いつも私が心から可愛いと思っている雀の「チュン,チュン」という鳴き声で目が覚めることがあります。そういう時は何かしら幸せを感じます(笑)。
5月5日はこどもの日ですが,ごく一部の例外を除いてテレビのプロ野球中継がありませんでした。血眼になって番組表で探しても(笑),巨人対広島のデーゲームの中継番組はありませんでした。その他のカードもほとんど中継がありません。一体これはどういうことだったのでしょうか。これはひょっとすると,ふだんはテレビの前でごろごろ寝そべってプロ野球中継を観ている世のお父さんに対し,こどもの日くらいは一日中外で自分の子供と一緒に遊んであげなさいということなのでしょうかね。結局その日(5月5日)の巨人は1対13の惨敗を喫し,不愉快な思いをするだけでしたから,テレビ中継がなかった方がむしろ良かったのです(笑)。
安倍首相の国賓待遇の訪米も無事に終了して良かったと思います。その祖父の岸信介元首相は,私が歴代の内閣総理大臣の中でも最も尊敬している政治家ですが,孫の安倍首相も外交,安全保障という点では本当に良い仕事をしていると思います。
これは産経新聞の記事に載っていたことです。岸信介元首相が重要でしかも歴史的な訪米を果たしたのは昭和32年6月ですが,時のアイゼンハワー大統領からの「午後は予定がありますか?」,「そうか。それではゴルフをしよう!」との誘いで,ワシントンに到着してすぐにホワイトハウスに向かった後のその日の午後に,岸元首相らはアイゼンハワー大統領らと一緒にゴルフをしました。
そのゴルフのプレイの後,岸元首相はアイゼンハワー大統領と一緒にシャワーを浴び,文字通り裸のお付き合いをしました。新聞記者からインタビューを受けたアイゼンハワー大統領は,「大統領や首相になると嫌なやつとも笑いながらテーブルを囲まなければならないが,ゴルフだけは好きな人とでなければできない。」と述べたそうです。その当時の駐日アメリカ大使だったダクラス・マッカーサー2世の「岸とは仕事ができる」との言葉どおり,アイゼンハワー大統領も岸元首相を相当に信頼していたのでしょうね。
この時のゴルフのスコアはアイゼンハワーが74,松本滝蔵(元官房副長官)が98,岸元首相が99,プレスコット・ブッシュ上院議員(あの先代ブッシュ元大統領の父【ということは二代目ブッシュ元大統領の祖父】)が72だったそうです。ワシントンに到着したその日の午後にすぐにゴルフの誘いを受けたにもかかわらず,岸元首相も簡単に100を切るスコアを出すのですから,大したものです。
先ほど私は,ゴルフ場から事務所に戻って来ました。そしてこのブログを書いておりますが,本日も100を切ることはできませんでした(笑)。
前回の続きで,私が10歳の時に発刊された,今度は「少年サンデー」の話です(笑)。
古書店から通販で手に入れたその「少年サンデー第43号 10月22日号」は,少し本全体がいたんでおりますが(裏表紙がありません),やはり往事の懐かしさが蘇ってきました。
「パーマン」,「ジャイアント・ロボ」,「どろろ」なんかか掲載されております。掲載マンガの著名度という点から,同年発刊の「少年マガジン」のそれとを比較した場合,若干見劣りします。しかし,「弾丸児 巨人・川上監督物語」などが巻頭にあり,力作も含まれています。
当時の記憶でいきますと,私は「少年サンデー」の方をよく読んでおりました。やはり「おそ松くん」とか「オバケのQ太郎」なんかが初期に掲載されていましたので,「サンデー」の方が自分には親しみやすかったのです。お小遣いで余裕のある時だけ「マガジン」の方も買って読んだ覚えです。
それと私は小学生のころは野球に夢中でしたし,長嶋茂雄さんの現役時代に熱狂しておりましたが,「少年サンデー」の創刊号の表紙に長嶋さんが採用されたことからも分かるように,「少年サンデー」の方がプロ野球に関する記事が多かったように思います。その点も私が主として「サンデ-」の方を読んでいた理由なのかもしれません。また,「少年サンデー」の方にも,「マノック産業株式会社」に少年向け通販カタログ広告が載っております(笑)。
「天才バカボン」の「マガジン」から「サンデー」への移籍が起こるなど,この両誌はライバル関係にあったようです。「マガジン」の方は主として劇画路線・スポ根路線が主流,「サンデー」の方は少年向けのマンガにこだわりました。ただ,売上部数からすれば,創刊号こそ「サンデー」が勝利しましたが,その後は「マガジン」の方に軍配が上がりました。
