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弁護士ブログ

2013/01/04

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 皆様,新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 正月ボケに加え,なかなか直らない寝ぐせ(髪の毛)のままで,このブログをアップしております(笑)。今年の仕事始めは1月4日からの会社と1月7日からの会社の二派に分かれるようですが,道行く人の数を見ておりますと,なかなか拮抗しているようですね。当事務所は本日が仕事始めです。

 

 私達家族は,今年の初日の出は京都で体験しました。大晦日と元日の2日間を京都御所近くのホテルで宿泊し,京都での年末年始を堪能したのです。

 

 大晦日にカミさんと娘のあかねちゃんと私の3人で新幹線に乗り,正午近くに京都駅に到着しました。ホテルのチェックインにはまだ早かったので,ホテルで荷物だけ預かってもらって身軽になってからは,京都御所の蛤御門を見た後,早速あかねちゃんのたっての希望で祇園にある「壱銭洋食」へ直行(笑)。京都へ行くといつもこうなのです。かなり混み合ってはおりましたが,私は2枚,カミさんは1枚半,あかねちゃんは2枚半を平らげました(笑)。いつもこうなのです(爆笑)。

 

 それからは当然のように八坂神社へ行きました。大晦日の「おけら参り」の準備ができており,多くの屋台や露店も出ておりました。まだ午後2時ころだというのに,この段階で多くの人出があり,八坂神社から知恩院へ向かいました。私達は,大晦日の「おけら参り」や知恩院での除夜の鐘にはかなりの人出があって混み合うことは分かっておりましたから,ホテルでゆっくりし,本番には出向かず雰囲気だけ昼間に味わっておこうと思ったのです。知恩院の立派な梵鐘も拝見いたしました。

 

 大晦日の夜は,私はホテルで読書,カミさんたちは「紅白歌合戦」を見て過ごし,眠りについたのです。

 

 この京都での二泊三日はお天気が良く,立派な初日の出も見ることができました。元日の朝はホテルの吹き抜けになっているホール内で振る舞い酒があったのですが,そこに登場した「ミス着物京都」の美しかったこと。和服の素晴らしさと日本女性の奥ゆかしさを改めて感じました。

 

 さてさて,元日はまずは北野天満宮に行きました。あかねちゃんは,仲良しの浪人生3人に大学合格祈願のお守りを買って行きたかったようです。ここでも多くの屋台や露店が出て,大変賑わっておりました。遣唐使の停止を建議した菅原道真は先見の明があったと言うべきですが,彼が現在生きていたとしたら,中国のあのひどいカントリーリスクを前にして,欲の皮の突っ張った企業に対して中国から徐々に撤退するようにアドバイスをするでしょうね(笑)。

 

 その後に向かったのは龍安寺です。やはり石庭は見事でした。京都の神社仏閣の行く先々で,西洋人の多いことに気付きました。彼らの表情を見ていますと,仏像や神社仏閣の風情に神秘と魅力と美しさを感じているようで,こちらの方も気持ちが和んでしまいます。

 

 その次に向かったのは平安神宮です。お賽銭の額はホントに大したことはありませんが,山ほどのお願い事をし,ちゃんとお参りしてきました(笑)。

 

 元日も夜はホテルでゆっくりし,2日の朝はホテルでおせち料理を味わいました。本当に日本人に生まれてよかったなと思いながら,朝っぱらから日本酒を1合半も飲んでしまいました。2日の昼頃には京都駅から新幹線に乗り,名古屋の自宅に帰ってからは年賀状のご返事を・・・。

 

 私達家族の年末年始はこんな感じでした。

2012/12/28

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 先日車で出張先まで往復する際に,バッハの教会カンタータを聴きました。この日は,119番から127番まででした。こういった曲を聴いておりますと,改めてバッハの素晴らしさを実感します。

 

