朝食後はすぐに出勤するのではなく,外出支度の前に必ず産経新聞と読売新聞に目を通すことにしております。おかげさまで強膜炎と虹彩炎もほとんど寛解状態になり不快な右眼の痛みもなくなりました。
1月16日の読売の朝刊の「言わせて!」というコーナーに「私の肩抱いた夫の思い」という見出しで,ある読者の投稿記事が載っていました。それを読んでじーんときたといいますか,何となく共感を覚えました。ちょっと引用してみましょう。
「一昨年秋の出来事を、長崎県の女性(68)は忘れられません。台所で夕飯の支度をしていると、夫が突然、肩を抱きすくめました。とっさに『タマネギをとってきて』と言ってザルを渡すと、夫は車庫にタマネギをとりに行き、それを置くと庭へ出て行きました。その年末、夫は体調が急変し、一月後に他界しました。『体調に異変を感じ不安だったのでしょう。あの時、私は黙って夫の胸に顔を寄せればよかったのです。気持ちを察することもできず、自分を情けなく思います。あの日、庭を眺めていた夫の横顔を思い出し、涙がこみ上げます。』」
人間,元気でいるときは日常の何気ない一つ一つの出来事や目にするものに特に深く思いを致したり,感慨にふけったりなどすることはありません。しかし,もし自分の体調にこれまでとは何か違う異変を感じたり,いわゆる「死期」というものを悟ったりしたときは,何かにすがりつきたいという不安な気持ちや,もうこんな「日常」を目にすることもないんだと今生を名残惜しく思ったり,それまでは当たり前のように思っていた家族,特に配偶者の行為(家事に勤しむ姿など)に深い心からの感謝の念を覚えたり,限りなく愛おしく思ったりするのではないでしょうか。
この記事に出て来る夫がそのときに何を思っていたのか。肩を抱きすくめられたときに妻が咄嗟にタマネギを取ってきてと照れてしまったように,普段からこの夫婦は決してベタベタはしていなかったのでしょうし,このような夫の振る舞いに戸惑いを覚えたのでしょう。でもそれだからこそ,夫は何かそれまでとは違う思いをもって妻の肩を抱きすくめるという行為に出たのではないか。やはり,何かにすがりつきたいという不安な気持ちや,もうこんな「日常」を目にすることもないんだと今生を名残惜しく思ったり,それまでは当たり前のように思っていた家族,特に配偶者の行為(家事に勤しむ姿など)に深い心からの感謝の念を覚えたり,限りなく愛おしく思ったのでしょう。そして,そんな夫の心情を察してやれなかった妻の無念もよく分かります。
何となく共感を覚えた記事でした。
いよいよ東京都知事選挙ですか。この話題は新聞紙上や週刊誌上をずいぶんと賑わしておりますね(笑)。
出馬表明した細川護煕という方は出自と毛並みの良さは申し分ないのでしょうが,わずか9か月で総理大臣の職を辞し,未だに当時のスキャンダルについての明確な釈明がないままですし,なにしろ既に「陶芸家」として半ば隠遁状態にあった訳ですから,東京都知事という地方自治体トップのトップである行政統括者がつとまるのでしょうか。それに背後の支持者があの「シングル・イシュー」の申し子,小泉純一郎さんですからね(笑)。この二人はどうしてももう一度スポットライトを浴びたいのでしょう。でも,「脱原発」一本槍といっても,そして東京都は東京電力の株主ではあっても,そもそもエネルギー政策は安倍首相や菅官房長官が言うとおり,重要な国の政策なのでしょう。いくら東京都知事が「シングル・イシュー」的に声高に叫んでもねえ(笑)。今日の朝刊の週刊誌広告のうち,週刊文春の最新号では小泉さんのことを”原発ゼロ愉快犯”と称しておりました(爆笑)。
桝添さんですか・・・(笑)。この方も,あまり多くのことは語れませんが,私は好きではありません。その理由は様々ありますが,今日は二つだけ挙げますと,この方が「新党改革」なるものを旗揚げした時の記者会見で,卓上の日の丸の小旗を「これ,邪魔だよね。」と言って撤去させるという「暴挙」に及びました。日の丸を邪険に扱う人間はそれだけでダメです。二つめは,この方は永住外国人地方参政権付与に極めて積極的です。やはりダメです。
それにしても,猪瀬スキャンダルがにっちもさっちもいかなくなった時,すかさず日本維新の会を離党し,議員まで辞職して東京都知事を虎視眈々と狙っていた東国原英夫という方は,結局は澎湃と湧き上がる声が回りから上がらず,「そら寝」が奏功しませんでしたね(笑)。宇治拾遺物語の「児(ちご)のそら寝」のようですが,彼の場合は,もはや「えい(はい)」と声を発する機会さえ失してしまいました。
