読売巨人軍の長嶋茂雄選手の現役時代の雄姿に憧れて以来,ごく短期間を除いてずっとジャイアンツのファンでした。そのごく短期間というのは,長嶋さんがジャイアンツの監督時代,ヤクルトでくすぶっていた息子の一茂をジャイアンツに引き取った時期だけは「やはり親ばかだなあ・・」と失望し,ジャイアンツファンをやめていました(笑)。でも一茂がジャイアンツを去ってからはファン復活で(笑),それ以降は応援してきました。
ところが,ファンとしてはあってはならないことかもしれませんが,原辰徳独裁政権の今,実はテレビ中継なんかを観ていても,内心ではジャイアンツが負ければいいと思うようになってしまいましたし,オールスター戦の前にヤクルトに3タテを食らった時や,昨日阪神に負けた時などは思わず快哉を叫んだものです。今の原巨人の野球は全然面白くない。好きな選手も見当たらない。広島や阪神のベンチ内の明るい雰囲気に比べ,巨人ベンチは渋面の原監督,イエスマンぞろいのコーチ陣,委縮気味で覇気のない選手たち・・。原独裁政権下のジャイアンツはやはり応援したいとは思えないのです。
応援どころか,政治家として全く評価していないのが岸田文雄という人物です。この人はダメだなあ・・・。本当に。この人の口から今まで国家観のようなものを聞いたことがありませんし,首相として実現したいことを自ら明確に表明したということはないのではありませんか。外遊が好きなようですが,実際には外交的な成果はあまりなく,内政でも「やってます」感を出しているだけです。世論調査でも,もうとっくに不支持率が支持率を上回っておりますし,毎日新聞調査では支持率が30%を割り込んでおります。もう国民の前ではメッキが剥がれ落ちているのだと思いますよ。
この暑いのに口を極めて非難しておりますが(笑),要するにこの人は首相(内閣総理大臣)になりたかっただけの人だったのではないでしょうか。ちょうど民主党が政権を取る直前のポスターには鳩山由紀夫の平和ボケしたお顔の右下に「政権交代。」と記載されていたように,岸田文雄という人も「首相。」という感じです。首相になるのが目的だった,あとはどれだけ在任期間を延ばすかということに汲々としている状態に見えます。
7月22日の産経新聞のコラム「産経抄」には面白いことが書いてありました。この3月に岸田氏が福島県相馬市を訪れた際,地元の子ども達から首相を目指した理由を尋ねられた時,「日本社会で一番、権限の大きい人なので。」と答えたそうです。・・・そうなんですか(笑)。また,首相就任前の令和元年11月にテレビ番組に出演した際,首相に就いて一番やりたいことは何かと聞かれ,「人事です。」と答えたそうです。・・・そうなんですか(笑)。岸信介首相のように,命がけで60年安保をやり切り,さらには憲法改正を目指していたというような政治家としての強烈な意思と気概は全く見当たりません。
ただ一つ言えることは,言葉が適切かどうかは分かりませんが,政治家岸田氏の志向性としては,財務省の「走狗」になってしまうのではないかということです。財政規律至上主義,増税路線,PB(プライマリーバランス)重視,財政支出抑制という路線を志向していることはほぼ間違いないでしょう。これまでの言動の内容もそうですし,親類縁者には財務省の官僚がズラリ(岸田氏の叔父は元財務官僚,岸田氏の実の妹2人はいずれも財務官僚に嫁ぎ,内閣官房副長官の木原誠二その他多くの最側近も元財務官僚),またこのたび自民党税制調査会が出した「中間答申」の内容が「サラリーマン増税か」と物議を醸しておりますが,この調査会の会長宮澤洋一という人は岸田氏のいとこに当たるようです。
現在のインフレ率についてはいわゆるコストプッシュインフレの範疇であり,実体経済として日本はデフレを脱却していません。増税をしてますます需要を減らしてどうするの,まずは「機能的財政」の観点から効果的な財政出動をしてデフレを脱却し,景気回復,経済成長をし,これにより税収をもっと増やしていくのであれば分かります。でも,デフレ下で増税,財政出動を減らしたら日本経済はどうなってしまうのかについて,岸田氏は首相公邸で息子らと一緒に忘年会に興じている暇があったら,真剣に考えて欲しいと思います。
