いや,本当に感動しました。10月28日(日)の天皇賞(秋)は天覧競馬,すなわち天皇皇后両陛下がお出ましでした。そして,このレースでイタリアのミルコ・デムーロという騎手が,日本のエイシンフラッシュという馬に騎乗して見事優勝を果たしたのですが,レース後にメインスタンドに戻ってくると,手をお振りになって祝福される天皇皇后両陛下に対し,下馬してヘルメットを取り,右膝を付く跪座で最敬礼をしたのです。その見事な礼節,振る舞いに対し,会場はどよめきと,大歓声です。本来は本馬場で下馬してはいけないことになってはいるのですが,彼は天皇皇后両陛下に心からの敬意と感謝の念を示したかったのでしょう。本当に感動しましたし,涙さえ出てきました。「ミルコ・デムーロ」で検索すれば,その時の動画もアップされていますよ。
このミルコ・デムーロというイタリア人騎手は,割と日本でも馴染みが深く,「私が一番好きな国はイタリア。次が日本。」というのが口癖で,新幹線で東京駅に到着した際には,丸の内の皇居方面に向かって必ずお辞儀をするそうです。この騎手は,去る日曜日の天皇賞(秋)の優勝の際に「両陛下がいらした特別な日に,勝つことができてとてもうれしい。」とコメントしています。そして,ウイニングランの際には両手でハート形を作って観衆に応えました。彼のコメントによると,このハートの形は「I LOVE JAPAN 日本のみなさんを愛しています。特別な日に勝つことができて,本当にうれしい。僕の日本に対する感謝の気持ちを表した」という意味だそうです。
このイタリアの騎手は,実は昨年の東日本大震災の直後に行われたドバイワールドカップにおいて,日本の馬であるヴィクトワールピサに騎乗して見事に優勝を果たし,レース後のインタビューでは,東日本大震災という惨事に言及し,「今日は日本人のために朝から祈っていました。ドバイワールドカップを勝てるなんて信じられない。日本を愛しています。ありがとう。」と涙ながらに語っていたそうです。
外国人騎手の中にもこういう親日的な人がいたとは。そして,天皇皇后両陛下に対する心からの敬意,彼には伝統の騎士道精神が宿っているのかもしれません。
それにしても,デムーロという騎手の見事な礼節,振る舞いを目にして,そしてそれに感動した場内の観衆の大歓声を耳して,不覚にも泣けてきたのはなぜなのでしょうか。日本人にとって天皇皇后両陛下の存在はやはり何物にも代え難く,そういった認識はやはり自分だけではなく,みんなも同じなのだという心からの共感が得られたからだと思いますし,歴史と伝統を重んじるイタリア人騎手のこのような礼節,振る舞いを見るにつけ,彼から改めて日本における天皇という存在の有り難さを教えてもらったような気がします。
このブログでもよく登場しますが,私は岸信介という政治家をとても尊敬しております。その長女が洋子さん,その婿が亡き安倍晋太郎(元外務大臣),その子が安倍晋三です。ですから,岸信介は安倍晋三の母方の祖父ということになります。
岸信介という政治家は,三木武吉らと努力の末に,その後の日本の発展の礎となる保守合同を成立させ,そして文字通り命を賭けて,3万人のデモ隊に囲まれながらも「声なき声」の存在を確信して安保改定を成し遂げた政治家です。国士といっても良いでしょう。岸信介の政治家としての器と凄さと能力は,今の売国的な民主党政権を構成している政治家とは全く次元が違います。比較するのも本当に失礼なくらいです。菅とか野田とかいった連中が,よく「命がけで」などという言葉を連発し,もはやインフレ状態ですが(笑),彼らの「命がけで」という言葉は鴻毛より軽い。実際に岸信介は退陣の直前に暴漢に刺され,瀕死の重傷を負っております。文字通り命がけだったのです。
