いくら何でも,平日だけでなく,土曜日も日曜日も仕事という人生は送りたくない。残念ながら今は仕事がたまってしまって,そういう週がないとはいえない。でも,せめて日曜日の朝ぐらいはゆっくりしたいものである。
私は昔から,日曜日の朝は,朝ご飯を食べてから再びふとんの中に潜り込み,NHK教育テレビの「日曜美術館」にチャンネルを合わせることが多かった。音楽好きは昔からだけど,美術の世界にも何となく興味があったからだし,本当に美術の世界は私の知らないこと,興味をひくことが多すぎる。この番組に触発されて実際にその美術を鑑賞するということもあった。
それに,この「日曜美術館」の司会進行役には,NHKのアナウンサーだけでなく決まったゲストがいて,西村由紀江さんとか,森口瑤子さんとか,檀ふみさんとか,彼女らの美貌やソフトな語り口に癒され,そして何よりも幅広く取り上げられた美術の世界を垣間見るのが楽しみだった。
でも悪いんだけれど,最近ではどうもチャンネルを合わせる気がしないのである。最近のゲストはずっと姜尚中という人であり,なんかピンと来ない。いつも訳知りのシタリ顔だし,何か押し殺したような発声の仕方,そのコメントもなんかなーという感じなのであり,少なくともせっかくの日曜日の朝から見たい顔ではない。
そういう訳で,その日も結局チャンネルを変えてしまい,のんびりとチャンネル上でブラブラしていたら,な,何と・・・9時25分からあの懐かしの,心から再会したかった「ぜんまいざむらい」がやっていたのである。懐かしいー。ありがたいー。ぜん様,ずきんちゃん,豆丸に逢えたのである。ようやく癒されたのであった。もう少し放送時間が長ければいいのに(笑)。
そういえば,先日のテレビ朝日の「報道ステーション」で菅直人という,それはそれは器量の小さい,日本国首相のイスには全く場違いな人が出演していたが,普段の同番組の平均視聴率が13~14%程度はあるのに,この時だけは一挙に6.9%に暴落したのだと(爆笑)。視聴者は正直なもので,この時に一斉にチャンネルを変えてしまったとしか思えない(笑)。やはりあまり見たくない顔というのはあるようだ。
昨日も大変寒い一日となりましたが,大津の裁判所まで仕事に行きました。大津へ行くには新幹線で京都まで行ってからの旅になります。この日の大津での裁判は午後3時開始でしたから,昼食を京都でとるつもりで少し早めに名古屋を出発しました。
今年の3月中旬に,同業者の集まりで大勢で京都旅行を予定しており,私は,このうちの新撰組コースの案内人を仰せつかっておりますので,新撰組コース第1日目の昼食会場として既に予約済みのお店へ,下見に行こうと思い立ったのです。そのお店は「御所 雲月」といいます。JR京都駅から地下鉄を乗り継いで京阪の「出町柳」という駅で降り,歩いて約15分くらいの所でした。今出川通りを同志社女子大方面へ歩き,今度は寺町通りを少し歩くと到着でした。かなり迷うのではないかと心配したのですが,なんとかたどり着きました。お店の名前どおり,京都御所の割と近くのお店です。
予約もなしに一人で訪れたのですが,少し待っただけですぐに部屋に通されました。建物は相当に古いようですが,何とも味わい深いお店で接客もよく,午後の少し遅い昼食をとることになりました。おしながきの中でランチとして候補になりそうなのは,「穴子のおろし天丼と上賀茂野菜のけんちん汁」,「焼肴(やきざかな)と京漬物の京風茶漬」でした。迷ったのですが,穴子の方にしました。ほどよい量で本当に美味しかった。穴子の天ぷらには大根おろしが抱き合うようにして乗せられておりましたし,さらにその上にはシャキシャキと食感のよい水菜がちりばめられておりました。天ぷらの油をくどく感じさせないような配慮なのでしょうか。それと大きく具材を切った上賀茂野菜のけんちん汁も本当に美味しかった。このけんちん汁は薄い味噌仕立てでしたが,あっさりしていても出汁がよくきいていました。よいお店でしたし,よい下見ができました。
