私は,昔も今も,近鉄特急に乗って三重県方面の裁判所に出張することがたまにあります。ついこの前も津の裁判所に行きましたし,一昨日も伊勢の裁判所に行ったのです。
特急電車に乗っていて思いましたのは,最近は旅行者が増えたな,特に伊勢神宮に参拝に行かれる人が増えたなということです。近鉄の駅のうち,宇治山田で降車される人が特に多いと思います。みんな手に伊勢名物「赤福」餅をぶら下げています(笑)。
そういえば,私もある方から誠にかたじけなくも,伊勢神宮の参拝券をいただいております。有効期限は特にないということですが,近々行かなければ・・・。いや,春風に誘われて是非伊勢神宮に行きたいのです。あの荘厳な雰囲気に触れたいと思います。
「何事のおわしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
これはかの西行法師が伊勢神宮を参拝した際に詠んだ歌です。日本人の宗教観がよく表されておりますね。ああ,ちょっと今は忙しくて何ともなりませんが,もう少ししたらカミさんと一緒に伊勢神宮に行って参ります。
それにしても,新聞の広告にあったのですが,「綾小路きみまろ爆笑!スーパーライブin伊勢へ行こう!」というのがありました(笑)。そして思わず噴き出してしまったのは,このツアーは何と「18歳未満の方は参加できません。」とされていたことです(爆笑)。一体全体,どんなネタなんでありましょうか。18禁だそうです。18歳未満のお子さんと親御さんとを切り離してしまうなんで,ホントに罪なツアーです(笑)。
今朝の新聞を読んでおりましたら,中国の大気汚染はもはや地獄の様相を呈していますね。あれは本当に人が住むべき所なのでしょうか。画像で見てもとても酷いことになっているのが手に取るように分かります。大気が灰色で,すぐ近くの地点でも見通しが悪い状況です。
記事によると,中国国内でモニタリングが行われている161都市のうちPM2.5の濃度が重度汚染以上のレベルになったのは57都市に上り,その平均値は何と150マイクログラム/㎡以上ということです。このうち15都市では250マイクログラム/㎡を超えたというのです。やはり,さながら地獄のようです。
PM2.5の基準値に関しては,我が国(日本)では1日平均で35マイクログラム/㎡を超えた場合には呼吸器系あるいはアレルギー疾患のある人を対象に外出時のマスク着用,帰宅時の目洗い,うがいなどを促しておりますし,70マイクログラム/㎡を超えた場合にはすべての人を対象に外出や激しい運動を控え,部屋の換気などを最小限にすることなどを呼びかけています。でも,昨日もそうでしたが日本全国を見渡せば,大陸由来のPM2.5の濃度がかなり高くなっている地域が相当にあります(福知山市,新潟市,岩国市,長岡市,鯖江市,天理市,広島市などなど)。本当に迷惑な話です。
中国共産党は対外的に我が物顔で威張りちらし,膨張と衝突と威嚇とプロパガンダ(もちろん虚偽事実の吹聴)を繰り返していますし,領域内の少数民族や自国の人民にまでも人権弾圧を繰り返しています。もっとやることが他にあるだろう,と言いたい。そう・・・,まずは人民に安全な水,安全な空気,安全な食品を確保するのが最優先課題だろう,ということなのです。それらは国家としてなすべき最低限のことです。
2月25日,中国を訪問していたスウェーデンのビルト外相は,「空気が不快だ。」,「スモッグが数日で消え去ることを心から願っている。気分が悪く,有害だ。」とコメントしています。
ホントに・・・,中国は月面探査機を打ち上げている場合ではないでしょう。
・・・・・・・・・・・・あれっ?そういえば,昨年末,中国は月面探査機を飛ばしましたね。中国はテレビや新聞で,世界で3番目に月面への着陸に成功したとこれみよがしに報道していました。中国大好きの朝日新聞などもドヤ顔で報道していました。・・・でも,その後続報というものが全くありません(笑)。あれから月面に到達したという探査機はちゃんとお仕事はしているのでしょうか(笑)。そもそも本当に月面着陸に成功したのでしょうかね。
