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弁護士ブログ

2009/01/22

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 僕は,健康管理のために(ストレス解消ともいう),最低でも週1回はトレーニングジムに通っている。でも,先日そのジムで,心理的に非常に微妙な目に遭った。

 

 ジムではいろんなことをやるが,必ずやるのが約40分間の有酸素運動で,それはトレッドミルといってベルトコンベアーのような物の上で早歩きをするのである。その日も「さあ,やるぞ!」とやる気満々で始めた。そのジムはトレッドミルの機械が20~25台くらいはあるのだが,その日は結構混んでいた。僕が始めて30分ほど経った時,たまたま僕の隣が空いて若い男性が来てその台に乗っかったのだが,なかなか始めようとしない。変だなと思って後ろを振り返ったら,何と,彼の彼女らしい若い女性も立っていたのである。そう,彼らは連席で仲良くトレーニングをしたかったようで,僕が終わるか,あるいは一つ隔てて僕の向こう側で早歩きしているオッサンのどちらかが終わるのを虎視眈々と待っていたのである。あーぁ,いやーな感じ。ハイエナかハゲタカが今にも死にそうな獲物が死ぬのを待っているような感じなのである。

 

 でも,僕としても,いつもの通りあと10分くらいは続けたい。そこで,僕の頭の中では,僕の可愛い脳細胞ちゃんたちの臨時議会が招集され,いつもより10分早めて終了し,このうら若いカップルに譲るべきかどうかが審議され始めた。重苦しいけど誠実な審議の結果,「メタボたちが一生懸命に努力しているこの神聖な場所で,色恋沙汰を持ち込むべきではない」という意見が大勢を占め,決して譲るべきではないという議決がなされたのである。それに,向こう側のオッサンもそのうち終わってくれるだろうという楽観的な観測もあった。

 

 このようにして,僕は決然としていつもどおり約40分間の早歩きを続行したのである。でも,その間,いつもはその負荷で脈拍数は108前後なのに,その間は115くらいになり,彼らに「待たれていた」情況が僕の心理に多大の影響を与えていたことは否めない(しゃくに障る。)。それはともかくとして,約40分間が経過しても,何故か僕の体は夢遊病者のようにそのまま動き,早歩きを続けてしまったのである。向こう側のオッサンはというと,水分を補給しながらますますやる気満々で止める気配が全くないのである。そうこうしているうちに,かのうら若きカップルは,ようやく連席で仲良くトレーニングできる場所を見つけ,移動していった。

 

 結局,僕はいつもより約5分間余分に早歩きをやってしまった。思えば,約10分間続行した時間帯は正論を貫きとおしたと評価できるが,余分な5分間は一体何だったのだろうか。それは,虚心坦懐に振り返れば,嫉妬心以外の何ものでもなかっただろう。向こう側のオッサンも僕とほぼ同時に終了したことからすれば,彼も同じく嫉妬心をメラメラと燃やし続けていたに違いない。件のカップルの様子を見ると,案の定,イチャイチャしながら,談笑しながら走っていた。その姿を見て,自分のやったことは決して間違ってはいなかったと言い聞かせ,ジムを後にした(なお,念のために言うと,僕はメタボではない。)。

2009/01/15

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 実際には非常に可笑しい場面なのに「笑うな!」と言われたり,全員が沈黙し,絶対にここで笑っちゃいけない厳粛な場面などで,結局はそういうプレッシャーに負けて笑っちゃったということはないだろうか。僕は,幼少のころから現在に至るまで,絶対に笑ってはいけない場面ではことごとく笑ってしまった人生を歩んできた。前にもこのブログで,人間ドックの腹部エコー検査では毎回笑ってきてしまった歴史について触れたが,こればかりはどうしようもない。自分としてはこのような悲しい性(さが)を何とかしたいのだが,DNAレベルでそのような人間に生まれてきてしまったのだ。何故だろう。絶対に「笑っちゃいけない!」という意識が強くなればなるほど,そのような強迫観念が僕を支配し,その絶対性が僕を追い詰め,それに押しつぶされてきたのだ。もうこれは死ぬまで治らないのかもしれない。

 

 先日,法廷での証人尋問の前に行う宣誓の場面で,またしてもやってもうた。「良心にしたがって本当のことを申します。知っていることを隠したり,ないことを申したりなど,決していたしません。右のとおり誓います。」という宣誓書の決まり文句を,どの証人も法廷の厳粛な雰囲気で述べることになっている。ところが,その証人は,「・・・・知っていることを隠したり,ないことを申したりなど,決していたします。・・・・」と言い間違えてしまったのだ。これはテレビでやっているような「言いまつがい」とはニュアンスが少し違うと思うが,外形的には,これから思いっきり嘘をつくぞという宣言になってしまったのだ。この証人本人には勿論そのようなつもりはなく,これをあげつらうことは不謹慎であり,ましてや法律家である以上,それを耳にして法廷で吹き出したりしてはいけないのだ。しかし・・・・あってはならないことであるが,やってもうた。

 

