日曜日の産経新聞に,「この本と出会った」というコーナーで現横浜市長の林文子さんが書かれた記事がありました。これまでの自分の人生を振り返り,本,文学作品というものの素晴らしさについて体験的に述べられ,そして日本人が持つ豊かな感性がちりばめられた作品として,永井荷風の「墨東綺譚」に言及されています(すみません,「ぼく」という字は墨の前に氵があります)。
この記事の中では,「カバヤ文庫」のことが書かれていました。林文子さんは小学校に入って熱中したのが,昭和27年から29年まで続いた「カバヤ文庫」だったそうです。1箱10円のキャラメルを買うと,中に券が入っていて50点集めると本が1冊もらえたそうです。この「カバヤ文庫」では,「しらゆきひめ」や「レ・ミゼラブル」などの世界文学が子供向けに翻訳されていたので,子供達は集める楽しさと作品に触れられる興味で一杯だったのでしょう。
どうです。昭和らしいですよね。私も母から10円をせびって,よく近所の駄菓子屋さんまで嬉々として走って行ったものです。石ころに蹴躓いて,転んで膝をすりむいた記憶もあります(笑)。ただ,さすがにこの「カバヤ文庫」の企画は私も知りませんでした。昭和29年には廃刊になったようですから,まだ私も生まれていないからです。でもカバヤという名前にピンと来ました。カバヤ食品のお菓子は私も知っていますし,キャラメルや「ジューC」という清涼菓子はよく食べた記憶があるからです。懐かしいです(笑)。
1箱10円のカバヤキャラメルを買うと中に券が入っていて,50点集めると本が1冊もらえる・・・。しかも,世界の名作などが子供向けに翻訳されたものが。素晴らしい企画じゃありませんか。確かに営業面からすれば,これはあくまでも販売促進(販促)活動の一環なのでしょうが,もらえる品物が健全で,ためになりますよね。これで時代を担う少年少女が多くの文学作品に触れるという貴重な機会が提供される訳ですから。モバゲーやグリーのようなゲーム,「コンプガチャ」よりもね(笑)。今では,国民の所得水準も当時の比ではありませんし,欲しい本があれば直ぐに小遣いで買えるでしょう。でも,こういう「カバヤ文庫」のような企画や指向性は日本的で大切にしたいと思うのですよ。
それにしても,子供ながらにカバヤというのはお菓子屋さんにしては変な名前だなと思っていたのですが,どうやらカバヤという名前の由来は,戦後間もない頃に創業されたことから,平和を愛し,おとなしい動物であるというイメージを持つカバから採られたようです(笑)。
今,私自身,お仕事が相当に忙しいのです。年齢的なものが原因でしょうが,疲れが肉体面と精神面の両方にあります。できるだけ睡眠時間を確保したり,気の合った者同士で飲んだり,ゴルフをしたり,ヨハン・セバスティアン・バッハの音楽世界に浸ったりして,ストレスや疲れを解消するようにしております(笑)。
でも,先日あるテレビ番組を見て,つくづく自分も元気を出さなければと思いました。NHKのBSプレミアム放送の「新日本風土記」という番組で,6月17日(日)の午前5時から6時までの1時間,「東京下町 味わい春の旅」というタイトルの回の放送を見たのです。最近,朝の目覚めが早いもので・・・(笑)。
これはオムニバス形式の内容なのですが,そのうちの一つに,もう何十年も続けて千葉から電車で東京まで出て来て行商をしている蕨キクさんという87歳のおばあさんが紹介されておりました。千葉の自宅で野菜などを作り,またその他の惣菜などを作って,その体より大きくて重いのではないかとも思える荷物を背負って行商をするのです。何と,87歳ですよ!