日曜日の夕方は,外出していない限り,NHKの「猫のしっぽ カエルの手」という番組を観ております。出演されているベニシア・スタンリー・スミスさんという方は,京都の大原の古民家で暮らしているイギリス人女性ですが,何とも言えない精神的な奥深さを感じ,思索的で芯の強い方のように見受けられますし,何よりも日本の文化に完全に溶け込んでおられ,かつ,日本の文化を高く評価してくれているようで,何やらとても嬉しく思います。この番組を見終わるといつも何かほんのりとした気分になるのです。特に彼女のエッセイが良いですね。
彼女の出自は伝統ある英国貴族の家系ですが,心が満たされなかったのか,19歳でインドなどバックパッカーとして世界を放浪する旅に出ます。そして1971年に九州南部に辿りついて以降は日本で過ごすことが多く,1996年からは京都・大原にある築百年を超える古民家に移り住み,豊かな自然や優しさ溢れる人間関係の中で余生を送られています。
日本という国,人,自然,文化,歴史,伝統については,そこに住む日本人にはその良さがそれなりに分かっているとは思うのですが,外国人から評価されることをきっかけに,改めてその良さを再認識するということは確かにあると思います。NHKの「猫のしっぽ カエルの手」という番組を観ていてもそのように感じます。「逝きし世の面影」(渡辺京二著,平凡社ライブラリー)という本は,これまで私が読んだ本の中でも特に印象的で正に名著というべき著作ですが,江戸末期,明治時代に訪れた諸外国の外交官,軍人,文化人らが当時の日本及び日本人に接した率直な感想,描写がこれでもか,これでもかと紹介されています。自然の豊かさ,人々の表情の明るさ,子どもをかわいがる親,おおらかな風俗(混浴,行水など),礼儀正しさ,民度の高さ,優しさと思いやりの心,工夫された愛らしいおもちゃや工芸品,簡素で清潔な生活スタイル,清貧などなど・・・。
この番組は,ベニシアさんの京都・大原の住まい(古民家)での日々の生活(ハーブ栽培,造園,手料理,地元の人々とのふれあい,知人との交流,自然探索)をテーマとするものが多いのですが,2月9日(日)放送のこの番組は「祈りの道~熊野古道・高野山~」というタイトルでしたし,2月23日(日)放送のそれは「雪国のぬくもり~福島県会津地方~」で,いずれもベニシアさんが遠出の旅をしながら日本の豊かな自然に触れ,旅先での人との交流を通じて触れ合い,感動を新たにするというものでした。海外旅行ももちろん興奮しますし,刺激もあり,楽しめることは勿論ですが,こういう番組を観ておりますと,改めて日本の豊かな自然と文化を再評価することができます。
冬の季節に入ってからもう大分経ったような気がしますが,出勤時に街を歩いていて,今が一番寒いと感じます。本当に「立春とは名ばかりで」という時候の挨拶のとおりです。
さて,そのご夫婦を見かける時は,たいていは奥さんがこれから出勤しようとするご主人を見送る場面です。私の自宅近くにある銀行員の社宅と思われる共同住宅の門の前に奥さんが立ち,50メートルほど先にある曲がり角でご主人の姿が見えなくなるまでずっと見守っておられ,その曲がり角の所で必ずそのご主人と奥さんが再び向き合い,互いに手を振って別れるのです。40歳代前半と思われるそのご夫婦の間では,ごく自然にそのような振る舞いができるのでしょうし,結局はお互いが感謝し合っているからでしょうね。朝,いつ見かけても微笑ましく思います。
手前味噌になりますが,我が家でもそのような伝統はあり,家族の誰が出かけても,また家族の誰が帰宅しても,玄関ドアの所まで他の家族が「(行ってきます)行ってらっしゃい」と見送り,他の家族が「(ただいま)お帰りなさい」と出迎えます。誠にありがたい伝統だと思っております。
さて,感謝といえば,産経新聞の社説でも指摘されていたように,今回のオリンピックの表彰台こそ逃しましたが,スキージャンプ女子の第一人者,17歳の高梨沙羅選手も,ワールドカップで勝ち星を重ねるごとに,競技の振興に今まで力を尽くしてきた先輩女子ジャンパーへの感謝を口にします。私も以前から気づいていましたが,彼女はインタビューを受ける際,いつでも「今の自分があるのは先輩たちのお陰です。」とのコメントを欠かさないのです。いつも謙虚だし,いつも感謝の気持ちを表します。素晴らしいことだと思います。
