前週の土曜,日曜は同業者らと奈良旅行に行ったが,今度の土曜,日曜は中学3年生時代の同窓生6人で高山旅行に行ってきた。早春の飛騨高山である。
少人数ではあったが,どれもこれも懐かしい顔ぶれである。みんな昔の面影があり,その容姿が激変した人はいなかった。ただ相当に髪が白くなったり,薄くなったりした子もいた。俺だって人のことは言えないか(笑)。前にもこのブログには書いたが,中学校時代の同級生と会うと,何か戦友のように思えてきて,とてつもなく懐かしく,そしていじらしいのである。というのも,これだけ長く生きているともちろん楽しいこともあっただろうが,辛いことも少なくなく,それを何とか乗り越えくぐり抜けてきたであろうからである。行きの特急列車の中では早くもお酒と楽しい語らいである。
早春の高山は,山々にはまだ残雪があり,町中にも所々に集められた雪の山があった。空気は清々しい。車中から見た飛騨川の流れも,高山市内を流れる宮川の流れも綺麗である。陣屋,桜山八幡宮,宮川の朝市,高山祭の屋台が飾られている屋台会館などに足を運んだ。数々の屋台を見ていると,伝統の重みと祭りに対する昔の人の心意気を感じる。素晴らしい文化である。
僕は高山を訪れたのはこれで4回目だと思うが,春,秋の高山祭を観たことはない。日本三大祭の一つに数えられるだけあって,高山祭行列の写真などを見ると絢爛豪華であり,壮観である。やはり一度はこの高山祭の頃に訪れるべきであろう。それにしても,屋台会館で案内をしてくれた若い女性は,凜として美しかった。語り口も流ちょうで聞きやすく,体型がスラッとしていた。最近僕は飲む機会が多く,相当に不摂生をして太り始めているし,旅先でもみんなと一緒になって飲んでしまっている。凜とした雰囲気を漂わせているこの案内の女性を見ていたら,最近のような不摂生を続けていてはいけないと叱られたような気になった。飲酒を控え,スロトレを続けなければ・・・。
同級生との懐かしい旅行の時間も楽しく過ぎていき,どこからともなく次回の同級生旅行の行き先は京都ということになった。実現するかどうかは分からないが,楽しみである。それにしても,旅先のホテルの部屋で観た今期Jリーグ第2節の名古屋グランパス対川崎フロンターレの試合はガッカリであった。ホームであるにもかかわらず,グランパスの前半の戦い振りは相変わらず中盤を構成できておらず,「ああ,いいな。」と思わせるような攻撃の形が作られていなかった。時間が残り少なくなって頑張りはじめても仕方がない。終了間際に決勝点を決められたが,DFのチェックが甘く,相手選手のシュート直前には背番号6のDFの選手は,体が逃げていた。体を張ってシュートコースを遮らんかい!
先日の奈良旅行の続きを書いてみたい。実は僕が泊まったホテルは,創業100年を迎えた老舗の奈良ホテルだった。本当に落ち着いた雰囲気で,古都奈良にふさわしい。
これはすごくびっくりしたのだが,奈良ホテルの広間には,相対性理論で著名なあのアインシュタイン博士が弾いたピアノが展示されていた。実際にこのピアノを弾いているアインシュタイン博士の写真とともに。博士は,大正11年(1922年)11月17日から12月29日までの43日間,日本に滞在した。このうちの2日間(12月17日と18日)に奈良ホテルに宿泊したそうだ。フランスのマルセイユ港を出発し,神戸港に到着するまでに約40日も要する長旅。この航海途上でノーベル物理学賞受賞の報せを受け取ったそうだ。
博士は,日本の各地を回り,日本人,日本の文化,日本の自然などに接し,日本の文化と国民性に深く共鳴された。アインシュタイン博士がのこした言葉に次のようなものがある(波田野毅著「世界の偉人たちが贈る日本賛辞の至言33撰」18~24頁,ごま書房)。
「近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴いていることが,今日の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が世界に一ヵ所ぐらいなくてはならないと考えていた。世界の未来は進むだけ進み,その間,幾度か争いは繰り返されて,最後の戦いに疲れるときが来る。そのとき人類は,まことの平和を求めて,世界的な盟主をあげなければならない。この世界の盟主なるものは,武力や金力ではなく,あらゆる国の歴史を抜きこえた最も古くてまた尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって,アジアに帰る。それには,アジアの高峰,日本に立ち戻らなければならない。我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」
