様,少し悩みました。どういう悩みかと言うと,遠近両用メガネ一本にするのか,それとも遠目と近目をそれぞれかけ替える方式で二本作るのかという悩みです。要するに,どちらが目に負担が少ないのかということなのです。
いろいろと調べて見ましたが,結論は出ませんでしたので,従前どおり二本にし,本日これが揃いました。ありがたいことに,遠目も近目も見やすいことこの上ありません(笑)。特に近目の方が見易くなったのはとてもありがたいのです。目の前にある本や新聞,そして裁判記録などを読む時,見にくいととてもストレスがたまります。首や肩が凝りやすくなるようですし,眼精疲労もあり,頭皮もいささか張るようになるようです。頭皮が張ると毛細血管の血流が悪くなり,毛髪の生育環境にも悪影響が生じそうです。髪は男の命ですからね(笑)。
また,このたび私がメガネの更新を決断したのは,近目の見にくさという理由だけではなく,近々運転免許証の更新を控えているからでした。運転免許証更新の試験場で,視力検査に引っかかってしまうことを危惧したのです。でも,これなら大丈夫。
さあ,6月も終わりです。メガネも更新して何事も見易くなったことですし,下半期も頑張るぞー!それに,今夜は我が栄光の読売巨人軍も9回裏にようやく逆転し,サヨナラ勝ちをおさめたようです。ギリシャのデフォルト不安はありますが,私としては自分のゴルフのスコア同様,上昇気流に乗っております(笑)。
私は小学生のころから,それこそ毎週欠かさずにNHKの大河ドラマを観ていました。昔から歴史物,特に戦国武将ものがすごく好きだったんですよ。例えば,まだ小学生だったころに観た「天と地と」なんかを今でもよく覚えております。日曜日の8時から本番を見ただけではあきたらず,小学校から帰ってから土曜日の再放送まで観ていましたからね(笑)。
「天と地と」という大河ドラマは,長尾景虎(上杉謙信)役は石坂浩二,その父親の長尾為景役は滝沢修,その側室の松江役は有馬稲子,長尾為景の実兄である長尾房景役には志村喬,景虎の軍師宇佐美定行役には宇野重吉,武田信玄役には高橋幸治,その他にも大友柳太朗,藤村志保,新珠三千代なども出演していました。錚々たる役者さんたちです。もちろん脚本も素晴らしかったし,子どもながらにもこういった分野や出演者に対する憧れと尊敬の念というものが確かにあったのです。
でも最近の大河ドラマにはそういったものを感じることは全くありませんし,特にここ数年はあまり観る気がしないし,実際に観ていません。「龍馬伝」などはやたらにほこりっぽく薄汚い画像でしたし,「平清盛」について画像が暗く薄汚く,天皇家を貶めるかのようなセリフも散見され,不愉快でした。
そういえば,数日前の産経新聞にライターの吉田潮さんの「何となく薄気味悪いNHKの妹路線」という見出しの,少し違った観点からの記事が載っていました。確かに戦国時代も,幕末も,もうたいていの歴史やストーリーの流れは視聴者も知っています。そういう意味ではNHKとしても何か新味を出したいところでしょう。吉田潮さんの記事から少し引用してみましょう。
「そこで、NHKが考案した策の一つが『妹キャラ』。教科書に載っていない、脚光を浴びていない、皆があまり知らない人物を主人公に据えることで、広くあまねく興味をひきつけようという作戦だ。直近の作品で言えば、平成23年の『江 姫たちの戦国』(茶々は名実ともに有名だが、その妹、江がメーン)、25年の『八重の桜』(会津藩士の妹)、そして今年の『花燃ゆ』(吉田松陰の妹)である。」
なるほど,そういえばそうですね。なかなか鋭い切り口です(笑)。それにしても,この吉田潮さんもご指摘でしたが,今年の「花燃ゆ」に出て来る役者さんにイケメンの多いこと多いこと・・・。ひがみではないがイケメンばっかり揃えてどうするの。また,脚本も桜田門外の変の場面も雪の上に寒ツバキが散って一瞬で終わりになってしまい,大河ドラマにも歴史の勉強を期待している私のような者のニーズには答えてくれていません。それにもちろん職業に貴賎はありませんが,お笑い芸人コンビ「どぶろっく」の2人がそれぞれ一橋慶喜役と島津久光役に起用されていることを聞き及んでは,もはや軽すぎて観る気も起こりません。
要するに,NHKの大河ドラマに対する私の現在の思いは,繰り返しになりますが,「天と地と」を観て,子どもながらにこういった分野や出演者に対する憧れと尊敬の念というものが湧いてきていたあの頃がとても懐かしいということです。
