昨晩は少し飲み過ぎましたが,私もいよいよ今朝からコートを着て颯爽と出勤です。寒くなりました。今頃の時候の挨拶は,「こがらしが身にしむころ」とか「落葉風に舞うこのごろ」とか「向寒のみぎり」などといった美しい日本語を使うのでしょうね。
昨日の昼飯時は,あまり時間がなくて,でも少し暖まりたくて,コンビニでうどんのカップ麺を買って事務所でいただきました。私が買って来たのは「肉うどん」と銘打ったカップ麺でしたが,「檄おこぷんぷん」というほでではないにしても,食べながら少し怒れてきました。いやしくも「肉うどん」を標榜するのなら,もうちょっと肉を入れたらどうだ!(笑)。あんな肉の切れ端のようなものを4,5片入れたところで,消費者の自分としては何か侘びしくなってしまうだけです。今特に問題になっている「偽装」とは言いませんが,とにかく「肉うどん」だというなら,価格が高くなってもいいからもっとちゃんとした肉を入れること!でもね,考えてみれば,少し事務所から遠出してでもちゃんとした肉うどんを出してくれるうどん屋さんに行けば済むことですけどね。
愚かな中国共産党は,勝手に,そして一方的に,そして傍若無人に「防空識別圏」を新たに設定しましたが,日本固有の領土である尖閣諸島をくすねようとする魂胆が明らかです。事前に飛行計画書を提出しろとは何事だ。こういった計画書の提出という既成事実を積み重ねていこうとする悪計です。勿論こんなものに従う必要はなく,我が日本国政府も日本航空や全日空に対してそんなものを提出しないようにと指導し,両社はこれに従い始めました。日本の企業ならば極めて当たり前のことです。毅然と対応すべきですし,政府も対応が早かったと思います。かの民主党政権だったらどうなっていたか・・・(笑)。アメリカも中国の勝手な「防空識別圏」設定を無視しておりますし,今度の中国の行動は国際的にも諸外国から非難されています。
昨日の産経新聞の「産経抄」に書かれていたのですが,日本では「傍若無人」という言葉は,他人の迷惑を顧みない勝手な振る舞いをすることという意味ですが,中国ではこの「傍若無人」という言葉は,他人に遠慮せずに感情を表すというほどの意味に過ぎないのだそうで,このことは渡辺紳一郎氏が「東洋古典辞典」の中で指摘しております。いずれにしても,中国共産党は勿論のことですが,民族的傾向として,こんなことしたら相手(他人)はどう思うだろうかといった観点から内省することが極めて少ないと思います。
ああ,もうすぐ11月も終わりですか。今月はブログ更新が9回にとどまっております。最低でも毎月10回は更新するというのが私の「政権公約」ですから(笑),明日は何としてでも,どんな卑怯な手段を使ってでも(笑),今月10回目のグログ更新をしなければ・・・。
少し前のこのブログで,私が少年時代からずっと頭に残っていたハリウッドの伝説の名女優グレタ・ガルボのことを書きました。ひょんなことから,この名女優の「ニノチカ」という主演映画を観る機会があったからでした。それにしても美しい女優さんです,ガルボという人は。
そのガルボに関する本が何かないのかネットで調べてみましたら,「グレタ・ガルボ その愛と孤独(上・下)」(アントーニ・グロノヴィッツ著,永井淳訳,草思社)という本を見付けました。今年の読書週間は10月27日から11月9日までだそうですから(笑),早速買って読んでみました。いやあ,なかなか読み応えのある本でしたし,ガルボという女優,そして引退後の一人の人間としての生き方,考え方の一端に触れたような気がしました。
ただ私が読後に思いましたのは,この本の内容のどれくらいが真実なのかということです。この本は全て一人称で書かれていて,あたかもガルボが,その生い立ちから女優になるまで,そしてハリウッドにおいて「ガルボ帝国」と言われるほどの女優としての成功を収めた過程,さらには引退後の謎のヴェールに包まれた人生を独白しているような内容ですが,このアントーニ・グロノヴィッツという作者がなぜそれほどまでに詳細に知り,作品としてまとめ上げることができたのかという点に不思議を感じたのです。これはこの作者がよほどガルボと親密で,しかも長時間にわたってインタビュー等をしなければこれほどの「聞き書き」はできないからです。
