あー,だめだー,もう辛い・・・。ゴルフでは最近好調を維持していましたのに,土曜日のラウンドでは特に前半9ホールで悲惨なスコアでした。後半9ホールは盛り返したのですが,最終的には18ホールでいつもよりも10打くらい余分に叩いてしまったのです。「力むな!」とあれほど自分に言い聞かせたのに,不肖私めの体,言う事を聞いてくれませんでした(笑)。
あー,だめだー,もう辛い・・・。もう名古屋グランパスはこのままではダメでしょう。ストイコビッチ監督が務めている間は全く光明が見いだせません。天皇杯は格下チームに0-2で敗れ,早々に敗退。清水エスパルスに敗れ,その後いずれもホームでFC東京には0-2,川崎フロンターレには1-2と負け続けています。そして試合後のストイコビッチ監督のコメントは,全て選手の責任にしてしまうかのようなお決まりの内容でした。もう解任か辞任しかないでしょう。監督としては限界なのですよ。
話は変わりますが,土曜日のゴルフは朝早くの出発でしたので,朝食はというと,途中コンビニでおにぎりを頬張りました。そうしたところ,コンビニの駐車場で私が目にしたのは,2トントラックの助手席の若い男がやおら窓を開け,当然のようにゴミを投げ捨てる場面でした。とても違和感を覚えました。私もそれほど育ちが良い方とは言えませんが,路上にポイとゴミを捨てるような真似は絶対にしません。私だって,そういうことをしてはいけないという風に躾けられております。唖然とし,そして嫌な気持ちになりながら2個目のおにぎりを頬張っていると,その男が再び助手席の窓を開けて今度は前よりも大きなゴミを駐車場の路面に投げ捨てたのです。一体全体,親からどんな躾を受けたのでしょうか。もう大人なのだからと彼を責めたい気持ちもある一方で,養育環境など彼だけのせいではない側面もあるのでしょう。
これは「大紀元」というサイトの記事からの受け売りですが,最近の医学の研究結果によれば,母の愛はただ感情の感受だけでなく,子供の大脳の構造を変える力を持ち,より多くの母の愛情を受けた子供は大脳の海馬領域がより大きいそうです。海馬は大脳の重要な部分であり,学習や記憶,行動が密接に関係しています。ワシントン大学のジョアン・ルビ博士の研究チームは一連の実験研究を行い,脳の海馬の大きさは幼児期に受けた愛情に関係し,より多くの関心と愛情を受けた子供はその海馬がより大きいそうで,成長してからの学業,仕事及び社交において,関心と愛情をあまり受けていない子供より優秀な表現が現れることが分かったそうです。また,母の愛情といっても,単に子供と一緒にいる時間が長ければ良いというものでもなく,母親と一緒にいる時間の「量」よりも,一緒にいる時に受けた愛情の「質」が重要とのこと。確かに,いくら母親が子供のそばにいたとしても,その母親が子供を全く相手にせず,スマホばっかりいじっているようじゃ,どうしようもありません。子供と一緒にいる時間や愛情の「質」こそ重要なのです。
また,カナダのマギル大学神経学のマイケル・ミニー教授の研究チームの報告では,母親の愛情は子供の大脳の遺伝子発現を改変することができ,しかもこれは持続的で次世代に遺伝し,大脳の海馬の部分により多くのストレス受容体を形成するそうです。そしてその母親の愛情によって多く形成されたストレス受容体が,身体のストレスに対する障害を軽減し,子供はよりのびのびと成長できるそうです。
母親の愛情はとても大切なのです。もちろん父親の愛情も(笑)。そして躾けも。
少し風は強いですが,ようやく秋らしくさわやかな季節になってきました。という訳で,私の毎日の徒歩通勤も再開です。それに最近では,事務所と裁判所の往復には当然かばんを持ちますが,自宅と事務所の往復の際にはかばんを持たないようにしています。とても楽です。肩こりも軽減されると思います。
