子どもの頃から自ら明確に体験していながら,同じ体験を他の人もしていないのだろうかと疑問に思うものがある。それはひとことで言うと,眼の表面をプランクトンのようなものが動き回るということである。
先日,リビングのソファに仰向けに寝ていた。自宅のリビングにそのような姿で仰向けになると,白い天井や白い壁が一面に目に入る。そうすると,どういう訳か,その天井や壁の白地を背景にして,僕の両眼の表面をプランクトンやその残骸のようなもの,単なるほこりのようなものが眼球の動く方向にしたがって動き回るのである。なお,そのプランクトン様のものは,ミジンコなどのように決してピクピク動かない。仮に何らかの生き物だとしても絶対に死んでいると思われる。明らかに眼球の動く方向に受動的にその動きにつられて動いているだけで,主体的,生命活動的な動きが一切ないからである。変でしょうか。皆さんは,こういうことってありません?
実は子どもの頃からそれに気づいており,僕だけなのかなぁ,変だなぁ,眼科行った方がいいのかな,などと不安に思いながらも,目はちゃんと見えている訳だからまあいいかということで誰にも確認せずに過ごしてきた。そして今に至るも,同じ体験を他の人もしていないのかについて確認したことがない。くどいようですが,皆さんは,こういうことってありません?あるならある,ないならないとはっきりと言ってもらえませんこと?
普通に考えると,プランクトン様のものは単に眼に入ったほこりなんだろうと思う。でも,眼にこんなほこりをいつも抱えながら生きているなんて気持ち悪い。本当に何らかの生物の死骸だったらなおさらである。コンタクトレンズ関連で眼を洗浄する商品のコマーシャルがあったが,自分はコンタクトレンズは使用しないものの単に眼の洗浄効果というのを一度試してみたい。
それにしても,そろそろ勇気を出して,この僕と同じ体験をしていないかどうか,他の人に尋ねてみたいと思う。最初に尋ねる人は誰にしようか。でも,「何それ?そんなこと一度もないよ。変なんじゃない?」と言われたらどうしようか(笑)・・・。
かつて裁判所に勤めていた当時,同じ課で一緒に仕事をしていたH事務官は,ほとんど毎日ビール大瓶3,4本の晩酌をし,そこそこのつまみをとっていたにもかかわらず,常にスリムな体型を維持していた。その当時の彼の年齢や身長からすると,標準体重を下回っていたのではないだろうか。彼が言うには,腸からの栄養の吸収があまり良くなかったからのようであるが,もしも僕がそれと同じようなことをしたとしたら,間違いなく柳原加奈子のような外観になってしまうだろう。
というのも,僕の場合は,食べ過ぎ飲み過ぎ(以下「不摂生」という。)をすると,たちどころに体に出てしまうのである。不摂生を続けると,例えば腹回りが拡がりを見せ,顔を少し前傾させると醜い二重あごが現出するし,首周り39センチのYシャツでは苦しくなる。一方,昼は例のぜんまいざむらいの弁当箱でランチをし,夜も週に3回ほどの休肝日を設けて摂生していると,標準体重に近くなる。要するに,とても分かりやすい体なのである。正直というか,素直というか,ここまで分かりやすいと可愛らしささえ感じる。現にこの1週間ほどを振り返ってみても,先の伊豆下田旅行では美味しい料理と酒で不摂生をしたため恐らく標準体重を3キロほどオーバーしていただろうし,帰ってきてしばらくの間摂生していたら,少し標準体重に近くなりつつあった。
このままいくかと思ったら,我が読売ジャイアンツのせいでダメになった。火曜,水曜,木曜の対ドラゴンズ3連戦。3日連続摂生を目指していたものの,もし我が読売ジャイアンツが勝っていれば一杯(祝杯)やってもいいかなと魔が差し,3試合ともジャイアンツが勝っていたために3連続晩酌となりビールとおつまみがすすんでしまったのだ。おかげで,このブログを書いている今でも,キーボードの前で顔を前傾させるとやはり醜すぎる二重あご(泣)。
もうここ4か月ほどは,事実を直視することができずに体重計にも乗っていない。でも,再び摂生をして標準体重に戻したい。かつてはこれができたのだから。
