今朝も一番で名古屋拘置所に行き,被告人と接見してきた。拘置所での接見を終えて事務所まで歩いて帰る時,好んで通る道がある。この道を歩くだけで結構癒されるからである。僕がてくてく歩いていく行動範囲は,それほど広くはない。だから,本当はこの名古屋市内でも癒される風景,空間,道は他にも数多くあり,僕が知らないだけなのだろうけど,特にこの接見帰りに通る道はとても癒されるのである。
その道というのは,名古屋市役所や愛知県庁の各本庁舎のすぐ東側の道で,知事公舎や市公館ではさまれた道である。この道を南側に向けて歩いていると,道の両側には並木があり,とても緑豊かな一帯である。個々の樹木の名は知らないけれど,四季折々,それぞれの季節とそれの移り変わりを肌で感じることができる。また,歩道からはテレビ塔の勇姿もうかがうことができる。癒されるのは,人通りもそれほど多くなく,何よりも濃い緑が静かな空間を支配しているからであろう。もっともっとこういう空間を町のあちこちに作って欲しいものだ。
それはそうと,我が栄光の巨人軍はどうしたことか。リーグ3連覇は果たしたけど,クライマックスシリーズや日本シリーズでは精彩を欠く。クライマックスシリーズを必死で勝ち上がってきたチームと比較すると,試合感が鈍り,特にモチベーションの面で不利なのか。ゴルフでも,ティーショットを豪快に打っても,第2打地点で5分くらい待たされると,いわゆる「待ちチョロ」というのもある。でも,それは結局下手だからだ。少なくとも自分の場合は。とにかく巨人軍は勝たなければならない。オーダー上は,1,2番の出塁率の低さが気になる。塁に出なければ何ともならないからだ。それにしても,昨晩の日本ハムファイターズの9回裏の逆転サヨナラ劇は凄かった。ゲームは決して諦めてはいけないということだろう。こういう1勝は,1勝以上の価値がある。おい巨人,もっと頑張らんかい!
苦手だわ。自宅の割と近くで飼われている黒い,中くらいの大きさの犬のことである。僕ははっきり言ってこの犬は嫌いであるが,恐らくこの犬も僕を嫌っているのではないかと思う。
この犬は小さな庭の中の犬小屋で飼われているが,小屋から出て通行人に吠えることがある。かつて僕は何気なく通りすがろうとした時,いきなり大声で吠えられてビックリしたことがあった。いきなり大声で吠えられたら,心臓が止まりそうになりますんです。そういう理不尽なことはやめて欲しいんです。
それ以来,僕はその犬小屋のある庭の前の歩道を避け,その道の反対側を歩くようにしている。でもある日,12,3メートルほど前を歩いている若い女性がいたので,この人についていけば安心かなと思い,この時はその黒い犬を避けることなく,その若い女性の12,3メートル後を歩いて通りすがろうとした。その黒い犬は,若い女性には何の反応も示さなかったが,僕が通りすがろうとした時,何やら嫌な予感がした。そしたら案の定,大声で吠えられた。ひじょーに不愉快になった。とうとう犬にまで差別されたのである。
人間の心理や人間関係が論じられる時,自分が苦手だなと思ったり,嫌いだなと思ったりしている相手があれば,やはりその相手も自分のことを苦手に思っているものだということを聞いたことがある。人間と犬の間でもこれが妥当するのであろうか。
でも,今朝の通勤の時は,少しうれしい気持ちになった。派出所から少し離れた交差点で若い警察官が立っていたのだが,全く面識のない僕に「おはようございます。」とはっきりと挨拶してくれたのである。思わず僕も「おはようございます。」と言って,会釈した。面識のない人にも挨拶をするというのは,ある意味ではとても勇気のいることだが,昔の日本人はこれが当たり前だったのだ。これが醇風美俗というものだ。かなり前に秋田県へ旅行をし,秋田市内の千秋公園で散歩していた時にも,行き交うご婦人から「おはようございます。」と挨拶をされた記憶が残っている。その他の旅行先でも。
あれ?ひょっとすると,あの黒い犬も僕に挨拶をしてくれたのか・・・。
もー,太るのもたいがいにせんかい!自分への叱咤である。一時は見事ダイエットに成功し,同業者からは「痩せたんじゃない。大丈夫?」と心配され,「いやいや,病気じゃないですから。」とうれしい説明を繰り返していたというのに・・・。もう半年も体脂肪計付きの体重計に乗っていない。体重計に乗って現実に直面し,敗北感を味わうのが恐いのである。その数値を目にする勇気がない。それにうちひしがれた自分の惨めな姿が手に取るように分かるからである。それに,最近では毎年12月ころに人間ドックを受けていたのだが,今回はもう少し先延ばししようと思う。少しは摂生して,体重,中性脂肪,コレステロール,尿酸値などが下がったんじゃないかなと実感できるようになった段階で人間ドックを受けたい。もう今では標準体重を恐らく4~5キロはオーバーしているのではないだろうか。