さて,私は実は「あまちゃん」も「半沢直樹」も結局観ることはなかったのですが,いよいよシリーズも終わりですね。すごく面白かったようで,人によっては,「半沢直樹」は1週間の元気をくれ,「あまちゃん」は1日の元気をくれた番組だと言っております。そういえば,うちのカミさんも毎朝「あまちゃん」を観て一喜一憂の表情をしておりました(笑)。むしろそちらの方が面白い(爆笑)。日本のドラマも捨てたものではありませんね。この2つのシリーズが終わってしまい,多くの日本国民が当分の間,喪失感を味わうのでしょう。
それにしても,英霊の眠る我が靖国神社に,あろうことか韓国人が不法に侵入し,警視庁公安部はこの韓国人を逮捕しました。この男は,靖国神社拝殿にペットボトルに入った引火性のトルエンとみられる液体を投げかけようとし,リュックサックの中からライター2個が見つかったことから,放火目的で侵入した可能性があり,詳しい動機が追及されています。
そういえば,今年の6月にもインターネットの韓国語のサイトに,男が靖国神社境内の池に放尿したとする画像と文書が掲載されましたし,平成23年12月には中国人が靖国神社の境内の門にガソリンを撒いて放火し,一部を焼くという暴挙に出ています。こんな野生動物とも言うべき不逞の輩が今後ますます増えていく危険性があり,私としては非常に不愉快です。入国管理,ビサ等の発給,そして靖国神社などの施設警備をもっともっと厳重にして欲しいと思います。
本当に韓国という国は,夜郎自大というか,反日を国是にしているというか,どうしようもありません。大統領自身が訪中の際,ハルビンに安重根の像を建てさせてくれと臆面もなく要請するんですからね。安重根というのは,ご存知,伊藤博文公を暗殺したテロリストです。それに今度は,韓国与党の国会議員10名が,韓国内で旭日旗を掲げることなどを罰則で禁止する法案を提出したそうです。この法案によると,旭日旗など「日本帝国主義を象徴する物」を韓国内で作ったり,「公衆が密集する場所」で使ったりしたら,1年以下の懲役か300万ウォンの罰金に処せられるのですと。あーあです。そういえば私は,韓国の国会議員が集団で大きな日の丸の上を土足で歩いている画像を見たこともあります。
他にやることがないのでしょうか。例えば,2018年に平昌冬季オリンピックの招致に激烈なロビー活動でやっとのことで成功したのですから,それが無事に開催,運営できるように周到な準備をしたり,あるいはクラシック専用コンサートホールにパイプオルガンを設置したり・・・。やるべきことはいっぱいあるはずです。このたび韓国内で,フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団を招いて,かの名曲,サン・サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」を演奏してもらうそうですが,韓国内にはパイプオルガンの設置されたクラシック専用コンサートホールが一つもなく,楽団側やオルガン演奏者も困惑しているのだとか。結局は電子オルガンで演奏するそうです。この曲は素晴らしい名曲で,特にパイプオルガンが登場する箇所では圧倒的な迫力と感動があります。
自分の顔が好きかと言われれば,特に好きではありません。勿論親から授かった顔ですから,ありがたいとは思いますが,好きという訳ではありません。でも,関口宏さんや古館伊知郎さんやみのもんたさん達の顔を見ておりますと,ああいう顔にはなりたくないと思います。
関口宏さんはサンデーモーニングという番組に出ていますが,日曜日の朝っぱらから見たいという顔ではありません。この人はあたかも日本が嫌いで嫌いで仕方ないというような対応,表情をしています。東京オリンピック招致が決まった時でも渋面を崩しませんでしたし,イプシロンの打ち上げが成功した際にも「宇宙のゴミが増える」などといった否定的なコメントをしています。日本の何が気にくわないのでしょうか(笑)。
