あー,暑いなあもう。僕ももう年だ。正直言って,夏を越すのは辛い。日中に移動するときは自慢の男性用日傘を愛用しているが・・・。
先日,裁判所からの帰り道に愛知県護國神社の前を通ったら,「夏越の大祓」という表示があった。へぇ,「夏越(なごし)」という言葉があったのか。夏越の大祓というのは,毎年6月の晦日(30日)に執り行われる神事のようだ。炎熱の夏を迎えて荒廃しがちな心を清め,また,人間も作物も何とか無事に一夏を越せますようにと祈るのだ。またこの時,茅輪(ちのわ)くぐりも行われる。やはり,夏を越すという言葉があったのだねぇ。辛いのは僕だけじゃないんだ。
今日も梅雨の晴れ間が広がりそうだけれど,梅雨はジメジメして何となく気分がすぐれないし,体がだるく感じる。雨自体は嫌いではないけど,湿度が高いのは体にこたえる。おとおいだったか,車を運転して仕事先まで向かう途中で,ラジオで「てるてる坊主」の童謡が流れていた。てるてる坊主は僕も小さいときに作って,軒先に下げたことがある。でもこの童謡の3番目の歌詞を耳にした時,エッ,と思った。その3番目の歌詞はというと,
「てるてる坊主 てる坊主 明日(あした) 天気にしておくれ それでも曇って 泣いてたら そなたの首を チョンと切るぞ」
そういえば,僕も幼い時にこの歌詞を知って「エッ」と思った記憶がある。久し振りの「エッ」であった。ただこの歌の童謡としての価値は十分で,人口に膾炙している。
あー,暑いなぁー。あー,スイカ食べたーい。あー,めちゃくちゃスイカ食べたい。よーし,こうなったらどんな卑怯な手を使ってでもスイカを手に入れ,今日は絶対スイカを食べるぞー(笑)。
サッカーにおける鉄則とも言うべきものに,「数的優位を作る」というのがある。攻撃面でも,守備面でも,ある局面で自分が1人,相手チームが2人だったら,仮に自分がボールを持っていても相手方に奪われてしまう可能性が高くなるし,逆にボールを奪いにいこうとしても,上手くパスされてかわされてしまう。要するに,それぞれの局面では味方が多い方が有利なのである。
よくあることだが,昨日も一人ランチであった。味噌ラーメンが無性に食べたくなった。こうなると頭の中は味噌ラーメン以外には何もなくなる。事務所から歩いて10分くらいの所にあるラーメン屋に直行である。しかし,このラーメン屋において完全な数的優位を作られてしまった。
午前11時30分に入店。いいねえ,自由業は。勤務時間を自分で決められるし,好きなときにランチに行ける。ところが,入店したら店のスタッフ2名がいるだけで,他には全く客がいなかった。予定どおり味噌ラーメンを注文。ほどなく注文の品が届く。山盛りになった白髪ネギを箸でスープ内に沈め,一味唐辛子を振りかけて食べ始める。しかしその2人のスタッフは,ともに並んで僕の方向を見ている。僕の方向を見ているだけなのか,僕を見ているのかは分からない。というのも,僕は彼らの顔を見たり,目を合わせたりはしなかったから。それにしても彼らは微動だにしない。また彼らは互いに全く会話もしない。完全に1対2である。数的優位を作られた状態である。北京の天安門広場に田舎から直訴に来た農民1人と,武装警察官(公安)2名とが対峙しているかのような風情であった(爆笑)。
ここのラーメンは旨いと思う。特に味噌ラーメンは野菜タップリでシャキシャキした食感も良く,スープがクリーミーで旨いのである。麺も僕好みの中細だし。ただ難点を言うと,1000円近い値段なのに,チャーシューが一枚も入っていないことであった。トッピングしないとダメなようだ。これをすると1000円の大台に乗ってしまう。それにしても11時30分というと,もうそろそろお昼時であり,街中なのだから他に客がいてもよさそうなのに僕だけであった。このままだと,数的優位を作られた結果,ボールを奪われてしまう(笑)。まぁそのうち誰かお客が来て,視線リスクの分散に寄与してくれるだろうと楽観していた。し,しかし誰も来ない。気分的に落ち着いてラーメンを味わいたいと思っているのに・・・。半分以上食べ終わっても,相変わらず天安門広場での対峙が続いている(笑)。もう一人味方がパスコースに来てくれればパスできるのに。
