それにしても,薬というのはすごいですね。私は最近尿酸値が高くて,いよいよこのまま痛風になってしまうのかという不安に苛まれておりましたところ,月に1回通っている病院の先生に,尿酸値を下げる薬を処方していただきました。
この薬を服用して約1か月半が経過し,本日最新の尿酸値が判明しました。確かに減っているのです。正常値域内にあっという間に戻ってしまいました。薬というのはすごいわ。これでこれからも安心して鯨のようにビールが飲めます(爆笑)。
こういう馬鹿な考えだからダメなんですね。さて,私の次なるターゲットは中性脂肪です。これも正常値域を超えておりますが,当面は食事に気をつけて,できるだけ運動することによって下げたいと思います。中性脂肪の値についても,逸脱的な数値にビビっているのです(笑)。中性脂肪を下げる方法について,余暇を見つけて研究したいと思います。
月に1回通っているその病院では必ず採血の検査があります。たかが採血とはいっても,チクチクする注射針を腕の血管に刺す訳ですから,いつも緊張します。とてもイヤな瞬間なのです。でも採血をするその処置室に私が座ると,直ぐ目の前の位置に中日ドラゴンズのドアラの割と大きなぬいぐるみがあって,少し和むのです。私は中日新聞や東京新聞の報道姿勢や社論は反日左翼的で気にくわないのですが,ドアラは可愛いと思います(笑)。
ドアラで思い出したのですが,プロ野球と言えば,我が栄光の読売巨人軍に少しばかり意見をしたいと思います。最近,巨人軍は首位を独走していることをいいことに,あたかも相手チームにハンディを与えているかのような振る舞いをしていませんか?例えば,初回の失点,そして1番打者の低い出塁率です。
先の東京ドームでの対阪神戦ではこの「ハンディ」が顕著でした。最近いつも思っているのですが,巨人のピッチャーはどうしていつも立ち上がりが不安定で,簡単に四球を出し,初回に失点するのでしょうか。あたかも相手チームにハンディを与えるかのように・・・。初回の失点は守っている味方だってとてもイヤだと思いますよ。この対阪神3連戦の第1戦,澤村はいつものように(これが平常運転かもしれませんが)初回に1点取られております。第2戦,杉内は初回に2点を取られております。第3戦,菅野は初回に1点を取られております。これではダメです。
次に,最近は長野を1番打者に据えておりますが,その出塁率は極めて低いでしょう。1番はリードオフマンなのです。出塁率が高くなければならないでしょうに。柴田や高田や松本のように・・・。これほど出塁率の低い打者を1番に据えるのは,これまた相手チームにハンディを与えているようなものです。いつも言っているように,長野はベースから離れ過ぎで,あれでは外角の厳しいコースは手が届きません。それに外角落ちる球に空振りというシーンの連続です。昨日の試合でも,新人の藤浪投手に外角の落ちる球を投げられ,あえなく三振しておりました。
まあ,仕事にも影響しますから,ブツブツ言うのも今日はこれくらいにしておきましょう(笑)。
ハンディといえば,割と多くハンディをいただいていたせいか,不肖私めが,あるゴルフコンペで見事優勝を果たしました。これでツアー通算14勝目です(笑)。
日曜日はとてつもない暑さの中,あろうことかゴルフをいたしました(笑)。
・・・・・普通はやりませんよね。そんなこと・・(笑)。この日は全国的に気温が高く,猛暑日になった所も多く,名古屋も35.2度を記録したそうです。この日は熱中症で運ばれた人が全国で859人出たとのこと。
私は気が置けない人たち7名(2パーティー)と一緒に修行しました。夏のゴルフは,いわば修行なのです(笑)。流れる汗の中,水分補給をしながらのラウンドでした。それにしても私以外のこの7人のうち,私より年下なのは2人であとは全部私より年上です。何でこの人たちはこんなに元気なのでしょうか(笑)。
でもですよ,35度を超える猛暑,この過酷なコンディションの中でラウンドしたのに,私としてはそんなに悪いスコアではなかったのであります。随所にその天才性を窺わせるショットもありましたし(笑),秋以降の良いコンディションであればコンペで優勝しそうな予感もあります。