いずれにしても,古書店から私の小学生時代の「サンデー」や「マガジン」を取り寄せて眺めていたこの数日間は,懐かしさのあまり感涙にむせんだ次第です(笑)。
前回の続きで,私が10歳の時に発刊された「少年マガジン」の話です(笑)。
やはりカタログの中から購入したい物の代金相当額の郵便切手を同封し,通信販売という方式で読者少年に購入を勧める広告がありました。私の記憶に近く,「マノック産業株式会社」でした(記憶では「マノック商会」)。私も何度か利用したことがありました。そのカタログを見たらますます懐かしくなりました。「ポケットボーエンキョー」,「かめのこ」,「ヘイワドリ」,「パチンコゲーム」,「コンチュウセット」など商品の絵が手書きで記載されています(笑)。
「★カラーテレビがあたる『交通事故をなくすアイディア』募集!」というページでは,「日本が、すみよい社会になることは、みんなのねがいです。」という冒頭の文章で始まり,少年にどうしたら交通事故がなくなるかのアイディアを募集しています。当たると東芝カラーテレビなどが当たります。選考委員には阿川弘之(作家),松本清張(作家),阿部進(教育評論家),秦野章(警視総監)などの名前が記載されています。当時の編集者や読者層は極めて健全だったのですね。
それに,これも見た記憶が蘇ったのですが,養命酒の宣伝広告が1ページありました。「丈夫になった民男君のお父さん」というタイトルです。それによると,民男君のお父さんは体があまり丈夫でなく元気がないのですが,息子の民男君が少年マガジンの養命酒の広告を見て自分の小遣いで1本買ってお父さんに養命酒を飲ませたところ,お父さんはみるみる元気になり,年末の忙しい時でも会社を休まず元気に働いているという内容です(笑)。懐かしい・・・。思い出した。
「少年マガジン」は巨人の星や天才バカボンなどのマンガが盛りだくさんとはいえ,青少年の教育という点で素晴らしい内容も掲載されています。当時の編集者たちは凄いと思います。私が入手した第49号では,「一行ものしり決定版 なんでも記録集。今週の『元素の巻』で、化学に強くなろう!」と銘打って,それこそほとんどのページの上部余白1行分を使ってためになる化学知識を記載しています。「宇宙でいちばんたくさんある元素は水素。宇宙全体の90パーセントを占めている。」,「現在,地球上には,104種類の元素がある。元素番号1番は水素(104番はクルチャトニウム)。」,「いちばん軽い金属はリチウム。1立方センチの重さが534ミリグラムしかない。」,「ヘリウムはいちばん液体になりにくい元素だ。零下269度でやっと液体になる。」,「しんちゅうは,銅と亜鉛の合金。さびにくく,かたい。」などといった具合です。ためになる少年週刊誌だったのですよ(笑)。
そして当時日本中で話題になったインド大魔術団の全国公演の広告も記載されていました。東京の渋谷公会堂だけでなく,名古屋の名古屋市公会堂などでもインド大魔術団の公演があったのですね。「指定席に500人(親子250組)をご招待」と記されています。
雑誌の末尾には,「なにがよかったか」という読者アンケートもあります。今週号の内容の中で良かったと思うものを目次から3つ選んでもらうというものです。アンケートに対する回答ハガキを送ってくれた人の中から,くじびきで50人に「マガジン特製ボールペン」を進呈となっています(笑)。
当時の編集部のみなさんは営業という点でよく物を考えていた一方,青少年に対する教育的配慮も怠りなく,それでいて少年がワクワクする内容をあれこれ考えていたのだな,頑張っていたなとつくづく思うのです。
確か前回のブログで,私が小学生の時にお世話になった「少年サンデ-」や「少年マガジン」の話題になったかと思います。
「善は急げ!」という言葉どおり,とうとうやってしまいました。「古本」,「通販」という2つのキーワードを入れて検索し,北海道にある2つの古書店から取り寄せてしまいました(笑)。しかも私が10歳の時に発行された号の取り寄せに成功したのです。何とまあ懐かしいこと!思わず感涙にむせぶほどの懐かしさでありました(笑)。
まずは,「少年マガジン」の方からご紹介します。私が取り寄せに成功したのは「週刊少年マガジン第49号(12月3日号)」です。表紙のチャッチフレーズが「100万読者のゆめがいっぱい!日本一の少年週刊誌」と銘打たれています。当時の価格は,何と60円です。
