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弁護士ブログ

2010/02/19

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 何かしらタイトルに惹かれて本を1冊読んでしまった。「子供に教える『経済学』」(木暮太一著,青春出版社)という本である。そのサブタイトルには,「世界一やさしい経済の授業」とあるように,図や表やグラフ,挿絵などが多用してあって,しかも父親と子の対話形式で書かれていて,確かに分かりやすい。まあ,経済学のごく一部を解説したものだが,かの菅財務大臣が理解していたかどうかかなり疑わしい「乗数効果」に関する解説もあった。商品の値段の決まり方,国債や公共事業のこと,年金のことなども触れられていた。こういう本はこれからも結構ウケるかもしれない。

 

 いわゆるプレゼンでも,会議でも,教育機関における授業,講義でも,聴いている人に実際に分かってもらってなんぼだからね。分かりやすくて,具体的なのが一番なのである。僕も大学生時代,それなりに学問はした。ある刑法学の教授は斯界の権威的な存在であったが,その講義はというと,自分が出した本をそのまま読んでいるようなもので,つまらなかった。学生としては,その教授が出した本を自宅でコーヒーを飲みながら黙読しているのと効果が大して変わらないような授業だったのである。学問的水準の高さと「教え上手」とは別なんだなと思った。

 

 具体的というので思い出したが,杉並区長の山田宏氏が永住外国人への地方参政権付与問題について,とても具体的で説得的な論を展開していた。PHP研究所が出している「Voice」(3月号)に寄稿していたものである。何やら民主党が,そのマニフェストにも記載していなかった永住外国人への地方参政権付与法案を提出しようとし,その成立を画策している。われわれ国民も,実際には我が事にかかわることなのだから,よく勉強する必要がある。その意味では,山田杉並区長の論考は分かりやすく,具体的で参考になろう。この問題に関連しては,オランダやドイツなどの現状がどんな悲惨な状況になっているのかを知る必要があろう。

2010/02/15

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 先週の金曜日は,午前中に裁判所でひと仕事終えて事務所に帰る途中,急にオムライスが食べたくなった。というわけで,ある喫茶店を久し振りに訪れ,かつてのようにカウンターに座ってオムライスを待っていた。その時に目にした新聞記事にとても感動した。

 

 その新聞記事によると,埼玉県川越市の中学3年の女子中学生は母親と一緒に,石川県輪島市まで航空関係の高校の推薦入試を受けに行こうとしていた。母子2人は夜行列車で移動しようとしていたが,何と,折からの豪雪で,信越本線の夜行列車が運休になってしまったのだ。長岡駅で足止めになった時は,この女子中学生は絶望したそうだが,母親は「ヒッチハイクしよう。」と果敢に提案し,真夜中で猛吹雪の国道を歩き続け,約4時間半後にガソリンスタンドに止まっていたトラック運転手に声を掛けたところ,金沢までならという条件でトラックに乗せてくれたそうな。

 

 その後,この運転手は,自分にも中学3年の子どもがいるから気持ちが分かるというので,「輪島まで行っちゃる。」と言って,金沢までどころか目的地の輪島市まで乗せていってくれたというのだ。そして,劇的にも試験開始10分前に学校に到着し,無事に入試を受けることができたという。その運転者は連絡先も告げずに笑顔で去ったそうだ。この中学生は一旦は絶望していたのに,後日めでたく合格通知を手にした。

 

 僕がこの新聞記事を目にして感動した点は3つある。第1に,この運転手の武士道精神である。神戸まで仕事で向かわなければならない中で,親切心から能登半島の輪島まで遠回りをし,連絡先も告げずに颯爽と去った。無私の精神ある素晴らしい日本人である。第2に,この女子中学生は航空自衛隊でパイロットになりたいという明確な目標をもってこの推薦入試を受けたという点である。成人式で壇上に上がり傍若無人の振る舞いをして迷惑をかけるような手合いばかりだったら,この日本の行く末が思いやられるが,この女子中学生のような若い人の存在を知るにつけても,わが日本もまだまだ捨てたものではない。あっぱれである。第3は,我が子を励まし,真夜中の猛吹雪の中をヒッチハイクしながら約4時間半も歩き続けた母親の強さと優しさである。

