昨日は天皇誕生日というのに,僕は相変わらず仕事に追われ,日中は事務所で過ごす羽目になった。仕事に追いかけられるのではなく,精神的にも余裕をもってむしろ仕事を追いかけているような人,「サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ」。
でも,夜は家族と気に入りの店で外食し,久し振りにカラオケ大会であった。歌を歌うということは,実に楽しいことである。僕の場合は,どこをどう見ても,何をどうしても,どうあがいても昭和の人間であるから,カラオケで歌う歌も昭和の曲である。僕がよく歌うのは,山口百恵の「いい日旅立ち」,中森明菜の「セカンド・ラブ」,石川ひとみの「まちぶせ」,松任谷由実の「卒業写真」,サザンオールスターズの「YaYa(あの時代を忘れない)」,「いとしのエリー」,「チャコの海岸物語」,「希望の轍」,岩崎宏美の「マドンナ(聖母)たちのララバイ」,あとはザ・ビートルズのナンバーである。
昭和の歌しか歌えない。平成の曲には子羊のように気後れしてしまう。ヨハン・セバスティアン・バッハの究極の世界,深い森の中に入ってしまったら,今時の歌謡曲に手を出そうとは思わないのである。僕がカラオケで歌う曲に関しては,もはや昭和で時間が止まってしまっている。なお,家族とカラオケを愉しむ場合,最近では必ず1回か2回は,起立して「君が代」を斉唱することになっている。もはやこれは我が家の伝統ともいうべきものである。店員さんがどんなに怪訝そうな顔をしても平気である。ああ,それから。この夜,唯一昭和の歌へのこだわりを捨てたのは,「ぜんまいざむらいの歌」と「ぜんまいチャチャ」の練習をした時だ。これらの曲は案外歌えたが,人前で歌うのはとても勇気がいることを悟った。
天皇陛下は76歳の誕生日を迎えられた。本当にありがたいことである。それにいつも思うのだが,陛下のお言葉はいつも心にしみるし,とても美しい日本語である。ますますの弥栄を心から祈念いたします。
・・・・・・うぅーーーっ,疲れた・・・・。最近は仕事に追われ,休日も事務所でお仕事というのが多い。これは肉体的にも,精神的にも良くない。休日,事務所での仕事の合間にふっと思った。そうだ!足裏マッサージに行こう,と。事務所から歩いて10分で行けるお店に早速電話してみたら,休日でも営業しており,首尾良く予約が取れた。
いやーっ,足裏マッサージはとても良い。悦楽の世界である。これは体全体の血流が良くなるし,最近めっきり薄くなってきた大切な髪の毛にも良い効果があるのではないか?足裏マッサージにも英国式のリフレクソロジーもあれば,台湾式,タイ式もある。まぁ,僕の場合はそれほど痛くはなく,悦楽のリラックスができる英国式が一番合っていると思う。
この店は,個室が利用でき,室内も間接照明で薄暗く,しかも東南アジア風のゆったりとした,それでいて何だか魅惑的な音楽が流れている。仕事で疲れた体を休め,精神的にもリフレッシュできる(副交感神経が優位に立つのである!)。こういう音楽を聴いていると,何となくではあるが,東南アジアだったら一度旅行してもいいかなと思う。
東南アジアといえば,タイ王国の元首相だったククリット・プラモードの感動的な言葉が想い出される(何なんだ,このいささか強引な話題転換は)。そのククリット・プラモードの言葉とは次のようなものである。
「日本のおかげでアジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。」
「今日、東南アジアの諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話しが出来るのは、いったい誰のおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。」
「12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大な決心をされた日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない。」
