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弁護士ブログ

2009/11/17

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 ぜんまいざむらいに出てくるずきんちゃんが,そのずきんを取った姿はどうなっているのか。ずきんちゃんは未成年のようであるが,子供なのに何故いつもずきんをかぶっているのだろうか,何か訳でもあるのだろうかと思っていた。可愛いから別にどうでもいいのだけれど・・・。

 

 こういう訳で僕としては,ごく最近まで,ずきんちゃんのずきんの中がどうなっているのか全く知らなかったが,先日,この点につき新たな発見をした。ずきんちゃんが通りでぜんまいざむらいと話をしている最中に,突風が吹いた。その瞬間,何と,ずきんちゃんのピンク色のずきんが風で吹き飛ばされたのである。その時僕が見たものは,少し栗色がかった多すぎるほどの豊かな髪であった。正直言ってびっくりした。思いがけないほど豊かな髪の量であり,おそらくずきんちゃんとしては,多過ぎてまとまりにくい髪をずきんをかぶることによってしのいでいたのであろうと思われる。・・・・・思いがけず,朝っぱらから新たな発見をした。

 

 ところで,僕ももういい加減にダイエットモードを軌道に乗せなければならない。そういう訳で,ぜんまいざむらいの弁当箱で弁当を食べる日以外は,コンビニなどでサンドイッチやおにぎりなど軽い食事を買ってくることが多い。先日,コンビニのレジで順番待ちをしていた時,レジの近くに大きな旗というかのぼりのような物があって,よくよく見ると,チビ太であった。すごく可愛い。チビ太がおでんを手に持っているのだが,改めてその姿,容貌を見ると,本当に可愛いのである。これも新たな発見であった。

 

 ピカチュウ,ドラえもん,ゴマちゃん,オバケのQ太郎,チビ太など,どれもこれも本当に可愛い。今や我が日本国のアニメは世界を席巻している感がある。日本のアニメに登場するキャラクターのほとんどは理屈抜きに可愛いが,世界的に好評なのは,それが大きな理由の一つではなかろうか。         

2009/11/16

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 11月12日の木曜日は,ちょっと東京へ行ってきた。皇居前広場で開催される天皇陛下即位20周年記念の国民祭典に参加するためである。

 

 名古屋駅10時発ののぞみに乗った。そうすれば,理想的なランチの実現,すなわち,ちょうどお昼少し前に,東京駅の八重洲地下にある旭川ラーメン「番外地」に到着できるからである。注文はいつものように「塩バターコーン」である。相変わらず魚介系ダシがよく利いていてとても美味しい。ラーメンで満足した後は,当然のように上野の「鈴本演芸場」へ直行である。落語を聞いていると何だか落ち着くのである。日本の話芸である。昼の部の中入りの時に出て,皇居前広場に向かった。

 

 天気が心配されたけど,前後日の雨天を縫うかのようにして,この日は雨は降らなかった。風が強くて寒い一日だったけれど,天皇陛下の即位20年を祝う国民の熱気は凄かった。開会宣言は,尊敬するあの平沼赳夫衆議院議員であった。その後各界を代表する方々のスピーチがあった。僕たちはいくつかのスクリーンを見ての参加ではあったが,女優の森光子さんや,スポーツ界では王貞治さん,原監督らも出席していた。EXILEのパフォーマンスも素晴らしかった。ヴォーカルのあつしさんもグラサン外していたしね。

 

 天皇皇后両陛下は,二重橋までお出ましになり,僕たちはスクリーンを通してそのお姿を拝見した。誠実で暖かいお人柄がうかがえた。我々は,提灯に点灯し,日の丸の小旗を振って御祝いした。天皇陛下のお言葉は,いつ聞いても美しい日本語である。それに率直で,我々の心にストレートに訴えかける力がある。「寒くはなかったでしょうか。」,「ありがとう。」というお言葉もあった。

 

 この国民祭典は午後7時に終了し,充実した気持ちで皇居前広場を後にしたのである。天皇は日本国及び日本国民統合の象徴であるが,僕自身,恥ずかしながら天皇という存在について正確な知識と理解を欠いている部分もある。そこで今読んでいるのは,小林よしのりさんが書いた「天皇論」(小学館)である。基本的な理解をするには,読みやすく,格好の本である。

2009/11/02

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 駅弁というのはとても美味しい。日本全国津々浦々,鉄道で旅行すれば美味しい駅弁に巡り会えるであろう。でも実は,自宅にいながらでも全国の美味しい駅弁を味わうこともできる。というのも,僕の自宅近くのスーパーでは,月に1,2回,主に日曜日が多いが「駅弁特集」をやってくれるのだ。これが秘かな愉しみなのである。