その行商の品々の美味しそうなこと。蕨キクさんは,千葉から重い行商荷物を背負って,京成電鉄の八広駅(東京都墨田区)に到着し,まずはそこで首を長くして待っている馴染みのお客さんに売り(どのお客さんの表情を見ても,キクさんを心待ちにしている様子がうかがえます),その後は,知人に預けている割と小さなリヤカーを引いて,数十年来の下町の顧客先の所まで歩いて行商に行くのですよ。キクさんはもう腰が曲がってしまっているのですが,自分の体より大きいくらいの重い荷物を背負って,八広駅の急な階段を一歩一歩下りて来られる姿を見て,私は日曜日の早朝から感動し,そして勇気づけられました。自分も元気を出さなければと・・・。
キクさんはとても良い顔をされております。幾多の人生の苦難を乗り越えてこられた深い皺が刻まれております。私は,一時間でも二時間でも,キクさんが行商で売っていた草餅をお茶と一緒に食べながら,キクさんから人生についての示唆に富むお話しを聞かせてもらいたいと思いました。マスゴミ,いやマスコミにしょっちゅう出ているような無責任で軽薄なコメンテーターの話より数万倍は自分のためになるのではないかと思います。
NHKの作る政治的なものに関する番組や歴史的なものに関する番組には,本当に憤りを感じるような反日的な内容のものが多くあり,全く信用しておりませんが,この「新日本風土記」のような番組は大いに評価しております。「新日本風土記」という番組は,日本各地に残された美しい風土や祭り,暮らしや人々の営みを描く本格的な紀行ドキュメント番組です。また私は,時間的な余裕ができたら,柳田國男の民俗学や各地の風土記に接してみたいとも思っております。
また雑感です。夏風邪というのは厄介ですね。うまく言えませんが,冬にひく風邪とは少し芸風が違っております(笑)。
それにしてもエドガーはいい選手だと思います。何となく好きなんですよ。エドガーというのは,我が栄光の読売巨人軍のエドガーのことです。何が良いのか・・・。これもうまく言えませんが,あのやる気満々の感じが私に期待と勇気を与えてくれるのです。あの風車のようにバットを回転させるスタイルと,静かな闘志を発散させている感じが良いのです。先日の対ロッテ戦は,0-4でリードされていたのですが,結果は8-4の逆転勝利でした。エドガーはこの試合の6回裏の攻撃で四球を選びます。相手投手は気圧されていた感じでした。その後,同僚のボウカーが慣れないバントを決めると,二塁に進塁したエドガーが元気よくボウカーに大きな拍手を送ります。ホントにやる気満々です。結局,エドガーが塁に出たことにより長野のホームランが2ランになり,だめを押します。エドガーは以前巨人でプレーしたことがあり,出戻りということになります。巨人の球団史上,助っ人外人が出戻ってプレーするのはエドガーが初めてです。頑張ってください。
同じエドガーでも,エドガー・スノーという人はいただけません(笑)。この人は戦前は「中国の赤い星」なんて本を書いて中国共産党や毛沢東を無批判に礼賛したり,「アジアの戦争」なんて本を書いて,捏造された事実を元に,日本を徹底的に政治的に批判しております。要するに中国共産党に籠絡され,プロパガンダのお先棒を担いでいたのですよ。戦後も,「今日の赤い中国」なんて本を書いて,大躍進による飢饉の発生を否定していたのです。最晩年にはようやく中国共産党の本質に気付いてそれまでの自分の著作活動を後悔し,無知を恥じています。でも一時的にではあれ,中国共産党のプロパガンダのお先棒を担ぎ,「日本軍は『銃を持った首狩り族』であり、日本人は中国人や朝鮮人より知的・肉体的に劣る存在」とも罵倒していたのですから,同じエドガーでも,こちらのエドガーはいただけないのです。
巨人のエドガー選手は,明日が誕生日のようです。もう34歳になるそうですが,どうやらあなたは日本の球界になじめているようです。巨人のために頑張ってね。
私の娘はあかねちゃんというのですが,娘は大学の学業,部活,最近少し始めたアルバイトと,毎日忙しい生活を送っております。親の目から見ても,大変だなと思います。彼女も少し疲れているのでしょうか,最近,以前にも増してますます奇妙で変な夢を見るそうです。
以前にもこのブログで書きましたように,我が家では,毎朝食事の時に,お互いに直前の夜に見た夢の奇妙さを披露して自慢をする風習,慣習があります。その夢が奇妙であればあるほど家族間で高評価を受けるのです(笑)。最近では,娘のあかねちゃんの見る夢は,この奇妙さという観点からいうと図抜けています。よほど疲れているのでしょう(笑)。
先日彼女が見た夢というのは,極めて単純なのですが,父親の私としてはちょっと気になるものでした。その夢の単純な内容を説明しますと,夢の場面としてのその晩はうちのカミさんが外出中で,家の中は私とあかねちゃんだけ。ところが,玄関から不審者が突如として侵入し,あかねちゃんは勇敢にも玄関内で金属バットを手に応戦します。しかしどうにも戦況が不利になったため,あかねちゃんは父親である私の所に来てに助けを求め,「お父さん,包丁持ってきて!」と叫びます。しかし,私はというと,「はぁ?」とか言うだけで,食卓で相変わらずお酒を飲む手を休めず,そのままの状態で全く関心を示しません(笑)。あかねちゃんはとても失望し,再度果敢に応戦しにいきます・・・。ここで彼女は目が覚めたようです。
一体全体,何なのでしょうか,この夢は。ジークムント・フロイトの夢判断の手法は,現在は学界でどのような評価を受けているのかは知りませんが,フロイト博士にこの娘の夢判断をしてもらいたいものです。何が,そしてどんな精神状態が彼女をしてそのような夢を見させてしまうのか(笑)。娘が必死になって応戦し,危機的な状況にありながら,「はぁ?」とか言うだけで,食卓で相変わらずお酒を飲み続ける父親って一体・・・(笑)。彼女にとって,父親としての私は一体全体どんな存在になってしまっているのかしら?