アインシュタイン博士は,日本に旅する前には,「もし私が,日本という国を自分自身の目で見ることのできるこのチャンスを逃したならば,後悔してもしきれないというほかありません。」と述べていたそうだ。前掲の本の中から,さらに調子に乗ってアインシュタイン博士の発言を引用してみる。博士は日本に関して次のような言葉ものこされている。
「日本人のすばらしさは,きちんとした躾や心のやさしさにある。」
「日本人は,これまで知り合ったどの国の人よりも,うわべだけでなく,すべての物事に対して物静かで,控えめで,知的で,芸術好きで,思いやりがあってひじょうに感じがよい人たちです」
「この国に特有な感情のやさしさや,ヨーロッパ人よりもずっと優っていると思われる,同情心の強さ」
「日本の風光は美しい。日本の自然を洗っている光はことのほか美しい」
「日本は絵の国,詩の国であり,謙遜の美徳は,滞在中最も感銘をうけ忘れがたいものとなりました。」
「日本人以外にこれほど純粋な人間の心を持つ人はどこにもいない。この国を愛し,尊敬すべきである。」
アインシュタイン博士は,40日を超える日本滞在を終え,12月29日に門司港から「榛名丸」に乗って日本を後にする際,ご夫妻とも,そして見送る人も,ともに涙を流して別れを惜しんだそうである。
土曜,日曜と一泊二日で奈良旅行をしてきた。思えば,奈良に旅行するのは小学生の時の修学旅行以来である。到着の日の夜は,東大寺二月堂の「お水取り」を観た。
この二月堂の修二会(しゅにえ)の夜の法会(ほうえ)のことを「お水取り」と呼んでいる。この「お水取り」を観たいと駆け付ける人は多いため,いい場所を確保してワクワクしながら約1時間ほどずっと立って待っていた。回りの人もじっと辛抱強くしていた。夜はやはり寒く,耳たぶも冷たかったので,耳たぶを耳の穴の中に入れるという例の癖もたびたび出た。
この修二会(お水取り)というのは,一千二百有余年の間,一度も休むことなく法統連綿と今日まで受け継がれてきた。その目的は,われわれ人間の罪障を懺悔し,清浄な身体を得ることによって,自分が犯した悪業に対する報いである禍や災難を取り除き,幸福を招こうとするものであり,ひいては国家の安寧や国民全体の幸福を願うという主旨があるそうである。午後7時になったら,いよいよ始まった。次々と点火された大松明(おおたいまつ)が登廊し,二月堂の欄干に姿を現し,闇夜に大きな炎が勢いよく移動したり,火の粉が振りまかれる。一千二百数十年にわたってこの儀式が行われてきたのである。一言で表現すると,幽玄で幻想的な世界ということになろう。素晴らしかった。
翌日は,東大寺,薬師寺,法隆寺などを観て回った。子どもの時に観た東大寺南大門の運慶,快慶作にかかる木造金剛力士立像があった。金堂には,かつて観た如意輪観音菩薩像などがあった。薬師寺には,西塔はそのままの姿だったが,東塔は改修工事中であった。金堂内には子どもの時に見て感動した薬師如来像,日光菩薩像,月光菩薩像などがそのままの姿であった。仏像を観ると心が落ち着くし,内省的になる。ヒマを見つけての仏像めぐりもいいものである。確か薬師寺だったと思うが,トイレは男性用は「善男」,女性用は「善女」という表示があったと思う。そして法隆寺。五重塔に金堂内の釈迦三尊像なども美しい。法隆寺ではもっといろいろと観たかったのだが,バスの集合時間が迫っていた。そこで法隆寺の夢殿と中宮寺とどっちにしようか迷ったが,やはり中宮寺のあの弥勒菩薩像は是非観ておきたいと思い,靴を脱いで上がり,正座して弥勒菩薩像をじっと眺めた。素晴らしいほほえみである。
京都もいいけど,奈良も全く素晴らしい。710年の平城京遷都から今年で1300年となる。歴史の重みと深みを感じる。ただ,マスコットキャラクターの「せんとくん」については,小僧さんの頭の上にいきなり鹿の角が生えていて,最初はちょっとキモいかなとも思ったが,次第に慣れてきて,結構可愛いかな。でもビミョーだな(笑)。
何気なくヤフーのニュースを見ていたら,タレントのビートたけしさんが審査委員長を務めるある大賞授与で,読売巨人軍の長嶋茂雄名誉監督に「東スポ50周年特別賞」を授与することになったそうである。東京スポーツの創刊第1号の第1面を飾ったのが読売巨人軍の長嶋選手だったということで,その当時の長嶋選手の活躍振りは昭和生まれの人だったら誰でも知っているだろう。