古館伊知郎さんもテレビでおなじみですが,月曜日から金曜日までの就寝前のひとときに見たいという顔ではありません。ここまで言っていいのかとは思いますが,少し偽善的で,あの訳知り顔が鼻につきます。プロレスの実況でもやっていればいいのに,などと思ってしまいます(笑)。
みのもんたさんも朝のワイドショーに出ておりましたが,月曜日から土曜日までの朝っぱらから見たい顔ではありません。いつも二日酔いのような脂ぎった偉そうな表情で(笑),いかにもスタジオを牛耳っているような感じです。とても好感を持つことは出来ません。
それに引き替え先日,中日ドラゴンズの岩瀬仁紀投手は「いい顔」としているなとつくづく思いました。18日の対巨人戦で,岩瀬投手は382という通算セーブ数日本新記録を達成したのですが,この記録達成の直前にはテレビで彼の顔がずっとアップで映されていました。美男とはとても言えませんが(笑),私は「いい顔」をしているなと思ったのです。ちょっと見では少し気の弱そうな表情ではありますが,どうしてどうして,すごく芯が強い感じがします。自分の仕事に懸命に取り組んでいる姿に好感が持てるのです。大学時代には投手としてはそれほどは注目されず,NTT東海に入り,1998年のドラフト2位で中日に入団しました。この岩瀬投手の凄いところは,入団1年目から14年連続50試合以上登板,9年連続30以上セーブという実績です。本当に素晴らしい。これはよほど自己鍛錬を継続し,節制というものをしていなければ達成できません。彼はお酒が全く飲めないらしく,従って二日酔いもありません。とても羨ましい(笑)。くどいようですが,彼は決して美男ではありませんが,「いい顔」をしていると思います。
そして昨夜の中秋の名月,これも誠に見事でした。「いい顔」をした月でした。月見酒でもと思いましたが,私はというと仕事に追われ,昨夜はそれもかないませんでした。
このたびの台風18号による甚大な被害には言葉を失いました。自然の力が猛威を振るっている様を見ると,人間の力ではどうしようもないものがあるなと痛感させられます。被災された方々には心からお見舞い申し上げます。
さて,冒頭のような話題からすぐにこのような話題に転じるのは不謹慎かもしれませんが,わが名古屋グランパスの凋落ぶりは目を覆うばかりです。ストイコビッチ監督が6年間もチームを任されているのに,1回のリーグ優勝を除いて結果を出すことができず,その悲惨な戦いぶりにサポーターの心が離れまくっている状況は看過できません。その問題性については,素人の私が生意気にも自分なりにこれまで力説してきましたので,ここでは繰り返しません。ストイコビッチ監督は,プロの監督ならば潔く身を引くべきです。
しかるべき時に
名古屋グランパスは,今年の天皇杯では既にJ1チームのトップを切って既に敗退しております(笑)。AC長野パルセイロというチームに0-2で敗れております。AC長野パルセイロはJ2より下のJFLのチームです。私は勿論このチームに対する敬意を欠いてはおりませんが,この試合での名古屋グランパスの戦いぶりは悲惨でした。名古屋はこれに引き続くJ1リーグ戦の対清水エスパルス戦にも敗北しております。内容が悪すぎる。ストイコビッチ監督の監督としての限界が見えてきております。フロントももう決断すべきではないでしょうか。
しかるべき時に
私は晩酌した後は,お風呂に入り,寝るまでの時間を読書かバッハの音楽で過ごすことが多いのですが,お酒が進んでしまった晩には読書よりもバッハの音楽を聴くことが多いのです。日曜日にはバッハの教会カンタータ第106番「神の時こそ いと良き時」のDVDを鑑賞し,とても癒やされ慰められました。前にもこのブログで紹介したことがあったと思いますが,誠に素晴らしい曲です。この曲は,ウィキペディアにも書いてあるとおり,当時の死生観を反映した作品として,また草創期の素朴な作品として重視する愛好家も多く,のちの整然としたカンタータとは違う構造もあいまって,非常に人気の高いカンタータの一つです。第1曲目は静寂の中からビオラ・ダ・ガンバの低音のメロディーが奏でられ,やがて二本のリコーダーによるしみじみとした癒しの旋律が流れます。このカンタータの成立時期は1707年ですから,バッハがまだ22歳の青年期の作品です。もちろん円熟という感じではありませんが,教会カンタータの中では最も好きな曲の一つなのです。この曲の歌詞の中に,次のようなものがあります。