ある記事で読んだのですが,元女子スキージャンプ選手で,現ジャンプ女子日本代表コーチの山田いずみ氏が過去を振り返って仰るところによれば,今から20年ほど前は「女子にジャンプは不可能」という偏見があり,アスリートとしての未来は簡単には描けず,大会出場は断られ続け,試合開始前の試技にとどまることが多かったようです。山田いずみ氏が中学生の頃,長野県飯山市の大会で女子の部が設けられたが,出場者は彼女ただひとりで,どんな成績であっても山田氏に渡ることがわかりきった優勝賞品としてティアラが用意されていた。しかし,山田氏に続いて葛西賀子が女子ジャンプ界に現れ,渡瀬あゆみや伊藤有希らもこれに続いていく。女子ジャンプ界の先駆者たちは偏見と闘いながらも,ともに団結して女子ジャンプ界を盛り上げてきた。
ワールドカップ等で今や押しも押されぬ第一人者になった高梨沙羅選手は,若年ながらもそういう苦難の歴史を十分に知っているからこそ,「先輩」への感謝をことあるごとに口にするのでしょう。
また日本国中が大雪に見舞われていますね。名古屋に限って言えば,今年二度目の大雪です。東海道新幹線や在来線でも運休や遅れが出ているようです。影響を受けた方々はお気の毒です。
実は昨日は東京出張でした。一日ずれていたら私もダイヤの乱れの影響をまともに受けるところでした。昨日はお昼頃に東京駅に到着したのですから,当然のように,ごく当たり前のように,そして夢遊病者のように八重洲中央地下の旭川ラーメン「番外地」で塩バターコーンラーメンを食べました。少し行列ができていて待たされたのですが,食券を売ってくれるいつものご婦人は割と綺麗な方で感じが良く,ラーメンも美味しかったので,ここで列に並ぶことは特に苦になりません。
昨日の東京家庭裁判所でのお仕事は遺産分割調停の事件でしたが,その日の話し合いは思いの外早く終了し,次回の調停期日を決めて同裁判所を後にしました。普段ならば必ずどこかに寄り道をしていくのですが,この日は特に寒く,また私の懐具合も極寒状態で(笑),お小遣いも僅少でしたので,しぶしぶ帰途につくことになりました。新幹線の中でチーズかまぼこを肴にエビスビールをいただく程度のささやかな贅沢をしただけです(笑)。
さて,大阪市長の橋下徹氏は「出直し選挙」をするつもりですね。しかし大義がなく税金の無駄遣いと言わざるを得ません。「大阪都構想」のための区割り案の確定が進捗しないから「民意を問う」と言ったって,そもそも議会の議員構成が変わらなければ結論も変わらないでしょう。もともと彼が求める民意というのは「ふわっとした民意」であって,熟慮に熟慮を重ねた賢明な民意などではなく,少し前に言われた「B層」的な民意,あるいは「大衆の反逆」でオルテガが述べたところの「大衆」の民意なのでしょう。実は橋下という人に求められているのは,大阪市長として任期途中でその職務をほっぽりだすことではなくて,与えられた任期を全うし(大阪市が抱える問題は「都構想」だけではないはずです),市長としての日々の職務遂行に加え,彼が標榜する「大阪都構想」の実現に向けての粘り強い交渉,説得だろうと思います。
もっとも,二重行政の排除などを目的とする「大阪都構想」ですが,私は少なくとも「都」という名称には反対です。「都」というのは皇居が存在し,天皇陛下が御座(おわ)します場所を意味する以上,東京都だけなのです。
先日の読売新聞の「編集手帳」の次の記事には感心しました。本当にうまいことを言うものです。
「〈「ふ」を「と」へと橋下棋士が秘策練り〉。歩(府)が〝と(都)金〟に成る妙手は、いまだ見つからない。」
読売新聞の朝刊には月に1回ペースでしょうか,「五郎ワールド」というコーナーがあり,特別編集委員の橋本五郎さんの記事が掲載されています。正直言ってピンと来る時とそうでない時とがありますが(笑),2月8日の記事は大変興味深く読ませていただきました。7年前に腎臓がんのために46歳の若さで亡くなられた哲学者池田晶子さんの生前の思い出や(私も池田晶子さんの思索に富む著作に一読者として触れたことがありました),その死の直前に出版された対談集の池田さんとの対談者であった大峯顕さん(大阪大学名誉教授)の発言などが紹介され,生きることの意味について改めて考えさせられました。
実は私も晩酌しながら,うちのカミさんや娘に「死ぬことはあまり怖くない」,「いつ死んでもそれほど後悔はないだろう」などと強がりを言うことがありますが,果たして今際(いまわ)にも同じ考え,気持ちでいられるだろうかと思うと,疑問です。