僕は決して戦争を賛美などはしていない。むしろ戦争はぜったいに回避すべきものである。でも,大東亜戦争の歴史的評価には様々のものがあるが,いわゆる東京裁判史観で凝り固まった思考停止の知識人,大方のマスコミ,日教組には到底ついていけない。教訓を得ること,公正かつ多面的な歴史評価を含め,日本人はもっと歴史を勉強すべきではないかと思う。
昨日,裁判所での仕事を終えて事務所まで歩いて帰る途中に,ちょっと損したような感じのする出来事があった。いや,何のことはないのだが,反対側から歩いてくる中年の男性が僕に愛想良く挨拶してきたので,僕も愛想良く挨拶し返したところ,実はその人は僕の後方で車の中にいた人に挨拶をしていたのである。要するに勘違いしてしまったのだ。愛想良く挨拶したのが損したような・・・,きまりが悪かった・・・・・。これって何か古典にあったなと思って調べたら,清少納言の枕草子第122段「はしたなきもの」にあった。「はしたなきもの こと人を呼ぶに、我ぞとさし出でたる。(きまりの悪いもの。他の人を呼ぶときに、自分だと思って出ていった場合。)」とあった。正にこれだった。挨拶して損などはないが,それでも何か損したような。
ついでに損といえば,コーンポタージュスープである。先日はとても忙しい一日で,裁判所から次の法律相談の会場まで車で直行し,まともに昼食をとる時間がなかった。コンビニでサンドイッチと暖められた缶入りのコーンポタージュスープを買って食べた。でも,この缶入りのコーンポタージュスープの場合,いつもコーンの何粒かは確実に損したような気になるし,実際に損している。何をどうやっても何粒かは缶の内部に残ってしまうのである。さらについでに損と言えば,先日はゴルフ場の茶店で暖められた缶入りのおしるこを味わった。ゴルフのスコアはともかくとして,寒い季節にこのようにして飲むおしるこは結構美味しい。でも,これについても小豆の何粒かは確実に損したような気になるし,実際に損している。何をどうやっても小豆の何粒かは缶の内部に残ってしまうのである。人前で缶の底をトントンとたたき,何としてでも全ての小豆をものにしようとする行為ははしたないし・・・。我が日本国は物作りでは世界に冠たるものがある。コーンも小豆も1粒たりとも損しないような画期的商品が開発されるよう,心から期待してやまない。
・・・・・・ふぅーーーっ,・・・・・とうとう風邪をひいてしまった。幸い,新型・季節性いずれのインフルエンザでもなかったけど。風邪をひくのは久し振りである。今までの自分の人生を振り返ってみて,風邪を引くときは,たいてい,抵抗力が弱っている時である。不摂生(暴飲,暴食,夜更かし),過労,ストレスなどが原因で,全体的に抵抗力が弱っている時に風邪をひく。
そういえば,いろいろなお付き合いもあって,確かにここのところ不摂生をしたし,仕事に追われている自分があったし,さらに僕を凹ませたのは初めての体験となる税務調査である。熱を出して床に伏せっている時,いろんなことを思った。反省と,慰めである。
まず,反省。自宅での食事の後,食器等の後片付けで,うちのかみさんと物の受け渡しをする際,手と手が触れた。それで大分昔のことを想い出したのである。僕がもっと若い頃,同じような状況の時にかみさんの手がスベスベ,ツヤツヤでなかったことから「ゾウさんの肌みたいだなぁ」と言ってしまったのだ。その当時はコマーシャルで見るパーツモデルのような手であることを期待していたのかもしれないが,今から思えば随分と心ないことを言ったと反省している。うちのかみさんの普段のきっちりとした家事の状況を見ていると,きっちりと家事をしているからこそ,「ゾウさんの肌」みたいな手ざわりになるのだろう。むしろ,パーツモデルのような手の人はちゃんと家事をこなしているのだろうかという疑問もあるくらいだ。微熱の中,昔の心ない発言を悔い,反省した。
