その小学校の桜は本当に素晴らしい。徒歩で通勤する途上にあるその小学校は,その敷地の東西南北の全方向に桜の木が植えられていると思いますが,今は桜が正に満開で,その素晴らしさに思わず足を止めて魅入ってしまいます。
被災された世帯の児童は,それぞれの地でどのような新学期を迎えられたのでしょうか。ニュースでは一部地域の児童は集団疎開のような形で,他地域への転入学によって新学期を迎えざるを得ないということが報道されておりました。このたびの震災では言葉にならないような悲しみを味わったかもしれませんが,最終的には人こそ財産ですから,とにかく希望をもって学問に励んで欲しいと切に願います。
桜の花を見ていると,その美しさだけでなく,はかなさと潔さを感じます。自然の呼び声に応じていつでもこの世を去る覚悟ができている潔さです。「散る桜 残る桜も 散る桜」です。
さてそれにしても,潔い桜の話の直後にこういう話題で気が引けるのですが,菅直人という首相は,もう完全に引きこもった状態になってしまっています。無為無策の状態で,その出処進退についても潔さなどさらさらありません。
ただどうしてこういったことすらできないのかと思うのは,国際的,対外的な情報発信です。国際社会は,このたびの大震災に際し,多くの人的・物的支援をしてくれているだけでなく,義捐金活動も半端なものではありません。同盟国のアメリカの「トモダチ作戦」だけでも68億円の負担,台湾の義捐金活動による総額は100億円を超えたというではありませんか。本当にありがたいことです。一方,福島第一原発の事故処理については,諸外国も固唾をのんで見守っております。菅という人は,引きこもってしまっており,記者団の質問にも答えないような状況です。こんな人に,国際的,対外的な情報発信を期待しても無理なのかもしれませんが,なぜ,このたびの諸外国の支援に対して大々的に謝意を示せないのでしょうか。首相自らが電波に乗って,声を大にして「ありがとうございました。」と言うべきなのです。さらに,福島第一原発の事故処理の現状はこうなっています,現在はこういう方針で臨んでいます,危険情報を含め,情報はオープンにします,しばらくはご心配をお掛けしますがご協力をお願いします,となぜ言えないのでしょうか。彼は「最小不幸社会」の実現を○○の一つ覚えのように言っておりましたが,こういう人を首相にしてしまっているこの事態こそが「最大不幸」なのです。
読売ジャイアンツのブライアン・バニスターという選手が,東日本大震災後の3月15日,球団に全く無断でアメリカに帰り,その後再来日の意志はないと一方的に通告してきたため,制限選手扱いになっているそうです。それは確かに,大震災の後に大使館員を本国に引き揚げさせた国もあるくらいだから,この選手が本国(アメリカ)に帰りたかったのも無理はないかもしれないでしょう。しかし,「無断」はないでしょう。ジャイアンツとしては,こんな選手は早々に戦力外となった方がよかったと思います。
こんな人と比較するのは誠に失礼ですし,不謹慎かもしれませんが,私がよく見ている「ねずきちの ひとりごと」というブログでは,ねずきちさんが素晴らしいアメリカ人女性教員の記事を紹介してくれておりました。本当に感動しました。
この女性教員は,宮城県石巻市の小・中学校で英語を教えてくれていたテイラー・アンダーソンさんというアメリカ人です。石巻での教員生活も3年目に入っていたのですが,東日本大地震の直後,津波警報がけたたましく鳴る中で,教え子すべての子供たちを親に引き渡すまで,津波の恐怖から逃げなかったのです。彼女と一緒にいた小学校の関係者によると,地震直後,彼女は恐怖で泣きじゃくる子供たちを励まし,子供たちを親に引き渡すまで学校に待機し,最後の子供を親御さんに引き渡してから,自転車に乗って高台に避難しようとしていた際に,誠に残念にも津波にさらわれ,命を落としてしまったのです。