さて,この日はなぜか無性にすいか(西瓜)が食べたい日でした。朝からすいかのことが頭から離れなかったのです。真夏のゴルフという難行,苦行に近い修行の後は,ご褒美としてすいかくらい食べたって罰は当たらないだろうと思ったのです。もう,こうなったらどんな卑怯な手を使ってでもすいかを手に入れたいと思いました(笑)。
最終的には近くのスーパーでごく普通に丸ごと1個を購入し,自宅冷蔵庫で冷やして娘と一緒に食べました。その美味しかったこと・・・。翌年の成人式の振り袖の衣装合わせから帰ってきた娘も,すいかを美味そうに頬張り,大満足のようでした。すいか好きは私に似たようです。
俳人正岡子規の食に対するこだわりは有名ですが,すいかも大好きだったようです。
「君来ばと 西瓜抱えて 待つ夜かな」
「切売の 西瓜くふなり 市の月」
「ものもいはで 喰ひついたり 西瓜哉」
いよいよ参議院議員選挙の告示ですね。とても楽しみです。いわゆる「アベノミクス」という経済政策に対して,野党党首はどいつもこいつもこぞって批判しております。再三言うように,一つの経済政策(金融,財政など)が,景気,雇用,税収などにどのような効果を現していくかについては,1年半とか2年ほどの少し長いスパンで見ていく必要があるのではないでしょうか。インフレ予想とか,経済は予想で動いているのですから。野党党首の批判はいずれも,「ため」の批判であって,説得力というものがありません。破綻した安愚楽牧場の広告塔だった海江田民主党代表は,「総理は『アベノミクス』の副作用のこともおっしゃるべきだ!」などとほざいておりますが,私なんかはどんな「副作用」がどんなふうに発生するのか,海江田という人にその根拠を逆に尋ねてみたい。仮になにがしかの「副作用」が将来生じたとしても,今の安倍内閣には,無能だった民主党政権とは全く違ってその副作用への有効な対策を臨機応変に講じてくれる知恵と勇気があると思っております。デフレ脱却の方向性は全く正しい。
さて,先日は仕事上,車で移動しなければならない日でした。そういう時は決まって好きな音楽を楽しむのですが,この日に限ってお気に入りのCDを忘れてしまい,久しぶりにラジオのスイッチを入れてみました。いつもはたいていNHKFMです。そのいろんな番組に接し,ああ,ラジオもたまにはいいなと思いました。
最初は「あめふりくまのこ」という曲を懐かしく聴いたのです。前にもこのブログで書いたのですが,私は子供の頃からこの曲が大好きでした。幼児か児童向けのテレビ番組で初めてこの曲を知って以来,その時の可愛い絵とともにずっと記憶に残っているのです。これはバッハの「マタイ受難曲」ほどではありませんが,かなりの名曲です(笑)。次のような歌詞です。
「おやまに あめが ふりました あとから あとから ふってきて ちょろちょろ おがわが できました」
「いたずら くまのこ かけてきて そうっと のぞいて みてました さかなが いるかと みてました」
「なんにも いないと くまのこは おみずを ひとくち のみました おててで すくって のみました」
「それでも どこかに いるようで もいちど のぞいて みてました さかなを まちまち みてました」
「なかなか やまない あめでした かさでも かぶって いましょうと あたまに はっぱを のせました」
鶴見正夫さんの作詞で,私が幼い時にテレビで見た時,くまのこが頭にのせた葉っぱは,蓮かなんかの葉っぱだったと思います(笑)。
その日のラジオ番組では,映画音楽が数曲かかったと思ったら,いきなりバッハの「二つのヴァイオリンのための協奏曲」ニ短調の第一楽章がかかったのです。嬉しかったと同時に,改めてバッハの凄さを感じました。どんだけ凄い曲か,ユーチューブで確認,確認。それにしてもその番組の意外な曲編成にも驚きました。