文芸評論家の福田和也は,岸信介という政治家のことを「本物の責任感と国家戦略を持った戦後唯一の総理」と高く評価しております。そこで私は,福田和也の「悪と徳と-岸信介と未完の日本」(産経新聞出版社)という本を読もうかなと思ったのですが,今回は工藤美代子の「絢爛たる悪運 岸信介伝」(幻冬舎)という本にしました。本当に感動しました。
でも今日は,岸信介という政治家の良き家庭人としての一面を彷彿とさせるエピソードを,この「絢爛たる悪運 岸信介伝」(工藤美代子著)という本の中から引用して締めくくりましょう。これは長女洋子が幼少の頃,父信介から可愛がってもらい,面白い話を聞かせてくれた時のことを回想した一節です。
「中野の家では夏の夜など、兄と私を蚊帳の中に呼んで大仰な身振り手振りでおとぎ話なんかをしてくれました。欲張りな和尚さんが小僧に隠れてお餅を食べるお話です。安念と珍念という小僧はいつもふたりがお使いに出されると和尚さんがお餅をこっそり食べているのに気がついて、自分たちの名前を『ぽてぽて』と『ふうふう』に変えて欲しいと頼むんです。ある日、ふたりをお使いに出すと、和尚さんはさっそくお餅を囲炉裏で焼いて食べ始めました。餅についた灰を払うためにポテポテと手を叩いたところ、隠れていた安念が『はアい』と出てきました。仕方ないので餅を安念にやって、次の餅は叩かずに口に入れたら熱いのでフウフウとやったら、隠れていた珍念が『はアい』と言って出てきて餅をせしめた、というお話です。いつも同じ話なんですが、父の話しぶりがおかしくてなんべん聞いても面白かったものです」(97頁)
さくら「・・・今日のバイキングは中華料理が中心ね。」
ひみ子「ええ,『日本の』中華料理はとっても美味しいわね。特にこのホテルの青菜炒めと酢豚は大好きなのよ。・・・あれっ?あなた,その美味しそうな料理,何でピーマンだけ残してるのよ。」
さくら「・・・ばれた?私ね,子どもの頃からピーマンが苦手なのよ。」
ひみ子「へぇ,そうだったの。長い付き合いだけど,気付かなかったわ。・・・でもさ,苦手といったら,私ね,最近つくづく中国という国は本当に苦手だと思い始めてるわ。」
さくら「ホントよねぇ。中国って国は,自分の気に入らないことがあると,相手の国に対して露骨に不機嫌な対応を見せつけさえすれば,相手国の方が態度を改めるだろう,みたいな驕り高ぶった気分があるんでしょうね。そういえば,『不機嫌な中国』というタイトルの本を書店で見たことがあるような・・・」
ひみ子「つい最近も,台湾のオーケストラ『台湾国家交響楽団』が11月に中国公演をするために中国政府にビザ発給を求めたそうだけど,その全楽団員のうち日本人3名だけにはビザ発給を拒否したっていうじゃないの。それに最近じゃ,中国政府は日本人に対してはビザ発給を停止するとかいってるし,日本からの輸入品の通関業務をわざと遅らせるとか,東京で開かれた国際通貨基金(IMF)と世界銀行の年次総会には,わざと中央銀行の総裁や主要銀行の首脳を欠席させたり,ありとあらゆる嫌がらせを日本に対してしてるのよ・・・。バカよねぇ,日本の精巧な部品などが輸入できなければ中国の生産はたちどころに影響を受けるのに・・・」
さくら「そうよね。ホントに酷いわね。」
ひみ子「・・・そうそう,文句ばかり言ってたら,お腹が空いてきちゃった・・。ゴマ付きの揚げ饅頭でも持ってこよっと。」
さくら「ええっ!だってあなた・・・,あれだけ食べたのに・・。」
ひみ子「いいってことよ。私だって,確か今年の春ごろだったかしら,このホテルであなたが食べ過ぎて,ブラウスのボタンが1個はじけ飛んだ歴史的な瞬間をこの目で目撃してるのよ。」
さくら「あ,あなた。・・・中国と一緒で,ホントに嫌な人。」
ひみ子「中国と一緒にしないでよ。・・・で,どうなの?あなたも揚げ饅頭欲しい?」