考える材料としては,「奇跡の経済教室【基礎知識編】」(中野剛志著,ベストセラーズ),「奇跡の経済教室【戦略編】」(中野剛志著,ベストセラーズ),「奇跡の経済教室【大論争編】」(中野剛志著,ベストセラーズ),「どうする財源-貨幣論で読み解く税と財政の仕組み」(中野剛志著,祥伝社新書)などがお勧めです(笑)。
土曜日でしたか,テレビのチャンネルを回していましたら,たまたまDeNA対中日戦のプロ野球中継がやっていました。そこで目にした光景に思わず笑っちゃいました。何と,打席に入るDeNAの選手がみんなピカチュウのヘルメットをかぶっているのです(笑)。野球とはいえ,闘っている選手たちがピカチュウのヘルメットをかぶっている訳ですから,相手のピッチャーの戦意が緩んでしまうのでは・・・。マウンド上でよく笑えてこないなと思います(笑)。つくづく思うのですが,日本のゆるキャラは本当に可愛いですね。日本のゆるキャラですぐに思い出すのが,高山寺の木彫りの子犬像(湛慶作)です。これも本当に可愛い。一度実物を見に行きたいと思っております。
やはりテレビの話題ですが,先日,これも何気なくチャンネルを回していましたら,NHKで天安門事件の証言ドキュメントの番組が放送されていました。どうせNHKのことだから中国共産党に忖度した当たり障りのない内容だろうと高をくくっていたのですが,これは失礼しました,なかなかの内容でした。当時の民主化を叫んだ活動家,現場を目撃した市民,その他多くの関係者の証言や,鄧小平の鎮圧指揮の下,人民解放軍が戦車を繰り出し,容赦なく学生らに向けて発砲した当時の映像,趙紫陽と鄧小平・李鵬との意見の対立その他の背景事情など,割と詳しく紹介していました。
その数日後には,やはりNHKで中国共産党のチベット支配についてのドキュメンタリー番組を放送していました。NHKもなかなかやるもんだなとは一瞬思いました。もともとチベットは中国の版図には含まれてはいなかったにもかかわらず,1950年から中国はチベットに侵攻し,不法な併合政策を実行し,チベット人の犠牲者は亡命政府の発表によれば120万人を超えています。徐々に漢族を入植させ,チベット仏教を弾圧し,教科書も中国語,「改善」と称してチベットの伝統や文化,言語,宗教に徐々に圧迫を加えています。アメリカの俳優,リチャード・ギアなどはこのようなチベットの現状を憂慮し,チベット救済のための積極的な活動をしていることは有名です。
さきほどNHKもなかなかやるもんだなとは一瞬思ったものの,このテレビ番組は内容的にはやはり中国共産党に気を使った内容となっており,物足りなさを感じました。チベット人の不満,絶望,慟哭は,主に僧侶による焼身自殺の続出によっても明らかです。そのあたりのことは,「チベットの焼身抗議-太陽を取り戻すために」(中原一博著,集広舎)という本に詳しいと思います。一読の価値はあります。
それにしても,NHKはどうして中国のウイグル問題について寡黙なのでしょうか。「NHKスペシャル」などで掘り下げた内容の番組を作ってもらいたいものです。果敢な取材で切り込んだ英国のBBC放送を見習って。
話は変わりますが,先日の産経新聞の産経抄で初めて知ったのですが,ロシアのプーチン大統領の先祖のもともとの姓はラスプーチンだったそうな。怪僧ラスプーチンといえば帝政ロシア末期の極め付きの悪役で,最後の皇帝ニコライ2世一家に取り入って宮廷を牛耳り,皇帝の権威を失墜させてロシア革命を招くきっかけを作ったと言われている人物です。プーチン大統領の祖父が怪僧と同じ姓なのを恥じて改姓したようです。まあ,改姓したところで,プーチンのウクライナ侵略,そしてむちゃくちゃな破壊行為,非人道的な行為については,いずれその責任を取るべき時期が来るでしょう。
いやー,びっくりしました。将棋の藤井聡太六冠の異次元の強さには本当に驚愕です。私もたまに将棋を指しますし,将棋ファンの端くれなのですが,6月28日の日曜日に叡王戦第4局の対局があり,気になってスマホでチェックしていたのですが,藤井六冠はやはり並みの棋士ではありませんね。車で言えば,他の棋士とは載せているエンジンが違います(笑)。