たけしさんは,その授与式において,長嶋さんを前にして表彰状を読むときに泣きそうになったそうだ。たけしさんによると,「(会うのは)7~8年ぶり。長嶋さんの前だとしゃべれなくなる。・・・・・今日は(自分が長嶋さんに)よく表彰状を読めたと思う。泣きそうになった。」とのことである。そういう気持ちは分かるような気がする。長嶋選手といえば不世出の名選手であり,国民的な英雄であった。少年にも限りない勇気と希望を与えてくれた。幼く,若かった僕も勇気を与えられたその一人である。一方,たけしさんだって,芸能人としても映画監督としても評価され,今や押しも押されぬ存在となっている。そういう人でも,泣きそうになるというのは,やはり昭和のメンタリティーだね。とてもほのぼのとしてきた。
その授与式で,たけしさんが長嶋さんとのエピソードを紹介した。このエピソードは僕も前にも聞いたことがあったが,面白いので若干の脚色を加えながら会話風に再現すると(状況としては,たけしさんがある事件を起こして謹慎し,精神的に凹んでいるとき),
長 嶋「たけしさん,ゴルフでも一緒にどうですか?」
たけし「・・・エッ,はいっ,ありがとうございます。うかがいます。」
長 嶋「(約束の日にゴルフ場で)やぁ。」
たけし「(震えながら直立不動で)た,たけしです。」
長 嶋「たけしさん,ゴルフですか。どなたとですか?」
たけし「・・・・・・」
でも,長嶋さんって,本当に好きである(笑)。
先日,ある会合で割と長いスピーチを2つほど聞かされた。講演だったらともかく,スピーチなんだから,簡潔明瞭で何か一つ聞き手の心に残るものを与えてくれればいい。しかしながら,その時のスピーチは何やら長いだけでなく,一人は一つの文章の中に何度も「エー」を入れて聞きづらかったし,もう一人は一つの文章の中に何度も「まァ」を入れてこれまた聞きづらかった。
これは癖の中でも,口癖というやつだろうが,確かに無くて七癖というように人にはいくつか癖というものはあるだろう。これは癖と言えるかどうか判らないが,あかねちゃんという僕の娘は,風呂に入っている時に,EXILEの歌などを大きな声で歌っていることが多い。またうちのかみさんは,何かに集中しているような時には,右斜め後方あたりの髪の毛を右手で何やら揉みしだくような仕草を何度も繰り返す癖がある。
そういう僕にも癖はある。ひとつ思い浮かぶのは,耳たぶを耳の穴の中に入れるという,とても奇妙な癖がある。これは季節限定で,主として冬などの寒い時期に出現する癖である。この癖は比較的若いころから発現し,その歴史は長い。その癖の歴史的沿革というか,目的は何なのかについて考察してみる。耳たぶというのは一般的に人間の身体の部位の中でも最も冷たい部位である。やけどをした時などに耳たぶを触るように。寒い時期の耳たぶはとても冷たくて可哀想だとの配慮から,少しでも暖かくしてあげようと耳の穴の中に入れて耳の穴の暖かい温度を伝達してやろうという目的があったのではないか。あるいは,耳たぶのことを思ってというよりも,冷たい耳たぶを耳の穴の中に入れると,ひんやりとして気持ちいいものである。だから,自己の快楽の追求という目的があったのかもしれない。あるいは,その両者だったのかもしれない。いずれにしても,この癖は今も直らない。
もう手袋がいらなくなった。コートを着て歩いていると,ほんの少し汗ばむような気もする。いつの間にか暖かくなったもんだ。真冬の時と比べて,何となくお風呂の沸きも早くなったような。寒の戻りはあるのだろうか。
「水ぬるむ」というのは,早春の季語のようである。僕は昔から何となく好きな言葉なんだよな。四季の微妙な変化を敏感に察知し,そして自然を愛でる日本人らしい言葉である。あの「坂の上の雲」に出てくる正岡子規は次のような句を作っている。
「芹目高乏しき水のぬるみけり」
そして,わが種田山頭火は,
「汲みあげる水のぬくさも故郷(ふるさと)こひしく」
ただ,この山頭火の句はこの季節に作られたかどうかは分からない。
あぁ,そうそう。「坂の上の雲」で思い出した。僕はNHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」については随分と期待していたのだが,がっかりしてしまった。原作にはない創作部分が結構含まれているし,このドラマの制作者の意図が見え隠れする。ちょうど,NHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー アジアの”一等国”」ほど露骨ではないにしても,偏向性を感じるのである。この「・・・アジアの”一等国”」という番組をめぐっては,出演者などから番組内容に偏向があったと批判され,損害賠償請求訴訟にもなっている。「坂の上の雲」はというと,その放送回数が中途半端で放送時期も相当に間延びしており,視聴者の興味自体もそがれてしまうのではないだろうか。余計なお世話かもしれないけど(笑)。