店を出て散策気味に歩いていると,初老のご婦人が二人,少しばかりの世間話をした後,何度も何度もお辞儀をして別れるシーンを見ました。日本人のしきたり,作法が残るよい町でした。
それからはゆっくりと大津の裁判所に向かったのですが,地下鉄の京阪三条という駅からは浜大津まで乗り換えなしで行くことができました。あとは浜大津からは旧東海道の風情を楽しみながら裁判所に到着し,無事に大事な仕事を終えたのです。
京都から名古屋へ向かう新幹線の車内では,前回の時はビールとおつまみでご機嫌でしたが,さすがに今回は二日酔い気味でもあったため(笑),京都と大津の町並みを思い浮かべながら静かに帰途についたのです。
私は朝食に納豆を食べることが多い。何となくではあるが血栓を溶かしてくれそうだし,血液もサラサラになりそうだし,さらに良質のタンパク質,ビタミンB1,イソフラボン,亜鉛などが育毛に良いのではないかという「信仰」があるからだ。おそらく私が朝食で納豆を食べる割合は87%程度に達しているだろう。一方,娘のあかねちゃんも,父親が好むものを負けじと試してみる傾向があり,最近では彼女も朝食に納豆を食べる割合がおそらく71%を下らないと思う(ちなみに,うちのカミさんのそれは12%程度に過ぎない)。
ある日の朝食時,娘のあかねちゃんも納豆を食べるというので,私は冷蔵庫から納豆を2つ取り出し,私とあかねちゃんのランチョンマットの上に1つずつ置いた。見ると別々の銘柄の納豆しかなく,一つの方の賞味期限はもう一つのそれよりも3日ほど早い。でもいずれもまだまだ期限までに余裕はあるのだが,私は少しズルをして新しい方を取った。ただ,このうちの1つは大粒の納豆,もう1つは小粒の納豆であったことは明らかだったのだが(なお,うちの家族は国産大豆のものしか食さない),包装のフィルムが外されていたので外部からはどちらが大粒でどちらが小粒なのか判明しなかった。
とりあえず私の方のパッケージを開けてみると,ショックにも小粒の納豆だった。し,しまった・・大粒の方が良かったのに・・。そこで私は,遅れて着席したあかねちゃんに,何食わぬ顔で「賞味期限からするとこっちの方が新しいから換えてあげるわ。」と言って,少し遠慮し,固持したあかねちゃんではあったが,「新しい方がいいでしょ?」と言って,交換した。私はこのようにして,大人げなくも大粒の納豆の方を手に入れ,そそくさとマスタードやたれを入れてかき回し始めたのである。
その後にパッケージを開けた娘のあかねちゃんは,いつもと若干違う少しばかり鋭い視線を私に投げかけた・・・。父と娘の間に一瞬,緊張が走った(笑)。どうやらあかねちゃんも,大粒の納豆の方が良かったらしい。あかねちゃんは,利発なのか,瞬時にして私の目論見を見破ったのである。見破られた決定的な理由は,私が一度パッケージを開けた後で交換を申し出たからである(笑)。新しい方を相手に譲るのであれば白いパッケージに印字された日付を見れば足り,何もふたを開ける必要はないからだ(笑)。でもマスタードを入れないあかねちゃんとしては,もはや取り戻すことはできなかった(笑)。
見破られた後,私はあかねちゃんに,「お為ごかし」という味わい深い日本語の意味を講釈してお茶を濁しつつ,許しを請うのであった。
(注)「お為ごかし」・・・表面は人のためにするようにと見せかけて,実は自分の利益を図ること(大辞泉)。
