ほんとに,何なんでしょうね,この暑さ!6月が終わったばかりだというのに,昼間は灼熱,そして夜中は寝苦しさ・・・。
私はやはり熱中症対策で十分な水分補給と適度な塩分摂取に心掛けております。汗をかきますけれど,汗はありがたい。気化熱で皮膚温度を下げてくれますからね。人間を含め,動物の身体ってうまくできております。
気化熱といえば,先日の産経新聞のコラム「産経抄」に面白い記事が載っておりました。何と,古代エジプトでも気化熱を利用したワインの冷却法があったのだとか。紀元前1400年ごろ建てられた古代エジプトの墓所の壁画には,奴隷が壺の載った棚をうちわであおいでいる場面が描かれており,これは酒好きのファラオ(古代エジプトの王)のために,壺の中のワインを冷やしている場景を描いているようです。つまりこうです。壺は浅い水槽に浸かり,常に濡れているのですが,うちわであおいだ風に当たると壺の表面の水が蒸発して中の温度が下がる訳ですね。そうすると中のワインも冷える。汗をかいた後に風に当たると涼しく感じる経験を活かしているのですね。
話は変わりますが,最近では私は夕食時にくだらない地デジの番組を見るよりも,YouTubeをハシゴしております。だっていろんなジャンルの動画を好きな時に好きなだけ楽しむことができるんですから。例えば,バッハのインベンション(2声)とシンフォニア(3声)の動画を楽しんでいたら,次から次に「こんなんありますけどどうですか?」と言わんばかりに忖度して関連動画がラインアップされます(笑)。
そうしたら20世紀前半に活躍したフランスのマルセル・メイエという女性ピアニストの動画に行き当たりました。恥ずかしながら私は,このピアニストの存在は全く知らなかったのです。パリ音楽院出身で同時代の女流ピアニストといえば,クララ・ハスキルが有名ですが,マルセル・メイエのことは知りませんでした。
しかし,マルセル・メイエの数々の動画で彼女の演奏を聴いていると(もちろんモノラル録音),何とも味わい深く,洗練されていて,思わず引き込まれる魅力があります。引き込まれてしまうのは,彼女がかなりの美人であることも影響しているのかもしれません(笑)。
バッハもさることながら,クープラン,ラモー,スカルラッティなどの演奏も素晴らしい。彼女は私が生まれた翌年にパリで亡くなっておりますが(享年61),ようやく1990年代から彼女の録音のCD化がなされるようになり,日本でも知る人ぞ知る存在になったようです。何と,調べてみたらCD17枚の廉価版ボックスも販売されているようです。入手できれば入手したいと思います。
初めに言い訳めいたことを書きますが,普段のお仕事頑張っているご褒美,そして息抜きのために北海道ゴルフ旅行へ行ってまいりました(笑)。気が置けない人たちと,2泊3日(函館と札幌)の旅行で,ゴルフは2プレイです。コロナ禍のため3年ぶりとなりました。
函館空港に到着した初日はもっぱら観光で,地元のメンバーの案内で五稜郭へまいりました。そう,戊辰戦争の最終盤,函館戦争の舞台にもなった場所で新選組土方歳三終焉の地も近くにあります。
その後は早めの夕食をジンギスカンで済ませて,ロープウェイで函館山に登りました。残念ながらこの日は曇り空で霞のようなものがかかり,また時間帯も早かったこともあり,あの有名な函館の夜景を楽しむことはできませんでした。私は家族旅行などでこれまで北海道には10回ほど訪れていますが,実は函館はこれが初めてだったのです。1日目の宿は大沼プリンスホテルでした。ぐっすり眠って翌日に備えます。
翌日は北海道カントリークラブ大沼コースでゴルフ。1か月半ぶり,そして白内障手術後初めてのゴルフでしたから不安もありましたが,やはりスコアはさんざんでした(笑)。それでも素晴らしいキャディーさんで楽しくプレイができました(マスクをされていましたが,恐らく美人・・。しかも親切で言葉遣いも優しく,アドバイスも適切)。私の場合,やはりバンカー脱出が課題か・・・。そして,洞爺湖も昭和新山も見ることができました。私は湖が好きで,これまで摩周湖,サロマ湖,阿寒湖,支笏湖は観光しましたが,洞爺湖はまだでしたので北海道の主要な湖は概ね制覇しました。