そうかと思うと,それよりも少し前の彼女のみた夢は,大学の部活のグラウンド内で,私が背広を着たままで一緒になって部活動をしているという,まことに奇妙なものでした(笑)。
いずれにしても,気になります。もう少しすっきりさわやかな,後味の良い夢を見てくれないかと思います。
汗ばむ季節となりました。日曜日も汗ばみながら,そしてバンカーで冷や汗もかきながらゴルフのラウンドをしました。本当のゴルファーならば,ラウンド中にビールなどは飲まないのでしょうが,冷えたビールのむちゃくちゃ美味いこと(笑)。この美味い至福の時を迎えるならば,スコアなんかもうどうでもいいという気になってしまいます。まあ,私の場合は,そうでなくてもどうしようもないスコアですけど・・・。
女子バレーは何とかロンドンオリンピック出場を決めましたね。東京オリンピックでは「東洋の魔女」と呼ばれるほどの強さでしたし,わが日本にとっては老舗ともいうべき種目です。今の女子バレーは,勝負強さという点では少し難がありますが,オリンピック出場を決めたことは何よりも嬉しいことです。
ただ,テレビ中継を見ておりまして,冒頭の国歌斉唱の際,「君が代」を唱う女子選手の口の開きが少なく,元気がないのはよくありません。実はこれは女子バレー選手だけではなく,テレビ映像で見る限り,サッカー日本代表選手にだってその傾向があります。「君が代」は,これまた日本を象徴する国歌なのですから,誇りをもってもっと大きな声で唱いましょうね。
20世紀を代表する世界的な名指揮者であったヘルベルト・フォン・カラヤンは,「君が代」について,「世界の国歌のうちで最も荘厳なもの」と評価しており,昭和29年の初来日の際にはNHK交響楽団を指揮して,そして昭和48年の来日の際にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して,それぞれ「君が代」を演奏しております。また,「君が代」は,明治36年にドイツで開催された「世界国歌コンクール」で第一等に輝いた曲です。それよりも何よりも,「君が代」は瑞穂の国日本の国歌なのです。
オリンピックで金メダルを取った選手が表彰台に上がり,日の丸の国旗掲揚とともに,この「君が代」が流れる時,その選手の努力が報われたことに対する喜びの念だけでなく,日本人としてのアイデンティティーを感じ,どうしても胸が熱くなってしまうのです。皆さんはどうでしょうか。私よりはもっと醒めていますか(笑)。
数日前の朝刊で読んだのですが,高円宮妃久子妃殿下が根付に関する研究で,大阪芸術大学から博士号を取得された記事がありました。根付(ねつけ)ですか。私は詳しいことは知りませんが,根付というのは本当にわが日本ならではの,高い芸術性をもった精緻文化の一つでしょうね。
根付というのは,江戸時代に,煙草入れ,矢立て,印籠,小型の革製鞄などを紐で帯から吊して持ち歩く時に用いた留め具のことをいうそうです。本当に素晴らしい文化です。根付の品々の可愛らしいこと。「根付 画像」とキーワードを入れて検索してみると,どれだけ根付が可愛らしいか,精緻で芸術性が高いかが分かります。その芸術性の高さは諸外国でも高い評価を受けているようです。
江戸時代の文化がどんな風だったかは詳しくは知りませんが,身分がどうあれ,おそらく相当に遊び心が溢れていたのではないかと思われます。「こんなもん持っているけどどうよ。」,「俺だってこんなもん持ってるぞ。どんなもんだい。」といった具合だったろうし,根付を作る職人の側も,「これは喜ぶだろう」と思って技巧の限りを尽くし,精魂込めて作っていたのでしょう。根付は相当に流行ったようです。