 このうち教会カンタータ120番「神よ、われらはひそかに汝をたたえ」を聴いているうちに,「あれっ?」と思いました。この120番の第2曲は,どこかで聴いたことがあるなと確信したのです。この第2曲の大規模な合唱曲(ニ長調,4分の4拍子)の主要部分は,バッハの畢生の大作,かの「ミサ曲ロ短調」の第2部「クレド」の最終曲「Et expecto(死者の蘇りと来世の生命を待ち望む)」と酷似しているのです。

 

 バッハの名曲の数々を聴いておりますと,こういうことがままあります。パロディー(転用)というやつです。また同じ日に聴いた教会カンタータ127番「主イエス・キリスト、まことの人にして神よ」においても,「あれっ?」と思いました。この127番の冒頭の合唱曲の中では,バッハの最高傑作と評価されているかの「マタイ受難曲」第一部の最後の大コラールの旋律の一部が現れたのです。これはパロディー(転用)というほどの規模ではありませんが,「ああ,あのメロディーだな。」と膝を打つ瞬間でした。

 

 考えてみますと,120番にしても127番にしても,その成立時期はバッハのライプツィヒ時代です。妻子のために一生懸命に働き,聖トーマス教会で仕事に追われていた忙しい時代ですから,作曲を効率的にするためにもパロディー(転用)は有効だったのでしょう。それは無理もないことだし,バッハの作品の数々は何よりも他にも転用したいほど素晴らしい曲の宝庫だったのです。

 

 仕事に追われて忙しいという状況は,実は私も同じなのですが,どうです,皆さん。私は本格的にブログを始めた平成20年12月からは毎月最低でも10回の更新をするという記録を続けておりますよ。偉いでしょう?(笑)日本全国6194万人の私のブログの読者のためにも(笑),月最低でも10回はという気持ちで何とかここまで継続してきました。確かに私のブログの内容等については,話題が限られていてマンネリ化している,思想傾向が偏っている(笑),時に衒学的なのが鼻持ちならないなどといったお叱りを受けつつも,結構面白い,正論だ,頑張って続けてくれといった激励もあります(笑)。

 

 ということで来年もブログ更新を続けたいと思います。本当に嬉しいことに,あのおぞましい民主党政権が終焉し,昨日のこのブログのタイトルのように日本の政治状況にも暁光が見えてきました。ワクワクして新年を迎えることができます。皆さんにとっても,来年が素晴らしい一年になることを祈念いたしております。良いお年を!

2012/12/26

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 やっぱ,だめでした(笑)。私のゴルフは光明の見えない,深い深い淵の底に沈んでしまったようです。どうしてこんなに下手になってしまったのでしょうか。3年前の年末には,その年で一番良いスコアを出したので,自分は年末の最終ラウンドには強いんだという,あまり根拠のない自信をもって臨んだのですが,やはりひどいスコアだったのです。

 

 このひどいスコアを年齢のせいにはしたくないです。確かに年齢のせいか,筋力も気力も体の柔軟性も衰え,関節の可動域も狭くなっているとは思います。でも,70歳代の方々ともご一緒させていただく機会がありますが,それはそれは見事なゴルフをなさる方が多くおられます。年齢のせいだけではないのです。

 

 そのひどいスコアのラウンド終了後,一緒に回った人から,福音のようなことを聞かされました・・・「道具も重要だよ。」と・・・。聞くところによると,ゴルフ道具の深化・進化も日進月歩で,最近ではドライバーもアイアンもとても性能が良く,真っ直ぐに,しかもよく飛ぶものが多いそうです。「道具を替えたら。」とのアドバイスは,打ちひしがれた私にとっては非常に説得力がありました。そういえば,同じロータリークラブの人からも(その人はYさんという人で,七福神の布袋様のような体型をしておられます),「道具を替えたらどうだ!」と常日頃言われていたことも思い出しました。

 