さくら「・・・じ,じゃあ,3個持ってきてくれる?」
ひみ子「(揚げ饅頭7個を皿に乗せて着席)さっきの話だけどさ,日本人はお人好し過ぎる,やられたらやり返せばいい,外国に向けての宣伝が下手だ,という意見もあるけど,あなたどう思う?」
さくら「わたしはね,結論的には日本と日本人は中国や中国人のマネなんかしなくていいと思うの。それにできないと思う。」
ひみ子「なぜ?」
さくら「気質やメンタリティー,民度が全然違うもの。日本や日本人は,こんなことをすれば『恥ずかしい』という感覚をもってるでしょ。さっき,ビザ発給や通関業務,国際会議への嫌がらせのような欠席の話がでていたけど,そういうことは世間的(国際的)にみて恥ずかしいことだという感覚があるじゃない。『恥ずかしい』という感覚のある日本や日本人は,そもそも中国や中国人と同じことはできないし,すべきでもないと思うの。それよりも,そんな露骨で恥さらしなことをしたって,日本や日本人には通用しない,外交的なカードなんかにはならないということを見せつける必要があるわ。売国的な民主党政権のように,『不機嫌な中国』様のご機嫌をうかがって譲歩する必要なんかさらさらない。そんなものカードにならないということを日本の方が見せつければいいのよ。例えば,靖国神社参拝にしたって,国のために尊い命を落とされ,散華された方々の御霊を追悼して何が悪いの?他国が干渉することじゃない。抗議すれば日本国の首相は参拝を控えるだろうと思わせること自体がだめよ。そんなものは外交カードにはならない,日本国首相は毅然として靖国神社に参拝すべきなのよ。」
ひみ子「確かに・・。中国というリスクはとんでもないわね。もう欧米資本は中国から逃げ出しつつあるわ。投資額の前年比では明らかにそういう数字になっているもの。お人好しの日本は『周回遅れ』と言われていて,この期に及んで中国への投資を増やしているけど,もういい加減に中国のカントリーリスクというものを自覚して欲しいわね。あの反日デモの破壊,略奪,放火に懲りないのかしら。」
さくら「そうよね。まったくだわ。でも,カードといえば,あなたはいつも私に対して同じカードを使っているわね。」
ひみ子「・・・えっ?何のこと?」
さくら「3年前だったかしら,私がうっかりしてランチバイキングの約束をすっぽかしたことがあったけど,ことあるごとに『歴史認識』と称して,あなたは私にそのことを持ち出して譲歩を迫るじゃないの。」
ひみ子「どんな譲歩?」
さくら「・・・たとえば,この前の暑気払いの時だって,酢豚が最後に1個だけ残った時に,あなたはその『歴史認識』を持ち出して当然のように自分が食べちゃったじゃないの・・・。」
ひみ子「・・・・・・・・・」
今では,「体育の日」は年によって10月8日になったり,10月11日になったりしますが,昔は10月10日と決まっていましたよね。「体育の日」というのは不動の日でした。
その昔の「体育の日」,つまり10月10日で思い出すのは,中学時代からの親友であったF君のことです。10月10日は確かF君の誕生日だったと思います。今でもそういう記憶は残っているのです。私の誕生日が6月6日ですから,「お互いぞろ目だね・・。」と言い合っていました。楽しい思い出もいっぱいあります。成績は私の方が良かったけど,人間的な幅の広さや包容力は彼でした。ケンカもしましたけど,すぐに仲直りしてしまうのです。
そのF君は,残念ながら今から4年前に亡くなりました。余りにも早過ぎる死でした。本当に残念です。ご遺族の前で思わず号泣してしまったことは,以前にもこのブログでお話ししたとおりです。本当にいい奴だったのですよ。彼のことは忘れることができません。