「神の時こそ最善の時。 我らは神の中に生き,動き,存在する。 神が望まれる限り。 神にあって死すべき時に我らは死ぬ。 しかるべき時に。」
「神の時」というのは臨終の時を意味します。この歌詞は,死を決して怖れることはないのだという,「死の受容」を明らかにしたものでしょう。
さてさて,話題は戻りますが,私はストイコビッチ選手の現役時代の勇姿を知っていますし,ファンの一人として熱狂しておりました。歴史にその名を残す天才中の天才でしょう。特に親日家のストイコビッチ監督にはもちろん長生きして欲しい。サッカー界のためにもこれからも末永く貢献して欲しいと思っております。ただ,名古屋グランパスの監督としては,もうこの辺りで身を引いても良いのではないでしょうか。しかるべき時に。
いよいよ2020年のオリンピック開催地が決定しますね。日本時間の9月8日(日)の早朝に決定されるようです。私自身はやはり二度目の東京オリンピックの開催を強く願っております。
それにしても,平常運転と言えば平常運転なんでしょうが,韓国の反日行動はこの東京オリンピック誘致への妨害工作にも発展しております。産経新聞ソウル駐在特別記者の黒田勝弘さんの話によれば,韓国系のVANK(バンク)という市民団体が,IOC(国際オリンピック委員会)やアメリカの大手メディアに「平和と博愛というオリンピックの精神に反する反韓国デモを黙認している日本に五輪を開催する資格はない」という内容の”告発文”を送りつけるなどのネガティブキャンペーンを展開しております。そして,韓国には市民団体の国威発揚活動に補助金を出す制度があり,VANKにも韓国政府から補助金が出ているようです。
「平和と博愛というオリンピックの精神に反する反韓国デモを黙認している日本に五輪を開催する資格はない」ですか・・・。私自身,以前何度もテレビで,韓国の市民が日の丸を焼いたり,日の丸を足で踏みにじったり(韓国の国会議員までもやっていました)など,極めて過激でエキセントリックな反日デモを繰り返していた場面を見たことがありますが,あれは夢だったのでしょうか(爆笑)。
朝っぱらから不愉快なことはこれぐらいして,安倍総理もブエノスアイレスに出発し,プレゼンに臨まれますし,高円宮久子殿下も東日本大震災の復興等支援に対するお礼のスピーチもなさいます。英国のブックメーカーによれば東京が本命のようではありますが,過去2回,パリ,シカゴと本命が落選する事態が続いております。最後まで気を抜かずに,是非とも東京開催を勝ち取って欲しいと思います。
2020年の東京での開催が決定されれば,昭和39年(1964年)の東京オリンピックから数えて56年ぶりです。逆に言うと,そんなに昔に一度目の東京オリンピックが開催されたのかと感慨を深くします。この東京オリンピックは,アジアで,そして非欧米世界では初めてのオリンピックでした。大東亜戦争により,東京をはじめ,日本全国で無差別空襲がなされ,終戦時には一面焼け野原でした。しかし日本は昭和27年4月28日に主権を回復し,それから僅か12年後にオリンピックを開催したのです。開催直前の10月1日には東海道新幹線が開通しております。改めて日本人の底力を感じるのです。
ジャイアンツの中継ぎ陣は悲惨だなー。中継ぎ陣がこうだと,先発が不出来の時はもう試合になりません。抑えのマシソン,山口,西村は相当に安定感はありますが,それまでの中継ぎ陣がねェ・・・。土曜日の対中日戦はテレビを見ていて,無性に怒れてきてしょうがなく(笑),脳の血管がブチ切れそうでした。杉内はスライダーが全然ダメで,ワンバウンドばっかりです。そうするとストレート狙いされますが,何しろビックリするような速球がないのでね。辛いです。そして中継ぎ陣が途方もなくふがいなく,私としてはもうこうなったらテレビのスイッチを切って,ふて寝するしかないでしょう(笑)。