結局,味方は現れなかった。味噌ラーメンはとても旨かったが,「本当はもっと精神的に落ち着いて味わいたかったのに・・・」という敗北感が残った。次回は何とか頑張りたい(笑)。何を頑張るんだ(爆笑)。
僕の誕生日は6月6日。この日にはカミさんと娘からそれぞれプレゼントをもらって素直に嬉しかった。そしたら昨日は父の日。娘からまたプレゼントと手紙をもらっちゃったどぇーす。手紙の文面で涙にむせぶ夜ではありました。
僕は梅雨時の生まれだからか,雨は嫌いではない。むしろ雨の日の方が落ち着くこともある。ある日裁判所での仕事を終えて,傘を差しながら事務所までテクテクと歩いて帰ったのだが,その日は急に裁判所近くにある護国神社の構内を横切るルートにした。あじさいが咲いていないか見たかったからである。そしたら,あちこちに咲く色とりどりのあじさいが本当に見事だった。白色を含め,どのあじさいも美しかったが,とりわけ薄い青紫色のやつが素晴らしかった。水滴に濡れ,みずみずしさと生命力に溢れていた。・・・・・あじさいはいいね。
その日はどういう訳か風流心がめばえ,ふっと好きな種田山頭火のことが頭に浮かんだ。梅雨時の行乞も大変だったろうな・・・。でも,山頭火にとっては自然現象である雨も当然に自分の一部であって,「濡れたらいやだな」などといった心情からはもう超越しており,濡れたって全く平気だったのだろう。
「山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆふべもよろし」
「笠をぬぎ しみじみと ぬれ」
「雨ふるふるさとは はだしであるく」
ジトジトした梅雨時は早く風呂にでも入ってサッパリしたい。今日は仕事も早めに切り上げて風呂にでも・・・。山頭火の次の句もユーモラスでまことに好きである。
「ちんぽこの 湯気もほんに良い湯で」
娘のあかねちゃんは夢見がち。テスト勉強や部活などの時は類い希な集中力を見せるが,非番(笑)の時は,将来のことについては夢見がちである。自分が高校生だった頃とそっくりである。
夢見がちといえば,あかねちゃんは夢(睡眠中に体験するやつ)もよく見るようだ。朝食の時などは,家族でそれぞれ前夜に見た夢の内容を告白することが多いが,その告白の回数ではあかねちゃんがダントツである。あかねちゃんが告白した一番最近の夢の内容は,次のようなものであった。
→ 時間帯はいつなのかは分からないが,外国人窃盗団が家に侵入し,お父さんが仕事でいつも着ている背広,スーツ,ワイシャツなどを片っぱしから盗んでいった。それで仕方なく,お父さんはチェック柄のシャツとチェック柄のズボンを身につけてショボンとして仕事に出かけた。しかし,はいているズボンは半ズボンだった。
あかねちゃんが見た夢の内容は概ね以上のようなものだった。なぜ半ズボンなのだろうか。なぜその柄は上下ともチェック柄なのだろうか(笑)。そもそも僕はそんなシャツやズボンは持ってもいねぇのに。ちっとも理解できない(爆笑)。
夢の話はこの程度にして,昨日の昼間は自分で運転して車で移動した。その車中のラジオ番組で,ビートルズの「レット・イット・ビー」という曲がかかっていた。懐かしかったし,改めてこの曲の素晴らしさを思った。「・・・Mother Mary comes to me Speaking words of wisdom 〝Let it be.〟」聴いていて胸がジーンとなった。思えば,ビートルズに関心をもつようになったきっかけの曲がこれだったのである。朝食の時はCDで音楽を聴きながらの食事で,平日の場合は主にクラシック音楽(バッハの曲が圧倒的に多い)をかけるが,土曜日や日曜日の朝はビートルズの曲をかけることが多い。あかねちゃんはその影響からか,ビートルズの曲が大好きである。彼女にとっても,ビートルズの曲は古さを感じないのだそうだ。僕もそう思う。