プラトンは,哲学とは,そして「ものを考える」とは,「死の練習」だと言ったそうです。そして,「自分にはいのち根性がない」,「私、死ぬのを怖いと思ったことがない」というのが哲学者池田晶子さんの口癖だったそうです。対談者の大峯顕さんに対しても「(死ぬことよりも)つまらない生を生きる方が怖い」とも仰ったそうです。でも池田さんが亡くなる4か月前に,大峯さんに届けられた池田さんの手紙の中には,「ひとつ気がついたのは、例の”いのち根性がない”ということ、生きようとするのは執着なのだと私はずっと思っていたのですが、どうもそうではないようですね。人が生きようとするのは意志、生命本来の意志として肯定さるべきことのようなのです」という言葉が記されていたとのこと。
これを読んだ大峯さんは大いに喜び「明るい孤独な思惟の中で池田晶子の長い旋回はついにその最終的な局面に入っていたに違いない」と思われたそうです。なるほど・・・。私も晩酌などをしながら,あんな軽口をたたくものではないとつくづく反省させられました。そんなことをしている暇があったら,ハイデッガーの説く「本来的時間」を生きようとしなければなりません。
橋本五郎さんは,大峯さんから次のようなエピソードも教えてもらったということもその朝刊の記事に書いていました。
江戸時代後期に仙崖義梵という臨済宗妙心寺派(古月派)の禅僧がいた。辞世に「老師、一句書いてください」と色紙を渡され,どんな覚(さと)りの言葉を書くのかと思ったら,何と「死にとうない」だった。これでは示しがつかないと困った弟子は「老師、もう一言何か」と頼んだら,小さな字で「ほんまにほんまに」と書いた。
たとえ史実に反し間違っていることでも,嘘を言い続ければ,そしてゴリ押しすれば何とでもなると思っているのでしょうね。韓国という国は・・・。辟易します。
日本海は日本海でしょうに。この海がたとえ朝鮮半島の東方にあるからといって,「東海」などにはなりません(笑)。日本海という呼称は歴史的にも国際的にも確立しております。アメリカの韓国系団体はロビー活動をさかんに行い続け,とうとうバージニア州下院教育委員会は「日本海」と記載されている州内の公立学校の教科書に,韓国政府が主張する「東海」を併記させる法案を可決してしまい,これは本会議でも可決される見通しとなっています。そもそも韓国が日本海の呼称を「東海」にするように変更を主張しだしたのは1992年からなのです。日本憎しならば何でもありです。
韓国系団体はアメリカのグレンデール市その他の数か所に,やはりロビー活動で訳の分からない,しかも歴史上強制性を裏付ける証拠も,そして存在そのものが否定される「従軍慰安婦」なるものの像を設置させています。まったく史実も何もあったものではありません。やはり日本憎しならば何でもありです。
それにしても,いくら特定の地域で韓国系移民が多く,政治資金と票に結びつくからといって,賛成票を投じたアメリカの議員には見識も節操もなく,彼らには一体全体誇りというものがあるのでしょうか。ただ,救われる思いがしたのは,アメリカのワシントン・ポストは2月3日の社説で,「(学校で)教える歴史は、歴史家の優れた判断に準拠されるべきだ」とし,議会が立法措置により歴史認識に判断を下すことは妥当でないとの認識を示していますし,さらに韓国系団体がロビー活動を展開し法案を推進している現状を踏まえ,「『バージニアには韓国系が多くいる。日系人はとても少ない』という考慮によるべきではない」と反対しております。また,地元紙の「リッチモンド・タイムズ・ディスパッチ」(2月3日付け)も社説で,「議会と議員は、教科書の問題に関与し学校(教育)の詳細を管理すべきではない」,「州は何であれ、連邦政府が採用しているものを採用すべきだ。それは『日本海』だ」とし,アメリカ連邦政府と同様,「日本海」の単独呼称を支持すると明確に主張しております(産経新聞)。
韓国政府は,今年4月下旬のアメリカのオバマ大統領の日本訪問と東南アジア訪問にも横やりを入れています。日本では国賓待遇として2泊する方向で調整されていた中,日本に寄るなら韓国にも寄れと言わんばかりに,1月7日に韓国外相が訪米してゴリ押ししたため,日程調整が難航し,日本1泊,韓国1泊の可能性も出てきました。そうすると,日程的に日本では国賓待遇というものができません。とにかく韓国という国は,日本が憎くて仕方がないのでしょうし,少しでも日本が優位に立っている状況に我慢がならないのでしょう。レベルは違いますが,2002年のワールドカップ誘致を日本が推進していた時に韓国が横やりを入れ,共催に持ち込まれた時のことを思い出してしまいました。東京オリンピック招致の際にも,プレゼンテーションの直前に農作物が放射能に汚染されているとでも言わんばかりに輸入禁止を発表するという嫌がらせをしましたものね(笑)。
