かなりブログの更新ができませんでした。週に2回程度は更新をしてきましたが,公私ともにばたばたしていて間が空いてしまいました。
去る6月9日,私の同業の弁護士でキャリアとしては15年先輩に当たるS先生が病気のため急逝されました。とても残念です。人の死について「喪失感」などといった言葉で表現するのは適切ではないかもしれませんが,とにかく深い喪失感があります。
S先生ご自身から私の事務所に電話連絡があったのは,4月の中旬でした。5月13日に入院することになったこと,手がけている事件が数件あるが万が一の時は引き継いで処理して欲しいことなどを言われました。病気の内容をお聞きしているうちに,まさかと思う一方で,少し心配でした。
4月23日の夕方には,S先生は昔から事件処理でお世話をされてきたあるご家族3名を連れて来られ,当事務所で万が一の際の打合せもしました。その時の様子を見ていてよく分かったのは,S先生という弁護士は人情味があり,誠実で,依頼者からとても慕われているということです。そのことがよく分かりました。
5月中旬には,S先生は入院先から私の事務所に電話をくれ,「手術は無事に終了した。思ったより良さそうだ。」という話でした。とても安心したことを覚えています。しかし,6月8日に吐血,一旦は落ち着いたもののその後容体が急変し,6月9日に鬼籍に入られたのです。返す返すも残念です。
私はかつて11年間ある事務所で勤務弁護士として働きましたが,実はS先生は同じ事務所の勤務弁護士第1号だったのです。同時期に一緒に仕事をしたことはありませんでしたし,プライベートでのお付き合いをしたことは特にありませんでしたが,S先生は何かにつけて私のことを気に掛けてくれ,頼りにしてくれてもいました。利益相反になるため自分が処理できない事件などを紹介してくれたり,法科大学院非常勤講師のお話をいただいたりしました。本当にありがたいことです。
何かにつけて私のことを気に掛けてくれ,頼りにしてくれていたというのはうれしいことであり,そういった方を失うというのはやはり深い喪失感があるのです。
こういうことを音楽に結びつけてしまうのも気が引けるのですが,いわゆる「虫の知らせ」というのは少なからずあるのではと思いました。またそう思いたい気持ちでもあります。というのも,私は6月8日の夕方に車を使って遠方の警察署に出向く用事があり,吐血のことや容体のことについて何も知らない私は,その車中で最近ではそれほど聴かなくなったベートーヴェンのピアノソナタを聴いていたのです。やはりベートーヴェンのピアノソナタはいいなと思いながら・・・。数曲聴きましたがその中に第26番変ホ長調「告別」があったのです。本当に久しぶりに聴く「告別」でした。
S先生のご冥福を心からお祈りいたします。本当にありがとうございました。合掌
それはそれは,ほんとに嫌な夢でした。思い出すだけでおぞましい。
日曜日の昼寝の時に見た夢のことです。少し押し殺したような「ううっ!」という自分の叫び声で目が覚めました。夢で良かった・・・。前置きが長くなりましたが,その夢というのは次のようなものでした。
「どういう訳か私は川の中で泳いでいる。普通に泳いでいると,突然目の前にカミツキガメが私を威嚇するような状態で現れた。私は咄嗟に逃れようと右方向に身をかわし,泳いで逃げようとしたが,その獰猛そうなカミツキガメに私の左乳首を『ガブッ!』と噛まれた。」
その瞬間に自分の「ううっ!」という声で目が覚めたのです(笑)。夢で良かったと思いました。それにしてもほんとにおぞましい嫌な夢でした。
どうしてこんな夢を見てしまったのか,すぐに合点がいきました。日曜日のランチ時に,ある番組で危険な特定外来生物の特集をやっていたのを見たからだと思います。今,日本でかなり繁殖し,住民を恐怖に陥れたり,悪さをするカミツキガメやセアカゴケグモ(有毒)がテレビで紹介されていたのです。確かに,こいつらは危険です。危険な特定外来生物はとても獰猛で繁殖力が強いのであります。