彼女のご親族やフィアンセもテイラーさんの死後,現地を訪れています。その際のお父さんは「娘は日本の文化や人々をとても愛していました。」とおっしゃっています。また,テイラーさんのご両親は,日本の復興を支援するための義捐金活動を始めるということですし,その理由についてお姉さんのジュリアさんは「それは、テイラーが望んでいたことだからです。彼女は、自分が魅せられた日本で、自分の望んだ世界に住んでいたと思います。彼女なら、この美しい日本が復興することを何より願っているはずです。私たちは、彼女の名にかけて、日本が元に戻るように働きかけていきたいと思います。」と述べています。また,お母さんのジーンさんは,テレビの取材に対し,「娘の死に方は、彼女の人生観を象徴しています。娘は人に対して深い思いやりを持った温かい性格です。彼女が、この世で行った最期の行いは人を救うことでした。それは何より、彼女の人柄を物語っています。テイラーは、生徒たちから、大好きな先生として慕われていたようです。私は、娘を誇りに思っています。」と話しておられます。・・・素晴らしいことです。このブログを書いている最中にも,泣けてきます。
この地震の翌日は,テイラーさんの勤務する学校の卒業式が予定されていたそうで,彼女は生徒一人一人に手書きで,英語と日本語を交えたメッセージを用意していたそうです。素晴らしいことです。ただ願わくば,他の同僚の先生が幸いご無事であったのなら,彼女を一人で自転車で避難させるような状況にせず,むしろ彼女を少しでも安全な方法へ誘導してあげることができていたら・・と思います。
あぁ,これほどまでに日本の文化や人々をとても愛し,魅せられていたアメリカ人女性がいたのです。我々日本人がこの日本を愛せなくてどうするのでしょう。
この時期に避難などといった言葉を軽々に発するのは不謹慎かもしれませんが,昨日私は,ある喫茶店から,あたかも避難するかのように逃げ出しました。昨日は午前中から約3時間,ある場所で法律相談を担当し,次のお仕事(労働者側と使用者側との間の紛争解決のあっせん)まで約1時間の余裕がありました。そこで思いついたのは,あるデパートの最上階にある中華料理店でとても辛いマーボー豆腐を食べることでした。
しかし,既に午後1時を回っているというのに,この日はあいにく満席のようでした。困った・・・。次の仕事が始まるまでに腹ごしらえをしなければ。結局,あちこちにチェーン店を展開しているある喫茶店に入り,サンドイッチとコーヒーを注文したのです。注文を聞きに来たのも,食事を持ってきてくれたのも同じ女性で,話し方から中国の方だと思われました。レジや食器洗い,その他の店員さんも,その話し方からやはり中国の方だと思われました。最近ではコンビニ店員も外国人を雇用しているケースが極めて多く,もう驚かなくなりつつあります。
ところが,その店員さんらの食器(コーヒーカップや水を入れるコップ)の扱い方がとてつもなく粗雑,乱雑で,尋常ではなかったのです。ガチャ,ガチャ,ガチャーンといったような音が,頻繁に私の席の後ろの方でするのです。特にコーヒーカップの仕様は厚くて頑丈そうだし,ひょっとして放り投げているのではないかと思ったくらいです。こんな食器の扱い方には,私は慣れておりません。恐怖感さえありました。午後のひととき,ゆっくりと食事をしながらコーヒーでも,と思っていたのに,ガチャーン,ガチャーン,ガチャ,ガチャ,ガチャーン・・・,です(苦笑)。私は,あわててサンドイッチをほおばり,あたかも避難するかのようにその喫茶店を出たのです。