巨人の星,天才バカボン,無用ノ介,ウルトラセブン,ゲゲゲの鬼太郎などなど,盛りだくさんです。巨人の星の飛雄馬は,読売巨人軍に入団して間がなく,まだ二軍で練習に励んでおります。父の一徹は,そっと練習中の飛雄馬の姿をながめ,自分の弁当を飛雄馬に譲るべく,多摩川グラウンドの近所の男の子に頼んで渡してもらいます。その弁当の包みにはさみ込んだ一徹のメッセージが泣かせます。「日やといの仕事で近くまできた やっとるな ほうびに明子とくいの日本一うまいにぎりめしをゆずろう 父」
またバカボンのパパは相変わらずで,家族と一緒に柄にもなく高級レストランに行き,手当たり次第に注文し,お会計の際に8230円(当時のお金では相当高額だと思います)の代金を支払うのに5000円札を店員に出し,「5000円でおつりある?」などと寝とぼけたことを言っております(笑)。
本当に懐かしい・・・。この私が10歳の当時の「少年マガジン」の内容の続きはまた次回に(笑)。
グーグルの検索画面を出してみましたら,上村松園という素晴らしい日本画家の「序の舞」という作品の画像が出ていました。これって,確か日本の切手にもなっていましたね。
本当につくづく思いますのは,日本の切手は素晴らしいということです。切手収集マニアが世に厳然と存在し,切手の買い取り業者もいて,古く懐かしい切手の売り買いも成立している状況には十分に頷けます。仏像や遺跡,建造物,源氏物語絵巻などの国宝,浮世絵,国立・国定公園などの風景,鳥や植物などなど,日本の切手は見ていて飽きることがありません。
私の少年時代も,子どもながらに日本の切手の素晴らしさを感じておりました。ただ,家庭がそれほど裕福ではなくお小遣いにも限度がありましたから,本格的な切手収集には至らず,切手収集帳が確か1,2冊あった程度です。源頼朝像の切手などを持っていたのは覚えております。見返り美人や月に雁などの高額品には手も出ませんでした。
先のグーグルの検索画面を見ていて思い出したのは,私が少年時代に発刊されていた少年マガジンや少年サンデーの中にあった青少年向けの通販の宣伝広告のことです。本当に懐かしい。「ゆうびんで手軽に楽しいお買い物!」などといったキャッチフレーズで,確か購入したい商品名と住所,氏名,それに代金相当額の郵便切手を同封して申し込むのです。そうすると,10日くらいで希望の商品が届くのです。小学校で授業を受けていても,商品が届くのが待ち遠しくて仕方ありませんでした(笑)。
今でも業者名として覚えているのは,確か「マノック商会」だったか「マノック産業」とかいう名です。私はここに申し込んで,何とかスコープとかいった商品名の望遠鏡のようなものや,顕微鏡なども購入した記憶です。またこのように,青少年向けの通販(切手で購入する形)の広告を出していたのは他にも数社あった記憶です。たいていは,こういった業者の広告では収集用の切手も販売していましたから,切手買い取りや販売も営業していたのでしょうね。というのも,広告(カタログ)の上部には,決まって切手の画像もあったからです。
懐かしい・・・。これも遠い昔の記憶です。
晴れ間というものを久しぶりに見た気がしたでござるよ。春雨という言葉は確かにありますが,例年のこの時期,こんなに雨が降りましたかね。久しぶりのお天道様がまぶしい(笑)。
将棋で次の一手を指すとき,攻守のどちらの戦略を選ぶべきかを直感的に決める脳のメカニズムを,理化学研究所の研究チームが突き止めたとの新聞記事がありました。理化学研究所というと最近は暗いニュースばかりでしたが,これは明るい話題ですね(笑)。何でも,攻めの価値が高い場合(攻めるべきと判断した場合)は大脳の内側面にある帯状皮質と呼ばれる場所の後部が,一方,守りの価値が高い場合(守るべきと判断した場合)にはその前部が,それぞれ強く活動していたことが分かったそうです。だからどうなんだと言われればそれまででしょうが・・・(笑)。
確かに将棋を指していて,ここは攻めるべきか守るべきかの判断に迷う場面はしょっちゅうです。これは私の傾向ですが,自分が不利な局面では「ええいっ!ままよ。」てなもんで,自陣を省みずに攻めまくることがありますし,相手がススメバチのように非常に攻撃的である場合には,「どっからでもかかって来い!」とばかりに,受けて受けて受けまくり,相手を受け倒して,手も足も出ないようにしてしまうこともあります(笑)。やはり将棋というものは,攻守のバランスが取れていなければならないと思います。
