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弁護士ブログ

2009/08/24

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 今回の3泊4日の旅は,同じ温泉旅館で滞在するというものである。さて,客室付属の露天風呂で温泉を愉しみ,読みたい本を心ゆくまで読み,深い眠りを経た第2日目は,ひとことで言うと「滝の日」であった。小回りの利くレンタカーを利用して,僕の好きな滝巡りをしたのである。行き先は浄蓮の滝と河津七滝である。滝は必ず渓流の途中にあり,滝を目指すと,清らかな流れに沿って森林浴が楽しめるし,滝(瀑布)ではマイナスイオンに満ちた飛沫を楽しめる。僕は湖や滝が好きなので,旅行先では必ず湖や滝を目指す。

 

 さて,この日の最初は,浄蓮の滝。海岸線ではなく,下田から国道414号線を北上していった。この滝を見るのはおそらく3度目で,前回はもう10年ほども前になるが,この時は大仁温泉から南下して目指した。この大仁温泉では旅館の離れに泊まらせてもらったが,そこは偶然にも読売ジャイアンツの長嶋茂雄選手が以前泊まったことのある部屋だった。仲居さんの話によると,その離れの庭で長嶋選手が素振りをしていたそうな。それはそれとして,今回見た浄蓮の滝も水量が多く見事だった。

 

 この滝を見た後は,それまで来た道(国道414号線)を南に戻り,その途中にある河津七滝(かわづななだる)を目指した。地元(河津)では,滝のことを「たる」と呼ぶそうだ。この河津七滝はその名が示すとおり,大滝をはじめ大小合わせて7つの滝が渓流に沿って存在する。全部の滝を見ることはしなかったが,大滝の所では,滝壺及びその周辺で水遊びができるようになっている。そのためには,近くの旅館で入場券を購入し,水着のない人は貸与が受けられる。実際に数人の大人が水着で無邪気にはしゃいでいた。この日は水遊びまでは断念したが,今度訪れることがあったら童心に戻って滝壺で泳いでみたい。きっと爽快だろうなぁ。

 

 「滝の日」の締めは,旅館で心づくしの料理である。ここ数年は,例えば3泊4日のような旅程の場合,3日とも夕食を頼むことはない。今回の旅行も夕食は1日だけ頼んだ。というのも,旅館での美味しい夕食を3日3晩食べ尽くした後の自分の醜い姿を見るのが嫌だからだ(ビール腹,二重あごなど・・・)。それにしてもこの晩の心づくしの料理は美味しかった。もちろん金目鯛も・・・。

2009/08/21

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 一生懸命に働いた後は遅まきの夏休みである。8月16日(日)に名古屋を新幹線で出発し,3泊4日で伊豆下田へ旅行した。下田温泉で温泉を愉しみ,風鈴の音を聴きながらの読書であった。今回は,少しばかり贅沢をし,客室に露天風呂が付いている宿泊先を選んだ。

 

 熱海駅に着いてからはレンタカーで移動し,一路,東伊豆の海岸線沿いに南下して宿泊先の下田温泉を目指した。というのも,この日は何よりもまだ日の高いうちに客室に付いている露天風呂を愉しみたかったからである。海岸線に沿った道路から眺める海は碧くてとても美しかった。そんな訳で,この日はあちこち寄らずに午後3時少し過ぎにはチェックインしたのである。

 

 チェックインの時に選んだ風鈴を縁側に掛け,矢も楯もたまらず,すぐに露天風呂に入った。もう秋の始まりを感じる外気に触れ,風鈴の音,蝉や虫の声を聴き,緑豊かな場所で木漏れ日を浴びながら,ゆったりとした時間を愉しんだ。ふぇーっ,極楽じゃー。日頃お仕事をがんばっているのは,こういう瞬間を味わうためなんじゃないかなと思った。

 

 下田及びその周辺の観光は翌日回しにして,この日は,露天風呂と読書。この宿泊先でじっくりと読んだ本は,「マオ 誰も知らなかった毛沢東(上・下)」(ユン・チアン,ジョン・ハリディ著,土屋京子訳,講談社)という本である。上下併せて1000ページ以上となるボリュームであるが,非常に読み応えがあり,夢中で読み進めることのできる本だった。

 

 また,夕方には下田の街を少し散策したが,唐人お吉の墓もあるようだし,開国当時の港町の風情がまだ少し残っているような味わいのある街である。何しろ金目鯛や地魚がとても美味しかった。ワクワクして明日の観光コースを思い描きながら,そのまま深い眠りに入った。