宇治拾遺物語の「児(ちご)のそら寝」の分かりやすい現代語訳を「50歳からの古文学習」というサイトから見付けましたので,これを借用して以下にご紹介いたします。
「今となっては昔のことですが,比叡山延暦寺に子供がいた。お坊さん達が,夜の暇なときに『さあ,ぼたもちを作ろー。』と言うのを,この子供は,期待して聞いた。そうかといって,すっかり出来上がるのを待って,寝ないでいるのは,具合が悪いであろうと思って,部屋の片隅によって,寝ているふりをして,出来上がるのを待っていたところを,もうつくりあげた様子で,お坊さん達は騒ぎあっていた。子供は,きっと起こしてくれるだろうと待っていると,あるお坊さんが『もしもし,目をさましてください』と言うのを,嬉しいとは思うけれど,ただいちどで,返事をするのも待っていたのかと思われると困ると思って,もう一度呼ばれてから返事をしようと,我慢してねていると,『おい,もう起こし申しあげるな。幼い人は眠ってしまわれた。』という声が出たので,困ったことだと思って,もう一度起こしてくれよと思いながら寝て聞いていると,むしゃむしゃと盛んに食べる音がしたので,どうしようもなくて,ずっと後になって『はい。』と返事をしたので,お坊さん達は笑いが止まらなかった。」
先の三連休はとてもハードでした。ヘトヘトになってしまいました。初日(11日)は知多半島のあるゴルフ場でゴルフをし,その日は疲れていたのに仕事で午前様。翌日(12日)は約一日がかりで三重県津市でお仕事。さらにその翌日(13日)は自宅にはいましたが,一日中書面作成のお仕事で翌午前1時ころまで続きました。このように目を酷使したり疲れたりで,せっかく治りかけていた強膜炎,虹彩炎も増悪してしまったのです。このブログを書いている今は,少し良くなりましたけど・・・。
さて,ゴルフの方はというと,前回のラウンドよりも1打スコアが良くなりましたが,まだまだです。この日のラウンド後に痛感しましたのは,次の2点です。①ドライバーによるティーショットをもっと改善すること(分かっちゃいるけど「早打ち」と「力み」が直らないのでござる。),②ファーストパットを改善すべきこと,の2点です。後者の問題は,グリーンに乗った後の最初のパッティングが無造作過ぎて,ツーパットで終わらせる位置にまで寄せられないということなのです。これはとても悔しい。
さてさて,このゴルフのラウンドでは,地元で海苔養殖をされている方とご一緒させていただきましたし,この方にはよくゴルフに誘っていただき,しかも誠にありがたいことに収穫,加工された板海苔をたくさんいただきました。いつも大変申し訳なく思っております。それにしてもこの海苔の美味しいこと!黒々としていて肉厚で,光沢もあり,本当に佳い海苔なのです。早速いただきましたが,涙が出るほど美味いのです。ジョン・レノンの「イマジン」ではないのですが,「想像してごらん♪・・・」
「テーブルの上の茶碗に盛られた炊きたてのあたたかい白いご飯。火で炙ってパリパリになり一口大に切られた焼き海苔と小皿の醤油(もちろん国産丸大豆を素材にした芳醇な香りのするもの)。一枚の海苔を箸ではさみ,醤油に付けて白いご飯の上に乗せ,海苔で白いご飯を包み込み,お口の中へ・・・。」
至福の時でしょう。日本人に生まれて本当に良かったと思います。みなさん,海苔という素晴らしい存在を見直し,もっともっと食べましょうよ。そして海苔養殖という営みは,食材の提供という面であの世界文化遺産にも登録された和食を支えている貴重で尊い営みなのです。是非頑張って欲しいと思います。その日の晩,調子に乗ってこの美味しい海苔でご飯を食べまくったのですが,あとでうちのカミさんから「ちょうど一合食べたわよ。」と言われました(笑)。
皆様,新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
いやー,本年も残すところあと360日になってしまいました(爆笑)。ついこの間御神酒を頂いたと思ったら,もう5日も過ぎてしまいました。月日の経つのは本当に早いものです(笑)。