昨日は東京地方裁判所での仕事があった。こういう日は,たとえ裁判所での仕事が1時間程度であったとしても,往復の移動時間を考えると結局は1日仕事ということになる。午前10時ころの新幹線だから,東京駅にはお昼少し前に着いた。
あとは当然に,八重洲地下中央口の近くにある旭川ラーメン「番外地」に直行である。これは僕にとってはあまりにも当然の行動であるし,注文もあまりにも当然な「塩バターコーンラーメン」である。東京駅にはラーメンストリートというのが出来たのは百も承知だが,僕はどうしてもこのラーメン屋に足が向いてしまう。魚介系のダシの利いたスープを好むんでしょうね。
午後1時には東京地裁に到着し,予定の仕事を終えた。最初に応対してくれた若い女性の書記官はテキパキして美人だった。でも,面接した男性の担当裁判官の方はあまり感じは良くない。物腰もさることながら,全く相手の目を見て話さないのが不快感を与える原因なのだろうと思う。前日には名古屋地裁豊橋支部に出張に行ったのだが,その担当裁判官は非常に感じが良かったのに。様々だね。
さて,その後は裁判所の構内から依頼者と自分の事務所の事務員さんに指示を出し,あとはどうしてくれよう。鈴本演芸場で落語を聴いてやろうかとも思ったが,最近は仕事に追われていることもあり,そこはグッとこらえて帰路についた。八重洲地下にあるNHKキャラクターグッズを売っている店で「ぜんまいざむらい」の弁当箱を新しく購入しようと思い立ったが,ここもグッとこらえた。今使っている「ぜんまいざむらい」の弁当箱は確かに古くはなったし,絵の一部もはがれているけど,もう少しの間は使えると思ったからだ。まだ古いやつを捨てるにはかわいそう過ぎる。結局,ビール2缶とつまみを買って,新幹線の中では一人で宴会状態であった。ただ,あちこちで「プシュッ」とビールのふたを開ける音は聞こえたけど。
東京出張もたまにはいい。気分転換になるし・・・。でも,タクシーの運転手さんに,思わず「キャディーさん」と言い間違えて,案外しらけた態度をとられてしまったことは,返す返すも悔いの残る出来事ではあった。
6月6日。家族に誕生日を祝ってもらった。ワインにお寿司,それにカミさんと娘からはそれぞれプレゼントをいただいた。事務所の事務員さんからは事前にお菓子のお祝いもいただき,一緒にご馳走になった。ありがたいと思う。
自分の誕生日がだんだん近づいて来ると,また年をとってしまうという気分的な停滞感があるが,誕生日を迎えていったん年を一つとってしまうと,あと一年間はこの年を維持できるという妙な安心感もある。西洋では6が並ぶことは縁起が悪いことだと言われているらしい。新約聖書の中の「ヨハネの黙示録」では6が三つ並んでいるのを「獣の数字」としている。そういえば,映画「オーメン」に出てくる悪魔の子ダミアンは6月6日午前6時に生まれている。・・・ふふん,そんなことはどうでもよい。僕はキリスト者ではないし西洋人ではない。れっきとした日本人だ。そんなもの関係あるかっ!・・・そうはいうものの,僕の出生した時間が気になる(笑)。
でも僕は,この6月6日という日は嫌いではない。生まれ変わるとして,好きな誕生日を選んでいいぞと言われたら,強がりでなくやはり6月6日を選ぶかもしれない。なにしろ覚えやすい。それに,昔から芸事は6歳の6月6日から始めると上達すると言われており,そのため6月6日は「楽器の日」,「邦楽の日」,「いけばなの日」にもなっているのである。そ,それに,あえて付け加えるならば,絵描き歌の「コックさん」の歌詞の中にも6月6日が出てくるのであるっ!(コックさんの絵はとてもかわいいし)。
ああ,そうそう。誕生日といえば,今年は運転免許証の更新もしなければならない。うっかり期限を過ぎてしまったら大変である。
これをすごく食べたくなる時がある。今朝はその発作がおきて,たまごかけごはんを食べてきた。食べ方はごくシンプルで,小さい器に新鮮なたまごを割って入れる。そこに減塩醤油を垂らす。よくかき混ぜ,特に白身の部分も箸の先で切っておく。その箸で暖かいごはんの山の中央部分に窪みを作る。そこへたまごを流し込む。僕の場合は,決して混ぜたりはせず,そのまま食べる。そういう食べ方が好きなのだ。これは徹底しており,例えばカレーの時もそうであり,ごはんとカレールーが半々の状態で出されたら,できるだけそのまま半々の状態で食べ進み,決してルーをごはんと混ぜたりはしない。