この第4局は千日手が2局続く熱戦でしたが,決着局で何よりびっくりした手が2つありました。まずは68手目の1五角です。先手が1五歩と端歩にちょっかいを出した時,後手の藤井六冠は同歩ではなく,何と同角としたのです。これですと最後尾に控えている香車で角を取られてしまいます。要するに角香交換という一見損な手を断行したのです。これにはびっくりしましたが,その後の展開を見ても分かるように,藤井六冠は,確かに駒損だけど相手が歩切れだから,自分の歩を相手の玉頭に進出させ,と金を作って殺到すれば相手の堅固な穴熊囲いを粉砕できるという大局観だったのです。正に恐るべし・・・。
そして,次に腰を抜かすほどびっくりしたのは,80手目の2九龍です。強力な攻め駒である龍をズバッと切って捨て,勝負を決めに出たのです。それまでAIの評価値が藤井優勢(勝勢)を示していたのに,一瞬の間,評価値が逆転してしまったくらいAIも一瞬混乱して詰みを読むことができなかったのでしょう。将棋ソフト,AI(人工知能)というのは何億手も読むというのに・・。要するに,23手詰を時間に追われていた藤井六冠の方が先に読み切って龍切りを断行したという訳です。異次元,そしてAI超えの強さです。くどいようですが,本当にびっくりしました。即詰で相手玉を打ち取り,藤井六冠は叡王位を防衛し(弱冠20歳),六冠を維持したのです。
ハードスケジュールの中,5月31日と6月1日の両日,今度は名人戦第5局の対局があります。現在挑戦者の藤井六冠が3勝1敗と初の名人位に王手をかけておりますが,恐らくは名人位を奪取するのではないかと強く期待しております。そうなれば,20歳で七冠に輝くという訳です。凄いですね。
藤井六冠の幼少の頃のエピソードが谷川浩司九段の発言とともに「デイリー新潮」に掲載されていましたので,そのまま引用いたします(谷川九段は,21歳で名人位を獲得し,タイトル獲得数は27で歴代5位,永世称号として第十七世名人保持者)。
「今から10年程前になりますかね。名古屋で行われた『将棋の日』のイベントに出たことがありました。何人かの方にハンディを付けて指導対局をしていたのですが、飛角を落とした一人の小学生とは、終了予定時間が近づいても対局が終わりそうになかった。で、私が優勢だったので、引き分けにしようと提案したのですが」
すると、少年は、将棋盤に覆いかぶさるように突っ伏し、大声で泣き出した。
「負けると泣く子はよくいるんです。でも静かに涙をこぼすといった程度。あそこまで悔しがる子は見たことがありませんでした。・・・ですから、私の藤井二冠の第一印象は”強い子”ではなく、”大泣きをした子”なんです」
結局、藤井少年(当時8歳,小学2年生)は、母親に抱きかかえられてその場から引き離されたそうだ。
天才性はもちろんのこと,これくらい負けず嫌いでなければ六冠にはなれません(笑)。
もうかれこれ3年ほど前になりますかね,私が仕事の関係で鹿児島に出張に行ったのは・・。どうやら今年も仕事の関係で再び鹿児島出張となりそうです。前回出張時は,仕事と夜の飲み会だけで観光などはできなかったのですが,今回は時間があれば少しだけでも観光がしたいものです。
「翔ぶが如く(1)~(10)」(司馬遼太郎著,文春文庫)を貪るように読んだときの感動もあり,今度はせめて城山(西郷隆盛終焉の地)は観てみたいですし,東郷平八郎誕生碑くらいは観てみたい。
日露戦争における日本海海戦を勝利に導いた大元帥東郷平八郎は,昭和9年(1934年)5月30日に87歳で亡くなりました。ちょうど今頃の季節です。「人間臨終図鑑(4)」(山田風太郎著,徳間文庫)などの記載によりますと,東郷平八郎という人物そのものに惹かれますし,その死に際や愛妻との麗しい夫婦関係などはやはり羨ましいほどですし,夫婦というものはこうありたいと切に思います。