雨がちだったとはいえ,気温はそこそこ高めだったこともあり,先日無性に酒のつまみに冷や奴が食べたくなり,久しぶりに食しました。美味しかった。私は冷や奴にするなら絹ごし豆腐を,鍋にするなら木綿豆腐と決めています。麻婆豆腐の場合にはその時の気分次第です(笑)。
豆腐と言えば,先日の産経新聞のコラムでは面白いことが書いてありました。これは私も知っていたことですが,昭和24年の将棋の対局の際,木村義雄名人と升田幸三八段とが,豆腐がもとで言い争いになったことがありました(笑)。「木綿豆腐」派の木村を「絹ごし」派の升田が鼻で笑った。「専門家から見りゃ、木村名人の知識なんかゴミみたいなもんだ」と。「名人がゴミなら君はなんだ」と渋面の木村に,升田は応じた。「ゴミにたかる蠅(はえ)ですか」。これは対局前夜の一幕だそうです。
升田幸三といえば往年の大棋士です。終戦直後にGHQに呼ばれ,将棋禁止という危機の場面で,GHQを向こうに回し「まずは酒を吞ませろ。」と言って,出されたビールを「まずい。」と率直に述べ,結局は将棋を禁止しようとしたGHQを言い負かした人物です。それに升田と言えば,「新手一生」が信条の棋士。「新手一生」とは,定跡にとらわれない新しい将棋の指し手の創造に一生を賭けるという意味で,彼が生涯の目標とした言葉です。今をときめく羽生名人をして,是非とも対局したかった棋士と言わしめた人なのです。
升田さんは「絹ごし」派です。
今年はジャイアンツに期待はできませんね。試合内容がよくありません。とても補強に成功したとは思えない。
先日の大竹が先発した対中日の試合なんか,打つ方はたったの2安打。失点は9点。0-9の完敗です。酒がまずいったらありゃしない(笑)。よく「投打のバランス」が良いとか悪いとか言われますが,今のジャイアンツはバランス以前の問題です。だって,打つ方も守る方も両方ダメなんですもの(笑)。
おまけに,名古屋グランパスときたら,4節が終了した時点で18チーム中,18位です。つまり最下位です(苦笑)。2分け2敗でまだ1勝もできていません。1勝もできていないのはグランパスだけです。現在の監督はプロとしてどうなのでしょうか。少なくとも去年と同じ課題を抱えたまま,改善されないままで推移しているというのは解せません。というのも,監督というのは修正能力,学習能力が備わっていなければ務まらないと思うからです。
さてさて,愚痴ばっかり言っていてはいけませんので,少しは「肯定的」な話題を1つ。実は最近「表現者」という名前の隔月刊の雑誌を見つけ出し,この本を大いに評価しております。大変面白く,参考になります。この「表現者」という雑誌のタイトルの右上には,「『保守』の本質に立つオピニオン誌」と銘打たれています。
最新号の特集は「プラトンに倣い、民主主義を疑え」です(笑)。冗談抜きでとても参考になりますし,普段私が思っていることだらけの内容です。
今日はこの特集のことについては触れませんが,それとは別に,この号で澤村修治という方が「記憶の王国-暴れん坊と畸人の時代」というタイトルで非常に面白い記事を書いておられたので,この記事の一部について触れます。
男性諸氏よ,あなたは小用を足したあと,ちゃんと手を洗っていますか?(笑)。澤村さんの記事には中央公論社などで大活躍されていた安原顯さん(物故者)という畸人についておもしろおかしく記されていました。安原さんは小用の後,手を洗わなかったようです(笑)。「ウッシッシ!」という笑い方が特徴だった安原さんが,自分が手を洗わないことを指摘された時の言い分が凄い。「フランスでは、アランドロンも手を洗わないんだよ。みんなそれで愛を語っているんだ。」・・・(笑)。
そうか,あの天下の美男俳優,「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンも手を洗わないのか・・・。洗わない手のままで,美しい女優の耳元で愛の言葉を囁いていたんだ・・・(笑)。
その記事に触れて思い出したのは,私が幼少の頃に通った近所の駄菓子屋さんのおじいさんも手を洗いませんでした(爆笑)。そのおじいさんはとても無口で,近所の子供たちから注文を受けては,独特の形をしたガラス容器の中に入ったあめ玉やせんべい,クッキーなどを袋に入れてくれました。手で・・・。そのおじいさんは,店の前の道路の反対側を流れていた小さな川で小用を足していました。幼少の私もその後のおじいさんの行動をつぶさに観察していたのですが,どうやら普段から手は洗っておりませんでした(笑)。
