いつの間にかもう蝉も鳴かなくなりましたし,朝晩の風が涼しくなりました。あと当分の間は日中はまだ暑い日が続くでしょうが,何とかこの夏も乗り切れそうです。本当にこの歳になりますと,夏という過酷な季節は,正に「乗り切る」という感じです。
さて,自由民主党の総裁選挙はどうなるんでしょうね。おそらく今度この党の総裁として選ばれる人が,総選挙後には日本国の首相になるのでしょうから,すごく気になります。今の総裁の谷垣禎一さんには悪いのですけれど,この人は日本国の首相という器ではありません。そんなこと言ったら,鳩山由紀夫,菅直人,野田佳彦はどうなるの?ということになりますが,こういった民主党の方々は論外なのです。民主党政権のこの3年間,愛するわが日本はそもそも「国家」と呼べるものではありませんでした。
ところで,先日,谷垣さんの出身派閥の古賀派の領袖である古賀誠という人が,谷垣さんとの約20分間の会談の際,総裁選での不支持を表明しました。この古賀誠という人は,かつて天下の悪法である人権擁護法案をごり押ししようとしたり,郵政民営化法案の議決の際には棄権して卑怯な振る舞いをしたり,戦没者遺族会の会長でありながら靖国神社のA級戦犯分祀論を展開したり,私は昔から嫌いな議員でした。でも今回,谷垣さん不支持を表明したのは結果として良かったと思っています。引導を渡した訳です。
引導を渡すという言葉は,もともとは僧が死者に引導を授けることを指しますが,要するに,相手の命がなくなることを分からせること,諦めるように最終的な宣告をすることを意味します。確かに,自由民主党の「顔」として谷垣さんではだめですし,きちんとした国家観や歴史認識を感じられず,一国の首相としてこうしたいのだという強い意志も感じられません。この3年間,国民に対するアピール力も不足していたという他ありません。次の総選挙は,自由民主党としては,たちあがれ日本などとともに,少しでも多くの議席を獲得して,日本をまともな国にしていかなければなりません。デフレ脱却と経済成長,外交と安全保障,教育改革など問題が山積しているからです。・・・・・だから,安倍晋三さんなどが政権の核にならなければならないのではないかと思っているのです。
さて,引導を渡すといえば,私としては,「今シーズンの」名古屋グランパスに引導を渡したい。「余計なお世話だ!」と言われそうですが,敢えて言いたい。前々節は川崎フロンターレに1-0,前節は柏レイソルに1-0でそれぞれ勝利こそしていますが,内容が悪すぎる。川崎フロンターレ戦はテレビでずっと観ていましたが,このチームは負けたいのか,少なくとも勝ちたくないのかというくらいの低いパフォーマンスでした。何といっても寄せが甘いのです。そしてボールをキープできません。相変わらず個人技頼みでラッキーな得点しかありません。山野さんという解説者も,関西弁の高い声で「寄せが甘いんですよ。」と連発していました(笑)。本当にその通りなんですよ。私も酔っぱらいながら何度も何度もその解説にうなづいていました。うなづきすぎてフラフラになってしまいました(笑)。
「今シーズンの」名古屋グランパスには引導を渡さざるを得ません。これだけのタレント,Jリーグ屈指とも言える人材を擁しながら,本当に惜しいことです。求む!優秀な監督。
このブログでもたびたび登場するのですが,福田恆存という評論家・劇作家をご存知でしょうか。先週土曜日の讀賣新聞の「編集手帳」の中ではこの福田恆存さんのことについて触れられていました。
福田恆存さんは,「編集手帳」が指摘するように,「戦後民主主義」の御輿(みこし)をかつぐ進歩派を批判した保守の論客です。丸山真男や清水幾太郎などの進歩的文化人や左翼思想にうなされていた学生,さらには月刊誌「世界」で展開されていたような議論の欺瞞性に対して,鋭く切り込んでいったのです。当時の多勢に無勢の状況下では相当に勇気のいることだったでしょう。