さて,とても強行軍ですがその後は札幌へまっしぐらです。ビジネスホテル風のホテルでチェックインした後は,海の幸満載の夕食を楽しみました。その会場には,以前も同席してくれて何かとお世話をしてくれたクラブ(ラウンジ)のママも同席し,ありがたいことにみんなに蟹の身を一生懸命にとって配膳してくれました。これはいつものコースで,このママのクラブ(ラウンジ)が二次会場なのです。
いやはや,このママはとびきりの美人です。これまで必ずしも順風満帆とはいかなかったとは思いますが,すすきのの一等地で10数年も継続して店の経営をしてきたのですから大したものです。このクラブ(ラウンジ)には奥に特別室,すなわちカラオケが楽しめる個室があり,飲めや歌えの大騒ぎ・・。でも,翌日はゴルフの第2ラウンドが控えていますから,それほどの長居はしませんでした。
店を出た後は,本当にいけないこととは知りながら,どうしても誘惑に勝てずに「新ラーメン横丁」のある店で「締めのラーメン」です(笑)。だって,ホテルのすぐそばにあるんですもの。ただし,ハーフサイズのラーメンで,私の場合はやはり塩バターコーンです。これは本当に美味しい。
翌日は,ニドムクラシックニスパコースでゴルフの第2ラウンドです。やはり左右の林がとても利いております。みんな林間コースで苦労していました。もちろん私も・・・。それでも前日のスコアよりも10打ほどよかったのです。クラブハウスで食事をし(単価設定はとても高い【笑】),汗を流した後は,新千歳空港へ一直線です。それにしても今回も運転は全てOさんにお任せしました。ありがたいことです。ご苦労様でした。
今回のゴルフ旅行はもちろん楽しかったのですが,私も年齢には勝てませんね。ゴルフの2プレイと数か所の観光のカップリングはいささか体にこたえます。それでもまたお誘いがあれば「御褒美」,「息抜き」と称していそいそと出かけて楽しむのでしょうが・・・。
今度の楽しい北海道旅行で,久しぶりにカミさん,娘,私の三人での北海道旅行も良いものだなと思いました。
5月24日の左眼の白内障手術も無事に終了し,これで同月17日の右眼の手術と併せて白内障手術が完結した訳であります。術後の眼圧検査や視力検査,そして診察結果も比較的良好で推移しており安心しております。
もちろん生まれて初めてでしたが,今回は何かと良い経験をさせてもらいました。生体に対する侵襲行為には違いなく,眼のごく一部を切開等する訳ですから不安や恐怖心もありましたが,今となっては良い思い出です(笑)。
白内障手術を受けることが決まった時,私はどういう訳か独身時代に観たルイス・ブニュエル(サルバドール・ダリとの共作)の「アンダルシアの犬」という無声短編映画の不気味な1シーンのことを思い出しました。この映画,冒頭に女性の左眼がカミソリで真横に切り裂かれるというショッキングなシーンがあります。私も映画館でこれを観てたまげましたが,実はこのシーンで使用されたのは死んだ子牛の眼だったそうです。この映画はシュルレアリスムの傑作と評されてはおりますが,各シーンの意味や連動性,脈絡,何を表現したかったのか,私は未だに理解できません(笑)。
また,白内障手術と言えば,私がその音楽をこよなく愛しているヨハン・セバスティアン・バッハがその最晩年にこの手術を受け,結局はそれが失敗して失明し,約4か月後に亡くなってしまったという痛ましい史実を思い出します(1750年7月28日)。失敗も何も,執刀したイギリス最初の眼科医と言われるジョン・テイラーという人間は稀代のヤブ医者,ニセ眼科医などと言われた男ですし,同時代の大作曲家ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルもこの男の手にかかって目の手術失敗という憂き目にあっております。本当に不幸なことです。おそらく麻酔などもされずに,痛かっただろうし・・・。
