髪の毛の寝グセがひどくて困っております。今朝なんか,ちびまる子ちゃんに出てくる花輪クンの髪型みたいになっていました。風も吹いていないのに髪が右側に流れてしまっているのです(笑)。もっとも私は,花輪クンほど毛量は多くありませんが・・・(笑)。
このところ何で寝グセがひどくなったのか。思い当たるところと言えば,最近,ストレートネック矯正用に通販で枕を購入したのですが,それが割と良さげで,スムーズに寝返りを打てるようになりました。睡眠中にハデに寝返りを打ったりしてそれがハデな寝グセに結びついているのではないでしょうか。
寝グセがどうして問題かというと,弁護士としての説得力に欠けてしまうということです。つまり,例えば私が法律相談をしていて,理路整然と,分かりやすく,判例なんかも示して真っ当な法律相談をしていたとしても,相談者が寝グセが十分に直っていない弁護士の姿を目の当たりにしたら,それだけで説得力というものを欠いてしまうのではないかと危惧するからです(笑)。
それはそうと,昨日は東京出張でした。新幹線の車窓から観ることのできた霊峰富士の姿の本当に美しかったこと。静岡駅を過ぎた頃から美味しい駅弁を拡げ,車窓からの風景を眺めながら美味しくいただいておりましたところ,静岡駅から三島駅までの間に接した冠雪した富士山の姿の美さに,思わず見とれてしまいました。
何で「霊峰富士」というのですかね。その美しさと偉容は,観る者にインスピレーション(霊感)を与えてくれるからでしょうかね。富士山の姿を前にした時,とても一瞥をくれて終わりという訳にはいかず,その姿が見え始めてから見えなくなるまで,ずっと観てしまうのです。
俳人井上井月も次のような句を作っております。
「雪ながら 富士は今年の 物らしき」
中井三好さんは,この句を次のように解説しております。
「何時(いつ)も雪を置く富士山ではあるが、今日の富士の雪はことさら白く輝いている。『今年の物らしき』と新しい年を迎えた富士の姿を詠んだものであるが、淡々と『かるみ』の体で、己の心を映しだしたものである。」(「井上井月研究」200頁中井三好著,彩流社)
駅弁を食べながら美しい富士山の姿を観て,文久3年(1863年)の2月27日に江戸を出立した浪士組の近藤勇,土方歳三,沖田総司,山南敬助らも,道すがら,今自分が観ている富士山の偉容を観ながら旅をしたのだなと思いました。この浪士組のうち,近藤らの集団こそ,後の新撰組の主要メンバーなのです。
この東京出張の日(1月25日),政府は「富士山」を世界文化遺産に推薦することを決定したそうです。富士山は日本の宝です。
いやー,寒いですねぇ。先週の土曜日(1月21日)が大寒だったのでしょうか。やはり暦の表記どおり寒いです。東京では4センチほどの積雪があって,首都高速も一部通行止めのようです。明日は東京出張なのですが,ダイヤが乱れたりしたらイヤですね。
朝の出勤時に,事務所のあるビルのエレベーターで他社勤務の初老の男性社員と乗り合わせました。面識も何もなかったのに,その男性は「今日は本当に寒いですね。」と私に声を掛けてくれました。私は,「そうですね。冷えますね。東京では雪も積もってるようですよ。」と返事をしました。同じビルの住人とはいえ,見ず知らずの人に時候に関する簡単な挨拶ができるとは・・・。精神的に余裕のある人なんだろうと思いますし,古き良き日本人の典型に接することができたようで,何か少し嬉しくなりました。
娘のあかねちゃんの大学入試のセンター試験も無事に終わりました。今年のセンター試験では,あちこちで運営者側のミスがあったようですね。そのせいで約2時間待たされたり,あるいは追試を受けざるを得なかった受験生もいたようで,気の毒です。今日の朝刊を見ていたら,週刊誌(サンデー毎日)の広告に何やら面白げな見出しが載っていました。その見出しとは・・・「センター試験大混乱の裏に事業仕分け-蓮舫のせいだ!?」というものです。サンデー毎日みたいな週刊誌は朝日新聞などと同様,読みたくもないのですが(笑),この記事だけは覗いてみたい気もします(笑)。