少しばかり血なまぐさくなって嫌なのですが,どうしても根付で思い出すのは新撰組の芹沢鴨と佐伯又三郎のことです。佐伯又三郎は,新撰組の中でも芹沢一派の一人として行動を共にしていた一人ですが,一説によると,芹沢鴨が大切にしていた「うにこうるの根付」の付いた煙草入れを佐伯が盗んだことに激怒した芹沢が佐伯を斬ったということです。「うにこうる」というのは北氷洋の海獣のことで(セイウチやアザラシのようなものでしょうか,その牙で作られていたようです),その根付の付いた煙草入れを芹沢はとても大事にしていたようです(笑)。ただ,佐伯又三郎の最期については,諸説あり,長州藩の間者(スパイ)だったことがバレて粛清されたとか,あるいは芹沢が見初めた茶店の娘に佐伯が先に手を付けたことに芹沢が激怒したからとか,どれが真相か分からないのですよ。それにしても芹沢鴨さんは恐ろしい。でも結局彼も文久3年の9月に壬生の八木邸で粛清され(私も現場を見てきました),新撰組はそれ以降は近藤局長,そして鬼の副長土方歳三以下,より結束が堅くなり,会津藩からの信頼も高まっていくのです。
根付の画像を見ていると,日本人の心が凝縮されているようで,とても癒されます。今度暇をみつけて,根付が一杯展示されている場所に行ってみたいと思います。
娘が部活で夕食を一緒に食べられないというので,昨晩は久しぶりにうちのカミさんと寿司屋に行きました。割と店内の広い寿司屋さんで,私達はカウンターに座りました。カミさんには普段苦労をかけているので,たまには罪滅ぼしをしなければなりません(笑)。食べ物が一番効果的なんです(爆笑)。
そのお店はその日の「お勧め」メニューを6,7品目掲げており,お酒のつまみにはどれも最適で,美味しそうなものばかりです。でも,この「お勧め」メニューの注文もほどほどにしないと本来のお寿司が食べられなくなりますので,そのバランスが難しいのです。ビールも飲んでしまいますのでね。
さて,カウンター内では数人の寿司職人が頑張っておりましたが,そのうちの一人はいかにも修行を始めてそれほど年数が経っていないような感じの若い職人でした。その職人の前には三名の男女が客として座っており,そのうちの男性一人がその若い職人に話しかけたのか,それとも何か握りを注文したのだと思います。でも,その職人の耳には,そのお客さんの話が全く入っていなかったようなのです。少し離れて立って私達の前で仕事をしていた感じの良い兄貴格の職人は,たまりかねて「○○,お客様の話聞いているのか?」と言って窘めておりました。
確かに,寿司職人というのはカウンター内で握りなど仕事をしつつ,お客さんの話にも耳を傾け,時には気の利いた受け答えを要求される職業です。まだその若い職人は包丁仕事に精一杯でそんな余裕もなかったのかもしれません。他のお客さんが店を出るときも,その兄貴格の職人の威勢の良い挨拶につられる形でその若い職人さんも慌てて挨拶するといった感じです。店内全体に気を配る余裕はありません。経験の浅いうちは無理もないでしょう。大変な仕事ではあります。でもその日のお寿司とおつまみは本当に美味しかった。カミさんも満足のようでした。
それにしても聞く耳を持たないのは鳩山由紀夫という変な議員です。いらんことをするな,と言われながらもイランを訪問して物議をかもしたり,米軍海兵隊普天間基地移設問題では当時の首相として何らの裏付けも,成算もなく場当たり的な発言を繰り返して,ちゃぶ台をひっくり返しておりますし,にもかかわらず,今般,またその沖縄で臆面もなくいい加減な発言を繰り返しております(笑)。ただこの人の場合は,聞く耳を持たないというよりも,もう天然のものでしょう。かつて「バカの壁」という本がありましたが,この人との間には明確にそういう壁を感じてしまいます(笑)。また,この人の行動原理は,マックス・ウェーバーのいう心情倫理というやつなのではないかとも思ってしまいます。
連休明けの月曜日だったでしょうか,久しぶりに我が家のゴミ出しをお手伝いしたのですが,我が家の缶酎ハイや缶ビールの空き缶の多かったこと(笑)。改めてビックリしました。そうですね,私も今は週に2日くらいは休肝日を設けておりますが,どうしても夕方になったり,夜のとばりががおりると,お酒が恋しくなってきてしまうのです。でも,せめて週3日は休肝日にしたいと存じます。