内容には,少なくとも家庭という面では不遇な生い立ち,女優になるための足がかりを気付いてくれたムイエことマウリッツ・スティルレルとの関係そして別離,女優としての成功や早すぎるとも言われた引退後の生活などが事細かに記載されており,中にはレズビアン疑惑,あのウィンストン・チャーチルがあごからよだれを垂らしてガルボを壁に押しつけてドレスをはがそうとしたなどといった衝撃的な記述,高名な指揮者であったレオポルト・ストコフスキーの俗物ぶりなどに言及したくだりもあるのですが,本当に本当なのかと思ってしまいます。それに作者であるグロノヴィッツが本書で語っているところによると,1938年の夏にポーランドの音楽家パデレフスキーの山荘でガルボとグロノヴィッツが初めて会ったとされ,その初対面の時に両者が性交渉をもったという表現もありました。その当時ガルボは32歳でハリウッドの伝説的存在だったのですが・・・。
ガルボは生前,グロノヴィッツがこの本を出版することに反対し,ガルボの死後にこの本が出版された後(グロノヴィッツはガルボよりも先に他界)には,出版社とガルボの遺族との間で訴訟沙汰にもなっております。また,実はグロノヴィッツが1980年代初頭に法皇ヨハネ・パウロ二世の生涯を書いたという本は偽物であるとわかって回収された事実もあります。
一方,グロノヴィッツは1972年に自分の小説を出しているのですが,その小説にはガルボの署名入りの前書きが載っておりますから,両者が親密だったことも窺えます。
いずれにしても,この本の内容の真実性がどこまでなのかについては,未だに明らかになっておらず,ガルボの人生と同様,謎のヴェールに包まれたままなのです。ただいずれにしても,読み応えのあった本でした。
今年の日本シリーズ,わが栄光の読売巨人軍は残念ながら敗れてしまいました。40年ぶりの日本シリーズ(日本一)連覇の夢は叶いませんでした。してみると,先ごろ鬼籍に入られた川上哲治さんが監督としてなしとげた9連覇(V9)という記録がいかに凄いものであるか,改めて思い知りました。おかげさまで,私としても熱烈な巨人ファンとして素晴らしい少年時代を過ごさせていただきました。
それにしても今年の日本シリーズにおける巨人軍は覇気というものが感じられませんでしたね。巨人ファンとしては誠に残念です。第6戦で田中投手を攻略して12安打を放った試合は満足でしたが,その他はどうにもなりませんでした。投打ともに・・・。一言でいいますと,精神面の問題だったのではないかと思います。巨人の各選手は,彼らが少年時代に野球を楽しんでいたように,もっと伸び伸びとした気持ちで試合に臨んでいたら良かったと思います。いずれにしてももう終わったことです。捲土重来です。
東照公(徳川家康)のご遺訓にも,「勝つことばかり知り 負くる事を知らざれば 害その身に至る」とあるではありませんか。まあ,わが栄光の読売巨人軍はこのたびの日本シリーズの敗北を糧にして,来期を目指して頑張りましょう。
そうはいうものの,敗北が決まってからというもの,私も精神的にはパッとせず,浮かない気分です(笑)。そこで昨晩はやはりJ.S.バッハの音楽世界に潜り込みました。カール・リヒター指揮,ミュンヘン・バッハ管弦楽団等の演奏で,ブランデンブルク協奏曲全曲とミサ曲ロ短調を一気に聴きました(DVDで)。大変慰められました。いつ聴いても,いつ観ても素晴らしい演奏です。特に改めて思いましたのは,ヴァイオリンのオットー・ビュヒナーの演奏の素晴らしさです。以前から思っていたのですがその音色とテクニックにはいつも感動すら覚えます。あの完全主義者とも言うべきカール・リヒターの下で首席バイオリン奏者をずっと務められるのですから,演奏家としての能力は折り紙付きで,だからこそリヒターも高く買っていたのだと思います。今度,オットー・ビュヒナーがソリストとして録音したCD等があるかどうか探してみたいと思います。