日本としても,これほど日本を嫌っている韓国とは,無理してまで,そしてこれ以上譲歩してまで仲良くする必要はないのではないでしょうか。韓国さんもあまり図に乗らない方が良いと思います。韓国が日本から輸入している製品(財)を金額が大きい順に並べますと,「プラスチック=約3755.6億円」,「有機化合物=約3695.7億円」,「鉄鋼のフラットロール製品=約3558.5億円」,「半導体等製造装置=約2695.7億円」,「科学光学機器=約2405.9億円」,「半導体等電子部品=約2231.6億円」,「電気回路等の機器=約1498.3億円」,「ガラス及び銅製品=約1381.9億円」,「石油製品=約1213.9億円」,「電気計測機器=約1158.8億円」と,見事に資本財,つまりは企業が生産活動のために必要とする財ばかりが並んでいるのです。韓国は日本からこのような類の資本財を輸入しなければ生産活動が不可能なのです。韓国の経済モデルは,中東などから資源を(実は石油なども日本の総合商社から購入していると聞いたことがあります),日本からは「資本財」を輸入し,国内の加工・組み立て工程を経て外国に輸出することで「付加価値」を稼ぐというものです(MSN産経ニュース)。要するに組み立て,輸出が中心で,独自の技術では先に列挙した資本財そのもののような付加価値の高い物は作れないのです。貿易依存度も高く,外需依存度も高いため,ある意味では為替相場や国際的な景気の影響を受けやすく,脆弱な体質をもっています。
反日工作もほどほどにしてね・・・。
もー,むちゃくちゃでんがなー,この忙しさー(笑)。ブログを更新する時間もありません。でも毎月最低10回は更新するという記録は,やはり日本全国約6197万人の読者のためにも(笑),是非とも維持していかなければなりません。
そこで本日苦し紛れに選んだテーマは「寅さん」です。みなさんはご存じですかね,BSジャパンというチャンネルでは,今,毎週土曜日の午後6時54分から「土曜は寅さん!」という番組で「男はつらいよ」の映画が放送されているんですよ。フーテンの寅さんの「48通りの恋模様」ってなもんで,観ているとやはり面白いんですよ。いつも私は晩酌をしながら,うちのカミさんと一緒に観ながら笑っております。
「ああ,やっぱり今回も寅さんは失恋するんだろうなあ」とか,「あっ,このシチュエーション,このあたりで『とらや』の店先にひょっこり寅さんが現れるんじゃないか」とか,「きたきた,この怪しい雲行き,タコ社長と寅さん,つかみ合いの喧嘩になるんじゃないか」なんて思いながら,楽しんでおります。隣で一緒に大笑いしているカミさんも,やはり私と一緒に昭和の懐かしい時代を経験し,平成に生きながらえている,何か戦友みたいな存在に思えてきます。
でも,考えてみますと,寅さんの渥美清さん,おいちゃんの下條正巳さん,おばちゃんの三崎千恵子さん,御前様の笠智衆さん,タコ社長の太宰久雄さん,みんな鬼籍に入られていますね。本当に,本当に,無常ということを感じてしまいます。
「それを言っちゃあお仕舞いよ」,「貴様,さてはインテリだな?」,「相変わらず馬鹿か?」,「結構毛だらけ猫灰だらけ」・・・・いろいろな名セリフがありましたね。夕食後の長い団らんを終えて,寅さんが二階に上がっていく前には,「今夜はこのへんでお開きってことにするか」と言うんです。結構いい映画だったと思いますよ。
うちのカミさんと娘はそれぞれ自分の自転車を持っていますが,私は自分の自転車を持っていないため,仕事でもプライベートでもよく歩き,自転車には乗りません。タクシーや公共交通機関を利用していない限り,私はいつも「歩行者」なのです。
でも,前にもこのブログに書いたことがありますが,歩行者としていつも不快に思い,時には恐怖感さえ覚えるのは,マナーの悪い自転車乗りです。私が敵視しているのは(笑),自転車そのものでも,自転車を利用している人一般でもありません。あくまでも「マナーの悪い自転車乗り」なのです。私にとって彼らは仮想敵国なのです。