今,この福田恆存という保守の論客の著作,対談集を読んでみても,つくづく説得力があり,腑に落ちるのです。つい一週間ほど前に,「福田恆存対談・座談集 〈第四巻〉世相を斬る」(玉川大学出版部)という本を読み終えたばかりだったのですが,その中でも特に印象に残った面白い箇所がありましたので,引用します(面白くて感心する箇所はふんだんにあるのですが,特に面白かったのです)。
「そうですね。東大の小林直樹という憲法学者とか、大江健三郎・・・ほかに二三人出たと思いますが、いつの憲法記念日だったか、NHKで座談会をやったことがある。その後でめしを食ったとき、『小林さん、そんなこといったって、もし日本が他国から攻撃されたらどうしますか』といった。『他国ってどこだ』ときくから、その頃はソ連より中国のほうが切実なものがあったので、『たとえば中国』とこたえた。すると『アメリカが助けてくれますよ』(笑)そういう左翼ですよ、みんな。」
思わず吹き出してしまいました。いかに福田恆存さんの方が国家観というものがしっかりとしていて,事態に真正面から向き合って誠実であるか,道徳的であるかということがよくわかるエピソードでしょう。大江健三郎なる人は,最近では反原発・再稼働反対のデモを指導し,相当にお盛んのようですが,かつては(1968年5月28日の講演において),「核開発は必要だということについてぼくはまったく賛成です。このエネルギー源を人類の生命の新しい要素にくわえることについて反対したいとは決して思わない」と発言しているのですよ。転向されたのですね(笑)。それにこの大江健三郎という人は,1958年6月25日の毎日新聞夕刊のコラム内で「ぼくは、防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、一つの恥辱だと思っている。」という暴論を述べています。こんな大勢の反日,左翼の連中の中で,福田恆存さんは奮闘していたのです。
この日の「編集手帳」の内容は特に面白く,昔の作家は出版社からよく前借りをしたそうで,大岡昇平,吉田健一,福田恆存の三氏は文壇三大〝前借り名人〟の異名をとったそうです。特に福田恆存さんの場合は,返済目論見書まで持参したそうです(笑)。さすがは論客だけあって,理詰めの前借り交渉です。その福田さんも18年前に亡くなり,今年は生誕100年です。
さきほど私が一週間前に読み終えた本の中での話によると,福田恆存さんは小林秀雄さんと同様,作家の中では泉鏡花を高く評価しているそうです。その対談の当時でも,暇があれば泉鏡花を読みたいと思っていたそうです。私は泉鏡花は読んだことがありませぬ故,どのような世界なのか今度読んでみようと思います。
逸話というのは,エピソードともいいますが,その言葉の意味は,その人に関してあまり知られていない興味深い話というほどの意味です。先日,夕食後にうちのカミさんと愚にも付かない,とりとめもない話をしていたのですが,ひょんなことから,娘のあかねちゃんの幼い頃の逸話の一つが話題に上りました。どうということもない全く下らない話ですが,当時の娘の状況を彷彿とさせる小さな内容です。
4歳頃のことです。娘は何がきっかけなのかは知りませんが,館内放送,車内放送というもので自分の名前を呼ばれたいという欲望に駆られていたようです(笑)。何かに憑かれたように(爆笑)。ある日,新幹線の車内で自ら車掌室かどこかに出向いて,本当は迷子でもないのに迷子である旨を述べて,「あかね」という自分の名前を車内スタッフに告げたのです。ほどなくして,娘の思惑どおり,車内放送で迷子の案内があり,自分の名前をみんなの前で呼ばれることに見事に成功し,うちのカミさんが慌てて車掌室に駆けつけるということがありました(笑)。なおこの時は,複数の家族で移動中であり,娘はあろうことか自分より年下の女の子を誘った上で二人で車掌室まで出向いたようで,「共犯者」まで作っているのです(笑)。