この状態になったのは,特に最近お付き合いで飲むことが多くなったことと,晩酌の頻度が高くなったことが関係していると思う。「飲酒と肥満」というキーワードを入れて検索してみると,やはり因果関係がある。ぼくの場合は,1回の飲酒量はそれほど多くはないのだが(痛飲などはしない),飲酒の際の「おつまみ」の量と質が大いに影響しているのではないかと思う。お酒だけじゃなく,食べちゃうのである。
ただ,依頼者や顧問先が心配するからはっきり言っておくが,僕の仕事は相当にストレスがあるものの,決してアルコールに依存などはしていない。休肝日も週に2,3日は設けているのである。でも,最近は「夜になると飲みたくなる病」に少しかかっているみたいである。自重しなければと思っている。
ただ,今晩は飲むと決めた日は,心おきなく飲むことにし,心情的には種田山頭火の句の世界に漂う感じになる。
「一杯やりたい夕焼空」
「月が酒がからだいっぱいのよろこび」
「風がはたはた窓うつに覚めて酒恋し」
「ぼろ売って酒買うてさみしくもあるか」
「よい宿でどちらも山で前は酒屋」
「おもひでがそれからそれへ酒のこぼれて」
前回のブログでは「いやな言葉」というタイトルでとりとめのないことを書いた。今回は「うれしい言葉」である。今日のネタをブログで書く気になったのは,先日,いきつけの床屋さんで散髪してもらった時に,ちょっとしたことがあったからである。その床屋さんには,もうかれこれ30年近くも通っていると思う。その床屋さんは,先代が数年前に他界されてからはその奥さんと娘さんの2人で営業している。先代が亡くなってからは,僕の頭は主に娘さんが刈ってくれることが多い。先日,その娘さんとの間で次のようなやりとりがあった。
僕「あー,さっぱりした。ずいぶん切ってくれたんだ。」
娘さん「いつもどおりの長さにしましたよ。」
僕「どれどれ?(カットされて床に落ちている髪の毛を確認する)」
娘さん「・・・・・・・・・・・」
僕「あぁ,結構落ちてるわ。前に来てからそんなに長く空いたかしら?」
娘さん「うーん。・・・先生,多いから。」
僕「・・・・・・・・・・」
この瞬間,僕は例えようもなくうれしい気持ちになった。胸がこそばゆくなったような・・・。ただ,生来心配性でひねくれている僕としては,この胸がこそばゆいまま,喜んでいていいのかどうか不安になった。そして当然のことながら,その直後からは,僕の可愛い脳細胞ちゃんたちの間で,次に述べるような侃々諤々の議論がわき起こったのである。
→「おい,みんな。『・・・先生,多いから。』という言葉の意味だがな,一体何が多いという意味だと思う?」→「そりゃ,おめぇ,髪の毛の量に決まってるじゃないか。あたりめぇだろ!」→「そやかて,その直前には前回来店した時からの間隔が話題になったんでっしゃろ。来る回数が多いという意味とちゃいまっか?」→「何言ってんのよ,ぼけナス!ご主人様の普段の髪の量に決まってるじゃないの。『ずいぶん切った』とか,床に落ちた髪の量が問題になっているのよ。そういう文脈で解釈すべきだわ。」→「まぁ,まぁ。『ぼけナス』というのは,脳細胞仲間同士に対する尊敬を欠いていて,少し言葉を選ぶべきでしょうが,まぁ,『・・・先生,多いから。』という言葉の意味は,前後の脈絡からいって,素直に普段の髪の量という風に解釈するのが自然ではないでしょうか(大方の仲間はこの解釈に異論なし)。」→「おみゃぁさんたち,問題はよー,普段から髪の量が多いという言葉をよー,額面どおり素直に受け取っていいかどうかだわ。ヒジョーに悩ましいがねー。」→「いいこと!この娘さんはご主人様が三十年来の顧客だってことはよく分かってるし,その物腰からしてもご主人様にこれっぽっちも悪意なんかもってないわ。」→「で,でも・・・。人間いつ魔が差すとも限らないんじゃねえかな。この時は少し機嫌が悪くて皮肉のひとつでも言ってやれという気になったということも考えられるし,少し悪のりしてご主人様が気にしてる髪のことで冗談のひとつでも言っちゃえということかもしれねぇし・・・」→「イヤ,この娘さんの人柄からすれば,悪意を感じる方がおかしい。それに,ご主人様は,年齢の割には髪の毛の量は善戦しているんじゃないか。素直に解釈すればいいと思う。」→「皆の衆。どうじゃろう。ご主人様には,人間の矜持というものに思い至ってもらい,たかが髪の毛の量のことでクヨクヨしたり,一つの言葉の意味の解釈で時間を費やすのではなく,もっと大所高所に立って堂々と天下国家を論じてもらいたいと思うのじゃ。わしが代表でこのことをご主人様に伝えたいと思うが,どうじゃ?」→「異議なし(一同)。」