死の直前,東郷元帥と妻のテツ子さんは同じ病院で療養していたのですが,元帥の診察が終わった後は,医師に必ず「ありがとう。」と丁寧にお礼を述べ,「ついでに、お鉄も診てやってください。」と必ず言う。毎日午後2時頃になると,天皇陛下から御下賜のスープをいただく時は,必ず床の上で合掌し,お礼を言上し,このありがたいスープを必ず隣室の妻に分け与えていた。いよいよ元帥の死の前日午後11時頃,元帥の容体が絶望の重態となった時,妻はベッドごと元帥の病室の敷居の所まで運ばれ,最後の対面となる。妻の顔を見た元帥は,意識不明瞭のはずだったのに妻の顔をみるや,右手をしきりに振り,二三度頷いた。妻は元帥の顔をじっと見守って,両の眼に熱い涙を浮かべていた。最後の対面を果たした妻は,ベッドごと自室(病室)に運ばれながら,「乃木さんの奥さまが羨ましい。」と涙を流して言った。
明治天皇が崩御したときに,乃木希典と妻の静子は夫婦で自決したのですが,この東郷元帥の妻の言葉には夫の平八郎と共に死を迎えたかったという思いが込められております。結局,妻もその年の12月28日に亡くなり,元帥とあの世で再会を果たしたのです。
こう言っては何ですが,同じ薩摩藩出身でも黒田清隆(元内閣総理大臣)の自分の妻に対する傍若無人ぶりとは極端に違います。酒乱だった彼の自分の妻に対する振る舞いは,書くだけでも気分が悪くなりますので,ここでは触れません。素面の時には穏やかだったそうですがね。
いずれにしても,東郷元帥,もとより軍功抜群の出色の軍人だったことは間違いありませんが,良き父であり,また良き夫だったのでしょう。
この連休中に,「東京物語」という映画を観ました。小津安二郎監督作品で,主演は笠智衆と原節子です。この作品は昭和28年(1953年)に公開された古い映画ですが,国内外でとても高い評価を得ています。
私は以前,この作品を断片的にしか観ておりませんでしたが,今回初めて通して観てみました。いろいろと考えさせられる,しんみりとした,切ない映画でしたね。笠智衆の枯淡の境地,原節子が醸し出す誠意と優しさと美しさ・・・。
ウィキペディアの記載を引用すれば,上京した年老いた両親とその家族たちの姿を通して,家族の絆,親と子,老いと死,人間の一生,それらを冷徹な視線で描いた作品であり,家族という共同体が年を経るとともにバラバラになっていく現実を,独特の落ち着いた雰囲気でつづっている秀逸な作品です。観ていて切なくなりますけどね。何やら自分の死生観にも影響を及ぼすような。
先にも述べましたが,この作品は国内はもちろんのこと,海外でも高い評価を得ております。海外での公開は昭和32年(1957年)にロンドンで上映されたのが最初で,翌年に第1回サザーランド杯を受賞し,海外での小津作品の評価が高まるきっかけになりましたし,1972年にはニューヨークでも公開され,アメリカの批評家たちからも賞賛を受けました。2012年に英国映画協会の映画雑誌『Sight&Sound』が発表した史上最高の映画ベストテンの映画監督が選ぶランキングでは第1位に選ばれてもいます。
それにしても原節子という女優の何と美しいこと。1963年に小津安二郎監督が亡くなり,彼女は43歳ころに突如として事実上の引退状態になり,その後は公の場に姿を現すこともなくその潔い引き際も際立っています。美貌,独身,潔い早い引退,その後の隠遁生活など,スウェーデンの女優グレタ・ガルボと共通した面があります(グレタ・ガルボのことはこのブログでも触れたことがありますので,ブログ内検索で「ガルボ」とキーワードを入れて検索してみてください)。記事によれば原節子は,たばことビールと麻雀が好きだったようで,親近感がわきます。私もビールと麻雀は好きですので(笑)。彼女は鎌倉でヴェールに包まれた隠遁生活を送り,95歳で亡くなりました。
人生,いろいろな場面があると思いますが,全員が沈黙し,とても厳粛な雰囲気の時など,そのシーンでは絶対に笑ってはいけない時があると思います。でも私は,本当に残念なことなのですが,若い時分からそんな厳粛な場面に遭遇したような時,「絶対に笑っちゃいけない!」と自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど,それを意識し,プレッシャーを感じて結局笑ってしまうような残念な性分なのです。こればかりはどうしようもない。