 

 この「駅弁特集」は,事前に新聞の折り込み広告でわかる。という訳で,日曜日の昼食はこの「駅弁特集」で販売される全国の駅弁にしたのだが,どれにしようかとても迷ってしまった。とりあえず,信越本線横川駅の「峠の釜めし」,石北本線網走駅の「網走名物かにいくら弁当」,北陸本線福井駅の「越前かにめし」の3つに絞り込んだ。でも3つも食べる訳にはいかないので,結局,熟慮に熟慮を重ね,「峠の釜めし」を選んだのである。

 

 配送の関係で午前11時以降しか店頭に並ばない。駅弁によっては,販売開始からほどなくして売り切れてしまうので,買いに行ってもらう場合には,第1志望から第3志望までメモしてもらっている。さてさて,この日の第1志望は「峠の釜めし」だったが,何とかありつくことができた(笑)。これはいつ食べても美味しい。味のしみ込んだしいたけが2枚,たけのこ,鶏肉,うずらの卵,その他具が一杯で,炊き込まれたご飯の味がまたいい。このお釜は実際に使えるのであろうか。一度自宅のコンロで試してみたい。

 

 それにしても,駅弁という文化に接するにつけても日本人に生まれて良かったなとしみじみ思う。このスーパーの「駅弁特集」は今後も是非続けていって欲しいし,食べ終わったたった今から次回が楽しみである。駅弁・・・,諸外国にこのような文化はあるのだろうか。わが日本の誇る駅弁文化は,この先もずっとずっと続いていって欲しいものである。

2009/10/26

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 去る土曜日の夕刻は,中学3年生の時の同窓会が開かれた。聞くところによると約6年ぶりだそうだ。最初は我が3年1組だけの同窓会をやろうということだったのだけど,全部で6組あるうち,1組から3組までの合同の同窓会になった。

 

 我が1組の出席者は全体の3分の1ほどにしか過ぎなかったが,やはりいつ参加しても懐かしいものである。こういう同窓会に参加する僕が当時のクラスメートにどのような思いをもっているかというと,ちょうど戦友のような思いである。みんな15歳の時に卒業し,それぞれの道を歩んでこの歳になった。その間は,もちろん楽しいこともいっぱいあっただろうが,それぞれの時期とそれぞれの場面で辛い,苦しい時もくぐり抜けてきたと思うのである。受験の失敗,しばらくは立ち直れないほどの失恋,社会人になって以降の職場での挫折や人間関係の煩雑さ,結婚生活における様々な苦労,多感な時期を迎えた我が子との親子関係の難しさ,次第に髪が薄くなる悲哀,体力の低下と健康不安,更年期独特のメンタル面での不調,将来への経済的な不安などである。当時屈託のない表情で大いに遊び,学問にいそしんでいた各クラスメートも,みんな大なり小なりそのような経験をしてきたであろうことを思うと,何やら戦友のような存在であり,いとおしくさえ感じられるのである。つまり,共感というやつである。

 

 このようにして同窓会の夜は更け,3次会を終えて帰宅したのは午前3時半ころであった。あー,それから自宅でお湯を沸かしてカップラーメンを食べると思います,みなさん?。でも僕はこれをやってしまったのです。酒を飲むとどうしてもラーメンが食いたくなる。この歳でそんなことをやっていると,本当に糖尿病になっちゃいますよね。もう,たいがいにしないと。長生きしようとは思わないけど,生きている間だけはせめて健康でいたいからなぁー。

 

 この夜(いや,もう朝か),床につく前に,我が栄光の巨人軍が順当にもクライマックスシリーズを勝ち抜き,日本シリーズ進出を決めたことを知った。そういえば,僕の人生を振り返ってみても,物心ついた頃には巨人軍のV9が始まりかけていたのだ。巨人軍と主に歩んできた感じでもある。今年こそそのV9のように,日本一になって欲しいものである。

2009/10/22

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 今朝も一番で名古屋拘置所に行き,被告人と接見してきた。拘置所での接見を終えて事務所まで歩いて帰る時,好んで通る道がある。この道を歩くだけで結構癒されるからである。僕がてくてく歩いていく行動範囲は,それほど広くはない。だから,本当はこの名古屋市内でも癒される風景,空間,道は他にも数多くあり,僕が知らないだけなのだろうけど,特にこの接見帰りに通る道はとても癒されるのである。

 