実はブログの更新も大変で,特にこれといったネタがない場合には「雑感」というタイトルになってしまい,内容も極めて散漫です(笑)。
確かに楽天の田中投手は素晴らしい選手ですが,だからといって我が栄光の読売巨人軍のヒットがたったの3本で良い訳がないでしょう。ふざけるんじゃないっ!(笑)しかもその3本のうちの2本はふだんあまり打てない寺内選手なんですから(笑)。寺内選手には失礼なことを言ってすみませんが,他の選手は一体全体何をやっているんでしょうか。もちろん寺内選手も打つべき人ですが,本当に打つべき人(長野,阿部,高橋,ロペス,坂本など)が全然打てていません。日本シリーズ第1戦だって巨人軍のヒットはわずか4本です。2試合で7本しか打っていないのです。
これじゃあ,日本シリーズは勝てないでしょう。東京ドームに戻ってもこんな不甲斐ない戦いをするようじゃ,この俺様がジャイアンツファンをやめてもいいのか!もっとしっかりしてくれー。
日曜日は名古屋グランパスの試合を最初から最後まで観ました。大宮アルディージャとの一戦で,結果的に2-1で勝利しましたが,グランパスは本当に弱くなっております。流れの中で得点するという予感は全くなく,実際に2つの得点はいずれもDFの闘莉王が急遽前線に上がってこぼれ球を何とか押し込んだというような形でした。得点しないよりは良いに決まっていますが,はっきり言って情けない得点です。
私が力説してきましたように,来シーズンはいよいよ監督が代わります。是非とも有能な監督を招聘していただき,スペクタクルなサッカーを見せてください。
先日,危うく弁護士バッジを失いそうになりました。い,いや,不祥事を起こしたというのではなく(笑),紛失しそうになったのです。その晩はあるホテルである会合があり,私は司会担当ということで少しバタバタしておりました。司会役もほぼ終わりとなり,私も気を許して少し深酒をしてしまい,良い気分で帰宅したのです。お風呂に入ってそのまま寝て,軽い二日酔いで翌朝を迎えたのですが,スーツを着る際に弁護士バッジがないことに気付きました。あれっ?という感じです。
あれっ?どうしてないんだろう。昨晩はスーツの確か左ポケットにバッジを入れていたのに,そのポケットにはなく,自宅のどこを探しても見つからないのです。大変焦りました。しかしその時ふっと,昨晩の会合の司会が始まる前にそのホテルの3階の男性トイレの洗面の所でハンカチを左ポケットから出すときに何か落ちたような気がしたこと,ただ落としたとしても紙切れか何かのどうせ大した物じゃないと思って探しもしなかったことを思い出したのです。この素晴らしい記憶力には我ながら感心しました。
そこで私は事務所に出勤してすぐにそのホテルの落とし物係に電話してバッジの落とし物の届けがないかどうかを確認しました。残念ながらその時点では届け出がないとのことで,届け出があり次第連絡して欲しいとお願いしておく一方で,私は気が気でなかったものですから,直ぐにタクシーを飛ばしてそのホテルの3階の男性トイレの洗面まで行って必死で探しました。直ぐには見つからずに大変焦りましたが,ようやく洗面の地面の隅に転がっていたバッジが見つかったのです。助かりました。私の可愛いバッジはこのホテルの3階男性用トイレ洗面の所で一晩泊まったのです(笑)。
弁護士がバッジを紛失すると,始末書を書いて提出するとともに,日本弁護士連合会にバッジ再発行の申請をしなければならず,費用もかかり,結構面倒なのです。かつて私が勤務していた法律事務所のボス弁護士がバッジを紛失して再発行の申請をしているのを横目で見てておりましたから,その面倒なことは知っておりました。