例えば,人間ドックの腹部エコー検査などで,担当者が「はい,プーッと膨らませてー。息を止めてー。」と私に命じ,その一方でヌルヌルになったお腹に機械を当てて這いずり回られた日には,とても我慢ができないのです。不謹慎ですが絶対に笑ってしまいます。医療担当者を何度困惑させたことか(笑)。私もいい大人なのですから,笑ったりしたらダメなことは百も承知ですが,性分だからどうしようもないのです。
先日も,ある席で神主によるお祓いがあり,とても厳粛な雰囲気でしたが,自分に「笑うな,笑うなー。」と言い聞かせたにもかかわらず,むしろ意識して言い聞かせたがゆえにそれがプレッシャーとなって,案の定結局は小声で笑ってしまいました。でも最近はマスクをしていますから,周囲にバレずに済みました(笑)。マスクというのはこういう場面では重宝しますね。
これは随分前にこのブログでも書いたことなので,二番煎じになりますが,強烈な体験でしたので再掲します。これはもう20年以上も前の出来事ですが,ある事件の法廷での証人尋問前の宣誓の場面でした。
証人は尋問を受ける前に,法廷の厳粛な雰囲気の中で「良心にしたがって本当のことを申します。知っていることを隠したり,ないことを申したりなど,決していたしません。右のとおり誓います。」と宣誓書を読み上げることになっています。ところが,ある中年男性の証人が,その宣誓の時,「・・・知っていることを隠したり,ないことを申したりなど,決していたします。」と言っちゃったのです。緊張して思わず「肯定」してしまったのでしょうが,要するに私はこれからこの法廷で思いっきり嘘をつきますよと宣言してしまう結果となったのです(笑)。
当然私は思わず「プッ!」となりました(笑)。私の笑い上戸の性分からすれば極めて当然です。でもそこはそれ,裁判官というのはやはり人間ができていますね。笑ったりなどせず,冷静にその場を取りなしておりました。さすがです。この体験は今でも鮮烈に記憶しております。分別有る大人で,しかも沈着冷静なこのブログの読者のみなさんには,私のこの若い頃からの悩みはご理解いただけないでしょうね。
いやー,先週はちょっとした嵐のような一週間でした。仕事は忙しかったし,何よりも健康診断でひっかかり,精密検査で一日入院するという憂き目に遭ったのです。僅か一日であっても,入院するなんてことはそれこそ20数年ぶりです。これは私にとって試練でしょうが,医師から紹介状を書いてもらって総合病院で新たに診察等を受ける必要が出てきました。
それはそれとして,私がつくづく思ったのは日本人として生まれてきて本当に良かったということ。医療保険制度の充実で,少ない自己負担で高度で安心できる医療が受けられますし,医師はもちろん,看護師さんたちの仕事ぶりには頭が下がりました。恐らくは多忙でストレスを感じていらっしゃるのでしょうが,対応は親切で責任感を持って的確に仕事をこなしております。ありがたいことです。職業倫理というものを感じます。職業倫理とは,プロフェッショナルとして期待される個人や組織の倫理的な行動基準をいいますが,彼らの行動や対応にはそれを感じました。
職業倫理というほどのことはありませんが,仕事で車を運転してある飲食店の前を通過する時,いつも気になっていることがあります。そのお店の建物前面の壁の上部に和歌らしきものが流麗な文字(白地に黒)で描かれているのです。よく読むと,次のような歌でした。
「わが役は どんな苦労もいとふまじ 天の作者の さしずがままに」
浅学菲才の自分なりにこの歌の意味を解釈してみますと,「自分のこの仕事 どんな苦労があったとしても嫌がって避けるようなことはしません それこそ私をこの世に送り出してくれた天の作者が 指図したことですから」