次に,慰め。寒気と微熱の床の中で慰めを与えてくれたのは,やはりバッハであった。モテット「イエス,わが喜び」というのは本当に佳い曲である。僕はキリスト者ではないが,とても慰められた(税務調査のことも吹っ飛んだ。)。モテットというのは,声楽曲のジャンルの一つで,ミサ曲以外のポリフォニーの宗教曲のことである。バッハのこの「イエス,わが喜び」はモテットの中でも規模が大きく,全部で11曲から成っている。奇数楽章にコラール,偶数楽章に聖書の章句が配置されている。・・・・・慰められた。
今年のJリーグ。鹿島アントラーズがリーグ戦3連覇を達成した。僕が司法修習生だった平成5年にJリーグが発足したが,3連覇を果たしたチームはこれが初めてだ。大したものである。今年の開幕当初は名古屋グランパスに大いに期待したんだけど,結局はダメだった。14勝12敗8分けの成績だけど,やはり負け過ぎである。最後まで中盤を見事に構成,機能させたという試合はなく,どちらかというと,途中で中東に飛び立ったダヴィ,今活躍中のケネディ,玉田,マギヌンらの個人技頼みの傾向があった。最近僕のブログにグランパスの話題が出なくなったのは,試合を見ていてその内容に失望したからだった。天皇杯がまだあるけど,来年のリーグ戦はがんばれよ!我が読売巨人軍は期待を裏切らずにセ・リーグのペナントも制したし,日本一にもなってくれたんだから(笑)。
CDを探しに地下街を歩いていたら,モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハト・ムズィークが流れていた。耳に心地よい。日本でもモーツァルトのファンは相当多いんだろうな・・・。でも,正直言うと,僕は昔はよく聴いたが,最近ではほとんど聴かない。バッハの深い森に入ってしまうと,とてもその気になれないのである。バッハの曲を聴いていると(特に最近は宗教音楽),心から癒されるし,不覚にも涙が出てくることもある。要するに感動するのだ。でも,モーツァルトの曲の場合,悪いけど一曲を除いて,そういう状態になったことはない。昨年ノーベル物理学賞を受賞された益川敏英博士も,あるインタビューで,バッハはよく聴くけどモーツァルトは聴かないと述べておられた。その理由は,やりっぱなしで推敲なんかしていない感じがあるからということのようだ。モーツァルトはその人生の短さの割には多作で,多忙で,天才の名をほしいままにしていたからね。12月5日はモーツァルトの命日だったのに,こんなことをブログに書いてごめんね。でも,さきほど一曲を除いてと言ったけど,「レクイエム」は誠に素晴らしいと思う。
「冬来(きた)る 欲かくおにぎり たねちがい」
コートを着ていくかどうか迷う朝がある。いよいよ冬である。これから夏を迎えるというのと,これから冬を迎えるというのとどちらがいいかというと,僕は冬の方を選ぶ。理由はよくわからない。
さて,先日,休日返上で事務所で仕事をしたが,その途上,コンビニでおにぎりを買った。おにぎりのたねにはいろいろあるが,皆さんはどんなたねのおにぎりが好きであろうか。梅,サケ,おかか,ツナマヨ,明太子,焼きたらこ,こんぶ・・・・・・・。その日はどうしても梅のおにぎりが食べたかった。おにぎりのコーナーに行ったら,おにぎりがいっぱい並べてあり,それぞれおにぎりの列があった。こういう時,皆さんは,ちゃんと列の先頭からおにぎりをとってカゴに入れるであろうか。
僕としては,経験則上,消費期限が迫っているものから順に各列の先頭から並んでいるのではないかという認識をもっている。要するに,より新鮮なおにぎりほど,最後尾の方に並んでいるのではないか。そこで,僕は通常,おにぎりをカゴに入れるときは,店員やその他の客の目があるときは,ちゃんと列の先頭のものを取ってカゴに入れる。逆に,店員やその他の客の目がないときは,より新鮮なおにぎりがいいなと欲をかいて,最後尾のものをカゴに入れる。一体全体,社会正義を実現すべき職責を有する弁護士がそのような了見でいいのか!(笑)。