 その道というのは,名古屋市役所や愛知県庁の各本庁舎のすぐ東側の道で,知事公舎や市公館ではさまれた道である。この道を南側に向けて歩いていると,道の両側には並木があり,とても緑豊かな一帯である。個々の樹木の名は知らないけれど,四季折々,それぞれの季節とそれの移り変わりを肌で感じることができる。また,歩道からはテレビ塔の勇姿もうかがうことができる。癒されるのは,人通りもそれほど多くなく,何よりも濃い緑が静かな空間を支配しているからであろう。もっともっとこういう空間を町のあちこちに作って欲しいものだ。

 

 それはそうと,我が栄光の巨人軍はどうしたことか。リーグ3連覇は果たしたけど,クライマックスシリーズや日本シリーズでは精彩を欠く。クライマックスシリーズを必死で勝ち上がってきたチームと比較すると,試合感が鈍り,特にモチベーションの面で不利なのか。ゴルフでも,ティーショットを豪快に打っても,第2打地点で5分くらい待たされると,いわゆる「待ちチョロ」というのもある。でも,それは結局下手だからだ。少なくとも自分の場合は。とにかく巨人軍は勝たなければならない。オーダー上は,1,2番の出塁率の低さが気になる。塁に出なければ何ともならないからだ。それにしても,昨晩の日本ハムファイターズの9回裏の逆転サヨナラ劇は凄かった。ゲームは決して諦めてはいけないということだろう。こういう1勝は,1勝以上の価値がある。おい巨人,もっと頑張らんかい!

2009/10/16

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 苦手だわ。自宅の割と近くで飼われている黒い,中くらいの大きさの犬のことである。僕ははっきり言ってこの犬は嫌いであるが,恐らくこの犬も僕を嫌っているのではないかと思う。

 

 この犬は小さな庭の中の犬小屋で飼われているが,小屋から出て通行人に吠えることがある。かつて僕は何気なく通りすがろうとした時,いきなり大声で吠えられてビックリしたことがあった。いきなり大声で吠えられたら,心臓が止まりそうになりますんです。そういう理不尽なことはやめて欲しいんです。

 

 それ以来,僕はその犬小屋のある庭の前の歩道を避け,その道の反対側を歩くようにしている。でもある日,12,3メートルほど前を歩いている若い女性がいたので,この人についていけば安心かなと思い,この時はその黒い犬を避けることなく,その若い女性の12,3メートル後を歩いて通りすがろうとした。その黒い犬は,若い女性には何の反応も示さなかったが,僕が通りすがろうとした時,何やら嫌な予感がした。そしたら案の定,大声で吠えられた。ひじょーに不愉快になった。とうとう犬にまで差別されたのである。

 

 人間の心理や人間関係が論じられる時,自分が苦手だなと思ったり,嫌いだなと思ったりしている相手があれば,やはりその相手も自分のことを苦手に思っているものだということを聞いたことがある。人間と犬の間でもこれが妥当するのであろうか。

 

 でも,今朝の通勤の時は,少しうれしい気持ちになった。派出所から少し離れた交差点で若い警察官が立っていたのだが,全く面識のない僕に「おはようございます。」とはっきりと挨拶してくれたのである。思わず僕も「おはようございます。」と言って,会釈した。面識のない人にも挨拶をするというのは,ある意味ではとても勇気のいることだが,昔の日本人はこれが当たり前だったのだ。これが醇風美俗というものだ。かなり前に秋田県へ旅行をし,秋田市内の千秋公園で散歩していた時にも,行き交うご婦人から「おはようございます。」と挨拶をされた記憶が残っている。その他の旅行先でも。

 

 あれ?ひょっとすると,あの黒い犬も僕に挨拶をしてくれたのか・・・。

2009/10/14

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 もー,太るのもたいがいにせんかい!自分への叱咤である。一時は見事ダイエットに成功し,同業者からは「痩せたんじゃない。大丈夫?」と心配され,「いやいや,病気じゃないですから。」とうれしい説明を繰り返していたというのに・・・。もう半年も体脂肪計付きの体重計に乗っていない。体重計に乗って現実に直面し,敗北感を味わうのが恐いのである。その数値を目にする勇気がない。それにうちひしがれた自分の惨めな姿が手に取るように分かるからである。それに,最近では毎年12月ころに人間ドックを受けていたのだが,今回はもう少し先延ばししようと思う。少しは摂生して,体重,中性脂肪,コレステロール,尿酸値などが下がったんじゃないかなと実感できるようになった段階で人間ドックを受けたい。もう今では標準体重を恐らく4~5キロはオーバーしているのではないだろうか。