2009/08/12

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 たった今,拘置所での接見を終えて汗だくで事務所に戻ってきた。いやー,世間はすごく暑いことになっていますなー。汗だくとはいっても,運動の後の爽快な汗である。というのも,男性用日傘の魅力というか効用を実感しているからである。

 

 男性用日傘は,デパートでも売り場に大々的に並べられてはおらず,個別に店員さんに耳打ちする形で,在庫がないかどうかを確かめる必要があると思う。今僕が愛用しているやつは,遮光性,UVカット率が高く,有事の際は雨の時も使用できるやつだ。

 

 日傘というものは,実際に使ってみると,とてもイイ。第1に,直射日光,紫外線の直撃から大切なおつむ(特に中期的には絶滅が危惧される毛髪)を保護してくれる。第2に,この保護があるゆえに,比較的涼しく歩行ができ,汗をベタベタかくほどではなく,運動の後の爽快な汗が実感できる。第3に,日陰を探してのジグザグ歩行などは全く必要なく,道の真ん中を堂々と歩行できる。第4に,炎天下でも,暑さと直射日光で顔の表情がひんまがることがなく,比較的涼しい顔ができ,全く根拠はないものの精神的にも余裕が出てくるような気がする。

 

  使い始めて最初の頃は,自意識が過剰だったのかもしれないが,「男のくせに日傘なんか差して」というような好奇の視線を感じもしたが,良いものは良い,是々非々主義で今後も貫き通したい。なお,それほど広くない歩道などでは,傘は通行の邪魔になりがちではあるが,そこはそれ,江戸しぐさの「傘かしげ」で世間の皆様に迷惑を掛けることのないようにすれば良いのである。

2009/08/10

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 かみちよねーさんというのは,このブログでも一、二度取り上げているのだが,ぜんまいざむらいに出てくるキャラクターである。僕はとても好きである(笑)。

 

 ぜんまいざむらいに出てくる女性のキャラクターというのは,あまり色気は感じないんだけど,このかみちよねーさんだけは別である。だんご屋おばば,ずきんちゃん,わたあめひめなどは,ほとんど三頭身に近いけど,かみちよねーさんだけは他の町人と同様,ちゃんとした大人の頭身であるし,何よりも妖艶である。

 

 かみちよねーさんの出自や経歴などは全くナゾに包まれたままだ(ただ,かつて女忍者に憧れていたという時期があったようで,鋭い手裏剣を投げるシーンは目にした)。出自等がナゾに包まれ,江戸で暮らしていた人間で非常に色っぽい女性というと,どういうわけか,かつて近藤勇と並んで新撰組局長だった芹沢鴨と倫ならぬ仲だった「お梅」を連想したが,よく考えてみると「お梅」ほど世間ずれしてはいないし,それほど生活臭やしたたかさも感じない。・・・・・・かみちよねーさんはやはりかみちよねーさんなのである。

 

 ある回のお話では,だんご屋おばばが,ぜんまいざむらいや豆丸の前で調子に乗って悩殺ポーズをしている際に,ギックリ腰になってその日の店の切り盛りができなくなり,うつ伏せで寝込んだ(僕は朝っぱらからこの悩殺ポーズは見たくない)。そこへ通りかかったかみちよねーさんが,一日だけだんご屋を手伝い,見事にだんごを完売して貢献したことがあった。おばばがとても感謝して,別れ際にかみちよねーさんに報酬を渡そうとしたが,かみちよねーさんはおばばが用意した報酬そのものを辞退して颯爽と去って行った。

 

 僕がかみちよねーさんを好きなのは,その容貌だけでなく,こういう,粋でいなせな洗練された生き方,優しさにも魅力的を感じるからなのである。

2009/08/05

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 夏でもできるだけ自宅から歩いて通勤している。通勤経路はその日の気分などによってまちまちである。今朝の通勤途上で,若いOL風の女性とすれ違った。凄い美人に見えたので,すれ違いざまにちょっとお顔に目がいってしまった。確かにそこそこ美人なのだが,巨大なつけまつげであった。あれはマスカラとは違うと思う。仮に僕がこういうつけまつげを付けたとすると,その重量,負荷に耐えかねて眼瞼痙攣が起きそうだ。それにまぶたに気がいってしまい,書面の起案に差し支えるであろう。でも,そんなこと余計なお世話か(笑)。