いずれにしても,最終的に僕は,「・・・先生,多いから。」という言葉を大変うれしく受け取り,その日の晩酌は特に酒がすすんだのである。
いやー,ようやく夏を越した。若い元気な頃は,およそ夏を「越す」などといった表現は思いもつかなかったが,今年は体にこたえたわ。夏と言っても,梅雨明けが8月までずれ込み,本格的な夏は1か月にも満たなかったはずなんだけれど,概して体調面では不調だった。完全に夏に対する苦手意識が生じている。
さてようやく秋めいてきた。一年中で一番好きな季節である。多くなる抜け毛のことを除けば(笑)。抜け毛ちゃんの一本一本に対し,断腸の思いで心から冥福をお祈りしている(四十九日といわず一刻も早く僕の頭皮から生まれ変わって欲しい)。ところで,日頃は自宅から事務所までできるだけ歩いて通勤するようにしているが,これからの季節は快適なので,ますます徒歩通勤率が高くなる。
その通勤経路は,その日の気分によってまちまちである。夕刻(帰途)は特に散歩気分になるのだが,先日偶然にその途上で江戸期の俳人井上士朗の自宅跡を見つけた。それは,日蓮宗の大光寺というお寺の敷地内にあり,案内板もあった。僕の自宅から歩いて7,8分の所であるが,今まで気づかなかった。
この井上士朗という俳人は医師でもあり,江戸後期の寛政の三大家といわれ,「尾張名古屋はシロ(士朗)でもつ」などと言われたようだ。本来,シロは城(名古屋城)のことだけど。寛政期は名古屋は全国でも俳句がさかん。各地を行脚する俳人は名古屋によく立ち寄ったそうで,井上士朗は全国的にも高い評価を得ていたと伝えられている。
「足軽のかたまりて行く寒さかな」
「万代や山の上よりけふの月」
それと,僕の自宅のすぐ近くには,「日本の近代女優第一号」と言われた川上貞奴の旧邸宅(今は「文化のみち二葉館」と命名されている)がある。ひょっとすると,まだ他にも目にしていない「史跡」があるかもしれない。通勤に支障のない程度に,もっと散歩のエリアを広げてみたい。
世間知らずで,ものを知らないということを実感した。昨日のブログで,プランクトンのようなものが眼の前をうろうろ動き回るという体験を書いた。そうしたら,そのブログを読んだ我が事務所の事務員さんから,「それって,飛蚊症じゃないですか?」と言われた。
飛蚊症?いくらものを知らない僕だって,飛蚊症という言葉が世に存在していることは知っていた。でも僕のあの日常的な体験が飛蚊症なんだろうか。そこで,飛蚊症のことをよく調べてみたら,確かに僕のあの日常的な体験は飛蚊症のようである。まさか飛蚊症だったとは・・・。だって,飛蚊症って「蚊が飛ぶ」と書くでしょう。どこをどう見たって,僕の眼の前をうろうろ動き回っているのは蚊には見えませんよ。やっぱりプランクトンのような,ミミズのような感じです。
でもどうやらいわゆる飛蚊症のようですね。それにしても僕の場合は,子どものことからそのような体験があるから,飛蚊症の中でも生理的飛蚊症なのではないかと思う。幼少の頃から天才の名を欲しいままにしていたけど(笑),飛蚊症も早熟だったんだ。それにしても昨日は恥ずかしいことを書いてしまった。おめめをクチュクチュ洗えば一時的にでもプランクトン様のものは消え失せるような楽観的なことをのたまっていたが,どうやらこの飛蚊症は眼の内部を満たす硝子体の混濁によって起こる症状のようだから,いくらおめめを洗ってもダメ(笑)。
多少のプランクトン様のものが眼の前をうろついても,今のところは日常生活には特に支障はないが,この飛蚊症は,時には網膜剥離の初期症状や糖尿病網膜症の症状として現れることもあるようだから,様子を見て眼科を受診したいと思う。忘れなければ・・・。
子どもの頃から自ら明確に体験していながら,同じ体験を他の人もしていないのだろうかと疑問に思うものがある。それはひとことで言うと,眼の表面をプランクトンのようなものが動き回るということである。
先日,リビングのソファに仰向けに寝ていた。自宅のリビングにそのような姿で仰向けになると,白い天井や白い壁が一面に目に入る。そうすると,どういう訳か,その天井や壁の白地を背景にして,僕の両眼の表面をプランクトンやその残骸のようなもの,単なるほこりのようなものが眼球の動く方向にしたがって動き回るのである。なお,そのプランクトン様のものは,ミジンコなどのように決してピクピク動かない。仮に何らかの生き物だとしても絶対に死んでいると思われる。明らかに眼球の動く方向に受動的にその動きにつられて動いているだけで,主体的,生命活動的な動きが一切ないからである。変でしょうか。皆さんは,こういうことってありません?