休日返上で仕事をするため,昼食用にコンビニでおにぎりを買ったとき,僕は食べたかった梅のおにぎりの列に手を伸ばし,人目がなかったことから,梅の列の最後尾のものをカゴに入れて買った(もちろん,精算はしております。・・・念のため)。さて,事務所に着いて梅のおにぎりを食べようとしたら,そのおにぎりのたねはおかかだった。要するに,念願の梅の列の最後尾に,何かの手違いでおかかが紛れ込んでいたのだ。冒頭の句は,そのときに,悔し紛れに一句ひねったものである(笑)。
ぜんまいざむらいに出てくるずきんちゃんが,そのずきんを取った姿はどうなっているのか。ずきんちゃんは未成年のようであるが,子供なのに何故いつもずきんをかぶっているのだろうか,何か訳でもあるのだろうかと思っていた。可愛いから別にどうでもいいのだけれど・・・。
こういう訳で僕としては,ごく最近まで,ずきんちゃんのずきんの中がどうなっているのか全く知らなかったが,先日,この点につき新たな発見をした。ずきんちゃんが通りでぜんまいざむらいと話をしている最中に,突風が吹いた。その瞬間,何と,ずきんちゃんのピンク色のずきんが風で吹き飛ばされたのである。その時僕が見たものは,少し栗色がかった多すぎるほどの豊かな髪であった。正直言ってびっくりした。思いがけないほど豊かな髪の量であり,おそらくずきんちゃんとしては,多過ぎてまとまりにくい髪をずきんをかぶることによってしのいでいたのであろうと思われる。・・・・・思いがけず,朝っぱらから新たな発見をした。
ところで,僕ももういい加減にダイエットモードを軌道に乗せなければならない。そういう訳で,ぜんまいざむらいの弁当箱で弁当を食べる日以外は,コンビニなどでサンドイッチやおにぎりなど軽い食事を買ってくることが多い。先日,コンビニのレジで順番待ちをしていた時,レジの近くに大きな旗というかのぼりのような物があって,よくよく見ると,チビ太であった。すごく可愛い。チビ太がおでんを手に持っているのだが,改めてその姿,容貌を見ると,本当に可愛いのである。これも新たな発見であった。
ピカチュウ,ドラえもん,ゴマちゃん,オバケのQ太郎,チビ太など,どれもこれも本当に可愛い。今や我が日本国のアニメは世界を席巻している感がある。日本のアニメに登場するキャラクターのほとんどは理屈抜きに可愛いが,世界的に好評なのは,それが大きな理由の一つではなかろうか。
11月12日の木曜日は,ちょっと東京へ行ってきた。皇居前広場で開催される天皇陛下即位20周年記念の国民祭典に参加するためである。
名古屋駅10時発ののぞみに乗った。そうすれば,理想的なランチの実現,すなわち,ちょうどお昼少し前に,東京駅の八重洲地下にある旭川ラーメン「番外地」に到着できるからである。注文はいつものように「塩バターコーン」である。相変わらず魚介系ダシがよく利いていてとても美味しい。ラーメンで満足した後は,当然のように上野の「鈴本演芸場」へ直行である。落語を聞いていると何だか落ち着くのである。日本の話芸である。昼の部の中入りの時に出て,皇居前広場に向かった。
天気が心配されたけど,前後日の雨天を縫うかのようにして,この日は雨は降らなかった。風が強くて寒い一日だったけれど,天皇陛下の即位20年を祝う国民の熱気は凄かった。開会宣言は,尊敬するあの平沼赳夫衆議院議員であった。その後各界を代表する方々のスピーチがあった。僕たちはいくつかのスクリーンを見ての参加ではあったが,女優の森光子さんや,スポーツ界では王貞治さん,原監督らも出席していた。EXILEのパフォーマンスも素晴らしかった。ヴォーカルのあつしさんもグラサン外していたしね。
天皇皇后両陛下は,二重橋までお出ましになり,僕たちはスクリーンを通してそのお姿を拝見した。誠実で暖かいお人柄がうかがえた。我々は,提灯に点灯し,日の丸の小旗を振って御祝いした。天皇陛下のお言葉は,いつ聞いても美しい日本語である。それに率直で,我々の心にストレートに訴えかける力がある。「寒くはなかったでしょうか。」,「ありがとう。」というお言葉もあった。
この国民祭典は午後7時に終了し,充実した気持ちで皇居前広場を後にしたのである。天皇は日本国及び日本国民統合の象徴であるが,僕自身,恥ずかしながら天皇という存在について正確な知識と理解を欠いている部分もある。そこで今読んでいるのは,小林よしのりさんが書いた「天皇論」(小学館)である。基本的な理解をするには,読みやすく,格好の本である。