その番組でこれらの生物の動画を見たため,すぐに昼寝で夢に出てきてしまったのでしょう(笑)。それにしても噛まれた部位がどうして乳首だったのでしょうか。私の心理の深層に,男でありながら数年前に受検したマンモグラフィー検査での辛い体験が残存していたのでしょうか。ただ,夢でカミツキガメに噛まれてしまったのは左乳首でしたが,マンモグラフィー検査で機械に患部を挟まれてしまったのは右乳首でした(爆笑)。そこに少しばかり整合性を欠く面はあります。
私は毎朝,産経新聞を読んでおります(笑)。もちろん個人的な意見に過ぎませんが,他紙よりも圧倒的に良いと思います。どこぞの反日左翼新聞などと比べますとね。さて今朝の産経新聞にもブログネタになりそうな面白い内容が掲載されておりました。
民主党の後藤祐一という衆議院議員(神奈川16区)が泥酔してタクシー運転手に暴言を吐くなどして軽傷を負わせ,警察官が出動する騒ぎになったとのこと。その際この選良であるはずの人物(笑)は,釣り銭をめぐって「受け取る法的根拠は何か」などと運転手に怒鳴ったそうです(爆笑)。
私が取り敢えず思いついたのは,民法1条2項の「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。」という条文です(笑)。タクシーによる運送契約に基づいてサービスが提供され,これに対する代金が支払われ,おつりが生じたのならば,タクシー会社とその選良(笑)との間ではおつりの清算義務(弁済義務と受領義務)が生じ,これを互いに誠実に行わないといけないのでしょうね。
でもね,世の中全ての事象に必ずしも「法的根拠」があるとは限りませんよ。売買でもサービス提供でも,代金の授受でおつりが生じたのならば,すぐに受け取るというのが「常識」なのではないでしょうか。いやしくも代議士なのですから,それくらいの常識はちゃんと持ち合わせていてね。
やはり今朝の産経新聞には,「モーロクのススメ」とのタイトルで,坪内稔典さん(俳人,佛教大学名誉教授)のコラムが載っておりました。いつも為になります。そこには,次のような鎌倉時代の道元禅師の和歌(永平寺の歌碑にも刻まれています。)が紹介されていました。
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」
このうち「すずしかりけり」というのは,涼しいという意味ではなく,四季にちゃんと違いがあってすがすがしい,という意味なのだそうです。今は梅雨時ではありますが,それもまた日本の四季です。日本の四季の移り変わりは,花鳥風月全てにわたって,誠に素晴らしく,そして美しい。
久しぶりの雨です。私は梅雨時に生まれたせいなのかは知りませんが,雨はそんなに嫌いではありません。たまにはお湿りも必要ですし,草木の緑がますます深まり,花も色鮮やかにもなります。紫陽花などの美しさも格別です。
また,徒歩通勤の私が雨の日の良さとして最近感じているのは,さすがに雨の日には高速度でビュンビュン走り去る傍若無人で悪質な自転車乗りがあまり見られないという点です(笑)。私が普段から恐怖を感じ,不快に思っているのは,人に恐怖感すら与える高速度で走行する自転車運転者の存在です。特に信号の変わり目に何とか交差点を渡りきろうと最大速度で疾駆する際の彼らの目を見ておりますと,もはや交差する道路からの交通の有無や歩行者の状況など全く見ておらず,危険予知能力が全く機能しておりません(笑)。
こんな悪質な自転車運転者対策のため,道路交通法が改正され,今年6月1日から施行されました。それによると,一定の危険な違反行為をして2回以上摘発された自転車運転者(悪質運転者)は,公安委員会の命令を受けてから3か月以内の指定された期間内に講習を受けなければならないことになり,公安委員会による受講命令に従わなかった者には5万円以下の罰金が科せられることになったのです。