こんな私でも,個別的労使紛争の解決のためのあっせん活動に一役買っている。労使間の労働紛争,たとえば,解雇,雇い止め,労働災害などで紛争が発生した時に,厚生労働省からの委託を受けて話し合いのあっせんをさせてもらっているのである。話し合いには紆余曲折あるが,ちゃんとまとまる(合意が成立する)ことが多い。
昨日もめでたく合意が成立した。その合間にあっせん員の控え室の一隅に何気なく目をやると,厚生労働省のパンフレットがあった。そのパンフレットの表紙には,ちょっと懐かしい人の姿があった。お笑い芸人のヒロシである。そのパンフレットには,「ヒロシです。悩んでるだけでは、いかんとです。」とあった。懐かしい不幸顔である。割と好きな芸人であった。数年前に発行されたパンフレットだろうが,彼はこのような形でも活躍していたのだ。例の自虐ネタで公の仕事もしていたのだ(笑)。
ヒロシのネタで好きなのは・・・。
「今度会うときは違う服を着てきてねと言われたことがあります・・・」
「友達の家に遊びに行ったら、おれのシャツとカーテンが同じ柄だったとです!!・・・」
「こんな布団もう嫌だと思いながら14年が経ちました・・・」
「猫から睨まれました・・・」
「携帯電話が鳴らないから・・・たまに鳴るとビックリするとです・・・」
「彼女の浮気が心配で、こっそり携帯電話をのぞいてみました・・・俺の番号は、取引先のグループに分けてあったとです・・・」
私は,厚生労働省のあっせん員の控え室の一隅で,懐かしい芸人を思い出し,感慨にふけっていたのであった(笑)。
先日ある年配の方と一緒に歩いていましたら,それはそれは本当に美しい花が咲いておりました。割と高い木に咲いていたのですが,人間の握り拳の大きさで真っ白いきれいな花でした。私は恥ずかしながらあまり花には詳しくないので,その年配の方に「何の花でしょうか。」と尋ねましたら,「これはさざんか(山茶花)ですよ。」と教えてくれました。真っ白の見事なさざんかでした。そうか,さざんかというのはこんなに美しい花だったのかと思いました。また自分もいい年をして何も知らないのだなと恥ずかしく思いました。若い頃には路傍の花やその他の自然に見入るようなことはほとんどなかったのですが,最近では年のせいか,それとも精神的な余裕か,それとも現世への未練か,自然に見入ることが多くなりました。
さざんかで思い出したのは,童謡の「たきび」です。この歌の2番は次のような歌詞になっております。
「さざんか さざんか さいたみち たきびだ たきびだ おちばたき あたろうか あたろうよ しもやけ おててが もうかゆい」
いい歌ですね。好きな歌です。特に「あたろうか あたろうよ」という箇所も好きで,これは子供たちの会話のようで,とりわけ仲良し同士という感じがよく出ています。そうか,この夏はあんなに暑くて閉口したのに,もう「きたかぜぴいぷうふいている」季節になってしまったのですね。
また,私の好きな俳人種田山頭火には,さざんか(山茶花)を季語にした次のような作句があります。
「雨の山茶花の散るでもなく」
「また逢へた山茶花も咲いてゐる」
昨日のブログで櫻井よしこ氏の講演を聴いたことに触れたが,今度は同氏が第26回正論大賞を受賞されたというニュースである。誠に喜ばしいことである。この正論大賞というのは,フジサンケイグループが主催する「特筆すべき言論活動を行ったオピニオンリーダー」に贈られる賞である。
この正論大賞の過去の受賞者を見てみると,渡部昇一,曾野綾子,西尾幹二,田久保忠衛,江藤淳,石原慎太郎など錚々たる言論人ばかりである。櫻井よしこ氏のこれまでの執筆,講演活動などを評価すればこのたびの受賞も当然のことであろう。