午後2時から予定されていた仕事はうまくこなすことができました。でも,事務所に帰ってロッカーの鏡を見ましたら,何と私の右頬にパンの粉が2つほど付いたままだったのです。慌ててサンドイッチをほおばって,逃げるようにして避難したからでしょう。右頬にパンの粉を付けたままの紛争解決あっせんですか・・・。それだけで説得力がないのに,よく合意をしてくれました。私は普段から,ランチの時は,カレーや味噌煮込みの味噌などがワイシャツやネクタイに付かないように気をつけて食事するようにしています。なぜならば,法律相談や打合せなどで,いくら私が法律家として理路整然とお話ししても,カレーや味噌がネクタイ等に付いたままですと,依頼者などにとっては,それだけで説得力がなくなってしまうのではないかと危惧するからです(笑)。昨日は恥ずかしい思いをしました。ほっぺたですからね。それにしても,誰か教えてくれたらよかったのに。
さる3月26日には,名古屋市内で総勢約80名によるゴルフコンペが開催され,私は幹事の一人としてプレイもせずに裏方に徹しました。このコンペはずいぶん前から企画,準備されてきた訳ですが,このたびの東北関東大震災での甚大な被災状況にかんがみ,開催するかどうか熟慮されましたが,最終的にはチャリティーを兼ねつつ予定どおり実行することに決しました。
このゴルフコンペには,森口祐子さんをはじめとして合計3名の女子プロゴルファーもご出席いただきました。私は,このゴルフコンペの表彰式等の司会を担当したこともあって,森口祐子プロとお話することがあったのですが,大変に気さくな方でした。森口祐子プロは,何とツアー通算41勝,現在僅か6名しかいないLPGAツアーの永久シード保持者のお一人です。
このコンペも無事に終了し,表彰式も盛会でした。私もその他の幹事も,プレイもせずに裏方に徹したご褒美でしょうか,何と・・・,森口祐子プロのサイン色紙をいただくことができました。しかも,その色紙には私の名前も記載してくださいました。このサイン色紙さえ保持していれば,スコアアップは間違いありません。私のゴルフの守り神です。
また,チャリティーを兼ねたこのゴルフコンペの開催により,20万円近くもの義援金が集まりました。是非,被災地の皆様のために役立ていただきたいと思います。
東日本大震災の報道を目にするにつけ,今はただ,自分の置かれた立場でできることをするだけである。
それにしても,今回の大震災で改めて日本人の心の強さを感じた。フィナンシャル・タイムズ・アジア版(英国)が報道しているように「日本はこの災害に対し尊敬すべき忍耐力で立ち向かっている」と思う。以下に引用するツィッターのつぶやきはお気に入りのブログに掲載されていたものであるが,どのつぶやきも本当に私の心を揺さぶり,また涙を誘った。
-昨日の夜中,大学から徒歩で帰宅する道すがら,とっくに閉店したパン屋のおばちゃんが無料でパン配給していた。こんな喧噪の中でも自分にできることを見つけて実践している人に感動。心温まった。東京も捨てたもんじゃないな。
-4時間の道のりを歩いて帰るときに,トイレのご利用どうぞ!書いたスケッチブックを持って,自宅のお手洗いを開放している女性がいた。日本って,やはり世界一暖かい国だよね。あれ見たときは感動して泣けてきた。
-物が散乱しているスーパーで,落ちているものを律儀に拾い,そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。運転再開した電車で込んでいるのに妊婦に席を譲るお年寄り。この光景を見て外国人は絶句したようだ。
-(復旧して終夜運転に従事している東京メトロの)駅員さんに「一生懸命電車を走らせてくれてありがとう」と言っていた子供を見た。駅員さん泣いてた。俺は号泣してた。
-ホームで待ちくたびれていたら,ホームレスの人たちが寒いから敷けってダンボールをくれた。いつも私たちは横目で流しているのに。あたたかいです。
