うちのカミさんが,ある集まりの新年会に出席するとかで,その晩は娘のあかねちゃんと二人で夕食をとりました。近くのお寿司屋さんからにぎり寿司と茶碗蒸しを二人前ずつ出前をとって,お酒を飲みながら仲良く食べたのです。
ところが,話が弾んだのは良いのですが,ついうっかりして天敵のぎんなんを間違って食べてしまったのです。私はぎんなんと,内臓と,フグの白子と,ナマコと,民主党政権が大の苦手です(笑)。私のこれまでの長い人生経験からすると,経験則上,また社会通念上,茶碗蒸しの底の方には必ずと言っていいほど,ぎんなん様が陣取っておられます。私はいつもは細心の注意を払いながらぎんなん様を選り分け,カミさんに食べてもらっていたのですが,この日の晩は目の中に入れたらやはり痛い娘のあかねちゃんとの話に夢中になり過ぎて,間違ってぎんなん様を食べてしまったのです。一度口に入れたものをはき出すのはマナーに反しますので,呑み込んでしまいました(笑)。
間違ってぎんなんを食べてしまったので,少し凹んでいたのですが,その晩はお風呂に入って早めに床につき,バッハの「マニフィカト」のDVDを見て,聴きました。本当にバッハは凄い。これも素晴らしい音楽です。「マニフィカト」は,とにかく全体を通して圧倒的な喜びに満ちているといいますか,幸福感が溢れています。「マニフィカト」というのは,ルカによる福音書の中の,マリアが主を讃える一連の言葉を意味します。
このDVDは,ニコラウス・アーノンクール指揮のコンツェントゥス・ムジクス・ヴィーン,そしてアルノルト・シェーンベルク合唱団,各ソリストの演奏です。特に私がお気に入りなのは,ソプラノのアンナ・コロンディさんです。実力もさることながら,気品があって美しい。彼女が独唱する第2曲のアリアなどは圧巻です。このアンナ・コロンディさんはハンガリー出身で,現在はベルリン在住。1996年にはミュンヘン国際コンクールで優勝し,その後ザルツブルグ音楽祭やバイロイト音楽祭にも出演した経歴の持ち主で,昨年の11月には,福島県相馬郡の小中高校を回って演奏と指導のワークショップをし,さらに東京でチャリティーコンサートまで開いてくれたそうです。本当にありがたいことです。
バッハの「マニフィカト」,特にアンナ・コロンディの素晴らしい歌声に癒やされました。間違ってぎんなんを食べてしまったけれども,その後気を取り直した次第です(笑)。
ついこの前初日の出を迎えたと思ったら,もう2月です。この,何と言いますか,だんだんと日が長くなる感じ,少しずつ春が近づいている雰囲気が良いですね。
さて,大変恥ずかしいのですが,私自身,いい歳をして太り傾向にあります(笑)。ワイシャツの首回りが窮屈になっているのです。よくよくその原因を考えてみると,様々な要因があるとは思いますが,最近顕著なのは間食の回数と量が多くなっていることです。
一体なぜなのか,その背景事情とは・・・。私も武士道精神を重んじる人間ですから,責任転嫁をするつもりはありませんが,うちのカミさんのせいです(笑)。とにかく彼女が冷蔵庫内にもその他の場所にも「甘いもの」を最近特にたくさん置いているのです。私にコーヒーを入れてくれる時も,よく「甘いもの」を一緒に持ってきてくれようとします。要するに,私を「共犯」にしたいのでしょう(笑)。旦那にも少し食べさせておけば,自分も何の気兼ねもなく「甘いもの」が食べられる・・・。
うちのカミさんはテレビなどを見て,よく一人で大笑いをしておりますが(笑),まあ,確かにうちのカミさんも何らかのストレスを感じることもあるのでしょう。よくストレスを感じたり,疲れたりすると「甘いもの」が欲しくなると言いますし,やはり彼女も「甘いもの」を食べようとしたり,食べている時にそんな言い訳をしております。それにしてもカミさんは「甘いもの」の健啖家です(笑)。この前なんか,ちょっと目を離したすきに,お湯を入れてすぐにできるインスタントのカップしるこをお召し上がりになっておられました(爆笑)。やりたい放題です。治外法権というか,不逮捕特権というか,免罪符というか・・・(笑)