 

 僕は,オムライスが来る直前,この感動で両眼の表面に比較的厚い涙の幕が覆ってしまっており,「困ったな。この涙どうしてくれよう。」とうろたえていた時に,オムライスが来てしまった。まばたきした瞬間に涙が落ちた。ウェイトレスの人にばれてしまっただろうか。

2010/02/12

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 昨日は建国記念日,国民の祝日であった。本来であれば仲間とゴルフの予定になっていたが,天気予報が終日雨になっており,早朝に中止が決まった。午後からの本降りの様子を見るにつけ英断だったと思う。それに,その前の晩は飲み過ぎて二日酔いだったので,助かった(笑)。

 

 さて,建国記念日といえば,紀元節,紀元節といえば,三種の神器,三種の神器といえば,八咫鏡(やたのかがみ),八咫鏡(やたのかがみ)といえば・・・・・

 

 今日は,われわれ法律家が胸に付けているバッジの話を少しだけしたい。まず,裁判官が胸に付けているバッジは,八咫鏡(やたのかがみ)をモデルにしている。八咫鏡(やたのかがみ)は真実をくもりなく映し出すという意味で,公正さの象徴である。確かに,証拠の評価を含めた事実認定が誤っていたら困るもんね。ついでに,裁判官が法廷で着ている法衣が黒色なのは,何色にも染まらないという意味であり,これも公正さの象徴であろう。でも,何色にも染まらないというのが,どんな意見にも絶対に左右されないという意味で,これが高じて独善に陥ることだけは避けてもらいたい。

 

 次に,検察官が胸に付けているバッジは,旭日に菊の花弁と葉をあしらったもので,秋霜烈日の意味である。つまりこれは,秋の冷たい霜や夏の激しい日差しのような気候の厳しさ,ひいては,刑罰・権威のきびしさ,厳かさが検察官の職務の理想であるということであろう。それにしても,小沢一郎民主党幹事長の政治資金規正法違反被疑事件の結末はなぁ・・・。この秋霜烈日章のようにやって欲しかったよ(笑)。

 

 そして弁護士が胸に付けているバッジは,絵柄は丸いひまわりの花弁が回りにあってその中に天秤ばかりがあしらわれている。太陽というのは正義の象徴である。ひまわりはいつも太陽に向かって咲いている。要するに社会正義の実現に寄与すべきだということである。また,中にあしらわれた天秤ばかりは,エジプト神話マアトの「真実の羽根」との重さを比較する天秤のようである。これも真実追究の象徴だろう。

 

 名前負けという言葉があるが,法律家もバッジ負けしないようにしなければならない。

2010/02/04

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 いつも自宅から歩いて出勤しているが,今朝その途上であらためてびっくりしたことがあった。自宅から歩いてすぐの所に小学校があるのだが,その小学校にたどり着く途中で,アスファルト舗装の歩道を突き破って雑草が生えている光景を目にしたのである。そういえば,そういう光景は今までにも見たことはあったが,草がどうしてアスファルトを突き破ることができるのであろうか。恐らく,根が張ってたくましく成長し,アスファルトの下の土を長時間かけて盛り上げ,最終的にはアスファルトに亀裂を生じ,そこから草が日の目を見るということであろう。あらためて雑草の生命力に感動した。

 

 中国の後漢書の王覇伝の中に,「疾風に勁草を知る」という表現がある。これは,とても激しい風が吹いたときに弱い草はすぐに倒れるが,真に強い草は倒れない。疾風が吹いてはじめて強い草が見分けられる。苦難の中で落伍した多くの部下の中にあって最後まで支えた真の部下が分かる。それが転じて,苦難や事変に遭遇してはじめてその人の節操の堅さや意思の強さなどが分かるという意味である。

 