さてさて,手術後には何かと不自由をしました。えっ?と思ったのは,術後1週間は洗髪,洗顔,カミソリによる髭剃りが禁止されます(電動カミソリはOKとのこと)。2週間にわたって左右の眼の手術をする訳ですから,その不自由さは筆舌に尽くしがたいのですが,どうやらこういった措置,指示は眼に細菌が入ったりして感染を防止するためです。でもね・・・,髪が洗えない,髭が剃れないなんて(家には電動カミソリなんかありません)・・・。手術の翌日からは首から下の入浴はできますが,洗髪等ができないというのは本当にイヤですよ。
主治医の先生やスタッフはもちろん信頼しておりますし,患者としてその指示には従いたいと思いますが,洗髪とカミソリによる髭剃りだけは,私はこっそりと反旗を翻しました(笑)。細心の注意を払い,眼に水などが入らないように眼をつぶってカミソリで髭を剃りました。敢然と反旗を翻したのです。でも,愕然としたこともありました。2,3日髭を伸ばしていたら,私の髭の約半分は白かったのです(笑)。もう完全にジジイです。
次に,洗髪を敢行するぞと決めてから,私はカミさんにお願いして通販でシャンプーハットを購入してもらい,到着した夜に3日ぶりに洗髪したのです。洗髪って,本当に気持ちが良い・・・。それに,シャンプーハットを発明した人は誰なんだろう。凄い発明だと思います。こんなに重宝なものはない。シャワーをジャンジャン浴びても,お湯が顔にかからないんですもの。もちろん自分一人しか見ていないとは言うものの,裸でシャンプーハットを装着した自分の姿を洗面の姿見で見た時は,情けなかったです。エリマキトカゲにしてはエリマキの位置が上過ぎるし,カッパにしては皿が下過ぎるし,ちょっとした珍獣でした(笑)。それでも洗髪の爽快感には代えがたい。
後は,当分は眼鏡なしです。術後の視力が安定するまで,1か月は眼鏡の処方ができないということだからです(さすがに1か月は長いような気がしますので,短縮を主治医にお願いしてみようと思いますが)。おかげさまで近く,例えば本や新聞を読むときなどは見違えるほど鮮明に見えますが,遠方はやはり眼鏡で視力の矯正が必要です。当分は眼鏡なしで過ごしておりますので,合う人合う人にいちいち事情を説明するのが面倒です(笑)。
これにて白内障手術は無事に完結。あとは一定期間は定期的に通院となります。早く眼鏡を作りたい。麻雀はできますが,眼鏡がないと車の運転やゴルフに支障がありますから。
前にもこのブログで触れたことがありますが,昨年末から顕著に特に右眼の視力低下,そして不同視(左右の著しい視力差)を自覚しておりました。こりゃいかん,ということで今年の3月に意を決して眼科を受診したのです。
そうしたところ,精密な検査を経て,「白内障」の確定診断を受けました。皆さんご存知のとおり,白内障は目の中のレンズの役割をする水晶体が濁る病気で,主な原因は加齢です。とうとう私もそんな年齢になってしまったのです(笑)。
主治医の先生に私が恐る恐る「手術の適応がありますか?」と尋ねたところ,即座に「あります。」との回答。左眼は右眼ほどではないにせよ,どうせ手術をするならば同時期が良いとのことで(左眼もいずれ進行していく),私もためらうことなく手術を受けることを決意したのです。
5月17日には右眼,同月24日は左眼の白内障手術を受けることにし,20日間ほどは手術前検査,手術,術後検査,養生などでほとんど仕事になりませんので,万障繰り合わせて日程を設定しました。
みなさん,白内障手術ってどんなものだと思います?私が受けた(受ける)のは,「超音波水晶体乳化吸引術」です。目薬で局所麻酔し(要するに意識消失を伴わない麻酔),角膜を切開し,機械で濁った水晶体を細かく砕いて吸い出し,その後に眼内レンズを挿入するのです。15分間くらいの手術で,入院などせず日帰りできるのです。
これで眼と視力が蘇るのであれば嬉しい限りです。思い起こせば,確かにこれまで目を酷使してきましたものね(笑)。両親からいただいた愛着のある水晶体さん,よく頑張ってくれましたね。ありがとう(笑)。それと同時に,「ああ,自分もそんな年齢を迎えたのか。」と感慨ひとしおです。