それにしても,野田という者は完全に財務省の走狗になっていますね。消費税率引き上げに血道を上げています。安住という人も,経済や財政のことなど全くわからず,ただの「お飾り」です。この人は,その近しい人の話によると,その日その日,その場その場で微妙に身長が違うそうです(笑)。まるで超常現象のようです(爆笑)。財務省の腹黒い役人は,内心で「どいつもこいつもバカばっかりで,与しやすいことこの上ない,税率を上げるなら今だ!」てなもんでしょう。IMFに働きかけて日本に消費税率を上げるよう勧告させているのは,何を隠そう財務省の役人です。
前にも述べましたように,私自身は消費税率の引き上げはいずれ必要だと思っておりますが,それと同時かその前にやるべきことがあるというのが持論です。それは議員定数削減などといったものもさることながら,デフレからの脱却と超円高の解消のための努力です。こんなデフレ状態で消費税率を上げたりすれば,消費者がモノを買わなくなり,企業収益もさらに悪化し,結果として税収も減ります。経済が元気にならなければ,そして名目GDPが増えなければ税収は上がらないのです。このデフレからの脱却と超円高の解消のための処方箋については,有力な経済学者らが示しています(岩田規久男さんなど)。財務省などの役人は,日本の将来のことを真剣には考えていないようです。彼らは,自分の出世や生活の安定(天下り先の確保),利権のことだけです。
今朝の産経新聞には,編集委員の田村秀男さんや,京都大学大学院教授藤井聡さんの論稿が掲載されていました。本当に説得力があります。皆さん,反日左翼新聞を見る暇があったら,産経新聞を読みませんか。産経新聞の全てがいいとは言いませんが(笑)。
ずいぶん前に,やはりこのブログで,やはりこの表題のことについて書かせてもらいました。私も男性ですし,もう歳ですから,年相応に髪の毛が少なくなっていくことは仕方ないと思っております。どうですかねぇ,髪の毛の量は年相応だと思ってはおりますが,寂しい気もします。でも歳ですから,もう仕方ありません。諦観というやつです(笑)。でもまだ煩悩というものがあります(笑)。
往生際が悪いのかもしれませんが,それでも何とか薄毛化というこのおぞましい事態の進行,増悪(ぞうあく)とでも言いましょうか,これを遅らせたいのです(笑)。私のこの薄毛化の予後は不良なのかなぁと,心配でもあるのです。何とかしたい!
そういう訳で,私も仕事の合間を縫って,自分なりに「薄毛」に関する研究と考察をしました。現在私がこの問題に関して到達した結論は,前にも述べましたように,「体の内側から」というテーゼです。これはほぼ確信に近づいております。
どういうことかというと,「薄毛」になるということは,やはり毛髪の土壌となる頭皮,さらには毛母細胞,毛乳頭に酸素と栄養を運ぶ毛細血管とその血流,さらにこれを維持させる体内環境の整備に尽きるということです。遺伝なんか論じてももはや詮無いこと。そして,体の外側(頭皮)からベタベタ育毛剤を付けたり,養毛剤を振りかけたりしてもダメ。ましてや病院のAGA外来で処方される薬も副作用の心配があり,試したことも今後試そうとも思いません。
「体の内側から」なのです。十分な睡眠,特に成長ホルモンの分泌の活発な午後11時からせいぜい午前2時までは特に熟睡状態でありたいと思いますし,腸内環境を良くして美しい健康な血液を全身に巡らせること。健やかな血液でないと毛細血管を通って行きません。血行と体温を上げる努力をすること。血管の老化をできるだけ遅らせる生活習慣,食生活に心がけること。要するに,「体の内側から」なのです。ちゃんと聞いていますか?僕よりかなり若いのに,僕より深刻な事態に立ち至っている同業者のY先生!(笑)。昔は冗談で「おう,かなり来てるね。」,「何言ってるんですか。先生の方が来てますよ。」などと言い合っていた間柄だったのですが,最近のY先生の深刻度を前にすると,掛ける言葉もないというか,冗談も言えません(爆笑)。