 そういえば,僕が弁護士になる前に東京勤務をしていた時,「勁(つよし)」という名前の上司がいた。いい名前だなと思っていたが,この上司は繁忙部署で審査官という責任ある立場の人だったが,どんなに忙しくても,ストレスを感じていそうでも,いつも温厚そうな表情を変えずに的確に事務処理をしていた。名前のとおり勁い人だったのだ。僕もこういう人になりたい。最近は仕事に追われて凹みがちであるが,今朝見つけた雑草のように,勁草のように乗り切っていきたい。

 

 それにしても,民主党の小沢幹事長は政治資金規正法違反の被疑事件については,不起訴処分となるようである。でも,今後は検察審査会に対する審査請求がなされる余地もある。予断は許さないであろう。民主党幹部で小沢幹事長の腰巾着と言われている人たちは,あたかも小沢幹事長という人が受難に遭ったかのような物言いをしているが,的外れである。小沢という人は,勁草などではない。新約聖書のマタイによる福音書の中に出てくる「毒麦のたとえ」でいえば,毒麦である。

2010/02/03

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 このブログも,社会に対する不満ばかりだと読みづらくなってしまうだろうけど,先日のコンビニでの一件は,何かなぁ・・と思った。人間,何かをするときには,他人の目から見てどのように映るだろうか,どのように思われるだろうかという意識もある程度必要だろうと思う。想像力といってもいい。

 

 ぜんまいざむらいの弁当箱に入った弁当のない日の昼食は,コンビニで買って済ますことが多い。まあ,今日はおにぎりと簡単なスープかなと思っておにぎりのコーナーに行こうとしたら,そのコーナーの直前にはOL風の若い女性が張り付いておにぎりをじっくりと選んでいた。真横に並ぶのも気が引けたので,斜め後ろから僕も遠巻きにおにぎりを選んでいた。するとその女性は,居並ぶ大勢のおにぎりちゃんに向かって遠慮会釈なく大きなくしゃみを吹きかけたのである。その後の僕の行動は,推して知るべしである。当然にそのコーナーから離れて,パンのコーナーへ移動した。遠慮会釈なくくしゃみを吹きかけたとしても,大勢のおにぎりちゃんはフィルムでくるまれているのだから衛生的には大きな問題はないのだろうが,目の前でそうまでされたら,僕としてはとうてい買う気にはなれない。その女性には,もう少し他人の目を気にする配慮,奥ゆかしさを求めたい。

 

 ところが,その日のコンビニでの一件はそれだけでは終わらなかった。パンとスープを買ってレジで順番待ちをしていたら,今度は若いサラリーマン風の男が,店内の中央部の腰より低い位置に並べられていたアイスクリームなどのデザートに向けて,これも遠慮会釈なく大きな咳を2度くれていた。これも良くない。もう少し他人がどう思うかを考えよ。しかしである。この時はそれだけでも終わらなかった。相変わらずレジの順番待ちをしていたら,これまた若い草食系男子風の男が,レジ付近にあったおでんのコーナーで信じがたい行動に出たのである。その店のおでんのコーナーは,レジ付近でお客に自由に容器に盛らせて精算するというシステムのようである。その草食系男子は,自分の選んだおでんネタを白い容器にいくつか入れていたが,その際に多くのおでんの前でこれまた何ら遠慮会釈なく咳をコンコンと何度もしていたのである。さすがに無防備に露出された多くのおでんの前でそんなことをしたら,人様がどう感じると思うか,想像力を働かせるべきである。

 

 この日の救いは,夕方,帰宅途中に立ち寄った書店での一件である。本を2冊選んでレジに向かったら,2つあったレジはいずれも空いていて,このうちの1つは国語学者の金田一秀穂さん(クイズ番組のQさま!に出演している人)風の壮年男性の店員,もう1つは清楚な美人でとても愛想の良さそうな女性店員だった。この状況で絶対に迷う訳がない。僕は一目散に女性店員のレジに向かった。その人は美しくて接客が清々しく,お釣りを手渡しされる時には,ぼ,ぼ,僕の手を両手で挟んで渡してくれた。外は寒かったが,あの手の暖かい感触よ,失せるなと思いながら家路についた。