 思い起こせば,マンションの駐車場の車のトランクに入れっぱなしのゴルフバッグを何者かに盗まれたのが,確か約10年前でした。それを機に今使用しているクラブを買ったのですが,その当時は新品でも現在では約10年前の古道具に過ぎません。そうか,道具か(笑)。自分のスコアが悪いのは道具のせいだったのか(爆笑)。だったら小遣いを貯めて,道具を買い換えればいいのだ・・・。何だ,もうちょっと早く教えてくれたらよかったのに・・・,スコアが悪い原因は私にあるのではなくて,道具だったということを(笑)。

 

 正に福音です(笑)。私は年明け早々に,これを実行に移すことを決意しました。そして,練習場にもできるだけ通って,真面目に練習をするということを。

2012/12/13

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 仕事のために車を使って少し遠出をするような時は,私はお気に入りの盤(CD)で音楽を聴きながらの移動をいたします。なんにも聴かずに黙々と運転をするというようなことは滅多にありません(笑)。昨日私が聴いた盤(CD)は,ウラディーミル・ホロヴィッツのピアノ,ユージン・オーマンディ指揮のニューヨーク・フィルハーモニックの演奏によるラフマニノフのピアノ協奏曲第3番でした。RCAの盤で1978年1月8日のカーネギー・ホールでの演奏の実況録音です。昔からこの盤がお気に入りなのです。オーマンディの指揮と息が合い,ホロヴィッツの圧倒的な演奏で,演奏終了直後には館内の興奮した聴衆の拍手と称賛の声・・・。いやはや,すごい迫力なのですよ。聴いているこっちも元気が出ます。

 

 ホロヴイッツは1903年生まれですから,この演奏時にはもう75歳になろうとしている年齢です。それがあのような演奏・・・。全く信じられません。デモーニッシュな感じさえします。それにしてもセルゲイ・ラフマニノフはこういった曲(ピアノ協奏曲第3番)を作曲し,自作自演できる訳ですから,ラフマニノフ自身も超絶技巧を備えた当代一流のピアニストだったのでしょう。それに何よりも素晴らしいメロディーメーカーです。そのメロディーメーカーぶりは,交響曲第2番の第3楽章や「ヴォカリーズ」を聴いてみれば実感できるでしょう。

 

 「雑感」ですから話はコロッと変わりますが,昨日の遠出の帰り道では,久しぶりに堂々たる小学生を車の中から見かけました。そうですね,2年生か3年生くらいでしょうか,男の子で,道路の植え込みに向かって「立ち小便」をしていました。放物線のようなオシッコではなくて,その植え込みを攻撃するかのような勢いを感じさせるオシッコでした(爆笑)。堂々たる振る舞いではありましたが,その表情はとても不安そう・・・。この寒さですものね,老若男女を問わずオシッコが近くなりますよね。この男の子も背に腹は代えられなかったのでしょう。でも,クラスで密かに自分が恋心を寄せている可愛い女の子のクラスメートに見られたらどうするのでしょうか。通学路の途上でもあり,すごく冒険的な行いです(笑)。

2012/12/11

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 日本全国の無数の読者のために(笑),本当は昨日もブログを更新しようと思ってはいたのですが,昨日はどうにも気分が沈滞しておりました。何を隠そう,私は新聞の休刊日は気が萎えてしまうのです。明日は新聞の休刊日だと分かっていると,前の晩から(笑)。私は朝は新聞がないとダメなのです。しかも昨日はブルーマンデーですし,雪降りの日でしたからなおさら気分が沈滞気味。

 

 昨日は積雪もあり,雪の中を徒歩通勤しました。厳しい寒さと降雪,いつもは「チュン,チュン」と可愛く鳴いて激励してくれるすずめが一羽も見当たりません。私は歩きながら「あのすずめたちは,今頃どこでどんなふうにして過ごしているのだろう。」と・・・。前にもこのブログで触れたことがありますが,私は恐らく動物の中ではすずめが一番好きなんじゃないかと思います。あんなに可愛い動物はおりません(笑)。

 

 このブログでも最近ではよく登場する俳人井上井月も,次のような句を作っております。

 