たまごかけごはんは日本特有のものらしく,素晴らしい食文化の一つであり,日本人に生まれて本当によかったなと思う。娘のあかねちゃんもたまごかけごはんが好きである。ただ,このたまごかけごはんをめぐっては,父娘の間で若干の緊張が走る時がある。うちの家族はいつも一緒に食事をするが,ある朝,僕が食卓でたまごかけごはんの準備をしていると,娘のあかねちゃんも自分も欲しくなったようで,やはりその準備を始めた。その時僕は,「すーぐ,お父さんのまねをする。」と茶化して言ってやった。結局その朝は二人ともたまごかけごはんを食べたが,娘としてはまねをしたと言われたことがよほど悔しかったらしい。それ以来,一方がたまごかけごはんの準備をしていても,よほどの事がない限り,他方はそのまねをしなくなり,たまごかけごはんに限っては父娘の間で神経戦が展開されている。
もう半年も前のことになるが,新聞の投書欄でたまごかけごはんの想い出に関する記事を読んだことがあった。その投稿者は,もう年配の男性だが,その人が子供だった頃は家庭が貧しく,たまごかけごはんをする時は一個のたまごを兄弟で分けていたようだ。その人のお兄さんはなかなかの戦略家で,かき混ぜたたまごを分ける時は,いつも弟(投稿者)の茶碗に先に入れさせた。なぜかというと,先に入れた弟の方に大半の白身が流れ込み,黄身の多くがお兄さんの茶碗の方に行ってしまうからである。その投稿者は子供の頃は,いつかはたまごを一個ごと使って,たまごかけごはんを腹一杯食べることが夢だったという。ほのぼのとした内容の投書であった。
どんよりとしたねずみ色の空が拡がり,より濃いねずみ色の雲があちこちにたれ込めている。辺り一面は荒涼たる荒野で,いたる所に塹壕のようなものが掘られている。寒風が吹きすさび,肌を刺す。塹壕のような所では,十数名の人間がいずれも自分の寝具をもって寝支度を始めている。男性は何故か僕だけで,あとは比較的高齢の女性がほとんどである。各自の手持ちの寝具の量には差があり,それだけでは寒さが凌げそうもないような寝具しか持ち合わせていない人もいれば,けっこう豊富に寝具を持っている人もいる。あちこちで寝具を貸し借りする情景がある。僕の場合は,敷き布団と掛け布団と薄い毛布があるため,何とか自分の寝具だけで寒さは凌げる。寒風が吹きすさぶ中,塹壕みたいな所に自分の布団を敷いて寝に入ったが,なかなか寝付かれない。やはり少し寒い・・・。
こういうシーンで目が覚めた。夢を見ていたのだ。目が覚めた時の自分の格好は,いつもは着ているパジャマがなく,下着姿で,しかも布団も掛けられていなかった。寒さで目が覚めたのだ。晩酌のほろ酔い加減でお風呂に入り,今日は少し暑いななどと思いながらパジャマも着ず,お気に入りの本を読んでいるうちに寝入ってしまったらしく,やはり夜中に寒さで目が覚めたのだ。その時は風邪をひきそうな寒さだった。
睡眠中の身体の外的条件が夢の内容を規定したり,夢の内容に影響を与えたりすることははやりあるのだと思う。確か高校時代にフロイトの夢判断に関する本を読んだ時に,そんなことが書いてあった。そこで挙げられていた例としては,確か,ある男性がその手をベッドの木枠か何かに挟んだまま寝ていたら,その人は自分の手を怪我した夢を見ていたというものだったと思う。
それにしても,僕が見た奇妙な夢。自分の身が寒かったから,荒涼たる荒野で布団を敷いて寝ているという情景なのは分かるが,何故僕のまわりは高齢の女性ばかりだったのだろうか(爆笑)。
誠にありがたいことに,最近では体重が減って,だんだんと憧れの小顔になっていきつつある。確かに,最近では食べる物にも気をつけるようにしているし,自宅での晩酌の回数もできるだけ減らすようにしてきた。知人から誘われるままに「夜のパトロール」と称して繁華街に繰り出す機会も少なくしようとしてきた。そんな訳でここ約1か月の間に見事に3キロほど体重が減り,憧れの小顔を手に入れようとしている。