さらにその日の別のラジオ番組では,何と,あのお笑い芸人ヒロシがパーソナリティーを務めておりました(笑)。とても懐かしいです。「8年前に流行(はや)ったヒロシです。」などと相変わらず自虐的な雰囲気でしたが,そのパーソナリティーぶりからして,根は真面目なタイプなのだなと思った次第です。彼は,「カーナビだけが優しく喋りかけてくれるとです・・・」とか「自分の寿命が分かるゲームをやりました2年前に死んでました」とか「ネコから睨まれてつい謝りました」とか「親戚のおじさんに彼女を取られました」なんて,面白い自虐ネタで一世を風靡しましたからね(爆笑)。
ラジオもたまにはいいなあ。
みなさん,この愛すべき日本国のわずか3代前の首相は誰だったか覚えていますか?・・・そうです,そうなんです,鳩山由紀夫という人でしたね。この人がまたまた懲りもせず売国的発言を繰り返しております。この人は6月25日に放送された香港のフェニックステレビのインタビューで,沖縄県の尖閣諸島について,「中国から見れば(日本が)盗んだと思われても仕方がない」とか,「カイロ宣言の中に尖閣が入るという解釈は、中国から見れば当然成り立つ話だ」などとほざいたといいます。
尖閣諸島が国際法上まぎれもなく日本の領土であることは言うまでもありません。その根拠については,例えば「外務省 尖閣」とキーワードを入れて外務省のホームページを検索すれば,理論武装ができます。それに中国共産党が戦後も尖閣が日本の領土であることを認めていたことを裏付ける文献等も存在します。要するに中国は,この尖閣諸島周辺に大規模な油田が存在するということが判明してから突如としてその領有権を主張しだしたのであり,例えば国際司法裁判所で雌雄を決することになったら自分に勝ち目はないことを自覚しています。それでも資源と軍事的な海洋戦略のために,強引に「核心的利益」などと言って尖閣を盗りに来ているのです。カイロ宣言なんか国際法上条約でも何でもありません。
さてさて,それにしても鳩山由紀夫です。この人は「日本列島は日本人だけのものではない。」と真顔で言いましたし,そしてこのたびの売国的発言です。菅官房長官も「発言を聞いて絶句した。開いた口が塞がらない。」などとコメントしています。この鳩山由紀夫という人は,実は正真正銘の馬鹿なのではないでしょうか。こんな人物が日本国の首相だったというのですからね。私も衆愚の一人であることは勿論ですが,つくづく衆愚政治というものの恐ろしさを感じます。一時期このブログでは「つける薬がない」シリーズが流行りました(笑)。結構評判だったのですよ(笑)。この「つける薬がない」シリーズでは,この鳩山由紀夫という人が主人公になることが多かったのです。このシリーズを書いていた頃は私も奥ゆかしかったのでしょうね。さすがに端的に「馬鹿」とは表現しませんでした。「つける薬がない」という日本語は,正確には「馬鹿につける薬がない」というものですが,この頃は婉曲表現にとどめておったのでございますよ(爆笑)。
馬鹿という言葉の話になりましたが,今朝の読売新聞のコラム「編集手帳」には,元外務大臣,元東京市長の後藤新平の名言のことが書いてありました。面白かった。この後藤新平という偉人の業績は誠に素晴らしく,あの児玉源太郎大将が台湾総督になった際に民政局長(後に民政長官)にこの人を抜擢したことからもわかるように,その行政手腕,人間力,先見性は折り紙付きでしょう。後藤新平には,自分が腹が立って仕方ないような時にとなえる呪文があった。彼が内務官僚時代の部下であった永田秀次郎に「(その呪文を)教えてやろう」と言った。永田の耳もとに口を寄せ,あたかも極秘事項を明かすように声を低めて「(無性に腹が立ったら)相手に聞こえないように、馬鹿(ばか)、馬鹿、馬鹿と三度言うのだよ。」と教えた・・・。
私にも時にはこの後藤新平の呪文が必要になる場面に遭遇することもあるでしょうが,あの鳩山由紀夫に対しては,聞こえてもいいと思っております(笑)。
雨に濡れた紫陽花は本当に美しいと思います。思わず立ち止まってしまうくらいです。それに,雨に濡れた新緑もますます目に鮮やか,正に深緑といった感じで生命力を感じます。あまり一挙に降りすぎるのも困りますが,ようやく梅雨らしくなってきました。