手術自体は短時間で済むとはいっても,術前検査は多項目にわたります。眼圧検査,屈折検査,視力検査,角膜検査,眼底検査,OCT(光干渉断層計),視野検査,血液検査,涙道検査,超音波検査などを受ける必要があります。苦痛を伴うものはありません。
さて,17日は右眼の手術。その眼科医院は中規模の医院ですが,医師もスタッフも信頼でき,しかも術前・術後は落ち着いた環境の部屋(リカバリールーム)で過ごし,術後には飲み物と軽食が出ますし,タクシーの手配やタクシー料金の補助もされます。
17日の右眼の手術前は,やはり生体への侵襲行為でもありますので,内心は非常にビビッておりました(笑)。手術着に着替え(感染防止のために頭もシャワーキャップのように全部覆います。),数度にわたる麻酔薬の点眼,そして待機・・・。スタッフの女性はみんな美人で優しい(笑)。最終的に麻酔薬の点眼をしてくれた女性スタッフは,「このままお待ちください。迎えが来ますから。」と言って去りました。
ビビっていた私は「迎えが来る」という言葉に過度に敏感に反応しました。西方極楽浄土から「お迎えが来る」のかと・・・(笑)。
いよいよ手術室への入室です。当然のことながら,医師をはじめ全スタッフが完全な手術着で迎えてくれましたが,相当に涼しい環境です。あとは指示に従って全部お任せです。局所麻酔ですから,術中の意識はしっかりとしておりますので,切開されたな,洗浄しているな,レンズが挿入されたななどといった工程は自覚できます。麻酔が効いており痛みはほとんどありませんでした。長く感じましたがやはり15分くらいで終了しました。手術を受ける身ではありましたが,何となく達成感があり,自分にご褒美をあげたくて,その日の晩は眼帯をしながらビールで祝杯です(笑)。
おかげさまで術後の経過も順調です。ありがたいことです。右眼の見え方が見違えるようにクリアになっております。さて,明日(24日)は左眼の手術ですが,既に右眼を経験しておりますのでそれほどビビりはありません(笑)。
なお,私の場合は書籍(文献)を読んだり,書面を起案したりする時間が多い仕事ですので,近方に焦点の合うレンズを左右に入れてもらい,遠方は眼鏡で矯正する必要があります。眼鏡を作成する場合は,視力や眼の状態が安定した手術後1か月以降に眼鏡合わせの検査を受けることになっており,その結果で眼鏡の処方箋を作ってもらうことになっております。
東京で一人暮らしをしている娘は年に2,3度は我が家に帰省するのですが,うちのカミさんはカミさんで,一人暮らしの娘の様子を見に年に2度ほど上京します。最近では5月の連休に出向くことが多く,今年の連休もそういうことになりました。
そうすると私は1週間ほどは独身生活となり,いわば「やりたい放題」となります(笑)。規則正しい私は,三度三度の食事の時間帯がずれることはありませんが,好きなものを食べますし,自宅での仕事,そしてゴルフや麻雀,ピアノの練習に読書などなど自由気ままなもんです。
それでも,朝刊を取ってくることやゴミ出し,買い物,食事の支度,洗濯(干したり畳んだりを含む。),食器洗いなどを自分で黙々とやっておりますと,改めてカミさんへの感謝の気持がわき上がってまいります。これらのことだけでなく,毎日毎日このような作業に加え,まめに掃除したりその他の家事を全般的にやってくれているのですから・・・。本当にありがたいことです。ですから年に2度ほどは東京の娘と夫抜きで過ごし,せいぜい羽を伸ばすのも良いと思います。ただ聞くところによりますと,カミさんは娘の部屋も大掃除したり,食事の指導をしたりしているそうですが(笑)。
さて,そんな訳で5月3日の祝日も,「独身」の私は早朝に朝刊を取りに行き,朝ごはんを自分で用意してこれをいただき(ごはん,味噌汁,納豆はいつもどおり必要不可欠),朝刊を読んだ後は,食器洗いをし,洗濯をしました。それにしても改めて思いましたが,全自動の洗濯機というのは便利なものですね。ボタン一つで全工程をやってくれます。5月の爽やかな晴天の下,慣れない手つきで洗濯物を干します。