私が思うに,法令が有効に機能するには,法令の存在だけではなく,これを実効あらしめるための運用こそが重要です。悪質運転者を見逃しまくっていては画餅に等しいのです。
さてさて,滋賀県が住民に県名変更の是非を問う県政世論調査を実施するということを小耳に挟みました。その動機が全国的知名度の低さに悩んでいるとのこと。県名の候補として「近江県」や「琵琶湖県」などが挙がっており,調査結果次第では県名変更を検討するそうです。
私としては,そういうのは違和感を覚えますね。これまでずっと通用してきた由緒ある県名ではありませんか。全国的知名度が低いからって,それでいとも簡単に名前を変えてしまうのですかね。普通の教育を受けた人ならば,我が国の都道府県名くらいちゃんと知っていますよ。滋賀県としては,「滋賀県を知らない人こそ勉強すべきだ!」と胸を張るべきです。
滋賀県の県名の由来は,「シカ(石処)」の意味で「石の多い所」を言ったという説が有力ですが,そういえば石山寺は巨大な岩盤の上に建っているため「石山」と名付けられていますね。ちゃんと由来と由緒があるのです。全国的知名度などといった水平的思考だけでなく,これまでの歴史を踏まえた垂直的思考も必要なのですよ。
琵琶湖がある県なのです。胸を張りましょう。上田秋成の「雨月物語」の中の「夢応の鯉魚」で展開された近江八景など琵琶湖の名所を巡る道行き文は誠に素晴らしく,直ぐにでも琵琶湖に旅したくなりますよ。ただ,だからといってすぐに「琵琶湖県」に名前を変える必要はないでしょう(笑)。
私の依頼者も,相談に来た人も,タクシーの運転手さんも,会う人会う人がみんな「暑いですね。」と声を掛けてくれます。みんなが口を揃えて同じような挨拶をするほど,5月の気温とは思えない暑さです。
さて,私の事務所近くには名古屋市内でも有数の長い歴史を誇る小学校があります。徒歩通勤でその脇を通り過ぎることが多いのですが,先日その小学校の校庭で朝礼のようなものが開かれていましたので,思わず足を止めて暫くその情景を眺めておりました。自分が小学生だった頃の懐かしい記憶を呼び覚ましながら眺めていたのですが,校庭で整列していたその児童数のあまりの少なさに愕然としました。余りにも少ないのです。少子化問題の現実をまざまざと見せつけられた気がしました。
私が小学生の頃の朝礼などは,児童数が相当に多く,全校生徒が校庭に集まろうものなら校庭のほぼ全体に広がらなければなりませんでした。先日この季節用のスーツを2着新調したのですが,以前からお付き合いのあるその仕立屋さんが事務所まで届けてくれた際,その方の出身校がその小学校だったのです。
その方が小学生だったころ(恐らくは60年ほど前だと思われますが),その名門小学校の一学年の生徒数は60人学級が6組ほどあったそうです。凄い数ですし,校内もさぞ賑やかだったでしょう。私も名古屋市内の小学校に通っておりました。1学級の生徒数は今では覚えはありませんでしたが,確かに1学年が5,6組で構成されていたことはちゃんと覚えております。
授業中(体育など)でも,そして放課後でも小学校の校庭はそれはそれは賑やかでした。よく遊んだものです。でも,その方の情報ではその出身校(私が徒歩通勤の途中で足を止めて見たその小学校)は,実は近々統廃合によって廃校になるとのこと。余りにも児童数が少なくなったためです。本当に寂しい限りです。
少子化対策には様々なものがあるでしょうが,合計特殊出生率をもっともっと上げるためにも,その世代が結婚しやすい環境,特に経済的基盤を確立させる政策の実行が喫緊の課題なのではないでしょうか。そう,実質賃金を上昇させる政策です。人に人柄があるように,国にも国柄というものがあります。この日本国の国柄が根本的に変わってしまうような大量の移民に頼るような政策には絶対賛成できません。
それにしても本当に寂しい校庭の風景ではありました。