 

 通勤経路と言えば,僕の自宅の近くには,小学校がありその敷地内には本当に見事な桜の木々がある。春にはこのブログでも述べたように,本当に感動的なまでの見事な桜の花を咲かせるのである。

 

 今朝はこの桜の木々を見ながらの通勤であった。その桜の木々にとまり,蝉が一生懸命に鳴いていた。あまりよくは知らないが,蝉というのは約7年ほどを土の中で生活し,やっと地上に出て僅か1週間かそこら,生涯の最終段階を過ごして死んでいくというようなことを聞いた。だから,今一生懸命に鳴いているのは生涯の最期の仕事なのだろう。これは少し的外れかもしれないが,前に読んだことのある正法眼蔵随聞記という書物には,人生は長いとか時間などいっぱいあると考えている人は怠惰になったり修行に励まなかったり人生を真面目に考えたりしないが,人生があっという間であることを識っている人はそうではない,あるいはそうあるべきではないというようなことが書いてあった。蝉も,自分の生涯が短いことを知っているのだろう。蝉の存在は,僕が幼い時は昆虫採集の対象,若い頃はその鳴き声がうるさいなという程度の存在,でも年をとった今は何故かしら自分の姿を投影してしまう面がある。

 

 桜は見事な花を咲かせ,あっという間に風に吹かれて散ってゆく。蝉も地上に出てからは声の限り鳴いてあっという間に死んでゆく。桜も蝉も,自然の呼び声に応じていつでもこの世を去る覚悟,潔さがある。いつも通勤途上に見る同じ桜の木々で,桜と蝉は季節を違えていずれも春,夏の主人公となっているのである。いやー,今日はどうしちゃったんだろう。とても内省的な人間に化けてしまった(笑)。

2009/08/03

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 先週の土曜日には,同業者やそのご家族の方々と,知多半島の方へちょっとしたバス旅行をした。あいにくの雨だったが,内心雨も悪くはないなと思っていた。というのも,この小旅行には,海岸での地引き網体験の企画が組み込まれていたからである。真夏の炎天下で地引き網というのは,「虚弱体質」の僕にはヒジョーに辛い。

 

 炎天下での地引き網修行がいよいよとなったら,僕としては同業者数人をそそのかして,近くのハウスでこっそりビールでも飲んでようと企んでいた。でも,雨が降ったりやんだりの天気で,炎天下という訳ではなかったので,結局僕も浜辺に出た。

 

 おかげで,日本古来からの地引き網漁法のやり方がよく分かったし,真鯛,黒鯛,コノシロ,ボラ,タコ,小さなサバなどの獲物がかなりあった。同業者のご家族の中には,まだ小学校に上がる前の子や小学生らがいて,雨に濡れながらも最後尾になったら順繰りに先頭になって一生懸命に網を引いていた。これらの子どもたちは,獲れた魚を目を輝かせて見ていた。さらに子どもたちは,漁師さんが魚の鮮度を保つために血抜きし,魚をしめる光景も目にしていた。これらの獲物は,予め用意されていた牛肉や豚肉,野菜などのバーベキューとともに,刺身や鍋に調理され,どの子どもも美味しそうにほおばっていた。勿論僕も。要するに,これは立派な「食育」となっていたのである。炎天下での地引き網修行だけは回避しよう,一部の仲間とこっそりビールでも飲んでいようと企んでいた自分が恥ずかしい。

 

 その後バスは,「酢の里」というさる食酢メーカーが運営している施設に足を運んだ。ここでも酢が出来上がる工程を見学でき,これも大人にとっても子どもにとっても一種の食育となったのであった。この施設で配られたリンゴ酢は美味かった。特にこのリンゴ酢のボトル表面には「・・・ダイエット」と記載されていたので,思わず買い求めようという衝動に駆られた。でも,本当にダイエット効果はあるのかしらん。あるんだったら,毎日何杯でも飲むんだけど(笑)。

 

2009/07/27

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 今年は夏休みの日程を確定するのに手間取った。ようやく確定したのだけれど,もうすぐ8月に入ってしまう。宿の予約は大丈夫だろうか。

 

 今年も温泉目指して,東北かどこか北の方へ行こうと思っている。わが日本国にも素晴らしい旅先は無数にある。ただ,僕の場合,夏の旅行は北の方へ行くことが圧倒的に多い。しかも,水のある所が好きで,滝,渓流,湖,川,そして温泉。十和田湖と奥入瀬渓流,田沢湖と抱き返り渓谷,そして猪苗代湖などが今も目に焼き付いている。そして,温泉入って,一杯やって,読みたい本を堪能する。極楽じゃー(笑)。