この受賞に寄せての櫻井氏の言葉が産経新聞に掲載されていたが,その中に「書くことは、考えるというひとり作業である。現在進行形の世界の状況を横軸としてとらえ、それを、縦軸としての長い歴史の中に置きつつ近現代史の一次資料に当たる。先人たちの思想や行動が少し身近に感じられるようになるとき、横軸と縦軸の交差地点に浮かんでくる現在の日本の姿ほど心もとないものはない。戦前戦後を通じて、日本が繰り返し犯してしまう失敗の根深い原因も、両軸の交差する地平から見えてくる。特に戦後の日本の営みを見詰めるとき、わが国に理念が欠落し、政策に一貫性が欠けているのは明らかだ。なぜ、これほど漂流するのか。現状への深い失望や憤りは、日本を愛すればこそである。」とあった。私も日本国を愛する一人として,櫻井氏の今後の活躍を期待したい。櫻井よしこ氏は,「日本文明を誇りとする」立場から,シンクタンク・国家基本問題研究所の理事長としても活躍されている。
日本文明といえば,サミュエル・P・ハンティントンは「文明の衝突」という著作の中で,世界を9つの文明に分け,いわゆる中華文明とは明らかに異なる独自の文明として日本文明をとらえている。この誇りある文明は,今後も死守していくべきものである。その何物にも変えがたい日本文明の面影は,特に江戸時代の庶民や武士の生活にうかがえる。それを手に取るように著した好著が「逝きし世の面影」(渡辺京二著,平凡社ライブラリー)である。
先日,カイロプラクティックの施術を実際に体験してみた。私の事務所から近い所だったし,施術を受けてみて良さげだったら,通うのにもおっくうではないと思ったからである。カイロプラクティックというのは,ウィキペディアによると,WHOで認可されている代替医療のひとつで,疾病の原因が脊椎などの椎骨(運動分節)の構造的,機能的な歪みにあるとし,アジャストメントといわれる施術(手技)によって歪みを調整するのがその基本方針のようである。
私が一度カイロプラクティックを受けてみようと思い立ったのは,他でもない,肩こり,首こりがひどいからである。これまではそれらを改善しようとして,高い頻度でマッサージに行っていた。でも最近,首や肩をかなり強い力でゴリゴリやってもらっても,その直後は何かしら血流が改善されて楽になるのだけれど,だんだん揉み慣れというのか,首や肩の辺りが固くなってしまったように感じたからである。そもそも首こり,肩こりの原因は悪い姿勢を長時間続けていたりして,ひょっとしたら骨組に歪みが生じ,筋骨格系,神経系統に機能的な異常を生じさせているのではないか,むしろこれを改善すべきではないかと素人ながらに思ったからである。
さて,一度このカイロプラクティックという施術を受けてみたのだが,良さげである。カイロプラクターというのは国家資格その他の資格が要るわけではなくその知見や技術にはバラツキがあるようだが,この前やってもらったカイロプラクターは説明も豊富で,施術も上手で,楽になったのである。血液やリンパの流れも改善し,免疫力も高まるとのこと。体が元気になるんだったら当分の間,続けてみようと思う。
血流も良くなると,ひょっとして育毛にもいいかもしれない(笑)。年齢はかなり違うけど,同業のY弁護士とは熾烈なハゲ争いをしているが(少しでもハゲの進行を遅らせるという意味),彼にもカイロプラクティックを勧めてみようかしら(笑)。だって,頭部のコリも改善してくれて,育毛にも良さげなんだもの。