さあ,3泊4日の旅行も最終日となった。もうこの日は名古屋の自宅に帰らなければならない。午後4時30分までには熱海駅前付近でレンタカーを返却し,熱海駅4時43分発の新幹線(ひかり)に乗ることになっている。下田から熱海までは,車で1時間40分ないし2時間はかかる。その間に美味しいランチもしたい。・・・という訳で最終日は,名残惜しげに最後まで客室の露天風呂を愉しみ,午前11時ころに旅館をチェックアウトして,下田観光をすることにした。
下田観光といっても,市街を散策するのではなく,下田駅近くにある乗り場からロープウェイに乗り,寝姿山に登って下田港や太平洋を一望したのである。寝姿山は自然公園になっていて展望台もあったし,愛染堂に安置され,鎌倉時代の仏師運慶作と伝えられる愛染明王もあった(古い時代の仏像を見ると何故か心が和む)。それに,幕末見張所,日本の写真技術の開祖である下岡蓮杖の資料館もあった。
寝姿山に関する予備知識は全くなく,山に付けられた「寝姿」という名称は,山の形が馬か何かの寝姿に似ているからかなと思っていたら,どうやら仰向けに寝たご婦人の姿に似ているからということらしい。それにしても,寝姿山から見た下田港,太平洋は絶景であった。日本が美しい島国であることが実感できる。
これで今回の楽しかった旅行も終わり(泣)。海外旅行もそれなりの魅力はあるが,僕としては温泉,読書,観光をセットにした国内旅行がとても好きである。日本にはとても美しい所が本当にたくさんあるのだから。
旅館での露天風呂と読書に気がいってしまい,正直言って旅行3日目の観光をどうしようか全く計画がなかった。まあ,一日中旅館でゴロゴロしている訳にもいかず,どこかには出かけようと思っていたところ,親切な旅館の仲居さんが,松崎町にある「伊豆の長八美術館」を薦めてくれた。そういえば,伊豆半島の中でもまだ西伊豆方面には出かけていない。そこで,まずは「伊豆の長八美術館」に行くことにした。
伊豆の長八美術館というのは,江戸時代に活躍した入江長八という名工が作製した作品数十点が展示されている美術館である。その作品というのは,漆喰(しっくい)を素材に,鏝(こて)を使用して作製された絵及び彫塑である。モチーフは人物,動物,情景など多岐にわたるが,高度の左官技術と創造力が窺える。僕はこのように鏝絵(こてえ)というジャンルがあることすら知らなかったが,長八の作品は海外でも高く評価されているとのこと。誇らしい日本人がここにも存在した。長八の作品の中で文久2年(1862年)成立というのがあった。とすると,新撰組の前身である浪士組が結成されたのが文久3年(1863年)だから,ちょうどその頃に活躍していたということになる。旅館の仲居さんがこの美術館での鑑賞を強く薦めてくれたのだが,長八の作品群に出会えて良かったと思う。
その次に足を運んだのは,同じ松崎町にあり,国の重要文化財に指定されている岩科学校だ。この岩科学校は,明治に創立され,大正,昭和と生き抜いてきた学校施設である。この重要文化財を見て,かつて長野県の松本を旅行した時に訪れた開智学校を思い出した。さて,この岩科学校は,地元住民の並々ならぬ熱意で建設,運営されていた。施設内に入ると,当時の学校の様子がよく分かる。各時代の写真や教科書なども展示され,昭和時代のうち自分の小学校時代の教科書が非常に懐かしかった。岩科学校創立時には,教育者として会津藩の山口盤山を迎え入れたというが,やはり教育というのは人を得なければならない。人(教育者)といい,教材といい,昔から日本は教育立国の国であり,教育の荒廃した部分を立て直し,将来もこれを目指さなければならないと思う。岩科学校の離れの部分には喫茶と売店があった。ここでは名物の桜葉餅を美味しくいただき,結構大きいフィギュアを買ってきた。売店にあったフィギュアは十数種類あったが,僕が選んだのは,木の机の上に配膳された給食(コッペパンと簡単なおかずに箸が添えてある)を前に,やはり木の椅子に座ったおかっぱ頭の女の子が神妙な表情で「いただきます」をしているフィギュアであった。これもまたとても懐かしい感じがする。