それに,お気に入りのブログの一つに「草莽崛起-PRIDE OF JAPAN」というのがあるが,そこには津波に襲われる直前まで必死で住民に無線放送で避難を呼びかけ,行方不明になった女性公務員のことが書かれていた(比嘉洋さんという方の記事)。遠藤未希さん(25歳)は宮城県南三陸町の危機管理課の職員であるが,彼女は,勇敢にも役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残って,住民に対し「早く逃げてください」と必死で避難を訴える無線放送を続けた。高さ10メートルの津波が同庁舎を襲うまで。そのとき彼女は庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていたが,無情にも津波は彼女をさらった。今もその行方は分かっていないということである。その庁舎は今は赤い鉄骨を残すだけになっている。生き残った職員の話によると,未希さんは荒れ狂う波に流されてしまったとのこと。彼女の必死の避難放送で助かった人も多い。
彼女は自らの生業(なりわい)を全うしたのだ。不覚にもまた泣けてきた。
きのう,裁判所での仕事を終えて車で事務所まで戻ろうと中日新聞本社前の道路を信号待ちしていたら,将棋の加藤一二三九段(元名人)にそっくりな人を見た。確信まではもてないが,そっくりというより棋士の加藤さん本人だったのではないかと思う。つい1か月ほど前にNHKで加藤さんの将棋解説を見てその最新の風貌も知っているし,中日新聞は将棋の王位戦を当時3社で主催しており,加藤さんは元王位でもある。何かの用事で中日新聞本社に来ていたのではないか。自分の高校時代,大学時代はけっこう将棋を指していたし,居飛車一辺倒の加藤さんの棋風は好きだった。
将棋で思い出したけど,先日,NHKで「将棋界の一番長い日~第69期A級順位戦最終局~」という番組を最初から最後まで見た。これも偶然にチャンネルを合わせたら巡り会えたのである。この番組は毎年A級順位戦の最終局を中継し,その息詰まる熱戦の模様,名人戦挑戦者の決定やB級1組への降級者の決定など,悲喜こもごもの様子が手に取るように分かるのである。棋士同士の生のドラマなのである。そして,A級といえば,棋界の頂点を極める者達のすみかであり,彼らが全身全霊を打ち込んで繰り出す最善手,鬼手が満載の将棋もとても見応えがある。
今年の名人挑戦者は7勝2敗で森内俊之九段となり,彼が羽生善治名人に挑戦する。第18世名人と第19世名人との対決である。ほんとにすごいねぇ・・。
それにしても,勝者と敗者が分かれる瞬間,すなわち投了の瞬間は,敗者の心情を思うと見ている私たちも辛いものがある。詰みが発見された瞬間も・・・。将棋の詰みというのは,王将がどこにも逃げられなくなることをいう。
産経新聞の記者が書いていたけど,そういう意味では,菅政権や民主党政権は既に詰んでいる。詰んでいるんだから,もう国家,国民のために一刻も早く投了すべきである。
さてさて,同業者同士の来週の京都旅行に備えて,新撰組コース責任者の私は,昨日(3月3日)も下見に行ってきました。本当は仕事をやりたかったのですけどね・・。でもその一方で,京都の一人散策はこれまた楽しい。
最初の目的地は京都御所でした。と,ところが・・・,地下鉄今出川駅から地上に上がった瞬間に私が見たものは,相当の勢いで降っている雪でした。もう,おひな祭りだというのに。ああ,今日の下見は先が思いやられる。早速コンビニで500円の透明ビニールの傘を買い,当日の昼食会場までの足取りを確かめた後,京都御所に向かいました。京都御所の中へは事前の参観許可書が必要ですので(当日の分は既に入手済みです),この日は許可書受付までの道順やその周辺(京都御苑),蛤御門などを確かめておきました。