その後はピアノの練習と読書・・・。一休みしたらもう昼です。いやー,休日というのは本当に素晴らしい。カミさんが冷蔵庫の野菜室にあるレタス,きゅうり,トマト,春玉ねぎなどを気にしておりましたので,私も昼は健康に良さげな自己流サラダを作ることにしました。
しかし,まな板の上で黙々ときゅうりやトマトを切っている時に,にわかに私の耳元で悪魔のささやきが聞こえました。
「ビールが美味いよ・・・」
せっかく殊勝な心がけでカミさんの常日頃の家事作業に感謝しつつ,野菜サラダを自己流で作っていたのに,その時悪心が起こりました。ビールも冷えているし,いただき物の日本酒も冷えている。「魔がさす」というのはこういうことなんだと思いました(笑)。
結局はこの日の昼食は,自己流サラダとともに禁断の昼ビールとなりました(日本酒も少し)。まあいいか,カミさんも娘と一緒に買い物の後,二人で今頃美味いものでも食べているんだろうし・・・。
さて,旅行3日目は午後からは帰途につかなければなりませんので,観光ができるのは半日です。この日のホテルでの朝食は,やはり私は和食,カミさんは我が家でのいつもの和食とは違って洋食でした。いつも思うのですが,旅先での朝食って美味しいですね。前日もよく歩きましたし,一晩寝てお腹も空いておりました。
ゆっくり目のチェックアウトを経て向かったのは,もちろん前日入館できなかった「坂の上の雲ミュージアム」です。味わいのある路面電車で道後温泉駅から大街道駅へ移動します。館内は,正に「坂の上の雲」(文春文庫,全8巻)の世界が広がっておりました。展示物も豊富で,日本海海戦(ロシアのバルチック艦隊撃破)の映像の迫力は我々を圧倒しました。日本海海戦の直前,旗艦「三笠」の艦橋に立つ東郷平八郎(連合艦隊司令長官)の雄姿の格好良いこと・・・。
また,海戦直前,連合艦隊先任参謀として秋山真之が打電した「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」の電文は有名です。ロシアのバルチック艦隊を撃滅できたのは,真之の作戦立案という功績が大であったことも疑いはありません。一方,兄の秋山好古は,日露戦争で日本の騎兵隊に世界で初めて機関砲を常備させ,当時世界最強といわれたコサック騎兵隊を撃退しました。敵の猛撃にも一歩も退かなかったのです。陸軍大将に栄進した後は,後進の指導に注力しました。
この「坂の上の雲ミュージアム」から歩いて12,3分ほどの所に,「秋山兄弟生誕地」があります。秋山兄弟が生まれ育った生家が再建され,そこには兄弟の立派な像もあり,生家内部も観覧できます。平生質素な生活をしていた好古の生前の言葉として,次のような言葉が残っております。本当にいいことを言いますねぇ。
「人間は貧乏がええよ。『艱難汝を玉にする』と言うてね、人間は苦労せんと出来あがらんのじゃ。苦しみを楽しみとする心掛けが大切じゃ。」
前回も申しましたが,この松山という町そしてそこに住む人々は,郷土が生んだ秋山好古,秋山真之,正岡子規という偉人に誇りを感じていることは間違いないようです。私は,もう一度「坂の上の雲」(文春文庫,全8巻)を読み返すことを固く決意いたしました。
あとは昼食を済ませて松山駅から岡山駅までは「しおかぜ」で車窓からの風景を楽しみ,岡山駅から名古屋駅までは新幹線で一直線です。今回は温泉は勿論,なかなかに良い旅でした。一度も四国に渡ったことがないという,うちのカミさん。少しはカミさん孝行ができたかしらん(笑)。
旅から帰った翌日には,うちのカミさんは,書庫の奥から出してきて,「坂の上の雲」の第1巻を読み始めておりました。どうやら感化されたようです(笑)。
ぐっすり寝た翌朝は,ホテルでの朝食です。私はもちろん和食,ところがカミさんは洋食でした。いつも我が家では伝統的にごはんと味噌汁,納豆とアジの開きなんていう朝食ですので,カミさんとしてはたまには洋食もいいなと思ったようです。