そして,「体の内側から」というテーゼについて,さらに私に確信を抱かせる文献に出会いました。「なぜ、『これ』は健康にいいのか?」(小林弘幸著,サンマーク出版)という本です。この著者は順天堂大学医学部教授なのですが,この本で展開された主張,要するに自律神経のバランスが重要であること,特に副交感神経の働きを上げるべきという点は非常に説得力がありました。交感神経の働きが強すぎると(私はその職業柄,その傾向が強いです),血管が収縮して血流が悪くなります。「薄毛」に関する影響は歴然としてますでしょう。血管が収縮すれば,細い毛細血管を血液が通り難くなり,毛母細胞,毛乳頭に大切な栄養や酸素が届きません。副交感神経の働きがよくなると,血管が拡張気味になり血流がよくなるのです。気分的にも落ち着きますし。
この本では副交感神経の働きを高めることの必要性と,そのためのいくつかの工夫について論じてあります。私も早速実践し,呼吸は深い呼吸に心がけ,吸う時間と吐く時間が1対2程度になるように,深くゆっくりとした呼吸に心がけておりますし,動作も心がけてゆっくり,そして「怒らない」ということ,などなど・・・。
そうです。いわゆる「薄毛」対策は,「体の内側から」なのです!
前にもこのブログでお話ししたことがありましたが,私の愛するこの日本国の国旗や国歌に異常な敵意を示す教員がいるんですねえ。本当に困ったものです。昨日,最高裁判所第1小法廷で国歌の起立斉唱命令に従わずに懲戒処分を受けた公立学校の教員らに関する上告審判決が下されました。
この最高裁判決は,それまでの流れと同様に,公立学校の教職員らに対し,職務命令として起立して国歌斉唱することを求めることは彼らの思想・信条の自由を侵害するものではなく,これに従わないことを理由に懲戒処分すること自体はその処分内容が合理的な裁量の範囲内にある限り,憲法違反でないという真っ当な見解を示しております。そのこと自体は評価できます。でも,でもですよ。問題は,「過去数回の不起立のみで停職・減給とするのは,処分による不利益の大きさを考慮すると重すぎて違法」との初判断を示してしまったのです。
こんな判断を示せば,教育現場の混乱はどうなってしまうのでしょうか。職務命令にもかかわらず起立して斉唱等しないという連中は,いわば「確信犯」なんです。何回不起立を繰り返したって,せいぜい「戒告」で済まされるんだったら,連中は何回でも繰り返しますよ。ほんの少しの想像力さえあれば,そんなことはすぐに想像できるでしょうに。「戒告」っていったって,その処分内容を示す紙を渡され,せいぜい人事記録にそういう処分を受けたことが記載されるだけですから,「確信犯」である連中にしたら屁のカッパです。それこそ確信的に何度でも繰り返すでしょう。
自分の人生の中でも思い出深い節目となる入学式,卒業式などの厳粛な祝典に,国歌斉唱の際にふてぶてしくも立ちもしない連中の姿を目にした児童・生徒はどう思うのでしょうか。看過できない悪影響があるはずです。国歌や国旗を愛するという気持ちは世界共通なのに・・。
それに,そもそも学習指導要領は教師に対し,国旗掲揚と国歌斉唱を指導するように定めているのです。また,どの民間企業も,就業規則の中で,「懲戒」の項に,譴責,戒告,減給,出勤停止(停職),諭旨解雇,懲戒解雇というふうに,徐々に段階的に不利益処分を定めています。大の大人が「戒告」を何度受けても同じ不起立等を繰り返したならば,「まだ分からんのか!」といって,より不利益度の高い処分を加え,改善を求めるのが筋というものでしょう。解雇されることなどあり得ないなどと高をくくった連中は,自分の思想・信条が許さない,などといってこれからも何度も何度も不起立を繰り返してしまうでしょう。結論としては疑問の残る最高裁判決です。