それにしてもですよ,前々から思っていたのですが,BS放送でも地デジでも,なぜあんなに頻繁に韓国ドラマが放送されているのでしょうか。先日なんか,我が栄光の巨人軍が相変わらずダメな試合をやっていて,思わずチャンネルを変えましたら,同時に3局くらいで韓国ドラマがやっていたのです。余計なお世話かもしれませんが,一体全体どんな人が見ているのか不思議でしたし,本当に視聴率が取れているのでしょうか。
韓流ブームなどといっていますが,そもそもこの日本に韓流ブームなるものが本当に存在しているのか,未だに疑問をもっております。確かに,「冬のソナタ」が話題になった時期があったことは承知しておりますし,K-POPのアーティストが日本の歌番組にも登場していることは知っていますが,本当に「韓流ブーム」と言われるほどの社会現象は発生し,今でも存在しているのか?少なくとも,私がこれまで知り合った人の中には韓流や韓国ドラマが好きと言った人は一人もいないのです。私も韓国ドラマなど一度も見たことはありません。巨人や名古屋グランパスがふがいない試合をやっているような時に,腹立ち紛れにチャンネルを変える際に一瞬だけ場面を目にするだけです。通りすがりの人に過ぎないのです。
株式会社共立総合研究所が,「韓流消費に関するアンケート」結果を発表しました。これは一定期間内に大垣共立銀行本支店(東京,大阪を除く。)に来訪した主婦791名を対象にしたアンケートの結果です(有効回答者数は776名)。その表題のとおり,直接的には消費傾向に関するものではありますが,その前提として,質問項目に韓流そのものに関するものがあります。その結果によると,「韓流好きとは思わない」と回答した人が71.9%に達し,韓国ドラマを「見たことがない」という人と「あまり見ない」という人の合計は63.2%となっております。このアンケートの対象者は幅広い年齢層の「主婦」なのであって,「主婦」にあっても,このようなパーセンテージなのです。ましてや,これに有職女性や男性を加えたら,「韓流ブーム」の存在を否定するようなデータ,パーセンテージはより高まることが推測されます。
韓国は「国家ブランド委員会」なるものを作り,多額の国家予算を費やして他国における「韓流ブーム」の推進,定着を図ろうとしており,また日本のマスゴミ,いやマスコミもその尻馬に乗っているかのような放送を繰り返しておりますが(韓国という国は,その一方ではアメリカなどを中心として,歴史上ありもしない「従軍慰安婦」の像などを強引に設置したり,その他反日的なロビー活動を精力的に行っています),私はその押しつけが嫌なのです。そして「ブーム」と表現出来るほどのブームが本当に存在しているかについても強い疑問をもっています。
最近では毎年,いわゆるゴールデンウィークの最後の2日間は楽しい仲間と共に,連続してゴルフをして過ごしています。これはもう年中行事のようになってしまいました。いつも決まったそのゴルフ場は,自宅からも車で約1時間ほどで到着しますし,何よりもコースが綺麗で気に入っております。
年中行事のようになっておりますから,今年も5月5日と6日にラウンドしました。スコアは惨憺たるものでしたが,一番最後のホールのティーショットだけは満足でした。あの打感とタイミングを今後のゴルフに是非生かしたいと思います。それにしても,その一番最後のホールでは悪夢のような瞬間がありました。素晴らしいそのティーショットの後の第2打はグリーンそばのガードバンカーにつかまったのですが,そのバンカーからの第3打目がどこに行ってしまったのかよく分からず,よくよく探してみると,バンカーの縁の内側にめり込んでしまっておりました(笑)。辛うじてボールの一部が見えておりましたから,その想像を絶する困難なライからの第4打。辛うじて見えていたそのボールはさらに奥の方へ行ってしまいました(笑)。結局,そのホールは12を叩いてしまったのであります(笑)。ゴルフというのは本当に怖い・・・けど,面白い,止められない(笑)。