みなさんは,司馬遼太郎の「坂の上の雲」という小説をご存知でしょうか。この松山という町そしてそこに住む人々は,郷土が生んだ秋山好古,秋山真之,正岡子規という偉人に誇りを感じていることは間違いないようです。この小説はこの3人が主人公として描かれており,私もこの「坂の上の雲」(文春文庫,全8巻)をむさぼるように読んで,その内容にいたく感動したものです。小説といっても,司馬遼太郎の事前取材の詳細さ,広汎さは半端なものではなく,そこに描かれているストーリーは相当に史実に近いと思われます。
そこでこの旅の2日目は,朝食をとってしばらく休んだ後に,道後温泉駅から大街道駅へ移動し,早速「坂の上の雲ミュージアム」に直行しました。し,しかし・・・。事前調査が甘く,その日月曜日は何と休館日だったのです(笑)。相当にがっかりしましたが,気を取り直して急遽路線を変更して松山城を観光することにしました。
大街道駅から12,3分ほど歩きまして,ロープウェイ・リフト入り口までやって来ました。天気は快晴に近かったし,桜も本当に美しかったので,私たちはリフトで新鮮な空気を吸いながら頂上の松山城を目指しました。その威容を眺め,内部も観覧しましたがなかなかの名城です。賤ケ岳の七本槍の一人,加藤嘉明の時代に着工されました。
山頂から下りるリフトからの景色も素晴らしく,前のリフトに乗ったカミさんの後姿を見ているとその時何だか感謝の気持ちが湧いてきました。リフトにちょこんと子供のように乗ったカミさんの後姿は思ったより小さく見え(実際には155センチほどはありますが),いつも家事全般をこなしてくれ,仕事の手伝いもしてくれているのです。誠にありがたいことです。
さて,威容を誇る松山城。ホテルの窓からもこの松山城を観ることができるのですが(夜はライトアップされています),この城は城下の市民の生活,平穏を静かに暖かく見守っているような風情を感じました。
そして,昼食です。昼食場所はもちろん私が下調べしており,さきほどのロープウェイ・リフト入り口にほど近い「丸水(がんすい)」という名店で,とても美味しい鯛めしを食べさせてくれる所です。昼飯時は行列ができると脅されていたので,私たちは早めの11時半ごろには店に到着しました。待つことなくすぐに案内していただき(接客もとても丁寧で感じ良し),美味しい鯛めしを堪能しました(私はビールも)。松山でいただく鯛めしというのは(宇和島辺りでも同様),いわゆる漁師料理で鯛の切り身が生で皿に盛られ,別の器には濃厚な出し汁の中に卵が割入れられ,それをかき混ぜて鯛の切り身を適量浸し,お好みに応じて薬味を入れ,味の付いた鯛の切り身を温かい白ご飯の上に乗せていただくというものです。絶品です。名古屋辺りでいただく鯛めしというのは炊き込みですが,松山では漁師料理風なのです。この時はもちろんビールのおつまみはじゃこ天です(笑)。
とても満足した私たちは,腹ごなしの意味で歩きに歩き,道後公園に至りました。目的はそこにある松山市立子規記念博物館です。ここは正岡子規の世界を中心とした,文学系の博物館であり,病苦の中にあっても逆境にめげず主に俳句の世界で立派な業績を残した子規の生涯とその業績が把握できます。この博物館には書籍販売コーナーがあり,「病牀六尺」(岩波文庫),「秋山真之の謎を解く」(片上雅仁著,アトラス出版),「山頭火と松山」(NPO法人まつやま山頭火倶楽部編,アトラス出版)の3冊を衝動買いしてしまいました(笑)。
私のこのブログでもたびたび登場し,私がその句をこよなく愛する種田山頭火は,松山市内の「一草庵」を終の棲家としてこの地で鬼籍に入りました。
旅の2日目はこんな感じでした。私もそこそこ疲れましたので,道後温泉のアーケード脇のじゃこ天屋さんに立ち寄り,揚げたてのじゃこ天と,じゃこカツをいただきました(カミさんと半分ずつ)。じゃこカツは特に美味しかった。そして私はホテルに戻って温泉の一番風呂,貸し切り状態を満喫し,カミさんはというととても元気者で,ホテルで小休止をした後に道後温泉の一角にある温泉まで出かけて温泉に浸りました。