この日の遅い昼食は,やはり旅館の仲居さんから薦められたお好み焼き屋さんでお好み焼き(シーフードのやつ)を食べた。べらぼうに美味かった。自宅で作るお好み焼きとは何が決定的に違うのであろうか。おそらく,出汁(だし)と山芋の量ではないかと思う。
旅館に戻ったら,やはり露天風呂と読書。この日はそういう一日であった。
今回の3泊4日の旅は,同じ温泉旅館で滞在するというものである。さて,客室付属の露天風呂で温泉を愉しみ,読みたい本を心ゆくまで読み,深い眠りを経た第2日目は,ひとことで言うと「滝の日」であった。小回りの利くレンタカーを利用して,僕の好きな滝巡りをしたのである。行き先は浄蓮の滝と河津七滝である。滝は必ず渓流の途中にあり,滝を目指すと,清らかな流れに沿って森林浴が楽しめるし,滝(瀑布)ではマイナスイオンに満ちた飛沫を楽しめる。僕は湖や滝が好きなので,旅行先では必ず湖や滝を目指す。
さて,この日の最初は,浄蓮の滝。海岸線ではなく,下田から国道414号線を北上していった。この滝を見るのはおそらく3度目で,前回はもう10年ほども前になるが,この時は大仁温泉から南下して目指した。この大仁温泉では旅館の離れに泊まらせてもらったが,そこは偶然にも読売ジャイアンツの長嶋茂雄選手が以前泊まったことのある部屋だった。仲居さんの話によると,その離れの庭で長嶋選手が素振りをしていたそうな。それはそれとして,今回見た浄蓮の滝も水量が多く見事だった。
この滝を見た後は,それまで来た道(国道414号線)を南に戻り,その途中にある河津七滝(かわづななだる)を目指した。地元(河津)では,滝のことを「たる」と呼ぶそうだ。この河津七滝はその名が示すとおり,大滝をはじめ大小合わせて7つの滝が渓流に沿って存在する。全部の滝を見ることはしなかったが,大滝の所では,滝壺及びその周辺で水遊びができるようになっている。そのためには,近くの旅館で入場券を購入し,水着のない人は貸与が受けられる。実際に数人の大人が水着で無邪気にはしゃいでいた。この日は水遊びまでは断念したが,今度訪れることがあったら童心に戻って滝壺で泳いでみたい。きっと爽快だろうなぁ。
「滝の日」の締めは,旅館で心づくしの料理である。ここ数年は,例えば3泊4日のような旅程の場合,3日とも夕食を頼むことはない。今回の旅行も夕食は1日だけ頼んだ。というのも,旅館での美味しい夕食を3日3晩食べ尽くした後の自分の醜い姿を見るのが嫌だからだ(ビール腹,二重あごなど・・・)。それにしてもこの晩の心づくしの料理は美味しかった。もちろん金目鯛も・・・。
一生懸命に働いた後は遅まきの夏休みである。8月16日(日)に名古屋を新幹線で出発し,3泊4日で伊豆下田へ旅行した。下田温泉で温泉を愉しみ,風鈴の音を聴きながらの読書であった。今回は,少しばかり贅沢をし,客室に露天風呂が付いている宿泊先を選んだ。
熱海駅に着いてからはレンタカーで移動し,一路,東伊豆の海岸線沿いに南下して宿泊先の下田温泉を目指した。というのも,この日は何よりもまだ日の高いうちに客室に付いている露天風呂を愉しみたかったからである。海岸線に沿った道路から眺める海は碧くてとても美しかった。そんな訳で,この日はあちこち寄らずに午後3時少し過ぎにはチェックインしたのである。
チェックインの時に選んだ風鈴を縁側に掛け,矢も楯もたまらず,すぐに露天風呂に入った。もう秋の始まりを感じる外気に触れ,風鈴の音,蝉や虫の声を聴き,緑豊かな場所で木漏れ日を浴びながら,ゆったりとした時間を愉しんだ。ふぇーっ,極楽じゃー。日頃お仕事をがんばっているのは,こういう瞬間を味わうためなんじゃないかなと思った。
下田及びその周辺の観光は翌日回しにして,この日は,露天風呂と読書。この宿泊先でじっくりと読んだ本は,「マオ 誰も知らなかった毛沢東(上・下)」(ユン・チアン,ジョン・ハリディ著,土屋京子訳,講談社)という本である。上下併せて1000ページ以上となるボリュームであるが,非常に読み応えがあり,夢中で読み進めることのできる本だった。