さて,昨年末は実際には大晦日まで事務所に出ておりましたので,正月は割とゆっくり過ごさせていただきました。時間の過ごし方は家族との団らん,好きな読書,ゴルフといったところです。読書といえば,あるノンフィクション作家の素晴らしい本に出会いました。前から読みたいと思っていたのですが,ようやく実現しました。いくら感動したからとはいえ,新年早々から本の話も何ですから,本日は雑感的にとりとめのない話を・・・。
1月3日,安倍晋三首相がゴルフをやっていた日ですが,不肖私めもゴルフをやっておりました。昨年最後のラウンドで好スコアを出したので,その余勢を駆って今年初めのラウンドも爆発的なスコアを,と思って臨んだのですが,ダメでした。昨年末のラウンドより9打も多く叩いてしまいました。敗因は少なからずありますが,まずはドライバーを立て直す必要があります。ゴルフ場で私のプレーを見守ってくれていた数匹のニホンザルの可愛い姿がせめてもの救いでした。
全国高校サッカー選手権もいよいよベスト4が出そろいましたね。それにしても京都橘の小屋松というストライカーは凄い。強豪市立船橋を相手に自ら2得点し,2-0で勝利して準決勝進出です。この選手はU-18の日本代表にも選ばれております。才能豊かな選手のようです。・・・はい,前置きが長くなりましたが,この小屋松というエースストライカーは,何と,J1の名古屋グランパスへの入団が決まっております(笑)。グランパスはちゃんと補強していたのですね。西野朗新監督の下,この小屋松という選手も大活躍して欲しいものです。
ポルトガル(同国領だったモザンビーク出身)の往年の名選手,エウゼビオが71歳で亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。高い身体能力を有し,何しろ天才的なゴーラーでした。私も古い映像で「黒豹」と言われたそのエウゼビオのプレーを見ましたが,爆発的なスピードと両足から繰り出すシュートの強さ・・・,本当に凄い。2000年には国際サッカー連盟(FIFA)が20世紀のベストイレブンを選定したのですが,エウゼビオはアフリカ出身選手としてただ一人選ばれました。現役通算727試合に出場し,何と715得点なのです。ポルトガルの名門ベンフィカで長年活躍し(約15年間),その間,イタリアの名門ユベントスからのオファーがあったのにポルトガル政府がこれを阻止したという逸話があります。後年,この件についてインタビューを受けたエウゼビオは,自分は金持ちにはなりそこなったけれども,銅像も建ててもらったし,2人の娘に恵まれたから,良い人生だったと思うよ,といったコメントをしたそうです。
第二次安倍政権が発足して1年,第一次政権の際にこれができなかったことを「痛恨の極み」と表現された靖国神社参拝を,このたびようやく安倍首相が実行されました。私自身,大変うれしいことだと思っています。首相談話の中の次のくだりを耳にするにつけ,その思いを深くします。
「本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。」
「今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子供たちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々、その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。」
そうですね。物事を考える時は,平面的な思考だけでなく,こういった時間的,歴史的,垂直的な思考が大切です。でも,中国や韓国,反日左翼的なマスコミや政党などからは判で押したような猛批判が繰り返されています。つける薬がない状態(笑)。
よく「アジアの国々」の諸国民の心情を踏みにじり,などと批判しますが,その「アジアの国々」というのはいったいどこの国のことを指しているのでしょうか。結局,外交カードにすべく恫喝に近い非難を繰り返しているのは中国と韓国だけではありませんか。それにこの中国と韓国に配慮して最近の歴代首相が靖国神社参拝を控えてきたことで関係が良くなったりしたでしょうか。靖国神社参拝がもはや外交カードになんかならないということを毅然とした態度で示すことができるのは,今は安倍晋三しかおりません。そしてこれを定着させるために靖国神社参拝は粛々と続けるべきです。