明日は2泊3日の旅の最終日ですが,「坂の上の雲ミュージアム」と「秋山兄弟生誕地」だけは絶対に行きたい!私は彼らの生き方に敬服しているのです。・・・(続く)
まずは新幹線で岡山を目指します。私の座席の隣には,つい先日結婚35周年をめでたく迎えたうちのカミさんです。普段,いろいろと苦労をかけておりますのでその慰労をかねて(税金の還付が思いの外多かったということもあります(笑)),温泉で浮世の垢でも落とそうかということに相成りました。
私はこれまで香川県,徳島県,高知県は旅したことがあったのですが,愛媛県は未体験でしたし,うちのカミさんは一度も四国に渡ったことがないということでしたので,今回は旅先として伊予松山・道後温泉を選択しました。さて,やはり旅となると気分は緩々となりますので,私は新幹線の車中で朝っぱらから缶ビールと乾き物のおつまみです。カミさんも楽しそうです。それに,この2泊3日の旅行中は連日快晴に恵まれ,ありがたいことでした。
岡山までは順調でしたが,ここでダイヤに乱れが生じました。岡山から松山までは「しおかぜ」という特急で移動する予定になっていたところ,人身事故があったとのことで予定した車両が運休になり,1本後の「しおかぜ」に変更になったのです。私たちは時間調整を余儀なくされましたが,美味しい駅弁を車中でいたたくために岡山駅で駅弁を購入し(もちろん缶ビールも),1本後の「しおかぜ」に無事乗車したのです。
さて,岡山から松山までは特急でも移動に約2時間40分かかり,長い旅ですよ。でも今回は敢えて飛行機での移動はやめ,車窓から美しい瀬戸内海や山間部のまだ満開に近い美しい桜などを眺め,ゆっくりと温泉に浸かるような旅にしたのです。そして「しおかぜ」の車窓からの眺めは正にそのような美しい風景でした。
ようやく松山に到着です。古いけど味わいのある松山の駅舎からは,伊予鉄道の市内電車(路面電車)で道後温泉駅へ・・・。道後温泉に到着した時は既に午後3時半ころになっておりました。噂に聞いた道後の温泉街はなかなか風情があり,人出も思ったより多く,お土産物屋さんで名物のじゃこ天と伊予柑を買いました。接客のおばさんのとても感じの良いこと。知人からは道後に行ったらじゃこ天を食べなきゃ,と言われていたから早速買い求めたのです。今回は少し山の手にある英国風のホテルを予約し(連泊),チェックアウトを済ませて一休みしました。この日は長旅の疲れもありましたから,名所の観光は翌日に回して温泉の一番風呂を目指しました(笑)。
結局一番風呂という訳にはいきませんでしたが,ほぼ貸し切りの状態で露天風呂も楽しめました。手足を思い切り伸ばして,体は温泉でポカポカです。道後温泉は聖徳太子もここを訪れたという伝説が残っており,いい湯に浸かって極楽,極楽・・・。そして夕食の前に,夫婦そろってマッサージを頼みました。2人の年配の女性の按摩さんで技術は確かです。マッサージで体をほぐした後は,割と軽く夕食を済ませて明日の観光に備えました。私のビールは定番ですが,カミさんは珍しくチューハイを飲んでおりました(笑)。・・・(続く)
この季節,そしてちょうどこの頃,徒歩通勤途上の私の楽しみといえば,満開の桜を観ることです。もう毎年のことですから,通勤経路上にある3,4か所の「桜の名所」を知っていて,少し遠回りになってもはしごするのです。小学校や公園などなど・・・。
今更ながら桜の美しさは譬えようもありません。思わず通勤の足を止めて見とれてしまいます。前にも書きましたが,桜(特にソメイヨシノ)は,日本人にとっては特別な存在で,その美しさと儚さが心に響くのです。儚さというのは潔さと言い換えてもいいでしょう。要するに,自然の呼び声(風)に応じていつでもこの世を去る覚悟と潔さが,そのたとえようもない美しさに加え,我々日本人の心にぐっとくるのです。
桜と言えば,西行法師の次の歌が有名です。
