いやー,日曜日はほぼ完全な寝たきり老人になってしまった。前日に同業者とゴルフをやってカートにほとんど乗らずに歩きまくったものだから,疲れ果てたのである。最近は,休日も事務所に出ていた日が多かったので,ふとんの中で本を読んだり,プロ野球を観戦したりして,たまにはまったりするのも良いものだ。
前日にゴルフ場で見た桜の木々はこれまた誠に見事であった。美しい桜を見ると心が洗われる。その桜の見事さの対極にあったのが,僕のゴルフのスコアである。この同業者のゴルフコンペは,優勝者とブービー賞を取った者の2名で次期幹事をやるルールになっているが,僕は次期幹事をやる羽目になってしまった。それこそ悲惨なスコアで,栄えあるブービー賞に輝いてしまったのだ。いつもの「早打ち」と「力み」が止まらず,「分かっちゃいるけどやめられない」状態。ショットが悪いからバンカーにつかまってばかり。バンカー・トゥー・バンカーというのはご存知でしょうか。バンカーに入ってしまって,そこから脱出のショットを打ったら,グリーンをオーバーして反対側のバンカーに再びつかまってしまうことだ。再びつかまってしまったバンカーからは1打では脱出できず,途中で泣けてきそうになった(爆笑)。・・・・・まじめに練習しよう。
でも,ゴルフ場では僕にとって感動したものが一つあった。一匹でのどかに舞っているモンキチョウ(紋黄蝶)の姿を見ることができたのである。モンキチョウの姿を目にしたのは,もういつだったか記憶にないほど久しぶりである。そういえば,モンシロチョウの姿も街中ではあまり見られない。モンキチョウに至っては最後にその姿を見たのはもう遠い昔だ。小学生の時にひんぱんにその姿を見ることができたように,もっと花を植えて街中でも見られるようになればいい。
仕事に疲れたら,春の野花とモンシロチョウ,モンキチョウなどの小動物の姿を見に,小旅行をするものいいなと思う。
今日はあいにくの雨で,傘を差しながらの通勤になったが,それにしても桜の花の美しく,見事であることよ。最近では桜の季節になると,子どもの頃にはなかったような特別の感慨がある。子どもの頃は,桜を見ても「ああ,きれいだな。」とは思っても,それ以上の感情はなかった。でも最近は,恐らく歳のせいだとは思うが,桜の花を見ると,あと何回このような美しい桜の季節を迎えることができるのだろうか,とか,来年もこのような桜を見ることができるのだろうか,とか(笑)。
子どもの頃に歌った「さくらさくら」という歌は,すごく良い曲だと思うが,今も小学校では歌われているのだろうか。
さくら さくら
野山も里も
見わたす限り
かすみか雲か
朝日ににおう
さくら さくら
花ざかり
さくら さくら
やよいの空は
見わたす限り
かすみか雲か
匂いぞ出ずる
いざや いざや
見にゆかん
実に素晴らしい曲である。「朝日ににおう」というあたりは,本居宣長の「しきしまの やまと心を 人とはば 朝日ににほふ 山桜花」という歌からきているのかもしれない。今も小学校で歌い継がれていることを信じているし,これからも歌い継いでもらいたい。
前にもこのブログで触れたことがあるが,僕は数年前,青森県十和田市にある新渡戸稲造記念館に足を運んだことがある。桜の花にことのほかの思い入れがあったのは,新渡戸稲造先生である。その著された「武士道」という本の第15章には,次のようなくだりがある。
「桜はその美しさの下に、およそ刃物も毒もかくしておらず、自然の呼応に応じて、いつなんどきでも世を去る覚悟ができているし、その色彩は決して派手ではなく、そのあわい香りは決して飽きがこない。」
自然の呼び声に応じていつでもこの世を去る覚悟。桜の散り際は正にそうである。そこにはかなさと潔さを見る。日本人のメンタリティーである。この地上でも稀なほどの尊い日本人のメンタリティーと日本という国は,しっかりと守っていかなければならない。コロッと話が変わってしまうが,平沼赳夫衆議院議員は,桜が似合いそうな立派な代議士であり期待しているが,そろそろ新党を立ち上げるというような情報もある。ぜひ,ぜひ,頑張ってもらいたい。