2010/01/27

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 今日は膝をガクガクさせながらこのブログを書いている。とうとうスロートレーニングの実践段階に入ったのである。ここで,おさらいしておくと,これまでの僕の低体温に関する学術的研究の結果,低体温はいろいろな意味で健康によくないことが分かった。そして,この低体温状態を改善する方法としては,スロートレーニングによって,熱産生器官である筋肉を鍛えることが有効だと帰結するに至ったのである。

 

 「スロトレ【完全版】・DVDレッスンつき」(石井直方・谷本道哉著,高橋書店)という本を買って,臆病な僕はまずは読んで研究してみた。それによると,スロートレーニングは,軽めの負荷でありながら重い負荷でトレーニングしたかのように筋肉をダマす,ちょっと「ずる賢い」テクニックであり,そのメカニズムと効果の高さは多くの研究論文で実証済みなんだそうな(同書12頁)。さらに詳しく引用すると,「スロトレの大原則は、筋肉に力を入れ続けながらゆっくりエクササイズすること。たとえばスクワットなら、スタート姿勢からゆっくり立ち上がりきる直前にまたゆっくりしゃがむようにし、つねに筋肉に力が入った状態を保ちます。こうして力を入れ続けながら動作をくり返すと、筋肉内の血流が制限され酸素不足に。こんな過酷な状態にさらされると、筋肉は高い負荷で激しい運動を錯覚して発達するのです。」(同書14頁)。

 

 それに,これによって成長ホルモンがたくさん出るし,アドレナリン,ノルアドレナリンという体脂肪を分解してエネルギー源として消費されやすい形にしてくれる作用もあるそうだ。それに,これは毎日やる必要はなく,中1日でいいし,特に器具もいらず自宅で1セット20~25分くらいで完了だ。

 

 そういう訳で,今朝から僕もスロートレーニングを開始し,今も膝がガクガクしている。このようにして,不肖元松も低体温解消のための飛翔を始め,空に向かって勇躍羽ばたいて行ったのである。              

2010/01/26

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 僕が自分の低体温を疑い始めたきっかけは,先日のブログでも書いたとおり風邪で病院を訪れたことである。後日,風邪が治った後の自分の平熱を測っても,36度に達しないことの方が多い。

 

 そうすると「低体温」なるものを一度調べてみたくなるのが人情である。「体温を上げると健康になる」(齋藤真嗣著,サンマーク出版)という本を買って読んでみた。医師らしく理論的な論述がなされ,内容的にも分かりやすく,良い本だった。なぜ低体温になるのか。そもそもの原因はストレスのようである。人間が多くのストレスにさらされた場合,健康を保つための機能が人体に備わっており,その一つが自律神経のバランス,もう一つがホルモンバランスだそうだ。まず自律神経のバランスが,ウイルスなど外側から侵入してきたストレスから体を守る免疫系システムを司っているし,次にホルモンバランスが,体を構成している細胞が受けたダメージを回復させるシステムを司っているとのこと。そして,自律神経のバランスが崩れると血流が悪くなり,血流障害から低体温になる。またホルモンバランスが崩れると細胞の回復が遅くなり,細胞自体のエネルギーが低下してやはり低体温になる。

 

 ・・・・・とすると,逆に言えば,低体温こそ改善すれば,自律神経バランスとホルモンバランスを崩すことがなく元気になる,免疫力も,体力も,そして精神力も高められ,さらには,血流改善・増加→毛細血管も血流増加→毛根・毛母細胞に十分な栄養が運ばれる→髪の毛がフサフサになる(ここまでくると僕の切実な願望が込められた希望的観測が入っている)→モテる・・・・・

 

 特にこの本で参考になったのが,「アドリーナル・ファティーグ」という概念である。同名の本は全米でベストセラーになったそうな。アドリーナル・ファティーグというのは,副腎疲労のことである。副腎皮質で作られるホルモンの一つに,DHEA(デヒドロエピアンドロステロン)と呼ばれる性ホルモンがあり,これが「長寿のマーカー」として注目を浴びているそうだ。このアドリーナル・ファティーグ(副腎疲労)になると,副腎の機能低下,DHEAの生産量も低下し,これが男性更年期障害のメカニズムなのだ。