1日目のラウンドの前に,クラブハウスで朝食のトーストをいただいている時に,目の前のテレビでノーベル化学賞を受賞された下村脩さんのインタビューが放送されておりました。年輪と誠実さを感じるお姿で,それまでの困難な研究生活のことや,困難で先が見えない中での心の保ち方,精神面で重要だと思うことなどを話されておりました。「僕はもう自分の能力は分かっているんですよ。いくら良くったって,並みです。でも,決して諦めないことです。元気を出して,努力することです。」というようなことも仰っておりました。弁護士の数も無軌道に増え続け,私も今後は厳しい環境に身を置くことを余儀なくされますが,下村脩さんのその言葉には勇気づけられました。ましてや,ゴルフでいくつ叩いたって命まで取られてしまう訳でなし・・(笑)。
そのゴルフ1日目が終了した夜は,翌日もラウンドを控えておりましたし,体も疲れておりましたので,自宅でBS放送をボンヤリと観ておりました。江戸時代末期の浮世絵師歌川国芳のことが放送されておりました。以前,ある集まりで歌川国芳の浮世絵のコレクターの方からこの浮世絵師のことを聞かされ,興味をもっておりました。いやー,国芳の世界は凄いですね。画想の豊かさ,奇想天外のアイデア,もう間違いなく天才でしょう。一度じっくりとその作品の現物を鑑賞したいと思っております。批判精神も旺盛で,幕府の禁令に反抗して作り上げた風刺的な作品や「判じ絵」も面白い。
その日の晩はボンヤリとBS放送をハシゴしていたのですが,夭折の女優夏目雅子の特集がやっておりました。詳細は省きますが,本当に感動しました。
下村脩さんも,歌川国芳も,夏目雅子も,みんな決して諦めずに,元気を出して乗り切ってこられたのですね。
あら,もう5月ですね。この前お雑煮を食べたと思ったら,もう一年のうち三分の一が経過してしまいました。大好きな桜の時季も,この地方ではもう終わってしまいましたし,本当に早いものです。こんな調子であの世からのお迎えが来てしまうのでしょうか(笑)。徒然草によれば,そのお迎えは前からではなく,後ろから「そっと」来るようですし・・・。
さて,先日は仕事の関係で彦根に行ってきましたし,その翌日には自己研鑽のために大阪にも行ってきました。このところデスクワークが中心だったので,良い気分転換になりました。それにしても,名古屋駅の新幹線口まで乗せていってくれたタクシーの運転手さんは,本当に良い人でした。
これは一般論ですが,タクシーの運転手さんの中には,とにかくよく喋りまくる人がおります。相手(乗客)の気持ちなどをあまり斟酌することなく,とにかく自分の意見を喋りまくるのです。最初のうちは私も相づちを打ってあげるんですが,そのうちにだんだんと辟易してきて,わざと相づちもおろそかにしてやります。それでも喋りまくる運転手さんがいます(笑)。これはいただけません。
一方,乗車しても全く愛想がなく,行き先を聞いて返事をして以降は,目的地到着まで一言も口をきかない運転手さんもいます。さすがにこのような沈黙の継続は気まずい・・・。手紙で言えば,せめて時候の挨拶のようなことはひとこと言っても罰は当たりませんでしょう。その後のことは,私だって静かに乗っていたいことが多いので,運転手さんも寡黙で構いませんが。
要するに,ほどほどが良いということです。ところで,名古屋駅の新幹線口まで乗せていってくれた,くだんのタクシーの運転手さんは,雰囲気のある本当に良い人でした。歳の頃は60代でしょうか,最初は時候の挨拶と穏やかな口調で若干の会話をした程度で,それだけで場が和みました。そうしたら,助手席裏に掲示されていたその運転手さんのネームプレートには,「米田豊作」とあるではありませんか。私は普段,自分の方から運転手さんに語りかけることはないのですが,思わずその人に語りかけたい衝動にかられ,「本当に良い名前ですね。」と声を掛けました。日本は瑞穂の国,日本的でそして親の気持ちのこもった本当に良い名前だと思ったのです。そこから先は,名古屋駅までの短い間でしたが,その運転手さんの淡々とした語り口による,私との間の世間話が始まりました。人に人生ありです。
タクシー車内での運転手さんの口数もそうですが,何事もほどほどがよろしいようですね。