梅雨らしくなったというのが良いのか,そうでないのか分かりませんが,ここ数日の天候は梅雨らしくなりました。ただ,紫陽花は本当に美しいと思います。
さて,私も弁護士の端くれですから,言論・出版の自由,表現の自由が憲法上保障された極めて重要な人権であることは十分承知しております。しかしながら,元少年Aの手記「絶歌」と称する本の出版には嫌悪感を覚えます。
1997年に神戸連続殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)を起こした「元少年A」の手記「絶歌」と称する本が出版されてから10日ほどが経ちましたが,トーハンと日版の週刊ベストセラーランキングではそれぞれ初登場1位となったようであり,出版元の太田出版は初版10万部に引き続きさらに5万部の増刷を決めたとのこと。出版社の思惑どおりの展開となっております。
この「元少年A」は既に32歳になっているようで,週刊誌の記事によれば,この人物は自分の原稿をさる出版社に持ち込んで出版にこぎ着けようと相当の努力をしたようであり,最終的には太田出版に落ち着いたようです。
この人物が起こした事件は凄惨で猟奇的なもので,口にするのも憚られます。そしてこのたびの「絶歌」なる手記の内容は,ある情報によれば作家気取りの小賢しい文章表現が散見されるようです。でも,この人が本来やるべきことは,このような作家気取りの小賢しい文章を世に問うことではなくて,印税なんかに頼らず,必死でアルバイトなどをしながら日銭を稼ぎ,人知れずただひたすら内省の日々を送り,被害者の菩提を弔うことでしょう。それが人の道というものです。
でも出版に当たっては,被害者のご遺族には何らの相談,了解もなかったようであり,当然のことながら被害者の男児の父親は太田出版に抗議し,速やかな回収を求めています。当然のことでしょう。それに印税の使い道だって明らかにはされておりません。
この人物ももう32歳なのですね。この本の出版の動機の一つとして,「自分の過去と対峙し、切り結ぶ」ことに言及しています。「切り結ぶ」という言葉の意味は,互いに刀を交えて切り合うこと,また激しく争うことを意味しています。被害者のご遺族の心情に配慮することなくこのような自分の手記を世に問い,「自分の過去と対峙し、切り結ぶ」ほどの覚悟があるのであれば,著者名が「元少年A」というのは卑怯な気がしています。それにやはりこの人には共感力というものが決定的に欠けていると言わざるを得ません。
本名を明らかにせよとは酷な言い方かもしれませんが,やはりそれができないようであれば,このような手記を世に問うことではなく,人知れずただひたすら内省の日々を送り,被害者の菩提を弔うことこそ大切なことだと思うのです。
かなりブログの更新ができませんでした。週に2回程度は更新をしてきましたが,公私ともにばたばたしていて間が空いてしまいました。
去る6月9日,私の同業の弁護士でキャリアとしては15年先輩に当たるS先生が病気のため急逝されました。とても残念です。人の死について「喪失感」などといった言葉で表現するのは適切ではないかもしれませんが,とにかく深い喪失感があります。
S先生ご自身から私の事務所に電話連絡があったのは,4月の中旬でした。5月13日に入院することになったこと,手がけている事件が数件あるが万が一の時は引き継いで処理して欲しいことなどを言われました。病気の内容をお聞きしているうちに,まさかと思う一方で,少し心配でした。
4月23日の夕方には,S先生は昔から事件処理でお世話をされてきたあるご家族3名を連れて来られ,当事務所で万が一の際の打合せもしました。その時の様子を見ていてよく分かったのは,S先生という弁護士は人情味があり,誠実で,依頼者からとても慕われているということです。そのことがよく分かりました。
5月中旬には,S先生は入院先から私の事務所に電話をくれ,「手術は無事に終了した。思ったより良さそうだ。」という話でした。とても安心したことを覚えています。しかし,6月8日に吐血,一旦は落ち着いたもののその後容体が急変し,6月9日に鬼籍に入られたのです。返す返すも残念です。
私はかつて11年間ある事務所で勤務弁護士として働きましたが,実はS先生は同じ事務所の勤務弁護士第1号だったのです。同時期に一緒に仕事をしたことはありませんでしたし,プライベートでのお付き合いをしたことは特にありませんでしたが,S先生は何かにつけて私のことを気に掛けてくれ,頼りにしてくれてもいました。利益相反になるため自分が処理できない事件などを紹介してくれたり,法科大学院非常勤講師のお話をいただいたりしました。本当にありがたいことです。