実は子どもの頃からそれに気づいており,僕だけなのかなぁ,変だなぁ,眼科行った方がいいのかな,などと不安に思いながらも,目はちゃんと見えている訳だからまあいいかということで誰にも確認せずに過ごしてきた。そして今に至るも,同じ体験を他の人もしていないのかについて確認したことがない。くどいようですが,皆さんは,こういうことってありません?あるならある,ないならないとはっきりと言ってもらえませんこと?
普通に考えると,プランクトン様のものは単に眼に入ったほこりなんだろうと思う。でも,眼にこんなほこりをいつも抱えながら生きているなんて気持ち悪い。本当に何らかの生物の死骸だったらなおさらである。コンタクトレンズ関連で眼を洗浄する商品のコマーシャルがあったが,自分はコンタクトレンズは使用しないものの単に眼の洗浄効果というのを一度試してみたい。
それにしても,そろそろ勇気を出して,この僕と同じ体験をしていないかどうか,他の人に尋ねてみたいと思う。最初に尋ねる人は誰にしようか。でも,「何それ?そんなこと一度もないよ。変なんじゃない?」と言われたらどうしようか(笑)・・・。
かつて裁判所に勤めていた当時,同じ課で一緒に仕事をしていたH事務官は,ほとんど毎日ビール大瓶3,4本の晩酌をし,そこそこのつまみをとっていたにもかかわらず,常にスリムな体型を維持していた。その当時の彼の年齢や身長からすると,標準体重を下回っていたのではないだろうか。彼が言うには,腸からの栄養の吸収があまり良くなかったからのようであるが,もしも僕がそれと同じようなことをしたとしたら,間違いなく柳原加奈子のような外観になってしまうだろう。
というのも,僕の場合は,食べ過ぎ飲み過ぎ(以下「不摂生」という。)をすると,たちどころに体に出てしまうのである。不摂生を続けると,例えば腹回りが拡がりを見せ,顔を少し前傾させると醜い二重あごが現出するし,首周り39センチのYシャツでは苦しくなる。一方,昼は例のぜんまいざむらいの弁当箱でランチをし,夜も週に3回ほどの休肝日を設けて摂生していると,標準体重に近くなる。要するに,とても分かりやすい体なのである。正直というか,素直というか,ここまで分かりやすいと可愛らしささえ感じる。現にこの1週間ほどを振り返ってみても,先の伊豆下田旅行では美味しい料理と酒で不摂生をしたため恐らく標準体重を3キロほどオーバーしていただろうし,帰ってきてしばらくの間摂生していたら,少し標準体重に近くなりつつあった。
このままいくかと思ったら,我が読売ジャイアンツのせいでダメになった。火曜,水曜,木曜の対ドラゴンズ3連戦。3日連続摂生を目指していたものの,もし我が読売ジャイアンツが勝っていれば一杯(祝杯)やってもいいかなと魔が差し,3試合ともジャイアンツが勝っていたために3連続晩酌となりビールとおつまみがすすんでしまったのだ。おかげで,このブログを書いている今でも,キーボードの前で顔を前傾させるとやはり醜すぎる二重あご(泣)。
もうここ4か月ほどは,事実を直視することができずに体重計にも乗っていない。でも,再び摂生をして標準体重に戻したい。かつてはこれができたのだから。
さあ,3泊4日の旅行も最終日となった。もうこの日は名古屋の自宅に帰らなければならない。午後4時30分までには熱海駅前付近でレンタカーを返却し,熱海駅4時43分発の新幹線(ひかり)に乗ることになっている。下田から熱海までは,車で1時間40分ないし2時間はかかる。その間に美味しいランチもしたい。・・・という訳で最終日は,名残惜しげに最後まで客室の露天風呂を愉しみ,午前11時ころに旅館をチェックアウトして,下田観光をすることにした。