あまりよくは分かりませんが,疲れやストレスがたまっている時には,無性に「甘いもの」が食べたくなることがあるのは,心と体がそれを欲しているからとのこと。脳の中のセロトニンという物質が増えると人は幸せを感じて,精神を安定させるのだそうで,要するに「甘いもの」はこのセロトニンを増やしてくれるんだそうな・・・。
これに関連してですが,それにしても本当にうまいことを言う人がいるもので,どうです?次の文章・・・。
「When you’re stressed,you eat Ice cream,chocolate and sweets. YOU KNOW WHY? Because ”Stressed” spelled backwards Is ”Desserts”」
”Stressed”(ストレス)のスペル(つづり)を逆からに読んだら,”Desserts”(デザート)になる・・・。
素晴らしいですね。どおりで,ストレスや疲れを感じたら「甘いもの」(デザート)が欲しくなる訳だ。
いつも感謝しているのですが,うちのカミさんは一年中季節を問わず,平日は午前5時50分ころにきちんと毎朝起床して家族の朝ごはんを作ってくれます。ありがたいことです。そして午前6時30分ころには家族そろって朝ごはんをいただくのです。
でも,昨日の朝はとても珍しいことが起こりました。カミさんがいつもより1時間ほど朝寝坊をしてしまったのです。娘のあかねちゃんがカミさんを起こす声で,私もようやく目が覚めました。それで私もようやく目を覚ましたということは,よくよく考えてみますと,毎朝私が目を覚ますのは,カミさんが味噌汁の具をまな板の上で包丁で切る「トン,トン,トン・・・」という音や,食器を扱う音を聞いてです。
そういえば,古い昔,私が子どもの頃も,母がいつも白い割烹着を着て台所でさせる「トン,トン,トン・・・」という包丁の音を聞いて目覚めていたのを覚えております。そして,家族が全員揃って朝ごはんをいただくのです。昭和の風景ですねえ。本当にいいですね。「朝茶はその日の難逃れ」なんて言って食後にみんなお茶を飲んだりね・・・。昔から,朝茶を飲むとその日の災難から逃れられるとか,何かよいことがあるとかといった言い伝えのようなもので,とにかく母からは「お茶はちゃんと飲みなさい。」と言われておりました。こういった伝統は,私が一人前に所帯をもって以降もずっと続いております。
誰も朝ごはんを作らないとか,家族がバラバラでそれぞれ好きな時に食事をするとか,そんなもの家庭ではありません。「トン,トン,トン・・・」とかが「昭和の風景」なんて言いましたが,平成の世でも,それ以降も,ずっと続いて欲しいと思っております。押しつけがましいと言われるかも知れませんが,娘のあかねちゃんもきっとこの良き伝統を守り続けてくれるものと思っております(笑)。
さて,話は変わりますが,先日行われた大学入試のセンター試験の英語のリスニングの中で,極めて妙な問題が出題されたそうですね。パスタの「ミートソースの作り方」についての英文が読まれる中で,何と,「キムチベースを入れるとおいしい」という文章が入れられていたそうです。「ハァ?」何で「キムチ」なの?一体全体誰がそんな問題作ったんでしょう。韓流ドラマやK-POPのごり押しと同じような匂いや底意を感じてしまうのは,穿ちすぎでしょうか。そもそも「センター試験の点数が悪かったらどうしよう。」と不安げで緊張している受験生にとって,突如として聞かされた「キムチ」という単語を英語で認識できるかどうかは疑問ですし,難なく聞き取れる(リスニングできる)ほど英語として一般的でしょうか。それにパスタのミートソースにキムチベースを加えるなんて「想定外」なんじゃないでしょうか(爆笑)。だれが作ったんだ,そんな問題っ!