例年,5月というのはこんなに暑かったですかね(笑)。私はというと,相変わらず特に朝は徒歩通勤を続けていますが,汗ばんでおります。徒歩通勤の経路はその日の気分次第で変わるのですが,今朝は中区丸の内のとある交差点の一角に設置された道しるべの存在に気づきました。その四角柱の形をした石造りの道しるべには,「東 ぜんこうじみち」,「南 あつた」,「西 みのじ」,「北 おしろ」と書いてありました。それを見たら何やらほのぼのとした気分になり,どこかへ旅にでも出かけたくなりました。「北 おしろ」というのはもちろん名古屋城のことを意味するのでしょうが,その場所からは歩いてもそんなに時間はかかりません。それに引き換え,「東 ぜんこうじみち」というのは長野の善光寺を意味するのでしょうが,これはあまりに遠すぎます(笑)。要するに,大ざっぱな方角が判れば良いのでしょうね。
旅行と言えば,昨年度中に日本へ来た外国人旅行者数が過去最高を記録しましたし,その勢いは本年度も続いています。財務省が発表した昨年度の国際収支統計によると,モノ以外の取引を示す「サービス収支」のうち,日本に来た外国人が買い物などで使った金額から,日本人が海外で使った金額を差し引いた「旅行収支」は2099億円の黒字になり,これは1959年以来55年ぶりの黒字ということです。円安などが影響しているのでしょうね。
円安という要因について言及しましたが,そういった為替変動という要因もさることながら,私が常日頃思っているのは,日本という国は本当に美しく,実はその美しさに加えて,後に述べる「おもてなし」の気持ちがあるからこそ外国人の旅行者,リピーターが増えているということです。私だって実は時間とお金さえあれば,まだまだもっともっと日本中,津々浦々旅行できたらなと思っています。国立公園,国定公園などの自然(山,川,湖,滝,森林などなど),神社・仏閣,遺跡,温泉,宿泊施設,都市部の洗練・・・。どれもこれも本当に美しいと思います。
ただ私がさらに思いますのには,実は外国人がこれだけ日本に訪れるのは,先に挙げたような観光資源の存在だけでなく,いわゆる「おもてなし」といった日本人の優しさも重要な観光資源だからだということです。
明治維新ころに活躍したイギリスの女流旅行家イザベラ・バードが日本を訪れた際の印象などを記録した「日本奥地紀行」などを読みますと,次のような記述があります。
「私はそれから奥地や北海道を一二〇〇マイルにわたって旅をしたが、まったく安全で、しかも心配もなかった。世界中で日本ほど、婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと私は信じている。」
「ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受けるまではゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。群衆にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。」
「ほんの昨日のことであったが、革帯が一つ紛失していた。もう暗くなっていたが、その馬子はそれを探しに一里も戻った。彼にその骨折賃として何銭かあげようとしたが、彼は、旅の終りまで無事届けるのが当然の責任だ、と言って、どうしてもお金を受けとらなかった。」
こういった記述に触れるにつけ,日本という国やそこに住む日本人の有り様こそが,ずーっと前から外国人が旅行しやすい国であり続けた理由だと思った次第です。それこそが重要な観光資源の一つなのです。
いやね,弁護士として相当に落ち込む出来事がありましてね。気が滅入っていたものですから,このブログの更新も久しぶりになってしまいました。職業柄,依頼者がとても喜んでくれ,やりがいと弁護士としての幸福感を味わえる場面もあれば,全く逆のこともあるのですよ。そういう意味では私の生業も辛い面がございます。