 

 それと,そういうことは意識していなくても,旅先で素晴らしい日本人の先達に触れることもできる。十和田湖へ行ったら,あの「武士道」を英訳で著した新渡戸稲造先生の記念館に巡り会え,その素晴らしい業績に触れた。同じ青森では棟方志功先生の記念館に巡り会え,やはりその素晴らしい作品を鑑賞できた。猪苗代湖に行ったら,あの野口英世先生の記念館に巡り会え,その不屈,無私の精神に触れ,やはり同じ日本人として誇らしい思いがした。秋田の尾去沢鉱山へ行った時は,マインランドという施設があって,当時の採鉱現場が見学できるようになっており,日本の産業,経済成長を坑内で支えてくれていた多くの坑夫の奮闘,努力に感謝の念が芽生えた。

 

 かつてアメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトは,新渡戸稲造先生の「武士道」を読んでいたく感動し,30冊も取り寄せ,5人の我が子に渡し,残りの25冊は,上下両院の議員や大臣に分配して読むよう薦めた。ルーズベルトは,5人の我が子にこの本を渡して次のように述べたということだ(「世界の偉人たちが贈る日本賛辞の至言33撰」波田野毅著,ごま書房136~139頁)。
「これを読め。日本の武士道の高尚なる思想は、我々アメリカ人が学ぶべきことである。(中略)この武士道は全部アメリカ人が修行し又実行してもさしつかえないから、お前達五人はこの武士道をもって処世の原則とせよ」
 今度の旅が実現したら,やはり温泉場で新渡戸稲造先生の「武士道」を読み直そうと思う。

 

 ちょっと出遅れてしまったが,今のところ旅行社の知り合いの美人担当者に今回の夏休みの旅行の企画,手配をしてもらっている。何とか東北など北方への旅行が実現したら良いと思う。東北の中では,宮城県と山形県だけはまだ足を踏み入れていないので,この辺りもいいかな。温泉は絶対に外せないけど(笑)。それにしても,旅というのは,旅の真っ最中が楽しいのはいうまでもないが,行く前もワクワクして楽しいものである。

2009/07/23

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 Jリーグのさる球団の監督の学習能力・修正能力に言及したことがあるが,僕自身の学習能力・修正能力のなさに呆れている。二日酔いのことである。二日酔いの渦中にあるときは,あれだけ反省し,もう絶対に繰り返すまいと思うのに,結局懲りてはいないのである。

 

 二日酔いの時は,肉体的にはだるいし,気持ち悪い。精神的には,やるせないし,モチベーションも上がらない。もう年なんだから,翌日の仕事に差し支えるような飲み方をしてはいけないのだっ。何度言ったら分かるのだ!

 

 二日酔いに関する自分の過去の歴史を振り返り,その多くの出来事から帰納していくと,どうやら日本酒を飲んだ翌日にこの「二日酔い」という事象が生ずる。熱燗でも冷酒でも。一昨日は,まずビールで乾杯。当分はビールの時代。やがて利き酒の趣向(企画)があったので非常にフルーティーな冷酒を。そうこうしているうちに,大先輩が熱燗とっくりをもって僕の所にお越しになった。しばらくは熱燗の時代。再びビールで一次会はお開き。二次会はまずビールで始まり,やがて一次会の時の利き酒に使用した残りの冷酒。最後は少し小さめの品の良いグラスで冷たいビールで締めた。本当に駄目だよなぁ,こういうことをやってちゃ。大概にしなさいというやつだ。僕の場合は,経験的には二日酔いに絡んでいるのは日本酒である。日本酒も少しなら何ら問題ないが,度を過ぎるとだめだ。これからは,肝に銘じたい。もう絶対に二日酔いなどはしないっ!