 「気配りの 親と知らるゝ 雀かな」

 

 本当に佳い句ですね。本当のところの句意は分かりませんが,数羽の雀の群れがあって,その中に「エサはここだよ」と優しく導く一羽がいる,あるいは一生懸命エサをつついている小雀たちに迫る危険はないかどうかを見張っている一羽がいる,ああ,あれが親雀なのだなあ・・・,という句ではないでしょうか。そういう着眼点,描写ができる俳人井月もすごい。心優しき人物で邪念など全くありません。

 

 さてさて,今週の日曜日は待ちに待った総選挙です。そういえば,雀ならぬ鳩という文字がその名字に付いた人で始まった民主党政権でしたが,いはやは本当に酷い目に遭わされました。明らかに人災です。それなのに,空気デブなのか水ぶくれなのかは知りませんが,野田という人間は「皆さん前に進みましょうよ,古い政治に戻っていいんですか!」などと寝とぼけたことを言っております。彼らは一体どんな「前へ」進んだのでしょう。問題はその方向性の支離滅裂さと誤謬性です。彼らが異民族のように支配したこの約3年間,この愛すべき日本国と国民はどんな酷い目に遭わされたでしょうか。彼らは全く反省というものがありません。

 

 ふたたび,すずめです。反省と言えば,私はすずめちゃんに大変悪いことをしてしまった過去があります。本当に今では反省しております。今からもう30年以上も前ですが,東京の居酒屋で出された雀(焼き鳥風の)を勢いで食べてしまったことがあります。これが今でも心のトゲのように刺さったままです。申し訳ありませんでした,すずめちゃん。

2012/12/04

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 先日,ある会合で,望外の素晴らしい体験をしました。ある女の子の歌声に心を揺さぶられるほどの感動をしたのです。その女の子は,生まれつき全盲という障害を負っている12歳の中学生ですが,将来の夢は全国各地の老人ホームを訪問して歌を歌い,おじいちゃん,おばあちゃんに元気になってもらうことだそうです。

 

 その時は彼女に3曲歌ってもらいました。素晴らしい歌声でしたし,間違いなく人を感動させる何かがあります。1曲目から思わず涙が出ました。2曲目は唱歌「ふるさと」を歌ってくれ,大勢の前でハンカチを出すわけにもいかず,涙が流れるままにしておりました。

 

 普段何かと疲れ,時には不安を抱えている私も,彼女のその歌とトークに大いに励まされました。彼女には確かに,優しさと強さがありました。

 

 俳優の大滝秀治さんは10月2日に87歳で亡くなりましたが,大滝秀治さんに関する読売新聞の記事に,これまた感動しました。その読売新聞の記事は,朝日新聞に投稿した58歳の女性の思い出話のことでした。その女性の思い出話とは・・・

 

 「小学2年の春、アパートのベランダ下にタンポポが黄色いじゅうたんとなって咲き誇った。1階に住むおじちゃんに取っていいかと聞くと、『全部取っちゃあ、だめだよ。来年また咲くように残しておこうね』と、ざらついた、でも温かい声で話してくれた。『どうしてお仕事にいかないの?』と聞くと、『今ね、お仕事なくて、奥さんに食べさせてもらってるの』とニコニコ答え、ベランダ越しに紙包みのビスケットを手渡してくれた。」

 

 実はその「おじちゃん」こそが50年前の大滝秀治さんだったそうです。若かったとはいえ,不遇を囲い,将来の不安を抱えながらも,昼間ぶらぶらしている理由を悪意なく尋ねたその女の子に,ベランダ越しに紙包みのビスケットを手渡す・・・。その記事は,「大滝は、老境にあってこその彼ではなく、見事に50年前から大滝秀治であり、またあり続けたのだった。アパートの黄色いじゅうたんの情景が、映画のワンシーンのように目に浮かぶ。ほほえましくて、涙が出る。」

 