私の姉や母はそのことを家で非難しておりましたが,私は特に意に介さずに相変わらず小銭を持ってその駄菓子屋さんでお菓子を買っておりました。今も思い出しますが,昭和の駄菓子屋さんというのは本当に牧歌的というか,おおらかな雰囲気が漂っておりましたね。
でも,手はちゃんと洗いましょうね。
子どもの不慮の事故が新聞紙上に載っていますと,本当に心が痛みます。この「不慮の事故」というのは5歳から9歳までの死亡原因の第一位なのだそうです。
今でも思い出すのですが,私がとても幼少の頃,弟思いの姉が良かれと思って私に丸いあめ玉を頬張らせたことがあり,これが喉に詰まってしまったことがあったようです。その時私は目をパチクリさせて苦しがっていたようで,これを発見した母親が背中を叩くなどして事なきを得たのです。その一件に触れられる度に姉が済まなそうな表情をしていたのを思い出します(笑)。
日本会議の機関誌の「日本の息吹」には,「子育て支援塾」と題する田下昌明さん(小児科医・医学博士)の連載記事があります。この4月号でもう132回も連載されていますので,さぞかし好評なのでしょう。私もこの連載記事はとても参考になり,楽しみにしております。
なにしろ田下先生は子の親としては勿論,小児科医としての多年にわたる経験を積まれており,この連載記事も,親として,そして小児科医としての経験と知見がちりばめられておりとても参考になるばかりか,とても説得力があるのです。子どもの躾け,食育,不慮の事故からの守りなどなど,そこに一貫しているのは学校教育もさることながら,まずは何よりも家庭における「子どもの育み」という観点です。4月号でも,田下先生は「子どもが貯水池に落ちて溺死した場合など、持ち主の管理が悪いとか、市町村の指導が至らないとかいう理由で訴訟を起こすのが当節流行のようですが、かりに訴訟に勝ったとしても、親の腹いせにはなるかもしれませんが死んだ子供と先祖に対する責任は免れるものではありません。」とコメントされており,その通りだと思います。
以下,なるほどなと思った箇所を引用しておきましょう。
「子育ての最中は本当に一寸一刻も子供の事故のことを忘れてはいけません。中でも特に注意しなければならないのは、来客の時、または子供を連れて友人の家へ行った時です。親は楽しく話がしたいために、あるいは客に気をつかって、『うるさいから、ちょっとあっちへ行ってなさい』というようなことをやりがちです。こういう時が危ないのです。子供は親の友達に相手をしてもらいたいものです。それを追い払われると、〝つまんないなぁ〟という気持ちになって、ふだんはやったことのない、とっぴなことをやらかすのです。また、四歳から六歳ぐらいの少し年長になっている子供は、来客の時は少しぐらいのいたずらでは叱られないことを知っているので、これは絶好のチャンスとばかり、ふだん親から禁止されていることをやってみる気になるものです。」
なるほどね・・・。思い当たる節もあります(笑)。親は,不慮の事故から子供の命を守ってやる義務がありますし,育んでいくという観点を忘れてはならないと思います。
桜が満開です。とても美しい。最近,朝の徒歩通勤の経路を変えてみました。その途上には2つの小学校があるのですが,いずれもそれはそれは見事な桜が咲いております。そういえば,私が小学生だった頃も,中学生,高校生の頃も学校の敷地には桜の樹があったと記憶しております。
わが日本国では,昔から学校の敷地には桜の樹を植える文化が連綿と続いているのでしょうかね。桜は日本の国花ですからね。
「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」(本居宣長)
桜という花は,自然の呼び声(風)に応じていつでもこの世を去る覚悟ができている花で,その見た目の美しさも勿論ですが,その潔さ,儚さがまた魅力なのでしょう。
さて,桜の美しさとはうって変わって,ちっとも美しくない中国共産党のお話になってしまいます。中国が主導して設立準備が進められている「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」という代物・・・。世界銀行,アジア開発銀行,国際通貨基金(IMF)などの既存の国際金融機関があるのに,何で中国が主導して新たにこのような代物を作る必要があるのでしょうか。