てなもんでしょうか。佳い歌だなと思います。インターネットで調べてみたのですが,どうやら有名な歌人の歌というのでもなさそうです。してみると,その店の経営者などが詠んだ個人的な歌なのかしらん。だとしたら素晴らしいし,きっとこの歌と同様,佳いお店なのでしょう。
陸上自衛隊の師団長など10人が乗ったヘリコプターが沖縄県の宮古島の周辺で消息を絶ってから4日が経ちますが,心配なことです。とても安否が気にかかりますし,有効な捜索を継続して欲しいと思います。
消息を絶ったその日,懸命な捜索が緒についたばかりの4月6日の夕方,記者団の取材に応じた岸田首相がその後に向かったのは,東京・銀座にある料亭「新ばし金田中」です。そこで森喜朗元首相が仕切った会食会場に顔を出し,錚々たる財界人らと飲食を共にしたと報道されています。当然のことながらこの会食をめぐっては,「事故の渦中にやることだったのか。」という批判が出ています。
内閣総理大臣は,自衛隊の最高指揮官です。このような批判が出るのも当然でしょう。しかも当該会食を取り仕切ったのが,例の「えひめ丸」沈没事故発生直後に首相として第一報を受けながら,その後も約1時間半にわたってゴルフプレーを続けて猛批判を浴びた森喜朗というのですから,これも何かの因果でしょうか。この事件は,2001年2月10日,ハワイ沖で日本の高校生の練習船が,アメリカ海軍の原子力潜水艦と衝突して沈没,日本人9名が死亡したという事件です。衝突によって日本人が多数海に投げ出されたことや,相手がアメリカ海軍であることも判明していたにもかかわらず(首相として報告を受けていたにもかかわらず),そのままゴルフプレーを続けたというのです。
そういえば,昨年8月4日,中国が日本の排他的経済水域の内側(日本側)に弾道ミサイル5発をぶち込む傍若無人の振る舞いをした時,岸田首相はすぐにはNSC(国家安全保障会議)を開催しませんでしたね。
いやはや,いずれも職業倫理の欠如と評価されても致し方ないでしょう。
その昭和の香りのするスナックには,相変わらず私も飲みに行っております。昔ほどの頻度ではありませんが,たまにお邪魔して,気の置けない仲間と一緒に飲んだり,よもやま話に花を咲かせたり,歌ったり,将棋を指したりなどしております(笑)。
私もいい年をして不摂生だなとは思うのですが,ちょっと前までは,その昭和の香りのするスナックで随分と楽しんだ後に,時に午前様になりながらもその近くにあるお好み焼き屋さんに入って飲み直したりしたものです。その店は,お好み焼き屋さんではありますが,いつも決まって注文していたのがネギ焼きと焼きそばなんかでした。その店の大将は物静かな人でしたが,割と博学,そして音楽の趣味がとても広そうな人でした。
以前私がシルヴィー・バルタンにはまっていて,「アイドルを探せ」という曲ばっかり聴いたり,彼女の20歳ころの可愛く魅力的な動画などを見ていた時,その大将が「バルタンのCDならあるよ。」と言って,その店内で流してくれたこともありました。私が保有していたCDと同じものです。私が仲間と一緒に来店すると,気を利かせて何も言わずにそのCDをかけてくれたこともあったのです。かと思うと,私たちがよもやま話に花を咲かせている間は決して出しゃばらず,BGMで世界三大テノール(ホセ・カレーラス,プラシド・ドミンゴ,ルチアーノ・パヴァロッティ)のDVDをテレビで流してくれたりするのです。この大将は意外に幅広い趣味があるんだなと感心したものです。お好み焼き屋さんでオペラのアリアが聴けるなんて(笑)。
でも先日,私が昭和の香りのするそのスナックで飲んでいた時,ママからその大将が今年に入って早々に病気(がん)で亡くなったことを聞かされ,とてもショックを受けました。そのお好み焼き屋さんも今では廃業・・・。
その大将もたまにそのスナックで飲んだりもしていたそうです。そういえば,今もはっきりと覚えているのですが,昨年の秋ごろ,その大将がカウンターの端っこで一人で飲んでいた姿を見ました。その時は私は他の仲間と込み入った話などをしておりましたから,お声掛けをすることはできませんでしたが,私がその大将の姿を見たのはその時が最後となってしまいました。