学校を出てからは,たまに会ったりもしていたのですが,お互いに仕事も忙しく,遠慮し合っていたのでしょうね。今にして思えば,もっともっと一緒に楽しく飲んでおけばよかったと思います。お互い,年賀状などで「今度一緒に飲みたいね。」などとコメントはするものの,彼が亡くなる約10年ほどの間は,会って一緒に飲むこともほとんどなかったのです。私自身はいつでも誘って飲むことができるといった気楽な気分でいたのですが・・・。本当に悔やまれます。
ご遺族の話では,ことあるごとに家族には私のことを話題に出してくれていたようです。こんなにいい親友がいたのだと。本当にありがたい話です。そのことを仏壇の前で聞かされて,またまた涙が流れてしまいました。お互いに心の親友と思い合っていたのに,どこかで遠慮などがあったのかもしれません。毎年10月10日になると,F君のことを懐かしく思い出すのですよ。合掌。
もちろん,山中伸弥京都大学教授のこのたびのノーベル医学・生理学賞受賞のことです。
私なんかは詳しいことどころか,初歩的なことも分からない門外漢ですが,山中教授の偉業というのは,特定の4つの遺伝子を皮膚の細胞に組み込んで心臓の筋肉や神経などさまざまな細胞に変化する「初期化」を起こし,全く新しい「iPS細胞」を作り出すことに世界で初めて成功したということです。そうすると,いったん病変が生じた細胞と同じものを体の外で作り出すことができますから,難病の治療や新薬の開発などに大きな一歩を踏み出すことが可能になるのです。本当に素晴らしい。
それにしても,山中教授の受賞の際の記者会見における挨拶の内容と態度に私は感動しました。仕事に対する誠実さとその謙虚さ・・・。誠実さと謙虚さがにじみ出ていたのではないでしょうか。
「日本という国に支えていただいて,日の丸の教えがなければ,この素晴らしい受賞はなかったと心の底から思いました。まさに日本という国が受賞した賞だと感じております。・・・・・感想を一言で表現すると,感謝という言葉しかありません。」
この受賞は国や友人や家族の支えがなければなかったと仰っております。山中教授の挨拶を聴いていて,その謙虚さと誠実さに涙が出そうになったくらいです。それにしても地道な基礎研究の大切さを痛感しましたね。
さて,政権交代後の民主党政権によるこの約3年間は,「まるで異民族に支配されてきたかのような」(産経新聞の阿比留記者)時間でした(笑)。襟を立て,鬼の首を取ったような表情,そして文化大革命時の紅衛兵のような振る舞いをしていた蓮舫という議員や枝野といった議員などが,バラマキのための財源作りのために,テレビカメラを入れ,「事業仕分け」と称して日本の優秀な科学者らの研究費を削りまくりました。3年前の記者会見では,この山中教授も「想像を絶する事態」と苦言を呈しておられました。「世界で一番でなければならない理由は何ですか?」と紅衛兵に責められてもねえ(笑)。つくづく民主党という存在は,日本が嫌いで嫌いで仕方なく,弱体化させようというのがその党是でもあるかのようです。そうそう,今朝も歩いて事務所まで通勤しましたが,その途中で民主党の事務所のあるビルの前を通りました。そのロゴマークを目にして改めて思ったのは,例の赤い丸が上下に二つに分裂しているかのようなデザイン,彼らが日本の日の丸の赤い部分をそうしているかのよう,つまり日本という国を分裂させよう,弱体化させようとしているかのようで,とても嫌な気分になりました。
山中教授がスポーツマンであることは分かりますが,京都マラソンで完走することによって寄付金を募らざるを得ない状況というのは,やはり研究者にとって酷な研究環境なのでしょう。受賞の記者会見が開始される直前に,野田という俗物は,これみよがしに山中教授の携帯電話に祝福の電話を入れました。私は「いやーな」気分になりました。何であのタイミングなのでしょうか(笑)。