彼らはもの凄いスピードで歩行者の脇を通り過ぎて行きますし,人と人との間隔が余りない所でも決して自分が譲歩することなく,徐行もせずに縫うようにして通過していきますし,信号の変わり目近くになれば他者に注意を払うこともなく猛スピードで交差点内に進入していきます。時にはスマホや携帯電話をいじりながら自転車に乗っているバカも珍しくありません。そういえば,昨日の朝だって顔も体型もバカボンにそっくりな高校生風の男子が,両ハンドルから完全に手を離し,イヤホンか何かをいじりながら自転車を走行させておりました。自転車といっても,道路交通法上「軽車両」に分類はされておりますが,「車両」の定義に含まれているのです。マナーの悪い自転車乗りは「車両」に乗っているという自覚がありません。残念なことですが,マナーという点,そして他者への思いやりという点では,確実に日本人が劣化しているなと痛感します。自宅から事務所まで徒歩通勤をしていますと,「マナーの悪い自転車乗り」のために毎日と言っていいほど不快な思いをさせられているのでござるよ。
新聞でも報道されていましたが,自転車に乗って赤信号を無視し,当時75歳の主婦に衝突の上死亡させてしまった事案で,東京地方裁判所は1月28日,損害賠償として約4700万円を支払うようこの自転車乗りに命じました。同じ自転車の事故で,昨年の7月には神戸地方裁判所で加害男性には約9500万円の支払が命じられています。また,携帯電話を操作しながら自転車を走行させ,自転車同士の正面衝突で相手に重症を負わせた男に対し,昨年10月でしたか大阪簡易裁判所は刑事罰として罰金20万円を科しました。自転車とはいえ,人身事故を起こせばもちろん刑事事件にだってなる訳ですし,東京地方裁判所で約4700万円の支払を命じられた人は,刑事事件としても立件,起訴され,重過失致死罪で禁固2年,執行猶予3年の判決を受けてもいます。
そういえば,うちの事務所の書棚の中には「自転車事故 過失相殺の分析-歩行者と自転車との事故・自転車同士の事故の裁判例-」(財団法人日弁連交通事故相談センター東京支部過失相殺研究部会編著,きんざい)という本もあるくらいです。自転車事故というのは決して人ごとではありません。
私なんか,本当は朝の清々しい空気を吸いながら散歩気分で徒歩通勤したいのに,マナーの悪い自転車乗りのおかげでいつもビクビクしているのです(笑)。何しろぶつけられたらイヤですからね。私が万が一国会議員になったら,マナーの悪い自転車乗り対策の一環としてさらに道路交通法上の罰則を強化するでしょうし,自転車の製造面では一定限度以上のスピードが出せないような規制を加えたい,かように考えております(笑)。
人間というものは,男女を問わず,洋の東西を問わず,常に若々しくありたいなとの願望があると思います。私もそうです。それに求めたい「若々しさ」というのは肉体面だけでなく,精神面でもそうです。
私の母は昭和6年生まれですから,この3月で83歳になります。母はよく人から若いと言われておりますが,確かに私の目から見ても同年代の人との比較では若く見えると思いますね。母は先日名古屋を出発し,新幹線に乗って私の妹が住む広島へ約1か月間遊びに行くことになりました。元気なものです。広島で「広島焼」でも食べて来るのでしょうか(笑)。
これは私が尊敬する三好達さん(海軍兵学校出身の元最高裁判所長官)の受け売りの受け売りですが(「日本の息吹」という月刊誌に書いてありました),三好達さんは若々しさや「常若(とこわか))」ということに関して,「海老(えび)」のことを仰っていました。人間学の泰斗安岡正篤先生のお話の中に,「なぜ,おめでたい席の料理に海老を用いるか」という話があります。安岡先生のお話によりますと,「海老は,堅い殻を被っているが,生きている限りは,際限なく成長する。殻が堅くなると,殻を脱ぐ。脱いでまた軟らかくなる。これを繰り返して生きている。つまり生きている限りは,いつでも殻を脱いで固まらない。老いず,常に若さを持ち続ける。海老は若さを保つシンボルで,そういう意味でおめでたい席に海老を用いる。」ということです。安岡先生はこのように述べて,人は「常に脱皮して若さを保ち続けること」が大切だと説かれたのです。
受け売りの受け売りですが,私もまだまだ老け込むことなく,母のように若々しくありたいと思っておりますが,それならばお酒もほどほどにしなければなりませんでしょう(笑)。分かっちゃいるけど・・・取り敢えず休肝日は週に2日はもうけたいと存じます。