東日本大震災の報道を目にするにつけ,今はただ,自分の置かれた立場でできることをするだけである。
それにしても,今回の大震災で改めて日本人の心の強さを感じた。フィナンシャル・タイムズ・アジア版(英国)が報道しているように「日本はこの災害に対し尊敬すべき忍耐力で立ち向かっている」と思う。以下に引用するツィッターのつぶやきはお気に入りのブログに掲載されていたものであるが,どのつぶやきも本当に私の心を揺さぶり,また涙を誘った。
-昨日の夜中,大学から徒歩で帰宅する道すがら,とっくに閉店したパン屋のおばちゃんが無料でパン配給していた。こんな喧噪の中でも自分にできることを見つけて実践している人に感動。心温まった。東京も捨てたもんじゃないな。
-4時間の道のりを歩いて帰るときに,トイレのご利用どうぞ!書いたスケッチブックを持って,自宅のお手洗いを開放している女性がいた。日本って,やはり世界一暖かい国だよね。あれ見たときは感動して泣けてきた。
-物が散乱しているスーパーで,落ちているものを律儀に拾い,そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。運転再開した電車で込んでいるのに妊婦に席を譲るお年寄り。この光景を見て外国人は絶句したようだ。
-(復旧して終夜運転に従事している東京メトロの)駅員さんに「一生懸命電車を走らせてくれてありがとう」と言っていた子供を見た。駅員さん泣いてた。俺は号泣してた。
-ホームで待ちくたびれていたら,ホームレスの人たちが寒いから敷けってダンボールをくれた。いつも私たちは横目で流しているのに。あたたかいです。
それに,お気に入りのブログの一つに「草莽崛起-PRIDE OF JAPAN」というのがあるが,そこには津波に襲われる直前まで必死で住民に無線放送で避難を呼びかけ,行方不明になった女性公務員のことが書かれていた(比嘉洋さんという方の記事)。遠藤未希さん(25歳)は宮城県南三陸町の危機管理課の職員であるが,彼女は,勇敢にも役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残って,住民に対し「早く逃げてください」と必死で避難を訴える無線放送を続けた。高さ10メートルの津波が同庁舎を襲うまで。そのとき彼女は庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていたが,無情にも津波は彼女をさらった。今もその行方は分かっていないということである。その庁舎は今は赤い鉄骨を残すだけになっている。生き残った職員の話によると,未希さんは荒れ狂う波に流されてしまったとのこと。彼女の必死の避難放送で助かった人も多い。
彼女は自らの生業(なりわい)を全うしたのだ。不覚にもまた泣けてきた。
きのう,裁判所での仕事を終えて車で事務所まで戻ろうと中日新聞本社前の道路を信号待ちしていたら,将棋の加藤一二三九段(元名人)にそっくりな人を見た。確信まではもてないが,そっくりというより棋士の加藤さん本人だったのではないかと思う。つい1か月ほど前にNHKで加藤さんの将棋解説を見てその最新の風貌も知っているし,中日新聞は将棋の王位戦を当時3社で主催しており,加藤さんは元王位でもある。何かの用事で中日新聞本社に来ていたのではないか。自分の高校時代,大学時代はけっこう将棋を指していたし,居飛車一辺倒の加藤さんの棋風は好きだった。
将棋で思い出したけど,先日,NHKで「将棋界の一番長い日~第69期A級順位戦最終局~」という番組を最初から最後まで見た。これも偶然にチャンネルを合わせたら巡り会えたのである。この番組は毎年A級順位戦の最終局を中継し,その息詰まる熱戦の模様,名人戦挑戦者の決定やB級1組への降級者の決定など,悲喜こもごもの様子が手に取るように分かるのである。棋士同士の生のドラマなのである。そして,A級といえば,棋界の頂点を極める者達のすみかであり,彼らが全身全霊を打ち込んで繰り出す最善手,鬼手が満載の将棋もとても見応えがある。