 

 この状態になったのは,特に最近お付き合いで飲むことが多くなったことと,晩酌の頻度が高くなったことが関係していると思う。「飲酒と肥満」というキーワードを入れて検索してみると,やはり因果関係がある。ぼくの場合は,1回の飲酒量はそれほど多くはないのだが(痛飲などはしない),飲酒の際の「おつまみ」の量と質が大いに影響しているのではないかと思う。お酒だけじゃなく,食べちゃうのである。

 

 ただ,依頼者や顧問先が心配するからはっきり言っておくが,僕の仕事は相当にストレスがあるものの,決してアルコールに依存などはしていない。休肝日も週に2,3日は設けているのである。でも,最近は「夜になると飲みたくなる病」に少しかかっているみたいである。自重しなければと思っている。

 

 ただ,今晩は飲むと決めた日は,心おきなく飲むことにし,心情的には種田山頭火の句の世界に漂う感じになる。

 

  「一杯やりたい夕焼空」
  「月が酒がからだいっぱいのよろこび」
  「風がはたはた窓うつに覚めて酒恋し」
  「ぼろ売って酒買うてさみしくもあるか」
  「よい宿でどちらも山で前は酒屋」
  「おもひでがそれからそれへ酒のこぼれて」

 

2009/09/24

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 前回のブログでは「いやな言葉」というタイトルでとりとめのないことを書いた。今回は「うれしい言葉」である。今日のネタをブログで書く気になったのは,先日,いきつけの床屋さんで散髪してもらった時に,ちょっとしたことがあったからである。その床屋さんには,もうかれこれ30年近くも通っていると思う。その床屋さんは,先代が数年前に他界されてからはその奥さんと娘さんの2人で営業している。先代が亡くなってからは,僕の頭は主に娘さんが刈ってくれることが多い。先日,その娘さんとの間で次のようなやりとりがあった。

 

僕「あー,さっぱりした。ずいぶん切ってくれたんだ。」
娘さん「いつもどおりの長さにしましたよ。」
僕「どれどれ?(カットされて床に落ちている髪の毛を確認する)」
娘さん「・・・・・・・・・・・」
僕「あぁ,結構落ちてるわ。前に来てからそんなに長く空いたかしら?」
娘さん「うーん。・・・先生,多いから。」
僕「・・・・・・・・・・」

 

 この瞬間,僕は例えようもなくうれしい気持ちになった。胸がこそばゆくなったような・・・。ただ,生来心配性でひねくれている僕としては,この胸がこそばゆいまま,喜んでいていいのかどうか不安になった。そして当然のことながら,その直後からは,僕の可愛い脳細胞ちゃんたちの間で,次に述べるような侃々諤々の議論がわき起こったのである。

 

→「おい,みんな。『・・・先生,多いから。』という言葉の意味だがな,一体何が多いという意味だと思う?」→「そりゃ,おめぇ,髪の毛の量に決まってるじゃないか。あたりめぇだろ!」→「そやかて,その直前には前回来店した時からの間隔が話題になったんでっしゃろ。来る回数が多いという意味とちゃいまっか?」→「何言ってんのよ,ぼけナス!ご主人様の普段の髪の量に決まってるじゃないの。『ずいぶん切った』とか,床に落ちた髪の量が問題になっているのよ。そういう文脈で解釈すべきだわ。」→「まぁ,まぁ。『ぼけナス』というのは,脳細胞仲間同士に対する尊敬を欠いていて,少し言葉を選ぶべきでしょうが,まぁ,『・・・先生,多いから。』という言葉の意味は,前後の脈絡からいって,素直に普段の髪の量という風に解釈するのが自然ではないでしょうか(大方の仲間はこの解釈に異論なし)。」→「おみゃぁさんたち,問題はよー,普段から髪の量が多いという言葉をよー,額面どおり素直に受け取っていいかどうかだわ。ヒジョーに悩ましいがねー。」→「いいこと!この娘さんはご主人様が三十年来の顧客だってことはよく分かってるし,その物腰からしてもご主人様にこれっぽっちも悪意なんかもってないわ。」→「で,でも・・・。人間いつ魔が差すとも限らないんじゃねえかな。この時は少し機嫌が悪くて皮肉のひとつでも言ってやれという気になったということも考えられるし,少し悪のりしてご主人様が気にしてる髪のことで冗談のひとつでも言っちゃえということかもしれねぇし・・・」→「イヤ,この娘さんの人柄からすれば,悪意を感じる方がおかしい。それに,ご主人様は,年齢の割には髪の毛の量は善戦しているんじゃないか。素直に解釈すればいいと思う。」→「皆の衆。どうじゃろう。ご主人様には,人間の矜持というものに思い至ってもらい,たかが髪の毛の量のことでクヨクヨしたり,一つの言葉の意味の解釈で時間を費やすのではなく,もっと大所高所に立って堂々と天下国家を論じてもらいたいと思うのじゃ。わしが代表でこのことをご主人様に伝えたいと思うが,どうじゃ?」→「異議なし(一同)。」