 

 もうこうなったら,低体温は全力で解消するしかないでござる。この本では,低体温解消のためには「スロートレーニング」(スロトレ)が推奨されている。筋肉は最大の熱産生器官だから,筋肉を鍛えるのが良いのでござる。また,筋肉を鍛えれば基礎代謝量がアップし,太りにくくなることは昨日のブログで述べたとおり。

 

 そこで,僕の次の課題は,このスロートレーニングの実践ということになるのでござる(続く)。
                     

2010/01/25

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 うーーーん・・・・・やっぱり,どう考えても低体温はよくないでござる。いろいろ理由はありそうだが,まずは体温と基礎代謝量との関係で,低体温だと太りやすくなると思う。

 

 基礎代謝量というのは,人間が何もせずにじっとしていても生命活動を維持するために生体で自動的(生理的に)に行われている活動のために必要なエネルギー消費量のことである。例えば,僕の場合は1日の基礎代謝量を1450キロカロリーと仮定しよう。そのうち「体温」の維持に必要な熱量(エネルギー)は約65%程度といわれているので,僕の1日の体温維持のための熱量は約942キロカロリーとなる(1450×0.65)。そして,人間の体温が1度違うと体温維持に必要な熱量は約15パーセント違ってくるので,僕の体温が1度変動すると約141キロカロリーの消費量の差となって現れてくる(942×0.15)。

 

 この消費カロリーの差を,恐る恐る体脂肪,つまり脂質の差で換算してみると・・・。脂質の熱量(エネルギー)は1グラム当たり約9キロカロリーといわれているので,僕が体温を1度上げた場合と相変わらず低体温のままでいる場合とを比較すると,低体温のままだとそれだけ消費エネルギーが少なく,1日当たり15.7グラムも脂肪がついて太ってしまうことになる(141÷9≒15.7)。これが1か月になると471グラム(約0.47キロ)となる。半年で・・・・・2.82キロ(-_-;)

 

 それだったら,エネルギーを摂取しなければいいではないかということになるが,食べる愉しみが奪われて,僕は元気がなくなるのではないか。この太りを阻止するためには,運動してエネルギーを消費するか,あるいは筋肉を付けるなどして体温を上げ,基礎代謝量を増やすしかない!

 

 やっぱり,低体温はよくないのでござるよ(続く)。

2010/01/21

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 わが家の日曜日の夕食時は,たいていはフジテレビ系列の「サザエさん」を見ながらというのが多い。今週の日曜日の夕食時,「サザエさん」を見ていて思い出したことがあった。娘のあかねちゃんの誕生の時を昨日のことのように思い出したのである。

 

 うちのかみさんは,前日の9月25日の土曜日から,昔の国立名古屋病院産婦人科に入院していた。いよいよ生まれそうだったからである。あまりはっきりとした記憶はないが,翌9月26日の日曜日の午後4時ころに,病院のスタッフからいよいよ生まれるかもしれませんからという電話連絡があったので,僕は母と2人で病院に向かい,産婦人科の待合室で待機していた。この時の気持ちは,何とも言えない気持ちだった。いよいよオレの子が生まれるのか。楽しみだ。どんな顔だろうか。いよいよお父さんか。でも,かみさん苦しまなければいいがな。無事に生まれてくればいいけど・・・・などといった複雑な気持ちであった。

 

 待合室には,テレビが置いてあって,「サザエさん」の映像をボーッと見ていた。登場しているサザエさんやカツオは,いつもどおりのんきなものだったが,僕は内心ドキドキしていたのである。一緒にいた母も同じだと思う。その時である,看護婦さん(当時は看護婦さんと呼んでいたと思う)が待合室に入ってきて,「おめでとうございます!」と言ってくれた。ホッとしたと同時に,いよいよ生まれたばかりの赤ちゃんとしてのあかねちゃんとの初対面だ。緊張した。分娩室だったかその隣の部屋だったか記憶はないが,看護婦さんの指示に従ってマスクとシャンプーキャップみたいなものをかぶり,招かれるまま入室した。看護婦さんが白いタオルにくるまったあかねちゃんを僕に抱かせてくれた。