 僕は昔から,笑ってはいけないという場面では,必死になって,例えば,自分の太ももを思いっきりつねって苦痛を与えたり(太ももの中でも,お尻に近い方は脂肪が多くて痛くなく,むしろ膝に近い方がより痛みが多いので,相対的には効果があるような気はしている。),過去のとても悲しい場面を思い出すなどして,絶対に笑わないように自分なりに工夫してきた。でも,その一方でそうまでして笑わないように必死であがいている自分自身を,空間の少し上の方から客観的に観察して哀れんでいる自分も意識され,結局は「笑うなプレッシャー」に押しつぶされて,笑ってしまうのである。笑ってはいけない場面で,ちゃんと笑わないでいられる人が羨ましい。一体,全体,何を食べたら,そのように分別があり,その分別に従って行動できるような抑制のきいた人間に成長できるのであろうか。やっぱり,僕のこの性分は,死ぬまで治らないのだろうか・・・・・。

2009/01/13

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 最近ゴルフの調子がいまいちである。ここんとこのスコアがどれくらいかは,とても恥ずかしくて言えるものではない。確かに回数は減ったし,昔は週1ペースで打ちっ放しの練習場にもいそいそと通っていたのが,最近ではそれもあまりないから,下手になったのかなぁ・・・。まあでも,気が置けない友達と緑の中を歩いたり走り回ったりしていると,とても楽しいものである。

 

 これはあまり脈絡はないのだが,ゴルフついでに告白すると,僕は雨の日に傘をさしながらゴルフ場のフェアウェイを歩いていると,決まって「あめふりくまのこ」のメロディーが頭に浮かんでくるのだ(ほとんど例外なく!)。子供のころ,NHKの「みんなの歌」か何かの番組でこの曲を耳にして以来大好きな曲なのである。先日,カラオケに行った時,「まさかある訳ないよな」と,だめもとでこの曲を探していたら,何と,見つかってしまった。僕は矢も楯もたまらず,思わず歌ってしまった。同席の人たちは「困った人だな。」といったような顔をしていた(要するに失笑を買ってしまったという感じ)。でも本当にこれは佳い曲で,何か懐かしい感じがするのだ。

 

 弁護士としては依頼者のため一生懸命に誠実に仕事をしなければならないのは勿論であるが,人間として生まれてきた以上,一生懸命に遊びもしなければならない。僕は,「梁塵秘抄」(巻第二 四句神歌 雑)の中の次の歌がとても,とても好きだ!

     「遊びをせんとや生まれけむ  戯れせんとや生まれけん

      遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」

 この曲の大意については,遊女が子供の声を聞いて自分の罪深さを嘆いているのだという解釈もあるにはあるが,僕は,文字通りの意味,つまり純粋に一人の人間として遊びに興じている無邪気な子供の声に触発されて,自分の体も思わず動いてしまう,一緒に遊びたくなってしまうというような心情を歌ったのではないかと思う。

 

 僕の子供の頃も,草野球,ビー玉,缶蹴り,ハンドベースボールなど,日が暮れる直前まで時間も忘れて(時にはその日にいっぱい出された宿題の存在も忘れて),頭がからっぽの状態でひたすら遊んでいたものだ。やっぱ,人間は「遊びをせんとや生まれけむ」だ。歳をとってもいつまでも遊びごころを忘れずにいたいと思う。

 それにしても内容散漫な本日のブログであることよ。

 

2009/01/05

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 皆様 新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 元旦は良いお天気だった。平和な日本にあって何とか人並みの暮らしができているのだから,元旦の晴天を眺めながら,幸福感をしみじみとかみしめるべきであろう。でも,生来ペシミストである僕は,やはり将来のことについて何かと不安を感じることもあるというのが本音だ。

 

 年末年始はいろんな本を読んだが,「大平正芳-『戦後保守』とは何か」(福永文夫著,中公新書)の中に,不安を感じる僕を勇気づける,心に響くような次のようなくだりがあった。

 

 「時代は想像を絶した変化を経験しています。ことしは何が起こるかわかりません。大いなる不安の連続です。世界をあげて『不安』の時代にさおさしています。しかしこの『不安』も連続すれば,それは一つの『安定』となり得るものです。度胸がすわってくるものです。私はこの不安定の中に度胸を据えて,新春の感激の中に光明を求めて前進したいと存じます。」

 

 これは,その当時自民党代議士だった大平正芳が,1961年の新春,郷土の四国新聞に寄せたエッセイの一部だそうだ。政界きっての知性派で,将来は宏池会を率い,首相にまでなった大平正芳と,小市民の僕とでは,その考える「不安」の内容はスケール的にも質的にも大きな差があるであろうが,さきほどのエッセイの中で示された言葉は何故か僕を勇気づけた。

 

 勇気づけられた余勢を駆って,今年は何かにつけて積極的に打って出ようと思う。そして,打って出ついでに,あの苦闘の「オーディション」を経て入団を許された合唱団でも,しっかり練習して「マタイ受難曲」演奏の一翼を担いたい。僕はバス声部担当の一人で,スコアを見ながら音取りの練習をしているが,改めてこの曲の精緻さ,すばらしさを実感するし,J.S.バッハの偉大さに思いを致す。

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