またある日は,名古屋の松坂屋において,娘はやはり同じように館内放送で自分の名前を呼ばれたいという一心で,本当は迷子でも何でもないのに,あたかも迷子であるかのように装って店員か客の男性の袖を引っ張り,迷子であることと自分の「あかね」という名を告げ,やはり館内放送で自分の名前を呼ばれる快感を得ようとしていたのです。しかしこの時は,うちのカミさんも事前に察知し,娘を尾行していましたから,「未遂」に終わりました(笑)。
何が娘をして車内放送や館内放送で自分の名前を呼ばれたいという欲望に走らせたのか,今でもナゾに包まれております。家庭教育に何か問題があったのでしょうか(笑)。確かに昔から何事にも興味を示すタイプで積極的な面はあったのですが,こういった行動は理解に苦しみます(笑)。逸話というほどの大した話ではありませんでしたね。失礼しました。
まだ梅雨は明けていないのに,この暑さは何なのでしょうか。この先が思いやられます。夏の暑い季節は苦手です。髪や頭皮にも過酷な環境のようですし・・・(笑)。
暑いせいでもありましょうが,本日も極めてまとまりのない話をぶちまけたいと存じます。最近私は,自宅では黒酢,職場ではもろみ酢を適量飲んでおります。ぼーっとしながらテレビを見ておりましたら,アミノ酸の重要性が分かったような気がしたからです(笑)。アミノ酸というのは,全ての生命現象をつかさどっているタンパク質の基本構成単位ですし,20種類のアミノ酸の中でも9種類の,いわゆる必須アミノ酸というのは人体内で生成されないため,外部から摂取せざるを得ないということです。もちろん必須アミノ酸の摂取にしても,バランスよく行う必要があり,今の私は黒酢ともろみ酢を試しております。
さて,まとまりのない話のついでに,民主党幹事長の輿石という人の顔のことについて申し述べます(笑)。子供の頃から親からは「人の顔のことは余り言わない方がいい」と諭されてきました。自分だってとてもイケメンとはいえませんし,そういうことよりも顔の良し悪し(美醜)は自分ではどうしようもない面があるからでしょうね。でもこの輿石という人の顔は,電波に乗るべきそれではありません。少し前までは輿石という人の顔を見ると,パブロフの条件反射のように(笑),しゃれこうべを連想しておりましたが,今では梅干しのたねを連想します。私は梅干しは好きで,たねだけが残った状態になりますと,元気で体調の良い時は,若干もろくなった歯で噛み割り,中の芯を食べるのが好きで,得意技としております。でも,輿石という人の顔から梅干しのたねを連想し始めてからは,やっておりません。あの顔をしゃぶれと命令されたら,死んだ方がましです(爆笑)。実は顔もさることながら,この人物の政治屋としての立ち居振る舞い,政治信条そのもの,そしてテレビ画面から窺われる狭量,傲岸不遜にイヤ気がさしているのだと思います。
ついでに,ホントに民主党にはこんな人しかいないのかと以前から思っていた人物に,原口一博という人がいます。テレビ露出度が多く,いつもその場限りの言説を弄しているなという印象をずっともっていました。要するに信用できないタイプです。この人は平成23年6月1日に野党が提出した菅内閣不信任決議案について,菅内閣についてネガティブな評価をした上で「不信任案を野党が出したといえども賛成します」,「・・・僕にも覚悟がある」と言っておきながら,その舌の根も乾かぬ翌日の採決では否決に回り,記者団の質問には「野党の不信任案に乗るなんて邪道」と臆面もなく述べております(爆笑)。そしていわゆる尖閣問題が生じた際には,議員を募って視察等に行っておりますが,それっきりです・・・(笑)。そして先般の消費増税法案の採決では「棄権」に回っているのです。要するに,この人は,よく言えば機を見るに敏,悪くいえば世間の俗耳に入りやすいこと,世間受けすること,自分にとって損のないことを絶えず追求している日和見主義者というしかありません。あー,今日も残業かー,と嘆きながら,それじゃあ自分へのご褒美だということで昨日事務所近くのソバ屋でカツ丼を食べましたが,そこで読んだ週刊誌では,原口一博議員のニックネームについて触れてありました。サッカーボールだったら球体ですから,そのボールがどういうふうに転がるか大体予測がつきますわね。でもラグビーボールというのは,ああいう変わった形をしていますから,着地した後はどっちの方向へ飛んでいくのか,転がっていくのは予測がつきませんね。原口という議員の定着したニックネームは,「政界のラグビーボール」なんですって(爆笑)。