また反日左翼的なマスコミは,アメリカが「失望した」との見解を示したことを鬼の首を取ったように報道していますが,確かにアメリカは重要な同盟国ではあっても,是々非々でいけばよいのです。中国や韓国の批判が全く的外れであることは勿論ですが,極東国際軍事裁判(「東京裁判」)を主導的に行ったアメリカに対しても,東京裁判の欺瞞性を主張し(アメリカは明らかに国際法違反の原爆投下や東京大空襲などで民間人の大量虐殺を行いましたが,これを裁く人は誰もいません。),そもそも「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈り」することのどこが悪いのか,これは完全に心の問題であり,そんな批判は内政干渉だとごく当たり前の対応をすれば良いのです。
靖国神社にいわゆるA級戦犯が合祀されていることが問題なのでしょうか。それも全く理由がない。そもそも「A級戦犯」を生んだ東京裁判は国際法上の法的根拠はありません。一応の根拠とされた「極東国際軍事裁判所条例」も「事後法」ですから根拠たり得ません。「A級」とは「平和に対する罪」に関係した者という分類ですが,それまで「平和に対する罪」などは国際法上存在せず,これも「事後法」でした。「裁判」とはいうもののその欺瞞性は明らかです。「事後法の禁止」,「法の不遡及の禁止」というのは近代法の大原則です。国際法に通暁しているインドのラダ・ビノード・パール判事は事後法で裁くことはできないとして被告全員無罪の意見を述べましたし,やはり国際法に通暁しているオランダのベルト・レーリンク判事も「多数派の判事たちによる判決はどんな人にも想像できないくらい酷い内容であり、私はそこに自分の名を連ねることに嫌悪の念の抱いた」とさえ述べております。
そして,サンフランシスコ講和条約第11条で「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国犯罪法廷の諸判決を受諾」したため,日本国政府は「裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定および日本国の勧告」を忠実に行い,国会決議を経て関係11か国の同意を得,A級戦犯とされた人たちを釈放し,手続的にも名誉回復されたのです。もうA級戦犯などはいないし,「A級戦犯」だった重光葵は,1956年の日本の国連加盟の際,外相として演説し満場の拍手を浴びております。
もともと「A級戦犯」が合祀された後も何ら問題なく歴代の首相が靖国神社を参拝していたにもかかわらず,1985年に中国に「ご注進」に及び,靖国神社参拝を政治問題化,外交問題に発展させた張本人は朝日新聞ですからね(加藤千洋記者の8月7日付け記事ほか一連のもの)。いわゆる「従軍慰安婦問題」の捏造記事も朝日新聞です。一体全体どこの国の新聞社なんでしょうか(笑)。
いずれにしても,中国や韓国にこれを外交カードにさせてはなりません。
今年一年も暮れようとしております。早いものです。私も何とか普通に年を越すことができそうです。ありがたいことです。来年はますます良い年になるよう期待しております。みなさんも良いお年をお迎えください。
今年最後に,私が普段から心より愛してやまない昭和天皇の御製をご紹介します。この歌に接するたびに,勇気が湧いてくるのです。
「ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ」
日本のものづくりの素晴らしさ,凄さはつい先日のこのブログでも書いたとおりですが,中東の民族衣装も「日本製」が大人気で,日本製品は世界中で信用されております。
産経新聞の記事によると,サウジアラビアやドバイなど中東諸国の男性が全身にまとう真っ白な民族衣装に「カンドゥーラ」がありますが,この衣装の生地「トーブ」のほとんどが実は日本製で,その高い品質は他国製品を完全に圧倒しています。
現在のところ中東諸国で消費されている日本製トーブは約40~45%程度ですが,このうち高級品とされる消費量のほぼ100%が日本製です。このうち約7割のトップシェアが東洋紡,その後をシキボウなどが追っているようです。韓国製やインドネシア製に比べて日本製は価格で2倍ほどするにもかかわらず,この状況です。何でこんなに日本製が評価されるのでしょうか。
日本製トーブは合繊を使いつつも,柔らかな風合いを実現しているのが日本製の特徴で,ハリを保ちながら適度なドレーブ性があり,美しいシルエットを作ることができる。白一色ながら,国や流行によって微妙に異なる色調を出せる表現力,安定した品質を保つ技術力も日本製が圧倒的な支持を得る理由だそうです。