試験後,これを実際に試した猛者がいたそうです(笑)。要するに,キムチベースをミートソースに加えてパスタの麺の上に乗せて食べたそうな。その人がツィッターで告白したところによると,「まずいどころではありませんでした」,「一口でギブアップするレベルのまずさです」だって(爆笑)。当たり前じゃないでしょうか。ほんの少しの想像力さえあれば予測できそうなものです(笑)。
昨日,20日の日曜日は二十四節気の「大寒」でした。「大寒」というのは一年で一番寒い日ということのようですが,私はその前日,気が置けない間柄の人たちとゴルフを楽しみました。このラウンドでは,数日前に我が家の財務大臣であるカミさんの了承を得て新規に購入したクラブセット(ドライバーを含む)を使用しました。ただ,いきなりの新品クラブ使用では心もとないので,実は仕事を少し早く切り上げて,前夜(金曜日の晩),寒風の中打ちっ放しの練習場に行きました。
購入したばかりの全てのクラブを練習場で試してみましたが,まずまずの当たりで好印象をもちましたし,「うん,これならいけるぞ!」と翌日のラウンドには少しばかり自信をもって臨むことができました。ただし,隣の打席(すぐ後ろの打席)の中年男性の顔が中国共産党の習近平にあまりにもソックリなので,不吉だなとは思いましたが・・・(笑)。
さてその翌日の土曜日はいよいよ本番です。緊張のスタートホールでのドライバーショットです。・・・・・う,うまくいきました。まずまずです。このラウンド全体ではパッティングがよくありませんでしたが,バンカーショットも上手く脱出できましたし,グリーン周りのアプローチもまずまず。特に感心したのは,サンドウェッジ(SW)がすごく打ちやすく,安心感があるということです。
このような訳で,このラウンドでは久しぶりにスコアが少し回復したのでありました。今までは悪すぎたせいもありますが,まずは一安心です。そもそも10年ぶりに今回クラブセットを新調しようと思ったのは,ゴルフ仲間からの「道具も大事だよ。」という一言でした。他の人からも常々そのように言われていたこともあり,今回重い腰を上げたのです。やはり,道具も重要だなと痛感しました。ただ,本当ならば,あと2,3打はスコアがよかったはずだと悔やまれることがあります。それは,いつもゴルフをご一緒させていただく愉快な同伴者(60歳代後半の男性で,七福神の布袋様にすごく似ている人)の面白い「ギャグ」にやられてしまったからです(笑)。笑い上戸の私は,2,3回,自分のショットの直前にその「ギャグ」を思い出してしまい,手元が狂ってしまったのです。その人が悪いのではありません,思い出し笑いをしてしまう自分が悪いのです。
その昔,山本リンダさんという歌手がおりました。「ウララー ウララー ウラウラでー」という歌(狙いうち)で有名ですが,私なんかはその当時まだ高校に入ったばかりで,「す,すごい元気な人だな,ボクも見習わないといけないなー」などと思いながらテレビ画面の前で圧倒されておりました。
ゴルフで一緒に回ったその布袋様のような同伴者は,いつもすごいドライバーショットをするのに,あるホールでは明らかに力(りき)んでしまい,「ポコッ」という音をたててチョロをしてしまったのです。その直後のその人は,ギャグのつもりか「山本リきンダ」と言ったのです(爆笑)。
も,もうダメです。笑い上戸の私としては・・・。思い出し笑いするなと私に命じる方がおかしい(笑)。その後私は,凝りもせず2,3回にわたり,ショットの直前にその「ギャグ」を思い出し,手元が狂ってしまったのです。
道具のおかげか,スコアが少し回復したのはよいのですが,その思い出し笑いさえなければ,本当ならばあと2,3打はスコアがよかったはずです(笑)。