今年の名人挑戦者は7勝2敗で森内俊之九段となり,彼が羽生善治名人に挑戦する。第18世名人と第19世名人との対決である。ほんとにすごいねぇ・・。
それにしても,勝者と敗者が分かれる瞬間,すなわち投了の瞬間は,敗者の心情を思うと見ている私たちも辛いものがある。詰みが発見された瞬間も・・・。将棋の詰みというのは,王将がどこにも逃げられなくなることをいう。
産経新聞の記者が書いていたけど,そういう意味では,菅政権や民主党政権は既に詰んでいる。詰んでいるんだから,もう国家,国民のために一刻も早く投了すべきである。
さてさて,同業者同士の来週の京都旅行に備えて,新撰組コース責任者の私は,昨日(3月3日)も下見に行ってきました。本当は仕事をやりたかったのですけどね・・。でもその一方で,京都の一人散策はこれまた楽しい。
最初の目的地は京都御所でした。と,ところが・・・,地下鉄今出川駅から地上に上がった瞬間に私が見たものは,相当の勢いで降っている雪でした。もう,おひな祭りだというのに。ああ,今日の下見は先が思いやられる。早速コンビニで500円の透明ビニールの傘を買い,当日の昼食会場までの足取りを確かめた後,京都御所に向かいました。京都御所の中へは事前の参観許可書が必要ですので(当日の分は既に入手済みです),この日は許可書受付までの道順やその周辺(京都御苑),蛤御門などを確かめておきました。
そうこうしているうちに,午前11時30分となりました。少し早かったのですが,次の目的地である壬生界隈に向かう前に,御所周辺でランチをとることにしました。その日の晩は,娘のあかねちゃんの期末試験終了慰労とひな祭り祝いをかねてしゃぶしゃぶをすることになっておりましたので,軽めのランチにしました。場所は,京都御所蛤御門のはす向かいにある小さな喫茶店でした。店内には客は誰もおらず,おばあさんが一人で頑張っておりました。カレーライスとコーヒーを注文。少し経った頃,電子レンジ何かの「チン」という音がしました。出てきたカレーライスはごく普通のものでしたが,明らかにレトルトカレーだと思われます(笑)。でも,腹も減っていたし,そこそこ美味しかった。食べている間,コーヒーをいただいている間は,そのあばあさんとずっと世間話でした。昔のひな祭りではちらし寿司を毎年作って嫁いだ娘に食べさせたこと,そしてもうこの場所で43年間も喫茶店を続けているとのこと。何よりです。細々ですが,京都御所の直ぐ近くで半世紀も喫茶店の営業をしてこられました。これからも長生きして欲しいと思いました。
さて,それから向かったのは壬生の光縁寺です。新撰組総長であった山南敬助らの墓所です。ご住職が丁寧に応対してくださり,墓参りをして帰ろうとすると,ご住職は戸を開け放ち,本堂とご本尊を見せてくださいました。そこでも約30分くらい話し込んでしまいました。壬生の人たちの新撰組に対する感情は相半ばするのかもしれませんが,忘れ去られることはないでしょう。
次に前川邸を経て,八木邸です。新撰組の一番最初の屯所の一つで,芹沢鴨らが粛清された場所でもあります。その際にできたと言われる柱の傷も見てきました。その後は,壬生寺です。ここも新撰組ゆかりの寺で,地下には平安時代にできた仏像もありました。仏像などを眺めると本当に気が休まります。