日曜日の産経新聞に,「この本と出会った」というコーナーで現横浜市長の林文子さんが書かれた記事がありました。これまでの自分の人生を振り返り,本,文学作品というものの素晴らしさについて体験的に述べられ,そして日本人が持つ豊かな感性がちりばめられた作品として,永井荷風の「墨東綺譚」に言及されています(すみません,「ぼく」という字は墨の前に氵があります)。
この記事の中では,「カバヤ文庫」のことが書かれていました。林文子さんは小学校に入って熱中したのが,昭和27年から29年まで続いた「カバヤ文庫」だったそうです。1箱10円のキャラメルを買うと,中に券が入っていて50点集めると本が1冊もらえたそうです。この「カバヤ文庫」では,「しらゆきひめ」や「レ・ミゼラブル」などの世界文学が子供向けに翻訳されていたので,子供達は集める楽しさと作品に触れられる興味で一杯だったのでしょう。
どうです。昭和らしいですよね。私も母から10円をせびって,よく近所の駄菓子屋さんまで嬉々として走って行ったものです。石ころに蹴躓いて,転んで膝をすりむいた記憶もあります(笑)。ただ,さすがにこの「カバヤ文庫」の企画は私も知りませんでした。昭和29年には廃刊になったようですから,まだ私も生まれていないからです。でもカバヤという名前にピンと来ました。カバヤ食品のお菓子は私も知っていますし,キャラメルや「ジューC」という清涼菓子はよく食べた記憶があるからです。懐かしいです(笑)。
1箱10円のカバヤキャラメルを買うと中に券が入っていて,50点集めると本が1冊もらえる・・・。しかも,世界の名作などが子供向けに翻訳されたものが。素晴らしい企画じゃありませんか。確かに営業面からすれば,これはあくまでも販売促進(販促)活動の一環なのでしょうが,もらえる品物が健全で,ためになりますよね。これで時代を担う少年少女が多くの文学作品に触れるという貴重な機会が提供される訳ですから。モバゲーやグリーのようなゲーム,「コンプガチャ」よりもね(笑)。今では,国民の所得水準も当時の比ではありませんし,欲しい本があれば直ぐに小遣いで買えるでしょう。でも,こういう「カバヤ文庫」のような企画や指向性は日本的で大切にしたいと思うのですよ。
それにしても,子供ながらにカバヤというのはお菓子屋さんにしては変な名前だなと思っていたのですが,どうやらカバヤという名前の由来は,戦後間もない頃に創業されたことから,平和を愛し,おとなしい動物であるというイメージを持つカバから採られたようです(笑)。
今,私自身,お仕事が相当に忙しいのです。年齢的なものが原因でしょうが,疲れが肉体面と精神面の両方にあります。できるだけ睡眠時間を確保したり,気の合った者同士で飲んだり,ゴルフをしたり,ヨハン・セバスティアン・バッハの音楽世界に浸ったりして,ストレスや疲れを解消するようにしております(笑)。
でも,先日あるテレビ番組を見て,つくづく自分も元気を出さなければと思いました。NHKのBSプレミアム放送の「新日本風土記」という番組で,6月17日(日)の午前5時から6時までの1時間,「東京下町 味わい春の旅」というタイトルの回の放送を見たのです。最近,朝の目覚めが早いもので・・・(笑)。
これはオムニバス形式の内容なのですが,そのうちの一つに,もう何十年も続けて千葉から電車で東京まで出て来て行商をしている蕨キクさんという87歳のおばあさんが紹介されておりました。千葉の自宅で野菜などを作り,またその他の惣菜などを作って,その体より大きくて重いのではないかとも思える荷物を背負って行商をするのです。何と,87歳ですよ!