さて,この前の日曜日の朝,ボーッとテレビを見ておりましたら,俳句の番組がやっておりました。お題は「日脚伸ぶ」でした。本当にいいですねぇ。俳句の世界も・・・。四季を感じ,愛でる日本人の世界です。「日脚伸ぶ」というのは,冬の季語で,冬も終わりごろになって,昼の時間がだんだんと長くなるという意味です。そういえば,もうずいぶん前に冬至も過ぎ,毎朝ほとんど同じ時間に起きる私は,室外がだんだんと明るくなってきたことに気付きました。まだ寒いですが,次は春です。もう少し先になれば,「水ぬるむ」なんて風情のある季節にもなります。
皆さま,新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年のお正月は,娘のあかねちゃんの大学受験を控えていることもあり,我が家では動きの少ないお正月でした。私の甥は全部で4人いるんですが,このうちの2人が今年挙式予定ということで,元旦の夜にこの二組のカップルから年始の挨拶と結婚の報告を受けたくらいです。
さて,年末に新聞をめくっていると,「蜩の記」(葉室麟著,祥伝社)という本の書評に目がいきました。その書評によると,これほど武士の本分というものを見事に描き切った本も珍しい,号泣せずに読むことはできないというような趣旨の書評でした。「よしっ,久しぶりに思いっきり号泣してみるか!」と思い,早速読みました。ほとんど一気に読破した感じでした。確かに素晴らしい小説で,一箇所涙が溢れそうになった部分はありましたが,残念ながら「号泣」とまではいきませんでした(笑)。「号泣」を目指してまっしぐらに読み進んでいたのに・・・(笑)。
しかしといっては何ですが,元旦の朝っぱらから不覚にも思わず落涙してしまった誠に素晴らしい文章がありました。元旦の産経新聞の中に,新潮社の宣伝広告がありまして,「日本人よ、勇気をもちましょう」という表題のドナルド・キーンさんの文章が載っていたのです。泣けてきて仕方のない素晴らしい文章でした。家族に涙を悟られまいと,顔の前から新聞をずらすこともできませんでした。このドナルド・キーンさんの文章を,是非「拡散」したいと思いました。
そんな訳で,今年の一番最初のこのブログは,元旦の産経新聞に掲載されたこのドナルド・キーンさんの文章をご紹介して,締めくくっておきます。
「かつて川端康成さんがノーベル文学賞を受賞したとき、多くの日本人が、こう言いました。『日本文学が称賛してもらえるのは嬉しいが、川端作品は、あまりに日本的なのではないか。』日本的過ぎて、西洋人には『本当は分からないのではないか』という意味です。分からないけれど、『お情け』で、日本文学を評価してくれているのではないかというニュアンスが含まれていました。長年、そう、もう七十年にもわたって日本文学と文化を研究してきて、私がいまだに感じるのは、この日本人の、『日本的なもの』に対する自信のなさです。違うのです。『日本的』だからいいのです。昨年、地震と津波に襲われた東北の様子をニューヨークで見て、私は、『ああ、あの「おくのほそ道」の東北は、どうなってしまうのだろう』と衝撃を受けました。あまりにもひどすぎる原発の災禍が、それに追い打ちをかけています。しかし、こうした災難からも、日本人はきっと立ち直っていくはずだと、私はやがて考えるようになりました。それは、昭和二十年の冬、私は東京にいました。あの時の東京は、見渡すと、焼け残った蔵と煙突があるだけでした。予言者がいたら、決して『日本は良くなる』とは言わなかったでしょう。しかし、日本人は奇跡を起こしました。東北にも同じ奇跡が起こるのではないかと私は思っています。なぜなら、日本人は勁(つよ)いからです。私は今年六月で九十歳になります。『卒寿』です。震災を機に日本人になることを決意し、昨年、帰化の申請をしました。晴れて国籍がいただけたら、私も日本人の一員として、日本の心、日本の文化を守り育てていくことに微力を尽くします。新しい作品の執筆に向けて、毎日、勉強を続けています。勁健(けいけん)なるみなさん、物事を再開する勇気をもち、自分や社会のありかたを良い方向に変えることを恐れず、勁く歩を運び続けようではありませんか。」