皆様,新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
正月ボケに加え,なかなか直らない寝ぐせ(髪の毛)のままで,このブログをアップしております(笑)。今年の仕事始めは1月4日からの会社と1月7日からの会社の二派に分かれるようですが,道行く人の数を見ておりますと,なかなか拮抗しているようですね。当事務所は本日が仕事始めです。
私達家族は,今年の初日の出は京都で体験しました。大晦日と元日の2日間を京都御所近くのホテルで宿泊し,京都での年末年始を堪能したのです。
大晦日にカミさんと娘のあかねちゃんと私の3人で新幹線に乗り,正午近くに京都駅に到着しました。ホテルのチェックインにはまだ早かったので,ホテルで荷物だけ預かってもらって身軽になってからは,京都御所の蛤御門を見た後,早速あかねちゃんのたっての希望で祇園にある「壱銭洋食」へ直行(笑)。京都へ行くといつもこうなのです。かなり混み合ってはおりましたが,私は2枚,カミさんは1枚半,あかねちゃんは2枚半を平らげました(笑)。いつもこうなのです(爆笑)。
それからは当然のように八坂神社へ行きました。大晦日の「おけら参り」の準備ができており,多くの屋台や露店も出ておりました。まだ午後2時ころだというのに,この段階で多くの人出があり,八坂神社から知恩院へ向かいました。私達は,大晦日の「おけら参り」や知恩院での除夜の鐘にはかなりの人出があって混み合うことは分かっておりましたから,ホテルでゆっくりし,本番には出向かず雰囲気だけ昼間に味わっておこうと思ったのです。知恩院の立派な梵鐘も拝見いたしました。
大晦日の夜は,私はホテルで読書,カミさんたちは「紅白歌合戦」を見て過ごし,眠りについたのです。
この京都での二泊三日はお天気が良く,立派な初日の出も見ることができました。元日の朝はホテルの吹き抜けになっているホール内で振る舞い酒があったのですが,そこに登場した「ミス着物京都」の美しかったこと。和服の素晴らしさと日本女性の奥ゆかしさを改めて感じました。
さてさて,元日はまずは北野天満宮に行きました。あかねちゃんは,仲良しの浪人生3人に大学合格祈願のお守りを買って行きたかったようです。ここでも多くの屋台や露店が出て,大変賑わっておりました。遣唐使の停止を建議した菅原道真は先見の明があったと言うべきですが,彼が現在生きていたとしたら,中国のあのひどいカントリーリスクを前にして,欲の皮の突っ張った企業に対して中国から徐々に撤退するようにアドバイスをするでしょうね(笑)。
その後に向かったのは龍安寺です。やはり石庭は見事でした。京都の神社仏閣の行く先々で,西洋人の多いことに気付きました。彼らの表情を見ていますと,仏像や神社仏閣の風情に神秘と魅力と美しさを感じているようで,こちらの方も気持ちが和んでしまいます。
その次に向かったのは平安神宮です。お賽銭の額はホントに大したことはありませんが,山ほどのお願い事をし,ちゃんとお参りしてきました(笑)。
元日も夜はホテルでゆっくりし,2日の朝はホテルでおせち料理を味わいました。本当に日本人に生まれてよかったなと思いながら,朝っぱらから日本酒を1合半も飲んでしまいました。2日の昼頃には京都駅から新幹線に乗り,名古屋の自宅に帰ってからは年賀状のご返事を・・・。
私達家族の年末年始はこんな感じでした。
先日車で出張先まで往復する際に,バッハの教会カンタータを聴きました。この日は,119番から127番まででした。こういった曲を聴いておりますと,改めてバッハの素晴らしさを実感します。