 

 あーーーーー。スイカが食べたい。無性にスイカが食べたい。甘くて,サクっとした歯ごたえのあるやつを。よし,今日はどんな卑怯な手を使ってでも絶対にスイカを食べてやる(笑)。

2009/07/21

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 10代の頃はそんなことは全然意識しなかったが,大人になったら何となく夏に対する苦手意識が出て来た。特に今の年齢の自分には夏は辛い。

 

 夏は,熟睡したという感じがない。寝苦しさからか,夜中に数度目が覚めるし,朝起きても爽快感などない。これから仕事に行かなければならないというのに,もうそこそこ疲れているのである。

 

 また,あの炎天下での刺すような紫外線は,毛量が必ずしも多くはない頭にこたえる。汗と相まって髪の毛がぺたっとなってしまうのである。このような悩みを訴えていそうな同業者を数人知っている(笑)。さらに,ビールを飲み過ぎて太ってしまう。僕の場合はつまみをとらなければならない方だから,なおさらである。

 

 ついでに,雷も非常に恐い。自分の経験などから言うと,雷に対する恐がり方というのは,親から引き継がれていくのだと思っている。僕の母が雷を非常に恐がる人だったので,それが僕にも伝承されている。大昔,派手に雷が鳴っているにもかかわらず,僕の父が家族の前で窓を開け放ち,稲妻を見ながら「あぁー,きれいだなぁー。」などと言って強がり,受けを狙っていたが,家族からかえって反感を買っていた(笑)。その当時の僕の家族は,姉と妹を加えた5人家族だったが,僕も,姉も,妹も,雷に対する母の真摯な恐がり方に共感を覚え,実際に母と同様に恐がっていた。雷に対する姿勢では母の方が多数派を形成し,派閥の領袖となっていたのである。そういう訳で,夏のゴルフの際には僕は雷に対して非常に神経質で,ゴロゴロ鳴り始めたら誰が何と言おうとすぐに中止することにしている。

 

 わが日本国の四季は非常に美しいし,それぞれ味わいがある。ただ,年のせいか,最近は夏にだけは苦手意識がある。スイカとそうめんは大好きなのだけれど。

2009/07/17

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 今自宅にあるピアノは平成8年冬に購入したと思う。もう13年ほど経つ。そのピアノは,ごく普通の何の変哲もない漆黒で光沢のあるアップライトピアノである。どういう訳か,最近はそのピアノを見るたびにS弁護士(以下「S先生」)のことを想い出す。

 

 僕が司法修習生時代にお世話になった指導弁護士はF先生だったが,そのF先生の紹介で僕はS先生と知り合った。S先生はかつて検察官であったが,その後弁護士に転身した経歴の持ち主だった。紹介してくださったF先生とS先生とは司法修習の同期だったそうだ。S先生がF先生に「誰か僕の事件処理を手伝ってくれる弁護士はいないかな?」と尋ねた際,F先生が僕を紹介してくれたのだ。

 

 S先生は,恐らく僕より12,3歳くらい年上だったと思う。飄々としていて,あまり些末なことにはこだわらず,一見ぶっきらぼうだが,結構優しい面もあり,なかなか味のあるお人柄だった。その事件の民事部門は主として僕が,刑事告訴部門はS先生が担当し,最終的にはいずれも何とか解決した。平成8年当時は,僕はまだ弁護士登録1,2年ほどしか経っていなかったがS先生は僕が起案した訴状,準備書面にはほとんど手を入れられず,僕を信頼してくれていた。それと,何よりもとても慈愛に満ちたまなざしを僕に投げかけてくれた。

 

 平成16年ころだったか,S先生,F先生,僕の3人が夜遅くまで飲む機会があった。世代は若干違うが,真面目なのか不真面目なのか分からない,とりとめのない面白い話題で楽しい時間が過ぎていった。その夜は,僕は相当遅くまでF先生に付き合ったが,S先生は一足先に帰られた。それから約1年ほど後にS先生は鬼籍に入られた。とてもショックだった。亡くなられてからはじめて知らされたことだが,S先生が僕と一緒にある事件を処理していた時期は,実はS先生がガンの闘病生活から復帰されて間もない頃だったそうだ。今にして思えば,少し辛そうな雰囲気もあった。そのような事情があったとは全く知らなかった・・・。

 

 あの慈愛に満ちたまなざしは,どのような心情に導かれたものであったろうか。僕のことを,「こいつは直情径行型だが,結構かわいい奴だな。」と思っていてくれたからであろうか。あるいは,無常観,諦念,これまでの自分の人生に対する満足感だったのだろうか。ああいう深いまなざしは,忙殺され,日常生活に埋没している間はとてもできないから,恐らく後者の方だろう。S先生と一緒に処理した事件の弁護士報酬で,僕はすぐにピアノを購入することができた。それが今自宅にあるピアノなのである。
                        

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