「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの望月のころ」
そして私が高く評価する俳人井上井月の次の句が,心に響きます。
「翌日(あす)しらぬ 身の楽しみや 花に酒」
この句について,井上井月研究者の竹入弘元さんは次のように評釈しております。
「花に酒が楽しみというのは誰しもだが、酒好きの井月は別格。そんな当然のせりふも『翌日(あす)しらぬ身』という自覚がわさびを利かせる。思えば人間誰しも明日の運命は分からない。頼るべき妻も子もなく、さらに老いを加えて、今の一瞬一瞬を愛おしむ井月である。」
さらに,井伏鱒二は,「勧酒」(漢詩)の一節を次のように訳しております。その「花」が桜かどうかは知りませんが・・・。
「ハナニアラシノタトヘモアルゾ 『サヨナラ』ダケガ人生ダ」(花が咲くと 雨が降ったり風が吹いたりするものだ 人生に別離はつきものだよ)
さて,新型コロナウイルス感染防止のためのまん延防止重点措置も解除されました。私の徒歩通勤経路には,とても小規模の旅行代理店があります。コロナ禍以前にはいつも道路わきにいっぱいの旅行パンフレットを設置していたのですが,最近ではまったく見かけなくなっておりました。でも,本日,久しぶりにその店の前には多くの旅行パンフレットが設置され,何だか嬉しくなりました。その旅行代理店は冬眠から目覚めて,穴から出てきたようです(笑)。
ちょっと前に,私はうちのカミさんに依頼して,別の旅行代理店に旅行のツアーの申し込みをしておりました。ちょっとカミさんと一緒に道後温泉まで2泊3日の旅に出ることにします(笑)。
今年の冬は寒かったせいでしょうか,桜の開花が例年より幾分遅いように感じます。私の自宅近くには割と長い桜並木があり,その桜はオオカンザクラという品種で,ソメイヨシノよりも2週間ほど早く開花するのですが,今年はまだです。
まあ,それでも日ごと日が長くなっており,何といいますかだんだんと日が長くなって暖かくなっていくこの感じが好きですね。正に水温(ぬる)む季節です。
うちのカミさんは何やらこちょこちょと,私の名前でふるさと納税をやっております(笑)。その辺りのことは完全にお任せですが,いつぞやは西伊豆町からそのお礼にと,大変美味しいふるさと干物セットが自宅に届きました。アジ,金目鯛,エボ鯛などなど,それはとても美味しかったのです。
それに,今年はその西伊豆町の月めくり特製カレンダーがトイレに掛かっております(笑)。それはなかなか特徴のある,地域性豊かなオリジナルカレンダーで,上部に美しい景色の写真,下部にカレンダーが載っており,六曜,祝日,日没時刻,干潮時刻,月の形状(満月,半月,新月)なども記載されています。
それはなかなか面白いカレンダーで,美しい海の景色などを見ていると癒されるのですが,唯一現実に引き戻される記載は,最下部の「今月の納税」のコーナーです(笑)。その月に納期限のある税目が複数列挙されており,それを見るたびに,名古屋市民の私も,そして自由業の私も現実に直面させられます。「ああ,今月は市・県民税と個人事業税を払わなきゃ・・・」
毎年発表される「第一生命サラリーマン川柳コンクール」の結果はとても面白いですね。日本全国には随分と才能豊かな川柳作者がいるものだと感心させられます。全国優秀100句が決定したようですが,特に私が思わず笑ってしまったのが次の10句でした。
・にこやかに マスクの下で 「うっせぇわ!」
・うっせえわ 夢の中だけ 妻に言う
・ミュートです ツッコむ自分 マイクオフ
・リモートの 会議に映る 生活感
・ご飯よと リモート会議 声響く
・女房も 子供も見てる 照れワーク
・WEB会議 知った亭主の 低い地位
・恋心 マスク外せば 花と散る
・家飲みで あふれる缶に 妻カンカン
・ウイルスも 上司の指示も 変異する
やはり,当然のことながらサラリーマンの世界でも新型コロナウイルスの影響は絶大で,作られた川柳もこれに関連する傑作,秀句が多いようです。