再発行されるとなるとそのバッジは金色のピカピカのバッジで,全然貫禄というものがありません。ほんの数か月前に新人弁護士として登録したかのような感じです。トイレの洗面で見つかった私のバッジは,もうくすんでおり,どちらかというと銀色に近い色ですから新人に間違えられることもありません。とにかく見つかって本当に良かった(笑)。
10月17日は好きなショパンの命日でしたので,この偉大な作曲家を偲んでマズルカを中心に聴きました。秋の夜長のショパンです。ちょうどアルトゥール・ルービンシュタインのショパン・マズルカ集のCDが出てきましたので,懐かしく思いながらショパンのマズルカの世界に浸ったのです。いいですね,ショパンは・・・。ショパンのマズルカ集のうちで私が特に好きなのは,第17番変ロ短調(作品24の4)と第13番イ短調(作品17の4)です。みなさん,まずは手始めにユーチューブなんかで聴いてみてください。
話は突如として変わりますが,10月20日は何と,「頭髪の日」なんだそうです(笑)。このブログの男性読者のみなさん,頭髪の方は健やかでしょうか(笑)。私はというと,今の季節の木々のような状態で(爆笑),年相応なんだと思います。私もかつては頭髪というものに執着しており,このブログでも「いわゆる薄毛に関する一考察」などといったテーマで自分なりの研究成果を披瀝しておりましたが,最近ではもうそうでもなく,いわゆる諦観というやつです(笑)。あるサイトで発見しましたが,毎年「毛髪川柳コンテスト」というのが企画されているようで,このうち2004年の第1回コンテストの優秀作の中から,私が特に笑えたものを以下にご紹介しましょう(※は私の感想です。)。
★ 「ボリュームを 出せと床屋を 困らせる」
(※無い物ねだりはいけません。床屋さんだって,目の前の限りある「資源」を有効に使い,できるだけボリュームを出してあげようと努力しているのですから。)
★ 「頭見て 敬語使うな 年下だ」
(※一般的には敬語を使われて嫌な気はしませんが,「頭を見てから」敬語というのは確かにカチンときます。)
★ 「風向きで 立ち位置かえる 薄毛かな」
(※これもそのままですが佳作ですね。私も交差点の信号待ちで強風に遭遇した時,思わず風の方に向かってできるだけ髪型が維持されるような立ち位置に変更します。)
★ 「終電の 窓の頭上に おぼろ月」
(※これも秀逸です。窓外にポッカリ浮かぶ本当の月と,前に座っている乗客のつむじ廻りの「月」の二つが目に浮かびます。)
★ 「抜けた毛を 栞(しおり)に使う 楽天家」
(※本来であれば,抜けてしまった毛はあまり見たくなく,直ぐに捨ててしまいたいのですが,これを本の栞に使うとは・・・。大人(たいじん)の風格があります。)
先日晩酌の時でしたかね,うちのカミさんから聞いた話ですが,歩きながらのスマホに夢中になり,踏切内でその人が電車にはねられて亡くなったそうです。私は最初はホントかなと疑いましたが,ネットで調べてみると本当の話だったようです。東京都板橋区大山東町の東武東上線大山-中板橋駅間の踏切で,線路内に立ち入った男性が小川町発池袋行きの急行電車にはねられて死亡したとのことで,その事故当時,遮断機は下りていたけれどもその男性が携帯電話を見ながら遮断機と遮断機の隙間から線路内に立ち入り,はねられたとのことです。亡くなった方のご冥福をお祈りしますが,何もそのような形で命を落とさなくてもよかったのではと思います。死者にむち打つことになりますが・・・。
私は,人通りのある路上をスマホなどを操作しながら歩いている人を見るととても嫌な気がしています。普段,少しいましましく思っている光景なのです。全国でも歩行者や車と接触したり駅のホームから転落したりする事故も発生しています。彼らはなぜ,しかるべき時と場所で操作できるまで待てないのでしょうか,なぜ他人に配慮ができないのでしょうか。時には,自転車に乗りながらスマホなどを操作しているバカも実際に目にします。「江戸しぐさ」の中には,「肩引き」や「傘かしげ」というものがあります。「肩引き」というのは,道を歩いて人とすれ違う時に肩と肩がぶつからないように左肩を路肩に寄せて歩くことを指しますし,「傘かしげ」というのは,雨の日に互いの傘を外側に傾け,濡れないようにすれ違うことを指します。人口が多く,必ずしも幅が広くない道が多かった江戸で,みんなが気持ちよく往来を行き来することができるための知恵とルールだったのです。