僕がなぜ小顔に憧れるかというと,端的に言えば,見た目として毛髪量とのバランスがとれるということである。人の顔の真ん中辺りに横線を引いて上下に二等分すると,ほっぺた付近の領域と,毛髪の領域に区分することができる。老化のせいか,最近では毛髪量も減ってきているという由々しき事態となっているが,ほっぺた付近がブクブク太っていると,プロポーションというかバランス的に毛髪部分が相対的にさらに小さく見えてしまう。逆に,ほっぺた付近がほっそりし,小顔になってくると,相対的に人をして毛髪量がそこそこあるかのような錯覚に陥れることができる。小顔のメリットはこういうところにもある。ただこれはあくまでも目くらましに過ぎず,ちゃんとできるだけの努力をして毛量を維持し,脱毛の進行を少しでも遅らせる必要があることは自覚している。
錯覚ついでに言うと,社民党という政党は徹頭徹尾錯覚に陥っている政党であるか,あるいはダダをこねることが唯一の綱領であるかのような政党であると思う。米軍海兵隊普天間基地移設問題では,やれグアムだ,やれテニアンだなどとほざいては,関係者は勿論,同盟国を困惑させてもてんとして恥じない。憲法9条・非武装中立ということのみのシングル・イシュー(単一争点)政党である。現行案に近い案など断固飲めないというのであれば,そして閣議決定に署名したくないのであれば,なぜ潔く与党連立から離脱しないのであろうか。明らかに閣内不一致である。政権内にとどまってギャーギャー言っていた方が存在感が高まるとでも思っているのであろうか。私は福島みずほという党首がテレビ画面に出るたびに眉をひそめてしまう(顰蹙というやつ)。明らかに国益に反している。社民党というのは絶滅危惧種とも言われていた。私はトキのことは心からその絶滅を心配しているが,社民党のことなどは・・・。
僕が初めて将棋を覚えたのは,中学2年生か3年生の頃だったと思う。クラスメートや近所の友人とやっているうちに,だんだんと没頭するようになってしまった。こんな面白いゲームがあったのかと・・・。高校に入ると,将棋熱がますますエスカレートし,勉強もそこそこに,「将棋世界」や「近代将棋」などといった雑誌を買ってきては,プロ棋士の棋譜を並べたりしていた。
僕の将棋熱のピークは高校時代であり,その頃は多くのプロ棋士に憧れ,毎週日曜日に放送されていたNHK杯戦は何があっても絶対観ていたし,テレビの前に盤を置いて棋譜読み上げの声に合わせて駒を並べていたものだ。その当時活躍していたプロ棋士の中でもとりわけ好きだったのは加藤一二三元名人である。18歳でA級八段に上り,20歳で名人戦挑戦権を得たように,加藤元名人は「神武以来の天才」と言われた。その後も将棋界で活躍し,名人をはじめタイトルも獲得した。才能の割りにタイトル獲得数に恵まれなかったのは,全盛期をむかえていた大山康晴第15世名人という巨人の存在があったからとも言われている。僕としては,いろんなプロ棋士に憧れたが,その独特のしぐさや「伝説」もあって,加藤元名人を特に応援していたのである。
その加藤元名人が,先日,自宅敷地内での野良猫への餌やりの問題で地域住民から提訴され,餌やりの差し止めと,約200万円の慰謝料支払を命じられたそうだ。誠に残念なことである。加藤元名人としては,野良猫の命をつなぐために信念として餌やりを続けていたのであろうが,やはり社会人でもあるのだから,自重すべきであろう。将棋でいえば,無理筋なのである。特定行為の差し止めが認められたり,慰謝料支払を命じられるということは,やはり客観的には近隣住民の受忍限度を超えていたと裁判所も判断したからに他ならない。もちろん控訴審の判断を仰ぐのはかまわないが,加藤元名人は,差し止められたのはあくまでも敷地内での餌やりだからという論法で,敷地外で今後も餌やりを継続するようなことをコメントしている。僕としてもずっと応援していた一ファンとして憂慮している。それは「悪手」ではないかと・・・。