このうち教会カンタータ120番「神よ、われらはひそかに汝をたたえ」を聴いているうちに,「あれっ?」と思いました。この120番の第2曲は,どこかで聴いたことがあるなと確信したのです。この第2曲の大規模な合唱曲(ニ長調,4分の4拍子)の主要部分は,バッハの畢生の大作,かの「ミサ曲ロ短調」の第2部「クレド」の最終曲「Et expecto(死者の蘇りと来世の生命を待ち望む)」と酷似しているのです。
バッハの名曲の数々を聴いておりますと,こういうことがままあります。パロディー(転用)というやつです。また同じ日に聴いた教会カンタータ127番「主イエス・キリスト、まことの人にして神よ」においても,「あれっ?」と思いました。この127番の冒頭の合唱曲の中では,バッハの最高傑作と評価されているかの「マタイ受難曲」第一部の最後の大コラールの旋律の一部が現れたのです。これはパロディー(転用)というほどの規模ではありませんが,「ああ,あのメロディーだな。」と膝を打つ瞬間でした。
考えてみますと,120番にしても127番にしても,その成立時期はバッハのライプツィヒ時代です。妻子のために一生懸命に働き,聖トーマス教会で仕事に追われていた忙しい時代ですから,作曲を効率的にするためにもパロディー(転用)は有効だったのでしょう。それは無理もないことだし,バッハの作品の数々は何よりも他にも転用したいほど素晴らしい曲の宝庫だったのです。
仕事に追われて忙しいという状況は,実は私も同じなのですが,どうです,皆さん。私は本格的にブログを始めた平成20年12月からは毎月最低でも10回の更新をするという記録を続けておりますよ。偉いでしょう?(笑)日本全国6194万人の私のブログの読者のためにも(笑),月最低でも10回はという気持ちで何とかここまで継続してきました。確かに私のブログの内容等については,話題が限られていてマンネリ化している,思想傾向が偏っている(笑),時に衒学的なのが鼻持ちならないなどといったお叱りを受けつつも,結構面白い,正論だ,頑張って続けてくれといった激励もあります(笑)。
ということで来年もブログ更新を続けたいと思います。本当に嬉しいことに,あのおぞましい民主党政権が終焉し,昨日のこのブログのタイトルのように日本の政治状況にも暁光が見えてきました。ワクワクして新年を迎えることができます。皆さんにとっても,来年が素晴らしい一年になることを祈念いたしております。良いお年を!
やっぱ,だめでした(笑)。私のゴルフは光明の見えない,深い深い淵の底に沈んでしまったようです。どうしてこんなに下手になってしまったのでしょうか。3年前の年末には,その年で一番良いスコアを出したので,自分は年末の最終ラウンドには強いんだという,あまり根拠のない自信をもって臨んだのですが,やはりひどいスコアだったのです。
このひどいスコアを年齢のせいにはしたくないです。確かに年齢のせいか,筋力も気力も体の柔軟性も衰え,関節の可動域も狭くなっているとは思います。でも,70歳代の方々ともご一緒させていただく機会がありますが,それはそれは見事なゴルフをなさる方が多くおられます。年齢のせいだけではないのです。
そのひどいスコアのラウンド終了後,一緒に回った人から,福音のようなことを聞かされました・・・「道具も重要だよ。」と・・・。聞くところによると,ゴルフ道具の深化・進化も日進月歩で,最近ではドライバーもアイアンもとても性能が良く,真っ直ぐに,しかもよく飛ぶものが多いそうです。「道具を替えたら。」とのアドバイスは,打ちひしがれた私にとっては非常に説得力がありました。そういえば,同じロータリークラブの人からも(その人はYさんという人で,七福神の布袋様のような体型をしておられます),「道具を替えたらどうだ!」と常日頃言われていたことも思い出しました。