何かにつけて私のことを気に掛けてくれ,頼りにしてくれていたというのはうれしいことであり,そういった方を失うというのはやはり深い喪失感があるのです。
こういうことを音楽に結びつけてしまうのも気が引けるのですが,いわゆる「虫の知らせ」というのは少なからずあるのではと思いました。またそう思いたい気持ちでもあります。というのも,私は6月8日の夕方に車を使って遠方の警察署に出向く用事があり,吐血のことや容体のことについて何も知らない私は,その車中で最近ではそれほど聴かなくなったベートーヴェンのピアノソナタを聴いていたのです。やはりベートーヴェンのピアノソナタはいいなと思いながら・・・。数曲聴きましたがその中に第26番変ホ長調「告別」があったのです。本当に久しぶりに聴く「告別」でした。
S先生のご冥福を心からお祈りいたします。本当にありがとうございました。合掌
それはそれは,ほんとに嫌な夢でした。思い出すだけでおぞましい。
日曜日の昼寝の時に見た夢のことです。少し押し殺したような「ううっ!」という自分の叫び声で目が覚めました。夢で良かった・・・。前置きが長くなりましたが,その夢というのは次のようなものでした。
「どういう訳か私は川の中で泳いでいる。普通に泳いでいると,突然目の前にカミツキガメが私を威嚇するような状態で現れた。私は咄嗟に逃れようと右方向に身をかわし,泳いで逃げようとしたが,その獰猛そうなカミツキガメに私の左乳首を『ガブッ!』と噛まれた。」
その瞬間に自分の「ううっ!」という声で目が覚めたのです(笑)。夢で良かったと思いました。それにしてもほんとにおぞましい嫌な夢でした。
どうしてこんな夢を見てしまったのか,すぐに合点がいきました。日曜日のランチ時に,ある番組で危険な特定外来生物の特集をやっていたのを見たからだと思います。今,日本でかなり繁殖し,住民を恐怖に陥れたり,悪さをするカミツキガメやセアカゴケグモ(有毒)がテレビで紹介されていたのです。確かに,こいつらは危険です。危険な特定外来生物はとても獰猛で繁殖力が強いのであります。
その番組でこれらの生物の動画を見たため,すぐに昼寝で夢に出てきてしまったのでしょう(笑)。それにしても噛まれた部位がどうして乳首だったのでしょうか。私の心理の深層に,男でありながら数年前に受検したマンモグラフィー検査での辛い体験が残存していたのでしょうか。ただ,夢でカミツキガメに噛まれてしまったのは左乳首でしたが,マンモグラフィー検査で機械に患部を挟まれてしまったのは右乳首でした(爆笑)。そこに少しばかり整合性を欠く面はあります。
私は毎朝,産経新聞を読んでおります(笑)。もちろん個人的な意見に過ぎませんが,他紙よりも圧倒的に良いと思います。どこぞの反日左翼新聞などと比べますとね。さて今朝の産経新聞にもブログネタになりそうな面白い内容が掲載されておりました。
民主党の後藤祐一という衆議院議員(神奈川16区)が泥酔してタクシー運転手に暴言を吐くなどして軽傷を負わせ,警察官が出動する騒ぎになったとのこと。その際この選良であるはずの人物(笑)は,釣り銭をめぐって「受け取る法的根拠は何か」などと運転手に怒鳴ったそうです(爆笑)。
私が取り敢えず思いついたのは,民法1条2項の「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。」という条文です(笑)。タクシーによる運送契約に基づいてサービスが提供され,これに対する代金が支払われ,おつりが生じたのならば,タクシー会社とその選良(笑)との間ではおつりの清算義務(弁済義務と受領義務)が生じ,これを互いに誠実に行わないといけないのでしょうね。
でもね,世の中全ての事象に必ずしも「法的根拠」があるとは限りませんよ。売買でもサービス提供でも,代金の授受でおつりが生じたのならば,すぐに受け取るというのが「常識」なのではないでしょうか。いやしくも代議士なのですから,それくらいの常識はちゃんと持ち合わせていてね。
やはり今朝の産経新聞には,「モーロクのススメ」とのタイトルで,坪内稔典さん(俳人,佛教大学名誉教授)のコラムが載っておりました。いつも為になります。そこには,次のような鎌倉時代の道元禅師の和歌(永平寺の歌碑にも刻まれています。)が紹介されていました。
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」