それにしても,コンフェデレーションズ杯における日本対イタリア戦は素晴らしかったと思います。結果的には3-4で敗北はしましたが,日本代表のパフォーマンスは称賛に値します。あの「カテナチオ」(かんぬき)と言われた固い守備を誇るイタリア代表(アッズーリ)を相当に苦しめたのですからね。シュート数もボール支配率も日本の方が上回っていました。やればできるんですね。ただ,最終的には地力と経験の差だと思いました。
試合後のイタリア代表MFのダニエレ・デ・ロッシの次のようなコメントは,相手チームに対するリスペクトがあり,少し嬉しくなりました。
「苦しかったね。キャリアで最も難しい試合の一つだった。良い結果だったととらえよう。でも、僕らはこの勝利にふさわしくなかった。・・・日本に賛辞を送ろう。彼らは素晴らしかった。僕らはそうじゃなかったけど、勝ち進むことができたね。」
話は変わりますが,第二次安倍内閣が10数年間にわたる深刻なデフレ経済から脱却しようと叡智を結集して対策しているにもかかわらず,相変わらずマスゴミ,いやマスコミは悪質な印象操作をしたり,足を引っ張ろうとしております。ほんの少しのリスペクトすらもありません。あたかもどこぞの国々の走狗となったかのように,日本を弱体化させたい(少なくとも復活させたくない)のではないかと疑ってしまいます。デフレ対策が実体経済に反映するまでには1年半とか2年くらいの時間は要するでしょう。なぜもう少し長い目で見られないのでしょうか。
マスコミは,株価が上がれば,喜ぶのは投資家だけで庶民には関係ないとか,バブルだなどと言って否定的論調を示し,株価が下がれば,やれ「バブル崩壊だ!」,「アベノミクスの破綻だ!」,国民経済は悪化するなどと言ってこれまた否定的論調を露わにします。
少しは黙ってろ!デフレ脱却にはある程度の時間を要するんだっ!
す,すみません。常日頃からのマスコミに対する不信感が高じたとはいえ,少し言葉が荒くなってしまいました(笑)。でも,あの民主党政権下における何とも言えない閉塞感を忘れてしまったのでしょうか。経済も,外交も,その他の内政面でも・・・。例えば,民主党政権下では円高が放置されまくって国内産業(特に輸出企業)は青息吐息,それに株価は8000円を行ったり来たりだったんですよ。我々国民一人一人が,静かに,着実にメディアリテラシーを研ぎ澄ましていくしかありません。
もう少し長い目で現政権を見守りましょうよ。そのうち,参議院議員選挙でも必ず勝つと思いますし(笑)。
今では「判決の感銘力」という言葉は死語になったのでしょうかね。実務家の私もあまり耳にしなくなりました。訴訟で最終的に言い渡され,宣告される判決には,主として民事事件に関するものと,刑事事件に関するものとがありますが,昔から「判決の感銘力」と言われてきたのは刑事事件に関するものでしょう。
「判決の感銘力」というのはどういう意味でしょうか。あまりうまく説明はできませんが,要するに,刑の言い渡しを受ける刑事被告人にとって,そのような判断,量刑を受けるのももっともだと納得させるような力と,今後の自分の更生のための励み,動機付けとなるような教導的な力ということではないかと思います。
今日は何でこんな話題にしたのかといいますと,先日,ある刑事弁護の事件で,担当した若い裁判官の物腰,雰囲気,口調が,この「判決の感銘力」とはほど遠いものであることに,弁護人である私も愕然としてしまったのであります。この裁判官は,おそらくではありますが,まだ若く,「マイコート」として事件を単独で処理できることになったばかりのキャリアではないかと思われますが,審理の時から私は違和感を覚えていました。
とても早口で,事務的で,へたをすると「ぞんざい」と思われかねないような口調であり,いま何を言ったのか分からない時もあるくらいでした。しかも相手(被告人ら)の目を見ることなく,机上の記録等に目を落としたまましゃべるのです。雰囲気的にも法廷がすごく「軽い」ものとなってしまっております。刑事被告人としても内心では首をかしげているのではないかと思ってしまったくらいです。判決宣告の際にもそんな態度でした。しかし,それでは被告人にとっては全く感銘力などはないでしょう。