思い起こせば,マンションの駐車場の車のトランクに入れっぱなしのゴルフバッグを何者かに盗まれたのが,確か約10年前でした。それを機に今使用しているクラブを買ったのですが,その当時は新品でも現在では約10年前の古道具に過ぎません。そうか,道具か(笑)。自分のスコアが悪いのは道具のせいだったのか(爆笑)。だったら小遣いを貯めて,道具を買い換えればいいのだ・・・。何だ,もうちょっと早く教えてくれたらよかったのに・・・,スコアが悪い原因は私にあるのではなくて,道具だったということを(笑)。
正に福音です(笑)。私は年明け早々に,これを実行に移すことを決意しました。そして,練習場にもできるだけ通って,真面目に練習をするということを。
仕事のために車を使って少し遠出をするような時は,私はお気に入りの盤(CD)で音楽を聴きながらの移動をいたします。なんにも聴かずに黙々と運転をするというようなことは滅多にありません(笑)。昨日私が聴いた盤(CD)は,ウラディーミル・ホロヴィッツのピアノ,ユージン・オーマンディ指揮のニューヨーク・フィルハーモニックの演奏によるラフマニノフのピアノ協奏曲第3番でした。RCAの盤で1978年1月8日のカーネギー・ホールでの演奏の実況録音です。昔からこの盤がお気に入りなのです。オーマンディの指揮と息が合い,ホロヴィッツの圧倒的な演奏で,演奏終了直後には館内の興奮した聴衆の拍手と称賛の声・・・。いやはや,すごい迫力なのですよ。聴いているこっちも元気が出ます。
ホロヴイッツは1903年生まれですから,この演奏時にはもう75歳になろうとしている年齢です。それがあのような演奏・・・。全く信じられません。デモーニッシュな感じさえします。それにしてもセルゲイ・ラフマニノフはこういった曲(ピアノ協奏曲第3番)を作曲し,自作自演できる訳ですから,ラフマニノフ自身も超絶技巧を備えた当代一流のピアニストだったのでしょう。それに何よりも素晴らしいメロディーメーカーです。そのメロディーメーカーぶりは,交響曲第2番の第3楽章や「ヴォカリーズ」を聴いてみれば実感できるでしょう。
「雑感」ですから話はコロッと変わりますが,昨日の遠出の帰り道では,久しぶりに堂々たる小学生を車の中から見かけました。そうですね,2年生か3年生くらいでしょうか,男の子で,道路の植え込みに向かって「立ち小便」をしていました。放物線のようなオシッコではなくて,その植え込みを攻撃するかのような勢いを感じさせるオシッコでした(爆笑)。堂々たる振る舞いではありましたが,その表情はとても不安そう・・・。この寒さですものね,老若男女を問わずオシッコが近くなりますよね。この男の子も背に腹は代えられなかったのでしょう。でも,クラスで密かに自分が恋心を寄せている可愛い女の子のクラスメートに見られたらどうするのでしょうか。通学路の途上でもあり,すごく冒険的な行いです(笑)。
日本全国の無数の読者のために(笑),本当は昨日もブログを更新しようと思ってはいたのですが,昨日はどうにも気分が沈滞しておりました。何を隠そう,私は新聞の休刊日は気が萎えてしまうのです。明日は新聞の休刊日だと分かっていると,前の晩から(笑)。私は朝は新聞がないとダメなのです。しかも昨日はブルーマンデーですし,雪降りの日でしたからなおさら気分が沈滞気味。
昨日は積雪もあり,雪の中を徒歩通勤しました。厳しい寒さと降雪,いつもは「チュン,チュン」と可愛く鳴いて激励してくれるすずめが一羽も見当たりません。私は歩きながら「あのすずめたちは,今頃どこでどんなふうにして過ごしているのだろう。」と・・・。前にもこのブログで触れたことがありますが,私は恐らく動物の中ではすずめが一番好きなんじゃないかと思います。あんなに可愛い動物はおりません(笑)。