このうち「すずしかりけり」というのは,涼しいという意味ではなく,四季にちゃんと違いがあってすがすがしい,という意味なのだそうです。今は梅雨時ではありますが,それもまた日本の四季です。日本の四季の移り変わりは,花鳥風月全てにわたって,誠に素晴らしく,そして美しい。
久しぶりの雨です。私は梅雨時に生まれたせいなのかは知りませんが,雨はそんなに嫌いではありません。たまにはお湿りも必要ですし,草木の緑がますます深まり,花も色鮮やかにもなります。紫陽花などの美しさも格別です。
また,徒歩通勤の私が雨の日の良さとして最近感じているのは,さすがに雨の日には高速度でビュンビュン走り去る傍若無人で悪質な自転車乗りがあまり見られないという点です(笑)。私が普段から恐怖を感じ,不快に思っているのは,人に恐怖感すら与える高速度で走行する自転車運転者の存在です。特に信号の変わり目に何とか交差点を渡りきろうと最大速度で疾駆する際の彼らの目を見ておりますと,もはや交差する道路からの交通の有無や歩行者の状況など全く見ておらず,危険予知能力が全く機能しておりません(笑)。
こんな悪質な自転車運転者対策のため,道路交通法が改正され,今年6月1日から施行されました。それによると,一定の危険な違反行為をして2回以上摘発された自転車運転者(悪質運転者)は,公安委員会の命令を受けてから3か月以内の指定された期間内に講習を受けなければならないことになり,公安委員会による受講命令に従わなかった者には5万円以下の罰金が科せられることになったのです。
私が思うに,法令が有効に機能するには,法令の存在だけではなく,これを実効あらしめるための運用こそが重要です。悪質運転者を見逃しまくっていては画餅に等しいのです。
さてさて,滋賀県が住民に県名変更の是非を問う県政世論調査を実施するということを小耳に挟みました。その動機が全国的知名度の低さに悩んでいるとのこと。県名の候補として「近江県」や「琵琶湖県」などが挙がっており,調査結果次第では県名変更を検討するそうです。
私としては,そういうのは違和感を覚えますね。これまでずっと通用してきた由緒ある県名ではありませんか。全国的知名度が低いからって,それでいとも簡単に名前を変えてしまうのですかね。普通の教育を受けた人ならば,我が国の都道府県名くらいちゃんと知っていますよ。滋賀県としては,「滋賀県を知らない人こそ勉強すべきだ!」と胸を張るべきです。
滋賀県の県名の由来は,「シカ(石処)」の意味で「石の多い所」を言ったという説が有力ですが,そういえば石山寺は巨大な岩盤の上に建っているため「石山」と名付けられていますね。ちゃんと由来と由緒があるのです。全国的知名度などといった水平的思考だけでなく,これまでの歴史を踏まえた垂直的思考も必要なのですよ。
琵琶湖がある県なのです。胸を張りましょう。上田秋成の「雨月物語」の中の「夢応の鯉魚」で展開された近江八景など琵琶湖の名所を巡る道行き文は誠に素晴らしく,直ぐにでも琵琶湖に旅したくなりますよ。ただ,だからといってすぐに「琵琶湖県」に名前を変える必要はないでしょう(笑)。
私の依頼者も,相談に来た人も,タクシーの運転手さんも,会う人会う人がみんな「暑いですね。」と声を掛けてくれます。みんなが口を揃えて同じような挨拶をするほど,5月の気温とは思えない暑さです。
さて,私の事務所近くには名古屋市内でも有数の長い歴史を誇る小学校があります。徒歩通勤でその脇を通り過ぎることが多いのですが,先日その小学校の校庭で朝礼のようなものが開かれていましたので,思わず足を止めて暫くその情景を眺めておりました。自分が小学生だった頃の懐かしい記憶を呼び覚ましながら眺めていたのですが,校庭で整列していたその児童数のあまりの少なさに愕然としました。余りにも少ないのです。少子化問題の現実をまざまざと見せつけられた気がしました。
私が小学生の頃の朝礼などは,児童数が相当に多く,全校生徒が校庭に集まろうものなら校庭のほぼ全体に広がらなければなりませんでした。先日この季節用のスーツを2着新調したのですが,以前からお付き合いのあるその仕立屋さんが事務所まで届けてくれた際,その方の出身校がその小学校だったのです。
その方が小学生だったころ(恐らくは60年ほど前だと思われますが),その名門小学校の一学年の生徒数は60人学級が6組ほどあったそうです。凄い数ですし,校内もさぞ賑やかだったでしょう。私も名古屋市内の小学校に通っておりました。1学級の生徒数は今では覚えはありませんでしたが,確かに1学年が5,6組で構成されていたことはちゃんと覚えております。