いずれにしても,日本の優秀な頭脳や技術が海外に流出してしまうことは避けなければなりません。原子力技術にしてもそうです。為政者は,このことについてよくよく思いをめぐらせるべきです。
主に学生時代と,まだ20代の仕事と受験勉強で精一杯のころでしたが,ベートーベンのチェロソナタ第3番をよく聴いたものです。精神が何となく落ち着くのです。特に第1楽章の冒頭のあのゆったりとしたモティーフ(動機)。このモティーフを一言で表現すると,「泰然自若」という表現がぴったりでしょう。泰然自若とは,落ち着いていて物事に動じないさまをいいます。チェロはパブロ・カザルスで聴きました。ピアノは誰だったか今では覚えておりませんけど。
私が素晴らしいと思う保守の論客として福田恆存という文芸評論家がいました。この人は,やはり生前,ベートーベンのチェロソナタを愛聴されていたようです。たまたま最近,「福田恆存-人間は弱い-」(川久保剛著,ミネルヴァ書房)という本を読んだのですが,ますますこの福田恆存という保守の論客の存在の大きさを痛感しました。当時は,いわゆる「進歩的文化人」が論壇を席巻し,周りはみんな左翼思想です。そのような中で,孤軍奮闘して,何とか「閉された言語空間」(江藤淳)を必死でこじ開け,説得力に富んだ正論を展開していたのです。当時としては,とても勇気のいることだったでしょう。その勇気が素晴らしい。かねてから私が福田恆存の評論や著作に関心があった理由は,そこにあります。
前著(「福田恆存-人間は弱い-」)から,評論家としての福田恆存の評価について触れた一部を引用しておきましょう(223頁)。
「アメリカの日本文学者で、保守派の論客でもあったE.G.サイデンステッカーも、福田を『誰よりも尊敬していた』と述べている。サイデンステッカーは、日本のオピニオン・リーダーとしてもっとも信頼できる人物は誰か、との質問に、福田の名を挙げ、『彼の社会や政治に関する評論は、私にはまことに明晰であると同時に、まさに良識を代表するものと思える』と答えている(『流れゆく日々-サイデンステッカー自伝』時事通信社、平成一六年)。
福田恆存は平成6年11月20日に83歳で亡くなりましたが,その葬送に当たっては,ベートーベンのやはりチェロソナタ第3番が流されたとのこと。福田恆存は,この曲について生前次のように述べております。
「先ずあの第一楽章の冒頭、チェロからピアノに引渡される第一主題の、陰陽の展開がこたへられない。第二楽章に入つてピアノとチェロが交互に反復しながら盛上げて行くスケルツォの華麗な流れに身を委ねながら、その美しさがやがては頂点に達して消えてしまふのをおそれ、時々途中でプレイヤーを止めたくなる、・・・」(前著226頁)
いつの間にかもう蝉も鳴かなくなりましたし,朝晩の風が涼しくなりました。あと当分の間は日中はまだ暑い日が続くでしょうが,何とかこの夏も乗り切れそうです。本当にこの歳になりますと,夏という過酷な季節は,正に「乗り切る」という感じです。
さて,自由民主党の総裁選挙はどうなるんでしょうね。おそらく今度この党の総裁として選ばれる人が,総選挙後には日本国の首相になるのでしょうから,すごく気になります。今の総裁の谷垣禎一さんには悪いのですけれど,この人は日本国の首相という器ではありません。そんなこと言ったら,鳩山由紀夫,菅直人,野田佳彦はどうなるの?ということになりますが,こういった民主党の方々は論外なのです。民主党政権のこの3年間,愛するわが日本はそもそも「国家」と呼べるものではありませんでした。