もうこれで新撰組コースの道案内等は完璧です。さてこの段階で午後2時ころになっておりました。歩き疲れていた感はありましたが,前回の下見の時と同様,再び新選組記念館の青木さんを訪れました。アポなしです(笑)。いつもどおり2つの灯油ストーブが置いてあり,アットホームな記念館です。何かに憑かれたように,どうしても足が向いてしまうのです。それくらい青木さんは,おそらく入れ歯だと思うのですが(笑),魅力的なのです。青木さんは京都で生まれ,同志社大学を出て長年銀行マンとして活躍し,民家を改造して新選組記念館を作ったのです。玄関先には新選組の旗が立てられています(笑)。私が青木さんの所を訪ねると,なまじ私も新選組に関するそこそこの知識があるものだから,どうしても長話になってしまうのです。青木さんは次から次に私に資料をくれます。恐縮してしまいます。遠慮したのですが,勝海舟と木戸孝允の肖像画もくださいました。どうせいただくならば,本当はその間にあった西郷隆盛の肖像画が欲しかったのですが・・・(笑)。そんな最中に地元の信用金庫の人が預金勧誘の営業活動にアポなしで訪ねて来ても,青木さんはイヤな顔一つせず,部屋に「上がられますか。」と勧めるような人なのです(笑)。青木さんは本当に新選組と歴史と京都を愛する人なのでしょう。光縁寺のご住職も青木さんのことはご存知でした。
約1時間青木さんと話し込んだ後は,やはり小腹が空いたので,南座の向かい側(祇園の入り口)辺りにある「一銭洋食」に行きました。時間帯が食事時ではなかったため,お客さんの人数よりも,店内に飾られているマネキンの方が数が多かったようですが(笑),お好み焼き風の美味しいおやつです。途中で40歳代と思われる金髪の外国人女性も一人で訪れました。彼女も「一銭洋食」が好きなのでしょう。
3月11日と12日は,同業者同士で京都旅行の予定になっております。総勢100名を超える大旅行ですが,私はその中の「新撰組コース」の責任者の1人です。旅行を成功させるには何より下見が重要であることはよく分かっております。そんな訳で,昨日は京都まで下見に行ってきました。1日で全行程の下見をすることは無理ですが,昨日は主として第2日目の行程の下見を行いました。新幹線「のぞみ」に乗れば名古屋から京都までわずか32分で着いてしまいます。近いものです。
まずは二条城に到着。入場料600円を払って全体をくまなく見ました。二の丸御殿の中には大政奉還の間もありました。二条城の敷地全体は早歩きで約45分で下見ができましたが,問題はその後でした。京都所司代屋敷跡と京都守護職屋敷跡を徒歩で探し回ったのですが,結局は分からずじまい。これで相当に歩き疲れてしまいました。
昼食をとって,次は新選組記念館です。新撰組に関するディープでマニアックな世界に浸るべく(笑),この記念館を今度の行程に加えました。あらかじめ館長の青木繁男さんに予約を入れておきましたが,何しろ所在地がわかりにくかったので,五条千本の交差点に着いてから電話を入れたら,丁寧に道を教えてくれました。中に入ってみると,ご自宅を記念館に改造したらしく,京都の古民家風でアットホームな感じで,いろいろな資料がありました。何よりも館長の青木さんはいい人でした。
新撰組をめぐる話題で,青木さんとは大変に話がはずんでしまい,長時間お邪魔をしてしまいました。その間にも,家族連れや若い女性一人での来訪などもあり,結構繁盛しております。青木さんにはこの新選組記念館からの散策コースについてのアドバイもいただきました。また,新撰組で一番の手練れ(てだれ)は誰だと思うか,坂本龍馬を暗殺した人物は誰か,吉村貫一郎の実際の最期はどうだったと思うかなどの質問をしましたら,それまでの自分の研究を踏まえ,大変興味あるお話をいただきました。いやー,面白かった(笑)。当日も小一時間くらい,お話をしていただく手はずとなったのです。