このブログでも最近ではよく登場する俳人井上井月も,次のような句を作っております。
「気配りの 親と知らるゝ 雀かな」
本当に佳い句ですね。本当のところの句意は分かりませんが,数羽の雀の群れがあって,その中に「エサはここだよ」と優しく導く一羽がいる,あるいは一生懸命エサをつついている小雀たちに迫る危険はないかどうかを見張っている一羽がいる,ああ,あれが親雀なのだなあ・・・,という句ではないでしょうか。そういう着眼点,描写ができる俳人井月もすごい。心優しき人物で邪念など全くありません。
さてさて,今週の日曜日は待ちに待った総選挙です。そういえば,雀ならぬ鳩という文字がその名字に付いた人で始まった民主党政権でしたが,いはやは本当に酷い目に遭わされました。明らかに人災です。それなのに,空気デブなのか水ぶくれなのかは知りませんが,野田という人間は「皆さん前に進みましょうよ,古い政治に戻っていいんですか!」などと寝とぼけたことを言っております。彼らは一体どんな「前へ」進んだのでしょう。問題はその方向性の支離滅裂さと誤謬性です。彼らが異民族のように支配したこの約3年間,この愛すべき日本国と国民はどんな酷い目に遭わされたでしょうか。彼らは全く反省というものがありません。
ふたたび,すずめです。反省と言えば,私はすずめちゃんに大変悪いことをしてしまった過去があります。本当に今では反省しております。今からもう30年以上も前ですが,東京の居酒屋で出された雀(焼き鳥風の)を勢いで食べてしまったことがあります。これが今でも心のトゲのように刺さったままです。申し訳ありませんでした,すずめちゃん。
先日,ある会合で,望外の素晴らしい体験をしました。ある女の子の歌声に心を揺さぶられるほどの感動をしたのです。その女の子は,生まれつき全盲という障害を負っている12歳の中学生ですが,将来の夢は全国各地の老人ホームを訪問して歌を歌い,おじいちゃん,おばあちゃんに元気になってもらうことだそうです。
その時は彼女に3曲歌ってもらいました。素晴らしい歌声でしたし,間違いなく人を感動させる何かがあります。1曲目から思わず涙が出ました。2曲目は唱歌「ふるさと」を歌ってくれ,大勢の前でハンカチを出すわけにもいかず,涙が流れるままにしておりました。
普段何かと疲れ,時には不安を抱えている私も,彼女のその歌とトークに大いに励まされました。彼女には確かに,優しさと強さがありました。
俳優の大滝秀治さんは10月2日に87歳で亡くなりましたが,大滝秀治さんに関する読売新聞の記事に,これまた感動しました。その読売新聞の記事は,朝日新聞に投稿した58歳の女性の思い出話のことでした。その女性の思い出話とは・・・
「小学2年の春、アパートのベランダ下にタンポポが黄色いじゅうたんとなって咲き誇った。1階に住むおじちゃんに取っていいかと聞くと、『全部取っちゃあ、だめだよ。来年また咲くように残しておこうね』と、ざらついた、でも温かい声で話してくれた。『どうしてお仕事にいかないの?』と聞くと、『今ね、お仕事なくて、奥さんに食べさせてもらってるの』とニコニコ答え、ベランダ越しに紙包みのビスケットを手渡してくれた。」
実はその「おじちゃん」こそが50年前の大滝秀治さんだったそうです。若かったとはいえ,不遇を囲い,将来の不安を抱えながらも,昼間ぶらぶらしている理由を悪意なく尋ねたその女の子に,ベランダ越しに紙包みのビスケットを手渡す・・・。その記事は,「大滝は、老境にあってこその彼ではなく、見事に50年前から大滝秀治であり、またあり続けたのだった。アパートの黄色いじゅうたんの情景が、映画のワンシーンのように目に浮かぶ。ほほえましくて、涙が出る。」
正にそのとおりです。これも優しさと強さです。私はこれにも励まされました。