ところで,先日,谷垣さんの出身派閥の古賀派の領袖である古賀誠という人が,谷垣さんとの約20分間の会談の際,総裁選での不支持を表明しました。この古賀誠という人は,かつて天下の悪法である人権擁護法案をごり押ししようとしたり,郵政民営化法案の議決の際には棄権して卑怯な振る舞いをしたり,戦没者遺族会の会長でありながら靖国神社のA級戦犯分祀論を展開したり,私は昔から嫌いな議員でした。でも今回,谷垣さん不支持を表明したのは結果として良かったと思っています。引導を渡した訳です。
引導を渡すという言葉は,もともとは僧が死者に引導を授けることを指しますが,要するに,相手の命がなくなることを分からせること,諦めるように最終的な宣告をすることを意味します。確かに,自由民主党の「顔」として谷垣さんではだめですし,きちんとした国家観や歴史認識を感じられず,一国の首相としてこうしたいのだという強い意志も感じられません。この3年間,国民に対するアピール力も不足していたという他ありません。次の総選挙は,自由民主党としては,たちあがれ日本などとともに,少しでも多くの議席を獲得して,日本をまともな国にしていかなければなりません。デフレ脱却と経済成長,外交と安全保障,教育改革など問題が山積しているからです。・・・・・だから,安倍晋三さんなどが政権の核にならなければならないのではないかと思っているのです。
さて,引導を渡すといえば,私としては,「今シーズンの」名古屋グランパスに引導を渡したい。「余計なお世話だ!」と言われそうですが,敢えて言いたい。前々節は川崎フロンターレに1-0,前節は柏レイソルに1-0でそれぞれ勝利こそしていますが,内容が悪すぎる。川崎フロンターレ戦はテレビでずっと観ていましたが,このチームは負けたいのか,少なくとも勝ちたくないのかというくらいの低いパフォーマンスでした。何といっても寄せが甘いのです。そしてボールをキープできません。相変わらず個人技頼みでラッキーな得点しかありません。山野さんという解説者も,関西弁の高い声で「寄せが甘いんですよ。」と連発していました(笑)。本当にその通りなんですよ。私も酔っぱらいながら何度も何度もその解説にうなづいていました。うなづきすぎてフラフラになってしまいました(笑)。
「今シーズンの」名古屋グランパスには引導を渡さざるを得ません。これだけのタレント,Jリーグ屈指とも言える人材を擁しながら,本当に惜しいことです。求む!優秀な監督。
このブログでもたびたび登場するのですが,福田恆存という評論家・劇作家をご存知でしょうか。先週土曜日の讀賣新聞の「編集手帳」の中ではこの福田恆存さんのことについて触れられていました。
福田恆存さんは,「編集手帳」が指摘するように,「戦後民主主義」の御輿(みこし)をかつぐ進歩派を批判した保守の論客です。丸山真男や清水幾太郎などの進歩的文化人や左翼思想にうなされていた学生,さらには月刊誌「世界」で展開されていたような議論の欺瞞性に対して,鋭く切り込んでいったのです。当時の多勢に無勢の状況下では相当に勇気のいることだったでしょう。
今,この福田恆存という保守の論客の著作,対談集を読んでみても,つくづく説得力があり,腑に落ちるのです。つい一週間ほど前に,「福田恆存対談・座談集 〈第四巻〉世相を斬る」(玉川大学出版部)という本を読み終えたばかりだったのですが,その中でも特に印象に残った面白い箇所がありましたので,引用します(面白くて感心する箇所はふんだんにあるのですが,特に面白かったのです)。
「そうですね。東大の小林直樹という憲法学者とか、大江健三郎・・・ほかに二三人出たと思いますが、いつの憲法記念日だったか、NHKで座談会をやったことがある。その後でめしを食ったとき、『小林さん、そんなこといったって、もし日本が他国から攻撃されたらどうしますか』といった。『他国ってどこだ』ときくから、その頃はソ連より中国のほうが切実なものがあったので、『たとえば中国』とこたえた。すると『アメリカが助けてくれますよ』(笑)そういう左翼ですよ、みんな。」