何かしらタイトルに惹かれて本を1冊読んでしまった。「子供に教える『経済学』」(木暮太一著,青春出版社)という本である。そのサブタイトルには,「世界一やさしい経済の授業」とあるように,図や表やグラフ,挿絵などが多用してあって,しかも父親と子の対話形式で書かれていて,確かに分かりやすい。まあ,経済学のごく一部を解説したものだが,かの菅財務大臣が理解していたかどうかかなり疑わしい「乗数効果」に関する解説もあった。商品の値段の決まり方,国債や公共事業のこと,年金のことなども触れられていた。こういう本はこれからも結構ウケるかもしれない。
いわゆるプレゼンでも,会議でも,教育機関における授業,講義でも,聴いている人に実際に分かってもらってなんぼだからね。分かりやすくて,具体的なのが一番なのである。僕も大学生時代,それなりに学問はした。ある刑法学の教授は斯界の権威的な存在であったが,その講義はというと,自分が出した本をそのまま読んでいるようなもので,つまらなかった。学生としては,その教授が出した本を自宅でコーヒーを飲みながら黙読しているのと効果が大して変わらないような授業だったのである。学問的水準の高さと「教え上手」とは別なんだなと思った。
具体的というので思い出したが,杉並区長の山田宏氏が永住外国人への地方参政権付与問題について,とても具体的で説得的な論を展開していた。PHP研究所が出している「Voice」(3月号)に寄稿していたものである。何やら民主党が,そのマニフェストにも記載していなかった永住外国人への地方参政権付与法案を提出しようとし,その成立を画策している。われわれ国民も,実際には我が事にかかわることなのだから,よく勉強する必要がある。その意味では,山田杉並区長の論考は分かりやすく,具体的で参考になろう。この問題に関連しては,オランダやドイツなどの現状がどんな悲惨な状況になっているのかを知る必要があろう。
先週の金曜日は,午前中に裁判所でひと仕事終えて事務所に帰る途中,急にオムライスが食べたくなった。というわけで,ある喫茶店を久し振りに訪れ,かつてのようにカウンターに座ってオムライスを待っていた。その時に目にした新聞記事にとても感動した。
その新聞記事によると,埼玉県川越市の中学3年の女子中学生は母親と一緒に,石川県輪島市まで航空関係の高校の推薦入試を受けに行こうとしていた。母子2人は夜行列車で移動しようとしていたが,何と,折からの豪雪で,信越本線の夜行列車が運休になってしまったのだ。長岡駅で足止めになった時は,この女子中学生は絶望したそうだが,母親は「ヒッチハイクしよう。」と果敢に提案し,真夜中で猛吹雪の国道を歩き続け,約4時間半後にガソリンスタンドに止まっていたトラック運転手に声を掛けたところ,金沢までならという条件でトラックに乗せてくれたそうな。
その後,この運転手は,自分にも中学3年の子どもがいるから気持ちが分かるというので,「輪島まで行っちゃる。」と言って,金沢までどころか目的地の輪島市まで乗せていってくれたというのだ。そして,劇的にも試験開始10分前に学校に到着し,無事に入試を受けることができたという。その運転者は連絡先も告げずに笑顔で去ったそうだ。この中学生は一旦は絶望していたのに,後日めでたく合格通知を手にした。
僕がこの新聞記事を目にして感動した点は3つある。第1に,この運転手の武士道精神である。神戸まで仕事で向かわなければならない中で,親切心から能登半島の輪島まで遠回りをし,連絡先も告げずに颯爽と去った。無私の精神ある素晴らしい日本人である。第2に,この女子中学生は航空自衛隊でパイロットになりたいという明確な目標をもってこの推薦入試を受けたという点である。成人式で壇上に上がり傍若無人の振る舞いをして迷惑をかけるような手合いばかりだったら,この日本の行く末が思いやられるが,この女子中学生のような若い人の存在を知るにつけても,わが日本もまだまだ捨てたものではない。あっぱれである。第3は,我が子を励まし,真夜中の猛吹雪の中をヒッチハイクしながら約4時間半も歩き続けた母親の強さと優しさである。