しかし,例によってパクリをお家芸とする国による日本ブランド製品のコピーも出回っています。韓国など他国企業の日本製コピー商品です。本当は「TOYOBO」なのに「TOBOYO」だったり(笑),本当は「Shikibo」なのに「Shekibo」だったり(爆笑)・・・。全く笑い事ではありませんが,いくら韓国企業などが日本製をコピーしたとしても,全く相手にされず,「品質を確かめれば一目瞭然。現地では本物とコピー品が混同されることはない」そうです。韓国の製菓会社が日本の「かっぱえびせん」や「ポッキー」や「きのこの山」などをパクっている事実は有名な話です。
ものづくりというのは丹精込めて,職人としての誠実さをもって,職業倫理に基づいて正々堂々と行うべきで,卑怯なマネをしても結局は見破られてしまうのです。韓国の現代自動車とその傘下の起亜自動車は2010年から2012年に販売したモデルの多くの燃費性能を水増し表示していたとして顧客に訴訟を提起されていました。ウォール・ストリート・ジャーナルの記事では,現代自動車らはこのたび原告団との和解に合意したとのことで総額約2億1000万ドル(約219億円)の支払を余儀なくされるようです(ただし,原告団の受領の仕方によっては【一括払いか分割払いかなど】,金額に変動あり。)。
日本でも最近食品偽装の問題が頻繁に報道されていましたが,「嘘」はいけません。
昨日は東京家庭裁判所で仕事があり,名古屋駅から新幹線で出かけました。あいにく天気が悪く,霊峰富士の雄姿を見ることは諦めておりました。それでも新富士駅を過ぎた頃から,事件記録から目を離し,ずっと目を凝らしていたのですが,やはり富士山は見えませんでした。残念です。
裁判所での期日は午後1時30分からでしたから,不詳私めは当然のように八重洲地下中央の旭川ラーメン「番外地」へ行き,行列で待つこと約10分,いつもの「塩バターコーンラーメン」にありつきました(笑)。年を取った私の味覚の問題なのかもしれませんが,昔よりスープが少ししょっぱくなったような感じはするものの,魚介のダシがよく利いていて美味しいのです。それに,チケットを売ったり席作りのマネジメントをしている女性も相変わらず割と美人です。
裁判所での仕事を終えた後は,いつもならば銀座の山野楽器に寄るか,上野の鈴本演芸場に寄るところですが,あいにくの荒天でしたし仕事も山積みでしたので,午後4時40分の新幹線「のぞみ」で帰路につきました。それにしても改めて思いましたのは,日本の新幹線というのは時間に正確ですし,安全性はやはり世界一だということです。日本の技術力と「ものづくり」の精神(底流には日本人の心が流れております)の凄さを思います。
これは私自身も以前から知っていたことですが,一昨日の読売新聞のあるコラムでは「中央アジアの親日国」という標題でウズベキスタンの首都タシュケントにあるナヴォイ劇場のことが紹介されておりました。終戦後旧ソ連の捕虜として日本人がこの劇場の建築にかり出されました。かり出されたというよりも,劣悪な環境での強制労働です。長時間労働を強いられ,食事にも腐った物が提供されるなど,劣悪な環境でした。このナヴォイ劇場の建設に携わった日本人捕虜500人のうち79人は亡くなっております。それでも日本人捕虜は「もう一度日本に帰って桜を見よう」との合い言葉の下,技術的には妥協を許さず,3年かかるところを2年で完成しました。1966年にはタシュケント地震が起こり,7万8000棟もの建物が倒壊したにもかかわらず,このナヴォイ劇場は無傷であり市民の避難場所としても機能し,日本人の技術力の高さが称賛されております。
ウズベキスタンのカリモフ大統領の幼少期のエピソードですが,母親と一緒に日本人捕虜の収容所を見学した時,母親から「日本の兵隊はロシアの兵隊が見ていなくても働く。大きくなったら、人が見ていなくてもよく働く人間になりなさい。」と言われたそうです。日本人の勤勉さは今も語り継がれているのです。日本人捕虜は劣悪な労働環境でも頑張り,懸命に作業する日本人に地元の子供たちは食べ物を差し入れてくれたのですが,日本人捕虜は彼らに対して木のおもちゃをお返しするなど,劣悪な環境でも礼儀を忘れなかったのです。