でも,考えてみますと,お盆の時も東京ドームで我が栄光の読売巨人軍の勝利を目にすることができましたし,ナゴヤドームに遠征してくる巨人軍の勇姿にもたびたび接することができます。思えば幸せなものです。感謝しなければなりません。
次の話は本当に泣ける話です。ある男性の体験話としてネットで紹介されていたのですが,コピペ状態で拡散したいと思います。人間,足るを知り,何事にも感謝しなくてはね。
「幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。」
「ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外のベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に『楽しかったよ』と言ったら、母は『母ちゃん、バカでごめんね』と言って涙を少しこぼした。」
「俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せてやることもできた。」
「そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように『野球、ごめんね』と言った。俺は『楽しかったよ』と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。」
週末は家族と一緒に東京へ行ってきました。
まずは八重洲地下街の旭川ラーメン「番外地」で塩バターコーンラーメンです。当然と言えば当然です。娘もカミさんも舌鼓。そしていよいよ東京ドームで,我が栄光の読売巨人軍の応援です。対中日戦でしたが,見事な逆転勝利で私も家族もご満悦・・・。最近このブログでは酷評してしまっていた長野の3ランホームランが効きました。長野選手,少し見直しました(笑)。亀井の2ランも見ることが出来ましたし,反日左翼的な中日新聞(笑),いや中日相手に7-2の快勝です。この日はピカチュウもいましたし,もちろんジャビットもビッキーもキッズジャビットもおりました。東京ドームは本当に久しぶりでしたが,楽しいひとときでした。
翌朝は,靖国神社に参拝しました。国や家族のために尊い命を落とされ,散華された方々に感謝と尊崇の念を感じ,心静かにお参りしたのです。参拝の後は,もちろん遊就館に行きました。上映される「私たちは忘れない-感謝と祈りと誇りを-」という映画を観たのはこれで二度目でしたが,どうしても泣けてきてしまいます。散華された方々の遺書も,花嫁人形なども観ました。新聞を含めた反日左翼的なマスメディアや,それに迎合している文化人,コメンテーター,そして歴史を少しも勉強しようとしない一般市民の中にはステレオタイプに「侵略」,「謝罪」を声高に叫び,靖国神社参拝についても中国や韓国への配慮を最優先に唱える人たちがおりますが,いわゆる「東京裁判史観」に無批判に依拠するのではなく,一度じっくりと近現代史というものを勉強すべきではないでしょうか。私自身もまだまだ不勉強だとは思いますが,彼らも不勉強だからこそ,ああいったステレオタイプの発言を繰り返しているのだと思います。
さて,名古屋へは午後4時少し過ぎの新幹線で帰る予定になっておりました。それまではお定まりのコースになっておりますが鈴本演芸場で落語などを楽しみました。そしてこれまたお定まりのコースとなった館内の助六寿司にビールです(笑)。落語なんかを聴いておりますと,つくづく日本の話芸の素晴らしさを思うのですが,この日は古今亭志ん輔と三遊亭歌之介の話が面白かった。隣に座っていたうちのカミさんなどは,抱腹絶倒しておりました(笑)。