 

 いずれにしても,最終的に僕は,「・・・先生,多いから。」という言葉を大変うれしく受け取り,その日の晩酌は特に酒がすすんだのである。

2009/09/10

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 いやー,ようやく夏を越した。若い元気な頃は,およそ夏を「越す」などといった表現は思いもつかなかったが,今年は体にこたえたわ。夏と言っても,梅雨明けが8月までずれ込み,本格的な夏は1か月にも満たなかったはずなんだけれど,概して体調面では不調だった。完全に夏に対する苦手意識が生じている。

 

 さてようやく秋めいてきた。一年中で一番好きな季節である。多くなる抜け毛のことを除けば(笑)。抜け毛ちゃんの一本一本に対し,断腸の思いで心から冥福をお祈りしている(四十九日といわず一刻も早く僕の頭皮から生まれ変わって欲しい)。ところで,日頃は自宅から事務所までできるだけ歩いて通勤するようにしているが,これからの季節は快適なので,ますます徒歩通勤率が高くなる。

 

 その通勤経路は,その日の気分によってまちまちである。夕刻(帰途)は特に散歩気分になるのだが,先日偶然にその途上で江戸期の俳人井上士朗の自宅跡を見つけた。それは,日蓮宗の大光寺というお寺の敷地内にあり,案内板もあった。僕の自宅から歩いて7,8分の所であるが,今まで気づかなかった。

 

 この井上士朗という俳人は医師でもあり,江戸後期の寛政の三大家といわれ,「尾張名古屋はシロ(士朗)でもつ」などと言われたようだ。本来,シロは城(名古屋城)のことだけど。寛政期は名古屋は全国でも俳句がさかん。各地を行脚する俳人は名古屋によく立ち寄ったそうで,井上士朗は全国的にも高い評価を得ていたと伝えられている。

 

 「足軽のかたまりて行く寒さかな」
 「万代や山の上よりけふの月」

 

 それと,僕の自宅のすぐ近くには,「日本の近代女優第一号」と言われた川上貞奴の旧邸宅(今は「文化のみち二葉館」と命名されている)がある。ひょっとすると,まだ他にも目にしていない「史跡」があるかもしれない。通勤に支障のない程度に,もっと散歩のエリアを広げてみたい。

2009/09/08

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 世間知らずで,ものを知らないということを実感した。昨日のブログで,プランクトンのようなものが眼の前をうろうろ動き回るという体験を書いた。そうしたら,そのブログを読んだ我が事務所の事務員さんから,「それって,飛蚊症じゃないですか?」と言われた。

 

 飛蚊症?いくらものを知らない僕だって,飛蚊症という言葉が世に存在していることは知っていた。でも僕のあの日常的な体験が飛蚊症なんだろうか。そこで,飛蚊症のことをよく調べてみたら,確かに僕のあの日常的な体験は飛蚊症のようである。まさか飛蚊症だったとは・・・。だって,飛蚊症って「蚊が飛ぶ」と書くでしょう。どこをどう見たって,僕の眼の前をうろうろ動き回っているのは蚊には見えませんよ。やっぱりプランクトンのような,ミミズのような感じです。

 

 でもどうやらいわゆる飛蚊症のようですね。それにしても僕の場合は,子どものことからそのような体験があるから,飛蚊症の中でも生理的飛蚊症なのではないかと思う。幼少の頃から天才の名を欲しいままにしていたけど(笑),飛蚊症も早熟だったんだ。それにしても昨日は恥ずかしいことを書いてしまった。おめめをクチュクチュ洗えば一時的にでもプランクトン様のものは消え失せるような楽観的なことをのたまっていたが,どうやらこの飛蚊症は眼の内部を満たす硝子体の混濁によって起こる症状のようだから,いくらおめめを洗ってもダメ(笑)。

 

 多少のプランクトン様のものが眼の前をうろついても,今のところは日常生活には特に支障はないが,この飛蚊症は,時には網膜剥離の初期症状や糖尿病網膜症の症状として現れることもあるようだから,様子を見て眼科を受診したいと思う。忘れなければ・・・。

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