昨日の晩は飲み会だった。その会場に移動する途上で歩きながら見た月は,まことに見事な月であった。寒い夜空にまん丸で大きな月がポッカリと浮かんでいた。夜空にはえていた。月の光は明るく,何よりもその輪郭がくっきりとして全くぼやけていない。輪郭がブレていないのである。
ブレと言えば,鳩山という人の発言がまたまたブレている。米軍普天間飛行場移設問題で,この人は従前から今年の3月末までに政府案を一つにまとめると明言していた。つい先日,26日の記者会見でも「最終的には政府案を一つにまとめなくては交渉はうまくいかない。3月いっぱいをめどに政府案をまとめる努力をしている。」と述べていたにもかかわらず,その舌の根の乾かぬ昨晩,今度は,「いつまでに全部やらなきゃいけないという話ではない。今月中じゃなきゃならないとか,別に法的に決まっているわけではない。」とブレているのである。法律で決まっていないことなどは百も承知だ。それよりも一国の首相として,自分の発言に責任を持て。この人のこのような言い分は,何か不都合なことをしでかした少年が,「それは別に法律に反している訳じゃないもん。」と言い訳しているようなもので,実に卑怯である。
またまたこの人のせいで不愉快になってしまった。美しく見事な月の話だったのに。僕が心から敬愛するヨハン・セバスティアン・バッハは,幼いときに両親を相次いで亡くし,数年間は兄に育てられた。バッハは,音楽に対するやむにやまれぬ求道心,向上心,興味から,鍵のかかった戸棚からこっそりと兄の楽譜を拝借し,月の光で写譜していたという。同時代のヘンデルも,彼を法律家にしたいという父から音楽に関心をもったり,楽器を奏でることを禁止されていたが,音楽に対するやむにやまれぬ興味から,屋根裏に隠されていたチェンバロを父に内緒でこっそり弾いていたという。
今宵は飲み会もないことだし,月の光で写譜する努力を怠らなかったバッハに敬意を表して,教会カンタータなどを聴いてみることにするかな。
土曜日は気の合った者同士で久し振りのゴルフをやった。2月11日の建国記念日にゴルフの予定は入っていたが,雨で中止になったため,昨年末以来のラウンドであった。前回のラウンドでは久し振りに良いスコアが出てご満悦だったが,その好調さが維持されているかどうか。・・・・・だめだった(笑)。例の,力みと早打ちの悪い癖がでてしまい悲惨なスコアだった。ただ,前半の9ホールで「もう今日はだめだ。」と諦めたほどだが,後半は結構良く,「悪い点を認識しそれを修正していくことができた」という点だけが収穫だった。明日につながる雰囲気はあった。自分自身に言うのも何だけど,頑張って欲しい(笑)。
同じ土曜日の夜,晩酌しながらテレビでニュースを見た後,何気なくチャンネルを回していると,お笑い芸人の番組がやっていた。ゴルフ疲れの中,いい気分でお酒を飲んでいたら,思わず僕の晩酌の手を止めてしまうほどの,インパクトのある芸名に出会った。・・・・・「もりやすバンバンビガロ」(笑)。な,何だろう,この芸名は。この「もりやすバンバンビガロ」という芸人は,基本的にはジャグラー+マジシャンなんだろうと思う。リンゴ3つをジャグリングしながら,その忙しい最中に見事にそれらのリンゴをかじるという,奇妙ながらも感動的な芸を披露していた。