ところが,歩きスマホなどをしている人たちは,「ぶつからないようにあなたの方で注意して避けて。」とでも言っているかのように,自分が他者に配慮することは一切放棄し,むしろ他者の方に自分への配慮を求めています。「江戸しぐさ」の精神とは真逆です。
東京・新宿駅では8月5日から18日までの2週間,東口出口付近の階段及び側面部分に「危険です、歩きスマホ。」という注意喚起を促すメッセージが掲出されたそうですが,日本という国はこんなメッセージをいちいち流さなければならないような国に成り下がってしまったのでしょうか。非常に嘆かわしいし,日本人の劣化を思ってしまいます。自分がスマホを持っていないからといって,ひがみで言っているのではありません(笑)。
この3連休のうちの日曜日だったか月曜日だったかは忘れましたが,朝の相当早い時間帯に,自宅のテレビで名女優グレタ・ガルボの「ニノチカ」という映画を偶然に観ることができました。本当に大昔から私はグレタ・ガルボが好きだったのです。
「ニノチカ」という映画のストーリーは,ガルボには珍しく喜劇のようなタッチであり,少し荒唐無稽な感じがしました。1939年の映画(エルンスト・ルビッチ監督)であり,当時のソビエト連邦を風刺した内容です。筋書きは荒唐無稽すぎて,ウィキペディアに書き込まれている筋書きをさっと読んでもあまりよく理解できません(笑)。じゃ,朝早くからその映画をなぜ観つづけたのかと言いますと,やはりガルボの美貌に見とれていたからです(笑)。本当に美しい。おそらくは,ガルボは確かに美女だけど,そんなに好きにはなれない,冷たい感じがする,同じスウェーデン出身の女優のイングリッド・バーグマンの方が好きという方もおられるでしょう。確かに,グレタ・ガルボは少し冷たい感じのする美貌です。でも,私は好きなのです(笑)。実は小学生の頃,自宅に20数巻あった百科事典のうち,偶然ガルボの写真を見て以来,子供ながらにずっと頭の片隅にその美貌があったのです。
それにしても「ニノチカ」を偶然に観ることができたのは幸運でした。というのも,ガルボはめったに笑わない女優ということで有名なのですが,この「ニノチカ」のワンシーンではそのガルボが大笑いする場面があるのです。めったに見ることのできないガルボの破顔一笑です。この笑顔は仕事を離れた素の笑いであるかのような自然な笑顔でした。しかしその笑顔がまた美しい(笑)。この映画はガルボが笑ったことでも有名になり,そのキャッチコピーに「ガルボ,笑う!」が使用されたそうです。
ハリウッドでこれだけの美貌の名女優であり,大活躍していましたのに,ガルボは36歳で突然引退しました。その引き際の潔いこと。あっという間でした。そして彼女は,引退後は徹底的にマスゴミ,いやマスコミを避け,終生公の場には一度も姿を現さず,生涯独身を貫きました。その後半生は謎とヴェールに包まれておりますが,その潔さにも惹かれます。吉田兼好「徒然草」の「諸縁放下」そのものの生き方です。ある意味では非常にカッコよい。どうしてそのような後半生になったのかは分かりません。ただ,これは少し的外れかも知れませんが,美を極めた人といえども,老いには勝てません。人々の脳裏には美しい姿のままの自分を留めておいて欲しいという気持ちがどこかにあったのかなと思います。
あー,どこかでグレタ・ガルボの映画を上映していないかな。すぐに観に行くのに・・・。
私はある団体に所属し,毎週火曜日に名古屋市内のあるホテルで開催される例会に出席しています。そうしましたら,何と,その例会場の隣の会場の受付には「中山恭子先生と語る会」という立て看板が立てられているではありませんか!その隣の会場に参議院議員の中山恭子先生が来られるとは・・・,私はびっくりすると同時に,そちらの会場に潜り込めたらなと本当に羨ましく思いました(笑)。