 

 抱っこして初対面の時にあかねちゃんが僕の前で一番最初にしたことは,何と,大あくびであった。あかねちゃんの僕に対する最初の挨拶は,大あくびだったのである。羊水の中でずっと頑張っていて,ようやく手足を伸ばせたんだから,無理もないだろうと思った。・・・でも,感激したわ。あかねちゃんは,まだ目が完全には開いておらず,赤っぽくて随分とくたびれた顔をしていたが,よくぞ元気で生まれてきてくれたという気持ちであった。この時は僕はまだ司法修習生だったが,改めて父親としての責任を自覚したものだ。

 

 そのあかねちゃんも今年の春で早くも高校2年生になろうとしている。あかねちゃんが生まれたのは日曜日の午後6時40分ころで,正に「サザエさん」の真っ最中の出来事であったのだ。

2010/01/15

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 何やら小難しそうな標題(タイトル)にしてしまったが,何のことはない,「ぜんまいざむらい」に登場するキャラクターにはそれぞれ長所や短所があり,絶対善をひけらかす人も絶対悪の権化もそれぞれいない,とても心地よい世界になっているということが言いたいだけなのだ。

 

 ぼくは主人公のぜんまいざむらい(以下「ぜんまい殿」という。)がとても好きである。ウィキペディアにも書いてあるとおり,ぜんまい殿は「現NHKで最も平和的な主人公の一人」であって,心に安らぎを与えてくれる。彼は不正や困った人・状態を目の当たりにしたときは,「必笑だんご剣」でこれらを正したり,自己犠牲精神を発揮するけれども,バリバリの勧善懲悪というものでもない。このぜんまい殿だって,何かの拍子に電撃を浴びたりすると「アクタレざむらい」になったりもするし,何しろ前世(約200年前)では,だんごを盗もうとしてねずみに会ってこれに驚き,井戸に落ちて死んでしまったという経歴がある。

 

 豆丸だって,すごく真面目で良い子だけど,おねしょの癖という弱点がある。

 

 だんごやおばばだって,毎日毎日だんごを作って生業に精を出す本当に真面目な町人だし,何よりもぜんまい殿や豆丸を居候させているという意味で,根が優しいのだろう。でも,あの随所に出てくる悩殺ポーズはいただけない。

 

 なめざえもんは,お金にものを言わせて傍若無人の振る舞いをしたり,貧乏人を小馬鹿にしたりする鼻持ちならない奴だけれど,ぜんまい殿が絶体絶命の時は真剣に助けようとするし,涙を流したりする善良で優しい面もある。

 

 あくとり代官だって,あのダジャレの連発にはとても閉口するが,考え方はすごく真っ当だし,例えばある回のお話では,他の料理人と料理大会で順位を争った際には,他の料理人の悪質な妨害にもめげずにフェアに振る舞って堂々と優勝し,この僕をして涙ぐませている。

 

 「・・・・・でごじゃりまする。」のわたあめひめも,人のため息を棒で巻いてわたあめにし,そのため息をした人の疲労感や不安感を取り除いてくれる良い女の子である。わたあめひめはその一方で,性格的に思いこみが激しく,ワガママな面もある。

 

 このように,「ぜんまいざむらい」に登場するキャラクターは,ごく一部の例外を除いて,みんな長所と短所を併せ持っていて,絶対善をひけらかす人も絶対悪の権化もそれぞれいない。居心地のよい世界になっている。これこそが絶対に正しいのだという押しつけや,徹底した勧善懲悪でもないので,肩がこらない。正邪,善悪などの区別が峻厳ではなく,いわば価値が相対化され,神々が共存している感じである。

 

 さきほどごく一部の例外を除いて,と述べたが,かみちよねーさんだけは短所らしきものが全く見当たらず,僕は非常に好きなのである(♡)。

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