少し長居をした後に新選組記念館を辞去し,青木さんからもらった資料やアドバイスにしたがってその後の行程の下見をしたのです。具体的には,輪違屋,角屋,西本願寺(太鼓楼など),七条油小路,本光寺,新撰組最後の屯所となった不動堂村などを経て,京都駅に到着したのです。このうち,本光寺には確か暗殺された伊東甲子太郎が絶命直前に腰掛けたと言われる石などがあると思ったのに,表には出ておりません。私がそこでメモを取りながら佇んでいると,後ろから声を掛けてくれた人がおりました。はす向かいで理容店をやっているご主人です。この方とも少しばかり立ち話をしました。やはり歴史好きの人はいるものです。どうやらこの本光寺のご住職は最近亡くなり,現在は住職不在で,門のカギをこのご主人が預かられているとのこと。門を開けてもらいましたら,そこに伊東甲子太郎殉難の碑がありました。旅行当日は,私が理容店をのぞき,合図をしたら門を開けてもらえる手配をしてきました。このご主人も感じが良く,新選組記念館の青木さんのこともご存知でした。
さて,本番の旅行当日までにはあと1回,主に第1日目の行程の下見が必要だろうと思います。この時も青木さんと話し込んでこようかな。とにかく青木さんはいい人でした。
いつのことだったか,数日前の食後のひととき,うちのカミさんの携帯電話にメール着信の音が鳴った。どうやら彼女の高校時代からの友人で,主婦をしている仲間からのメールだったようで,その息子さんがこのたび希望の私立中学に合格したらしい。
その方には一度もお会いしたことはないが,以前からその方の名前は聞かされており,うちの娘のあかねちゃんより5つほど年下の男のお子さんがいらっしゃることも知っていた。そうか,その息子さんももう中学生になるんだな,早いものだと感じるとともに,その受験合格の吉報を嬉しく思った。
今も覚えているのだけれど,その方は,娘のあかねちゃんが誕生して間もなく,手作りのパッチワークの手芸品と,赤ちゃんでも片手で握ることのできる大きさの人形を贈ってくださった。どういう訳かそのことははっきりと覚えているのだ。うちのカミさんもその方も,結婚した時期はそれほど離れてはおらず,お互いに早く子供が欲しかったと思う。その方は一足先に子宝に恵まれたカミさんと生まれたばかりのあかねちゃんに,心のこもった贈り物をしてくれたのだ。そのパッチワークは,ファスナー付きのいくつかのポケットがちりばめられていてそれで子供が遊ぶことができるようになっており,心を込めて作られたことがありありと分かるのである。そのパッチワークの上で寝転がっているあかねちゃんの写真もある。また,それ以外にもさきほど述べた人形の贈り物もあった。人形といっても,クマさんか何かの動物で,その表情が何とも可愛かったのである。
その贈り物を目にした時,私は,ああ,この方はうちのカミさんの本当の友達なんだな,カミさんも心根の優しい良い友達をもって幸せ者だなと心から感じたものである。今でもそのことをはっきりと覚えている。それから約5年後,幸いにしてその方も子宝に恵まれ,もうそのお子さんが晴れて中学生となるのである。月日の経つのは早いものだ。一方,そのあかねちゃんも,来年の今頃は大学受験という修羅場を迎えることになる(笑)。
先日,カミさんの携帯に届いた真の友人からのメール。ちょっと遠い昔に感じたほのぼのとした感謝の念がその時よみがえってきたのである。
二日酔いの朝など食欲のない日以外は,朝食には必ずと言っていいほど納豆をいただいております。納豆というのは美味しいですね。この日本古来からの食品は,何と言っても健康に良さそうだという安心感がありますし(もちろん国産大豆のものを選んでおります),美味しいから食べてしまいます。冷蔵庫に1つしかない場合には,誰がそれを食べるのかについて,娘のあかねちゃんとジャンケンして決めようと提案しますが,最近ではあかねちゃんが譲ってくれます。とてもよくできた子で,大人だと思います(笑)。なお,うちのカミさんも納豆はたまに食べますが,あまりこの食品には執着はないようです。
さて,私は自分で言うのも何ですが,けっこう読書家だと思います。いろんな本を読みはしますが,ついこの間,納豆の本まで読んでしまいました。「納豆は効く」(須見洋行著,ダイナミックセラーズ出版)という本です。この著者である須見洋行さんは医学博士で,何と,ナットウキナーゼの発見者なのです!