高知県の四万十市で41.0度ですと・・・。41.0度ですよ!どうしちゃったんでしょう。我が国はこんなに暑い国だったでしょうか。長いこと生きておりますが(笑),今年の暑さは格別に体にこたえます。
この猛暑,酷暑の原因ですが,どうやら北海道を除く日本列島を,広く太平洋高気圧が覆っている上,さらに中国大陸からのチベット高気圧が日本列島をすっぽりと覆うような形になっているからだそうです。さらに重なった条件としては,風が日本海側から太平洋側に向けて吹いているため,海側(太平洋側)からの風が吹き込まれず,暖かい空気が滞留していること。暑いはずです。
こういった暑さがこれからもエスカレートしていくのかについて,産経新聞の記事によりますと,地球温暖化に詳しいある研究者は,気温上昇は地球全体の傾向で「熱を吸収しやすい二酸化炭素(CO2)の大気中濃度が増えれば,最高気温更新は当然」であり,「気温の上昇を抑えるには,CO2排出量をどれだけ減らせるか次第だ」と指摘しております。
でもその一方で,世界的には地球温暖化が止まったかもしれないという見方もあるようです。過去60年間では,2000年ごろまで上昇していた世界平均気温が頭打ちになり,それ以降はほぼ横ばいで推移しているからです。
専門的なことは分かりませんが,とにかく私も頑丈な方ではないので(笑),36,7度が連日ずっと続くという状況だけは勘弁して欲しいと思います。
昨日警察署への車での移動中に,車のラジオから「音頭」が流れておりました。その番組は「音頭」を特集しており,「東京音頭」や「オバQ音頭」などの懐かしい曲が流れておりました。「オバQ音頭」なんか昭和40年ですよ。まだ小学校低学年でした(笑)。聴いていて思わず笑っちゃったのが「温度音頭」という曲です。永六輔さんの作詞,作曲者不詳(爆笑)で,三波春夫さんが真面目に歌っておられるのです。
「・・・・・燃える 太陽 100万度 今日は晴天 よかったねー ~♪♫ 」
「・・・・・お酒 人肌 36度 今日は乾杯 よかったねー ~♪♫ 」
「・・・・・平均体温 36度 今日も平熱 良かったねー ~♪♫ 」
「今日も平熱 良かったねー」の歌詞を聴いた時には,思わず笑ってしまいました(笑)。
それにしても,この暑さ,何とかしてくれー。
あと一か月くらいでこの酷暑とも言うべき暑さは収束するのでしょうか。この年齢になりますと,一夏を乗り越えるというのは本当に大変なことです。夏だから暑いのは当たり前だという当たり前のご意見もありましょうが,この暑さばかりは・・・。
さて,我が栄光の読売巨人軍の一員でありながら,澤村という投手はどうしてこんなに同じ間違いを繰り返すのでしょうか。また初回に2点を取られております。テレビを見ていてますます暑苦しくなってしまいました(笑)。せっかく味方が先制点を取ってくれたのに,当然のように,そしてこれが平常運転と言わんばかりに初回に点を取られて逆転されております。その後,中盤で味方が点を取って3-2とリードしてくれたのに,その直後にあっという間に同点に追いつかれております。最終的にはジャイアンツが勝利し,澤村投手には負けは付きませんでしたが,なんかなあという感じです。
この暑さでますますまとまりのない話になりますが,昨日も移動中の車内で,ラジオから流れてくる曲に癒やされました。マーラーの交響曲第5番の第4楽章のアダージェットです。ハープと弦楽器だけで奏でられる非常に美しい曲です。この曲は,ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」に使用され,ますます有名にもなりました。そういえば,前回のこのブログではワーグナーについて少し触れましたが,ワーグナーは1883年2月13日に,旅先のベニスで69歳の生涯を閉じております。客死ですから,正に「ベニスに死す」ということになります。もちろんその遺体はバイロイトの自宅であるヴァーンフリート荘の裏庭に埋葬されました。