さて,気を取り直して,東京出張の時のたわいもない話題を少し・・・。いつもの旭川ラーメンの女性店員さんは,接客も良いし,ますます綺麗になっておられました。私のお目当てはあくまでも塩バターコーンラーメンであることに全く疑う余地はございませんが(笑)。
この日は大変忙しかったし,疲れもしましたので,鈴本演芸場にも山野楽器にも寄らず,東京からとんぼ返りの行程でした。疲れて東京駅の新幹線プラットホームのベンチでボンヤリ腰掛けておりましたら,どこかで見た人が飲料の自動販売機の所に立っていました。そう,昨年の秋まで衆議院議長をお務めになり,かつては自由民主党伊吹派の領袖だった伊吹文明衆議院議員でした。それとすぐに分かりました。
でも伊吹代議士も相当にお疲れのようでした。自販機で何やら飲料を買うのに,人の3倍くらいの時間を要するほど動作がゆっくりで(笑),そのすぐ後ろで待っていた外国人の男性が少し苛ついておりました(笑)。伊吹代議士は恐らく選挙区の京都に新幹線でお帰りになる予定だったのかしら。プライベートなことではありますが,これくらいならブログに書いてもいいでしょう。なお,後ろで少し苛ついていたその外国人の男性は,「オランジーナ」をゲットしてご満悦の表情で元気よく歩いていきましたとさ。
私はというと,娘の大好物である東京ばななの16個入りを買って帰ったのですが,崎陽軒のシウマイを買ってくるのを忘れてしまい,名古屋駅に着いてから大変悔しい思いをしましたとさ(笑)。
大分市にある高崎山自然動物園が,雌の赤ちゃんザルに「シャーロット」という名前を付けたようですね。最終的には誰の判断なのかは知りませんが,その品性と見識を問われる誠に愚かな振る舞いだと思います。はっきり申し上げると,国の恥になります。今月2日に誕生したイギリス王室のシャーロット王女と同じ名前なのです。
新聞報道によれば,この自然動物園は毎年,第1号の赤ちゃんに最近の出来事にちなんだ名前を付けており,前もって公募していたということです。853通の応募があり,59通のシャーロットが最多だったようです。シャーロットで応募した人も大概だと思いますが(軽佻浮薄の感あり),最多だからといって無批判に命名するものですかね。
シャーロット王女はイギリス王室の王位継承順位4番の王女です。例えば,仮に,イギリスの動物園で生まれた赤ちゃんザルに,日本国の皇室の皇位継承資格を有しておられるどなたかのお名前が付けられたとしたら,日本国民はどう思うのでしょうか。ほんの少しの想像力がありさえすれば,そのような命名は慎もうと思い至るのではないでしょうか。返す返すも愚かな判断です。
やはり新聞報道によれば,イギリス王室広報官はこの問題について,5月7日,「王室としては公式にはノーコメント。もっぱら動物園側の問題だ。」と述べたとのことです。ああ,これでお墨付きが出たと楽観的な判断をすること自体,やはり愚かだと思います。私としてはこのコメントには,ニュアンス的には不快感が漂っていると思いますし,その受け止め方に間違いがなければ,それも当然のことだと思います。
もちろんこの自然動物園で生まれたこの赤ちゃんザルの誕生を私は祝福しておりますが,この命名に関与した者が残念ながら愚かであったということでしょう。
いつも私が心から可愛いと思っている雀の「チュン,チュン」という鳴き声で目が覚めることがあります。そういう時は何かしら幸せを感じます(笑)。
5月5日はこどもの日ですが,ごく一部の例外を除いてテレビのプロ野球中継がありませんでした。血眼になって番組表で探しても(笑),巨人対広島のデーゲームの中継番組はありませんでした。その他のカードもほとんど中継がありません。一体これはどういうことだったのでしょうか。これはひょっとすると,ふだんはテレビの前でごろごろ寝そべってプロ野球中継を観ている世のお父さんに対し,こどもの日くらいは一日中外で自分の子供と一緒に遊んであげなさいということなのでしょうかね。結局その日(5月5日)の巨人は1対13の惨敗を喫し,不愉快な思いをするだけでしたから,テレビ中継がなかった方がむしろ良かったのです(笑)。