先日,仕事で彦根まで出張に行ってまいりました。何と,彦根の裁判所は城のお堀の内側にあるんですね。さて,仕事を終えました。お堀の内側なんですもの,城を見ていかない手はなく,小学生の時以来数十年ぶりに彦根城内外を見物しました。城は勿論,市内も清々しい空気と落ち着いたたたずまい,本当によい街ですね。
彦根城のお堀の中には,幕末の大老井伊直弼の像がありました。開国を決意しこれを断行した井伊大老の深い悩みと覚悟はいかばかりであったろうかと思います。悩み,命をかけて決断したのです。それにひきかえ菅なる者は,尖閣諸島沖の中国漁船衝突問題で醜態をさらし,脳天気の鳩山から引き継いだ米軍普天間飛行場移設問題でも事が進捗しないものですから,「第三の開国」と称してTPP参加を軽率に口にしました。野田なる者も,効力面での条約の国内法に対する優越すら認識せず,ISD条項の意味すら知りませんでした。これらの者と井伊大老の悩み,勇気,決断,覚悟とは雲泥の差であり,比較するのも馬鹿げています。
ああ,いかんいかん,また政権批判になってしまった(笑)。私は仕事であちこちに行きます。別に彦根がそうという訳でもありませんが,中小都市のどの駅前の商店街にもシャッターが目立ったり,人通りも少なく,町全体に元気がないように感じます。寂しい限りです。もうこの日本は,16年間もデフレ経済を脱却できないままですし,超円高にも無為無策を決め込んでいます。
財務省や日銀の皆さんは,本当にお勉強ができ,学力も高く,偏差値の高い超一流大学の出身者ばかりだと思います。優秀ななずなのに,いまや日本経済の宿痾ともいうべきデフレ経済から脱却する,そして円高を回避させるべき有効な手立てを打てないでいます。どうしてなのか不思議でなりません。優秀なのでしょう?彼らは。日銀総裁の白川という人は,「ドラえもん」に出てくるのび太くんみたいな顔をしているだけで,財務省とタイアップして国のために何か抜本的で有効な手を打とうとする素振りは全くありません。マネタリーベースでは諸外国は増大しているのに,日本だけは旧態依然として低空飛行を続けています。本当にひとり旅の状態です(笑)。超円高になるのは当たり前です。こんなに超円高基調が続けば,海外での事業展開などを考えざるを得ず,日本の産業の空洞化,高度技術の移転(いくらブラックボックスがあるといっても),雇用の喪失に歯止めが利かなくなります。産経新聞の編集委員である田村秀男さんの経済記事は昔から好きで,すごく説得力があると思っているのですが,田村さんは昨日の産経新聞の朝刊で次のように述べております。
「主要国中央銀行のうち日銀だけがその後も、量的緩和をせずに、超円高デフレを招いてきた。まじめに国内生産を続ける企業は罪もないのに超円高で罰せられて赤字に苦しむ。デフレに伴う税収減のために財政収支はさらに悪化しているのに、政府は増税に次ぐ増税しか考えない。増税はさらに消費や投資を圧迫し、デフレを加速させる悪循環を引き起こす。政府と日銀がおカネに関わる政策の大転換に踏み切らないと、新年には以前にも増して巨大なツケを呼び込むことになるだろう。」
御意,おっしゃるとおり!確かに日本の消費税率の5%は,諸外国と比較しても格段に低く,現在のセーフティネットである社会保障の水準を維持するためには,税率を上げなければならないのは明らかです。でもその前にやることがあるだろう,ということなのです。とにかく,企業が元気になり,従業員が元気になり,商店街が元気になり,国が元気にならなければなりません。