授業中(体育など)でも,そして放課後でも小学校の校庭はそれはそれは賑やかでした。よく遊んだものです。でも,その方の情報ではその出身校(私が徒歩通勤の途中で足を止めて見たその小学校)は,実は近々統廃合によって廃校になるとのこと。余りにも児童数が少なくなったためです。本当に寂しい限りです。
少子化対策には様々なものがあるでしょうが,合計特殊出生率をもっともっと上げるためにも,その世代が結婚しやすい環境,特に経済的基盤を確立させる政策の実行が喫緊の課題なのではないでしょうか。そう,実質賃金を上昇させる政策です。人に人柄があるように,国にも国柄というものがあります。この日本国の国柄が根本的に変わってしまうような大量の移民に頼るような政策には絶対賛成できません。
それにしても本当に寂しい校庭の風景ではありました。
例年,5月というのはこんなに暑かったですかね(笑)。私はというと,相変わらず特に朝は徒歩通勤を続けていますが,汗ばんでおります。徒歩通勤の経路はその日の気分次第で変わるのですが,今朝は中区丸の内のとある交差点の一角に設置された道しるべの存在に気づきました。その四角柱の形をした石造りの道しるべには,「東 ぜんこうじみち」,「南 あつた」,「西 みのじ」,「北 おしろ」と書いてありました。それを見たら何やらほのぼのとした気分になり,どこかへ旅にでも出かけたくなりました。「北 おしろ」というのはもちろん名古屋城のことを意味するのでしょうが,その場所からは歩いてもそんなに時間はかかりません。それに引き換え,「東 ぜんこうじみち」というのは長野の善光寺を意味するのでしょうが,これはあまりに遠すぎます(笑)。要するに,大ざっぱな方角が判れば良いのでしょうね。
旅行と言えば,昨年度中に日本へ来た外国人旅行者数が過去最高を記録しましたし,その勢いは本年度も続いています。財務省が発表した昨年度の国際収支統計によると,モノ以外の取引を示す「サービス収支」のうち,日本に来た外国人が買い物などで使った金額から,日本人が海外で使った金額を差し引いた「旅行収支」は2099億円の黒字になり,これは1959年以来55年ぶりの黒字ということです。円安などが影響しているのでしょうね。
円安という要因について言及しましたが,そういった為替変動という要因もさることながら,私が常日頃思っているのは,日本という国は本当に美しく,実はその美しさに加えて,後に述べる「おもてなし」の気持ちがあるからこそ外国人の旅行者,リピーターが増えているということです。私だって実は時間とお金さえあれば,まだまだもっともっと日本中,津々浦々旅行できたらなと思っています。国立公園,国定公園などの自然(山,川,湖,滝,森林などなど),神社・仏閣,遺跡,温泉,宿泊施設,都市部の洗練・・・。どれもこれも本当に美しいと思います。
ただ私がさらに思いますのには,実は外国人がこれだけ日本に訪れるのは,先に挙げたような観光資源の存在だけでなく,いわゆる「おもてなし」といった日本人の優しさも重要な観光資源だからだということです。
明治維新ころに活躍したイギリスの女流旅行家イザベラ・バードが日本を訪れた際の印象などを記録した「日本奥地紀行」などを読みますと,次のような記述があります。
「私はそれから奥地や北海道を一二〇〇マイルにわたって旅をしたが、まったく安全で、しかも心配もなかった。世界中で日本ほど、婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと私は信じている。」
「ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受けるまではゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。群衆にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。」
「ほんの昨日のことであったが、革帯が一つ紛失していた。もう暗くなっていたが、その馬子はそれを探しに一里も戻った。彼にその骨折賃として何銭かあげようとしたが、彼は、旅の終りまで無事届けるのが当然の責任だ、と言って、どうしてもお金を受けとらなかった。」
こういった記述に触れるにつけ,日本という国やそこに住む日本人の有り様こそが,ずーっと前から外国人が旅行しやすい国であり続けた理由だと思った次第です。それこそが重要な観光資源の一つなのです。