それよりも,気になるのは「もりやすバンバンビガロ」という芸名の由来,意味である。別にそんなこと知らなくても生きてはいけるし,今後の弁護士稼業に支障などはないが,何かしらすごく気になってしまった。知的好奇心というやつか。風変わりな芸名ではあるが,別にこれといった意味はないのかもしれないし,ひょっとしたら,途方もなく深遠で,哲学的,形而上学的意味が与えられているのかもしれない。僕はほろ酔いながらも,必死でこの芸名の由来,意味をインターネットで調べた。・・・うーん,どうしても分からない。「もりやす」というのは,何となく名字だろうなという察しはつくが,「バンバンビガロ」がなぁ(笑)。調査の結果,この名付け親が,同じ吉本興業の「モロトゆーき」という人だということは分かったが,この芸名の由来,意味はなぁ。ただ,元Jリーガーの「もりやすはじめ」選手とプロレスラーの「クラッシャーバンバンビガロ」選手を足したものだという情報もある。もしこれが本当だとすると,「もりやすはじめ」さんというのは,元日本代表でサンフレッチェ広島などで大活躍した森保一選手のことか。あとは,「クラッシャーバンバンビガロ」を検索してみると,かつて新日本プロレスで活躍したクラッシャー・バンバン・ビガロ(本名はスコット・ビガロ)選手が出て来た。ただこの方は,3年前にアメリカ・フロリダ州の自宅で亡くなっている。いずれにしても,芸名に無限のインパクトを与えられた「もりやすバンバンビガロ」さんは,これからも頑張って欲しい。
前週の土曜,日曜は同業者らと奈良旅行に行ったが,今度の土曜,日曜は中学3年生時代の同窓生6人で高山旅行に行ってきた。早春の飛騨高山である。
少人数ではあったが,どれもこれも懐かしい顔ぶれである。みんな昔の面影があり,その容姿が激変した人はいなかった。ただ相当に髪が白くなったり,薄くなったりした子もいた。俺だって人のことは言えないか(笑)。前にもこのブログには書いたが,中学校時代の同級生と会うと,何か戦友のように思えてきて,とてつもなく懐かしく,そしていじらしいのである。というのも,これだけ長く生きているともちろん楽しいこともあっただろうが,辛いことも少なくなく,それを何とか乗り越えくぐり抜けてきたであろうからである。行きの特急列車の中では早くもお酒と楽しい語らいである。
早春の高山は,山々にはまだ残雪があり,町中にも所々に集められた雪の山があった。空気は清々しい。車中から見た飛騨川の流れも,高山市内を流れる宮川の流れも綺麗である。陣屋,桜山八幡宮,宮川の朝市,高山祭の屋台が飾られている屋台会館などに足を運んだ。数々の屋台を見ていると,伝統の重みと祭りに対する昔の人の心意気を感じる。素晴らしい文化である。
僕は高山を訪れたのはこれで4回目だと思うが,春,秋の高山祭を観たことはない。日本三大祭の一つに数えられるだけあって,高山祭行列の写真などを見ると絢爛豪華であり,壮観である。やはり一度はこの高山祭の頃に訪れるべきであろう。それにしても,屋台会館で案内をしてくれた若い女性は,凜として美しかった。語り口も流ちょうで聞きやすく,体型がスラッとしていた。最近僕は飲む機会が多く,相当に不摂生をして太り始めているし,旅先でもみんなと一緒になって飲んでしまっている。凜とした雰囲気を漂わせているこの案内の女性を見ていたら,最近のような不摂生を続けていてはいけないと叱られたような気になった。飲酒を控え,スロトレを続けなければ・・・。
同級生との懐かしい旅行の時間も楽しく過ぎていき,どこからともなく次回の同級生旅行の行き先は京都ということになった。実現するかどうかは分からないが,楽しみである。それにしても,旅先のホテルの部屋で観た今期Jリーグ第2節の名古屋グランパス対川崎フロンターレの試合はガッカリであった。ホームであるにもかかわらず,グランパスの前半の戦い振りは相変わらず中盤を構成できておらず,「ああ,いいな。」と思わせるような攻撃の形が作られていなかった。時間が残り少なくなって頑張りはじめても仕方がない。終了間際に決勝点を決められたが,DFのチェックが甘く,相手選手のシュート直前には背番号6のDFの選手は,体が逃げていた。体を張ってシュートコースを遮らんかい!