今年も色々とありました。東日本大震災で被災された方々には何度お見舞いを申し上げても足りません。来年は「すべて世は事もなし」といきたいところです。
日本全国,約6194万人のこのブログ読者の皆さん(笑),今年も本当にお世話になりました。何とか私も家族ともども年を越すことができそうです。ありがとうございました。良いお年をお迎えください。そして来年は良い年になりますように。
ほんとうに早いもので,もう師走です。年齢のせいなのか,それとも年齢なんか関係ないのかは知りませんが,いずれにしても月日の経つのが早く感じられます。12月に入り,週間天気予報を見ておりますと,ここ数日はあまり天気がよくないのでしょうか。
初冬のこの時期,時雨れたりすると自由律俳句の,あの漂泊の俳人種田山頭火を思い出します。「うしろすがたのしぐれてゆくか」という句は,山頭火の句の中でも最も印象に残り,好きな句です。時雨の中で徐々に遠ざかっていくその後ろ姿は,山頭火に先行して道行く旅人のものなのか,それとも山頭火が自己の姿を客観視して表現したものなのか。恐らく後者でしょうね,自意識と自嘲のニュアンスがあります。冬の行乞は大変だったでしょうね。頭陀袋にも鉄鉢にも雨や雪は容赦なく降り注ぎます。
山頭火の世界だったのに,一転して政治の話になると急に興ざめしてしまいますが,自由民主党という政党はもうダメなのでしょうか。とにかく民主党というろくでもない集まり(この政党は綱領すら持っておりません)が,このまま政権の座にいると間違いなく日本国が壊れてしまいます。これは間違いない。では,それに代わる受け皿としての政権の担い手はというと,基本的には自由民主党とたちあがれ日本しかないと思ってはいるのですが,自由民主党は政権奪取のために一体全体どんな努力をし,どんな内部改革を加えているのでしょうか。
これほどまでにろくでもない民主党であるにもかかわらず,政党支持率は両党で拮抗し,自由民主党が伸びません。どこかの会社員然とした谷垣などという人物ではどだい無理なのです。11月30日には党首討論が開かれたようですが,産経新聞の報道によれば,谷垣という人の野田首相に対する追及が極めて甘く,自民党内部からもため息が漏れるほどだったようです。米軍普天間飛行場移設問題に関してもロクな追及もせず,「・・・そのことを申し上げ、次の問題に移ります・・」などと話題を他に転じる始末。その挙げ句,この谷垣という人は,TPP交渉参加問題で,参加への積極論から短時間のうちに消極論に転じた理由を野田首相に問われ,慌てて目を白黒させたとか(笑)。だめですこの人は。自由民主党には,安倍晋三,西田昌司,稲田朋美,古屋圭司,古川禎久,衛藤晟一,下村博文,山谷えり子などといった立派な政治家がいるのですから,彼らがもっともっと頑張ってくれないと・・・。あと,自由民主党には,案外頑張っている女性議員もおります。参議院議員の森雅子さんなどは,実は私の司法修習生時代の同期で,アイウエオ順から机も近かったのです(笑)。それに高市早苗さんなんかも外国資本から日本の森林等を守るために良い仕事をしております。
民主党がこれまでの約2年数か月であれほどの失態,醜態をさらして続けてきたのですから,本来であれば相対的にではあれ自民党などの評価が上がってしかるべきなのに,そうなっていないのが残念です。次の総選挙では自由民主党とたちあがれ日本が何としても議席を伸ばさなければ日本はダメになってしまいます。ですから,頼むから谷垣さんはもうお引き取り下さい(笑)。
そうでなければ,時雨の中で自民党の後ろ姿も徐々に遠ざかっていくことになりますよ。