駅弁というのはとても美味しい。日本全国津々浦々,鉄道で旅行すれば美味しい駅弁に巡り会えるであろう。でも実は,自宅にいながらでも全国の美味しい駅弁を味わうこともできる。というのも,僕の自宅近くのスーパーでは,月に1,2回,主に日曜日が多いが「駅弁特集」をやってくれるのだ。これが秘かな愉しみなのである。
この「駅弁特集」は,事前に新聞の折り込み広告でわかる。という訳で,日曜日の昼食はこの「駅弁特集」で販売される全国の駅弁にしたのだが,どれにしようかとても迷ってしまった。とりあえず,信越本線横川駅の「峠の釜めし」,石北本線網走駅の「網走名物かにいくら弁当」,北陸本線福井駅の「越前かにめし」の3つに絞り込んだ。でも3つも食べる訳にはいかないので,結局,熟慮に熟慮を重ね,「峠の釜めし」を選んだのである。
配送の関係で午前11時以降しか店頭に並ばない。駅弁によっては,販売開始からほどなくして売り切れてしまうので,買いに行ってもらう場合には,第1志望から第3志望までメモしてもらっている。さてさて,この日の第1志望は「峠の釜めし」だったが,何とかありつくことができた(笑)。これはいつ食べても美味しい。味のしみ込んだしいたけが2枚,たけのこ,鶏肉,うずらの卵,その他具が一杯で,炊き込まれたご飯の味がまたいい。このお釜は実際に使えるのであろうか。一度自宅のコンロで試してみたい。
それにしても,駅弁という文化に接するにつけても日本人に生まれて良かったなとしみじみ思う。このスーパーの「駅弁特集」は今後も是非続けていって欲しいし,食べ終わったたった今から次回が楽しみである。駅弁・・・,諸外国にこのような文化はあるのだろうか。わが日本の誇る駅弁文化は,この先もずっとずっと続いていって欲しいものである。
去る土曜日の夕刻は,中学3年生の時の同窓会が開かれた。聞くところによると約6年ぶりだそうだ。最初は我が3年1組だけの同窓会をやろうということだったのだけど,全部で6組あるうち,1組から3組までの合同の同窓会になった。
我が1組の出席者は全体の3分の1ほどにしか過ぎなかったが,やはりいつ参加しても懐かしいものである。こういう同窓会に参加する僕が当時のクラスメートにどのような思いをもっているかというと,ちょうど戦友のような思いである。みんな15歳の時に卒業し,それぞれの道を歩んでこの歳になった。その間は,もちろん楽しいこともいっぱいあっただろうが,それぞれの時期とそれぞれの場面で辛い,苦しい時もくぐり抜けてきたと思うのである。受験の失敗,しばらくは立ち直れないほどの失恋,社会人になって以降の職場での挫折や人間関係の煩雑さ,結婚生活における様々な苦労,多感な時期を迎えた我が子との親子関係の難しさ,次第に髪が薄くなる悲哀,体力の低下と健康不安,更年期独特のメンタル面での不調,将来への経済的な不安などである。当時屈託のない表情で大いに遊び,学問にいそしんでいた各クラスメートも,みんな大なり小なりそのような経験をしてきたであろうことを思うと,何やら戦友のような存在であり,いとおしくさえ感じられるのである。つまり,共感というやつである。
このようにして同窓会の夜は更け,3次会を終えて帰宅したのは午前3時半ころであった。あー,それから自宅でお湯を沸かしてカップラーメンを食べると思います,みなさん?。でも僕はこれをやってしまったのです。酒を飲むとどうしてもラーメンが食いたくなる。この歳でそんなことをやっていると,本当に糖尿病になっちゃいますよね。もう,たいがいにしないと。長生きしようとは思わないけど,生きている間だけはせめて健康でいたいからなぁー。
この夜(いや,もう朝か),床につく前に,我が栄光の巨人軍が順当にもクライマックスシリーズを勝ち抜き,日本シリーズ進出を決めたことを知った。そういえば,僕の人生を振り返ってみても,物心ついた頃には巨人軍のV9が始まりかけていたのだ。巨人軍と主に歩んできた感じでもある。今年こそそのV9のように,日本一になって欲しいものである。