先日の奈良旅行の続きを書いてみたい。実は僕が泊まったホテルは,創業100年を迎えた老舗の奈良ホテルだった。本当に落ち着いた雰囲気で,古都奈良にふさわしい。
これはすごくびっくりしたのだが,奈良ホテルの広間には,相対性理論で著名なあのアインシュタイン博士が弾いたピアノが展示されていた。実際にこのピアノを弾いているアインシュタイン博士の写真とともに。博士は,大正11年(1922年)11月17日から12月29日までの43日間,日本に滞在した。このうちの2日間(12月17日と18日)に奈良ホテルに宿泊したそうだ。フランスのマルセイユ港を出発し,神戸港に到着するまでに約40日も要する長旅。この航海途上でノーベル物理学賞受賞の報せを受け取ったそうだ。
博士は,日本の各地を回り,日本人,日本の文化,日本の自然などに接し,日本の文化と国民性に深く共鳴された。アインシュタイン博士がのこした言葉に次のようなものがある(波田野毅著「世界の偉人たちが贈る日本賛辞の至言33撰」18~24頁,ごま書房)。
「近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴いていることが,今日の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が世界に一ヵ所ぐらいなくてはならないと考えていた。世界の未来は進むだけ進み,その間,幾度か争いは繰り返されて,最後の戦いに疲れるときが来る。そのとき人類は,まことの平和を求めて,世界的な盟主をあげなければならない。この世界の盟主なるものは,武力や金力ではなく,あらゆる国の歴史を抜きこえた最も古くてまた尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって,アジアに帰る。それには,アジアの高峰,日本に立ち戻らなければならない。我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」
アインシュタイン博士は,日本に旅する前には,「もし私が,日本という国を自分自身の目で見ることのできるこのチャンスを逃したならば,後悔してもしきれないというほかありません。」と述べていたそうだ。前掲の本の中から,さらに調子に乗ってアインシュタイン博士の発言を引用してみる。博士は日本に関して次のような言葉ものこされている。
「日本人のすばらしさは,きちんとした躾や心のやさしさにある。」
「日本人は,これまで知り合ったどの国の人よりも,うわべだけでなく,すべての物事に対して物静かで,控えめで,知的で,芸術好きで,思いやりがあってひじょうに感じがよい人たちです」
「この国に特有な感情のやさしさや,ヨーロッパ人よりもずっと優っていると思われる,同情心の強さ」
「日本の風光は美しい。日本の自然を洗っている光はことのほか美しい」
「日本は絵の国,詩の国であり,謙遜の美徳は,滞在中最も感銘をうけ忘れがたいものとなりました。」
「日本人以外にこれほど純粋な人間の心を持つ人はどこにもいない。この国を愛し,尊敬すべきである。」
アインシュタイン博士は,40日を超える日本滞在を終え,12月29日に門司港から「榛名丸」に乗って日本を後にする際,ご夫妻とも,そして見送る人も,ともに涙を流して別れを惜しんだそうである。
土曜,日曜と一泊二日で奈良旅行をしてきた。思えば,奈良に旅行するのは小学生の時の修学旅行以来である。到着の日の夜は,東大寺二月堂の「お水取り」を観た。
この二月堂の修二会(しゅにえ)の夜の法会(ほうえ)のことを「お水取り」と呼んでいる。この「お水取り」を観たいと駆け付ける人は多いため,いい場所を確保してワクワクしながら約1時間ほどずっと立って待っていた。回りの人もじっと辛抱強くしていた。夜はやはり寒く,耳たぶも冷たかったので,耳たぶを耳の穴の中に入れるという例の癖もたびたび出た。