その行商の品々の美味しそうなこと。蕨キクさんは,千葉から重い行商荷物を背負って,京成電鉄の八広駅(東京都墨田区)に到着し,まずはそこで首を長くして待っている馴染みのお客さんに売り(どのお客さんの表情を見ても,キクさんを心待ちにしている様子がうかがえます),その後は,知人に預けている割と小さなリヤカーを引いて,数十年来の下町の顧客先の所まで歩いて行商に行くのですよ。キクさんはもう腰が曲がってしまっているのですが,自分の体より大きいくらいの重い荷物を背負って,八広駅の急な階段を一歩一歩下りて来られる姿を見て,私は日曜日の早朝から感動し,そして勇気づけられました。自分も元気を出さなければと・・・。
キクさんはとても良い顔をされております。幾多の人生の苦難を乗り越えてこられた深い皺が刻まれております。私は,一時間でも二時間でも,キクさんが行商で売っていた草餅をお茶と一緒に食べながら,キクさんから人生についての示唆に富むお話しを聞かせてもらいたいと思いました。マスゴミ,いやマスコミにしょっちゅう出ているような無責任で軽薄なコメンテーターの話より数万倍は自分のためになるのではないかと思います。
NHKの作る政治的なものに関する番組や歴史的なものに関する番組には,本当に憤りを感じるような反日的な内容のものが多くあり,全く信用しておりませんが,この「新日本風土記」のような番組は大いに評価しております。「新日本風土記」という番組は,日本各地に残された美しい風土や祭り,暮らしや人々の営みを描く本格的な紀行ドキュメント番組です。また私は,時間的な余裕ができたら,柳田國男の民俗学や各地の風土記に接してみたいとも思っております。
また雑感です。夏風邪というのは厄介ですね。うまく言えませんが,冬にひく風邪とは少し芸風が違っております(笑)。
それにしてもエドガーはいい選手だと思います。何となく好きなんですよ。エドガーというのは,我が栄光の読売巨人軍のエドガーのことです。何が良いのか・・・。これもうまく言えませんが,あのやる気満々の感じが私に期待と勇気を与えてくれるのです。あの風車のようにバットを回転させるスタイルと,静かな闘志を発散させている感じが良いのです。先日の対ロッテ戦は,0-4でリードされていたのですが,結果は8-4の逆転勝利でした。エドガーはこの試合の6回裏の攻撃で四球を選びます。相手投手は気圧されていた感じでした。その後,同僚のボウカーが慣れないバントを決めると,二塁に進塁したエドガーが元気よくボウカーに大きな拍手を送ります。ホントにやる気満々です。結局,エドガーが塁に出たことにより長野のホームランが2ランになり,だめを押します。エドガーは以前巨人でプレーしたことがあり,出戻りということになります。巨人の球団史上,助っ人外人が出戻ってプレーするのはエドガーが初めてです。頑張ってください。
同じエドガーでも,エドガー・スノーという人はいただけません(笑)。この人は戦前は「中国の赤い星」なんて本を書いて中国共産党や毛沢東を無批判に礼賛したり,「アジアの戦争」なんて本を書いて,捏造された事実を元に,日本を徹底的に政治的に批判しております。要するに中国共産党に籠絡され,プロパガンダのお先棒を担いでいたのですよ。戦後も,「今日の赤い中国」なんて本を書いて,大躍進による飢饉の発生を否定していたのです。最晩年にはようやく中国共産党の本質に気付いてそれまでの自分の著作活動を後悔し,無知を恥じています。でも一時的にではあれ,中国共産党のプロパガンダのお先棒を担ぎ,「日本軍は『銃を持った首狩り族』であり、日本人は中国人や朝鮮人より知的・肉体的に劣る存在」とも罵倒していたのですから,同じエドガーでも,こちらのエドガーはいただけないのです。