なお,Y弁護士との熾烈なハゲ争いは,どうやら彼の潔い言葉で決着がついたようである。少し前のことであるが,ある宴会でトイレに立った際,部屋の出入り口でY弁護士と会話をしたことがあった。その際,彼の口から「先生は年齢の割にそれだけ(髪が)あったら,勝ち組ですよ。」と発言したのである。囲碁や将棋で言えば,「投了」のような言葉であった。誠に潔い。見直した(笑)。往生際がよい。だからと言って,毛髪的に上から目線になってはならず,熾烈なハゲ競争を戦った良きライバルに対して,カイロプラクティックでも勧めようかしら。
去る金曜日は仕事の関係で大津に行ったのだが,住みやすそうななかなかの町だった。大津は東海道五十三次の宿場だったのだが,よく調べてみるとその次の宿場はもう京都の三条大橋なのである。実際に新幹線を利用して京都まで行き,ローカル線に乗り換えると,京都から約9分で大津に到着してしまう。すごく京都に近い町なのである。
大津駅に着いたのがちょうどお昼どきだったので,駅に近いビルの中にある手打ちうどん・そばのお店に入った。「三喜」という屋号のお店で,鶏そぼろごはんとそばがセットになったメニューを注文した。老夫婦が一生懸命に厨房内で働く姿に好感がもてた。ごちそうを食べながら,でも何で「三喜」という屋号なんだろうと思っていたら,割り箸が入っていた紙の袋にヒントがあった。そこには「父母私 三人が 舌鼓み」とあった。なるほどね。
その後は,現地でお仕事。これも無事に終了。あとは現地でゆっくりしようかなと思ったのだが,この日は午後6時から名古屋で会合が予定されていたため,あまりゆっくりもできない。そこで思い立ったのが,せめて琵琶湖を眺めようということである。大津でのお仕事の先から琵琶湖までは歩いても20分くらいの距離だった。かばんは重かったが,琵琶湖周辺をゆっくりゆっくりと歩いた。いい町だなと思った。道行く人もなぜかみんな穏やかな表情なのである。精神的にゆとりのある表情なのである。地図で見ても,琵琶湖は滋賀県のど真ん中に堂々と位置している。琵琶湖は滋賀県民の心を一つにまとめるような何かがある。湖畔の町大津は,特に住民が共通して感じるアイデンティティーの一つとして琵琶湖があるのだろう。
琵琶湖散策の後は,ちょこっとだけ旧東海道も覗いた。往年の面影を感じたいのであれば,むしろ浜大津の方が良いのであろう。この日はもう時間がなかったので,帰途についた。午後6時からは名古屋でちょっとした宴会だったのだが,京都から名古屋へ向かう新幹線の中で,フライングしてビールをいただいた(おつまみは鯛ちくわであった)(笑)。
昨日,2年ぶりに人間ドックを受けた。いろいろな検査種目があるが,ようやく自分の一番苦手な検査種目が何なのか,この日はっきり分かった。腹部エコー検査である。どうしても途中で笑うというか,吹き出してしまうのである。悪気は全くないのだが,検査をしてくれている医師に対しては誠に失礼な話である。前にもこのブログで書いたが,私は,状況的に絶対に笑ってはいけない時にはかえって強迫観念が高じて,結局は笑ってしまう性質の人間なのである。
腹部エコー検査のこの時の担当者は,2年前と同じ年配の男性医師であった。2年前の時も笑ってしまって気まずくなったので,今回も笑ったら嫌だなと思って診察台に横になっていた。いよいよ始まったが,結局は2,3度吹き出してしまった(笑)。私はそういう星の下に生まれてきた人間なのである。笑っちゃいけないと思うと笑っちゃうのである(笑)。だって,どうしてかというと,特にこの腹部エコーの担当医師は,被検者に息を吸い込んで腹部をふくらませる指示をする時に,「はい,おなかポーン」,「おなかポーン」,「ポーン」って言うのだ(笑)。もう少し別の言い方をしてくれたっていいのに(爆笑)。感覚的には分からなくもないが,でも何で「ポーン」なんだ?