そうこうしているうちに,午前11時30分となりました。少し早かったのですが,次の目的地である壬生界隈に向かう前に,御所周辺でランチをとることにしました。その日の晩は,娘のあかねちゃんの期末試験終了慰労とひな祭り祝いをかねてしゃぶしゃぶをすることになっておりましたので,軽めのランチにしました。場所は,京都御所蛤御門のはす向かいにある小さな喫茶店でした。店内には客は誰もおらず,おばあさんが一人で頑張っておりました。カレーライスとコーヒーを注文。少し経った頃,電子レンジ何かの「チン」という音がしました。出てきたカレーライスはごく普通のものでしたが,明らかにレトルトカレーだと思われます(笑)。でも,腹も減っていたし,そこそこ美味しかった。食べている間,コーヒーをいただいている間は,そのあばあさんとずっと世間話でした。昔のひな祭りではちらし寿司を毎年作って嫁いだ娘に食べさせたこと,そしてもうこの場所で43年間も喫茶店を続けているとのこと。何よりです。細々ですが,京都御所の直ぐ近くで半世紀も喫茶店の営業をしてこられました。これからも長生きして欲しいと思いました。
さて,それから向かったのは壬生の光縁寺です。新撰組総長であった山南敬助らの墓所です。ご住職が丁寧に応対してくださり,墓参りをして帰ろうとすると,ご住職は戸を開け放ち,本堂とご本尊を見せてくださいました。そこでも約30分くらい話し込んでしまいました。壬生の人たちの新撰組に対する感情は相半ばするのかもしれませんが,忘れ去られることはないでしょう。
次に前川邸を経て,八木邸です。新撰組の一番最初の屯所の一つで,芹沢鴨らが粛清された場所でもあります。その際にできたと言われる柱の傷も見てきました。その後は,壬生寺です。ここも新撰組ゆかりの寺で,地下には平安時代にできた仏像もありました。仏像などを眺めると本当に気が休まります。
もうこれで新撰組コースの道案内等は完璧です。さてこの段階で午後2時ころになっておりました。歩き疲れていた感はありましたが,前回の下見の時と同様,再び新選組記念館の青木さんを訪れました。アポなしです(笑)。いつもどおり2つの灯油ストーブが置いてあり,アットホームな記念館です。何かに憑かれたように,どうしても足が向いてしまうのです。それくらい青木さんは,おそらく入れ歯だと思うのですが(笑),魅力的なのです。青木さんは京都で生まれ,同志社大学を出て長年銀行マンとして活躍し,民家を改造して新選組記念館を作ったのです。玄関先には新選組の旗が立てられています(笑)。私が青木さんの所を訪ねると,なまじ私も新選組に関するそこそこの知識があるものだから,どうしても長話になってしまうのです。青木さんは次から次に私に資料をくれます。恐縮してしまいます。遠慮したのですが,勝海舟と木戸孝允の肖像画もくださいました。どうせいただくならば,本当はその間にあった西郷隆盛の肖像画が欲しかったのですが・・・(笑)。そんな最中に地元の信用金庫の人が預金勧誘の営業活動にアポなしで訪ねて来ても,青木さんはイヤな顔一つせず,部屋に「上がられますか。」と勧めるような人なのです(笑)。青木さんは本当に新選組と歴史と京都を愛する人なのでしょう。光縁寺のご住職も青木さんのことはご存知でした。
約1時間青木さんと話し込んだ後は,やはり小腹が空いたので,南座の向かい側(祇園の入り口)辺りにある「一銭洋食」に行きました。時間帯が食事時ではなかったため,お客さんの人数よりも,店内に飾られているマネキンの方が数が多かったようですが(笑),お好み焼き風の美味しいおやつです。途中で40歳代と思われる金髪の外国人女性も一人で訪れました。彼女も「一銭洋食」が好きなのでしょう。
3月11日と12日は,同業者同士で京都旅行の予定になっております。総勢100名を超える大旅行ですが,私はその中の「新撰組コース」の責任者の1人です。旅行を成功させるには何より下見が重要であることはよく分かっております。そんな訳で,昨日は京都まで下見に行ってきました。1日で全行程の下見をすることは無理ですが,昨日は主として第2日目の行程の下見を行いました。新幹線「のぞみ」に乗れば名古屋から京都までわずか32分で着いてしまいます。近いものです。
まずは二条城に到着。入場料600円を払って全体をくまなく見ました。二の丸御殿の中には大政奉還の間もありました。二条城の敷地全体は早歩きで約45分で下見ができましたが,問題はその後でした。京都所司代屋敷跡と京都守護職屋敷跡を徒歩で探し回ったのですが,結局は分からずじまい。これで相当に歩き疲れてしまいました。