巨人のエドガー選手は,明日が誕生日のようです。もう34歳になるそうですが,どうやらあなたは日本の球界になじめているようです。巨人のために頑張ってね。
私の娘はあかねちゃんというのですが,娘は大学の学業,部活,最近少し始めたアルバイトと,毎日忙しい生活を送っております。親の目から見ても,大変だなと思います。彼女も少し疲れているのでしょうか,最近,以前にも増してますます奇妙で変な夢を見るそうです。
以前にもこのブログで書きましたように,我が家では,毎朝食事の時に,お互いに直前の夜に見た夢の奇妙さを披露して自慢をする風習,慣習があります。その夢が奇妙であればあるほど家族間で高評価を受けるのです(笑)。最近では,娘のあかねちゃんの見る夢は,この奇妙さという観点からいうと図抜けています。よほど疲れているのでしょう(笑)。
先日彼女が見た夢というのは,極めて単純なのですが,父親の私としてはちょっと気になるものでした。その夢の単純な内容を説明しますと,夢の場面としてのその晩はうちのカミさんが外出中で,家の中は私とあかねちゃんだけ。ところが,玄関から不審者が突如として侵入し,あかねちゃんは勇敢にも玄関内で金属バットを手に応戦します。しかしどうにも戦況が不利になったため,あかねちゃんは父親である私の所に来てに助けを求め,「お父さん,包丁持ってきて!」と叫びます。しかし,私はというと,「はぁ?」とか言うだけで,食卓で相変わらずお酒を飲む手を休めず,そのままの状態で全く関心を示しません(笑)。あかねちゃんはとても失望し,再度果敢に応戦しにいきます・・・。ここで彼女は目が覚めたようです。
一体全体,何なのでしょうか,この夢は。ジークムント・フロイトの夢判断の手法は,現在は学界でどのような評価を受けているのかは知りませんが,フロイト博士にこの娘の夢判断をしてもらいたいものです。何が,そしてどんな精神状態が彼女をしてそのような夢を見させてしまうのか(笑)。娘が必死になって応戦し,危機的な状況にありながら,「はぁ?」とか言うだけで,食卓で相変わらずお酒を飲み続ける父親って一体・・・(笑)。彼女にとって,父親としての私は一体全体どんな存在になってしまっているのかしら?
そうかと思うと,それよりも少し前の彼女のみた夢は,大学の部活のグラウンド内で,私が背広を着たままで一緒になって部活動をしているという,まことに奇妙なものでした(笑)。
いずれにしても,気になります。もう少しすっきりさわやかな,後味の良い夢を見てくれないかと思います。
汗ばむ季節となりました。日曜日も汗ばみながら,そしてバンカーで冷や汗もかきながらゴルフのラウンドをしました。本当のゴルファーならば,ラウンド中にビールなどは飲まないのでしょうが,冷えたビールのむちゃくちゃ美味いこと(笑)。この美味い至福の時を迎えるならば,スコアなんかもうどうでもいいという気になってしまいます。まあ,私の場合は,そうでなくてもどうしようもないスコアですけど・・・。
女子バレーは何とかロンドンオリンピック出場を決めましたね。東京オリンピックでは「東洋の魔女」と呼ばれるほどの強さでしたし,わが日本にとっては老舗ともいうべき種目です。今の女子バレーは,勝負強さという点では少し難がありますが,オリンピック出場を決めたことは何よりも嬉しいことです。
ただ,テレビ中継を見ておりまして,冒頭の国歌斉唱の際,「君が代」を唱う女子選手の口の開きが少なく,元気がないのはよくありません。実はこれは女子バレー選手だけではなく,テレビ映像で見る限り,サッカー日本代表選手にだってその傾向があります。「君が代」は,これまた日本を象徴する国歌なのですから,誇りをもってもっと大きな声で唱いましょうね。