 正にそのとおりです。これも優しさと強さです。私はこれにも励まされました。

2012/11/21

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 私は朝刊は産経新聞と讀賣新聞を購読しております。対局する棋士によっては将棋欄も読むことがあり,産経新聞は棋聖戦,讀賣新聞は竜王戦の棋譜を掲載しております。

 

 加藤一二三という棋士は私は昔から関心がありました。居飛車一辺倒の攻め将棋という棋風は昔から好きで,私が高校生や大学生の時はよく加藤一二三さんの棋譜を並べたりしていたものです。「加藤一二三名局集」という本も持っています(笑)。

 

 さて,先日の棋聖戦(産経新聞)では,加藤一二三さんとしては本当に惜しい局を落としてしまいました。「トン死」というやつです。「トン死」というのは,将棋で,自分の王将の詰みを見落として詰まされて負けてしまうことを意味します。この局では,加藤さんは終局の5手前までは圧倒的な優勢だった,そして勝勢といってもいい状況だったのに,自玉の即詰みを見落としてあっという間に負けてしまったのです。加藤さんのような超ベテラン(72歳)で1308勝という史上第2位の実績のある棋士でも,「トン死」を喰らうことがあるのですね。本当に勝負というものは下駄を履くまで分かりません。

 

 それにしてもその局の観戦記者の記事が本当に面白い。ちょっと引用してみましょう(この時点では加藤先生が絶好調で,圧倒的な優勢の場面です)。

 

 「この一連の好手順の間、加藤はまるでディスコのDJみたいにノリノリだった。体を揺らして踊るようなしぐさ。朗らかな声で、得意の『あと何分ですか』にはじまり、『これはカキクケコですね』『こうする、すると相手がこうする。そしてビシッ』としゃべり続ける。ビシッと言う時には右手で指すポーズまでしていた。」

 

 『カキクケコ』というのが私にはよく分かりません(爆笑)。それに対局の相手に聞こえるようにしゃべるのですから(笑)。でも私は,加藤一二三という棋士の将棋が昔から好きで,求道者のようなその姿勢を尊敬しておりました。ただ,対局マナーは揶揄の対象になったりして,その点ではファンとしても苦笑いなのです。でも憎めないところがあるのです。加藤先生のエピソードとして有名なのは,次のようなものです。

 

・カルピスを魔法瓶に2本作ってきて,あっという間に飲み干した。
・板チョコを10枚ほど対局中に用意して,バリバリ食べ始める(それも2枚重ねて)

・王位戦の昼食休憩には「すしにトマトジュース,オレンジジュースにホットミルク,さらには天ざるを注文する」
・対局中に両膝で立ってズボンをずり上げる。
・結んでいるネクタイが畳に付くくらい異常に長い。
・対局中に相手棋士の背後に回り,盤面を眺める。
・名人戦で詰みを発見し,「ウヒョー!」と言って喜ぶ。
・対局中に10数本のバナナを,房から取らないまま全部平らげる。 などなど

 

 憎めないでしょう(笑)。でもね。棋士としては魅力的なんですよ。もう現役最年長になられましたが,ますます頑張っていただきたいと思います。というのも,私が将棋に熱中していた高校時代に大活躍され,棋譜を並べていた棋士としては,例えば升田幸三,大山康晴,加藤一二三,有吉道夫,内藤國雄,米長邦雄,中原誠など錚々たる棋士が名を連ねておりましたが,もう現役は加藤先生だけですもの。

2012/11/13

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 本当に紅葉の美しい季節となりました。改めて思いますのは,一年というのは本当に短いな,早いなということです。

 

 そして,これまた改めて思いますのは,自分が太ってしまったなと実感するのは,季節の変わり目に一年ぶりに身につけるズボンが窮屈になった際です。もういい歳なんだから,年々太っている場合ではないのです。育ち盛りじゃないんですから(笑)。

 