ずいぶん寒くなりましたが,今朝も徒歩通勤でした。いつも思うことなのですが,マナーの悪い自転車乗りには憎悪すら覚えます。今朝も,とんでもないバカを目の当たりにしました。その男は歳の頃30代後半といったところでしょうか,その男は先行する自転車を猛スピード,全速力といってもいいでしょう,極めて危険な速度で追い抜いていったのです。その対向方向からは歩行者である私が歩いているのに,徐行等をして歩行者と安全にすれ違おうといった配慮は全くありません。すれ違いざまに私は思わず「バカ!」と言ってしまいました。
それくらい,その男の自転車のスピードは猛スピード,全速力,危険なものであり,考えたくもないことですが,仮に幼児や小学生,高齢者などの交通弱者に衝突したなら,即死もあり得ると思います。常識とモラル,ごく普通の危険予知能力を備えた人間であれば,不測の事態に備えた運転をするでしょうに,あの男のあの猛スピードでは到底不測の事態には対処しきれません。
事故統計によると,例えば平成10年度と平成20年度とを比較すると,自転車対歩行者の事故件数は,その10年間で約4.5倍に急増しております。自転車対歩行者の衝突により,歩行者が死亡するケースもあります。恐ろしいことです。このような歩行者と自転車との衝突事故の急増という実情を反映してか,私達の業界でも,平成21年9月には,「自転車事故過失相殺の分析-歩行者と自転車との事故・自転車同士の事故の裁判例」(財団法人日弁連交通事故相談センター東京支部 過失相殺研究部会編著,ぎょうせい)という本まで出版されました。
そもそも,道路交通法上は,自転車は「軽車両」と位置づけられ,自動車や自動二輪と同じ「車両」なのですから,歩道と車道の区別のあるところでは自転車は車道を走行するのが原則です。例外的に自転車が歩道上を走行することが認められているのは,①歩道に「自転車歩道通行可」の道路標識がある場合,②子供や高齢者が自転車に乗る場合,③車道または交通の状況からみて,やむを得ない場合に限られております。しかも自転車が歩道を走行する場合でも,歩行者優先であり,自転車は車道寄りを徐行しなければならず,歩行者の妨げになるような場合には一時停止しなければなりません。にもかかわらず,実際に町で遭遇する一部自転車の無法な走行はこのようなルールからは相当に逸脱したものになっております(横暴な自転車乗りのために,歩行者として恐怖心から一時停止を余儀なくされたことが何度もあるでしょう)。自転車に乗りながら携帯電話をいじくっているバカもおります。
マナーや公共道徳面での日本人の劣化には著しいものがあります。物理的に歩道と自転車通行帯とを区別する設備がされつつありますが,それも勿論歓迎です。ただ,戦後数十年かけて徐々に劣化したマナーや公共道徳は,やはり今後数十年の長いスパンで家庭教育と躾け,学校教育の場面で個々に努力し,回復させていくしかないでしょう。かつて存在した「江戸しぐさ」の懐かしさよ。昭和生まれのお前が何で懐かしがるかって?そりゃ,昭和の時代にも「江戸しぐさ」の名残は十分にあったからですよ。
ブータン国王と王妃は,ご成婚後,ハネムーンともいうべき旅行先にそのたっての願いとして日本を選んでくれました。その立ち居振る舞いの素晴らしさは,私達日本人の心を動かしたのではないでしょうか。宮中晩餐会での乾杯の際,王妃は自分の持つグラスが皇太子殿下のグラスの上にいかないように,腰を少しかがめておられましたし,金閣寺をご覧になった際には,国王は案内役の僧侶が雨に濡れないようにと傘を差し出しておられました。
それにあの感動的な国会での演説。その素晴らしい内容を振り返ってみますに,国王は,「日本人はその歴史と伝統,世界史上で果たした役割など,もっともっと自信をもって欲しい」と訴えかけられたのだと確信しております。そういう内容でしたし,とても社交辞令などとは思えない真心からのメッセージだと受け止めました。国王夫妻の立ち居振る舞いといい,国会演説といい,我々の心に風を送られたような気がいたします。