20世紀を代表する世界的な名指揮者であったヘルベルト・フォン・カラヤンは,「君が代」について,「世界の国歌のうちで最も荘厳なもの」と評価しており,昭和29年の初来日の際にはNHK交響楽団を指揮して,そして昭和48年の来日の際にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して,それぞれ「君が代」を演奏しております。また,「君が代」は,明治36年にドイツで開催された「世界国歌コンクール」で第一等に輝いた曲です。それよりも何よりも,「君が代」は瑞穂の国日本の国歌なのです。
オリンピックで金メダルを取った選手が表彰台に上がり,日の丸の国旗掲揚とともに,この「君が代」が流れる時,その選手の努力が報われたことに対する喜びの念だけでなく,日本人としてのアイデンティティーを感じ,どうしても胸が熱くなってしまうのです。皆さんはどうでしょうか。私よりはもっと醒めていますか(笑)。
数日前の朝刊で読んだのですが,高円宮妃久子妃殿下が根付に関する研究で,大阪芸術大学から博士号を取得された記事がありました。根付(ねつけ)ですか。私は詳しいことは知りませんが,根付というのは本当にわが日本ならではの,高い芸術性をもった精緻文化の一つでしょうね。
根付というのは,江戸時代に,煙草入れ,矢立て,印籠,小型の革製鞄などを紐で帯から吊して持ち歩く時に用いた留め具のことをいうそうです。本当に素晴らしい文化です。根付の品々の可愛らしいこと。「根付 画像」とキーワードを入れて検索してみると,どれだけ根付が可愛らしいか,精緻で芸術性が高いかが分かります。その芸術性の高さは諸外国でも高い評価を受けているようです。
江戸時代の文化がどんな風だったかは詳しくは知りませんが,身分がどうあれ,おそらく相当に遊び心が溢れていたのではないかと思われます。「こんなもん持っているけどどうよ。」,「俺だってこんなもん持ってるぞ。どんなもんだい。」といった具合だったろうし,根付を作る職人の側も,「これは喜ぶだろう」と思って技巧の限りを尽くし,精魂込めて作っていたのでしょう。根付は相当に流行ったようです。
少しばかり血なまぐさくなって嫌なのですが,どうしても根付で思い出すのは新撰組の芹沢鴨と佐伯又三郎のことです。佐伯又三郎は,新撰組の中でも芹沢一派の一人として行動を共にしていた一人ですが,一説によると,芹沢鴨が大切にしていた「うにこうるの根付」の付いた煙草入れを佐伯が盗んだことに激怒した芹沢が佐伯を斬ったということです。「うにこうる」というのは北氷洋の海獣のことで(セイウチやアザラシのようなものでしょうか,その牙で作られていたようです),その根付の付いた煙草入れを芹沢はとても大事にしていたようです(笑)。ただ,佐伯又三郎の最期については,諸説あり,長州藩の間者(スパイ)だったことがバレて粛清されたとか,あるいは芹沢が見初めた茶店の娘に佐伯が先に手を付けたことに芹沢が激怒したからとか,どれが真相か分からないのですよ。それにしても芹沢鴨さんは恐ろしい。でも結局彼も文久3年の9月に壬生の八木邸で粛清され(私も現場を見てきました),新撰組はそれ以降は近藤局長,そして鬼の副長土方歳三以下,より結束が堅くなり,会津藩からの信頼も高まっていくのです。
根付の画像を見ていると,日本人の心が凝縮されているようで,とても癒されます。今度暇をみつけて,根付が一杯展示されている場所に行ってみたいと思います。