 何だかとりとめのない話ですが,とりとめのなさついでに,産経新聞社が出している「正論」という月刊誌は,本当に素晴らしい本だと思っております。わずか740円であれだけの充実した内容に接することができるんですもの,ホントに安いです。ランチ一食分(例えば,白身魚フライ定食)と同じくらいです。秋の夜長,もうすぐ冬ですが,くだらないテレビ番組(芸能人の内輪話やマンネリ化したクイズ番組,よそ様の家庭内を野次馬根性で覗くような番組,飲食店のメニューをムダに食い尽くすような番組,バイアスのかかった反日番組,いわゆる韓流のごり押しなどなど)を見ているヒマがあったら,「正論」を読むべきです。素晴らしいコンテンツです。

 

 さて,その「正論」の中のコーナーの一つに「根源へ-草舟立言」というインタビュー記事があり,執行草舟氏の発言が掲載されております。今回は「老いについて 前篇」というもので,大変興味深く読みました。私のような年齢になりますと,「老い」というものをどのように受け入れ,どのように老いていくべきか,死というものにどのように向き合うのかということにも関心がありますが,こういった記事は大変参考になります。

 

 この記事の中には,辞世という言葉が出てきました。ちょっと引用してみます。「常に死を意識して生きろということですね。それによって生き方の根本が固まっていく。・・・キリスト教も武士道も、崇高なるものを目指す非日常を、日常生活の中にもたらしていたのです。その非日常を、形に現しているもののひとつが辞世の慣習なのです。自己の生き方と、その帰結としての死に様を歌や句として残しておくのです。武士だけでなく、格式のある商家や農家の人も辞世を詠んでいます。辞世を詠まないで死ぬことは恥だったのです。だからあらかじめ用意していました。」(月刊「正論12月号」184頁)

 

 なるほどね。それで辞世には名句,名歌が多いのですね。

 

「願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」(西行)

 

「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」(良寛)

 

 いずれも素晴らしい。良寛の句は,葉の裏も表も全てをさらけ出して,人生を全うしてこの世を去っていくということでしょうか。なお良寛は,辞世として次のような歌も残しております。

 

「形見とて 何か残さむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉」(良寛)

 

 やはり紅葉(もみじ)ですよ。秋はね・・・。

2012/11/05

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 その日というのは昨日の日曜日なのですが,その日はもう,散々なゴルフでした。自分が嫌になるような・・・(笑)。

 

 約2か月ぶりにゴルフに出かけました。お天気もよく,同伴者も気が置けないメンバーばかりで,楽しみにしていたのですが,近来まれに見る悪いスコアだったのです。いつも口に出すだけで実行に移せなかった「練習」というものを,いよいよ本格的にやっていく時期が来たようです。

 

 日曜日の晩は,家族で鍋をつつきながら楽しく過ごせたのですが,布団の中に入ってさあこれから寝ようとする時に,その日のゴルフのことが脳裏をよぎりました。このままだと悲しくて枕を涙でぬらすことになると思い,自分のゴルフの将来を明るいものにするために,寝つく前に反省というものをしてみました(笑)。

 

 その結果,ボールの捉え方が特にひどかったことに思い至りました。簡単に言うと,その日の自分はボールを強く速くひっぱたくようなスイングだったのです。これではダメです。バックスイングとリリース後のスイングの速さが同じくらいで,力まず,ゆっくりと,しかもボールをクラブのフェイス面で「しっとり」と捉えるような感じて打てばよいと思いました。それができている時は良いショットが出ているのですから。強く速くひっぱたいてはいけないのです。強く速くひっぱたくようなスイングですと,ドライバーもアイアンも,そしてサンドウェッジによるアプローチも予測不可能な方法へボールが飛んでしまうのです。いわゆるシャンクともまた違うような・・・。ちょっと練習場で自分のこの「反省」が正しいのか検証してみたいと思います。

 

 でもこの日のラウンドは救いというものがありました。若いキャディーさんの仕事ぶりがとても良かったのです。スタートまでに時間があったので,さてこれからゴルフ場内の練習場で軽く練習しようと思っていましたら,意を察してか,すかさず「練習場までお送りしましょうか。」と言って,カートで送ってくれたのです。まことに感じの良い対応でした。