昔,私が記憶している刑事裁判官の中には,判決宣告の際には,なぜそのような事実認定や判断になったのか,どうしてそのような量刑になったのか,そして今後は更生のためにどんなことに気をつけるべきかなどについて,割と説得的に被告人に告げ,説諭していた人も少なからずおりました。刑事訴訟規則221条には「裁判長は、判決の宣告をした後、被告人に対し、その将来について適当な訓戒をすることができる。」と規定されておりますが,それを実践したケースです。弁護人である私としても,「ああ,これなら被告人も肝に銘じるだろうな。」と思わせるような訓戒もありましたし,感極まって落涙する被告人もおりました。
失礼ながら,先日のあの裁判官の法廷では,被告人としてはあたかも自分がベルトコンベアーで刑務所に送られたかのような印象を持ってしまわないかと心配させるようなもので,被告人に与える感銘力としては全くダメでしょう。刑事事件を担当する裁判官としても,日々の事件処理で大変でしょうが,法廷でのあの訓戒の一言で実際に自分は見事に立ち直れたのだと言っている被告人の存在を信じて,「判決の感銘力」という言葉が生きていた当時のように,感銘力を与えていただきたいと思います。仮にそれが無理だとしても,少なくともそれを削いでしまうような法廷にして欲しくはありません。
本当になぜなのか分かりませんが,先日ふっと,平成元年に亡くなった父のことが思い出されました。それも,父がどこかから買い求めてきた額縁入りの「東照公遺訓」を壁に掛けたシーンです。思い起こせば,ちょうど父が今の私の年齢に達するかどうかといった時期でした。これを衝動買いしたのか,それとも前々から欲しかったのかは知りませんが,父なりに何か思うところがあったのでしょう。少なくとも彼は,それまでの自分の人生から得た教訓,経験から,この「東照公遺訓」に強い共感を寄せていたに違いないのです。
「人の一生は 重荷を負うて遠き道を行くが如し 急ぐべからず 不自由を常と思えば不足なし 心に望みおこらば 困窮したる時を思い出すべし 堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思え 勝つことばかり知り 負くる事を知らざれば 害その身に至る 己を責めて人を責むるな 及ばざるは過ぎたるに勝れり」(東照公遺訓)
亡き父がこの額縁入りの「東照公遺訓」を壁に掛けた当時は,私もまだまだ若く,あまりピンとは来なかったのですが,この歳になってみて,この「東照公遺訓」に共感を寄せていた父の気持ちが今では分かるような気がしております。
私ももう歳を取りましたし,体力的にも衰えを感じており,昔のようにあまり仕事に無理が出来なくなってきました。それでも自分や家族の生活もあり,生きている以上は人間らしく,楽しく暮らしていかなければなりません。正に「人の一生は 重荷を負うて遠き道を行くが如し」です(笑)。
このように足取りは決して軽くはなく,むしろ重く,そして長い道のりあるいは傾斜のある丘を歩いているような感じの時は,バッハの「マタイ受難曲」の第52曲のアルトのアリア(この頬の涙が)と,第57曲のバスのアリア(甘い十字架)を思い出してしまいます。この2曲は正にこういった状況を表現するにピッタリの曲です。この2曲に共通する点は,「フラット圏の短調という調性の選択、付点リズムの支配、低声部の独唱、中・低音域の偏愛など」です(「マタイ受難曲」380頁,礒山雅著,東京書籍)。とりわけ,付点のリズムの支配が特徴的で,付点のリズムは長い道のりや傾斜のある丘を登って行く情景を表現するにはピッタリなのです。それにこの2曲は,マタイ受難曲の中でも特に好きな曲で,旋律も美しい。
疲れているせいか,今日はまとまりのない内容となってしまいました(笑)。もう,どうにもまとめようがありません(爆笑)。
みなさん,当然試してみましたよねっ!みなさん,実際に聴いてみましたよね?えーっ!試してない?実際に聴いてないのー?