これまで漠然とではありますが,健康には良かろうと思いながら食べていた納豆ですが,本当に健康に良いのです。納豆には凄みすらあります。剣の腕にたとえれば「手練れ(てだれ)」といってもいい(笑)。この本はさすがに医学博士,そしてナットウキナーゼの発見者が論述されているように,納豆の凄さが各種データに基づき,理論的に示されております。では,納豆に含まれる有効成分ごとに簡単に受け売りをさせていただきます。
まずはナットウキナーゼです。これは血栓溶解酵素で血液の浄化作用もあり,脳卒中や心筋梗塞,老人性認知症の各予防に効果を発揮します。その血栓溶解作用の凄さはデータ的にも実証済みです。
次に,レシチンです。これは細胞にとって必要な物質(栄養分)を取り入れ,不要な老廃物を排泄し,生命の基礎となる代謝に深く関与し,血液中のコレステロールや中性脂肪を除去してくれます。またインスリンの分泌を活発にして血糖値を下げる働きもあるそうです。ありがたいじゃありませんかっ。
さらには,サポニンです。これには正常細胞がガン細胞に変化するのを抑制する作用があり,乳ガンや前立腺ガンの予防にも効果的のようです。まぁ,私の場合は,かつてマンモグラフィー検査という男性にとっては筆舌に尽くしがたい検査を受ける羽目になった経験はあるものの,乳ガンは大丈夫だと思いますけど。
さらには,イソフラボンです。これには悪玉コレステロールが酸化するのを防ぐので,血管の老化を抑える効果がありますし,女性ホルモンと同様の働きもあるそうです。女性ホルモンと同様の働きといえば,ひょっとして大切な髪の毛,育毛にも良いかもしれない。実際に,頭皮の毛母細胞,毛乳頭まで栄養を運んでもらうためには何よりも血液がサラサラでなければなりませんし,イソフラボンはそのような作用もあります。私と同業のY弁護士も薄毛に悩む一人ですし(ただ,最近では妙に明るくてハゲの悩みから達観したかのような感じもあります),彼にも納豆をお勧めしようかしら(笑)。
このようにして私は,毎朝美味しく,しかも健康でいたいと思いつつ,しかも副次的には髪の毛がフサフサになるように期待しながら,納豆をいただいているのです。
先日の晩も,今日も一日終わったなどと思いながら,晩酌をしようとしておりました。たまたまその時にテレビで放送されていたのは,3年前に亡くなった作曲家の遠藤実さんのお姿でした。その番組が何だったのか覚えはありませんが,NHKだったことは間違いなく,「あの人に会いたい」シリーズだったのではないかと思います。
遠藤実さんといえば,日本の戦後歌謡界を代表する作曲家です。昭和生まれの人ならば,誰でも遠藤実さんの曲の多くを耳にしたことがあるはずでしょう。その番組で遠藤さんがしみじみと,時には涙ながらに語っておられた話を聞いて,私も思わず目頭が熱くなってしまいました。晩酌前に・・・。
功成り名を遂げた遠藤さんも,お若い頃はなかなかお金を稼ぐことができず,奥様(節子さんとおっしゃるそうです。)に苦労をかけ,結婚式も挙げられなかったそうです。そのような中で遠藤さんは,西荻窪かどこかの時計屋さんのショーウィンドーに飾られているオパールの指輪を,そこを通るたびに額をガラスに押しつけながら何度も何度も見ていたそうです。いつかお金に余裕ができたなら,結婚式も挙げてやれなかった妻のために,絶対にこのオパールの指輪を買ってあげようと固く決意しておられたようです。そのようにして毎日のようにその時計屋さんのショーウィンドーに額を付けてその指輪をご覧になっていたそうです。そしてようやく自分の曲がヒットし,お金が入ったので,念願のそのオパールの指輪を奥様に買って差し上げたそうです。