下田観光といっても,市街を散策するのではなく,下田駅近くにある乗り場からロープウェイに乗り,寝姿山に登って下田港や太平洋を一望したのである。寝姿山は自然公園になっていて展望台もあったし,愛染堂に安置され,鎌倉時代の仏師運慶作と伝えられる愛染明王もあった(古い時代の仏像を見ると何故か心が和む)。それに,幕末見張所,日本の写真技術の開祖である下岡蓮杖の資料館もあった。
寝姿山に関する予備知識は全くなく,山に付けられた「寝姿」という名称は,山の形が馬か何かの寝姿に似ているからかなと思っていたら,どうやら仰向けに寝たご婦人の姿に似ているからということらしい。それにしても,寝姿山から見た下田港,太平洋は絶景であった。日本が美しい島国であることが実感できる。
これで今回の楽しかった旅行も終わり(泣)。海外旅行もそれなりの魅力はあるが,僕としては温泉,読書,観光をセットにした国内旅行がとても好きである。日本にはとても美しい所が本当にたくさんあるのだから。
旅館での露天風呂と読書に気がいってしまい,正直言って旅行3日目の観光をどうしようか全く計画がなかった。まあ,一日中旅館でゴロゴロしている訳にもいかず,どこかには出かけようと思っていたところ,親切な旅館の仲居さんが,松崎町にある「伊豆の長八美術館」を薦めてくれた。そういえば,伊豆半島の中でもまだ西伊豆方面には出かけていない。そこで,まずは「伊豆の長八美術館」に行くことにした。
伊豆の長八美術館というのは,江戸時代に活躍した入江長八という名工が作製した作品数十点が展示されている美術館である。その作品というのは,漆喰(しっくい)を素材に,鏝(こて)を使用して作製された絵及び彫塑である。モチーフは人物,動物,情景など多岐にわたるが,高度の左官技術と創造力が窺える。僕はこのように鏝絵(こてえ)というジャンルがあることすら知らなかったが,長八の作品は海外でも高く評価されているとのこと。誇らしい日本人がここにも存在した。長八の作品の中で文久2年(1862年)成立というのがあった。とすると,新撰組の前身である浪士組が結成されたのが文久3年(1863年)だから,ちょうどその頃に活躍していたということになる。旅館の仲居さんがこの美術館での鑑賞を強く薦めてくれたのだが,長八の作品群に出会えて良かったと思う。
その次に足を運んだのは,同じ松崎町にあり,国の重要文化財に指定されている岩科学校だ。この岩科学校は,明治に創立され,大正,昭和と生き抜いてきた学校施設である。この重要文化財を見て,かつて長野県の松本を旅行した時に訪れた開智学校を思い出した。さて,この岩科学校は,地元住民の並々ならぬ熱意で建設,運営されていた。施設内に入ると,当時の学校の様子がよく分かる。各時代の写真や教科書なども展示され,昭和時代のうち自分の小学校時代の教科書が非常に懐かしかった。岩科学校創立時には,教育者として会津藩の山口盤山を迎え入れたというが,やはり教育というのは人を得なければならない。人(教育者)といい,教材といい,昔から日本は教育立国の国であり,教育の荒廃した部分を立て直し,将来もこれを目指さなければならないと思う。岩科学校の離れの部分には喫茶と売店があった。ここでは名物の桜葉餅を美味しくいただき,結構大きいフィギュアを買ってきた。売店にあったフィギュアは十数種類あったが,僕が選んだのは,木の机の上に配膳された給食(コッペパンと簡単なおかずに箸が添えてある)を前に,やはり木の椅子に座ったおかっぱ頭の女の子が神妙な表情で「いただきます」をしているフィギュアであった。これもまたとても懐かしい感じがする。
この日の遅い昼食は,やはり旅館の仲居さんから薦められたお好み焼き屋さんでお好み焼き(シーフードのやつ)を食べた。べらぼうに美味かった。自宅で作るお好み焼きとは何が決定的に違うのであろうか。おそらく,出汁(だし)と山芋の量ではないかと思う。
旅館に戻ったら,やはり露天風呂と読書。この日はそういう一日であった。