 

 そしてラウンド中に付いてくれたキャディーさんは,仙台出身。この春に地元の高校を出て4月からこの仕事を始めたとのこと。キャリアが短い割りには,ベテランと遜色がないような見事な仕事ぶりでした。東北の人は我慢強いといいますが,一生懸命に仕事をし,運動量も豊富で,気立てが優しそうでした。ラウンド後の礼儀正しさも素晴らしい。この日の自分のスコアは惨憺たるものでしたが,キャディーさんたちの良い仕事ぶりに救われました。もう一つ救われた思いがしたショットがございました(笑)。ホールの位置も見えない深いバンカーからのショットがうまくいき,ピンそば40センチまで寄せることができたのです。

 

 数少ない会心のショットを自画自賛している間があったら,一生懸命仕事をして,暇を見つけて本格的な練習をしなければなりません。

2012/11/02

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 実はですね,私はですね,本当に珍しいことに月曜日から水曜日までの3日間,全くお酒を飲んでおりません(笑)。これは最近では快挙といってもよいくらいです。それくらいここ数日は忙しかったのです。特に弁護士として裁判所に提出するいろいろな書面の作成ラッシュが続いていたのです。

 

 年を取りますとね,長い書面の作成は辛いときがあるのですよ。それに書面の作成だけではなく,電話連絡,打合せ,交渉などなど・・・。忙しさやストレスは職業人である以上避けられませんので,バッハの音楽やゴルフ,ジャイアンツの応援,家族との団らん,読書(このたび「今昔物語」を読み始めました。),友人との楽しいお酒などで気を紛らわしながら乗り切っていくしかありません。

 

 9月のある日,同業の弁護士さんで私とそれほど年齢の違わない先生が急逝されました。本当に驚きました。全く突然のことでした。その先生は,私の知るところ,本当に包容力があり,優秀で,淡々としていて,正に「人物だな」と思える人でした。心からご冥福をお祈りいたします。

 

 このようなこともあり,人生の無常を改めて痛感した次第です。日常業務に埋没している昨今,「死」というものをどのように捉えるべきなのか・・・。日々の業務には辛い面もあるけれども,どんなふうに生きていけばよいのか。最近読んだ本の中に,とても印象に残る一節がありました。その本は「日本破滅論」(藤井聡,中野剛志共著,文春新書)という本で,藤井聡さんの発言の中の一節です。ちょっと引用してみましょうね。

 

「・・・・・ハイデガーの『存在と時間』は一つのヒントになります。この本の重要なモチーフは、最終的に人間は、本来的な人間と非本来的な人間の2種類に分かれるということです。そのあり方を時間性について言えば、本来的な時間性と非本来的な時間性です。本来的な時間性に生きる人間とは何なのか。死を十二分に理解している人、死に対して先駆的に覚悟する人だと彼は言います。自分が死ぬことを、そこにコップがあり水があるように、当たり前のように認識している人です。一方、非本来的な人間は、死を予期できません。自分が死ぬと理屈ではわかっていても、肝ではわからない人は、非本来的な時間性のうちに生きているんです。ハイデガーは次のように議論を展開します。人間の道徳的な退廃は、自らの死を認識することができないことに起因する。この現実の中で、この大地の上でしっかり生きていこうという覚悟は、自らの死の認識から芽生えてくる。自分が死ぬとわかっているからこそ、今のこの時間を一生懸命に生きることができる。逆に、死を考えていないと、昨日のことが今日も続き、今日のことが明日も続くというように、無限にのんべんだらりと生きる人間になってしまう、と。」(同書21~22頁)

 

 弁護士として,何とか人の助けになることのできるやりがいのある仕事に携われているのですから,「死」に対して先駆的に覚悟し,本来的自己,本来的時間性の中で生きていくしかありません。本日は,柄にもなく真面目にまとめてみました(笑)。

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