そういえば,その秋頃に一人で飲みに来られた時は,すこし顔色が悪く,普段以上に物静かだったような気もします。その時大将の胸に去来するものは何だったのか。味わい深そうなお人柄でしたから,もっといろいろな話をしておけばよかった。本当に寂しい限りです。
こういう時は,私はいつも決まって井伏鱒二の漢詩(勧酒)の訳を思い出してしまうのです。
「コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ 『サヨナラ』ダケガ人生ダ」(私の酌を受けて欲しい 今日だけはどうかなみなみ注がせて欲しい 花が咲くと風が吹いたりするものだ 人生に別離というものはつきものだよ)(井伏鱒二訳)
いや,別に私がパチンコ店に通っているという訳ではありません。スマホをいじっていたら,たまたま「ダイヤモンド・オンライン」というサイトに,ライターでしょうかね,小倉健一という方による記事が掲載されているのを見つけ,一部パチンコ店に関わる話が少し面白かったのです。
「経営の神様」といわれた稲盛和夫氏は昨年亡くなりましたが,彼が鹿児島大学在学中に遊び人だった友人に強く誘われてパチンコ店に通っていたそうです。稲盛氏としてはガリ勉で,講義のない時は図書館で勉強するような学生だったからパチンコに連れ出されるのはあまり気が進まず,強引に誘うその友人は落第生で内心は軽蔑していた。その友人は稲盛氏に100円か200円を渡してパチンコ遊びを進める訳です。でも稲盛氏はすぐに負けてしまうということが3回も続いた。
その3回目に負けた時も稲盛氏はその友人に「帰るわ」と告げた時,その友人は「今いっぱい勝っているし、もうちょっとで終わるから、ちょっと待ってよ」と。稲盛氏は待っている間,「パチンコなんて面白くもないし、早く帰って勉強したい。」と思っていたそうですが,パチンコを終えたその友人は,勝ったお金で稲盛氏にうどんを御馳走してくれたというのです。当時としては,うどんはなかなかの御馳走。
その時稲盛氏はその友人と自分とを比べ,「自分は少しくらい勉強ができても、なんと貧相でチンチクリンな男よ。」と衝撃を受けた。その友人は勉強ばかりしている稲盛氏に自分のお金を渡してまでパチンコという一種の社会見聞をさせてやり,自分が勝ったお金でうどんのご馳走までする・・・。稲盛氏にとっては,内心軽蔑していたその友人がその時とても大きな人物に思えてきたということを回想して述べていたそうです。
確かに,私自身の大学時代を振り返ってみても,気宇壮大なそういったタイプの友人も確かにいましたね。勉強だけが全てではない,些末なことには拘らない,人生を楽しみ,悠然と構えているような人物が。
その記事は,これも立志伝中の人物とでも評価すべき,カレーハウス「CoCo壱番屋」の創業者である宗次徳二氏とパチンコ店との関わり合いについても触れていました。宗次氏は,兵庫県内の児童養護施設から,子どものいなかった雑貨商の養父母に引き取られて育ち,本当の父母には会ったこともなかったそうです。ところがこの養父が競輪にのめり込んでしまって財産を失い,夜逃げする羽目になる。養母は家を出て行き,宗次氏はギャンブル好きで日雇い仕事の養父に育てられ,お金がないときは道端の草を食べていたそうです。
そして,とんでもない養父だとは思うのですが,宗次氏が子どもの頃,養父に強く命じられて毎日パチンコ店に通い,落ちているタバコの吸い殻を拾って来ていた。養父は子どもがパチンコ店で拾ってきたタバコの吸い殻(シケモク)を吸う。宗次氏いわく,「はた目にはひどい親でしょうが、唯一の家族だし、父のことは好きでした。喜ぶ顔が見たくて吸い殻拾いを頑張ったんです。」
現在のカレーハウス「CoCo壱番屋」事業の成功は,そうやって鍛えられた人間性の賜物なのでしょうね。それに宗次氏の無欲,ボランティア精神,寄付,その他の社会貢献は尊敬に値します。私は仕事先から仕事先への移動中,たまに「CoCo壱番屋」でカレーをいただくことがあります。どんなに高級な欧風カレーもかなわない,あのシンプルなルーの美味しさが気に入っており,いつも「ポークカレー 2辛 200g」をいただきます。これですと,カロリーも糖質もほどほど抑制され,ルーの美味しさをシンプルに楽しむことができるからです。私の舌はB級グルメ向き・・・。