また,夕方には下田の街を少し散策したが,唐人お吉の墓もあるようだし,開国当時の港町の風情がまだ少し残っているような味わいのある街である。何しろ金目鯛や地魚がとても美味しかった。ワクワクして明日の観光コースを思い描きながら,そのまま深い眠りに入った。
たった今,拘置所での接見を終えて汗だくで事務所に戻ってきた。いやー,世間はすごく暑いことになっていますなー。汗だくとはいっても,運動の後の爽快な汗である。というのも,男性用日傘の魅力というか効用を実感しているからである。
男性用日傘は,デパートでも売り場に大々的に並べられてはおらず,個別に店員さんに耳打ちする形で,在庫がないかどうかを確かめる必要があると思う。今僕が愛用しているやつは,遮光性,UVカット率が高く,有事の際は雨の時も使用できるやつだ。
日傘というものは,実際に使ってみると,とてもイイ。第1に,直射日光,紫外線の直撃から大切なおつむ(特に中期的には絶滅が危惧される毛髪)を保護してくれる。第2に,この保護があるゆえに,比較的涼しく歩行ができ,汗をベタベタかくほどではなく,運動の後の爽快な汗が実感できる。第3に,日陰を探してのジグザグ歩行などは全く必要なく,道の真ん中を堂々と歩行できる。第4に,炎天下でも,暑さと直射日光で顔の表情がひんまがることがなく,比較的涼しい顔ができ,全く根拠はないものの精神的にも余裕が出てくるような気がする。
使い始めて最初の頃は,自意識が過剰だったのかもしれないが,「男のくせに日傘なんか差して」というような好奇の視線を感じもしたが,良いものは良い,是々非々主義で今後も貫き通したい。なお,それほど広くない歩道などでは,傘は通行の邪魔になりがちではあるが,そこはそれ,江戸しぐさの「傘かしげ」で世間の皆様に迷惑を掛けることのないようにすれば良いのである。
かみちよねーさんというのは,このブログでも一、二度取り上げているのだが,ぜんまいざむらいに出てくるキャラクターである。僕はとても好きである(笑)。
ぜんまいざむらいに出てくる女性のキャラクターというのは,あまり色気は感じないんだけど,このかみちよねーさんだけは別である。だんご屋おばば,ずきんちゃん,わたあめひめなどは,ほとんど三頭身に近いけど,かみちよねーさんだけは他の町人と同様,ちゃんとした大人の頭身であるし,何よりも妖艶である。
かみちよねーさんの出自や経歴などは全くナゾに包まれたままだ(ただ,かつて女忍者に憧れていたという時期があったようで,鋭い手裏剣を投げるシーンは目にした)。出自等がナゾに包まれ,江戸で暮らしていた人間で非常に色っぽい女性というと,どういうわけか,かつて近藤勇と並んで新撰組局長だった芹沢鴨と倫ならぬ仲だった「お梅」を連想したが,よく考えてみると「お梅」ほど世間ずれしてはいないし,それほど生活臭やしたたかさも感じない。・・・・・・かみちよねーさんはやはりかみちよねーさんなのである。
ある回のお話では,だんご屋おばばが,ぜんまいざむらいや豆丸の前で調子に乗って悩殺ポーズをしている際に,ギックリ腰になってその日の店の切り盛りができなくなり,うつ伏せで寝込んだ(僕は朝っぱらからこの悩殺ポーズは見たくない)。そこへ通りかかったかみちよねーさんが,一日だけだんご屋を手伝い,見事にだんごを完売して貢献したことがあった。おばばがとても感謝して,別れ際にかみちよねーさんに報酬を渡そうとしたが,かみちよねーさんはおばばが用意した報酬そのものを辞退して颯爽と去って行った。
僕がかみちよねーさんを好きなのは,その容貌だけでなく,こういう,粋でいなせな洗練された生き方,優しさにも魅力的を感じるからなのである。