そりゃいけませんわ。前回のブログでジョルジュ・ムスタキのことを書きましたが,名曲「私の孤独」も紹介しました。こんな佳い曲,何で聴いてみないの?インターネットで「ムスタキ 私の孤独」とキーワードを入れて検索してみれば,その動画がユーチューブにアップされておりますですことよ。私が高校時代でしたか,強く印象に残った曲なのです。押しつけがましいことは重々承知ですが,実際に聴いてみてください。
ああーっ!我が栄光の読売巨人軍,澤村投手が相変わらず同じ間違いを繰り返しております(笑)。この選手は聞く耳を持っているのでしょうか。味方の選手が初回の攻撃に入る前の段階で,相手攻撃の場面で先頭打者を歩かせるわ,ボールが先行するわ,投球数は多いわ,ランナーは溜めるわ,挙げ句に3ランを浴びるわ・・・。ただでさえ今のジャイアンツ打線がこの季節のように湿っているのに,初回に3点を取られてしまっては,味方選手も気が萎えてしまいますわね。
澤村投手は,5回までで何と113球です。ヒットは3本しか打たれてはおりませんが,6四死球です。初回の3ランだって,ランナーを溜めて,相対するバッターにはボール先行で1-3のカウント。次にストライクを取りに行ったボールをホームラン。これではいけません。同じ失敗を繰り返しております。阿部捕手の「野手も疲れるだろ」というコメントが全てを物語っております。
先日,ある画家の先生から「強くあれ、巨人。」という名前の本格芋焼酎をいただいておりました。私はそれを思い出し,敗戦が濃厚となったテレビ中継を観ながら,水割りで思わずそれをあおってしまいました(笑)。
意地悪な言い方ですが,今の名古屋グランパスがどれほど弱いのか,実際にテレビ中継を観て確認させていただきました。土曜日の対セレッソ大阪戦がBSで生中継されていましたので,この目でとくと確認してみたのです。素人の私がこれまでこのブログで生意気にも指摘していたとおりの試合内容でした。誠に残念ながら,攻撃面での組み立てがほとんどできていないだけでなく,実は組織的な守備もほとんどできていません。2点目の失点のシーンには愕然としてしまいました。
私はといえば,先日のゴルフではドライバーが絶好調で,自分にとっては記録的な好スコア。宿敵3名を勝負強く下しました(笑)。名古屋グランパスも私を見習っていただきたいと思います。
ところで,フランスの歌手,ジョルジュ・ムスタキが亡くなりましたね。寂しい気がいたしました。私が高校生時代だったでしょうか,ムスタキの「私の孤独」という曲が日本でも大ヒットしまして,私もこの曲がとても好きでラジオなどでよく聴いていたのを覚えております。大変なつかしい気がいたしました。調べて見ると,ムスタキは若い頃,あのエディット・ピアフとごく短期間恋人関係にあったという意外な事実も分かりました。ムスタキはギリシャ系ですが,ギリシャといえばその頃やはり日本でも人気があったナナ・ムスクーリという女性歌手がおります。自分の高校生時代,彼女の歌にも聴き惚れておりました。私の姉は,その当時はいろんな音楽を聴いていたようで,カーペンターズやムスタキやムスクーリの曲を勧め,教えてくれたのが姉でした。ショパンやバッハばかりを聴き,クラシック一辺倒だった私に「もっといろんな音楽に触れたら?」という感じで教えてくれたのでしょう。