僕は,オムライスが来る直前,この感動で両眼の表面に比較的厚い涙の幕が覆ってしまっており,「困ったな。この涙どうしてくれよう。」とうろたえていた時に,オムライスが来てしまった。まばたきした瞬間に涙が落ちた。ウェイトレスの人にばれてしまっただろうか。
昨日は建国記念日,国民の祝日であった。本来であれば仲間とゴルフの予定になっていたが,天気予報が終日雨になっており,早朝に中止が決まった。午後からの本降りの様子を見るにつけ英断だったと思う。それに,その前の晩は飲み過ぎて二日酔いだったので,助かった(笑)。
さて,建国記念日といえば,紀元節,紀元節といえば,三種の神器,三種の神器といえば,八咫鏡(やたのかがみ),八咫鏡(やたのかがみ)といえば・・・・・
今日は,われわれ法律家が胸に付けているバッジの話を少しだけしたい。まず,裁判官が胸に付けているバッジは,八咫鏡(やたのかがみ)をモデルにしている。八咫鏡(やたのかがみ)は真実をくもりなく映し出すという意味で,公正さの象徴である。確かに,証拠の評価を含めた事実認定が誤っていたら困るもんね。ついでに,裁判官が法廷で着ている法衣が黒色なのは,何色にも染まらないという意味であり,これも公正さの象徴であろう。でも,何色にも染まらないというのが,どんな意見にも絶対に左右されないという意味で,これが高じて独善に陥ることだけは避けてもらいたい。
次に,検察官が胸に付けているバッジは,旭日に菊の花弁と葉をあしらったもので,秋霜烈日の意味である。つまりこれは,秋の冷たい霜や夏の激しい日差しのような気候の厳しさ,ひいては,刑罰・権威のきびしさ,厳かさが検察官の職務の理想であるということであろう。それにしても,小沢一郎民主党幹事長の政治資金規正法違反被疑事件の結末はなぁ・・・。この秋霜烈日章のようにやって欲しかったよ(笑)。
そして弁護士が胸に付けているバッジは,絵柄は丸いひまわりの花弁が回りにあってその中に天秤ばかりがあしらわれている。太陽というのは正義の象徴である。ひまわりはいつも太陽に向かって咲いている。要するに社会正義の実現に寄与すべきだということである。また,中にあしらわれた天秤ばかりは,エジプト神話マアトの「真実の羽根」との重さを比較する天秤のようである。これも真実追究の象徴だろう。
名前負けという言葉があるが,法律家もバッジ負けしないようにしなければならない。
いつも自宅から歩いて出勤しているが,今朝その途上であらためてびっくりしたことがあった。自宅から歩いてすぐの所に小学校があるのだが,その小学校にたどり着く途中で,アスファルト舗装の歩道を突き破って雑草が生えている光景を目にしたのである。そういえば,そういう光景は今までにも見たことはあったが,草がどうしてアスファルトを突き破ることができるのであろうか。恐らく,根が張ってたくましく成長し,アスファルトの下の土を長時間かけて盛り上げ,最終的にはアスファルトに亀裂を生じ,そこから草が日の目を見るということであろう。あらためて雑草の生命力に感動した。
中国の後漢書の王覇伝の中に,「疾風に勁草を知る」という表現がある。これは,とても激しい風が吹いたときに弱い草はすぐに倒れるが,真に強い草は倒れない。疾風が吹いてはじめて強い草が見分けられる。苦難の中で落伍した多くの部下の中にあって最後まで支えた真の部下が分かる。それが転じて,苦難や事変に遭遇してはじめてその人の節操の堅さや意思の強さなどが分かるという意味である。
そういえば,僕が弁護士になる前に東京勤務をしていた時,「勁(つよし)」という名前の上司がいた。いい名前だなと思っていたが,この上司は繁忙部署で審査官という責任ある立場の人だったが,どんなに忙しくても,ストレスを感じていそうでも,いつも温厚そうな表情を変えずに的確に事務処理をしていた。名前のとおり勁い人だったのだ。僕もこういう人になりたい。最近は仕事に追われて凹みがちであるが,今朝見つけた雑草のように,勁草のように乗り切っていきたい。
それにしても,民主党の小沢幹事長は政治資金規正法違反の被疑事件については,不起訴処分となるようである。でも,今後は検察審査会に対する審査請求がなされる余地もある。予断は許さないであろう。民主党幹部で小沢幹事長の腰巾着と言われている人たちは,あたかも小沢幹事長という人が受難に遭ったかのような物言いをしているが,的外れである。小沢という人は,勁草などではない。新約聖書のマタイによる福音書の中に出てくる「毒麦のたとえ」でいえば,毒麦である。