この修二会(お水取り)というのは,一千二百有余年の間,一度も休むことなく法統連綿と今日まで受け継がれてきた。その目的は,われわれ人間の罪障を懺悔し,清浄な身体を得ることによって,自分が犯した悪業に対する報いである禍や災難を取り除き,幸福を招こうとするものであり,ひいては国家の安寧や国民全体の幸福を願うという主旨があるそうである。午後7時になったら,いよいよ始まった。次々と点火された大松明(おおたいまつ)が登廊し,二月堂の欄干に姿を現し,闇夜に大きな炎が勢いよく移動したり,火の粉が振りまかれる。一千二百数十年にわたってこの儀式が行われてきたのである。一言で表現すると,幽玄で幻想的な世界ということになろう。素晴らしかった。
翌日は,東大寺,薬師寺,法隆寺などを観て回った。子どもの時に観た東大寺南大門の運慶,快慶作にかかる木造金剛力士立像があった。金堂には,かつて観た如意輪観音菩薩像などがあった。薬師寺には,西塔はそのままの姿だったが,東塔は改修工事中であった。金堂内には子どもの時に見て感動した薬師如来像,日光菩薩像,月光菩薩像などがそのままの姿であった。仏像を観ると心が落ち着くし,内省的になる。ヒマを見つけての仏像めぐりもいいものである。確か薬師寺だったと思うが,トイレは男性用は「善男」,女性用は「善女」という表示があったと思う。そして法隆寺。五重塔に金堂内の釈迦三尊像なども美しい。法隆寺ではもっといろいろと観たかったのだが,バスの集合時間が迫っていた。そこで法隆寺の夢殿と中宮寺とどっちにしようか迷ったが,やはり中宮寺のあの弥勒菩薩像は是非観ておきたいと思い,靴を脱いで上がり,正座して弥勒菩薩像をじっと眺めた。素晴らしいほほえみである。
京都もいいけど,奈良も全く素晴らしい。710年の平城京遷都から今年で1300年となる。歴史の重みと深みを感じる。ただ,マスコットキャラクターの「せんとくん」については,小僧さんの頭の上にいきなり鹿の角が生えていて,最初はちょっとキモいかなとも思ったが,次第に慣れてきて,結構可愛いかな。でもビミョーだな(笑)。
何気なくヤフーのニュースを見ていたら,タレントのビートたけしさんが審査委員長を務めるある大賞授与で,読売巨人軍の長嶋茂雄名誉監督に「東スポ50周年特別賞」を授与することになったそうである。東京スポーツの創刊第1号の第1面を飾ったのが読売巨人軍の長嶋選手だったということで,その当時の長嶋選手の活躍振りは昭和生まれの人だったら誰でも知っているだろう。
たけしさんは,その授与式において,長嶋さんを前にして表彰状を読むときに泣きそうになったそうだ。たけしさんによると,「(会うのは)7~8年ぶり。長嶋さんの前だとしゃべれなくなる。・・・・・今日は(自分が長嶋さんに)よく表彰状を読めたと思う。泣きそうになった。」とのことである。そういう気持ちは分かるような気がする。長嶋選手といえば不世出の名選手であり,国民的な英雄であった。少年にも限りない勇気と希望を与えてくれた。幼く,若かった僕も勇気を与えられたその一人である。一方,たけしさんだって,芸能人としても映画監督としても評価され,今や押しも押されぬ存在となっている。そういう人でも,泣きそうになるというのは,やはり昭和のメンタリティーだね。とてもほのぼのとしてきた。
その授与式で,たけしさんが長嶋さんとのエピソードを紹介した。このエピソードは僕も前にも聞いたことがあったが,面白いので若干の脚色を加えながら会話風に再現すると(状況としては,たけしさんがある事件を起こして謹慎し,精神的に凹んでいるとき),
長 嶋「たけしさん,ゴルフでも一緒にどうですか?」