昼食をとって,次は新選組記念館です。新撰組に関するディープでマニアックな世界に浸るべく(笑),この記念館を今度の行程に加えました。あらかじめ館長の青木繁男さんに予約を入れておきましたが,何しろ所在地がわかりにくかったので,五条千本の交差点に着いてから電話を入れたら,丁寧に道を教えてくれました。中に入ってみると,ご自宅を記念館に改造したらしく,京都の古民家風でアットホームな感じで,いろいろな資料がありました。何よりも館長の青木さんはいい人でした。
新撰組をめぐる話題で,青木さんとは大変に話がはずんでしまい,長時間お邪魔をしてしまいました。その間にも,家族連れや若い女性一人での来訪などもあり,結構繁盛しております。青木さんにはこの新選組記念館からの散策コースについてのアドバイもいただきました。また,新撰組で一番の手練れ(てだれ)は誰だと思うか,坂本龍馬を暗殺した人物は誰か,吉村貫一郎の実際の最期はどうだったと思うかなどの質問をしましたら,それまでの自分の研究を踏まえ,大変興味あるお話をいただきました。いやー,面白かった(笑)。当日も小一時間くらい,お話をしていただく手はずとなったのです。
少し長居をした後に新選組記念館を辞去し,青木さんからもらった資料やアドバイスにしたがってその後の行程の下見をしたのです。具体的には,輪違屋,角屋,西本願寺(太鼓楼など),七条油小路,本光寺,新撰組最後の屯所となった不動堂村などを経て,京都駅に到着したのです。このうち,本光寺には確か暗殺された伊東甲子太郎が絶命直前に腰掛けたと言われる石などがあると思ったのに,表には出ておりません。私がそこでメモを取りながら佇んでいると,後ろから声を掛けてくれた人がおりました。はす向かいで理容店をやっているご主人です。この方とも少しばかり立ち話をしました。やはり歴史好きの人はいるものです。どうやらこの本光寺のご住職は最近亡くなり,現在は住職不在で,門のカギをこのご主人が預かられているとのこと。門を開けてもらいましたら,そこに伊東甲子太郎殉難の碑がありました。旅行当日は,私が理容店をのぞき,合図をしたら門を開けてもらえる手配をしてきました。このご主人も感じが良く,新選組記念館の青木さんのこともご存知でした。
さて,本番の旅行当日までにはあと1回,主に第1日目の行程の下見が必要だろうと思います。この時も青木さんと話し込んでこようかな。とにかく青木さんはいい人でした。
いつのことだったか,数日前の食後のひととき,うちのカミさんの携帯電話にメール着信の音が鳴った。どうやら彼女の高校時代からの友人で,主婦をしている仲間からのメールだったようで,その息子さんがこのたび希望の私立中学に合格したらしい。
その方には一度もお会いしたことはないが,以前からその方の名前は聞かされており,うちの娘のあかねちゃんより5つほど年下の男のお子さんがいらっしゃることも知っていた。そうか,その息子さんももう中学生になるんだな,早いものだと感じるとともに,その受験合格の吉報を嬉しく思った。
今も覚えているのだけれど,その方は,娘のあかねちゃんが誕生して間もなく,手作りのパッチワークの手芸品と,赤ちゃんでも片手で握ることのできる大きさの人形を贈ってくださった。どういう訳かそのことははっきりと覚えているのだ。うちのカミさんもその方も,結婚した時期はそれほど離れてはおらず,お互いに早く子供が欲しかったと思う。その方は一足先に子宝に恵まれたカミさんと生まれたばかりのあかねちゃんに,心のこもった贈り物をしてくれたのだ。そのパッチワークは,ファスナー付きのいくつかのポケットがちりばめられていてそれで子供が遊ぶことができるようになっており,心を込めて作られたことがありありと分かるのである。そのパッチワークの上で寝転がっているあかねちゃんの写真もある。また,それ以外にもさきほど述べた人形の贈り物もあった。人形といっても,クマさんか何かの動物で,その表情が何とも可愛かったのである。