私はこの参議院議員中山恭子先生を,その夫君である参議院議員中山成彬先生ともども,かねてから尊敬しておりました。夫婦揃ってとても立派な議員さんだと思います。何で自由民主党にいないのかと,残念でなりません(笑)。
中山恭子先生は,1999年7月,特命全権大使(在ウズベキスタン及び在タジキスタン)に就任されたのですが,その直後の同年8月23日,隣国キルギスの南西部オシェ州で日本人鉱山技師4人を含む7人がIMU(ウズベキスタン・イスラム運動)と見られるウズベキスタン反政府武装グループに拉致される事件が発生したのです。いつも腰抜けの外務省は,キルギス政府に交渉を一任せよという方針を示しましたが,わが中山恭子先生は,こんな外務省の弱腰な方針に背き,敢然として救出劇の先頭に立たれたのです。そして彼女は,武装グループに対して影響力を持つタジキスタン政府や関係者を通じ,丸腰で,しかも少ないスタッフで交渉・説得を行い,見事人質の解放に成功したのです。勇気と覚悟がなければとてもできる芸当ではありません。
そして拉致被害者の救出です。2002年9月に中山恭子先生は拉致被害者家族担当の内閣官房参与に就任しました。この年,北朝鮮から拉致被害者5名が無事に日本に帰国しました。実はこの段階で日本国政府は一旦はこの5名の方々を北朝鮮に帰す方針でした。違法な拉致からようやく解放したのに,また違法状態に戻すという愚策です。馬鹿げているというしかありません。しかし,ここで中山恭子先生は孤立無援の状況下で,安倍晋三とともに敢然と政府の方針に反対し,北朝鮮に戻すという愚策を思いとどまらせたのです。これも覚悟がなければできません。
国士というのは,国中の人物の中でも特に優れた人のことをいいます。また「やまとなでしこ」とは,日本人女性を可憐で繊細だが心は強いナデシコの花に見立てて使う美称です。中山恭子先生は,国士であり,やまとなでしこであることは間違いありません。
本日のタイトルとは何の関係もありませんが,名古屋グランパスのストイコビッチ監督が今シーズン限りで退任することになりました。フロントもようやく決断したようです。去年も今年も試合内容が悪すぎましたし,ほとんど修正がなされませんでしたので,遅すぎたきらいはありますが英断だったと思います。やはりプロの世界ですからね。素人目にも「ああ,これが名古屋の戦い方か。」,「グランパスはこういう戦術でいくのか。」というようなことが分かるような,そして思わずスタジアムに観に行きたくなるような試合をして欲しいです。またフロントも研ぎ澄まされた目で,例えば平成7年に就任したアーセン・ベンゲル監督のような優秀な監督を見つけ出して欲しいと思います。
最近,仕事が忙しくて残業ばっかりです。午前様のことも少なくありません。お陰さまといいますか,私としては珍しく4日連続で休肝日となっております。さて,今日は残業だという夜には,事務所近くのそば屋でかつ丼を食べることがあります。夕食後も仕事をするということで,自分へのご褒美のつもりです。よく,そば屋のかつ丼は美味しいなどと言いますが,そのそば屋のかつ丼も割と美味しいのです。
ただ昨晩は,さすがにかつ丼ではなく,「コロッケカレーそば」を注文しました。これがまた美味いのですよ。以前から客のリクエストが多かったのかも知れませんが,最初からレンゲも付いてきます。だしの利いたカレーつゆも存分に味わってください,てなもんでしょう。その晩は何でかつ丼ではなくて「コロッケカレーそば」だったのでしょうか。私の場合は,疲れている時やあまり元気のない時はカレーが食べたくなり,食べた後はスパイスのせいか結構元気が出るのです。おとといの晩の残業の時も近くのカレー屋さんで辛いカレーを注文しました(笑)。