思わず吹き出してしまいました。いかに福田恆存さんの方が国家観というものがしっかりとしていて,事態に真正面から向き合って誠実であるか,道徳的であるかということがよくわかるエピソードでしょう。大江健三郎なる人は,最近では反原発・再稼働反対のデモを指導し,相当にお盛んのようですが,かつては(1968年5月28日の講演において),「核開発は必要だということについてぼくはまったく賛成です。このエネルギー源を人類の生命の新しい要素にくわえることについて反対したいとは決して思わない」と発言しているのですよ。転向されたのですね(笑)。それにこの大江健三郎という人は,1958年6月25日の毎日新聞夕刊のコラム内で「ぼくは、防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、一つの恥辱だと思っている。」という暴論を述べています。こんな大勢の反日,左翼の連中の中で,福田恆存さんは奮闘していたのです。
この日の「編集手帳」の内容は特に面白く,昔の作家は出版社からよく前借りをしたそうで,大岡昇平,吉田健一,福田恆存の三氏は文壇三大〝前借り名人〟の異名をとったそうです。特に福田恆存さんの場合は,返済目論見書まで持参したそうです(笑)。さすがは論客だけあって,理詰めの前借り交渉です。その福田さんも18年前に亡くなり,今年は生誕100年です。
さきほど私が一週間前に読み終えた本の中での話によると,福田恆存さんは小林秀雄さんと同様,作家の中では泉鏡花を高く評価しているそうです。その対談の当時でも,暇があれば泉鏡花を読みたいと思っていたそうです。私は泉鏡花は読んだことがありませぬ故,どのような世界なのか今度読んでみようと思います。
逸話というのは,エピソードともいいますが,その言葉の意味は,その人に関してあまり知られていない興味深い話というほどの意味です。先日,夕食後にうちのカミさんと愚にも付かない,とりとめもない話をしていたのですが,ひょんなことから,娘のあかねちゃんの幼い頃の逸話の一つが話題に上りました。どうということもない全く下らない話ですが,当時の娘の状況を彷彿とさせる小さな内容です。
4歳頃のことです。娘は何がきっかけなのかは知りませんが,館内放送,車内放送というもので自分の名前を呼ばれたいという欲望に駆られていたようです(笑)。何かに憑かれたように(爆笑)。ある日,新幹線の車内で自ら車掌室かどこかに出向いて,本当は迷子でもないのに迷子である旨を述べて,「あかね」という自分の名前を車内スタッフに告げたのです。ほどなくして,娘の思惑どおり,車内放送で迷子の案内があり,自分の名前をみんなの前で呼ばれることに見事に成功し,うちのカミさんが慌てて車掌室に駆けつけるということがありました(笑)。なおこの時は,複数の家族で移動中であり,娘はあろうことか自分より年下の女の子を誘った上で二人で車掌室まで出向いたようで,「共犯者」まで作っているのです(笑)。
またある日は,名古屋の松坂屋において,娘はやはり同じように館内放送で自分の名前を呼ばれたいという一心で,本当は迷子でも何でもないのに,あたかも迷子であるかのように装って店員か客の男性の袖を引っ張り,迷子であることと自分の「あかね」という名を告げ,やはり館内放送で自分の名前を呼ばれる快感を得ようとしていたのです。しかしこの時は,うちのカミさんも事前に察知し,娘を尾行していましたから,「未遂」に終わりました(笑)。
何が娘をして車内放送や館内放送で自分の名前を呼ばれたいという欲望に走らせたのか,今でもナゾに包まれております。家庭教育に何か問題があったのでしょうか(笑)。確かに昔から何事にも興味を示すタイプで積極的な面はあったのですが,こういった行動は理解に苦しみます(笑)。逸話というほどの大した話ではありませんでしたね。失礼しました。