これとは全く関係ないのですが,パチンコ店がらみで,元自衛官の芸人やす子さんの記事がヤフーニュースに載っていました。彼女も壮絶な生い立ちで,中学時代の一時期,そして高校時代は全期間,児童養護施設から学校に通ったそうです。自衛隊に入隊したきっかけについてのご本人の発言を最後に引用してみます。
「そもそも自衛隊に入った理由が18歳を過ぎたら誰も助けてくれなくて、家も未成年なので借りられないってことで、衣食住がそろっている安定をもとめて入って。山口県が衣食住がそろっているのがパチンコ屋さんと自衛隊の2択だったんです。パチンコ屋さんが落ちちゃったんで、自衛隊に入らざるを得なくて。もう何も考えず、〝助けてくれ!〟って思いで入った感じですね。」
いやあ,今度の寒波は凄かったですね。まだ現在進行形の地域もあると思いますが,「最強寒波」といった下馬評どおりの寒さと荒天でした。昨日の夕刻の帰宅時なんかは凄い吹雪でしたからね。
幸い名古屋の積雪は大したことはなかったのですが,私が愛読している産経新聞は今朝は積雪や交通マヒの影響で取次店(配達所)に到着しなかったようで,残念ながら配達がありませんでした。朝刊を読むことができないというのは本当に辛い。
さて,1月10日のこのブログで「少なからず辛い目に遭った件」と題して私の辛い体験のことをみなさんにお知らせしました。共感力豊かな方はもらい泣きをしていただいたかと思います(笑)。要するに,私が通っているピアノ教室が主催してくれたYouTubeを利用した「オンラインコンサート(発表会)」で,30数名のうち私の演奏だけアップされておらず,欠落していたという辛い体験をした件です(笑)。
でも見事に失地回復いたしました。ピアノ教室のスタッフの皆様のお陰で,再度YouTubeにアップしていただき,1月末まで視聴ができるように配慮してくださったのです。ありがたいことです。早速我が家のテレビでお酒をいただきながら,カミさんと一緒に私の演奏(「主よ、人の望みの喜びよ」【J.Sバッハ】)を視聴することができました。感謝,感謝です。
話はコロッと変わりますが,先日の産経新聞の「産経抄」には面白い話が載っておりました。日本共産党の非民主的な体質のことに言及されていたのです。一部引用しますと,「森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、谷垣禎一、再び安倍晋三、菅義偉、岸田文雄各氏と自民党総裁9代にわたる22年余の星霜を経ても、共産党トップは志位和夫委員長のままである。党首公選は行われず、志位氏はなお続投に意欲を示す。これは当たり前なのか。」とあります。
そういえばそうですね。自民党の総裁はこれだけ変わっても日本共産党のトップはその間全く変わっておりません。共産党は党員による直接投票で党首を選ぶということを認めてこなかったのです。とても民主的とはいえませんね。どこぞの国々とよく似ています。ロシアのプーチン大統領は2000年に大統領になって以降,途中4年間は首相であったものの(メドヴェージェフ大統領は所詮傀儡),現在に至るまで大統領に居座ったまま独裁を続けています。中国の習近平も2012年に中国共産党のトップになって以降,任期が2期10年とされていた従前の憲法を強引に改正してまで3期目に突入し,未だに君臨しています。
日本共産党もこれらと似たような非民主的な体質になってはいませんでしょうか。この政党もかつてはそれなりの党勢を誇っていました。例えば,1979年10月の衆議院議員選挙では39名もの当選者を出したのですが,直近の衆議院議員選挙では10名です。党内も民主的でガラス張りの体質に変わらなければ失地回復はできないでしょうね。もっとも,産経新聞を愛読しているような私としては共産党に失地回復されても困るんですが(笑)。ちなみに,「日本共産党の正体」(福富健一著,新潮新書)という本は大変参考になりました。