さてさてそのそば屋の「コロッケカレーそば」は昔から好きだったのですが,一つだけ難点があります。それは,カレーつゆの下にあるそばが柔らかくなりすぎているという点です。もっとそばに腰がありさえすれば,カレーつゆが良いだけに申し分がないのに・・・。画竜点睛を欠くというやつです(笑)。分かりやすく言えば,玉にきずというやつです(笑)。
そんな訳で昨晩も夜中の0時近くまで事務所でお仕事をしました。帰りはタクシーでした。相当年配の運転手さんでしたが,本当に言葉遣いが丁寧で,接客態度の素晴らしい方でした。これも一日のご褒美かなと思っていたのですが,「悲報」と言いますか,すぐに残念な状況に遭遇してしまいました。車内が口臭で充満していたのです(笑)。これはいただけません。一日の最後はご褒美ではなく,「拷問」が待っていたのです(爆笑)。言葉遣いも接客態度も申し分ないのに・・・。画竜点睛を欠くというやつでした(笑)。
(注)「画竜点睛を欠く(がりょうてんせいをかく)」
画竜点睛を欠くとは,ほぼ完成しているが,肝心な一点が抜けているため,全体が生きてこないこと。「睛」は「ひとみ(瞳)」で,「点睛」は動物の絵を描き最後に瞳を入れて完成させることを意味する。中国の張という絵の名人が金稜の安楽寺の壁に絵を描き,最後に瞳を描き入れたところ竜が昇天したという,唐時代の画史書「歴代名画記」に見える故事から,物事を完璧なものにするための中心や最後の仕上げを「点睛」や「画竜点睛」というようになった。(語源由来辞典より)
今年は第62回神宮式年遷宮です。「神宮」とはもちろん伊勢神宮のことです。私も,かつて3度か4度ほど伊勢神宮に参拝したことがありますが,その都度感動したことを覚えております。この式年遷宮はこの秋にクライマックスを迎え,10月2日の今日は皇大神宮(内宮)で,そして5日には豊受大神宮(外宮)で大御神様を新宮にお遷し奉る「遷御」の儀が行われるのです。
今朝の産経新聞のコラム「産経抄」には,次のようなことが書かれていました。
「作家、長部日出雄氏(79)は「恥ずかしながら」かつては左翼だったという。ところが還暦を迎えたとき、初めて伊勢神宮に参拝し、一遍に左翼から「宗旨替え」してしまった。長部氏自身が講演などで、ユーモアを交えて明かしていることである。おそらく長部氏だけではない。内宮、外宮のあの森閑とした神域の中に身を置けば、日本の伝統文化のすごさに打たれる。「左翼」思想など、雲散霧消してしまう思いがする。伊勢神宮を訪れた日本人、いや外国人も含めたみんなが共有している体験だろう。」
またこれは日本会議の機関誌「日本の息吹」(本年10月号)からの受け売りですが,世界的建築家であるブルーノ・タウトは,「日本はいわば日本のアクロポリスをもつ、-即ちそれは伊勢である。しかし伊勢神宮は、アクロポリスのような廃墟ではない、21年目毎に絶えず造替せられて、日本人の眼前にいつも新鮮な姿を示している。これはまさに世界無二の事実である。」(「忘れられた日本」より)
さらに,平安から鎌倉時代の歌人である西行は伊勢神宮に臨み,次のような歌を詠んでいます。
「何事のおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
この歌の意は「伊勢神宮の内宮に通じる宇治橋を渡る時、清らかな五十鈴川のせせらぎの音、川面を吹きわたる心地よい風、前方に臨む緑深き神宮の森の雄大さに触れ、この感情が湧きあが」ったということでしょう(皇室ジャーナリスト高清水有子)。
私が弁護士登録をしてまだ1年目くらいの時に,交通事故の示談交渉のために五十鈴川にある被害者のご自宅を訪れたことがありました。近鉄五十鈴川駅から歩いていきましたが,あの辺りはやはり独特の雰囲気,趣がありました。表現が適切かどうかは分かりませんが,何か森閑とした,幽玄な,厳かな雰囲気がありました。雨上がりで少し靄もかかった状況でしたからなおさらです。今でも覚えております。
私も近々伊勢神宮にお参りに行きたいと思っております。