たけし「・・・エッ,はいっ,ありがとうございます。うかがいます。」
長 嶋「(約束の日にゴルフ場で)やぁ。」
たけし「(震えながら直立不動で)た,たけしです。」
長 嶋「たけしさん,ゴルフですか。どなたとですか?」
たけし「・・・・・・」
でも,長嶋さんって,本当に好きである(笑)。
先日,ある会合で割と長いスピーチを2つほど聞かされた。講演だったらともかく,スピーチなんだから,簡潔明瞭で何か一つ聞き手の心に残るものを与えてくれればいい。しかしながら,その時のスピーチは何やら長いだけでなく,一人は一つの文章の中に何度も「エー」を入れて聞きづらかったし,もう一人は一つの文章の中に何度も「まァ」を入れてこれまた聞きづらかった。
これは癖の中でも,口癖というやつだろうが,確かに無くて七癖というように人にはいくつか癖というものはあるだろう。これは癖と言えるかどうか判らないが,あかねちゃんという僕の娘は,風呂に入っている時に,EXILEの歌などを大きな声で歌っていることが多い。またうちのかみさんは,何かに集中しているような時には,右斜め後方あたりの髪の毛を右手で何やら揉みしだくような仕草を何度も繰り返す癖がある。
そういう僕にも癖はある。ひとつ思い浮かぶのは,耳たぶを耳の穴の中に入れるという,とても奇妙な癖がある。これは季節限定で,主として冬などの寒い時期に出現する癖である。この癖は比較的若いころから発現し,その歴史は長い。その癖の歴史的沿革というか,目的は何なのかについて考察してみる。耳たぶというのは一般的に人間の身体の部位の中でも最も冷たい部位である。やけどをした時などに耳たぶを触るように。寒い時期の耳たぶはとても冷たくて可哀想だとの配慮から,少しでも暖かくしてあげようと耳の穴の中に入れて耳の穴の暖かい温度を伝達してやろうという目的があったのではないか。あるいは,耳たぶのことを思ってというよりも,冷たい耳たぶを耳の穴の中に入れると,ひんやりとして気持ちいいものである。だから,自己の快楽の追求という目的があったのかもしれない。あるいは,その両者だったのかもしれない。いずれにしても,この癖は今も直らない。
もう手袋がいらなくなった。コートを着て歩いていると,ほんの少し汗ばむような気もする。いつの間にか暖かくなったもんだ。真冬の時と比べて,何となくお風呂の沸きも早くなったような。寒の戻りはあるのだろうか。
「水ぬるむ」というのは,早春の季語のようである。僕は昔から何となく好きな言葉なんだよな。四季の微妙な変化を敏感に察知し,そして自然を愛でる日本人らしい言葉である。あの「坂の上の雲」に出てくる正岡子規は次のような句を作っている。
「芹目高乏しき水のぬるみけり」
そして,わが種田山頭火は,
「汲みあげる水のぬくさも故郷(ふるさと)こひしく」
ただ,この山頭火の句はこの季節に作られたかどうかは分からない。
あぁ,そうそう。「坂の上の雲」で思い出した。僕はNHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」については随分と期待していたのだが,がっかりしてしまった。原作にはない創作部分が結構含まれているし,このドラマの制作者の意図が見え隠れする。ちょうど,NHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー アジアの”一等国”」ほど露骨ではないにしても,偏向性を感じるのである。この「・・・アジアの”一等国”」という番組をめぐっては,出演者などから番組内容に偏向があったと批判され,損害賠償請求訴訟にもなっている。「坂の上の雲」はというと,その放送回数が中途半端で放送時期も相当に間延びしており,視聴者の興味自体もそがれてしまうのではないだろうか。余計なお世話かもしれないけど(笑)。