このナヴォイ劇場のプレートには以前は「日本人捕虜」と書かれていましたが,カリモフ大統領は「日本と戦ったことはない。彼らは恩人だ、間違っても『捕虜』と書くな。」と述べて「日本国民」と改めさせたのです。
東京出張のことから話が随分とそれてしまいましたが,新幹線に乗っていて,日本の技術力と「ものづくり」の精神(底流には日本人の心が流れております)の凄さを改めて思った次第です。
今朝,明け方に見た夢はホントに嫌な夢でした。
その夢というのは,大切な車を盗まれた夢でした。それにその車のトランクには今年の1月に購入したまだ新しい大切なゴルフセットが入っており,楽しみにしていた翌日のゴルフにも参加できない。所轄の警察署に被害届を出そうとしてまずは電話をしてみても,すごく電話口で待たされ思わず激して苦情を述べるというリアルさでした(笑)。いや,ホントに悪い夢でした。
ハッと目が覚めると,暖かい布団の中に私はいました。「あー,良かった,夢だったんだ-。」と気付いたのです。ホントに夢で良かったと思いました。今朝は午前4時頃に一度手洗いに立って,そしてまた眠りについたのですが,私がこのような悪夢(笑)を見るのは,はたいていの場合このように二度寝するような時です。
幸い夢だったので,明日のゴルフは頑張りたいと存じます。
さて,このたびの特定秘密保護法案の可決について,例の民主党の議員などが「強行採決だ!」などと自由民主党を批判しておりますが全くもって笑止千万でございます(笑)。産経新聞の「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」という記事の中で,花田さんは「週刊文春」(12月12日号)「飯島勲の激辛インテリジェンス」のコーナーでの飯島さんの次のような発言を引用しておりました。
「(海江田万里代表が)『暴挙に怒りを禁じ得ない』とコメントしていたけど、とんでもないのは民主党の方だぜ。特別委から出てきた民主党議員が『これで民主主義も終わりだ』なんて悲愴感漂わせていたけど、チャンチャラおかしいよ。強行採決を憲政史上、稀に見る勢いで連発して唖然とさせたのは当の民主党。あの鳩山由紀夫内閣だったんだから。二〇〇九年の臨時国会では最大野党の自民党欠席のままでの強行採決が六回もあったのよ。一〇年の通常国会では野党の制止を押し切っての強行が六回に、自民党欠席のままが三回。(中略)まだ衆参ねじれでもなかったから、ゴリ押しの連続だよ。忘れたとは言わせないぜ。」
悪夢と言えば,あの3年3か月も続いた民主党政権でしたね。日本ががたがたになり,外交・安全保障面で国民が屈辱感を味わうことが多かったこの民主党政権の時代は,実際にも「夢」などではなく,現象面で正夢となってしまいました。もうあのような悪夢(正夢)はご免こうむりたいと思います。
それにしても今朝の明け方の私の夢は,夢で本当によかった(笑)。
中学生から大学生時代にかけて,私は将棋に熱中していた時期があります。将棋の月刊誌を購入して自宅の将棋盤で棋譜を並べたり,新聞棋戦の棋譜を切り抜いて保存したり,テレビのNHK杯トーナメント戦を見たり,友人と戦ったりしたものです。日本の将棋は本当に面白いと思います。
この歳になって再び将棋に興味を示すようになりました。今の将棋界というのは結構面白く,戦法,定跡も進歩し続けています。私は新聞は産経新聞と読売新聞を購読しているのですが,産経新聞は棋聖戦,読売新聞は竜王戦をそれぞれ主催し,私も毎朝掲載されている棋譜と観戦記を読んで楽しんでおります。
それにしても現在の将棋界,いわゆる羽生世代と言われている棋士達,そしてそれより少し若い世代の活躍ぶりは凄いですね。人間,何をするにしても年齢と共に能力が低下していく傾向にあるのは避けられず,私もいい歳なのでそれを痛感しています。でも,羽生善治,森内俊之といった一流棋士は,40歳代に入っても大活躍しており,敬服します。もっと上の世代の谷川浩司という棋士の棋風も好きなのですが(「光速の寄せ」),日本将棋連盟の会長に就任されたので,対局に集中できないであろう状況に同情いたします。