懐かしいと言えば,日曜日の晩,ロバート・デ・ニーロが一躍有名になった「タクシー・ドライバー」という映画がBSでやっておりました。デ・ニーロという人は名優ですね。年齢を経るほどにそう感じますし,この「タクシー・ドライバー」という若かりし頃の主演作を観るにつけ,あらためて名優だと思います。最初にこの映画を観たときはビックリしましたが,ウィキペディアでも表現されているように,元海兵隊のタクシー運転手が,腐敗しきった現代社会に対する怒りや虚しさ,逃れられない孤独感から徐々に精神を病み,ついには自分の存在を世に知らしめるために過激な行動に出て行く姿が,鬼気迫るタッチで描かれております。この映画も大変なつかしい気がいたしました。
わが栄光の読売巨人軍,最近ちょっとおかしいですね。打撃面でも投手力の面でも,「ああ,強いな。」とは思えなくなってきています。昨夜も缶チューハイを飲みながら,我が家で巨人対楽天戦をテレビで見ていたのですが,1-2になった直後にチャンネルを変えてしまいました。逆転するような気配がなかったからです。
投手の澤村拓一選手の投球は,相変わらずですね。昨日テレビで見ていてつくづく思ったのは,「独り相撲」が多いということです。いつもそのように感じております。守っている野手はイヤになるだろうなと心配してしまいます。5,6回で100球を超えることはザラで,ボールとストライクの区別がはっきりしていて,誰も振らないだろうなというようなボールもあり,暴投(ワイルドピッチ)も多い。失敗を恐れてはいけないものの,彼の場合は同じ失敗を繰り返す傾向があり,これはいけません。
でもまあ,我が栄光の読売巨人軍のユニフォームを着ている以上は,ファンの一人として応援していきます。次こそはぜひ頑張って欲しいものです。
失敗という言葉で思い出しましたが,先日の読売新聞の「編集手帳」の記事は大変面白かったです。あのホンダの創始者本田宗一郎さんの幼い頃の失敗談でした。私の小学校時代の頃もそうでしたが,通信簿というのは各学期終了ごとに生徒に渡され,親にちゃんと見せ,親にハンコを押してもらった上で学校に提出することになっておりました。ところが,手先が器用で,成績の悪い通信簿の内容を親に知られたくなかった本田少年は,あろうことか親のハンコを自作(偽造)して通信簿に押してしまったのです(笑)。その成功談を聞いた級友が「おれにも彫って!」と次々に本田少年にせがんだ。
得意になって級友のハンコ作りを引き受けたのはいいけれど,後で先生に呼ばれてド叱られた。「本田」という左右対称の姓ばかりではないことに,うかつにも気付かず,文字が左右逆のハンコで「偽造」が発覚したというのです(爆笑)。これは本田宗一郎さんの親友であったソニー創業者井深大さんが「わが友本田宗一郎」(ごま書房)に書き留めているエピソードです。
本田宗一郎さんの名言(箴言)は多く存在しますが,そのうちの失敗に関する名言をいくつか紹介しましょう。
「私の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きるところにある。」
「日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである。どだい、失敗を恐れて何もしないなんていう人間は、最低なのである。」
「私の現在が成功というなら、私の過去はみんな、失敗が土台作りしていることにある。仕事は全部失敗の連続である。」