まあ,幸い腹部には異常はなかった。それに,胸部X線撮影検査の際も,誠に不謹慎ながら側面撮影の時に笑ってしまった(笑)。だって,この男性レントゲン技師の人は,被検者に指示する時の声と言い方が歌舞伎役者のようなんだもの(爆笑)。正面撮影の時は何とか笑わずに必死で我慢したが,側面の時は「息を止めて」と言われたにもかかわらず,撮影中に2度にわたって笑ってしまった(爆笑)。これは絶対怒られるだろうな,撮り直しだろうなと思ったら,不思議なことに何のおとがめもなく終了した(笑)。
人間ドックの最終的な検査結果は後日突きつけられるが,当日分かった数値を見ると,予想したほど不健康ではなかった。大切な検査中に笑ってしまうという精神状態こそが不健康なのかも・・・。
なお,身体測定の時に機械で計った私の身長は171㎝だった。それで思い出したのは,かつて私が所属していた比較的大人数の事務所の同僚弁護士の面々のことである。私が独立する数年前から,割と小柄な弁護士,たとえばK弁護士,H弁護士などが続々とその事務所に入って来た。それまでは最も小さかったN弁護士が鬼の首をとったようにその後輩の小柄の弁護士との差別化を図り,150㎝台後半と思われる各後輩弁護士を前に自分は「164㎝ある」と声高に主張していた。返す刀で,そのN弁護士は,正真正銘171㎝ある私に対して,「本当に171㎝あるんですか?もう少し小さいんじゃないですか?」などと言いがかりをつけたこともある。要するに,四捨五入しても170㎝台に到達しないうっぷんをはらそうとしていたのかもしれない(爆笑)。大人の私は全く取り合わなかった。一方,同じ事務所にいたY弁護士は,確かに一番背が高いことをいいことに,自分の身長を178㎝と吹聴していた。しかし後日,それが実際には174㎝しかないことが発覚した。こともあろうに,大胆不敵にも4㎝もゲタを履かしていたのである。弁護士は,人権擁護だけでなく「社会正義の実現」という重要な使命を担っているのに,この始末である。まあ,N弁護士の164㎝については実は今でも疑念をもっているが,私の身長が171㎝であるという厳然たる社会的事実は,昨日の人間ドックで改めて証明されたのである。
他人の食べ物の好みなんか知りたくもないとお思いでしょうが,今日は僕の嫌いな食べ物のことが話題です。彼らに全く罪はないが,僕の嫌いな食べ物は,内臓(ホルモン,レバー,砂肝など),フグの白子,ホワイトアスパラ,なまこ,・・・そしてギンナンです(笑)。
僕はこれまでのところギンナンで失敗したことはない。失敗という意味は,うっかり食べてしまうということである。ギンナンの生息地はたいていの場合は,茶碗蒸しの底の方である。これまではスプーンで首尾良く探し出し,誤食(笑)を未然に回避してきた。自慢じゃないが,これに失敗したことはない。
しかし先日,多くの目上の人たちと夕食と会話を楽しんでいた際,惨事が起こった。こういった料理の名称は知らないのであるが,縦型のスープカップの口をパンで屋根のように覆ってあり,その中に美味しいスープが入っているという料理である。そしてパン製のドーム状の屋根をスプーンで崩し,それと一緒に中のスープを味わうのである。話がはずみ,しかも相手は目上の人が多かったので,このスープに対する注意力が散漫になってはいた。
そう,・・・とうとうやってしまったのである。中にギンナンが生息しているとはつゆ知らず,とうとう誤食(笑)してしまったのである。こうなったら,いったん口に入れた天敵ギンナンをはき出すわけにはいかない。人の目もあるのである。・・・飲み込んだ。ところが,その後がいけない。また油断してしまい,スープカップの底にもう一つのギンナンが生息していることにも気づかず,一度ならず二度までも誤食(笑)し,これまた飲み込まざるを得なかったのである。
ギンナンというものは,何も茶碗蒸しの中だけに生息しているわけではないという冷厳な社会的真実,これを肝に銘じた秋の夜長であった(笑)。