遠藤さんは残念ながら奥様に先立たれてしまったのですが,贈ったその指輪は,寝室のベッド脇の大切な物入れの中に奥様が大事そうにしまわれていたそうです。
遠藤さんが奥様を看取る際には,遠藤さんは半身で起きた奥様を抱え,今までの心からの感謝の気持ちを伝え,これに対して奥様は「あなた,私は幸せ者でした。」とおっしゃったそうです。その番組はそのように涙ながらに語る遠藤さんの生前のお姿を放送したものでしたが,晩酌前だというのに,私は若干もらい泣きをしてしまいました。
さて私の場合はどうでしょうか。いまわの際(きわ)に,「あなた,私は幸せ者でした。」と言ってもらえるのでしょうか。
我が家の朝ごはんの時には,前夜見た夢の自慢話で持ちきりになることがある。自慢話といっても,自分が前の晩に見た夢がどんだけ奇妙なものであったかを競い合い,自慢し合うのである。
数日前の朝ごはんの際には,私は完全に聞き役に回る羽目になり,娘のあかねちゃんとカミさんに圧倒されてしまった。まず,その前夜にあかねちゃんが見た夢の断片は,次のようなものであった。お父さん(私のこと)は既に寝室で床に入り,寝ているはずなのに,玄関先でゴソゴソと物音がしたため,不審を抱き怖くなったあかねちゃんとお母さん(カミさんのこと)とが一緒に恐る恐る玄関の方へ見に行ったところ,全く同じ顔をしたお父さん(私のこと)がそこに2人いて,その2人が仲良く手をつないで入って来たという夢だったそうな。ある意味ではすごく怖い夢である(笑)。とても奇妙である。
これを聞いたうちのカミさんは,これと張り合うかのように,鬼の首を取ったようにその前夜に見た夢を得意げに語り始めた。うちのカミさんのその夢の断片は,次のような単純かつ奇妙なものであった。うちのカミさんの面前に巨大な蝉(セミ)が現れ,その巨大なセミがカミさんを圧迫するかのように迫ってきたものだから,彼女は必死に両手を突っ張ってその巨大なセミを向こうに押しやろうとし,その際に思わず声が出てしまい,その自分の声で目が覚めたというのである。と,とてもシュールな夢である(笑)。単純で奇妙過ぎるにもほどがある(爆笑)。シュールだ。キリコやダリの絵のように(笑)。
このように,その日の朝は前夜の夢の奇妙さ自慢で,あかねちゃんとカミさんに圧倒されてしまった。我が家には,「こんなん見ましたけど・・・」とか,「・・,まだまだ,・・・自分なんかもっと変な夢だったけど」などと,前夜の夢の奇妙さを自慢し合う風土がある。それにしても,目前の巨大なセミを両手で押しやるなどといったシュールな夢を平気で見てしまうような連れ合いと,これからどのように折り合いを付けて暮らしていけばいいのかしらん・・・(笑)。
最近はとても冷えるので,先日のランチ時,久しぶりに味噌ラーメンでも食べて暖まろうかと思ったら,そのラーメン屋さんが無くなっており,色彩的に派手で大きな中華料理屋に変貌していた。店構えからすると,かつて私がたまに訪れたそのラーメン屋が併呑されてしまったような感じであった。そのラーメン屋のラーメンは割に美味しかったと思うのだが,何しろ時間帯によっては数的優位(店員2名とお客1名とが対峙する状況)を作られてしまうような時もあったのだから,無理もないかもしれない。でも少し寂しい。
また,朝の徒歩通勤の途上でいつも見かけるうどん屋さんも,昨年末には「12月20日限りで閉店させていただきます。長い間ありがとうございました。」の張り紙がしてあった。それに今朝は,やはり通勤途上にあるお弁当屋さんのガラス戸に「当分の間休業いたします」とあった。なにやら町中に元気がないような気がする。