今日のような暑さでは思わずタクシーで事務所まで参りました。そのタクシーの運転手さんは見たところ60歳代でとても礼儀正しく,感じの良い方でした。私も長いこと生きておりますが,タクシーの車内でクラシック音楽を耳にするという体験は稀です。ベートヴェンのバイオリン協奏曲が車内に流れておりました。
そしてその運転手さんは,精算を終えて車を降りようとする私に,「今日も暑くなりますが,良い一日をお過ごしください。」と声を掛けてくれました。
いや,別にワーグナーと新選組との間に何か深いつながりがあるという訳ではありません。職業的には完全に畑違いですからね(笑)。新選組が京都守護職の松平容保の会津藩お預りとなり,短い間ではありましたが颯爽と京の町を駆け抜け,戊辰戦争を戦っていた同じころに,ワーグナーも楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を完成したり,指揮者ハンス・フォン・ビューローの妻であったコジマ(リストの娘)と不倫の上,結婚をしていた時期なのです。
何でワーグナーと新選組が思いついたのかといいますと,要するにいずれも今年(2013年)が一つの節目だからです。ワーグナーは1813年生まれですから生誕200年,新選組がこの世に誕生したのが1863年(文久3年)ですから生誕(?)150年なんでありますよ(笑)。要するに,新選組が京の町で誕生した時,ワーグナーは働き盛りの50歳だったという訳です。
先日,仕事上自分の車で移動していた際,ラジオからワーグナーの「タンホイザー序曲」と「ニュルンベルクのマイスタージンガー第一幕への前奏曲」が流れていました。ワーグナーの曲には独特の魅力がありますね。士気を鼓舞する要素もあります。ラジオから流れるこれらの曲は,録音状態がそれほど良くはなく,少し懐かしい昭和の香りがする音,演奏でしたが,やはりカール・ベーム指揮でした。いかにも正統派の指揮ぶりで誠に素晴らしい。
さて,私は少なからず新選組に興味があり,このブログでもいくつか書きました。ブログ内検索で「新選組」と入れてご参照いただければ幸いです(笑)。今日は新選組の最後の局長(隊長)となった相馬主計のことに触れてみたいと思います。最後の局長(隊長)といっても,相馬主計がこの立場についたのが明治2年(1869年)5月14日であり,その4日後の18日には函館で戊辰戦争が終結しておりますので,局長(隊長)になったとはいっても,戦の差配をしたということもなく,実際には新政府軍に対する敗戦処理,抗戦責任をとるべき立場であったということになりましょう。
この相馬主計は,戊辰戦争終結後は抗戦責任者の一人として,榎本武揚や大鳥圭介らとともに投獄され,明治3年10月には伊豆諸島の新島への終身流罪の判決が下されます。新島での流人生活を送っているうちに,島民の植村マツと結婚し,その後明治5年10月に赦免されると妻マツとともに東京の蔵前で暮らし始めます。既に赦免されていた榎本武揚からは新政府に出仕するように勧められましたが,相馬はこれを断り,ある日,妻のマツには何事が起きても「他言無用」と言い残し,妻の留守中に割腹自殺を遂げておりました。妻マツは夫の言葉をずっと守り続けたため,相馬主計がなぜそのような行動をとったのかは謎につつまれたままです。
相馬は,新政府から赦免されたとはいえ,最後の新選組局長(隊長)としてのけじめというものを考え,悩み抜いていたに違いありません。会津,仙台,桑名など戊辰戦争で新政府軍に抵抗した藩では,抗戦責任者は切腹を命じられています。終戦直前に就任したとはいえ,新選組の最後の局長である自分だけがおめおめと生き続けることが許されるのかと考えた時,相馬は自分の腹に刃を突き立てたのでしょう(別冊歴史読本「新選組大全史・新選組クロニクル通史篇」115頁,新人物往来社)。相馬主計の出自も武士で,常陸の国,笠間藩士の子だったのです。