さてさて,第26期竜王戦は森内俊之名人が渡辺明竜王の10連覇を阻み,見事竜王に返り咲き,名人と竜王という将棋界の二大タイトルを占めることになりました。実は私は密かに森内名人の竜王奪取を応援していたのです(笑)。この第26期竜王戦は4勝1敗で森内名人が勝利したのですが,どの局も内容が素晴らしかった。森内名人の受けの的確性と重厚さ,それでいて攻めの鋭さもあって,攻守のバランスの良さと充実ぶりは現在のところ棋界随一ではないでしょうか。羽生善治さんが脚光を浴びることが多いのですが,実は第18世永世名人を襲位できる資格を有するのは森内俊之で,羽生善治は第19世永世名人襲位予定者なのです。それに,この第26期竜王戦に臨む前の時点で,森内名人は第71期名人戦において羽生さんの挑戦を4勝1敗で退けております。その充実ぶりは半端ではありません。
それに森内名人はとても謙虚な人柄と言われており,髪の毛がフサフサな点についてはすごく嫉妬心を感じますが(笑),とても好感が持てます。
名人と竜王の二大タイトル取得ですか。誠に素晴らしい。なお,賞金額の高さからか,竜王は棋界最高のタイトルとも言われますが,私としては名人というタイトルの方に憧れを感じます。お前にどっちかやると言われれば,私は迷わず名人位の方をもらうでしょう(笑)。
いずれにしても,現在の将棋界は,森内俊之名人・竜王,羽生善治王位・王座・棋聖,渡辺明王将・棋王というタイトル保持状況です。目が離せません。それにしても,この日曜日に必死で将棋盤と駒を探したのですが,全然見つかりません。どこに隠したのかカミさんに聞いてみなければなりません。
ボサーッとしながら自宅のテレビを見ておりましたところ,あるケーブルテレビ局の番組で地元映画館の上映映画の案内がされておりました。「もうひとりの息子」というフランス映画が紹介されていて,これは東京国際映画祭でグランプリと監督賞を受賞した作品のようです。病院での赤ちゃんの取り違えという悲劇を題材にしており,取り違えられた赤ちゃんがそれぞれイスラエル人とパレスチナ人・・・。極めてシリアスな展開のようです。
幸い,私なんかは生まれた娘を我が家に迎えた時,自分の娘であることを瞬間に確信しましたし(病院でも抱っこしておりますが),その後の成長に従って娘の容貌の中に自分の幼い頃のそれを見い出し,その確信は揺るぎのないものになりました(笑)。
毎朝読んでいる産経新聞のコラム「産経抄」の本日の記事には感じるものがありましたので,ほとんどコピペ状態でご紹介します。
この裁判は新聞でも報道され,皆さんもよくご存じだと思いますが,産院の赤ちゃん取り違えによって人生を狂わされた男性が,産院を経営する社会福祉法人を相手取って損害賠償請求訴訟を提起し,このたび東京地方裁判所がこの男性の請求を一部認め,3800万円をこの男性に支払うよう社会福祉法人に命じる判決を下しました。東京都墨田区の産院で60年前,新生児の取り違えがあったことがDNA鑑定で判明したのですが,そのことを知ったこの男性の精神的ショックはいかばかりかと察するに余りあります。この男性は2歳の時に養父に先立たれ,養母は女手ひとつで生活保護を受けながら3人の子供を育てた。男性は中学卒業後は町工場に働きに出る。一方,本当の家族は裕福で,子供4人はいずれも大学や大学院に進み,安定した職業に就いた。親の経済力や生活環境だけで人生が左右されるわけではないというのも真実だが,それは分かっていても「生まれた日に時間を戻してほしい」と願うのは当然で,3800万円の損害賠償金の受領で取り返しのつくものではない。この男性の育った6畳一間のアパートにはテレビがなく,ラジオで養母と聴く落語が楽しみだった。
また,産経抄のこの記事には,医師で作家の鎌田實さんのことにも触れられておりました。「がんばらない」,「あきらめない」などの著作で有名な方です。鎌田さんは戸籍上は鎌田實という氏名ですが,子供のころからずっと簡単に書ける「実」という字で通してきました。でも自分が37歳の時,それまで育ててくれた両親の実の子ではない事実を知らされてからは,「實」と書くようになったそうです。鎌田さんは,それ以来,育ててくれた両親の鎌田という名字を大切にしながら,実の両親がつけてくれた「實」の名にこだわったのです。鎌田さんが人前で初めて涙を流したのは,育ての母が息を引きとった瞬間でした。病弱だった母親は入院するたびにベッドにもぐり込む實少年をいつも力いっぱいに抱きしめてくれた。鎌田さんの場合は赤ちゃんの取り違えのケースではないでしょうが,真実を知らされた37歳のその日に受けた精神的な衝撃は想像もできません。
赤ちゃんという日本語は本当に良いですね。日本人の本来の優しさがよく表れている言葉です。でも,赤ちゃんの取り違えというのは,本当に罪なことです。