その贈り物を目にした時,私は,ああ,この方はうちのカミさんの本当の友達なんだな,カミさんも心根の優しい良い友達をもって幸せ者だなと心から感じたものである。今でもそのことをはっきりと覚えている。それから約5年後,幸いにしてその方も子宝に恵まれ,もうそのお子さんが晴れて中学生となるのである。月日の経つのは早いものだ。一方,そのあかねちゃんも,来年の今頃は大学受験という修羅場を迎えることになる(笑)。
先日,カミさんの携帯に届いた真の友人からのメール。ちょっと遠い昔に感じたほのぼのとした感謝の念がその時よみがえってきたのである。
二日酔いの朝など食欲のない日以外は,朝食には必ずと言っていいほど納豆をいただいております。納豆というのは美味しいですね。この日本古来からの食品は,何と言っても健康に良さそうだという安心感がありますし(もちろん国産大豆のものを選んでおります),美味しいから食べてしまいます。冷蔵庫に1つしかない場合には,誰がそれを食べるのかについて,娘のあかねちゃんとジャンケンして決めようと提案しますが,最近ではあかねちゃんが譲ってくれます。とてもよくできた子で,大人だと思います(笑)。なお,うちのカミさんも納豆はたまに食べますが,あまりこの食品には執着はないようです。
さて,私は自分で言うのも何ですが,けっこう読書家だと思います。いろんな本を読みはしますが,ついこの間,納豆の本まで読んでしまいました。「納豆は効く」(須見洋行著,ダイナミックセラーズ出版)という本です。この著者である須見洋行さんは医学博士で,何と,ナットウキナーゼの発見者なのです!
これまで漠然とではありますが,健康には良かろうと思いながら食べていた納豆ですが,本当に健康に良いのです。納豆には凄みすらあります。剣の腕にたとえれば「手練れ(てだれ)」といってもいい(笑)。この本はさすがに医学博士,そしてナットウキナーゼの発見者が論述されているように,納豆の凄さが各種データに基づき,理論的に示されております。では,納豆に含まれる有効成分ごとに簡単に受け売りをさせていただきます。
まずはナットウキナーゼです。これは血栓溶解酵素で血液の浄化作用もあり,脳卒中や心筋梗塞,老人性認知症の各予防に効果を発揮します。その血栓溶解作用の凄さはデータ的にも実証済みです。
次に,レシチンです。これは細胞にとって必要な物質(栄養分)を取り入れ,不要な老廃物を排泄し,生命の基礎となる代謝に深く関与し,血液中のコレステロールや中性脂肪を除去してくれます。またインスリンの分泌を活発にして血糖値を下げる働きもあるそうです。ありがたいじゃありませんかっ。
さらには,サポニンです。これには正常細胞がガン細胞に変化するのを抑制する作用があり,乳ガンや前立腺ガンの予防にも効果的のようです。まぁ,私の場合は,かつてマンモグラフィー検査という男性にとっては筆舌に尽くしがたい検査を受ける羽目になった経験はあるものの,乳ガンは大丈夫だと思いますけど。
さらには,イソフラボンです。これには悪玉コレステロールが酸化するのを防ぐので,血管の老化を抑える効果がありますし,女性ホルモンと同様の働きもあるそうです。女性ホルモンと同様の働きといえば,ひょっとして大切な髪の毛,育毛にも良いかもしれない。実際に,頭皮の毛母細胞,毛乳頭まで栄養を運んでもらうためには何よりも血液がサラサラでなければなりませんし,イソフラボンはそのような作用もあります。私と同業のY弁護士も薄毛に悩む一人ですし(ただ,最近では妙に明るくてハゲの悩みから達観したかのような感じもあります),彼にも納豆をお勧めしようかしら(笑)。
このようにして私は,毎朝美味しく,しかも健康でいたいと思いつつ,しかも副次的には髪の毛がフサフサになるように期待しながら,納豆をいただいているのです。