まだ梅雨は明けていないのに,この暑さは何なのでしょうか。この先が思いやられます。夏の暑い季節は苦手です。髪や頭皮にも過酷な環境のようですし・・・(笑)。
暑いせいでもありましょうが,本日も極めてまとまりのない話をぶちまけたいと存じます。最近私は,自宅では黒酢,職場ではもろみ酢を適量飲んでおります。ぼーっとしながらテレビを見ておりましたら,アミノ酸の重要性が分かったような気がしたからです(笑)。アミノ酸というのは,全ての生命現象をつかさどっているタンパク質の基本構成単位ですし,20種類のアミノ酸の中でも9種類の,いわゆる必須アミノ酸というのは人体内で生成されないため,外部から摂取せざるを得ないということです。もちろん必須アミノ酸の摂取にしても,バランスよく行う必要があり,今の私は黒酢ともろみ酢を試しております。
さて,まとまりのない話のついでに,民主党幹事長の輿石という人の顔のことについて申し述べます(笑)。子供の頃から親からは「人の顔のことは余り言わない方がいい」と諭されてきました。自分だってとてもイケメンとはいえませんし,そういうことよりも顔の良し悪し(美醜)は自分ではどうしようもない面があるからでしょうね。でもこの輿石という人の顔は,電波に乗るべきそれではありません。少し前までは輿石という人の顔を見ると,パブロフの条件反射のように(笑),しゃれこうべを連想しておりましたが,今では梅干しのたねを連想します。私は梅干しは好きで,たねだけが残った状態になりますと,元気で体調の良い時は,若干もろくなった歯で噛み割り,中の芯を食べるのが好きで,得意技としております。でも,輿石という人の顔から梅干しのたねを連想し始めてからは,やっておりません。あの顔をしゃぶれと命令されたら,死んだ方がましです(爆笑)。実は顔もさることながら,この人物の政治屋としての立ち居振る舞い,政治信条そのもの,そしてテレビ画面から窺われる狭量,傲岸不遜にイヤ気がさしているのだと思います。
ついでに,ホントに民主党にはこんな人しかいないのかと以前から思っていた人物に,原口一博という人がいます。テレビ露出度が多く,いつもその場限りの言説を弄しているなという印象をずっともっていました。要するに信用できないタイプです。この人は平成23年6月1日に野党が提出した菅内閣不信任決議案について,菅内閣についてネガティブな評価をした上で「不信任案を野党が出したといえども賛成します」,「・・・僕にも覚悟がある」と言っておきながら,その舌の根も乾かぬ翌日の採決では否決に回り,記者団の質問には「野党の不信任案に乗るなんて邪道」と臆面もなく述べております(爆笑)。そしていわゆる尖閣問題が生じた際には,議員を募って視察等に行っておりますが,それっきりです・・・(笑)。そして先般の消費増税法案の採決では「棄権」に回っているのです。要するに,この人は,よく言えば機を見るに敏,悪くいえば世間の俗耳に入りやすいこと,世間受けすること,自分にとって損のないことを絶えず追求している日和見主義者というしかありません。あー,今日も残業かー,と嘆きながら,それじゃあ自分へのご褒美だということで昨日事務所近くのソバ屋でカツ丼を食べましたが,そこで読んだ週刊誌では,原口一博議員のニックネームについて触れてありました。サッカーボールだったら球体ですから,そのボールがどういうふうに転がるか大体予測がつきますわね。でもラグビーボールというのは,ああいう変わった形をしていますから,着地した後はどっちの方向へ飛んでいくのか,転がっていくのは予測がつきませんね。原口という議員の定着したニックネームは,「政界のラグビーボール」なんですって(爆笑)。