ブータンは,台湾,インドネシア,パラオ,タイ,トルコ,ポーランド,フィンランド,バルト3国などと並ぶ親日国の一つです。ブータンは,日本が国連安全保障理事会の常任理事国に加入する問題の場面では,いつも日本を強く支援してくれております。ブータンがこのように親日的な理由には様々あるでしょう。ともに仏教国であること,また先ほど述べたように,いわゆる自虐史観とは対極にある史観,つまり長いスパンで世界史を虚心坦懐に見たとき,日本がその世界史上で果たした役割(アジアの解放),戦後の日本のODA(円借款や技術供与等)などがあるでしょう。それとどうしても忘れてはならないのは,西岡京治という素晴らしい日本人のブータンでの活躍です。この西岡さんは,ブータンにおいて悪戦苦闘しながら農業振興に身を捧げ,同国の農業の発展に多大の貢献をした人です。この西岡さんがブータンの農業振興に果たした役割については,動画でもアップされておりますが,泣けてくるほどです。彼は1992年にブータンで急逝しましたが,西岡さんの葬儀はブータン国葬となったのです。
そのブータンは,中国という一党独裁の膨張国家により,その国土の約18パーセントの領土を奪われています。中国の人民解放軍は年数キロ単位で徐々にブータンとの国境(ブータンのガサ県の最北部)を超えて侵蝕し,勝手に掘っ立て小屋をたてたり,西部開発と称して勝手に道路を敷設したりし,2005年にはこれが発覚したのです。ブータン政府としては,中国に対し,1998年に締結した国境策定協定に違反しているとして抗議を行ったのですが,この無軌道な膨張国家に理は通じません。ブータンはその国土の約18パーセント(約8100平方キロメートル)を掠め取られてしまったのです。本当に,強い公憤を覚えます。
症状固定という概念は医学上の用語です。要するに,治療をこれ以上続けても大きな改善はもう望めず,長期的な時間の幅で見ると,回復・増悪がなくなった状態をいいます。そういう意味では私のゴルフも,もう症状固定かもしれません(笑)。
先週の土曜日(11月12日)には,気が置けない仲間の人たちと,絶好のコンディションの中でゴルフをしました。しかし,スコアは100台で,散々なゴルフでした。何が散々だったかというと,ドライバーのティーショットです。ドライバーが全然ダメで,ショートホールを除く14ホールは全部ドライバーでティーショットを打ったのですが,まともなものは1本だけであり,1勝13敗でした(笑)。これでは100を切ることはできません。100ヤードほど先に転がったボールを見て,同伴の仲間からは「ナイスチョット!」と声を掛けられる始末(笑)。
私だって,ほんの一瞬間だけでしたが,かつては80台で回ったことが一度だけありました。その頃は,気分転換も兼ねてよく練習場に足を運んだものです。そして熱心に練習したものです。ああ,こんな風にすれば良い球が打てるんだな,ああ,またやった,こんな風に打つからこんな球しかでないんだ,などと考えながら・・。先日の土曜日の散々なドライバーを見て,私も再びゴルフ練習場に足を運ぼうと決意しました。このままだと,本当に私のゴルフは症状固定になってしまいそうですから。それに,ゴルフでもう一花咲かせたいのです。
話は全く変わりますが,私は雀という小鳥が大好きです。前にもこのブログで書いたことがありますが,朝の徒歩通勤などの際に雀のかわいらしい姿を見ると,癒されます。私がこの世で悪業を積んでしまい,来世ではどうしても畜生の世界に生まれ変わらざるを得ないとするならば,できれば雀がいいです(笑)。
それにしても,ふと足を止めて雀の姿に見入っている自分。どういう精神状態なのでしょうか。意識するしないにかかわらず,自分の感じるストレスや不安などを背景に,癒しというものを求めようとしているのか,それとも,割と精神的にも安定していて,その余裕からその道行きの自然の事物に関心を持ったり季節の移り変わりを感じているのか。