これに既に参加を表明し,また参加予定である国は40か国を超え,ドイツ,イギリス,フランス,イタリア,ロシアなどの主要国も参加を表明するに至っていますし,カナダやオーストラリアも参加のようです。アメリカは様々な面で透明性に欠けるなどとして現在は消極のようです。日本国が最終的にどう態度決定するのかは分かりません。
でも,考えてみれば,中国という国は中国共産党が一党独裁している国です。中国のあらゆる政府組織,中央銀行(中国人民銀行)も,軍と同じく習近平党総書記・国家主席を頂点とする共産党中央の指令下にあります。AIIBの運営は党中央の意思に左右されてしまうことは明らかなのではないでしょうか。
田村秀男さん・・・,こういう編集委員がいるから産経新聞はとてもまともな新聞だと思います。この田村さんの「日曜経済講座」が日曜日の産経新聞に掲載されていました。ちょっと引用してみましょう。
「例えば、党中央が必要と判断したら、北朝鮮のAIIB加盟がただちに決まり、同国向け低利融資が行われ、日本の経済制裁は事実上無力化するだろう。東南アジアや南アジアでの中国の軍艦が寄港する港湾設備がAIIB融資によって建設されることもありうる。そう、AIIB問題の本質は外交・安全保障であり、平和なインフラ融資話は表看板にすぎない。」
「中国がAIIBを創立し、アジア地域全体でインフラ投資ブームを演出する背景には、自身の窮状を打開するためでもある。鉄道、港湾、道路などで需要を創出し、中国の過剰生産能力、余剰労働力を動員する。そのために必要な資金はAIIBの名義で国際金融市場から調達する。そして、中国主導の経済圏が拡大するにつれて、人民元が流通する領域を構築する。各国が人民元に頼るようになれば、外交面での中国の影響力が格段に強化される。AIIBは党支配体制維持・強化のための先兵なのである。」
そうか,外交・安全保障面での野望と減速した自国経済立て直しの野望,ひいては中国共産党による体制維持・強化という野望が背景にあるのですね。それにしても,銀行のATMからでさえも平気で偽造紙幣(人民元)が出るような国ですもの(笑),こんな国を中心とした人民元経済領域が拡大してしまうのはたまりませんし,これが現在の基軸通貨に取って代わるとも思えません(笑)。
ただし,インドも,いわゆる「真珠の首飾り」作戦で中国に軍事的に取り囲まれないようにしなければなりませんよね。中国としては自国経済が減速傾向にあり,過剰な労働力と在庫をもてあましておりますから,大規模インフラ建設工事に融資することで自国(中国)の企業に受注機会を与え,生産資材を海外輸出して経済立て直しを図ろうとしているのです。アフリカで頻発しているように,大量の中国人労働者が海外に打って出て現地住民から反感を買わないとも限りません。
中国としては,前記のような野望があるからこそ,このAIIBに関し,中国は当初から資本金の50%出資を表明し,今後出資国が増えても40%以上のシェアを確保しようと躍起になっている訳ですね。
「あれから4年」と言いますと,やはり東日本大震災という未曾有の不幸を思い浮かべます。その4年前の2,3月ころは,私は同業者(弁護士仲間)の京都旅行企画のうち「新選組コース」の責任者でした。私はB型でマイペースな性格の割には意外に緻密な方で,3度にわたって下見に行ったものです。あれからもう4年が経ちますか・・・。
その実際の京都旅行の1日目にあの東日本大震災が起こったのです。私は京都にいるその日の夕方にこの不幸を知りました。大震災が起こったのはちょうど私たちが京都御所の蛤御門から壬生の八木邸にバスで移動する最中(午後2時46分)のことでした。その1日目の晩には宴会が予定されていたのですが,一時は旅行中止が真剣に検討されてもいました。今でも思い出しますが,何とも言えない気持ちの宴会ではありました。
「新選組コース」の下見の時にはその行く先々で割と親切な人たちに出会ったのを覚えています。新選組記念館の館長であるとても人なつっこい青木さん,光縁寺(山南敬助ら新選組隊士たちの墓地があります)のご住職,伊東甲子太郎受難の地の油小路にある本光寺の近くの理容店の店主・・・,みんな親切でした。
月日の経つのは本当に早いものです。
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