夏でもできるだけ自宅から歩いて通勤している。通勤経路はその日の気分などによってまちまちである。今朝の通勤途上で,若いOL風の女性とすれ違った。凄い美人に見えたので,すれ違いざまにちょっとお顔に目がいってしまった。確かにそこそこ美人なのだが,巨大なつけまつげであった。あれはマスカラとは違うと思う。仮に僕がこういうつけまつげを付けたとすると,その重量,負荷に耐えかねて眼瞼痙攣が起きそうだ。それにまぶたに気がいってしまい,書面の起案に差し支えるであろう。でも,そんなこと余計なお世話か(笑)。
通勤経路と言えば,僕の自宅の近くには,小学校がありその敷地内には本当に見事な桜の木々がある。春にはこのブログでも述べたように,本当に感動的なまでの見事な桜の花を咲かせるのである。
今朝はこの桜の木々を見ながらの通勤であった。その桜の木々にとまり,蝉が一生懸命に鳴いていた。あまりよくは知らないが,蝉というのは約7年ほどを土の中で生活し,やっと地上に出て僅か1週間かそこら,生涯の最終段階を過ごして死んでいくというようなことを聞いた。だから,今一生懸命に鳴いているのは生涯の最期の仕事なのだろう。これは少し的外れかもしれないが,前に読んだことのある正法眼蔵随聞記という書物には,人生は長いとか時間などいっぱいあると考えている人は怠惰になったり修行に励まなかったり人生を真面目に考えたりしないが,人生があっという間であることを識っている人はそうではない,あるいはそうあるべきではないというようなことが書いてあった。蝉も,自分の生涯が短いことを知っているのだろう。蝉の存在は,僕が幼い時は昆虫採集の対象,若い頃はその鳴き声がうるさいなという程度の存在,でも年をとった今は何故かしら自分の姿を投影してしまう面がある。
桜は見事な花を咲かせ,あっという間に風に吹かれて散ってゆく。蝉も地上に出てからは声の限り鳴いてあっという間に死んでゆく。桜も蝉も,自然の呼び声に応じていつでもこの世を去る覚悟,潔さがある。いつも通勤途上に見る同じ桜の木々で,桜と蝉は季節を違えていずれも春,夏の主人公となっているのである。いやー,今日はどうしちゃったんだろう。とても内省的な人間に化けてしまった(笑)。
先週の土曜日には,同業者やそのご家族の方々と,知多半島の方へちょっとしたバス旅行をした。あいにくの雨だったが,内心雨も悪くはないなと思っていた。というのも,この小旅行には,海岸での地引き網体験の企画が組み込まれていたからである。真夏の炎天下で地引き網というのは,「虚弱体質」の僕にはヒジョーに辛い。
炎天下での地引き網修行がいよいよとなったら,僕としては同業者数人をそそのかして,近くのハウスでこっそりビールでも飲んでようと企んでいた。でも,雨が降ったりやんだりの天気で,炎天下という訳ではなかったので,結局僕も浜辺に出た。
おかげで,日本古来からの地引き網漁法のやり方がよく分かったし,真鯛,黒鯛,コノシロ,ボラ,タコ,小さなサバなどの獲物がかなりあった。同業者のご家族の中には,まだ小学校に上がる前の子や小学生らがいて,雨に濡れながらも最後尾になったら順繰りに先頭になって一生懸命に網を引いていた。これらの子どもたちは,獲れた魚を目を輝かせて見ていた。さらに子どもたちは,漁師さんが魚の鮮度を保つために血抜きし,魚をしめる光景も目にしていた。これらの獲物は,予め用意されていた牛肉や豚肉,野菜などのバーベキューとともに,刺身や鍋に調理され,どの子どもも美味しそうにほおばっていた。勿論僕も。要するに,これは立派な「食育」となっていたのである。炎天下での地引き網修行だけは回避しよう,一部の仲間とこっそりビールでも飲んでいようと企んでいた自分が恥ずかしい。
その後バスは,「酢の里」というさる食酢メーカーが運営している施設に足を運んだ。ここでも酢が出来上がる工程を見学でき,これも大人にとっても子どもにとっても一種の食育となったのであった。この施設で配られたリンゴ酢は美味かった。特にこのリンゴ酢のボトル表面には「・・・ダイエット」と記載されていたので,思わず買い求めようという衝動に駆られた。でも,本当にダイエット効果はあるのかしらん。あるんだったら,毎日何杯でも飲むんだけど(笑)。