ところで話は変わるが,先日(1月27日)の産経新聞には,富士山周辺を買いあさる中国資本のことが書かれていた。河添恵子さんというジャーナリストの記事であるが,わが富士山を望む山中湖畔の富士山ガーデンホテルが中国資本に買収され,それが中国人仕様にリニューアルされ(笑),その社長は今後も「少なくとも十数棟のホテルを買収する予定」などの方針を示しているという。しかも,富士山周辺ホテルの半分以上が中国資本になったなどといった情報もあるそうだ。また,現在では日本各地のホテルや旅館では中国人旅行客を招き入れて売り上げを維持,拡大している所もある。
でもね,売り上げや収益確保という観点からはそれが合理的なのかもしれないが,本当にそういった方向で良いのだろうか。この産経新聞の記事には,「食事中にタンを吐いたり,声が大きいことから常連客に『もう来ないぞ!』とお叱りを受けた」,「ご利用いただいた後は,床掃除やトイレ掃除を終えないと次の客を入れられません」などといったホテル等関係者の発言も記載されていた。私だって,掛け湯の習慣のない人あるいはそれをしない人と,一緒に湯船に浸かりたくはないのである。
奥歯に物が挟まったような言い方をやめ,敢えて言うならば,古くからの,そして日本人的な楽しみ方をしたい本来の日本人旅行客の足が遠のいてしまう嫌いはないのだろうかと言いたいのである。
昨日は東京出張でした。名古屋駅を午前7時30分に出発する訳ですから,いつもより少し早起きです。名古屋駅の新幹線口まではタクシーで行ったのですが,その運転手さんの名前は近藤勇さんでした(笑)。いや笑っちゃいけませんね,新撰組局長の近藤勇と同姓同名。新撰組局長は「いさみ」と読むのですが,おそらくこの運転手さんは普通に「いさむ」というのでしょう。降車するときは,この〝新撰組局長〟から「行ってらっしゃい!」と送り出してもらいました。何かしら,江戸で腕の立つ新隊士を募集して来いとでもいわんばかりに。朝から幸先のよいことでした。
さて,新幹線の中では往復の時間を利用して,現在委任を受けているある民事事件に関する4つの裁判例に目を通して研究しようと思っていたのです。で,でも,それがカバンの中に入っていないことに気づき,結局は,今読んでいる「一刀斎夢録」(浅田次郎著,文藝春秋)の続きを読むことになったのです(笑)。「一刀斎」って一体何だろうと思っていたのですが,新撰組三番組長(副長助勤)だった斎藤一を逆さまにした呼び名だったことが分かりました。それにどうやらこの小説では,坂本龍馬暗殺の実行犯が斎藤一であったことになっております。どうなることやら・・・。かつて浅田次郎の「壬生義士伝」を読んでいて何度も泣けたことがあり,今度も泣ける本がないか探していたところ,どうやら泣けるという前評判だったのでこの本を買ってみました。以前,「輪違屋糸里」では全く泣けなかったという肩すかしの苦い経験があるのですが,今回は本当に泣けるのかしらん。
東京での仕事を終えた後は,銀座の山野楽器で「バッハ・アラウンド・ザ・ワールド」というDVDを購入し,あとはいつも行く旭川ラーメン「番外地」(八重洲地下)で塩バターコーンラーメンを食しました。東京へ行ってこのラーメン屋さんに行かなかったことは最近ではないと思います。絶対に美味しいと思います。この店ではカウンターで誰にも邪魔されず黙々と食べるのが好きです。
仕事も溜まっていることだし,東京での時間もほどほどにして,早めに名古屋への帰途につきました。東京駅で新幹線「ひかり」に乗車するとき,僕の後ろにおられたのは,おそらく女優の浜美枝さんだったと思います。それは女優としての全盛期に比較すればお年を召された感はありましたが,やはりオーラはありましたよ。偶然にも,名古屋駅で下車する時も列の後ろは浜美枝さんだったと思います。若干ドキドキしました(笑)。