安倍首相の国賓待遇の訪米も無事に終了して良かったと思います。その祖父の岸信介元首相は,私が歴代の内閣総理大臣の中でも最も尊敬している政治家ですが,孫の安倍首相も外交,安全保障という点では本当に良い仕事をしていると思います。
これは産経新聞の記事に載っていたことです。岸信介元首相が重要でしかも歴史的な訪米を果たしたのは昭和32年6月ですが,時のアイゼンハワー大統領からの「午後は予定がありますか?」,「そうか。それではゴルフをしよう!」との誘いで,ワシントンに到着してすぐにホワイトハウスに向かった後のその日の午後に,岸元首相らはアイゼンハワー大統領らと一緒にゴルフをしました。
そのゴルフのプレイの後,岸元首相はアイゼンハワー大統領と一緒にシャワーを浴び,文字通り裸のお付き合いをしました。新聞記者からインタビューを受けたアイゼンハワー大統領は,「大統領や首相になると嫌なやつとも笑いながらテーブルを囲まなければならないが,ゴルフだけは好きな人とでなければできない。」と述べたそうです。その当時の駐日アメリカ大使だったダクラス・マッカーサー2世の「岸とは仕事ができる」との言葉どおり,アイゼンハワー大統領も岸元首相を相当に信頼していたのでしょうね。
この時のゴルフのスコアはアイゼンハワーが74,松本滝蔵(元官房副長官)が98,岸元首相が99,プレスコット・ブッシュ上院議員(あの先代ブッシュ元大統領の父【ということは二代目ブッシュ元大統領の祖父】)が72だったそうです。ワシントンに到着したその日の午後にすぐにゴルフの誘いを受けたにもかかわらず,岸元首相も簡単に100を切るスコアを出すのですから,大したものです。
先ほど私は,ゴルフ場から事務所に戻って来ました。そしてこのブログを書いておりますが,本日も100を切ることはできませんでした(笑)。
前回の続きで,私が10歳の時に発刊された,今度は「少年サンデー」の話です(笑)。
古書店から通販で手に入れたその「少年サンデー第43号 10月22日号」は,少し本全体がいたんでおりますが(裏表紙がありません),やはり往事の懐かしさが蘇ってきました。
「パーマン」,「ジャイアント・ロボ」,「どろろ」なんかか掲載されております。掲載マンガの著名度という点から,同年発刊の「少年マガジン」のそれとを比較した場合,若干見劣りします。しかし,「弾丸児 巨人・川上監督物語」などが巻頭にあり,力作も含まれています。
当時の記憶でいきますと,私は「少年サンデー」の方をよく読んでおりました。やはり「おそ松くん」とか「オバケのQ太郎」なんかが初期に掲載されていましたので,「サンデー」の方が自分には親しみやすかったのです。お小遣いで余裕のある時だけ「マガジン」の方も買って読んだ覚えです。
それと私は小学生のころは野球に夢中でしたし,長嶋茂雄さんの現役時代に熱狂しておりましたが,「少年サンデー」の創刊号の表紙に長嶋さんが採用されたことからも分かるように,「少年サンデー」の方がプロ野球に関する記事が多かったように思います。その点も私が主として「サンデ-」の方を読んでいた理由なのかもしれません。また,「少年サンデー」の方にも,「マノック産業株式会社」に少年向け通販カタログ広告が載っております(笑)。
「天才バカボン」の「マガジン」から「サンデー」への移籍が起こるなど,この両誌はライバル関係にあったようです。「マガジン」の方は主として劇画路線・スポ根路線が主流,「サンデー」の方は少年向けのマンガにこだわりました。ただ,売上部数からすれば,創刊号こそ「サンデー」が勝利しましたが,その後は「マガジン」の方に軍配が上がりました。
いずれにしても,古書店から私の小学生時代の「サンデー」や「マガジン」を取り寄せて眺めていたこの数日間は,懐かしさのあまり感涙にむせんだ次第です(笑)。